2021-02-16

ちょっとした出来事があって、思うところがあるので増田にすることにした。

なんのことはない、通り慣れた道をいつもどおり車で通っていたら道路作業のために片側交互通行をしていた。そこは備員もいらないくらいじゃないかと感じるくらい見通しのいい道路で行きに通過した際は対向車もなくあっさりと通り抜けた。事は帰りに起きた。向こうから車が来ているのが見えて「止まるか」と構えた。ところが警備員誘導棒をくるくると回している。そして対向車も減速していた。「え?」と思いつつも横に避けたら同時に向こうも車を通そうとしていた。結果、中途半端位置で止まることになってしまい先に通してもらったが、通行権は対向車にあったので対向車のドライバーに譲っていただくという状態に。警備員同士の意思疎通が取れていなかったのか、ただ単に指示が雑だったのか、あの指示が「止まれ」だと教育されたのか、真意はわからない。ただ警備員誘導に従う義務はないので、あの場面では指示の意図に関わらず停車するのが正解だった。

そう反省する中でしかしやはり例の警備員の指示の雑さに考えが巡ってしまう。というのも学生時代自分自身バイトで警備をやっていた経験があるからだ。研修車両誘導する際の細かな取り決めについて色々と学んだ。止まれ、進めの合図をしっかりと伝わるように出すためにはどのように誘導灯や旗を扱えばいいのかもその中にあった。「車は急には止まれいから、『あの車を止めるぞ』と思ったらはるか手前からじっと目をみるといい」というようなアドバイスも頂いた。その研修が功を奏して片側交互通行で事故はおろかヒヤリとするような場面にも遭遇したことはなかった。

では全員がそのように警備を行っていたかと言われたら当然Noだ。それはもちろん警備会社によって研修の内容が異なるというのもあるが、人によっても考え方が全然違うことが多いのだ。派遣される地域が限られるのでどうしてもその中で頻繁に現場が一緒になる「同僚」のような人たちが生まれる。その中で特に印象に残っている二人がいた、それは「やたら厳しいおじさん」と「やたら緩いおじさん」だった。「やたら厳しいおじさん」は本当に細かいことにまで注意をしてきた。中でも覚えているのが車線減少の誘導の際に「しっかり腕を上げて、斜め45℃のところでピシッと止めてそれから腕を回しなさい」という具合に。自然とその人は警備仲間の中でも「めんどくさい人」として扱われていた。でも真面目ちゃんだった自分はその指示に従った。当時はただ「色々言われるくらいなら従った方がマシ」くらいだったが、今では従っておいてよかったと思う。というのも、「やたら緩いおじさん」は警備仲間の中でも融通が効く「いい人」のように捉えられていたが、同じ車線減少の誘導をしていたら「そんなに真面目に振ると腕が疲れちゃうでしょ、チョイチョイと振るだけでいいよ」と言われた。

かに、車線減少の誘導は腕がものすごく疲れる。ドライバー警備員の横を通過するのは一瞬なので忘れられがちだが、彼ら彼女らは日に8時間、長ければより多くの時間誘導しているのだ。常に車が通っているような道ではおちおち腕を休ませる時間もない。だから適当に振る」のはけして「間違って」はいないのだ。問題はその「程度」と「場面」にある。車線減少の誘導であれば車は避けざるを得ない。なので警備員は「指示を出している」というよりは「生きた道路標識」に近い。だが片側交互通行ではどうか。ドライバーに「進んでほしい」のか「止まってほしい」のかが明確に伝わらないと事故に繋がりかねない。これがもし両側共にそれなりに交通量があってどちらかが必ず止められている場合には明確に「止まるべき」だということはわかるが、問題交通量が少ない道だ。交通量が少なく、たまたま対向車がいて止まってほしい場面でちょっとでも紛らわしい指示をしたら事故につながりかねない。今回遭遇したケースはまさにこれだった。

当然一番の非は停車しなかったドライバーにある。免許を取るのが遅く、少し前に初回更新をしたばかりの駆け出しのドライバーなのでまだまだ経験も浅く「え、行っていいの?」となってしまったのは判断が甘かったとしか言いようがない。見通しがよく対向車がいることはわかっていたので指示に関わらず停車すべきだったし、今後は警備員にどんな指示を出されようと停車するだろう。でも「それではなんのための警備員なのだろう」と思わずはいられない。法的な拘束力もなければ、事故時に法的な責任を負うこともない警備員が雑に誘導の指示を出した結果として事故が起きているケースはけして少なくないのではないだろうか。現に「警備員の指示が雑なことはよくあるのか?」と様々な語句検索してみたら「警備員誘導に従って事故を起こしたらどうなる?!」のような記事ばかりがヒットする。自分が警備のバイトをしていた頃から高齢の方は多かった。そしてご高齢な方ほど「雑に」警備をしていることが多かったように感じる。それはけして悪意からではなく、判断力や体力が年齢とともに低下してしまっているかなのだろうと当時感じていた。今では更に高齢警備員割合は増えているだろうということは想像に難くない。「判断力や体力が衰えるのだから高齢者に警備員やらせるな!」と言うのは簡単だが、本当の問題は「高齢の体に鞭打ってまで警備の仕事をしないと生活していけない」という日本社会の現状にあるのだと思う。

あのとき遭遇した警備員の年齢は覚えていない。そのくらい警備員というのは日常的に遭遇はすれど意識しない人々だ。そういった人たちに思いを巡らせつつ安全に日々を過ごすために自分がどうするべきなのかをしっかりと見つめ直したい。

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