はてなキーワード: P.s.とは
http://d.hatena.ne.jp/F1977/20090413/1239596219
これのブクマコメントに、ネタとか皮肉とかってあるんだけど、意味がわかんないんだ。
だけど、エントリーのようなことは許されることなの?
その男性は、その生徒の話を聞いて、「在日特権」という言葉だけで、それがどのようなものかを確認もせずに、ただ「特権」があるから良くないなどと思ってはいけない、ちゃんと「在日」のこと「在日特権」のことを、ネットの情報だけでなく、自分でよく調べて考えなさい、とその生徒さんに諭したそうです。わたしは、その言葉に、ありがとうございます、と心の中で感謝をし、そうして、やっぱり「在日」ってこと言わなくてよかったと思ったのでした。
気持ち悪いんだけど。
はなから通名使わずにきちんとしてれば、「通名なんて特権ないです」って言えていえることだよね・・・
何がよかったんだろう?
誰か教えてくれ・・・
頭がパニックになりそうだ。
P.S.とりあえず「在日特権を許さない市民の会」はちゃんと名称変えて「在日朝鮮人への特権を許さない市民の会」に変えて行動狭めた方がいいんじゃねぇか
それなりに書き込んでいたら亀増田&長文増田になってしまいましたが一応書いたので載せてみ増田。いわゆる一つの「増田の中心でアイマスを叫ぶ」というやつですね(違
アイドルマスター XENOGLOSSIA(ゼノグラシア・アニマス)が成功するためには何が必要か、考えてみた。ということでひとつ。
作品としてはイイ。
十分楽しめると思う。
「こんなのアイマスじゃない!」「まったくの別物!!(怒」とアイマスファンがネガティブキャンペーン張ってるだけで、ロボットアニメ好きなら、そこそこ普通に楽しめるかと。
からはじまる、アイドルマスターゼノグラシアは、ロボットアニメとしてはかなりよくできていたよ! と言う論をよんで、うんうんその通り、とうなずきつつ
まぁ声も性格も(伝聞より)まったく変えてしまって戦略として何がしたかったんだろう、って外側から思いはしたが。
よくわからんがこれ、どっか元の遺伝子残ってんの?みたいな。
その辺で元のファンの支持を得られなかったら、まぁ良くて「これはこれで悪くないかも知んないけど別物だよね」どまりだと思ったし
と言う意見や、
と言う意見にも同意できる。ゲームのアイドルマスター好きって立場から言うと「っていうかあれ何。72じゃないちひゃーなんて(ry」と言うことになるのは当然。
あれは、やよいと律子さんはよかったよね的な何かだったあれは。とはいえカニデレ万歳。なぜさん万歳。
と言う風に
的なアイドルマスターを愛するキモオタであるという立場から、アイドルマスター XENOGLOSSIAが原作ファンからも、アニメファンからも納得されるロボットアニメとして成立するためには何が必要だったのかを考えてみる。
え?ロボットアニメにする必要はない?いや、それを言ってはおしまいなのでスルーの方向で。っていうか下手に原作そのまんまアニメ化したら、くりぃむレモンのエロなし現代版(ニュージェネレーション)の二の舞になるだけのような気がする。それだったら素材として活用した方がいいと思う。そもそもプロデューサー役はどうすんだって話。(まぁいっそ女性にしてしまうとか百合に逃げると言う手はあるが…そんな中の人萌えをメインにしたようなアニメ見たいか? 俺は見たいが……とにかくそれを言ってはおしまいなので)
位置づけとしてはやはり「アイドルマスターのキャラクターが総出演で作ることになったドラマ」という扱いにすべきだったのではと思う。
当然ながら制作委員会名は「765プロダクション」で(C)を出すと。ただ設定はそれだけでは駄目なので、以下の点に注意すべきだったと思う。
この点だけ守っておけば、最終的には同一ですよといいわけはできたと思う。確かにそのままのストーリーでは無理があるかも知れないが、そこはストーリーを合わせることも可能であるはずなのである程度は。
後は、もう一つ。バンナム作成のゲームのデータを使った「次回予告」的な「楽屋裏」を作って、最後にワンコーナー設ければよかったのではないかと思う。もしくはアイドラで配信とかでも可。これでゲームとアニメを確実に地続きにすることができる。内容はあまりの雪歩のキャラクターの違いにとまどって「うまくできません~プロデューサーさん」と泣きつくとか、台本を初見したアイドルたちが、次回についてわいわい言うとか、そういうたわいのないものでいいのではないだろうか。(理想なのはセルフパロディだけど)アイドルマスター P.S.プロデューサーというネット配信のラジオがあるが、そこのオープニングドラマは、アイドルたちが掛け合いドラマを演じて、その最後に誰かが「○○○ですよね?プロデューサー(さん)」と呼びかけるという風に始まる。こんなかんじに「次回もがんばりましょうね!プロデューサーさん!」みたいにすればいいのである。
ただ、これをやってしまうとバンナムがいかにメディアミックスが広がろうと守っている最後の一線(たとえば亜美真美は絶対に2人であることをゲーム中では公表しない、等々)を破ってしまう事になるかも知れないが……まぁそこはラジオドラマ的な感覚でやってしまってもよいのではと思う。
というか、誰かアイマスMADでこの「ゼノグラシアの特定の話の収録後」という設定で作ってくれないかしら。今からでも、原作アイドルマスターとアニマス・ゼノグラシアをつなぐ架け橋的なものを。才能のあるプロデューサーさんの中にはアイマスもニコマスもアニマスも愛する人がいるはずである。だれか、どうか。お願いします(土下座)
