2020-07-19

結局「シーライオニング」ってどんな行為を指すのか

あのマンガに正解があるのか分からんけども、自分なりの解釈を書いてみたい。

なおアシカ発言内容には全く触れません。

『The Terrible Sea Lion』はSNS上でよく見かけるやり取りを揶揄したものであり、その本質ネットユーザーの公私に関する意識の差を描いている。

というわけで、マンガにおいては現実世界のものとして描かれているけど、これらはすべてネット上でのやり取りであると考えられる。

コマ目は特に示唆的なコマだと思う。

女性が屋外で不穏当な発言をし、それを相手方がたしなめている。これをSNSに当てはめるなら、パブリック上で問題発言をしている図となるだろう。それだけでなく、このコマからはそういった行為を犯す人間意識まで読み取れる。

背景に注目してほしい。

そこに人はいるだろうか。あるいは、人の気のあるような場所だろうか。

否、だ。

これはSNSを(特に身内で使っている)人間に陥りやす心理状態だ。

そこがパブリック場所であっても、見えている世界自分と知り合いだけの空間だと脳はプライベート場所だと錯覚する。それが現実でのことなら、そこまでおかしものではない。しかネット上においては、ひとっこ一人いないように見えても、そこには無数のネットユーザーがいるのだ。そして、それを可視化する方法はない。

故にアザラシは2コマ目で唐突に現れる。

何気なく呟いたら、見知らぬアカウントからメンションが飛んできた時のそれだ。

ネット上には物理的な距離はない。遠くからこちらに向かってきて、気さくな返事と共に「失礼ですが…」と話しかけてくるようなことはない。話しかけられてから、それが何者であるか知る、というのがネットにおけるコミュニケーションの始まりだ。

とはいえ女性にとってアシカ行為は、自分の家に土足で上がり込んでくるようなものに感じるのだろう。FFから失礼…するな! というヤツだ。3コマ目以降の背景が屋内となっているのは、つまりそういうことだ。プライベートモードにしたのに、どうやってか入り込んできたスーパーハカー描写ではない。

女性アシカ。両者はどうしてここまで話がかみ合わないのか。それがネットリテラシーの差であり、ネット上での公私の捉え方の違いなのだろう。

で、どちらが悪いのかという話なら、個人的にはアシカだ。

自分発言責任を持つことは重要ではあるが、はたしてそれは無制限に拡大していいものか。見知らぬ相手自分発言説明する義務があるのか。あるいは赤の他人発言に対して説明させる権利はあるのか。全くないとは言い切れないが、『The Terrible Sea Lion』のようなシチュエーション場合はどうだろうか。

個人的にはないと思う。責任を感じた時だけ行動すればそれでいい、とも。

それでもしつこく食い下がる行為は、もはや嫌がらせの域だ。

アシカが就寝中や食事中にやってくるのは大袈裟表現ではない。今や現代人にとってスマホ必須であり、そのスマホからは常にSNSの通知が届いている。つまりこれはそういう表現だろう。

インターネットによって生活時間が違う人どうしでも気軽にコミュニケーションがとれるようになった、と言えば聞こえはいいが、このマンガにおいてはそれが地獄にもなることを描いている。

まあぶっちゃけ、さっさとブロックしてしまえばいいんじゃね? とも思うんだけど、このアシカが単体である保証がないところがザ・インターネットなのだ

自分なりの結論として、シーライオニングがどういった行為を指すのかと言えば、相手議論を嫌がってるのにしつこく議論を吹っかけてくる行為、あるいは、ソフトネット付き纏い行為って感じになるだろうか。

(しょーもない結論になってしまった)

  • ノロウィルスに感染して上の方からマーと出ちゃうやつやで

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