はてなキーワード: 遂行とは
http://anond.hatelabo.jp/20100709161932
http://anond.hatelabo.jp/20100709161115
情報ありがとう。
私の意見は変わらないかなー。
横増田の基準だと、
「情報を網羅する」か「空気読んだタイミングで話題に加わる」のが「頭いい」んだね。そうか、なんかすみません。これ書いたらツリー全部読んできます。
海外の大学にいたので、学歴はあってないようなもの。秋に卒業して帰ってきて、就職までのつなぎで大手の学習塾でバイトしたりもしたけど、社員さんとの縁故でお願いして雇ってもらってた(だから、「やる気」はすげーあったけどねw社員さんの顔に泥塗れないじゃんwww)ので、元の増田とは状況が違うだろうが、教えられる側の年代と教える側の学歴・知識の関係はこんな感じだった。
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高校生:高卒程度の知識があればOK。国数英理社いずれかに得意科目があればよい。
ただし、知識について理解を深めていることが必要。
中学生:高卒程度の知識があればOK。マニュアル化されていれば、理解が多少足りなくても大丈夫。
小学生高学年:中卒程度の知識があればOK。基本、マニュアル化されていなくても、大丈夫。
小学生低学年以下:カオス。子育て経験っていうか保育士っていうか、なんかそういう知識あった方が業務遂行上いいかも。
言葉がなかなか通じないので、ある意味一番専門知識が必要そう。(児童心理学とか)
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接客というか、ニンゲンカンケイな仕事だから、対人スキルは必要だし、重要。もちろん、塾っていう集団で働くのだから、社会性も必要。「もともとの能力≒学歴」なワケがない。
しかも、子供は成長段階によって対応を変えないといけないから、並より上の対人スキルが必要かも知んないw彼らは「客」じゃない。「教える」だけだと、も、全然だめ。まったくわかってくれないんだよ。
ま、どこまで元増田の塾と被るかはわかんない。
ただ、「学習塾における業務遂行能力」の話題だったらなおさら、「高卒」<<<「院卒」みたいな話が出るのはおかしい、と改めて思った次第です。
そりゃあ、中卒の人が高校生を教えるのは無理だし、東大に●●人入れました!みたいな進学塾とかお受験の予備校とかで、大学出てない人間が講師にいたら生徒のモチベーションが下がるってんなら話は別だけど、そもそもそういうとこだと高卒かつ社会経験ない人は採用しないと思うんだよね。履歴書出してテスト受けて採用された時点で、「学歴・学力という能力」の最低条件はクリアしていて、あとは、+対人ほかの能力が「もともとの能力」なんじゃないのーって思った。
院卒さんが精神疾患なのか発達障害なのかは、会ったことないし生育歴も知らないからわかんないな。
バイトとはいえ、教育関係の末席にいた人間としては、そういうこと軽はずみで口に出しちゃいけないって思っている。
そして、元増田が学習塾勤務なのだったら、是非はともかく学歴コンシャスなのは、とてもよくわかる。仕方ないとも思う。
遅いかもしれないけど、頑張ってください。
でも、あまり子供を不幸にしないでね。
【向上心がないやつはほんとにどうしようもない http://anond.hatelabo.jp/20100707221911】
これについてだけど、知的障害の一種を抱えていると考えるのが一番自然だと思う。
この元になったエントリ(http://anond.hatelabo.jp/20100702010352)もそうだけど、並外れて何かができないって人は、要するにその部分が機能してないと考えるのが自然ではないかな。
人間の脳は精密な構造だから、部分的にちょっとだけ壊れてたり欠けてたりする人だって、けっこうたくさんいるんだろう。
そういう人への対応は、割り切り(言い換えれば「諦め」)が肝心。
憤るのも無意味。そういう、平均的(言い換えれば「正常」)な入力でどうにかすることは、そもそもできない。
平均的でない方法でどうにかすることも、できない。
存在しない器官は、機能のさせようがない。
そういった違いを見ないふりして無理に同じに扱うのは、苦痛をうむだけ。
相手が全てにおいて、潜在的には自分と同じ程度の能力を有するはずだ、などと思わずに、適した勤め先で、適した業務を遂行してもらうのが最善。
>あと、正論で社会は動かない。日本社会においては、人は理念じゃなく利害で動く。
>それでも空気を読めない人は利害関係調整の障害になるから組織から排除される。これは日本に限らないと思うけど?