ストーリーはぶっちゃけ何でもいいと思う。と言うかここは妥協すべきではないと思うが(その点では、修羅場系の部分にちひゃーとあずささんを配置したキャスティングはあっていると思う。あとまこまこりんも)しかし、中盤のやよいの出番の少なさについては断固抗議させt(ry
ただ、王道として考えるとサクラ大戦メソッドが可能ではないかとも思うが(歌と踊りとメカと萌えと燃え)それは完全に原作アイドルマスター側に振ってしまうことになるので、すでにゼノグラシアじゃなくなってしまうよなぁと思うわけで……。
絵についてはある程度しょうがないところはあると思う。2.5次元のあれをフルアニメにつかって上手く成功した例は未だかつてない。と思うので。そうなるとやはり昔ながらのぱらぱら漫画的手法のアニメーションになるわけで、そうなるとアニメ的誇張の方法をとらざるを得ないので、キャラクターデザインは変化する。
たとえばちひゃーの72が女の子のキャラクターとして成立するのは、そして、まこまこりんの真前が男前にならずにすんでいるのは、3Dを使ったぬるぬる動く、三次元的な動きの中で連続的に破綻のない映像だからであって、あれをアニメでやろうとすると、誇張がなければ無理である。
たとえば閣下が体を捻って、頭のリボンを指さす動作があるが、あれを従来のアニメでやろうとすると自然にするには相当の技術が必要である。あれは三次元的に成立しているからこそできることであって、あれを絵として描くには、立体としての形状を維持せずに誇張するしかない。つまり物理的な正しさを使用するのではなく、記号的・感覚的な部分を優先する必要があるのだ。
というわけで何が言いたいかと言うと、ゼノグラシアの中で、原作に比較的忠実な人々のキャラクターデザインは結構よくできていたと思うがいかがか。律子さんとか、おでこサンシャインとか。亜美真美とか。まぁ「お前誰!?」「特殊メイク乙」としか言いようのない人もいるが……。
まぁこれは実際の所、時期が悪かったとしか言いようがないけれど……。アニメの企画にはそれなりに金の動くプロジェクトであることもあって、年単位で時間がかかることも珍しくないそうで、そう考えるとゼノグラシアはアイドルマスターの総合的メディアミックス戦略の総称である「Project IM@S」が始まる前に企画がスタートして、動いていたことになる。その証拠にアーケード版のキャラクターしか出てこない。当然みきもでてないし、今だったらなぜさんのポジションは(少なくとも名前だけは)小鳥さんであっただろうと思う。
と言うことは、正直原作のアイドルマスターがここまでの規模のヒットになるとは全く予想外だったのではないか。始まった時点では所詮はアーケードの一部のマニアのゲームであるし、XBOX360などというメインストリームではない機種に移植であるわけだし。と言うか一体だれが予想するよ、CGM的な効果で、ネットのヘビーユーザー層やライターなどのアクティブでディープな人を中心にハートを掴み、コミュニティから口コミで人気が広がるなんて事。初音ミクだってまだ地上に現れてなかった時代だぜ。これを真の意味でピンポイントに「アイドルマスター」というコンテンツで発生するという事を予測できた奴は、そうはいないと思う。いたら出てきてくれ。とりあえず一緒に商売でもしよう。
ともかく、もしこれが今みたいに少なからずアイドルマスターというコンテンツが、非常に恵まれた環境で発達すると言うことが予想できていれば、もう少し違った戦略になるだろうと思う。というか、そうであったならば、ここまで原作と異なる事にしなかったのではないのか?そして、アイドルマスターというコンテンツからどれだけのポテンシャルが引き出すことができるか、少なくとも一番最初に目を向けさせるエネルギーとして十分かどうか、それがわからなかったので、そちらに変に依存することなく提携を切って、「原案」という中途半端な形で残してアニメだけで自立できるように改変をしたのだと思う。つまり「アイドルマスターのブームはアニメが引っ張る」つもりであったのだろうと。
たとえば今なら、アイドラ(XBOX360 アイドルマスター Live For Youで配信中のダウンロードコンテンツ)で撮影風景と称すドラマを裏を流すとか、そういう連携だってできたはずである。もし今やるのならば、提携すればよいだろう。
つまり早すぎたのである。この点で、戦略的には今の時期が一番適していると言える。
もしアレだったら961の面々に敵キャラを持っていってもおもしろいだろうし。
で、これだけうだうだ書きつづって一体何が言いたいかというと、アニマスもアイマスも両方すばらしい、と言うことである。それぞえ独立したコンテンツとしても十分成立するだけのポテンシャルをもっている。というか、アニメの方はむしろ、アイドルマスターがここまで大きくなると言うことを予測していなかった分、自立できるようにああなったと言うことも考えられるわけだがともかく。
でも、もはやゼノグラシアはアイドルマスターのファンの中では語られない存在になってしまった。では、こんな事を言っては無駄なのか?否。それは違う。
アイドルマスターはナムコではなく、バンダイナムコの製作であると言うことである。そしてバンナムと言えば、そう、スーパーロボット大戦である!
