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2024-05-19

解決策を思いついた!!

おそらく○○費を放棄すればいいんだ?!べつに個人の懐におさまるものでもなんでもないので、

雑用から解放してくれるんならよろこんで放棄する!!あと給与の手当分も調整してもらえるなら

してもらおう。

いままでこんなもののために、メンドウなことになってたんだわ。

べつに奨学金さなならんわけでもなく、家賃も払わんならんでもないし・・子供公立学校だし・・

給料へらしてください!自由になる経費がへるのか?それもけっこう!最近べつにそれ関係に金

つかってないし・・

弱者男性ワイの一ヶ月の収支

nametypeamount(万円)
給料(短時間勤務正社員)in15
両親にお金をあげるout2
奨学金返済(無利子)out2
精神病院通院費out0.7
外食out0.8
スマホ月額out0.7
ユニセフ募金out0.3
合計stock8.5

追記: こどおじです

anond:20240519012234

住宅100万、食費80万、光熱費通信費等35万、趣味娯楽40万、奨学金返済10万、その他日用品やら通院コミコミで300万円ちょっとくらいの出費やね

2024-05-17

家賃別に支払う必要もないし奨学金の返済もないし・・親からの○○○○もあるし、半年くらい

休職するのも手かもしれません。わたくしのような職種場合休職してそのまま退職においこめるわけじゃないので・・

休職されると組織的にこまるのはむこうだし・・休職したらまじめに配置換考えてくれるかもしれない。

休職たから「じゃあ他の人さがしますか」とはならんし・・・休職手続きに入るってのはええかもしれない。

「できるもんならやってみろ」とか言ってくるかな?休職中の代わりの人って休職を考えてる人が探さなくても

いいよね。残された組織の誰かがさがすんだよね。「できるもんならやってみろ」→「やったるわ」の応酬

半年休職となったとしても半年くらいなら、財政的には問題いか。そのまえにローン全額返済しとけばよかったな。

デコはどうなるんだろう?べつに小さな金額から貯金くずして出せますけど・・代わりの人みつける手間かんがえて

全力阻止してくるだろ

足掻いても足掻いても人生が上手くいかない

先日兄が逮捕された。

いつも通り家に帰ると両親が項垂れた様子でそう語った時、もう無理だと思った。

ブログに書くのは、もう周りに吐き出せる人間がいないからだ。身バレが怖いなという気持ちがあるので、少しフェイはいれつつ身の上話を聞いてほしい。

私は仲睦まじい両親と、優しい兄がいる家庭に生まれた女だ。両親は中卒であったが、真面目に仕事もしていて母が専業主婦をしていけるほど稼ぎもあったように思う。

ただ、我が家貧乏だった。

理由は単純で、土日になると両親はハマっているパチンコ屋に出かけて行くからである。小さい頃はこの事を不思議に思わないどころか、むしろ子供を入れても黙認してくれていた店もあったりして、連れていってもらったときにはテーマパークに遊びにきたかのような気分にすらなっていた。

現実は他の子家族で色んな場所に連れて行ってもらっているにもかかわらず、私達は私が5歳を迎えた以降の家族写真がない。写真を撮るような場所に行っていないから。

それでも小学生くらいになると規制が入ったのか兄と家で2人留守番をすることが多くなった。留守番をしている間は、兄からちょっかいをかけられて始まる喧嘩が絶えなかった。パチンコ屋の閉店時間である23時を過ぎるまで両親は帰ってこないことを分かっていながらも、一度だけ喧嘩に負けた私は窓を開け、「お母さん帰ってきて」と泣き叫んだことを今でもはっきりと覚えている。現代なら児相案件かもしれない。

そんなことがありつつも、寂しいと感じなかったのは兄だって土日に友達と遊びに行ったりしたかっただろうに、私の面倒を見るために家にいてくれていたことも何となく感じ取っていたし、平日学校から家に帰ると母は笑顔で迎えてくれ、ご飯は必ず4人揃って食べていたからなのかもしれない。

余談ではあるが、今SNSで嫌な呼び方をされている某スナックパンや、最近内容量が減った某薄皮クリームパンにいたっては、本当に毎日朝ごはんで食べていたためその投稿を見たときには苦笑いしたものである

話を戻してそんなある日、父が仕事をやめて起業すると言い出した。普通起業するとなると辞める前に運転資金を準備するところだが、前述のとおりパチ狂いの父にそんなお金があるはずがなかった。

そんな状態起業するものから、もちろん手元にお金なんて残るはずもなく。貯金なんて夢のまた夢な話で、税金保険料年金関係は滞納、市役所からの督促やらの封書は毎週のように届く。この時期から母は専業主婦をやめ、働きに出るようになった。

そしてとにかく両親の喧嘩が増えた。

よく究極の質問で「愛かお金どちらが大事か」というものがあると思う。お金があっても愛がなきゃ意味がない、愛を選ぶ人はみんなそう言う。確かにその考えもあると思うが、私はやはりお金だと思う。お金さえあれば、本来しなくていい喧嘩はあるからだ。

この頃どれくらい貧乏だったかというと、私の高校入学制服代が足りないからとパチンコいったら大当たりしてなんとか入学できたという最低なエピソードがある。

高校入学後はバイトをするようになった。このあたりから自分の家の経済状況はなんとなく分かってきていたから、自分のことは自分で、と皆に迷惑をかけてはいけないと思うようになった。それとはまた別に先にバイトを始めて自由に使えるお金がある兄が羨ましかたからだ。

この頃にはパチ屋に行く金すらも無くなっていたので、両親はパチ屋に行くことを意外にもあっさりやめた。

そして高校生活も後半、進路について考えることになりふとどうするか考えた。

兄は高校卒業後、働きに出ていたため自分も働く前提で考えたがそれが本当に正しいのかと思ったからだ。

この頃の私は我が家普通の家庭ではないと分かっていたので、私の望みは私は低収入でもいい、毎月給料が入ってくる職種男性普通生活がしたい。たとえ1人で生きていくことになっても困ることがないように自分も食いっぱぐれない職種につかなければと思うようになっていた。

高校生が思う浅はかな思考回路で思いつく安定した職業とは。

公務員である

公務員になろうと思った。どうせ働くなら世のためや人のためになる仕事がしたいと思っていたので、思いついた時には天才かと思ったぐらいだ。

だが思いついたはいいが高卒枠で公務員になるにはあまりにも準備が遅すぎたため、進路を大学進学に変えた。あんまり出席日数も成績も良くなかったのもあって、当時の担任には大変心労をかけたと思う。

だが勉強するにも塾へ行くお金がない。時間がない。参考書がない。それでも必死携帯参考書について調べ、貯めてたバイト代で参考書を買って勉強した。嫌いではないが両親のようにはなりたくないと反面教師にしていたところもあった。

そして受験。もちろん落ちたが奇跡的に補欠合格となったので、家族でお祝い騒ぎになった。後でこっそり「落ちててもお金はなんとかするから浪人させてあげようと思った」と、某有名塾のパンフレットか案内文かをどこから調達して見せてきた母と、合格後の入学金が必要なことを同業者から聞いていた父が一括でお金を用意していた時は反面教師にしてごめんと心の中で謝った。普通入学金をすぐ払わないといけないなんて知らなかったか人生終わったと思った。

