私は何に関しても、人と感想を話し合いたいと言う気持ちにとらわれるので、あるものにハマるとよく「◯◯ 感想」とか「◯◯ はてなブログ」とか検索する。
だけど何故かこの◯◯のところに恋愛リアリティや恋リアと入れるとほとんどヒットせず、恋リアと入れたときには、リア恋のジャニーズのファンのブログばかり出てきてしまう。埋もれているのかな。
だから私が先駆者になった気持ちでこのはてなブログに恋愛リアリティーのことを書こうと思います、、
とは言いつつも、恋愛リアリティはこれまでひとつしかみていない(みている途中)!それが、
「恋愛ドラマな恋がしたい kiss to survive」(以後ドラ恋)
Instagramで動画を見つけたから今やってるならAbemaTVで見てみようなんて安易な気持ちになってしまいどハマり(している)。
ただ私今恋愛リアリティーを見ながら思うのはもう二度とこの類の番組は見ないようにしようと言うことである。
普通に面白いからみているのであるし、この番組自体を否定したいとかそういうことでは無い。ただ私がこの恋愛リアリティをこれからは見ないようにしようと思った理由は何かと言うと、自分が共感性羞恥だと自覚したからである。
私は幼い頃からドラマが好きだった。物心ついてからはヒロインに共感できないドラマは面白くないと思うようになった。
そして今私はドラ恋を見ながら、ある1人のメンバーに思いを寄せながら見ている(恋とかではなくその人の立場に立ってという意味で)
そうすると非常に苦しくて今までのドラ恋がどういう感じだったのか私はよく知らないけれどその子が感じていることを想像してはいたたまれない気持ちになってしまう。
TwitterやInstagramでこの番組を見ている人たちの感じを見ていると結構自分に近い入り込み方をしているなと言う人が多く見受けられる気はするのだけれど、なんだか方向が違う気がして、思い返すと(ヒロインに傾倒しがち)な自分って感受性豊か、だけじゃないのではないか?と思いはじめた。だって私、テレビに泣いている人が映るだけで涙が出るし、ヒロインがつらいシーンは半分脹れてみてるか飛ばすし。
って思い返して、ふと浮かんだ言葉が
だった。
他人が恥をかく、叱責される、失笑を受ける、非難される・・・・・などの光景を実際に、あるいはドラマ、マンガなどを通じてみたときに、まるで自分がそれらを受けているように動揺、委縮し羞恥心を感じる現象。
らしい。恋愛リアリティは、恋に飢えた人(私)にはドキドキのもとになるし、ハラハラするけれど、入り込みすぎてしまうから見ない。
普通のドラマならまだ、フィクションだからと思えるのだけれど、恋愛リアリティはリアルだからより強く思うのかもしれない。
まあでも次回が最終回なので、そこまでは見届けようと思います。
最後に。
公式のSNSやメンバーのSNSにたくさんの人がコメントを残している。その中にアンチコメがあったりするのだけれど…人によっては愛がないただの八つ当たりや攻撃がある。…民度低いな…って思ってしまったのもこれから観ないと思った理由の一つだ。人を傷つけるこわさをしってほしい。終わり。