今こそ、スーパーロボット大戦でアイドルマスターゼノグラシアをやり直すべきだ!アイマスオールスターズがついにスーパーロボット大戦に出演!それでよいではないか!別にスパロボではなくてもいい。それと同じくアニメでなくてもいいので、ゼノグラシアをロボットゲームで作り直すと言う手もあるのだ。
そしてうまくいったらアニメの方の人気も再上昇で、ゲームも新しい方向性が誕生し(たとえば任天堂のキャラクター的に象徴的キャラクター化して様々なゲームに出演するとか)三つの解釈を融合させた劇場版とか……(以下妄想が続くため省略
どうだろうか。
後は、ゼノグラシア並にリソースを使い(特に音楽には、せっかくアイドルマスターの周辺には新進気鋭のアキバ系音楽を多数手がける音楽ディレクターが集まっているのだからこだわって)やれば、結構いい結果になるのではないか。
なお、最後になったが、アイドルマスター Live for Youに付属したアニメDVDをアニオタ視点で見てみると、あれは明らかにゼノグラシアの失敗をみて逃げてる。てか1回ぽっきりで音楽なんかは既成のものを使わざるを得ないにしたって、キャラクターデザインもっとちゃんと仕事しろ。さらに言えば中途半端なサービスショットなど不要だしつまらんと思う。さらにストーリーはそこらの愛のあるSSを採用した方がいいんじゃないかという、おそらく作品の質に関する要求以外の要素(予算とか)で制限があるような内容になっている。てか、Live For YouのDVD付をわざわざ買うような層はもっと高くても買ったと思うのでもう少し金をかけろよとも思う。
あれの見所は動くアニメ絵に映像にオリジナルキャストが声を当てていると言うその一点しかない。(と言いつつそれだけで十分に価値はあるが……今回はアニメが主題なので辛口評価は勘弁して欲しい)
なお、「うわぁ……」「キモオタ氏ね」「キモオタはキモオタの国へ帰れ」「病院へ逝け」と言った苦情については十分承知しているので勘弁してください(土下座)
誰かアイマスMADでこの「ゼノグラシアの特定の話の収録後」という設定で作ってくれないかしら。今からでも、原作アイドルマスターとアニマス・ゼノグラシアをつなぐ架け橋的なものを作ってくれないかしら。と大切なことなので二度言いました。
彼らはガザの戦争は終わったと言います。その被災者の魂と心に、戦争がのこすであろう痛み、悲しみ、恐れ、不安をすべて無視して、戦争がひとつの会議で始まり、また別の会議で終わることができるとは、驚くばかりです。
ガザのパレスチナ人は、彼らに対するイスラエルの戦争をたくさん目にしてきました。そこにあるのは、最初の抵抗運動と二度目のそれ、お決まりの侵攻、私たちにおしつけられた封鎖、日々を生きるパレスチナ人におしつけられた、いっさいの憐れみのない封鎖、ひとかけらの後悔も、わずかばかりの配慮も、なにもない封鎖でした。最後に、無実の人びと、子ども、年寄り、家庭と祖国、パレスチナ人すべてに対する、この巨大な戦争がありました。
私たちが目のあたりにしたどの戦争についても、語られるべき数々の話があります。征服者の蛮行と憎悪についての話です。そしてどの戦争についても、それらの話を伝えるための、生きる、生きのこるための意志があります。私は難民の第三世代になります。私は両親と祖父母の話に耳を傾けてきました。彼らが故郷を追われた事情、子どもを失った人びとの事情、世話することができずに、子どもを道端においてきた人びとの事情についてです。それらの話はあなたの心を芯から揺さぶるものでしょう。それでも、それらの話の語り手は、生きる意志を、新しい生活をはじめる意志を、彼らの子どもを育てる意志を持っているのです。
今回の戦争について私たちが伝える話は、どんな人間の想像力も超えたものとなるでしょう。どこへ避難すべきかもわからず逃げたこと、子どもや年寄りに対する慈悲もなしに一家みなごろしにされたこと。私たちに向けて放たれた武器は、私たちの記憶に永遠に鮮やかにのこるでしょう。
今日は停戦の一日目です。ほかの人びとと同じように、私がいつもの生活に戻れる最初の日です。私たちは地下室から出て海岸を臨む客間に座ります。私の子どもたちは、彼らの部屋やベッドで眠ろうとしません。彼らはこう尋ねるのです。
「もう撃ってこないと保証してくれるの」
彼らの過ごした恐怖の時間を忘れるのには、とても長い時間がかかることを私は知っています。彼らが耳にした大きな爆発音を忘れるには時間が必要です。私たちが慌てて部屋を飛びだし、より安全な場所を求めて避難したことを忘れるには時間が必要です。(この状況で、)どうして戦争は終わったと言えるでしょう。