そして私はここから出会う人々と育ってきた環境のあまりの違いに愕然とすることになる。

頭が良くなかったので大学私大

学費については親が負担してくれるのは基本で、奨学金を借りるとしてもいざと言う時の保険でか少し借りる程度くらいのもんで、卒業後は一括返済、そこの心配なんて全くしていない人達だらけだった。もちろん車の免許も親が出してくれる。

それに対し私はもう4年間分の学費を全部そこから出す気持ち奨学金を借りていた。頭は良くなかったので有利子。友達は何にも悪くないのに、なんとなく場違い感を感じていた。

とにかく大学バイトと並行して真面目に勉強し、3回生の頃には大学で用意されている公務員コース(別料金)に入って就活対策も始めた。予備校に通うお金はなかった。

父の会社はというと、相変わらず上手く行っていなかった。支払いがやばい月には家族からお金を借りることが増えた。高校卒業から勤めていた兄はブラックだった会社を辞め、父のところで働くようになった。極端な話、大人が4人もいるにもかかわらず、まともな収入が母が派遣で稼いでくるお金だけだった。しかも兄はいつの間にかパチ狂いになっていた。兄は本当に優しかったのでそれを知った時には複雑な気持ちだった。

就活については、事前準備を頑張ったのもあって結果公務員になれたのでここらへんは省略。

さて同僚の方達はい人達なのだが、ここでも育ちの違いをまざまざと思い知らされることになる。

まず親の職業公務員だったり医者だったりと更に金銭面に苦労したことはまずないんだろうなという人達が多い。もちろんみんながみんなそうではないことは強めに言っておきたい。そんな人達が多いから滞納者の必死の訴えなんて伝わるわけもない。だって所得から計算されている税金なんだから払えない額ではないでしょうと市民に直接言わないがそう思っている様子だ。

それはそう。

それはそうなんだが。

貴方は払いたくても払えない立場になったことがあるのか。

我が家は車がなかった。

厳密にいうと4人で乗ってどこかに乗っていける車がなかった。軽トラはある。

から4人でご飯を食べに行く時もいつも兄は原付で店に向かっていた。冬は寒そうに信号待ちをしている兄を見ていた。

せめてみんなが乗れる車が欲しかったので、私は中古アウディを買った。

わざわざ外車にしたのは、父の仕事で商談やらで軽トラで行くのはって場面が会った時に恥ずかしい思いをすることがないようにと思ったかである

ただ外車はとにかく維持費がかかる。中古なのでローンやら修理費やら車検代やら保険代やらで、今度は私の手元に残るお金がなくなっていくことになった。

父と兄は毎日仕事をしている。休みなんて概念はなかったので、ついに父は体調を崩してしまい、癌になった。抗がん剤治療が始まり、家でのサポート必要になったため母は派遣をやめた。

いい大人が4人合わせても中で手元に残るお金はごく僅かとなる有様だ。

そして話は最初に戻り、兄が逮捕された。父との会社金銭管理は兄がやっていたようで、働いても自分にまともな給料が入ってくることはない、友達と遊ぶのも1ヶ月に1回あるかないか。もちろん鬱憤は溜まるだろう。会社お金を少しだけ使い込んでいたらしく、お金を下ろしにいくといって兄が帰ってくることはなかったそうだ。

毎日働いているのに稼ぎが出ないことを何か原因があるんじゃないかと私と母はよく父を責めていた。お金が足りない時には私と母にお金を貸してくださいと頭を下げる父を、兄はどんな思いで見つめていたのだろう。優しい兄のことだからお金がないことを私や母にバレたら、父がまた責められるので言い出すことが出来なかったんだろうと父は今も項垂れている。

SNS結婚したと、子供が何歳になりました、大型連休彼氏家族と○○に行きました。みんなの素敵な投稿を見る度に、素直に祝うことが出来なくなっていく。そんな自分が嫌になる。人は人にあった人生レベルで生きるべきなのだろうか。現に今の私には素敵な投稿をするレベルになんていけそうもない。必死に足掻いても足掻いても私の人生は一向に良くなる気配がないし、まるで底なし沼にいるような気分だ。きっとこれからもっとお金がかかる。公務員になってしまったので副業をすることもできない。申請すれば通る状況なのだろうが、周囲にバレてもかまわないと思う覚悟ができない。

私はどこで道を間違えたのだろうか。

高校卒業して働くべきだった?

車は買わずお金を貯めるべきだった?

それとも逃げるように一人暮らしをするべきだった?

私はかつての夢だった結婚して普通の家庭を築くことは叶わないにしても、ただ4人で普通暮らしたいだけだ。4人で家族旅行に行ってみたいだけだ。

それがどうしてこんなにも遠いんだろうか。

2024-05-13

奨学金投資すればいいのでは

どうせ今後インフレするんだから必要なくても第一種奨学金を最大で借りて全額インデックス投資ぶち込む。これが限られた中で若者にできる社会に対する反抗なのではないだろうか。

2024-05-12

地方公立大で見かけがちなプチ不幸エピソードを語る

勉強はきっとウチらに平等だ!」を読んで、学生時代を思い出したので語る

地方公立には例の漫画の後日譚or受験失敗のアナザーストーリーゴロゴロ転がっているので思い出せる限り語る

入学理由は以下の2パターン

ギャルのその後みたいな人(学力的には他の選択肢もあったが、家庭の事情により家から通える地元公立に進学)

※家庭の事情金銭面、親の思想介護などバリエーション豊か

※男兄弟東京で稼がねばならんからお前は地元我慢してくれ系(親の合理的?な取捨選択)もある

おさげちゃん受験失敗バージョン(前期で出願した高偏差値大学不合格になり、私立進学や浪人ができない事情から合格確実な国公立に後期試験入学


また貧困は以下のパターンがある

ギャル系…シンプルに金がないので奨学金を貰っている。貧乏ながら比較的恵まれているパターン

おさげちゃん系…ネグレクト系。世帯収入はあるので奨学金は貰えない。借りるにも奨学金は親の署名必要なので無理。地方なので家賃生活費格安であるためなんとかなる。女子キャババイトしがち。

③多兄弟系…兄弟が多く、上の兄弟私立に進学したなどで世帯収入があるにも関わらず学費が足りないパターン。わりと多い。有利子の奨学金を借りがち。

2024-05-08

教員不足だから調整額アップは良い案だ

理由は主に2つ。

1つは教員不足は給料問題からベアすりゃ解決するだろう、という安直すぎる理論が通った事。

これにより問題が再浮上ないし更なる話題を呼んだなら、またベアすりゃいいだろという流れになる可能性は大きい。

記憶力だけ良い馬鹿権力握りたさにお金解決したがるのはいつの世も同じで、加えて奨学金免除までやろうという始末。

調整額制定から改正まで半世紀近く掛ったが、元の調整額には当時の残業時間から逆算という根拠があった。

しかし今回は大した根拠も無い安易改正であり、そのような前例を作ってしまったまま現状維持を貫こうものなら、次のベアはそれほど時間は掛からないだろう。

この流れが続けば教員給料はもはやうなぎ昇りである

 

もう1つは教師バトンと同じ動きがみられること。

X(旧ツイッター)でもあまり見られなくなった教師バトンタグ

しか教員の現状を嘆く声が少なくなったかというと、そんなことはない。

しろ加速してるといっても過言ではない。

実際、校長すら授業に駆り出されるなんて話は10年前にはほとんど無かった。

もちろん担任出張と臨採有給が被ったり等の一時的人手不足で、校長自主学習を1、2限だけ見るというのは当時でも稀にあった。

だが校長が教鞭を取るなんて話はホントごく最近になってのこと。

教師を辞めてから聞いた話なので具体的には知らないが、もし本当に校長が教鞭を取っているのなら今の教職現場は異常中の異常事態だ。

話は少し逸れたが、教職ブラックな状況が細かいところまで表沙汰になってきたということ。

法整備に関する記事さえ出てきたのはようやくかという感じもするが、とにもかくにも良い動きだ。

 

今後も教員不足の根本問題解決しない限り、話題が一旦落ち着くことはあっても消えることなく何度も浮上するだろう。

そんな中、国はどこまで教員不足問題を金と権力で押さえつけらるのか?

