2020-07-06

漫画を描いて好きを語る人格Aと小説で好きを書く人格B

インターネットに、いや現実世界でも、人間は多数の人格を持っている。

これは別に多数人格者の話ではなく、一般的人間としての話で。会社、家、家族、友人、恋人。どんな形であれ私含め色々な人は色々な人格を持っており、その人格を扱って生きている。

と、いう話が昔習った社会学だか心理学だかの授業であった。人格や顔を使い分けることで生きやすくしているらしい。

話は変わるが、私は様々なSNSアカウント複数持っている。

Twitterは4~5つ、Pawooで1つ、pixivは2つ、その他諸々。それぞれが交わったり交わらなかったりしながら、適当更新する日々が続いている。

というのも私は絵を描く人間で、多少なりとも人気のあるジャンルでいわゆるちょっとマイナーかな?くらいのキャラ2人組を永遠と描いていた。

漫画イラスト小説、立体造形。時にはゲームも作ったし、グッズを作り1人眺めるという行為も何度もしてきた。だがその中で、どうしても物足りなさを感じるときがある。

自分以外が書いた/描いた推し2人が見たい。

大体最初はそんな感じだったと記憶している。

だが、絵を描いている人間であり、同じジャンル活動しているとすれば絵柄で私かどうかわかってしまうのは当然であり、それはまあ避けたいということで小説に手を出した。

先述した通り元の私(仮名:A)は小説も書いている。突発的に思いついた内容を文章にしたためpixivに放り投げた。だが、何度投稿しても何度書き上げても、その字数は毎度1000字程度までしか書くことができなかった。1000字程度で勝手オチが付いてくる。起承転結が纏まっており、気に入った文章でもあるのだが、pixivで何度となく体験した「どれだけ読んでもこの2人の話が終わらないよ~~!」「スクロールバーが小さくて沢山文字があって嬉しい~!」「この小説1万字あるの!?いつまでも読めるな…」みたいな経験を私の小説で味わうことが出来なかった。

読了時間約1分と言われたし。

そこで、新しくpixivアカウントを1つ開設した。(というより、その前に出した同人誌に私の友人という体で一度小説寄稿した事があるが)このアカウントの私をBとすることにしよう。

そしてまずはBはどういう人間かを適当に作り上げる。

Aとは中学生の時に出会い高校からは別の学校へ。だがAとはたまに遊ぶ程度の友人で、小説を好み、眼鏡をかけており、国語数学が得意で、家からの近さで選んだ大学に通っており、文章を書くのが好きだがそれをどこかに発表したことはなく、Aに誘われAの好きな2人組にハマり、Aの出している同人誌小説寄稿したらAから褒められ、そのままAに乗せられてpixiv登録Twitterには怖いというイメージを持っており登録していなかったが、まぁ近日中登録してもいいかなと思っている。

これが存在しないBの人格です。存在しませんが。Twitterなどの場でBについて言及する時やBがTwitterをするとしたらこんな人間であるとするための人格

改めて文字に起こすとやばい幻覚を見ている人の日記みたいになっているなとは今思った。

それはさておき、この設定を適当に練り上げ、pixiv登録し、Bとして改めて小説を書き上げた。

一番初めに上げる小説。いつもと同じくらいの時間をかけ書き上げた小説は、いつもの2倍程度の文字数を持っていた。

文字数にして2400字程度。そんなことあるんだというのが正直な感想である

あくまで私はBとして小説を書いているので、(まぁ多少日本語が似ていても)文体は変えて書いているつもりであり、小説パソコンを使って書いた結果がこれらしい。

人格によって文章量が変わるということはあるのだろうか、というのがこの日記の本題である

文章自体を書くことは好きで、Twitterでも適当な文を毎日ぽいぽいと投げているし、今回の日記も気が付いたら案外多く文章を書くことになった。人格Aで小説投稿たころより小説も沢山の種類を読むようになったも事も案外関係しているのかもしれない。

ただ、Aとして書いているときよりも文章としての表現の仕方や台詞の書き方が変わっているし、なにより文章量を増やすのに苦痛を感じない。

Aとして書いているときは、元々900字くらいの小説をなんとか伸ばせないか検討して1100字程度に増やしていた。だが、Bとして書いた小説の2作目は、作品の途中(4割程度)にもかかわらず3000字を優に超えている。

しかするとBを小説を書く為の人格だと思っている故に小説を書くという気構えが無意識に出来ており、それが理由文字数も増えていくのかもしれない。

余談だが、私はAとして日記を書く場合スマートフォンで書いている。

機器により内容は変わるのかもしれない。次はスマートフォンでBとして書いてみようか。

それにしてもすごい文字数の日記になってしまった。ここまで読んでくれた人には感謝の念を伝えたい。


おまけ

嘘をついていればいつしか嘘に飲み込まれるという話がある。

私の推し(生きている)は自分のついた嘘が嘘ではないという記憶の下友人の話をしていたことがあったし(先日それが嘘だと分かり「へぇー…」と他人事のように一瞬納得していたのが印象的だった)過去にもTwitterでは「娘が1人いるという嘘をSNSでついていたら気付くとその存在しない娘との思い出がふと出てきて怖くてその娘の話は二度としなくなった」という話も以前耳にしたことがある。いや娘かどうかは覚えていないが。

今の私は大体嘘をついてSNSを生きており、そもそも人格Aですら事実に嘘を混ぜてSNSに書き込んでいるし、人格Bはもう存在しない人間を作り上げて活動している。

さな嘘はどんどん自分に降り積もる(らしい)し、今の私は割と中核~大きなサイズの嘘で作られたSNSをしている状態である

もしかして、いつか私も嘘に飲み込まれる日が来るのかもしれない。

存在しない大学記憶が生まれたらBのアカウントは消されることになるだろう。

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