(娘の)サルマは、F-16戦闘機の音を聞くと、とても怖がります。もちろん、それは今なお、横柄にも空に爆音をとどろかせています。それが私たちの心と財産に撒きちらした破壊を、誇らしげに見下ろしているのです。(この状況で、)どうしてサルマに戦争は終わったと言えるでしょう。
幸運なことに、私の子どもたちは、その愛する者たち、友達や隣人が殺されたり死んだりすることを見ずにすみました。それでもなお、彼らは、その心と魂に、この戦争が残した悪質な影に苦しんでいます。
魂にこの戦争の報いを受けた私たち(パレスチナ人)の子どもは、彼らが目のあたりにした映像を決して忘れることはないでしょう。彼らの親が、姉妹が、家族皆が殺されたことを決して忘れないでしょう。その心と魂に、その生涯にわたって、平安を見いだすことは難しいかもしれません。なぜなら、彼らが見たものは忘れることができないものだからです。彼らの頭上で家が崩れ落ちるのを見た子、家族とともに瓦礫の下に取りのこされ、弱っていった子、誰か生きのこるかは神だけが知っています。愛する者たちの、命の火の消えた体を見わたす子、この子は、その姿を心と魂に焼きつけるでしょう。この子は永遠に苛まれるでしょう。この子たちは、どのように停戦後の暮らしを楽しむことができるでしょう。
その暮らしと親族を失った子たち、その目を、手足を、家を失った子たち、征服者の貪欲さを目撃した子たち、彼らはその痛みを決して忘れないでしょう。イスラエルによるガザに対する戦争、22日間を通して、彼らが過ごした恐怖の時を、決して忘れないでしょう。彼らの受けた傷と喪失が、常に記憶を新たにさせるでしょう。彼らの心には、一つの質問があります。
「わたしたちは何もしていないよ。なのに、なぜあなたたちは、こんなにひどいやり方で、わたしたちを殺すの。わたしたち、こどもに、なんの思いやりもみせないで」
国連パレスチナ難民救済事業機関のウェブサイトに掲載された、ある母親からの手紙です。
nofrillsさんのところ(下記URL、勝手に紹介してすみません)ほかで伝えられる惨状を目にして、私は何度も泣きました。
http://nofrills.seesaa.net/article/112997883.html
すでにあちらこちらで言われていますが、「停戦」したからといって、問題は山積みのままです。経済大国の国民として、安保理理事国の国民として、「対テロ戦争」に「参戦」中の国民として、中東で公正な政策が行われるよう注目していくことは大切だ、というのが私の意見です。簡単に解決できる問題ではないことは承知の上ですが、まずできる一歩を踏み出すことが大事だと考えました。あまり時間をとることができなくて、ほんのわずかで質もよくない翻訳ですが、ガザ事情を知る一助になったらうれしいです(また、不公正はガザだけでなく、チベットでも、チェチェンでも、ダルフールでも、そのほかの各地でも、もちろん大殺戮とはいかなくても日本のなかでもみられます。はじめは、それぞれが情報を得られる範囲で、手近なところから、読んだり、聞いたり、考えたり、話しあったり、広めたりしていくことが、第一歩として大切だと思っています)。
ひとときも早くガザの封鎖が解かれますように、パレスチナ・イスラエルに平和が訪れますように。
P.S.:読み直して違和感を感じた文体を整理して、二三の訳語を変更しました。あと、はてなの方、上のAdsはかえられないのでしょうか。
追記したらかわりましたね。よかったです。
「ムゥ、なんだこのカフェは!」
「この鈍重な味はどうだ。問題はこのコーヒーだ。エスプレッソをベースに、大量のミルクと砂糖がぶちこんである。最低だ。
しかも流通がまずい。これではどんなスペシャルティコーヒーと呼ばれる上質な原料豆を使っても、豆の風味は失せてしまう。
おまけに火を通しすぎているから豆の持ち味が消し飛んでいる。ス○バこそコーヒーを最もまずく飲ませる方法であろう。」
inspired by...
http://anond.hatelabo.jp/20081213214912
http://anond.hatelabo.jp/20081213215338
美味しんぼ第5巻 牛なべの味
根がオタクだったりオタク趣味に興味津々だったりするのにそういうのにツンツンした態度取っちゃう人っているよね。例えば俺の友人の場合、突然こんなことを言い出す。
いつもこんな調子。さらに続けて
「大体何なんだ?あの美少女イラスト表紙のオンパレードは!?」
終いには
「昨日もいかーにもなオタクがライトノベルコーナーで立ち読みしながらニヤニヤしてたんだよ。マジキメェ……。本屋であそこだけ異空間を形成してるんだよ!!」
ときた。まあ、いつものことだが、コイツのオタ嫌悪はドコからくるんだ?