日本社会においてはと言った直後に日本に限らないというのは支離滅裂
もう少し遂行して書けばいいのに
あと最近「ネットで真実を知った」というのをコバカにする人多いが、マスコミや周囲の知人からの情報だって玉石混合だとわかってるんだろうかと思う。どっちもそうならわざわざネットに限定する必要もない。ネットでも新聞雑誌でも口コミでも真実は転がってないんだからネット中毒じゃなきゃ安心というものでもない。ネットのみに焦点を絞ることでネットにはまってない自分は大丈夫と思い込みたい利害があるんだろうけど。
遊んでばかりいて現実的な問題から目を背けている。あるいは、行き当たりばったりで下らない職に就いているが何故か誇りと称して思い上がっている、実績がないのに偉そう。
文字が読めない人間が多い。これは観察してみると解ると思うが、「その場では」一文字一文字ちゃんと読めている。しかし、センテンス全体が成す意味を覚えていたり理解しようとしない。
結果何が書いてあるか理解できていない。
> 義務教育レベルの学業を遂行する知能すらない、あるいはそれと同等の状態を発現させている学習障害を持っている可能性。
警察などは犯罪者を捕まえたら精神遅延であるかどうかの検査を一通りしてみるべきではないだろうか。
一部の「2000年当時は~」とか言ってる人(自民党の谷垣氏や江藤氏を筆頭に、政治層に近い人)は殺処分の即時遂行を最優先する方向で動いてたでしょ。国への要望で重要視されたのも全部それにまつわるものだった。
それっていうのは、それこそ結局的に、最終的にはやらなきゃいけない「殺処分」について、補償問題や埋める場所問題、獣医の数などの問題など、「宮崎県だけじゃ限界が来る」ことが最初から分かってる問題の限界に対して、国にサポートを要請していたってことでしょうに。江藤や谷垣が先頭に立って殺せ殺せやってたわけじゃないだろ。民主党政府、農水省政務三役レベル以外は、それなりに「誰が何をやり、誰が何をどこに訴えるべきか」をちゃんとそれなりに上手く役割分担してたと思うが。
そりゃあ、「政府一丸となった援助体制や対策体制」、もっというと「政府や内閣の本気度」を批判してるんでしょ?ワクチンだってそりゃ「そう簡単に打て打て言われて出来るわけないだろ」って言ってるだけでしょうに。
http://www.asahi.com/national/update/0507/SEB201005060055.html
このような記事を見て、素朴な疑問だけど、一般人はショックを受けるのに同じ人間である医者や検察官などはどうしてショックを受けてトラウマにならないのだろうかと思った。
そりゃあ、やはり「慣れ」と言うものなんだろう。徐々に感覚を麻痺させていくんだ、たぶん。人体の解剖、破壊のありさまなんて普通はグロイから。
結論として、医者だとか殺人事件を扱う役人だとかはある種の感性の鈍磨とひきかえにその種の仕事の遂行能力を得ているという側面において、僕ら一般人とはかなり異質な世界に生きているんだということに思い至った。
http://anond.hatelabo.jp/20100505220916
話が横にそれちゃったので戻すと、言いたいことって言うのは「その病院にはなんとなく行きたくないなあと思う人は多分多いだろうし(おいらもその一人だし)、たぶんそれは事実を知ってもあんま変わんないんじゃないかと思う」ってことです。たぶん個々の人に事実(実際の感染の可能性)を知らせた上で「行く」って聞いたら「行く」って言うと思いますよ。差別主義者だって思われるのやだし。でも実際の行動って違うんだろうなーって。
私は行くよ。ってか病院関係者でHIVポジティブの人が「いない」保証って「誰」かしてんの?って話だよね
今回は「たまたま」不当解雇って形で浮き彫りになっちゃったけど今回の一連の話を読んでいればわかると思うけど、HIVポジティブであっても病院で勤務してオッケーなのなら、モトマスダが通院していたA病院にHIVポジティブの職員がいますって話を聞いて「うわなんだあの病院、マジキメエ。B病院に行くか。少し遠いけど」ってB病院に行ったとして、そこの病院にHIVポジティブの職員がいないって言えるわけ??モトマスダがHIVポジティブの人を見分ける能力とかでも持ってないとそんなの見分けられないよね。「見分ける」術があるとするならばそれは病院が情報を開示した時以外ないんだけれども、そもそもHIVポジティブである事がなんら医療業務を遂行する上で支障がないなら情報を開示する義務も責任もないって話になる筈だよね。
なんらかの理由で「HIVポジティブの職員が勤務している」という「情報」を入手しただけでそこを「忌み」の対象として眼差すのってアホの子のすることだと思う。
なんでここまで弄れてるのかっていう話だけど、昔の調査でエコに関するアンケートを取ったところ。殆どの人がエコに関する日常のことはすべきであると回答してた。でも、実際の行動を観察すると殆どしていなかったし、していたとしてもゴミを持っていってもらえないなどの不利益を被るものだったと言う。
調査内容の詳細がわからないので、書かれた文章から推察する以外にないのだけれども「ゴミを持ち帰る事」と「エコに関する日常のことはすべき」と回答する事は矛盾していないように思う。
っていうか「問いのたてかた」が曖昧だと思う。まあモトマスダは「エコに関するアンケート」を取るくらいエコの事に関心が高いんだろうからレジ袋は断ってエコバックを使うとか自家用車の利用機会を減らして公共交通機関を利用するだとか勤務している企業のペーパーレス化を推進したりリサイクル名刺を作るとかの活動に日々従事されているのかもしれないんだけれども、「エコに関する日常のこと」って何よって話だよね。エコバックを持ち歩く事なのか、スーパーに買い物行くときは自動車使わないとかなのか、ペットボトルを水洗いして潰したり牛乳パックを平たくしたりしてリサイクルステーションに持っていく事なのかもしれない。そうした事の中に「ゴミを持っていってもらえない」が入っていないだけなんじゃね?てか「ゴミを持っていってもらえない」って何処で発生したゴミを「持っていってもらえない」って話?何処かの行楽地で出たゴミを持って帰らないって話?それはエコではなくてマナーの問題だよね。
個人的には行楽地でゴミが分別して排出出来るならその場所で分別・廃棄したほうがゴミを持った儘交通機関を使う事によって出るであろうCo2の事を考えると「エコ」だと思うんだけど、その考えは正しくないんだろうか。
で、ここでシャアの登場。つっても「逆シャア」の時のキレたシャア。多分当時の様相だと全ての人類が宇宙に出ることが地球を再生する一番いい方法だったのだろう。でも、動いてくれない。”人類の革新”が待ってるのに動いてくれない。たぶん、ジオニズムってものすごい崇高な理想だしかなり実践的な哲学でもると思うのだけど、多分、みんなそうだよねっていう思想なんだけど。皆乗らない。でシャアはどうするのか「だったら地球にいられなくシテヤンヨ」と言うふうになる。
シャアの行動というのはファーストの時から一貫して私怨を晴らす為だけに政治とか戦争とか自分の才能だとかを使っているだけにしか見えんのよ。
人が宇宙に行ったら革新しますとかそんなのシャアにはどうでも良いんじゃね、っていうか自分の行動を正当化する為に言いたいだけなんじゃね
なんか、おいらを非難している人たちからこのシャアの苛立に似た「インテリの上から目線」と「焦燥」を感じるんだよね(妄想かな?)