教員不足関連の公での議論はまだまだ浅い部分しか行われていないが、徐々に核心へと掘り進められている。

国は踏ん張って金を差し出し続けるのか、音を上げて権利の一部を教員ないし公務員返還するのか。

何にしても今後が楽しみである

奨学金23万円ですんだ喜び

総額860万円なんだけどな

一括返済ですんだ。

奨学金返済にあてるおかねを

仮想通貨投資して

持ち続けていた。

値上がりしたんで

自分としては23万円のお金奨学金返済できましたと。当然余剰分は自分資産に使える。

節約すれば一生困らなそうな金額をもてた。いや働いてるけどさ。たぶんアルバイト+足りないとき補填。基本は資産運用でやっていけそうだが。絶対はないしな。

2024-05-07

なぞなぞ奨学金を返し終わる人が多い場所ってどーこだ?

こたえ:関西(完済)

2024-05-05

いわゆる下方婚してもらった男の話

5年前に結婚。子無し。

増田は35歳、妻は26歳だった。

増田:理学系の博士号持ち。専門を活かした仕事に就いている。年収650万。ずっと国公立大学と院は奨学金で行った。

妻:文系修士卒。日英蘭語が話せる。年収900万。

出会い友達主催しているボドゲサークル

結婚するまで自分普通の稼ぎがあると思っていたが、結婚前にお互いの年収資産額を明らかにしたら、妻の方がより稼いでおり、資産は0が一個多かった。

さら結婚してからは妻の実家の太さに驚嘆すること多し。

 

結婚ときはお祝いで300万、家を買うとなったら1000万、それ以外にも祖母から毎年100万くらい贈与されている。

もらった金はNISAとか投資信託で増やしている。

妻の親戚もこういうのが「当たり前」なので特別なこととは本人も周りも思ってない。

増田実家結婚したときのお祝いは100万、それ以外の支援特になし。不満があるわけではないが、妻の実家と比べると気後れする。

妻にそれを伝えたら「そんなの気にしてたの?周りがやりたくて勝手にやってることだし、もし二人共仕事辞めても10年は暮らせる貯金はあるな〜って思いながら心穏やかに過ごそうよ。」と言われた。

妻の実家は集まりが多い。盆暮れ正月彼岸に〇周忌とか。

すべてに増田が行くわけではないが、顔を出すと妻の親戚の華麗な経歴と直面する。

私大学部卒は低学歴に入る感じだ。修士普通高学歴に入るのは博士からって感じ。(口には出されないが)

頑張って博士号を取って良かったと思う。

妻と二人の時は何も思わないが、妻の親戚と過ごすとぼんやり劣等感を覚える。

妻の希望もあり、子供は今すぐには持つ気はない。妻は女系一族なので婿入りとか養子抵抗がなく、「もし出来なかったとしても、子供が欲しいならもらってもいいんじゃない?」と妻も妻の両親も気軽に言うのでちょっとびっくりする。

そんな感じで増田勝手に気後れしたり劣等感を覚えるだけで楽しくやっています

2024-05-04

子供は何とか大卒にしたくないと思って育ててきた。

わたしMARCH私大文系からブラック企業三社短期離職を経て今は政令市行政職員をしている。

時代翻弄されたこともあり、色々あってこの経歴なのだが、自分の子供は大卒じゃなくていいと思って生きてきたし、ことあるごとにそれを伝えてきた。

低学年のころは文系なのか理系なのかまだわからなかったので、理系ならば高専文系ならば高卒公務員試験を受けるか、どうしても大学に行きたいのなら手に職をつけるための進学しかお金は出さないと諭した。具体的には美容師わたし実家理髪店をしていて、親戚も美容師)、栄養士保健師などの医療系、その他法律系の士業など。

そう考える理由は一つ。文系大学キャリア構築に際して運の要素が強すぎるからだ。新卒就活で求められるものコミュ力などのふわふわしたものだし、総合職会社に入ったとしても、部署ガチャキャリア丸潰れなんて悲劇もザラに見てきた。わたしブラック企業辛酸を舐め、なんとか行政職に滑り込めたが、もし公務員試験合格できなかったら、いまごろその辺でのたれ死んでるだろう。そのくらいギリギリ人生だった。4年間の学費投資をうまく回収できないリスクを考えると、大学に進学することが必ずしも成功への道だとはどうしても思えない。何より、時代に左右される要素も大きい。

公務員試験を受けるにしても、高卒大卒よりも受かりやすいし、何より4年間の学費を払わずに済む。4年間多く働き、奨学金を返すプレッシャーもないので、しばらくは自宅から通うことを考えるのならばお金的にも大して大卒職員と変わらない。(都市部であれば。)大学勉強がしたいなら、安定した仕事を得てから夜間で通ってもいいと思っている。ただ遊びたいだけなら、大学に行かなくても余暇でやればいい。

小さい頃から刷り込みのおかげで、息子は今年から高専生になった。娘は保健師資格をとってゆくゆくは公務員になるといい、看護大学校を目指している。

私大文系選択しないでくれて、心からホッとしている。

氷河期の悲哀である

2024-05-01

anond:20240501153302

ロータリーライオンズはメイソン派生らしい

 それは知らんかった。まあ基本的には互助会的な由来らしいか不思議ではないわな。 

俺の父親が紹介されてというか誘われてロータリーメンバーになってたが、確かに地元の由緒ある企業オーナーファミリー主体なようだった。(俺の父は違うけど)

俺にとってはロータリークラブと言えば留学のための奨学金を出す団体というイメージが一番強かったわw 社会貢献だよな。

子供がほしくない理由

こんにちは

私は25歳で彼と3年付き合っており、同棲しています。この場をお借りして子供がほしくない理由をつらつらを書き連ねていこうと思います


出産は最悪死ぬかもしれない

医療が発達した今でも、出産で亡くなる方は大勢ます高校生とき授業で出産した方のお話を聞きました。かなり危なかったらしく、お話の際は既に回復されていましたが、尊敬と同時に恐怖も感じました。

②彼が子供を望んでいない

たまに子供の話はしますが、一貫して「ほしくない」と返ってきます。元々私もぼんやり「ほしくない」と思っていましたが、完全に固まりました。偶然できても堕胎してほしいようです。私は偶然できたら堕胎できるかはその時にならないと分かりません。