……ふふふ、だが俺は知っているぞ。お前、小説コーナーで立ち読みをするフリをしながら、隣のラノベコーナーをチラチラ見まくっていただろ?書棚の影から俺にヲチされてるとも知らずにな。そのうち、我慢できなくなったのか何度も何度もラノベコーナーの前を往復しだしたところで盛大に吹いちまったwwwお前は通りすがりにこっそりチラ見してるつもりなんだろうが、平積みされたラノベの「美少女イラスト表紙」に釘付けなのは誰の眼にも明らかなんだよwww流石にここまでくると滑稽というよりむしろ萌えてしまったんだが。なんか庭先に餌をまいて家の中から小動物の観察しているかのような気分になった。
後日、奴からこんなことを聞かれた。
……俺は答えに窮した。まさか
「それはお前のことだよ」
とは言えないよなぁ……。
英語教育のガラパゴス化ってか、そうならざるをえないんだよね、これ。
http://d.hatena.ne.jp/Britty/20081202/p1
今どうか知らないが、かりにひとクラス40人に英語、とくに会話を教えるってどう考えても不可能。仕方がないから文法中心にならざるを得ない。しかも日本の社会環境、英語を使う必要は普通はまったくないわけで、そういう条件で外国語教育って砂漠に水まいて熱風ふきつけてるもんだよ。これは。
にもかかわらず、よくやってると思いますよ、ええ。少なくとも中学の教科書、きちんとやれば基本はできる。まじめにやってりゃ、基本的な単語と数字が言えるでしょ?これってすごいことですよ。だからこの基本を大事にして、あとはひたすら使うだけなんだよ。Brittyさんのいうとおりで。
それをさ、なんか便利な方法があるみたいなエントリが受けるって、みんな勘違いしてる。みんな基本はあるんだよ。本当に。だから、あとはひたすらつかえ、つかえ。聞いてしゃべれ。Brittyさんのおすすめの本にブクマするより、英語を直接読め。ポルノでもなんでもいいから、なんか読め。
ブックマークにも書いたが、学問に王道なしという『原論』の金言は言語学習にも妥当する。もう一度いう。王道などない。文法を学び、語彙を増やし、多く聴き多く発話し多く綴る、それ以外にある言語に熟達するすべなどない。
http://d.hatena.ne.jp/Britty/20081113/p1
あとブクマにも書かれてたけど、教員不足が決定的に問題で、先生が足りない、予算がない。会話の授業をしようと思えば、ひとクラスせめて10人、せいぜい15人で構成しなけりゃいかん。その分の税金を日本人は払うつもりはないし、それはそれでいいんだろうとは思う。個人の努力の範囲でいいんだから。なら、諦めるか、努力する。ただし、無駄な努力をして、語学学校や教材にご奉仕する愚は避けろ。
ほかのエントリ読んだら、こういうのもあった。少し引用が長いのは、すごく共感したから。
これはある意味美質ではあるのだが、日本人は分からない表現に対し、どうも自分の英語力が足りないためと考える傾向が過剰にあるように思われる。しかし相手が分からないことをいっているので分からないということだってありえて、さらにほんとうに自分の言語能力の問題だったとしても、いまどきであれば自分ひとりで悩むより「どういう意味?」とメール一本書く、あるいはその場に二人ともいるのならその場で訊くほうが早くて正確なのかもしれないのだ。職業として有償で翻訳や通訳をする人ならば知らず、対等な立場でのコミュニケーションであればこそ、「俺にわかってほしいなら俺にわかるように喋れ、もっとはっきりわかりやすく喋れ、おまえが何をいってるのか悪いが俺にはわからないよ、俺はおまえがなにをいってるか分かりたいんだ、もっと歩み寄れ」と相手にいうべきなのではないだろうか――相手が何をいいたいのか、ほんとうに理解したいと思っているのなら。
http://d.hatena.ne.jp/Britty/20081122/p1
そう。
ちょっと渋い顔して「どういう意味?」と聞くことに慣れる。これ、すごく大事だし、これができないと損をする。分かったふりしてフンフンいうのが大事な場面もあるけど、分からなければ意味を聞く。コミュニケーションの基本だ。僕は昨日、この手で「小便をする」という意味のある外国語の優雅な表現(本当に優雅だった)を覚えた。こういうことの積み重ねなんじゃないだろうか。
ドメイン失効→しばらく業者(レジストラ)が、ドメイン切れてないと思って来た人へのマッチング広告ページとしてプール→アクセスを見極めて再セール(居るのは高く売り、いらないのは再登録可)
という流れではないかと思うけど。
ドメイン切れても一定期間は業者がもってるみたい。
よくバリュードメインが切れると上位レジストラのenomがやってると思われるデイパックお姉さんのサイトになるよね。
で、大概はSaleだからしかるべきところにお金払えばドメインは大概戻ってくるんだけど、誰かに既に売られてたり、高値ふんだくられるのやな所はあきらめると。
用はそんな採算に載ってないページに大金かけなくてもいいと思ったあそこの経営判断ミスなのでは。確実にドメイン代の100倍くらいイメージのダメージを受けるよ。
私は単なる一増田でしかないのだが、なんとなく今日を増田的情報セキュリティの日とすることに決めた。
なぜって、今日は、年末年始という忙しく、そして狙われやすい時期をはさみ、2月2日からきっかり103日前だからである。
決して、はまちちゃんとエガミ君のやり取りがあったとか、増田はセキュリティ関連の話題に乏しいとか思ったからではない。
さて、一口にセキュリティといっても、その幅は広い。まずは定番から攻めるのが定石であろう。何が定番なのかについては、例えば「Webアプリ脆弱性オタがふつーのSEの彼女に脆弱性世界を軽く紹介(ry」などが参考になるだろう。
しかし、たとえば「初心者はPHPで脆弱なウェブアプリをどんどん量産すべし」といったような初心者には、まずは10というよりも1から脱初心者していただくのがよいであろう。
そんなわけで、今年のテーマはXSSとする。繰り返すが、はまちちゃんとエガミ君のやり取りがあったとか、XSS以外のネタが少ないとかではない。