「コピーしといて」と言ったら
「何枚ですか? いつまでにですか? 紙のサイズは?」って聞いてくるような感じ。
そんな基本的なことを重視するわけない。できて当たり前。できないやつはそりゃ会社に入れないだろうね。
新卒者採用は「コミュニケーション力」を重視 日本の未来は暗いな\ (^o^)/
http://newsteam.livedoor.biz/archives/51479412.html
なんかコメントみたら「コミュニケーション力」そのものの定義が、採用する側とされる側で違う気がした。
「コピーしといて」と言ったら
「何枚ですか? いつまでにですか? 紙のサイズは?」って聞いてくるような感じ。
あるいは、相手の言わんとするところを汲んで、質問に対して的確な回答をする能力。
これできないと、お客さんが欲しがってるものを提供することができない。
採用される側が言ってるコミュニケーション力は、誰とでも話ができるとか、雑談ネタが豊富とか、そんな感じ。
雑談ネタ豊富だと役立つときもあるけど、別にそれでは採用しない。
あと「コミュニケーション能力より重視するものがあるだろうが!」という主張もあった。
そりゃそうだ。
でも成績オール優ですとかしょうがないよ。真面目に授業出る以外の能力ありませんって言ってるようなもんだから。
「なるほどこりゃ凄えや!」っていう資格とか、能力を表す何かがあったら、コミュニケーション能力なくても採るよ。
でも、そう言える何か持ってる?
<過去>
0A
0B
0C
0D
0E
0Gは0Jを保持したい。
0Eは0Gが0Jを保持することを阻む。
0F
0Fは0Gが0Jを保持することを手助けする。
0Gは過去における0G(0G_0)を保持したい。
「0Hは0Gが0Jを保持することを阻む」
「0Hは0Gが0G_0を保持することを阻む」
「0Iは0Hを引き起こしうる」
0I
0K
0Gが0Jを保持することは0Kに阻まれる。
0Gは0Kを取り除きたい。
0Gが0Kを取り除こうとする試みは、0Iを引き起こす。
0I'が存在する。
0Gが0Kを取り除いた。
0Gが0G_0を保持したことと、0Gが0Jを保持したことがきっかけとなり、0Gは0Iや0I'から逃れることを求める。
0Gは0Iや0I'から逃れた。
0Hが起こる。それは、0Gが0G_0を保持することと、0Gが0Jを保持することを失敗したときの、もしもの世界として描かれる。
{# このカッコ内は、0Gが0Gを保持したことのフィンワールドとして描かれる。
0L
0M
0N∈0n
0O
0P
0q
0qは0Rを求める。}
<現在>
0S
0Qは0Sを求める。
0Mは0Vを求める。
「0Wは0Mが0Vを得る手段になるはずだった」
0X
0U
0Y
0Qは0G_1を得ることを求める。
0Yは0Qが0G_1をえることを阻む。
0Yは0Gが0G_0をえることを阻む。
<通信>
0Uから、0U_1が派生する。
0U_1から、0Zが派生する。
0U_1から、0Gは0Qが0GがAAを保持することを阻むと思いこむ。
0Qはその思いこみを取り除きたい。
<現在>
AB
0N
<通信>
0Z
AE
AF
0ZとAEとAFにより、ADがアブダクトされる。
ADが、Qに、ACをあらしめたいという欲望を起こさせる。
「AGは、0Qが0Yを取り除く手段になる」
「AGは、0Gが0G_Oを保持する手段になる」
0Gが0G_0を保持することのfailとして、0Yを示す。
「AHは、0QがACをあらしめる手段となる」
0Zにより、ACとAHが派生する。よって、0Qの望みであるACは叶う。
AHは、0Gが0G_0を保持することを阻む。
AHは、0Qが0Yを取り除くことを阻む。
0Gは、AHから逃れることを望む。
AG
0Gには、AGはAHから逃れることを阻むように見受けられる。
0Gには、AIは0GがAHから逃れることを助けるように見受けられる。
ACにより、0Gには、AGはAHから逃れることを阻むように見受けられることと、0Gには、AIは0GがAHから逃れることを助けるように見受けられることは、なくなる。
AGは、0GがAHから逃れることの手段となる。
0Gは、AHから逃れる。
0Qが0Yを取り除いた。
(ただし、象徴的な0Y(または死)が描かれる)(象徴的な死により、英雄になる?)。
<現在>
0Y_1
0Qが0G_1を得ることは、0Y_1によって阻まれる。
AD,ACについて深く描写。
0Gが0G_0を保持したことについてのfinを深く描写。
<過去>
0Gが0G_0を保持することは成功したため、AJが派生する。
AJと0Cがあることで、AKが派生する。
AKがあることで、現在のN_1は失われてしまう。
<現在>
0Qは0N_1を求める。
AKは0Qが0N_1を得ることを阻む。
0QはAKを取り除きたい。
0G_0は、0QがAKを取り除く手段になる。
0Qは、何がAKと取り除くことを阻むのかを知りたい。
0Qには、0G_0がALを得ることが、何がAKと取り除くことを阻むのかを知るきっかけになるように思われる。
0Qは0G_0に、ALを得るように依頼する。
<過去>
0G_0は、ALを求める。
0Qの提供するAMは、0G_0がALを得る手段になる。
0G_0は、ALを得た。
<現在>
0G_0がALを得たことが、現在に波及する。
ABがあることで、ANが派生する。
<通信>
0Qが0N_1を得たときのフィンワールドとして、0Qは0Nと会話する。
0W
0Qは0G_0に、AOを得るように依頼する。
<過去>
0G_0はAOを求める。
0Qが提供するAMは、0G_0がAOを得る手段となる。
AJは0G_0がAOを得ることを阻む。
AJは、0G_0が0G_0を保持することを阻む。
AP
APは0G_0が0G_0を保持する手段となる。
0G_0は0G_0を保持した。それが、AQとARとして派生する。
