はてなキーワード: 二郎とは
男女それぞれに相性テストをかけあうのは、何も間違っていない。
ヒトのお見合いを長く見てきたが、お見合いは試しあい、真剣での試合そのものであり、鋭くしかし華麗に行う必要がある。
婚活においてサイゼリヤデートという話題で炎上するたびに思うのだが、題名とは違って実はかなりの人間がデートの中に"サイゼリヤ"を組み込んでしまうことがある。
以下において"サイゼリヤ"は、"マクドナルド"でも"ドンキ"でも、"スターバックス"でも良い。好きな単語に置き換えて読んで欲しい。
試される側からすれば、実はお試しとしては悪く無い。価値観を知る良い機会だからだ。
問題は、それが意図せずに組み入れられてしまったのか、意図してそこに行こうとしているかの差だ。意図しているのだとしたら試し方としては相当に幼い。
ただ、相手の価値観を変えてやろうと思ってなかなか変わるものでもなく、矯正すれば良いかと気楽に考えていると概ね悲惨な結末を迎える。
(価値観を後から変える成功例は自分の知りうる限り一組だけで、あとは残らず離婚している)
以下は、結婚相談所での経験も含めて、なぜサイゼリヤデートがダメなのか、なぜ相手を試す行為が良くないとされ、実は試す必要があるのかを解説する。
(具体例は当然フェイクや組み合わせを変えたりする)
総じて、結婚相談所は「結婚できる下地はあるが出会いが無かった」お相手同士の縁を結び、そのお手伝いをするところであり、
新兵訓練所ではなく、また訓練するインセンティブも薄い(よほど成婚率が悪いとかでないかぎり、ズルズル在席してもらった方が楽)ので、
多少の背景調査が入るお堅めの合コンだと思ってもらってほぼ間違いない。
多少の違いはあるが概ね合コンセッティング業者と言われても反論はできない。
いやいやお見合いと合コンは違うじゃん!と思ったあなた。貴方の感性は正常です。
そう、男女が出会う場所として本質的に同じだとしても、やはりお見合いと合コンは違う。
事前の準備の面倒さやドレスコード、会食場所を含めて、その差異は、マナーという言葉に集約される。
けっきょっくのところ、これは礼儀、つまり相手に敬意を表すことが出来るか、という点を見られているわけだ。
試しあいだとしても、相手に敬意を持ち、それをきちんと表現した上で、さらに相手を試したり知ることができますか?という。
つまり、サイゼリヤデートは、相手にきちんと敬意を払ったうえでセッティングしましたか?と問われている。
一般的には、初回のデート場所にサイゼリヤに行くのは、試し方としては拙く、無礼だ。
そんなこと言っても、初回の相手にどうやって敬意を表せば良いのだ!と憤るかもしれない。
自分がどう思うかではなく、相手がどう思うかにフォーカスして考える経験が足りていない。
そもそも結婚数そのものが下がってきている昨今、礼儀作法にうるさいご家庭はかなり減った。
実際のところ、気の置けない友人同士であれば、手土産無しにお宅訪問しても陰口をたたかれることはまず無い。
ただ、家を訪ねるのであれば手土産くらいは持参するだろうという常識が薄れても、それが礼を尽くすことになるかもしれないと思い至れないのは致命的だ。
(ブコメにハレとケの概念について触れているものがあったが、それでピンとくるようであれば読み飛ばしてもらって構わない)
じゃあ、デートにどこに行けば良いのだ!とキレるようであればまだ救いがある。調べたり改善する余地があるからだ。
サイゼリヤでも良いような女性とお付き合いしたいのだから、良いじゃないか、と考える場合は概ね笑顔で肯定し、長く在席してもらうことになる。
パブリックとプライベートとを、それぞれに応じて異なる振る舞いをすることが求められる、ということからわかっていないことが多い。
プライベートで、例えば家にいるとき、家族になった後での家の中での振る舞いで、厳格な礼儀作法を求められると疲れる、というのはわからなくもない。
「だから、サイゼリヤで価値観のすり合わせを」となるところがマズイのだ。デートはパブリックな場所で行われるものであり、特に初回のデートはパブリックよりだからだ。
さて、デートはプライベートな行事ではあるが、パブリックな空間で行われる。
次にこれが"婚活で行われるデート"の場合は、ここに"非日常"という軸が加わる。
冠婚葬祭に普段着で行ってはいけないというのは、それは非日常だからだ。
逆に言えば、高校生のデートであればサイゼリヤであっても問題ない。日常と地続きだし、場合によってはそもそも男女で食事をするだけで非日常だったりするからだ。
最後に、相手と自分との区別がついていない、という点があげられる。
