選挙前故に様々な「思想」が飛び交っては批判や賛同やにもみくちゃにされて世論の中を駆け巡っている。
その中でも特に強烈に突き刺さったのは井上義行氏の性的マイノリティの拒絶だ。彼の言説によると、同性婚を認めると2000年の歴史ある人類が否定されることになるらしい。どんなスケールの大きい話じゃい、2000年を否定できるならむしろ否定してみたくもあるよ、というまずシンプルなツッコミは置いておいて。
私自身は同性愛者ではないがアロマンティック(他者に恋愛感情を抱かない)を自認しており、その上女性の肉体を持ちながらも妊娠することに対しての強烈な生理的嫌悪感がある。そのため20代の現在男性と結婚する予定はないし、万が一したとしても拷問でも受けない限り実子をもうけるつもりはない。
だから正直、同性婚ができようができまいが私自身困ることはないのだ。けれども、私は同性婚の法制化が推進されることを願っている。もっと言うならば、「結婚の自由」がもっと開けたものになればいい。結婚相手の選択肢に限らず、結婚自体がただの選択肢に成り下がってほしい。結婚適齢期だなんて言葉が廃れてしまえばいい。そんな風に願って、今は候補者の情報をかき集めているところだ。
先日は大阪地裁の判決もあった。同性婚を認めないことは違憲ではないとするものだ。
「婚姻は、男女が子を産み育てながら家族として共同生活を送り、次世代に承継していく関係」。この文についてはTwitterなどでも数多く言及された。結婚の先には繁殖があることが前提らしい。なんて気持ち悪い。産めよ増やせよと、せっせと子作りして国に貢献するなら援助もしてやるよと、結婚とはそういうものだったということなのだろうか。
アロマンティックの私に恋愛結婚の幸せは想像がつかないけれど、結婚を望む人たちはきっとそんな意図に賛同しているわけではないはずだ。家族だって、結婚が全てではない。むしろこれまでを顧みれば結婚というフェーズのない生活共同体は多種多様発生してきただろう。それも全て無視して、まるで国家における人間が繁殖のためにあるような言い回し。
家畜じゃあるまいし、と思う一方で同時に、これが地裁の総意ともなる社会であるならば数年前の「生産性」発言にも頷ける、と私は深い諦めの念を抱いてしまった。
いろんな思想を見て、いろんな感情が渦巻いている。私自身は正直もう何にも期待していないけれど。生産性がないと貶められることも、結婚≪できない≫「ワケありの欠陥品」と思われることも、子作りする気のない親不孝者と思われることも、全て事実ですからと黙ってやり過ごす程度には既に諦めてしまっているけれど。
でもこの社会にはそんな現状を変えたいと必死にあえぐ人たちも同時に存在していて。
その人たちの余波が私の諦念に少しでも光を差してくれるのではというちょっとした期待で、今ここにある選挙権だけは絶対に無駄にしないと決めている。
アホか。 消費税減税と同じだよ。 どうせ実現させる気もない。 選挙の道具にすぎない。 無駄に踊らされた生産性のないバカがお前。