AJにより、0G_0がAOを得ることは失敗した。
<通信>
ARが、0G_0から0Qの元に届く。
ARは、何がAKと取り除くことを阻むのかを知る手段となる。
<現在>
何がAKを取り除くことを阻んでいたか、判明する。それは、ASだった。
0QはASに会う。
「0G_0がASを取り除く」
<過去>
AQにより、0Oは0G_0が0Oの義務遂行を阻むように思い込む。
0G_0は0G_0の自由を求める。
0G_0は0G_0に着せられた濡れ衣を取り除きたい。
0Oは、その両方を阻む。
0G_0と0Oの競り合いにより、0Uは破壊され、0U_1もなくなる。
0G_0は0Oを取り除くことを求める。
「ATは0G_0が0Oを取り除く手段になる」
「0Oが0Zを知ることは、ATをあらしめる」
0Nは、0Oが0Zを知ることを妨げるように見受けられる。
ASが0G_0の前に現れる。
0G_0が0G_0の自由を得ることは、ASにより阻まれる。
予想に反し、0Oが0Zを知る。
ATが存在し、それにより、0Oは笑顔になる。0G_0が無実だと知った歓喜の表情だった。しかし0Nは、その表情が何を意味するのかわからず、訝しがる。
0G_0が0Oを取り除くことは成功する。
0Oは、むしろ、0G_0が0G_0を取り除く手段として存在する。
0G_0はASを取り除くことを求める。
0G_0はASを取り除いた。
AVにより0G_0はASの住処に行く。
ASが現れる。
ASは0G_0が0G_0を保持することを阻む。
0G_0はASを取り除くことを求める。
AWは、0G_0が0G_0の濡れ衣を取り除く手段になる。
0G_0が0G_0を取り除くことは成功する。
0G_0はASを取り除いたかに見受けられる。
0G_0の帰宅。
0G_0の0Nとの生活(0Qが0N_1を得たときのフィンワールドの暗示として)
0G_0は0Y_1を取り除くことを求める。
0G_0は0Y_1を取り除いた。
0G_0により、0Uが再び存在する。
0G_0により、0U_1が再び存在する。
<通信>
0G_0は、0Qが0N_1を得ることに成功したと思っている。ASを取り除いた(と思っている)ので。
しかし、0Qは0N_1を得てなどいなかった。
<現在>
ASが0Qの元に現れる。
0Qは0Qを保持することを求める。
ASは0Qが0Qを保持することを阻む。
0QはASを取り除くことを求める。
<過去>
ASが0G_0の元に現われる。
0G_0はAAを保持したい。AAとは、0qと0Nのことである。ASはそれを阻む。
0G_0がAAを保持することは失敗したかに見受けられる。
それによって、0G_0がAAを保持することは成功する。
<現在>
0Qが0Qを保持することは失敗したかに見受けられる。
しかし、0Qが0Qを保持することは成功する。
また、ASは取り除かれる。
それはどうしてかと言うと、0G_1が存在することなのだった。
したがって、0Qが0G_1を得ることは成功する。
どうして0G_1が存在するかというと、0Y_1が取り除かれたからなのだった。
0Mは0Vを得た。
いつも忘れそうになる。
行き詰って勉強が進まず、あるいは作業が進まず、「もうだめだ。もう嫌だ。自分にはできないんだ」と言う気分になってにっちもさっちも行かないどころか、やけくそになる。
そんなときこそひとつずつ、だ。
1つやる。小さなことを。
また1つやる。
そうやって切り崩す。
―
やる気が出ないときは、いっその事やらないのも手だ。
(この2日間は一切手をつけないと決めて)もう徹底的に逃げる。さぼる。遊ぶ。寝る。
―
俺はこの一週間でこれだけの仕事をこなす!勉強をする!と意気込んで、しかしやる気が途中でしぼみかけてたり、上記の行き詰まりに陥ったり、落ち込んだりで結果的に1/2、1/3しかできないことも多い。
上のことを踏まえれば、はじめから、サボったり遊んだり休んだりを考慮した予定を立てるといいんだろうな。
仕事としてなんとしても間に合わせなければならないこともある。
そうではなくて比較的自由な資格勉強などの時には、遊びのある計画を立てよう。
―
もともと瞬発力のあるほうだったから、1夜づけ/2日づけ/・・・1週間/・・・でこれだけできるさ、と中長期の遂行能力を過大評価してしまう癖があるみたいだ。
でも俺のようなタイプは、100日間で1本の計画をするよりも1日短期決戦を100本と考えたほうが性格的にやりやすいのかも。この2つは外からは同じことをやっているようにしか見えないだろうけど、スタンスとして。
―
10年前
遅刻、サボりは平気。
10年後
10年前
特定の人としか話さない。
10年後
用事があればいろんな人と話す。
10年前
10年後
出勤時会社規則を読み上げたり覚えたり、遵守。服装もチェック。
10年前
授業中は寝ていたり本を読んでいたり別の事をしていたり、稀にちゃんと聞く
10年後
上司の話は基本要点はちゃんと聞く。仕事中はそれを遂行する。多少は雑談・飲食有。
10年前
10年後
担当業務の計画を100%達成しても評価されず、設定外の業務もこなしたりと120%達成して初めておk
10年前
学年集会、イベント、めんどくさいしサボる。遊びに行く。
10年前
10年前
行き帰りは友達と一緒。
10年後
行き帰りは一人。たまに帰りは同僚と。
10年前
遊びの連絡は毎月ちょこちょこ。
10年後
遊びの連絡は数ヶ月に一度。
10年前
10年後
10年前
10年前
人は嫌でも環境と責任を背負うことで変わらざるをえないから、学生時代は多少無茶してもいいと思う。
法は逸脱しない程度に。
ttp://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1268501489/
98 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/03/27(土) 18:31:15 ID:???