③私が生まれときから不景気

平成10年まれですが、程度の差はあれどずっと不景気と言われてきたように思います。少しずつ衰退していっている日本で、なんとなく不景気な中子供を産むことには不安があります

④国の政策不安

めちゃくちゃ詳しいわけではありませんが、子供に対する政策はどんどん悪くなっているように思います。ただでさえ手取りが少ないのに、国のサポートも望めません。もし離婚したら?片親が亡くなったら?2人とも病気になったら?何かあれば、子供共倒れになってしまます

お金がない

手取り自分が生きるので精一杯くらいしかもらえません。お金がかかる趣味をしているので子供のためにその趣味を手離すこともしたくありません。私は奨学金なしで大学まで出させてもらったので、子供にも同じようにしてあげたいですが、そこまでのお金が出せるとは思えません。

⑥余裕がない

今の時代共働き子育てをしないと子供を養うことは難しいです。ですが、今2人でフルタイムで働いていて子供を産む余裕があるとは思えません。趣味は、出産育児をすれば2年くらいは再開できないようです。

⑦ 彼との関係を壊したくない

元々子供を望んでいない彼を説得して子供を産んだとしても、子育て積極的に参加してくれるとは思えません。子供がいない今でもちょくちょく衝突するのに、子供が生まれたらと考えるのが恐ろしいです。夫を育てるとか、夫と何度も衝突して今では戦友に...という話もありますが、自分がそこまでできるかも分かりません。彼氏のことは大好きなので、子供を産むことによって関係が変わり、破綻してしま可能性があるのが怖いです。

⑧親にはもう孫がいる

姉が既に結婚して子供もおり、親には初孫がいます。もし姉の子供がいなければ「親に孫の顔を...」というのも気にしていたと思いますが、その必要はありません。

⑨私が親からまり愛情を感じずに育った

私は大学まで出してもらいましたし、お金に関して文句を言われたことは全くありません。しか小学生の頃は叱るとき暴力があったり宗教二世だったり、様々な要因から愛情をあまり感じませんでした。親から愛情を受け取れなかった私が、子供愛情を与えられるでしょうか。

子供虐待したくない

私は小学生とき叱るときはよく叩かれ、頭上に手があれば反射的に縮こまってしま子供でした。そんな私が親と同じことをしないと言えるでしょうか。

子供を育てれば私のインナーチャイルドが傷付くのではないか

アダルトチルドレンとは、子供とき機能不全家族で育ったことにより大人になっても不自由を抱えている人です。またインナーチャイルドは、アダルトチルドレン大人になっても抱えている、苦しんでいるときの子供の自分です。説明間違ってたらごめんなさい。

私は時々過去のことを思い出し、インナーチャイルド自分がひょっこり出てきて号泣してしまます。25歳になってもです。子供を育てていて救われる部分もあるでしょうが、「自分はなぜ子供ときこうしてもらえなかったんだろう」と思って傷つくのが怖いです。また救われたとしても、子供に「私が子供時代にしてほしかたこと」を押し付け可能性があります子供あくまで違う人格であり、私の子時代のやり直しの道具ではありません。

障害児を一生育てられるだろうか

と考えてみて、答えはNOでした。社会福祉は色々ありますが、全て親が主導で行う必要があります。重度の障害児を産んだとして、自分が死んだあとのことまで考えるのは大変だと思います

子供不登校になったら

どんな子でもふとしたきっかけで不登校になる可能性があります。私は親が絶対休ませてくれなかったので通っていましたが、本当は休みたい日もたくさんありました。自分の子供には本当にしんどいとき休んでほしいし、不登校になっても選択肢提示できる親でありたいです。と同時に、不登校になっても自分感情を抑えてそこまでしてあげられるか分かりません。

⑭周りの友達結婚出産もしていない

今つながっている友達大学同級生ばかりですが、皆まだ結婚もしていません。また、趣味が充実していたりそもそも結婚必要性を感じない人ばかりで、将来的に結婚する人は少なそうです。友達がみんな結婚出産していたら自分子供を産むのかと言われると分かりませんが、現時点ではあまり現実感がありません。

産後うつになりそう

元々希死念慮があったりPMS号泣したりするので、出産育児不安定になったホルモンに負けて最悪の事態になる可能性があります。大好きな彼に悲しい思いをさせたくありません。

出産によって体が変化するのが怖い

出産によって母体は消耗します。骨密度も下がるし、授乳が終われば胸はしぼむし、虫歯になりやすくなったりもするそうです。私は綺麗ではありませんが、出産によって自分の体が消耗するのが怖いです。

ピルを飲めなくなる

今は避妊目的ピルを飲んでいますマーベロンを飲んでいますが、避妊以外にも皮脂やPMS生理出血を抑える効果があります副作用としては性欲の減退や血圧が高くなりやすいことがあります

私はかなり脂性肌で、昔からニキビができやすく苦労してきました。電話に出ると画面に耳の跡の皮脂がくっきりついたり、イヤホンが滑り落ちやすかったりしました。今でも脂性肌ですが、かなり改善してニキビはそんなにできないしイヤホンは滑り落ちないし楽になりました。

PMS生理前になると毎回号泣して彼を困らせていましたが、ピルを飲んでから毎回ではなくなりました。時々ありますが、前ほどの不安感は襲ってこなくなりました。

生理出血は元々多い方ではありませんでしたが、量や日数はかなり少なくなりました。また休薬期間の何日目くらいに来るか予想できるので、生理用品を無駄に使うことも少なくなりました。

ピルのおかげで快適に過ごせている今、やめたら前の状態に戻ってしまうのがつらいです。

妊娠中のつわり食べ物制限が大変そう

つわりは大変だと聞きます一口つわりといっても様々な種類があり、複数発現することもあり、まだ人にも言えない初期につわりは大変だと思います食べ物制限も多く、食いしん坊な自分が1年も耐えられません。

⑲「産んだらなんとかなる」って、なんとかしてるの子供だよね

お金がなくて子供を産んでも、今は高校卒業までしないと職業選択の幅はかなり狭くなります子供に関する制度がなくなったり悪くなる中で、高校無償化もいつまで続くか分かりません。奨学金高校大学に行けても就職したら何年も借金を返さなければいけません。子供お金をかけた分だけ優秀になるわけではありませんが、子供ほしいものやしたいことは、なるべくお金を気にしないで言える環境があってほしいのです。「うちは貧乏から我慢しなさい」とは言いたくありません。


私は結局、趣味自分や彼が大事で、まだ見ぬ子供のことまで面倒を見きれないのだと思います。恐らく数十年前に生まれていたら子供を産んでいたし、ここまで深く考えていたなかったかもしれません。それが許されていた時代でもあったのではないでしょうか。今はどんな人でも色々な選択肢から選択」が必要であるし、自分が選んだ「選択」について考えなければいけません。そこで子供には、なるべく良い選択肢をたくさん与えたいですよね。

今までもやもや考えていた「子供がほしくない」ことについて具体的に文章にしてみて、1つ気付いたことがあります。それは、産まれる予定がない自分の子供に愛情を持っているし、幸せになってほしいし、違う意思を持った他人として気を使っているということです。私の「子供がほしくない」理由は、自分都合の理由もありますが、「子供にこうしてあげたい」という気持ちの裏返しなのかもしれません。