これはもちろんグラデーションがあるだけで誰しもそうだが、極端に自分が中心になっていることがある。
相手が人格を持つ自分とは違う人間なのだということが分かっていないような振る舞いをされる方がまま居る。
これは男女問わずだし、誰しもが多少なりともあるが、自分の考え方が正しく、それに沿うべきだ、と考えてしまいがちだ。
サイゼリヤデートであっても相手は楽しむだろう、それが初回のデートであっても自分は嬉しいから、というものだ。
その時にお誘いした相手はどう思うだろうという視点が欠落している。
ここが"サイゼリヤ"を組み込んでしまうことがあると言った理由だ。
休憩にスターバックスによることが優しさであると感じる方もいれば、騒がしいスターバックスにデート中に寄るのは常識外れだと怒る方もいる。
どちらが正しいとか間違っているかということではなく、その相手がそう感じるという点が重要なのだ。
そんな初回の相手をエスパーでもないのにどう感じるかわかれなんて無理だろ!と憤るのもわかる。
そう、相手のことを心から理解するのは家族であっても難しいし、逆にそんなにピッタリだと不安になる方もいる(相手が自分に無理に合わせていたのではないかと)。
その解消がコミュニケーションであり、ここで相手と意思疎通ができるかはとても重要だ。
自分の言葉で相手に伝わるように言ったはずなのに伝わらなかったというのは大きなマイナスになる。
例えば、「相手からはデートのランチの場所はどこでもいいと言われた」というのが、「どこでもいいと言ったらどう伝わるか」とすでに試されているのだ。
もちろん、慣れていないと、ディナーの予約をしたつもりが、高くてあまり美味しくない居酒屋になってしまうこともある。それは仕方がない。
問題はそこから、どう軌道修正できるか、もしくはそういったところが良いのか実は非日常のデートなら違うところが良いのか、価値観のすり合わせが出来るかが重要なのだ。
際限なく譲歩する必要は無い。ここは譲れないラインだというのをぼんやりとでも持っておくことはもちろん重要だ。
いつもデートは帝国ホテルのディナーを予約してほしいというのは、受け入れられないとか。手違いでも居酒屋を予約するような手際ではムリだ、とか。
まだ家族になってもいない相手を試すのであれば、相応の礼儀を尽くしたうえで、失礼のないように試すべきなのだ。
だから、何度かデートを重ねたうえで、段階を踏んで、「お互い普段はファミレスに行くって言っていたし、どう?」と誘うのであれば何の問題もない。
両方がともに普段着で集まって、いつも行くような店に行こうとコミュニケーションが取れてからなら、焼肉でも二郎でも好きに行ったらいい。
いきなり相手を連れて行って試すような真似をするのは、本当に止めた方が良い。考え方が幼すぎる。
礼儀を尽くしてサイゼリヤに行ったんだと主張するのであれば、それはそれでも良いと思う。似合う人が見つかると良いね。
あなたから見れば、あなたは人生の主人公で、それ以外の人間は登場人物に過ぎないと感じるかもしれないが、実際はそうではない。
まあ、そう無理することも無いと思うんだよね。業界的にはその方が助かるし儲かるから。増田にしか書けないよこんなこと。
つーか、ぶっちゃけオマエ試してる場合なの?ってことの方が多いから、経験則的に言えば全員一律相手を試してる場合ではないでフィニッシュです。
相手を試さないといけないくらいひっきりなしにアプローチを受けてますなんて人は、ホントに出会いが無いだけで結婚相談所の能力と無関係に成婚するしね。
この文章は、バンド「GLAY」のメンバーの変遷を表しているように見えます。
ただし、平成22年と令和6年のメンバー表記は正確ではありません。GLAYは1988年に結成され、1994年にメジャーデビューしました。現在まで、TERAがボーカル、TAKUROがギター、JIROがベース、HISASHIがギターを担当しており、メンバーの変更はありません。
したがって、この文章はGLAYの実際のメンバー変遷を正しく反映しているわけではなく、何らかの誤りや意図的な表現が含まれていると考えられます。
昨日、小山市の辻田家行ったんです、辻田家。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで吸われないんですよ。
で、よく見たらチラシ貼ってあって、特製ラーメンが1000円のところ記念価格で800円だとか書いてあるんです
もうね、アホかと、馬鹿かと
お前らな、200円如きで普段来てない辻田家に
来てんじゃねーよ、ボケが。
200円だよ、200円。
なんか親子連れとかもいるし。一家四人で辻田家か。おめでてーな。