伊波市長は、アメリカが06年の日米合意以降、沖縄の海兵隊の兵力の大部分をグアムに移転する計画を
進めており、そもそも日本政府が説明しているような、米海兵隊の実働部隊が沖縄に残るという前提は
既に崩れていることを示すために、裏付けとなるアメリカ政府の公文書持参で岡田外相を訪ねている。
伊波氏によると、アメリカは06年7月に発表された「グアム統合軍事開発計画」に沿って、沖縄に駐在する
海兵隊員を丸ごとグアムへ移設する計画を遂行している最中であり、それが完了すれば現在日本政府が
辺野古に代替施設が必要な理由として説明している「沖縄には実戦部隊が残る」余地は無いという。
「そもそもアメリカは本当に新しい海兵隊用の基地を必要としているのかが疑問。にもかかわらず、
ここまで無理してどうしても辺野古に基地を建設しなければならない意味が本当にあるのか。」
伊波氏はそう問いかける。
493 :109 ◆Vm0e9XVoB6Ud :2010/03/25(木) 19:17:35 ID:K5CHqu7C0
ttp://www.asahi.com/national/update/0325/SEB201003240054.html
に付いて。福岡県警のお話の要点。暴対 ()内はワシの言や解釈
誤解です、東京都条例案との関連はない。そもそも都条例案は聞いたことがない、本当であるのか?
そもそも、聞く限りで判断するなら、そんな条例案は無理ではないか?
マンガやアニメは想像でありフィクションであり、何故それをことさらあげつらい、
現実に存在している問題を解決する事を避けるのかが良く分らない。
恐らく出版社の殆どが全部反対するだろうし、通らないであろう。
出版も商売でしょうし、そんな条例案が施行されれば、出版業界は大打撃を受け、
更に景気が悪くなるだろう、そんなことを考えているのか都は。
しかし、全く知らなかった、本当なのか、新聞は何も書いてませんが。
とにかく、今回の要請は、それとは関係はない、一緒にしないで欲しい。
(都条例の要旨を伝えたところ、県警の中の暴対の方も驚いており、
今は忙しいので(春の交通安全+暴対)休みが取れたら調べてみるとのこと(個人的に)
まず、今回の要請は、暴力団と裏で関係があると思われる(内偵で)出版社(ここが数社の意味らしい、これも内定)や、
お抱えモノ書き(と思われる)が書いている「雑誌」(現実の暴力団を報道と称して、これを肯定し書いている”雑誌”であり
そもそも月刊誌とかコミック誌という括りは遺憾だ)を取り扱わないで欲しいということである。 それ以上の意味はない。
494 :109 ◆Vm0e9XVoB6Ud :2010/03/25(木) 19:17:59 ID:K5CHqu7C0
そもそも、どこからマンガというものが追加されたのか?そんな事をどこが記事にしているんですか?
新聞報道?それにコミック誌ですか?ちょっと待ってください、それは違います。
具体的には、我々はかなり過去から(背後がぁゃιぃ)雑誌(暴力団を詳細に肯定的に紹介する雑誌)等を
何とかしようと色々やっては見たが、そのたんびに、暴力団(らしき人たち)が辨を連れて詰めかけ潰されてしまった。
表現の自由を盾にされると言うより、むしろ違う圧力が強すぎて、却ってそれをやろうとした人たちが
被害者となる悪循環が招来した。今回の文書での要請はそれらの「雑誌」を扱わないで欲しいという意味であり、
今回の本部長は「暴力団はテロ組織である」と明言しており、我々はその方針を持って
”現実に存在している暴力組織”の壊滅を進め、粛々と”現実の社会脅威”である”現実”の暴力団と、
市民と共に対決するものである。よって、フィクションのヤクザマンガ、具体的に言えば静かなるドン、哭きの龍等多数あるが、
それらフィクションであるものを、”現実の暴力団を肯定しそれらを増長する”として取り上げることは本末転倒であり、
そもそも、そんな発想は県警にも、暴対にもない。
確かにそれを見て気を悪くされる方が居られる。
しかし、フィクションなヤクザ屋さんをどうやって取り締まるか?
