ここにいる人たちって世間に比べてすべきことしている人たちだと思ってる。
本当に必要なこと以外で外出てないと思うし、そもそも外出なくても比較的平気だろうし人と会わなくても平気だろうし、仕事とかで外出なきゃいけなくても夜はもちろんお昼も一人で食べてるだろうし、日々最新の東京都や政府の情報を取得してるだろうし、海外の状況も見ているだろうし、自分や若者は感染しても大したことないと知っていてもすべきことをしているだろうし、それが当然だと思ってるよね。
出来るだけバイアスに囚われず、客観的科学的俯瞰的に物事を捉えようとするよね。
もちろん自分もそのようにしてるんだけど、情報を得れば得るほどそうでない人たちの存在に気づけなかったり知らない、どんどん理解できない存在になっていくことに恐怖というかどうしようもなさを感じる。
例えば、一昨年菅田将暉の3年A組でも表現されたし去年は本当酷かったけど、明確に、大人でも他人からのネガティブな言葉で自殺する人がいるとわかった。
今でも過労死レベルで働いている保健所の方や医療従事者の存在を考えると、自分さえ良ければなんてとても思えないと思っていたけど、自分は関係ない、そんなこと知らなかった、感染予防対策そろそろ面倒くさいと思っている人が意外と自分の身の回りにもいることをふとしたことで知ってかなり衝撃を受けたりする。
コロナなんてただの風邪だとか科学的に大したことないっていうのが仮に正しかったとしても、今日々の忙しさや心労に困窮している方がその瞬間から楽になるわけではないし、苦しんで亡くなる方は確実にいる。
津波で家と家族を失った人に向かってあの地震は人工地震だ、そんなところに住んでいたから悪いんだ、なんて言えない。言ったところで悲しみはどうにもならないから、そんなことより寄り添って助け合っていくしかない。
特に自分は弱っている人、辛い人に強く共感とか感情を揺さぶられるHSP傾向なので、そういう人を想像してしまったり、去年の夏から秋にかけてのタレントの訃報の報道とかこの前の医療現場の増田は本当に辛かった。一歩手前だった。
そういう情報を目にしてもなんとも思わない人がいるのは知っている、でも全く理解も共感もできない。
自分は一歩も外出なくても、知り合いに半年以上会わなくてもなんとも思わないけど、人に会わないと逆に不安定になる人がいるのも知っている。
職場の人にお昼みんなで行くのをやめていただけたらありがたいです、と言ったらちょっと不機嫌というか反論みたいのされて少し話したら上記全般のような認識で、どっと疲れたりする。
彼らは彼らですべきことをしていると思ってる可能性もあるんだけど、食事はマスク外さないと食べられないよね、と2Fさんのようなことを返されて。
もう多様性の時代なんだから攻撃し合わずに互いに優しさを持って生きていけたらなぁと、自戒も含めて思う。
直接相手に言わなくて表現しただけで誰かにとっては攻撃になってしまいかねないから出来るだけ気をつけて書いたけど、どうだったろうか。
「私」を『和多志』に変えてみたら?