あと、私は「子供がどう思うか」については言及していませんが、子供は私とは別人格であるため、産まれていない時点で子供意見は分かりません。産まれたとしても自分の本当の気持ちを話してくれるとも限りません。私自身は、最近ようやく「産まれてきてよかった…かな?」と思うくらいになってきました。長い人生のうち、考えはどんどん移ろっていきます

子供は親だけに影響を受けるわけではないし、人生で親が関わる年数はほんのわずかです。その中で子供にどんなことをしてあげられるか、自分人生をどれだけ充実させられるか、親になれば考えることはもりだくさんです。でも子供を産まなければそこは考えなくても問題ありません。人間的に成長するかもしれないし、経験したこともない素晴らしい喜びを感じるかもしれません。ただそこまで期待しても、子供が気の毒というものです。

とりあえず、猫を飼いたいですね。家で飼える猫種最大といわれるメインクーンに憧れていますもふもふ。猫のために貯金をするのが今の目標です。

ここまで読んでくださった方、もしいらっしゃれば大変ありがとうございます

2024-04-30

anond:20240430075102

これ出会いの場としての大学をまるっと無視してないか

少子化婚姻率が下がってるってのが問題なんだよ

大学には就職予備校の他に恋愛結婚予備校としての側面がある

恋愛結婚予備校としての面を強化すればいい

大学側の施策としては入学結婚してる枠を設ける。

また男女コミュニケーション実践(大学合コン)を必須単位にする

奨学金への優遇措置も講じる

企業側の施策としては採用において結婚してる人間に枠を作る、下駄をはかせるってのがいいだろう

子供がいたら倍率ドン

俺が人生の中でやってきて良かったことを書いていく

追記コメントあざす。質問への回答は本文の下。

 

↓本文ここから↓ 

学生時代恋愛結婚

 学生時代から付き合っていた彼女と6年交際の末、結婚した。

 結婚後も関係性は良好で、お互い楽しく過ごせている。

 

 いま、自分地方メーカー工場に勤めているが、ここで恋人を作るのは至難の業

 うちの会社の女は倍率100倍の日大と、と会社の誰かが言っていた。言い得て妙だな、と思う。

 

 社内を見渡してみると、街コンやらマッチングアプリ一生懸命取り組んでいる人がちらほら。

 色々とやることが多い20代後半~40歳前後になって、嫁探しに精を出す。馬鹿にする訳ではないが、非常に勿体ないと感じる。

 だって金も時間無駄にしたくない年頃じゃない。

 

 学生時代恋愛し、社会人になってから結婚するのは受験でいうところの推薦みたいなもの。ゴールが一緒なら苦労は少ない方が良い。

 打算の気持ちよりもお互いの好きという感情で付き合い、そのまま結婚する。今振り返って思うと、幸せことなんじゃないかと思う。

 

Fラン大学から国公立大学仮面浪人

 個人的に最も大きな人生の転機だったと思う。現役でギリギリ入れなかった大学をもう一度受けなおし、何とか合格することができた。

 Fラン私大国立大学の差は歴然だ。置かれた環境、周囲の自分に対するイメージ学費、そして友達の質。

 自分という人間であることに何も変わりは無いのにラベルけが一新されることに最初はとても戸惑った。

 だが、一生懸命ついていこうと努力するうちに、自分に貼りついたラベルだけでなく自分自身も変わっていく。

 彼女もここでようやく手に入れた。

 変わるだけの土壌が国立大にはあった。Fランには無かった。無いわけではなかったかもしれないが、自分には見つけられなかった。

 

 ゴミのような大学に入ってしまった君は一年無駄にしてでも仮面浪人することを強くお勧めする。

 修羅の道だが、受からなかったとしても今までと同じ大学生活が続いていくだけ。失うものは無いのでぜひチャレンジして欲しい。

 

毒親から離れた

 国立大学への進学を機に母親と離れた。それ以来、必要ときだけ友好的にコミュニケーションをとるようにして今に至る。

 俺の母親はいわるゆ毒親だった。俺や俺の姉、父、祖父母に対して常に攻撃をしていた。

 母は世間知らずだ。農家の長女として育てられ、仕事などほとんど経験しないまま、父と見合い結婚

 今ならわかるが、母は親としても妻としても無能だった。それが影響してだと思う。自分小学校に上がるタイミング家族まるごと祖父母の家で暮らすことになった。

 俺は毎日祖母の飯を食べ、祖母掃除した家で過ごした。今でも祖母自分のことを可愛がってくれる。自分にとってのおふくろの味祖母だ。

 祖母パート家事、農作業を行うなか、母が何をしていたのか、まったく記憶に無い。毎日GYAO韓国ドラマを寝ながら見ていたような気がする。

 たまにアルバイトを始めたと思ったら、半年も経たずに辞めていく。そんなことを繰り返していた。

 後は祖母執拗に苛めていた。そんな母親が俺は大嫌いだった。が、嫌いという感情を出すことすら憚られる何か圧力のようなものを感じてもいた。

 自分受験に落ちたとき、母は自分をなじった。 

 母は高卒だった。大学に行けるだけでもありがたいのに、Fラン私立に行くなんてありえない。そんなことを毎日言われた。

 そんな折、気づいたら何故か父が家を追い出された。子供がある程度育ち、父が限界を迎えて自分から出て行ったのかも、と今にして思う。

 

 こうして振り返ると母は悪魔のような人だったのだが、今では物理的にも精神的にも距離を置くことができ、心から安堵している。

 たとえ血を分けた肉親だろうとクズクズ。逃げることは何も間違っちゃいないのだと今にして思う。

 ちなみに姉は母と一緒に今も住んでいるが、ときどき病んだような連絡が届く。心配だが、今の幸せを壊されたくないので接触は最小限に控えている。

 

就職活動に本気で取り組んだ

 国立大学とはいえ自分理学の専攻だったため、就職はそれなりに苦労した。

 今までやってきた研究就職してから行う仕事マッチング率が低く、ES面接に落ちることもしばしば。

 同期の大半が諦めて適当地元企業に応募したり、急に公務員に舵を切り出していった。

 そんな中、自分メーカーを中心に滑り止め、中堅、大手と手広く応募し、最終的には第三志望くらいの企業に見事合格した。

 

 就活理解のある研究室ではなかったため、教授から目線は冷たかった。

 が、研究と並行しながら早め早めにインターンシップアルバイト面接対策に精を出し、最後に結果を出した。

 教授努力を認められたときはとても嬉しかった。

 

 いま、自分は30歳くらい。福利厚生、仲間の質、そして年収大学の同期と比べてもたぶん上位2割には入っている自信がある。

 もちろん年収能力に関しては上を見ればキリがない。自分自身、今の仕事についていけなくなる可能性もある。

 でも、いまのうちから貯金資格取得、勉強など自己啓発積極的に行っている。年収が下がることになってもたぶん俺は生きていけると思う。

 