そのフィクションの中のフィクションな警察の暴対がやるべき事ではないか。
冗談はいいとして、繰り返すが、フィクションなヤクザマンガは関係がない。
どうしても信用出来ないと言われるのなら、今までコンビニや書店に陳列されていた
「要請で言われる雑誌」が、この要請によりにより、もし撤去されるのであるのならば、
そして、陳列されていた「何が消え何が残ったか」を見て欲しい。
もし、この要請により、フィクショナルな雑誌やマンガが消えるようなら、もう一度連絡して欲しい。
暴力団追放と根絶は市民の協力無くしては出来ず、その様な事が起これば齟齬を来たしかねない。
497 :109 ◆Vm0e9XVoB6Ud :2010/03/25(木) 19:18:48 ID:K5CHqu7C0
次に、今回の要請は書籍の検閲ではない、検閲とは過去内務省が行なったことをいい、
すべては発行後であり、県警としては「扱わないで欲しい」という要請である。
無論、発行後検閲にちかい、流通における、扱わない事による事実上の発行不能状態(事実上の検閲)という
ご指摘もあろうが、重ねて言うが、そこまでの大きな葉梨ではない。
次に、「暴力団の組織や幹部などを詳細に紹介する”雑誌”」がなにか、出版元はどこかのご指摘であるが
具体的には、それがなにか、どこかとは言えない。過去何度もそれで、やられてきたので言えない。
その辺りは、現実に「何が消えたか」で判断して頂きたい。
もし葉梨ででたフィクションなヤクザ屋さんがでてくるマンガ等が消えたら、
繰り返すが、具体的に書名を上げて連絡して欲しい。
今回の件とは別のようではあるがお答えする。
児童ポルノの件であるが、我々はこれに関してもきちんと遂行する。(この件に関しては頑固だった)
・マンガの中には児童の性描写が(以下略 ・世界的な動きを(以下略 よってこれは(以下略)
(以上の事を繰り出してきたのでG8とG20を言いニチユニを匂わせ、三号ポルノ言う単語を出すと、
あっさり話を濁しました。この点ではどうやら解釈の違い等での話し合い、ましては協力は無理っぽいですね。
しかし、「現行法に依る対処」と言うニュアンスがあったので、今年の”ジポ改正で三号ポルノ等”
それらの定義をしっかり決めれば、これらジポ系に関わることで彼等もムチャはせんでしょう。
むしろ、この件に関しては県警は逸般人の感覚で動いています、油断は出来ません)
以上、県警はこの暴力団の壊滅作戦に関し、今回のような誤解を招かない為に広く意見を県民のみならず
国民にの意見をお待ちしております。 市民の意見がないとこちらも不安です。バシバシ言ってきてください。
また、ネットで広く周知して頂きたい。肯定的(検閲ではない)であれ否定的(検閲ではないか)であれです。
以上。
500 :109 ◆Vm0e9XVoB6Ud :2010/03/25(木) 19:22:43 ID:K5CHqu7C0
以上、かなり県警よりのバイアスを掛けてますが、ジポ法での創作物への拡大解釈の件に関してはガチ勝負でした
(向こうが言葉を濁したので話しを元に戻しましたが)。
とりあえず、県警の中の人個人としても、この都条例案の動きや中身には全く同意出来ないようですね。
はっきり「無理でしょう」とコメントしましたし「不景気が増して社会不安が更に進むのではないか」や
「出版業の中心は東京であるんで、ダメージは大きいのではないか?」というご意見でした(この辺は個人的と思われ)
ちなみに全部の個人情報を出してでの話しですので、その点宜しく(誰に
つうか、地元にいるから解るのだが、こちらでは暴走した暴力団は現実にシャレにならないほど
社会の脅威になっているので(人間違えて病院で発砲し射殺する事件等)、東京方面の次元とは違います。
あくまでも現実の問題だけを問題にしています。それと、県警としてはこの件(要請に限らず)は、
今、思いつきで始めたことではなく、去年末の要請以前からやってた事なので県警の暴対としては、
今回の報道のされ方自体、寝に耳に水の様な感触を受けました。
意図的に都条例とリンクさせるミスリードを誘うのではないか?とも取れますねえ。
判決 県警も大変だなあ。
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あなたがたが通うことになる早稲田大学は、1学年につき約1万人ほどもの人が通うマンモス校だ。当然いろんな人がいる。いろんな出会いがあり、いろんな出来事が待っている。
それは数ゆえの、そして早稲田という土壌を目指したある種の人々が織りなす一大青春劇! である。
その劇中でどのような役割を演じるのか、どう動いていくのか、というのは、個人の意識に依るところが大となるのはもちろんのことだ。
しかしもう一つ、大きな脅威が、早稲田で暮らす者たちを待ち受けている。
それは学友たちでも、教授がたでもない。左翼や宗教の勧誘でもない。
最大の敵にして、現在の学生が抗えず、また抗おうともしない相手…… 『早稲田大学職員』である。
四月一日の入学式に向けて、すでに東京入りしている新、一年生も多いことだろう。
大学側から公布された大学全体の入学式、そして学部入学式。科目登録の日付を手帳に記して、新しい日々に夢を膨らませているかもしれない。
マイルストーンを購入して、授業やサークルの情報を読み込んでいる人もいるだろう。
大学生活の日々を活力にあふれたものとするものの最有力候補、サークル活動。 私もこの大学の四年間は、イコールサークルでの四年間であった。
早稲田大学に存在する、公認、非公認問わず全体で数百にものぼる数のサークルたちは、春になると例年のごとく、戦争に突入する。
入学式に参加する新入生に甘言の羅列されたビラをバラまき、大学構内にブースを並べてカワイコちゃんをはべらせ、新入生はタダだと謳い飲み会に誘う。
あらゆる手練手管でほかより多くの新入生を取り込み、その戦力を強化せんとせしめる。
その争いは熾烈を極める。走り来る自動車を物ともせず、警備員は総シカトである。新入生が手を差し出そうものならば、いたいけな彼(彼女)が思った10倍のビラが返ってくるとみてよい。
すべてが去ったあとには、踏み散らされた哀れな紙吹雪しか残らない。
これが通過儀礼であり、また儀式を遂行する首長たちの姿なのである。