よーしパパ家二郎頼んじゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない
お前らな、200円やるからその席空けろと
始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいんじゃねーか、子供はお子様ラーメン食べてろ
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が麺かため 味濃いめ 油多め とか言ってるんです
そこでまたブチ切れですよ
あのな、早死三段変更なんかきょうび流行りすぎてんだよ。ボケが
得意げな顔して何が味濃いめだ
お前味濃いめって言いたいだけちゃうんかと
辻田家通の俺から言わせてもらえば今、辻田屋で
誰もやらない味変更はやっぱり
麺 やわめ 味うすめ 油すくなめ、これだね
そん代わり値段もちょっと高め、これ
で、俺が変更したやつは麺が死ぬほどやわらかくて味がちょっとうすめ、さっぱり
これ最低
マジで意味不明すぎるし意思疎通も取れないしで何なら少し怖い。多分チャットGPTの方が遥かにコミュニケーション取れる。
私はX(旧Twitter)のフォロワーが6桁人数いるんだけど、分母がデカくなってからこういうバカが増えて辟易してる。
具体例を書く。
私が「二郎というか、二郎系ラーメンすら食べたことが無いので今日こそ食べに行く!」とポストしたとしよう。
それに対するリプライは「二郎食べたことないんですね!ハマりますよ」とか「最低限のルールは調べたほうがいいですよ!」等とても普通のもので溢れる。
そういうリプ一覧を見て楽しんでいると、異質なリプライが紛れ込んでくる。
「何で二郎系嫌いだったの?」
これマジでどういう事なの?一言も嫌いなんて言ってないし何ならかなり好意的にポストしてるだろ。
読解力が無かったり行間が読めない人が増えてるとは聞いたことあるけど、存在しない行間を読むな。
ただ実を言うと、ぶっちゃけこのレベルはかなりマシな方だ。日本語読めないレベル12って感じ。この後はもっと凄い。
上記のポストの後に私が普通の二郎ラーメン(マシマシとかしてないやつ)の写真と共に「ヤバい!本物だ!」とポストしたとしよう。
そうすると私のポスト一覧は
「二郎というか、二郎系ラーメンすら食べたことが無いので今日こそ食べに行く!」
そしてこの写真つきポストに来るリプライは「おいしそう!」「飯テロすぎる」「◯◯店かイイね」等というものになる。
初二郎を無事完食した私は店を出てそのリプ一覧を見て楽しんでいると、一際異質なリプライを発見することになる。
「野菜マシでもないのに何が大盛りなの?」
これマジで凄くないか?これが日本語読めないレベル100だ。しかもさっきのレベル12とは別人だ。
私の一連のポストには ”野菜” ”マシ” ”大盛り” という単語は登場していない。
何ならこの前のポストを見ていなかったとしても、このリプライにはならないだろ。
文章は成立しているのに会話として完全に破綻してる返信はどうやったら習得出来るわけ?
書くとキリがないので1例ずつにしたけど、こういうのは何十件のリプライに数件ある。勿論全員別人で体感2~3%
ちなみにこういう奴らの共通点は90%タメ口であること。会話可能なリプライにも勿論タメ口の奴は居るけどそっちは40%くらい。
ネットで二郎完食!みたいな写真見て、もやしが浮かんでたりするといや完食しとらんやないかって昔思ってた。自分が食いに行った時は律儀に「完食」してた。
最近はまあ面倒臭くなって、そこまでの完食ポリシーに対する情熱は薄れてきた。味噌汁のシジミの中身を食べないのは未だにちょっと解せないけど。ほなパエリアの具も出がらしだからって全部残すんかい。
食べ物を残す残さないのポリシーとは別にとして、はっきりと認識出来るレベルで食えるものがまだ残ってる状態を完食って呼ぶのは違うよなって思う。顕微鏡で見ても茶碗に米の成分が残ってない状態は無理にしたって、やっぱ米粒残ってたら完食とは言えないだろって思う。おれの言う状態まで「完食」すべきだとかそういうのとは別にして、単に言葉の使い方として。
まあ人並みに社会性はあるので、便宜的に世間一般の感覚に則って完食の状態を認めるようにしてるけど、やっぱちょっと気持ち悪いなって思う。
この言葉の使い方に対するこだわりと苦言を共有したくてたまらない。でも世の中言葉の意図を邪推する人が多いし、「こういうのって完食じゃないよね」って言ったらおれの言わんとする趣旨を付け加えても人の食い方に口出しするウザい奴と勘違いされそうで怖い。実際言葉一つに拘泥するウザい奴ではあるし。