 それにしても。

 日本だけなのかわからないが、受験しろ就活しろ局所的な努力に対するリスクとリターンが大きすぎる。

 でも、その大きな流れを個人が変えることは不可能

 今の日本制度に異を唱えて貴重な時間無駄にしたり努力放棄するのではなく、 「やるべきときにやるべきことをやる」というのを念頭に、人生を歩んで欲しい。

 

・車を持たなかった

 これは人や住む場所にもよるが、俺は車を持たないことは可処分時間可処分所得を大幅に上げる大きな財テクだと捉えている。

 維持費もかかるが、なにより運転している時間無駄。その点電車バスは目と耳を好きに動かせる。この差は大きい。

 車での移動がどうしても必要場合レンタカータクシーで十分。

 

 それでも移動したい場合、俺は原付を使っている。車に比べたらオモチャみたいな値段だが、もう10年以上の付き合いだ。

 丁寧にメンテをしてやれば長持ちし、長距離の移動にも耐えられる。

 時々会社の人からバカにされるが、これに関してはバカにされて笑っていられる奴の勝ちだ。

 

 ちなみに俺の実家は一人一台+トラクターコンバイン軽トラを所有する田舎農家

 当たり前のように生活の中に車があった。

 学生時代、当然のように車を親にねだったが、父が買ったのは激安の原付

 そんな父の堅実な選択に、今ではとても感謝している。

 

・人の悪口を言わない、他人を変えようとしない

 超重要。これができないと人生のあらゆる面で苦労することになるので必ず身に付けておくようにしたい。

 今回、こうして日記人生でやってきて良かったことなんてのを書いているが、リアル人間にこんなマウントに近い自慢話をしたことは1ミリもない。

 ここは鋼の精神力で自己を抑えなければならないことを頭で理解している。だから言わない。ネット世界だけにしてる。

 なんなら日記に書くのも初めての経験だ。

 

 年収恋愛学歴貯金どれもかなり人によってセンシティブな話。

 多少、会話の際に滲み出るかもしれないが、あくま事実として淡々発言すべき。

 間違っても他人比較した際の差に関する発言や、助言的なことは自発的に言うべきではないのだ。

 

 自分も時々不要一言で場の雰囲気を悪くすることがある。そうして後悔しても後の祭り。その場の雰囲気や持たれた周囲からの印象はそう簡単には変わらない。

 自分100%正しいと感じても、他人批評はやめた方が良い。うまく言葉説明できないのだが、批評気持ちを持つと人間関係にヒビが入りやすい。そんな気がする。

 

 「○○のためにはっきり俺は言ってやるんだ」と言ってキレのある発言をする奴もいる。

 確かに言われた○○の人生には多少プラスになることもある。それは事実としてその通り。

 だが○○は助言者に感謝などしない。むしろ感情としてはヘイトけが残る。

 それを覚悟の上で助言をするなら問題ないとは思うが、それなら寄付でもした方がよっぽど建設的なんじゃないかと思う。

 もしこういう奴が居たら俺はそいつ発言を3割程度に受け止めるようにしている。

 

 大人になると誰もが自分の保身を優先するようになる、だれも悪いふるまいを注意なんてしてくれなくなる。

 自分意識して、変えていかないといけないんだ(耳が痛い・・・。)

以上。長々と書いてきたが、何か心に残るものがあればこれ幸い。

 

追記

仮面浪人時代学費について

 初年度納入金(入学金+前期授業料+後期授業料)のうち、入学金+前期の学費は親負担、後期授業料奨学金から

 それ以外、仮面浪人時代生活費や受験にかかわる模試だとか受験費用国立大合格後の引っ越しなんかも奨学金

 それ以降の大学生活とカネの関係については質問があれば特定されない範囲で答える。

 

ミニ四駆好き?

 別に。俺と同じような境遇持ちでミニ四駆好きでもいたんかな。

2024-04-29

子供産まないとか女として終わってるwとかいうなら一馬力で家族養って子供奨学金無しで大学行かせられるくらい稼げよ

出産仕事家事育児を両立できる人間ばかりではない

できないか出産育児を削ってるんだよ

出産育児家事育児両立できない人間は弱いから淘汰された方がいいってんなら尚更女としてじゃなくて人間として終わってると言ってもらった方がまだマシ

2024-04-26

anond:20231008203729

資産があって働く必要のない状況でも収入はないことになるから奨学金がもらえたりする。

利息の少なさのメリット金持ちほどよく知っているから、奨学金を借りていることは貧乏である可能性を示唆はするが、それだけで証拠にはならない

2024-04-25

異国での失恋後のぐちゃぐちゃな感情について

2024年始まってから散々なんだが!!!!!!世界のこと許さないからなこのカス!!!!!

4月も終わるのでもういい加減立ち直りたいが、時間が経つと怒り以外にも寂しさ、悲しさ、いい思い出、憎めないことがぐちゃぐちゃに混ざりさらカオスな心境になってきた。

渦中にいるとき全体像が把握できないし、何より感情時間差で処理されるので後になっていろいろと噴出してくるのだ。

そして、ぽつぽつと人に話すと高確率で、文章感情をまとめると整理されるという助言をもらうので散文を匿名ダイアリーに投げることで成仏を試みる。フィクションです。

知り合って3年、付き合って2年ちょい、1年半同棲していた彼氏から1月に別れを切り出されたこからすべては始まった。

その時になんて言われたのかを思い返してみよう。

「なんか、求めてるエネルギーと違うんだよね。違和感があるというか。。。。会話も出会った頃から弾まないんだよね。」

今まで、ちょいちょい「増田はおばあちゃんみたいだよね。本当におばあちゃんになったときどうなるの?木になるの?」

などと言われたことを思い出し、カス元カレ(以下春日)が私の陰キャすぎるエネルギーに疑問を持っていたことを知る。

実際に私は友人付き合いが超限られていて、SNSも苦手でインドアなので図星ではあった。

ただ、私の陰キャ化が加速したのはこの1年のことである特に2023年は諸々のストレスが重なり、精神的にセーフモードで超低空飛行していたのである

元々、付き合った頃は逆だったのだ。私が春日出会った頃、彼はまあまあ重めの鬱を患っていた。

コロナ禍を機に、不眠と身体の不調からずぶずぶと鬱に沈んでいき、大学中退して家から出ることが怖くなりニートになっていた。

ちなみに補足情報として春日外国人で、私は現在海外修士課程留学中の在外邦人である紆余曲折あって音楽趣味が合い意気投合したのが出会いだ。

慣れない異国のコロナ禍で不安な中、曲とも呼べない小さな音楽の断片を作って交換したり、好きなことを共有できる相手は私にとって貴重だった。お互いにまあまあ離れた別都市に住んでいたが、友人として気分転換によく春日の街に遊びに行くようになった。

春日の母と一緒に3人で初めてご飯を食べたとき春日がいきなり号泣し始めて落ち着かせるために必死に彼の手を握っていたことを思い出す。突然号泣したり沈黙し、動けなくなることが多い状況だった。

春日はとても純粋で、鬱でも前向きに生きようと頑張っている姿を見て次第に応援したくなった。春日はとても美しい声を持っていて、時々歌ってくれることが私の心の浄化にもなっていた。ただ、それも不調により以前のようには歌えない状況だったので本人はとても落ち込んでいた。