ところが近年、この自然な営みを圧迫する、大きな陰が早稲田大学を覆いはじめている。
この『新入生歓迎』行事という儀式の姿を、根本から変えようとする勢力が、早稲田大学には潜んでいる。
さながら中世における西洋からの侵略者。その圧政の影響は、私が入学した頃からこの儀式の様態をたどれば明らかだ。
私が入学した2006年、新勧活動における最初の洗礼は、(事前に大学に来たものでなければ)戸山キャンパスの正門である。
新入生は、全体入学式をうけるために正門から体育館まで歩くことになる。その道は数多の上級生によって作られ、
体育館に入るまで、両脇に並んだ上級生にビラを渡され続ける。一度手を出したが最期、その上に積み重なること山のごとし。
次の年、2007年以降、戸山キャンパスにおける以上のような新勧活動は禁止された。
基本的に、大学での新勧活動は、大隈講堂で行われる学部入学式か、大学構内に構えたブース、そして戸山キャンパス脇にある学生会館内に限定される。
早稲田に(ほぼ)初めて訪れた新入生を圧倒し、勢いでサークルに勧誘するという極め技を奪われたのである。
この時点で、上級生、そして新入生においても、話術があまり得意でない者が、新たな繋がりを得る可能性が一つ、失われたことになる。
翌2008年は、私も幹部学年として新入生勧誘にあたっていた。この年については、あまりに忙しすぎてよく覚えていない。
さらに翌年の2009年は、就職活動で忙しくあまり顔を出せず、覚えていない。
そして今年、2010年度の新勧活動は、著しい制限を受けることとなったようである。
それは、新勧活動を許可される時期の早期化だ。
例年の新勧活動は、4月1日から一週間弱ほど行われていた。
それが今年は、3月30日から4月3日までしか許可されないというのだ。
この、『許可』というのは、大学構内でビラをばらまいたり、ブースを設けることが出来る期間であって、各サークルが独自で行う飲み会や、部室においての新勧活動を含むものではない。
しかし、より多くのサークルに、よりオープンな感覚でもって接することができるのは、野外に設置された、「誰でもカモン」「誰でも見やすい聞きやすい」ブース、そして数多くの勧誘員とふれあう『新勧活動期間』である。
入学式が始まるのは、例年通りの4月1日。
この始まりの日よりも前に、誰が早稲田大学を訪れるだろうか。
もちろん、いち早く情報を得ていたり、気の早い者、モチベーションの高い者、行動力のある者は30日から大学へ向かうだろう。
しかし早稲田大学は、そのようなものばかりでもない。
多くの新入生にとって、学生生活を充実させるはずの素敵な出会いが失われること、必定。
このような 改 悪 を決定したのは一体どのような勢力なのか。血気盛ん、天下無双のアウトロー集団たる早稲田大学の学生たちに、このような理不尽を強いることが可能なのは誰か。
それが、 早稲田大学職員 なのである。
彼らは私たちの学生生活を陰から監視している。
私たちの親から余分なほどに吸い上げた養分で腹を膨らまし、私たちの自由を、青春を、なんの考えもない規制によって締め付ける。
これはなにも、新勧活動に限ったことではない。
学生会館は彼らによって完全に管理され、開館時間や部屋の利用、部室の使用権まで、私たちは「与えられている」状態だ。
夜22時まで残っていれば、わざとかと思うほどにいやらしい警備員の館内放送を聞くことになるだろう。
大学のネットやシステム関係はザルで、少しでも変な登録、操作をしようものなら部室のキー登録が消え、ネットの使用が不可になる。
迅速なアフターケアはない。
大学で授業があっている時間は、09:00から21:30である。
彼らは0900から1700までしかいない。
一般企業、大企業、公務員、など様々な職種への就職活動を支援する就職課の職員は、どう見てもエキスパートに見えない。
なにごとにも融通が効かない「お役所仕事」。これが、すべての職員に通じる言葉だ。
そして少し調べればわかることだが、彼らは、 なかなかに、 高給取り である。
彼らは私たちの大学生活に必要なものではあるが、不必要な部分もおおいにあるように、私はこの四年間で感じた。
このような、決して便利ではない、しかし不可欠な大学職員が早稲田大学には巣食っている。
彼らはこれからも、私たち学生たちの自由をせばめ、彼らの怠慢を増やしていくのであろう。
そのことに気付かずいや、気づかないフリをして、「円満」に学生生活を送ることは可能だ。
しかし、私たちは入学した時点で、すでに既得権益によって不自由を強いられている。その事実は、決してなくならない。
私たちは、戦うにしろ、無視するにしろ。 それを知った上で、自分なりの行動をとることを迫られているのである。
………………だから、 新入生のみんな、 3月30日から、新勧活動やってるので、早稲田大学にきてね! (私は卒業しているのでいませんケド
*大なり小なり、様々な誇張を伴なう表現を駆使しておりますが、言いたかったことは結論の一文くらいです。すべてが真実であるという保証はありません。
今までずっとヒキコモリで、まともな接客も社会対応もした事ない。しかも中卒。
だけど、履歴書にうそかいて、なんとか受かった。
明日行くことになってるが、どうなるかわからん、こわい。
だが、肝心なのは何事にも攻略法がある!という事だ。
オレはFPSをやるんだが、そこで知らないマップをプレイする時は大体K/Dの一番うまいヤツの後をついていってマネしてルートを覚える。
ふむふむ、なるほど、こっから攻撃できるのか。ここから敵が出てくるんだな。エンカウントポジションは大体こことここか。比較的勢いがある時はこっちからせめてくるケースが多そうだ・・・とか
そうやって情報を集めて行くのだ。
明日から行くコンビニもそういう感じてやって、攻略して見ようと思う。
攻略するときに一番肝心なのは、一番最初は「一点」にだけ集中することだ。
全部いっぺんに、いろいろこなそうとしてもできない。だから「一点」だけ、K/Dのうまいヤツの後をついてく、という一点だけを遂行し、それを突破口に攻略法を見つけていくんだ。
一点だけ集中し、なにか他のことに気をとられてる自分に気づいたら、あわててその「一点」に集中しなおす。これが全ての基板になる。
