前のネタをもっと詳しく私の頭の中を整理したものなので、厳密性を突っ込まれたら結構ぼろぼろだと思います。
ここでいうナショナリズム、はあえて緻密な定義はしません(できません)が、日本の特に1970年代~1990年代にナショナリズムと「受け取られた」概念とその周辺を指すものとします。
戦後直後、1950年代とかはだいぶ事情が違うのですが、戦後社会の発展の中で
左翼側はどちらかというと、戦前の反省のうち「自国中心主義が他国を不幸にしたばかりか日本をも不幸にした」という捕らえ方をする傾向が多分みられた、と。この手の理屈を言ってた人もそれぞれ細かいことには色々違いがあったわけではあるけれども、「日本などどうでもいい」というのは主流ではぜんぜんなく、「世界の利益にのっとって社会を改善すれば日本もよくなる」という方向性が目立っていたのではないかと。
一方で右翼側が、には前述の左翼的ナショナリズム的なものと比較すると、排外主義的なナショナリズム傾向は多分多少なりともあった(保守や右翼がみんなそんなんばっかりだったなんてことは決してないのですが)。
この流れの左翼的ナショナリズムに関しては、「連帯や平和を願うことでそれを実現できる」的な…これを実現性がゼロだと言ってしまうのは平和論の議論をまったく無視した不当評価ではあるのですが、しかし、「リアリティも戦略もない平和主義」を大きく伴っていたというのは多分事実で、左右ではどちらとも分類しがたい自称リアリスト派からは批判を受けることはそもそもあったかと。
戦後の発展と、その中での日本外交は、後から公開資料でみれば、ベストではないにせよその時々の国際関係の中で必死に立ち回った政治家と官僚の姿が色々見えてくるわけですが、リアルタイムでそれが国民に認識されていたとも言い切れず、まぁ戦前の延長のような政策方向もあれば、平和主義輸出的なものも同時にあったと。そういうのも「世界の利益は日本の利益」的なものはある層にはそれなりに支持を得られるようになっていった。
これが、日本の経済発展と他国の経済的台頭、日本での経済発展に伴って日本人のテーマが国内の暮らしだけではなくリアリズム外交としての他国との関係への市民の着目が増したと思っています(以前にもトピック単位では対外に色々問題は出たりはしてたのですが)。
この時点では、確かにサヨク側の中に実在はした「リアリティも戦略もない平和主義」は格好の攻撃対象でもあり、説得力を失う原因のひとつともなったのではなかろうかと。実際問題、「自国の利益のためには他国の利益を毀損したり駆け引きで自国が利益を上げたりすることも必要である」というのは、この文言の範囲であれば決して特異な考えでもないし、大なり小なりはむしろ支持する人が多数であるのはまったく自然の範囲なわけで、「サヨク」的なナショナリズムイメージがこれらをベースとした批判をウヨクを巻き込んで出てきたのは、ある程度は自然の流れであるかもしれない。しかしことはそう単純でもなく、その延長で「リアリズムを自称する排外的ナショナリズム」の発展や、「他国をうちまかしても何でも自国の利益を確保する」的なものも大なり小なり寄与したのかなぁ、と。まぁ実際「リアリズムを自称する排外的ナショナリズム」も、論者によっては一定以上の理論的考察や戦略はまぁあるにはあったのですが、サヨク側と同様「自称リアリズムだけど、対外で利害不一致はとにかく強気に出ればそれでいい」的な、結局それってただのリアリティのない理想主義じゃ、みたいなのも色々混じっていて、まぁなんとも・・・。
元の話題に戻ると、左翼に「ナショナリズム」がないなんてことはまったくないのだけれども、ナショナリズムのイメージは右翼側に強く結びついてしまったので、(手垢がついてしまったがためという面もあるといえるかもしれないけど)「ナショナリスト」の自覚の薄い左翼は少なからず見かけられる。
というように整理したわけです。上述に抽出した流れに限定すればナショナリズムと排外主義やらレイシズム等は結びつくのは必然とは決して言えないのですが、ここに書いてないなにやらかにやらありますよね、と。
※右翼や左翼の定義やそれらの性質について逃げて整理してるので「正確な」話を目指してはないですが、おおよそこういう枠組みは大なり小なりあったのではなかろうかと考えたということです。