さて、このように、今年のテーマはXSSとなった。それではXSSとは何か、どのように起き、どう対処すればよいのか、そのような実例ちょうど良いエントリが「エガミくんの脆弱性のやつ」である。
さらに、このエントリをよんで、実際に「XSSしたい><」と思った人に読んでいただきたいのは「今昔さっき物語」であろうか。
さて、非常に簡単にXSSについて書いたが、このXSS、実はその他のさまざまな脆弱性の基礎でもある。
出力がHTMLならXSSだが、SQLならSQLインジェクションだし、シェルならコマンドインジェクション、メールヘッダならメールヘッダインジェクション等々になりえる。とくに、初心者にとってシェルは予想外のところで使われているから、気をつけよう。
その他セキュリティに関心があればsecurityタグをお勧めしたい。セキュリティよりもsecurityの方が濃いのである。
思ったんだけど、レディースデーと女性割引は、女性側が反対運動してもいい気がする。半人前扱い(女性は収入が少ない)とか客引き(女性客を餌に男性客を釣ろうとか)にされてるってことだもん。そもそも失礼だし、世の中にこういうものがあるせいで、いつまで経っても今日みたいなイチャモンつけられる羽目になるわけだし。本音を言うと、こういうものに文句付けてる人ら自身が運動すればいいのにって思うけど、どうせその辺は動かないだろうから、自分達でやるしかないよね。
と思って、具体的にどんな要求しようかって考えた。「女性を理由にした割引、付加的サービスの廃止を求めます」「性差を理由にした割引、付加的サービスの廃止を求めます」・・・・なーんか違うなあ。そもそも廃止とか禁止とか今日日流行らないし、一般の男女問題とかどうでもいいよって層の反発も招きそう。大体、ノンポリ層はちょっとでも自分達が損することには敏感だしなあ。店にとっても、頭をひねって色々なサービスを考えてる努力を否定するようで、そっちにも反発されそう。うーん。こういうのを今風にすると、どういう言い方になるのかな。
あ、「女性を理由にした割引、付加的サービスを行おうとする場合、男性に対する同等の割引、サービスを設定することを求めます」こうじゃない?つまり、レディースデーを設定してる場合は、同数のメンズデーを設定することを要求する。女性割引を設定してる場合は、男性割引を設定すること。レディスランチを作ったら、メンズランチも作ること。これなら最近の時流とも一致する。メンズデーのある映画館とか増えてきたよね。
「女(男)は外見しか見ない」とぼやく人ほど異性の外見にしか興味がない法則
http://noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2008/0813000340.php
を読んで前々から気になっていたことを書く。
美人って何?
それともエビちゃんはもう古いのか?
それはどっちでもいいんだが
そんな客観的に「美人」が誰かはっきりする世界におまえらは生きているのか?
で、わからないので考えてみた。で、学校を思い出した。
確かに学校は「人気の女子」「もてる女子」みたいなのがいて、
「もてる女子」というのは高いカーストに位置付けられる。
そのおまえらの言う「美人」というのは、そういう高いカーストに位置付けられそうな「もてる女子」を指すのか?
で、学校卒業して働くようになっても、そういう学校カーストみたいなものはけっこうあって
女を見るとき、その学校カースト的な人を序列付ける基準みたいなのが働いて、
この女は美人にカテゴライズされる、この女は普通、この女はブサイク、そういう感じか?
で、「美人」と付き合おうというのは、自分の地位向上につながるってこと?
散々騒がれていても、ずっとピンと来なかったんだが
もしそうだとしたら、たとえば、
かわいいなって思ったけど、ランクがちょっと下だからとか
そういう葛藤があるってこと?
「おまえらそんな「美人」が好きなのか? 理由を述べよ」というタイトルとはちょっとずれましたが、当初は単純に「美人」にこだわる理由を聞こうと思ったからです。
学生のころ、「オシャレ」とか「ダサい」とか「センス」という言葉が好きになれなかった。
どうみても人によって言葉の意味が違っているのに、皆この言葉を使って服装の順位付けに躍起になっていたのがどうにも理解できなかった。
「オシャレ」でなければいけない、という風潮が周りに存在するのは感じるけれど、
肝心の「オシャレ」という言葉が一体何を表しているのか、考えれば考えるほどわからなくなった。
だから「オシャレ」をしようという気は全く起こらず、服装はもっぱらユニクロで速乾素材の服を好んで着ていた。
機能的かどうかが服や鞄などを選ぶ唯一の基準だった。
社会人になり、たまたま本屋で手に取った Men's Ex という雑誌を読み、ジャケットスタイル
(正確な名前があるのかは知らないけど、ジャケット、ドレスシャツ、スラックスを基本とするスタイルです。下がジーンズだったり、ジャケットは着なかったりもします)に出会った。
衝撃だった。そこには今まで周りの学生たちが執着していた「オシャレ」という不思議な尺度とは無縁の世界が広がっていた。
ジャケットスタイルやスーツスタイルには、「良いスタイル」とは何か、に関して比較的明確なルールがあり、
ある程度詳しい人間同士であれば、色調、素材感、着丈などがどうあるべきかについて、かなりの精度で合意を得ることができる(もちろん着る人の体系、髪の色、肌の色などによって変わる)。
今の自分の服装の問題があるとすればどこか、具体的な言葉で説明することができるし、
より「良い」スタイルにするためにはどうすればよいかも説明ができる。
もちろんジャケットスタイルの中でも流行が存在するし、人によってあえてセオリーから「はずす」ポイントも存在するけれど、
「オシャレ」という言葉を使って会話を試みていたときのような気持ち悪さはほとんど存在しなかった。
皆が同じ言葉で会話をしているという感触があった。
それ以来、雑誌やネットの記事を読み漁り、今ではオフでもジャケットを羽織り革靴を履いて出かけるようになった(夏はポロシャツ一枚)。
