思っていることはそんなに変わらないと思う。
議論に勝ち負けなんてあるとは思わないし、敢えてそれがあると考えるなら、それを見ている周りの判断に委ねるしかないと思う。
ただ、別に積極的に勝ちたいとも思わないけど、その発言を受け入れるわけにはいかない、という思いはあるのかも・・・。
あと、批判と反論を繰り返しても得るものは多くはない、というのも確か。
でも、最初の批判に全く応えない、というのも少し違うような気がする。
それは最初から相手と議論する気がない、と言うことであるのだから、
だったらお互いに議論し合う場に来なければいいのに(というか発言してほしくない)と思うのだけど・・・。
相手の存在を前提としてないで、「議論」なんてできるのかな。
自分ひとりの意見を垂れ流すだけなら、もっと別の場所があると思うんだけどなぁ・・・。
それだとやっぱり寂しいのかな?
p.s.この内容って、「議論」の場の性質というのによっても、捉え方が変わってくるのかもしれない。
最初の発言で想定してた「議論」というのは、具体的に何かを明確に意思決定しなければならない場での「議論」を想定したから、他の人の考える「議論」との間にズレがあったのかもしれない。
議論の場で好き放題に書くだけ書いて、反論が出ると知らん顔。 ・・・で、他の場所に行って、また好きなことだけ書いている・・・。 誰もいないところで、一人だけでやってろ!!
の続き。 議論の場で発言したことに対する批判は、 たとえどんなに時間がかかっても、答える責任があると思う。 そこがまともな議論の場であるのなら。 それに答えない、というの...
議論の場での主張というのは自分がこう思っていると言うことにしか過ぎない。 それに対する反論はその人がそう思っていると言う意思表示でしかない。 批判に対する説明する必要はな...
思っていることはそんなに変わらないと思う。 議論に勝ち負けなんてあるとは思わないし、敢えてそれがあると考えるなら、それを見ている周りの判断に委ねるしかないと思う。 ただ...
こういう論理が「最後に言った者勝ちメソッド」を生んでいるという認識はあるんだろうか
やだぴょーん。
別にそれでも構わないけど、 それなら何が楽しくてやっているの? 教えていただけませんか?
別に楽しくないけど?