私自身、現地語のみの授業を理解し、口頭試験を乗り越えていくことに心身を消耗していたが、なるべく春日が外に出るように引っ張り出したり、心に寄り添えるように丁寧なコミュニケーションを心掛けていた。春日日本語が上手かったが、言語の壁も高かったので尚更慎重に進めた。Rei harakamiの命日に二人で登山して、山頂で終わりの季節を聴いて黙祷したりとか、今思えば二人とも変な奴だった。


そして、プロカウンセラーの手を借りて春日は鬱を治療することになり、友人になって一年弱が経つころ、恋人として付き合うようになった。

付き合った当初もまだ鬱は強く残っており、春日に関しては特に自己防衛機能が強く、何か一つ難しいことがあるとできない理由を無理やり探して諦めたり、衝動物事を瞬時に決めて深く考えずに逃げるという癖が相まって、物事継続したり、安定して物事を考えることが難しい様子だった。その中で、私が住んでる家から引っ越しを予定してると伝えると私の住んでる周辺の街に春日も住みたいと言い始めた。それもあって一緒に住もうということになったのである。その後も、具体的な計画が進むにつれ、「やっぱり僕には無理!」とか「やっぱり一緒に住もう!」と、決断が二転三転する春日精神的に振り回されて疲弊したので、その癖を人と共同で何かを決めるときに持ち出すのはやめてくれとお願いした。

ただ、我々の家探しは困難を極めた。そもそも貸し手市場なのに加えて、正式賃貸契約場合ニート(実家が細い)&外国人留学生というコンビでは賃貸審査を受けるという土俵にすら立つことが難しかった。とはいえ私の家の退去期限もあったので謎のモルドヴァ人のおばさんちの小さな一室をとりあえず借りて、極限の生活が始まった。

状況に反して春日はなぜかこの頃精神が強くなっており、審査に通るために黙々と職を探していた。私は定期試験を乗り越えることと賃貸審査が通りやすくするための準備でいっぱいいっぱいだった。このモルドヴァのおばさんは一ミリも信用できず、家賃交渉で一悶着あったり大変だったが今では笑い話である。そして、春日不動産営業という職を見つけたことにより保証に通るようになり、四か月後、アクセスあんまりよくないがこじんまりした1LDKに住むことに成功した。

その頃、湖畔に弾丸キャンプに行ったのも良い思い出。4000円ほどの砂浜で使う用のテントエアーマットレスだけ持って行ってのだが、初日の夜に土砂降りになってしまい、気が付いたらテントの中が湖みたいになっていた。水にマットレスだけプカプカと浮いてて二人で「ノアの箱舟じゃんwwwwww」とか言って馬鹿すぎて爆笑してたよな。そんな状態で7泊もした。

引っ越し後は、私は円安による金欠奨学金が終了することに焦りを感じ、なにかWeb制作系で働けないか試行錯誤した。春日ニート生活から一転して、スーツを着て一日11時間勤務の社畜へと変化した。ただ、営業職は出来高制で精神ダメージも大きく、彼は四カ月後に仕事を辞めた。

そうやって2022年は過ぎ、2023年には無職春日留年して金欠外国人という最強の布陣が出来上がった。

一月頃、金欠、将来の不安引っ越し一連の疲れがどっと出て私は精神病み始めるが、打破するため近所のカフェバイトを始めて安定した。一方春日は、営業職で受けた数々の否定言葉に傷つき、癒しとして貯金を食いつぶしながらやってみたかったドラムを習い始める。

私のバイト夜勤と早番が不規則に組まれるような状態で、現地語で早朝のラッシュを捌くことに必死だったのであんまり記憶がない。ただしばらくして、伝手でリモートでできる仕事を依頼されるようになり、そっちの方が興味のあるジャンルだったしガタガタな生活リズムを戻したくてバイトを辞めた。そして、春日は相変わらず週一の習い事以外は日本語の本を公園で読む生活をしていた。

卒業必要単位も取り終わったこ日本に3週間ほど二人で遊びに行った。春日牛丼を大層気に入り、吉野家すき屋松屋を食べ比べたのちにすき屋牛丼以外は認めない頑固さを持ち、片っ端からブックオフ古本市場はしごし、コンビニはローソン以外には入らない外国人となった。日本にずっと行きたかった春日は終始目をキラキラさせていた。

日本から帰ってきたころ、私はリモート仕事をしながら本業である芸術に関する活動に勤しんだ。おかげで賞を取りちょっとした催しに参加するなどのイベントが発生した。卒業論文にも取り掛かり始めたがその壁が高く、先行研究論文と本を現地語で読むことで時間が過ぎていった。卒業後の進路や家族問題論文プレッシャー円安制作意欲が低下していることなどのストレスが一気に重なり私の精神は下降し続けていた。

一方春日は、貯金が尽きて彼の母から仕送り生活するようになった。とはいえ日本語能力試験一級に挑戦する目標を立て、ひたすらカフェ日本語の本を読んでいた。なにかバイトしたら?と聞くと、「うん、来月から探す~」と言い続けて2023年は終わった。やるやる詐欺を繰り返す春日にムカついていたが、本当に一級に合格たからえらいよね。

年末年始を彼の地元で過ごし、春日自分の喉の調子がだいぶ改善したことに気付く。コロナ禍以前は弟の彼女コンビを組んで路上パフォーマンスをしていたこともあり、再度コンビを組んで地下鉄で歌うと、これがまた投げ銭で儲かった。彼が好きなことでお金を稼げることを発見し私も大層喜んだ。しばらくは家を離れて実家活動したら?と提案したのだ。

そうして二人で家に帰ってきた2024年一月、冒頭にあるようなことを切り出されたのである

出会った頃元気がなかった春日精神はだいぶ安定してきていたのに反して、私は在外年数が増えるにつれ外国人としての立場の弱さやストレス、現地人と対等な土俵に上るための終わりのない努力に疲れ果てていた。きっと、私が春日を家の外に引っ張り出したように、春日が今度は私の人生でつらい時期を支えてくれると期待していたのだ。

しか現実は違った。もともとは陽キャの素質を持つ春日が好きなことを見つけて元気になったところで、陰キャで元気のない私はただの言葉の通じにくい異邦人メンタルおばあちゃんしかなかった。

春日は冒頭の言葉とともに特に話し合わずに足早に地元へ帰り、日銭を稼ぐことに集中した。私は論文に追われてしんどい時期に別れを切り出されたことが悲しくて、その理由も悲しくて、毎日を泣いて過ごした。日が経つにつれて春日がなんの相談もなく結論だけを私に話してすべてを放って逃げたことに怒りがこみ上げ、太宰治崩れのポエムみたいな謝罪文だけ投げてくることも火に油を注ぎ、一日でいいからこっちに帰ってきて話し合え!と伝えると、月末に一日だけこちらに帰ってきた。春日は二時間ほど私に謝り続け、どうしてもやり直したいと言い始めた。

私は春日に対して信頼を失っていたが、それらをゼロからまた積み上げるような努力を一緒にしてくれるならいいよ、と許してしまった。育ってきた背景も母国語文化も違う二人が関係健康に維持するにはお互いの努力必要だ。自分ができることを相手ができないのは当たり前で、自分と違う文化を受け入えてその違いに尊敬を持つことが、同郷人同士以上に必要になる。