自分のように何をするにも理屈が欲しい人やにはジャケットスタイルはとても適していると思う。
「センス」って何だ?という人も、そういうややこしいことは考えなくてよくなる。
興味が出た人はとりあえず本屋に行って雑誌でも読んでみてくれ。
ジャケットスタイルというと組み合わせが非常に限られていてどれも同じ服装のように見えると思うかもれ知れない。
確かにこの手のスタイルに興味の無い人間からはそう見えるかもしれない(都市型迷彩と表現されているのを見たことがある)。
でも、実は(靴や鞄を含めた)素材や色の合わせ方を考えると、色々な組み合わせがあるのだ。
そしてこの組み合わせを考えるのが実はなかなか楽しい。
組み合わせによってはとてもちぐはぐな印象を与える服装になるし、
先月Napsterで適当に新譜をかけていたら、たまたま見つけたアルバム。長澤知之の「P.S. S.O.S」asin:B000U5HW5Q。今までにない感じで森山直太郎とCoccoを合わせたような声・曲。最初は気持ち悪くてすぐに曲変えたんだけど、Ipodで聞いてるうちにはまり出す。歌詞も面白いし曲も新鮮なんで最近では3日に1回聞くようになった。
それで、他のアルバムも聴いてみたいよな、と思いwikipediaを見てみると
甲高いアシッドボイスで孤独や哀愁を歌う。18歳のときにデモテープオーディションでその才能を認められ、ライブ活動を開始。2006年7月に「YAMAZAKI MASAYOSHI in Augusta Camp 2006」のオープニングアクトに出演し、注目を集める。2006年R and Cよりメジャーデビュー。2008年1月3日、女性への窃盗容疑で逮捕された。wikipedia:長澤知之
ヽ(・_・;)ノドッヒャー!
http://www.daily.co.jp/newsflash/2008/01/04/0000790248.shtml
なにこのVIPPER的なオチw
天才と狂気は紙一重なのか…。
http://anond.hatelabo.jp/20071201233907 を書いた元増田です(証明その他前掲)
前回試みた「対話の試み」ですが、ちゃんとレスが貰えたので良かった。
http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20071203 の下のほう
あと、意見について色々言われたけど、まあひょっとしたら<追記>の形で前のエントリに付属する方が良かったかもしれないけど、基本的に変えるつもり無しだし、それでレスが貰えたら嬉しいけど、なければそれはそれで。
さて返事に戻るけど、でも内容が噛み合ってないのは残念だった。前回の増田の主張は
1「お前の意見は精神病患者に失礼だろ」って批判するけど比喩にひきずられて誤読してるよ。ちゃんと読んでよ。
2自分が正しいと思うなら、せめて正しいと言える根拠を見せる努力をしたらどう?
3友情からくる行為というなら、エントリで晒し者にするようなやり方はよしなよ。
概略この三点。
で、今回のお返事を読むと
・読みやすい所に書きもせず、あげく「良く嫁」とかどんだけ傲慢。
1誤読させるようなてめえの比喩が悪いよ。
2「正しいと言える根拠」があるとしても、お前らにいう必要はねえよ。
3友人にはなりたいと思ってるよ。メールはしてる。その辺については今後晒さない。
・最後に、関わる気が無いなら口出しすんじゃねーよ。
まあそんな感じということね。
1については「誤読だったと思うんで、批判は取り下げて当初の『素人が治療じみた行為に手を突っ込むことの不適切さ』について率直に答えるぜ」という話になっていいと思うんだけど、2にあるように、そこについてsho_taさんは説明不用の絶対の不退転の自信を持っておられるようで、触れる気配もない。まあその自信というのも、yellowbellさんに対するいささか(というかかなり)不適切なレスを読む限り、怪しいものだと思うんだけどなあ…。おまけに一貫して「できることをできるだけ」「体育座り」「出資者」と言った表現をされてることから見て、一体sho_taさんのどこに梯子さんに真剣に「関わる気」があるのかと非常に疑問であったり。「関わる気がない」ならば「発言権が無い」なら、そもそもまず発言権が無いのは誰?って話。
まあ、「(根拠はあるけど)言わない」以上は「根拠がないんだろう」という批判も甘受しますよということなんでしょう。ならばこちらは、そうですか、それならやっぱやめた方がいいんじゃね? ってことで話は平行線に終わりそう。それもまあ残念なんですけど、オフやるよ派の筆頭がどういうモチベーションでどういう理屈でどんな風にやるつもりのどういう人間なのか、少し分かったのが収穫と言えば収穫で、これはこれで満足。
「vs」とか書いて対決姿勢煽ってんじゃねえとブクマで叱られた。ごめんなさい。ええと「増田にブクマとかつけてんじゃねーよ、バーカバーカ(棒読み)」
P.S.2
まあ結局、自分に都合良く「(手をさしのべるべき)病人扱い」と「(他と変わりない)一般人扱い」を使い分けて、じゃあお前はどっちと思ってんだよと問われたら「医者じゃないんだから診断したら違反」と切り返すループ話術が全てじゃね。ただそのループに迷ってる(迷わされてる)のは他人というよりはsho_ta氏本人な気がするな。
思っていることはそんなに変わらないと思う。
議論に勝ち負けなんてあるとは思わないし、敢えてそれがあると考えるなら、それを見ている周りの判断に委ねるしかないと思う。
ただ、別に積極的に勝ちたいとも思わないけど、その発言を受け入れるわけにはいかない、という思いはあるのかも・・・。
あと、批判と反論を繰り返しても得るものは多くはない、というのも確か。
でも、最初の批判に全く応えない、というのも少し違うような気がする。
それは最初から相手と議論する気がない、と言うことであるのだから、
だったらお互いに議論し合う場に来なければいいのに(というか発言してほしくない)と思うのだけど・・・。
相手の存在を前提としてないで、「議論」なんてできるのかな。
自分ひとりの意見を垂れ流すだけなら、もっと別の場所があると思うんだけどなぁ・・・。
それだとやっぱり寂しいのかな?