初めてFPSをやった時も、適当に撃ちまくってたけど相手が倒せない。そういう行き詰まったときは何か突破口になりそうな事を「一点」だけに集中してみるんだ。そこを突破口に一点突破するんだ。
FPSはじめたばかりで敵が倒せない時は、「死んでもいい、そのかわり一発だけ確実に当てる」という一点だけに集中してプレイした。
ゲーム上オレは死にまくりのボロ負けだが、オレの中では一発だけでいいから確実に敵に当てられればオレの勝ちなのだ。
それを繰り返すうちに、なんとなく「一発だけ」当てられるようになる。そうすれば後は簡単、今まで一発あてられていたタイミングでタップ撃ちをし難発もあてられるようにする。さに複合的に引いたり、予測撃ちをしたり。そうこうしてくうちにFPSがうまくなってきた。
とにかく、何か一点に集中し続ける事だ。
なにか他のことに気をとられたら、すぐ自分で決めたその「一点」に集中しなおす。常にソコだけを意識するんだ。
そうすると、その一点を基板に全体の流れがつかめてくる。あとは、その全体の流れに必要な部分を応用するだけだ。
私は一度自分の懐に入れたものに対しては、非常に忍耐力のある性格をしていると思う。きれいな言い方をすると「見捨てない」のだけど、ぶっちゃければ「切り捨てる勇気がない」ということだ。
とりわけ維持や遂行に手間のかかるものほど、切り捨てることに対して抵抗がある。mixiアプリで言えば「みんなの農園」であり、人付き合いで言えば困ったちゃんの友人。人生で言えば無謀な中学受験や美大受験、新卒で入ってしまったブラック会社、イラストレーターになる夢と、切り捨てられなかったものを挙げていくと枚挙に暇が無い。すると、
「あいつと付き合うの辞めなよ」
「そんなに嫌なら辞めれば」
みたいなことを友人や両親から日常的に言われるわけですね。私はこれに対して「でも…」「でも…」を連呼します。不幸に酔っているわけではなく、耐えに耐えてきた時間を負けた状態で精算するのは損なような気がするからです。つまり利益を得るまで辞められない。
あんなバグ満載ゲームであるみん農ですら全面開拓するまできっと辞められない。難解な性格のせいで周囲から疎遠にされまくっている友人と、未だに友情を育んでいるのは私ぐらいでしょう。当然受験は合格するまで浪人したし、会社には慣れてしまった。全く売れていないけどレーターの端くれにもなった。忍耐は既に私の血肉となっていて、己の身に降りかかる理不尽に対して、スルーすることばかり覚えてしまったのです。もうね、抵抗するのも面倒くさい。
前置きが長くなった。えーとそのつまり、来月結婚するんですよね。婚約者は、度を超えたナルで、私に対して時間を割くことを極端に嫌がる人です。私のことはマスコットかなんかだと思ってるでしょう。付き合い出した瞬間から「あいつだけは辞めとけ、お前が幸せになれない」と周囲から忠告を頂くような関係でした。もちろん私は彼の前向きな性格や仕事に対する姿勢を尊敬しているし好きなので幸せなのですが…思えば、これは愛なのではなく単なる意地なのではないでしょうか。暴力こそ振るわれてないけど、私がスルーしなければ両手両足では足りないほど別れるフラグがありましたから。
今、私が結婚したいと思っている気持ちに自信が持てません。古来から吐くほど繰り返されてきたマリッジブルーの一種だと自覚はしているのですが、信じられないのが彼ではなく自分の性格だというあたりがやりきれない。切り捨てる勇気がないばっかりに、彼とのおだやかな老後というゴールを勝ち取るまで辞められないだけじゃないの。それで結婚なんかして大丈夫なの。そんな声がぐるぐる巡って不安に押しつぶされそうだ。理不尽と戦うことを怠けたツケをこんな人生の岐路で支払わされることになるとは思わなかった。
ブーメランじゃないよ、全然。
「働くママ」が「私は経営側と交わした労働契約通りの義務を果たしているので文句言われる筋合いはありません」と言うのなら、
周りの人も同じ事をしても良いんだよね。当然。
もちろん。
「働くママ」が「急に子供が熱出して仕事休まなければならないの。代わってくれる?」と言っても
周囲は「私はあなたの仕事の代理をするという労働契約は交わしておりませんので代わりません」と言うだろうし、
もちろん。
ただし、雇用側は「働くママ」が正当な権利を行使して抜けた場合にも円滑に業務が遂行できるように手当てする必要がある。つまり正しい手順は、
ここで当然、「他の人」は自分の業務が手一杯なら拒否する権利がある。全員が手一杯の場合は、雇用側が「正当な権利による抜け」を想定していない体制をとっていたということだから、雇用側の責任。現実には業務に波もあるしケースバイケースなんで、マネージャが「他の人」や「働くママ」とうまいことネゴしてすすめてゆくことになる。それがマネージャの仕事なんだから当然だ。(さらに、「他の人」が余裕があるにもかかわらず「働くママの分まで仕事をやらされるのは不満だ」と言ったなら、その不満を解消するのもマネージャの仕事の一部。もっと言えばそれでマネージャが不満に思うなら、それを解消するのは経営者の仕事。)
これも企業側からしたら「ウチはそこまでして時短者を受け入れなければならない義務はありませんのでそんな工夫など致しません。
それで良い。雇用が充分に流動化している場合、労働条件の悪い企業からは人が流出し、良い企業に良い人材が集まる。
どこの州? うちの近辺じゃ「まともな保育園」の相場は月$600-$700だし、共働きなら控除できるよ。
期待された結果を出せなきゃクビなのは当然だろ。期待される結果と、それに見合う給料ってことで契約結んでるんだから。ただ、例えば事情により半分しか働けないのなら、「期待される結果」を半分にする (当然給料もそれに見合う額にする) って道はある。
授与式での演説でオバマ大統領は、「平和を維持するためには戦争という手段が演じる役割もあるのだ」と述べ、アフガニスタン戦争を「正しい戦争」と位置づけた。その上で、今月1日に発表したアフガンへの米軍追加増派に関し、「米国民が直面している脅威を座視は出来ない。交渉でアル・カーイダを武装解除することは出来ないのだ」と語って戦争遂行の必要性を強調した。
ノーベル平和賞授賞式の場で「平和のための戦争」という古来、手垢のついたレトリック。空疎だ。
いくらノーベル平和賞がうさんくさいからと言っても、これはないんじゃないか?