知識だけではない何か
現時点のコンピテンシーで何ができるかを考える。
目指すべきキャパシティ水準とその能力強化の道筋を構造化し、プログラムをつくる。
その水準についていけない人に対しては、追加の強化プログラムとしてフォローする。
プロジェクトのコンセプトは演繹的につくられるが、それは既存の戦略とほぼ完全に合致していなければ衝突してしまう。
合致したものを目指そうとすればするほど、それはすでに構想された計画ということになり、プロジェクトの意味が失われる。
なによりも進捗具合や新たな事情によって、プロジェクトのコンセプトに修正が必要になったときに、概念図に影響が及ぶ。
https://www.green.gifu-u.ac.jp/~bhdlab/?p=1391
今月は、古代ローマからスペイン中世までの歴史をふりかえる月間。
(ただし自分だけ)
それは、概して、彼らはいともたやすく不信感に陥って急に敵意をむき出しにし出すかと思えば、
ほんのちょっとしたことがきっかけで、すっかり水に流してまた仲良くなったりする、ある種の単純さ。
コツをつかめば、コントロールしやすい人たち(小馬鹿にしているわけではないが。)
基本的に対等で、自分にとって契約違反となるような理不尽なことに黙って従う感覚は乏しい。
会社に対する帰属意識(うち)ではなく、契約(見返り)が重要である。
こういうのって、中世の封建領主の文化からきているのかもしれないし
感情の起伏の在り様は、あちこち離合集散を繰り返して戦争を繰り返し、
土地の支配者が目まぐるしく入れ替わった歴史にさかのぼるのかな、とふと思ったりした。
日本のロイヤルファミリーは、どこの国とも一切交わらずに千年以上も続いているが、
国家の安全保障と王室の婚姻が密接に結びついたヨーロッパでは、過去を水に流す(アムネスティ)というのはもっとも基本的な作法なんだろう。