p.s.この内容って、「議論」の場の性質というのによっても、捉え方が変わってくるのかもしれない。
最初の発言で想定してた「議論」というのは、具体的に何かを明確に意思決定しなければならない場での「議論」を想定したから、他の人の考える「議論」との間にズレがあったのかもしれない。
誰かに何かをやってと言われたときに、さてそれは本当にすべきことなのかを考えてしまう。
なぜそれをやってといわれたのかを考えてしまう。
何も考えずに素直にはい、と応えて効率よく作業が出来ない。
ロボットになれない。そのやり方は本当に正しいのか、他にやり方はないのか自分なりに探してみたくなる。
でも止めよう、としている間に仕事が遅れて目玉を食らう。
色々なやり方を試してみて、なるほど確かに言われたやり方が合っている、
正しいと納得してその作業に取り掛かることだ。
そうして覚えたやり方は絶対に忘れないし、いくらでも応用が効くようになる。
やり方の本質が理解できているからだ。
そしてそのやり方が使われるようになった試行錯誤の歴史をたどったことにもなる。
それは楽しいことだ。
数学の公式にしてもなんにしても、
友達があっさり公式をそのまま使って問題をスラスラ解いていく。
一方自分は「なぜ」それが公式として成立しているのかを考えてしまう。
それが洗練されたものであればあるほど、
その洗練されるまでの流れを理解しないと使うことに躊躇いがある。
というか丸暗記で覚えた公式はすぐ忘れてしまう。
きっと無意識がその公式の無機質さを拒んでいるのだろう。
理解できないから。理解できれば本当に忘れない。
なぜなら理解できれば公式は意外と有機的だし、
それを生み出した人間が浮かびがってきて馴染むからだ。
5年はじめの塾の成績はひどいものだった。
算数40点とか、30点とか。理科50点とか。国語はなぜかやたらよかったのだけど。
悔しくて大泣きして家の二階で文字通り大の字になって駄々っこのようになり叱られた思い出が懐かしい。
5・6年の2年間カリキュラムを塾は1年半で終わらし、残り半年は復習を行う。
このとき、自分の成績は急激に上昇した。偏差値は70を突破した。
あの苦手だった算数は74を突破したのだ。物覚えの悪い自分が、覚えているのだ。
みんな思い出すのに四苦八苦しているのに、自分はさほど苦労はしなかった。
実は毎日出る塾の宿題は全部答えを丸写ししていたし、
興味の持てない先生の授業はまともに聞いておらず自分で勝手にテキストを読んでいた。
気がそれたら落書きをし、ぼーっとし、それこそやりたい放題だった。
おそらく自分は極度のマイペース人間なのだろう。そういう風にしか生きられない恐れすらある。
でも勉強は嫌いじゃなかったし、今も別に仕事は嫌いじゃないのだけど。
どちらかというとむしろ趣味だ。
全くの自分勝手な人間だ。会社勤めが向いていないという気がする。
近年の短期決算志向の中では尚更だ。
「空気」に従うことが出来ない。きっと自分は戦時中の中では間違いなく
魔女狩りの時代ならばさっさと殺されていただろう。
でも僕は考えることを止めたくは無い。
考えなくなれば、それは僕にとって死んだも同意義だ。
納得も出来ずに流されることほど怖いものもない。
泥舟に乗っていることに気づかず
頑張ってその船を漕ぐなんてことは大変に怖い。
一番僕が嫌いなことだ。だから考えたい。
そうするとスタートアップが遅れそして作業が遅くなり、目玉を食らう。
それでも考えることが止められない。
なんで頑張ろうとしてるかっていうと、
僕がボルトネックになるわけには絶対にいかないと思う。
でも仕事は遅い。何故ならやはり他のやり方がないか考えてしまうからだ。
結果今会社に泊まっている訳だ。
電車は駅に止まっていたにも関わらず皆脱出せず、結果多数の死者が出た。
ずっと皆電車の中にいたというのである。なぜ?
「皆が出なかったし、駅員からのアナウンスもないから大丈夫だと思った、
煙が車内に入ってきている時でさえ」僕はその話を聞いて以来、
「地下鉄で脱出もせずそのまま煙の中で死ぬ」のが一番嫌いな死に方になった。
正直僕を使う上の人には同情する。こんなに使いづらい人間も居ないだろう。
それでも考えることが止められない。
こんな文章なら20分で書き上げてしまえるし、
かつ書