2020-10-01

追記ジレンマとか

あの増田あの後どうなったかな、などと気になる事がよくある。もしかしたら追記があるかもと、見に行ってしまう。追記してくれると嬉しい。嬉しい気持ちはもちろんあるのだ。

しかし、考えや悩みを一旦なんの相槌も無く吐露するという、日常会話では発生せず、インターネット上のテキストコミュニケーションでもあまりない状況から生じる文章こそを楽しんでいる自分も居る。

そこは完結して、完成している。いくらか逡巡しながら、場合によっては少し言い回し編集しながら、自分の中にあったわだかまり名前をつけて書き出す。昔の公文書文豪の私筆よりは重くなく、 SNS投稿よりは軽くない、ここにしか表れ得ない文章がある。

そんな完成された文章追記が入ると、リアルタイムで読んでいた人のためのものになってしまうような気がして、なんだかもったいないような気がしてしまうのだ。いつか誰かが辿り着いたとき、ただその文章に良さを感じて読み進めると、一応のオチや締めがついている。もう本人は見ていないという事実けが、閲覧者に流れ来る。

一度完成された文章に関連付けるものとして、トラックバックがあった。近藤さん独自解釈によって本来目的は変容し、ある場所ではコメント機能になり、ある場所では呼び出し機能になった。

近藤さんサービスセンスは好きだが、技術理解に関しては何かと異論を唱えたくなる。彼にとって技術手段であり、我々にとっては目的であるトラックバックというシンプル技術仕様は、 Web 的には大変よくできたものだった。 SPAM 耐性が低いのは一旦置いておこう。

本来リンクする側からしかアプローチできないけれど、そのエントリ言及している記事はみんな読みたい。言及から言及したことを知らせられればリンクできるのでは、というものトラックバックだった。そしてその頃の感覚として、他人記事にわざわざ言及するには、一定価値ある資料とするべきであるという雰囲気があった。そしてそんなにコストを掛けるのであれば、自分blog記事にしたいというのは自然なことである

トラバ言及になったから変わったとは言わない。ここは他エントリに起因する記事があったり、全記事を読むブクマカが居たりすることで成り立っている、特殊環境だ。そこで使われるトラックバック機能は既に本来意味から遠ざかっていたので、名前をそれらしいものにした方が良い。正直、外部トラックバックを受け付けなくした時点でスレッドBBS のようなものにした方が良かったと思うが、既に開発者がいないラボサービスにそこまでのコストは掛けられなかったのだろう。

現在でもたまにある改修は、新人に「はてな」を弄っていることを自覚させるための儀式なのかもしれない。

まとまらなかった! PV があるうちは存続させてもいい程度なのだと思っていたけれど、ちょいちょい改修が入る(しかエンバグする)。

その改修でエンバグする感じと、追記で後味が変わってしまう感じが、なんだか近いかなあと思った。

  • とりあえずスパマーはBANでいいと思うんだが

    • あいつはレスバに負けて腹いせにスパムっぽいものを連投するアレな人だと聞いたが

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