もちろん私にも落ち度はあった。私が学業資金繰り外国人としての滞在許可証の条件などに四苦八苦してるなか、二十代も半ばになって、苦労して一人で家計を支えている母の仕送り日本語の本を読んで夜はボードゲームの集まりに参加する貴族のような毎日を送る春日イライラしており、尊敬を持つことが難しく心の距離を置いていたのも事実である。相変わらずコロコロ判断を変えて振り回されるのも日常茶飯事で、この軽蔑的な感情を外に出さないようにしていたが、確実に伝わっていたに違いない。

そして再び春日地元に二週間ほど帰り、その間我々はどうやって不安定な時期を乗り越えるのか取り決めを作ったりしていた。その後一週間ほどこちらに春日が帰ってきて、束の間の平和なひと時を過ごした。春日地元に帰るタイミングで私も着いていって二週間ほど彼の実家で一緒に論文の現地語校正を進めることを決めていた。

そして一緒に帰った翌日、春日に再び「やっぱり波長が合わない。。。。僕はもっと明るくて、引っ張ってくれる人をパートナーにしたい」 「増田とはもう一緒に成長できないし、もう考えてることを伝える気が起きない」 「現地語のスラングを言い合って言語の差なく話したり、もっと協力し合えて一緒に音楽をしてくれる人と付き合いたい」などと散々なことを言われた。

そもそもだって明るく居たいが、元気ないのは過去のてめえみたいな状況だからだよ。そもそも外国人ネイティブと同じことを求めるな。私も毎回なんでお前の母国語で話し合いをしなきゃいけないんだって思ってるよ。それでも好きだからやり直したいって懇願してきた二週間前のお前何?蜃気楼

矢継ぎ早に傷つく言葉を言われて、春日からきっと「こいつはいくら殴っても倒れないか大丈夫」と思われてるのかなとも思った。あのな、自国家族に囲まれぬくぬくしてるお前と違って、一度完全に倒れたら誰も私を助けてくれないの。この国に実家もないし親族もいない。ただの病んだアジア人としてさら劣等感に埋もれて取り返しのつかないレベルに粉々になって、廃人になるだけ。

から最後の気力だけで完全に折れないようにだけ耐えてんだよカスふざけんな。

というか、鬱を患ったならもうちょっと元気がない人の気持ちがわかって優しくなれるもんじゃないの?と疑問にも思った。しかし、春日の様子を見るに鬱の事実は元気になった今ではもう消し去りたい過去で、鬱の匂いがするものからは遠ざかりたいという心理なのかなと思った。腐ったりんごの隣に置くと、普通りんごも腐るし困っちゃうよね、みたいな。

友達としてならうまくやっていけるはず!」とも言われたが、私は春日にとって都合のいい存在で、不都合があると「物足りないなあ...」と切り捨てる程度の存在だったことに絶望した。

私は彼の調子が悪い時に自己肯定感を埋めるだけの存在だったのだ。そもそも、一月から振り回されて論文の進捗もギリギリで、ここでまた振り回されてボロボロになったことにより、私の三カ月間を返せ!!という怒りがこみ上げてきた。一日前に言ってくれたら、あんたの地元行きの電車に乗ってねえよボケナス

あと、恐らく文化が違うからかもしれないが、彼は愛情表現が強いのだ。「愛してる」という言葉挨拶のように言う。別れを切り出される数時間前まで「愛してる」と目を見て言われていたその温度差も日本人の私には理解不能で、サイコパスしか思えなかった。

そこからは、今まで我慢していたいろんな感情が噴出。さらには希死念慮までが唐突に襲ってきて、居場所のない彼の実家必死感情爆弾のように抱えた。

急いで変更した帰りの電車の日まで、知り合いの居ない彼の地元でひたすら論文を書くだけの時間の虚しさ。楽しそうに彼の弟の彼女爆笑しながら帰宅して、何事もなかったように振る舞ってくる春日から逃げる場のない状況とその惨めさ。さらにムカつくのは私がなぜ傷ついているのか勘違いしているところ。

「ごめんね。。。もう別れることは変えられないから。。。」と言ってくるがオイコラ、全人類のクソ男に告ぐ。そこちゃうねんクソ。お前と別れることに悲しんでるんとちゃうねん。今までそれなりにお互いが人として大切な存在だったはずなのに相手の状況も顧みずに振り回してなんの責任もない別れの仕方をされたことで過去あんたとの思い出も、私の存在くそ薄っぺらものになったことに悲しんでるんじゃボケままごとしてたんとちゃうカス。この心境に共感するひとはSHISHAMOの「忘れてやるもんか」を聴くと少しすっきりすると思う。

家に帰ったあと、春日SNSをすべてブロックした。それでも気になって覗いてしまSNSでは初ライブもして音楽家としてどんどんバズって有名になっていく春日と弟の彼女が目に突き刺さってきた。それはそれは楽しそうに歌っていて、出会った当時の姿から比べると本当に幸せになってよかったね~と思う気持ちがまだ存在していることにホッとしたが、元カレSNSを見るのは一種自傷行為である

一カ月間、必死自分のやるべきことをして、フラッシュバックが来るときや寝るときには号泣するということを繰り返してきた。同棲していたので、家の契約とか置いていったものが山ほどあるのでどうしてもいつか顔を合わせなければいけない。あの、世の中の女性はこのような場合どのような顔をして会ってるんですか?

異国の地で一人で生きていくには私は弱く、二人で生きていくにも力及ばなかった。そしてつらい時期に、一番大切な人から浴びせられた性格否定される言葉一生懸命保っていた自尊心をもぎ取られ、それをまた家族親友もいない異国で一人で泣きながら拾いなおしていくこの惨めさ。鬱の時期も愛してもらったお前には分らんよな。私だってつらい時期を耐えて、また心から笑って一緒に楽しく過ごしたかった。

私は無償の愛を持っていなかった。助けたから私も助けてほしかった。でも相手はそう思わなかったというただそれだけのことなのだ。フロムの「愛するということ」にもあるように愛することは技術であり、その修練が必要というのは本当で、意識覚悟をもって愛すことは、感情とは違う部分も大幅に使う。ただ、お互いに技術がなかっただけなのだ

この一連の出来事のおかげで今まで出会たことのない感情たちに出会たことはよかったと言えるだろう。希死念慮も今では優しい死神のようにぴったりと背後で見守っている。自己が消えそうなとき自己存在を強烈にこの世に残そうとするのか、創作意欲が見事に回復したこと皮肉である

また、時間が経つと不思議なことに、カオス感情の中に謎のメタ認知的な視点が表れて、こうやって惨めに醜く足掻いてる自分も、中途半端な執着をもって繰り返し傷付く自分も、なんだか本当に子供すぎていじらしくて愛らしく思えてくる。感情爆発させてて最高に人間らしくていいじゃんって思えるのも、なんだか傷が少しずつ癒えてる気がする。

人に期待しすぎること自体、ただの我儘になってしまうこともある。どれだけ自分が惨めでかっこ悪くてしんどくても、まだ泣き喚けてるだけ健康で、とりあえず自分を裏切らないものを信じる訓練から始めるしかない。ペット植物筋トレ美容創作活動はいいぞ。

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