はてなキーワード: 責任問題とは
ttp://www.s-abe.or.jp/mailmagazine/1441
昨日の参議院決算委員会に於ける質疑で、菅直人副総理は北朝鮮の拉致実行犯・シンガンスの釈放を求める書類に署名した事を謝罪しました。
菅大臣は謝罪する際、延々と言い訳に終始していた事は見苦しく、拉致被害者・家族に対する誠実な気持ちは、微塵も感じられませんでした。
自分以外にも沢山の議員が署名していたとの菅大臣の発言にはあきれました。
ほかに何人愚かな議員がいようが、菅さん、あなたの罪が軽くなるわけではありません。
あの委員会室に菅氏以外にもう一人、スパイの釈放を嘆願した議員がいました。
釈放要求に署名した「愚か者」は多くの国会議員がいた委員会室に2人しかいません。
その2人が内閣の主要閣僚である事に、寒気を覚えます。
こんな内閣に北朝鮮とまともな交渉が出来るわけがない。事実、鳩山内閣は政府の拉致問題解決の基本方針三原則から「拉致容疑者の引き渡し要求」を落としてしまいました。
岸信夫議員の追及に中井担当大臣は狼狽え、「よど号犯の引き渡しと万景峰号入港禁止を取り引きしようとしていた事もあったじゃないか」とあらぬ事を口走りました。
私はまったく聞いた事がありません。
でたらめであれば責任問題でしょう。
また仮に本当であれば、興奮して極秘である、政府の交渉事項を漏らした事になります。
なぜか。
北の外交術にはまり、何も得る事無く譲歩してしまったからです。
残念です。
www.yoshimotobanana.com/diary/
2009.08.04より
自分にはなんの権限も判断もしない、ロボットみたいな変な仕事を毎日汗水たらしてする人たち。
持ってきたものの無事やその家庭に家電が入って喜ばれることよりも、責任問題のほうが大事な人生。
かわいそうだなあ。
で、結局、カウンターの前までその人らが運んで、成田さんと蓮沼さんとヒロチンコさんで冷蔵庫を入れた。
それをじっと立って見ている力のある若い配送の人たち。
そのあと洗濯機をその人らがふたりでなんとか運んで、手伝うなと言っているので、みんなでじっと見つめる。
ほんと〜にばかみたい。怒っているのではなく、狂ってるなと思うだけだ。
人生を、助け合ったり、自分で判断したり、決めたり、失敗したりする権利を持っている俺たちは
そのあと楽しく浜に行き、夕陽をみたり花火を見たり、あじ平でおいしいラーメンを食べたりしたが、
その人たちは責任問題はいろいろ大変だから、クレームをつけてくれるなよと説明して、汗だくで帰っていった。
うまい酒が飲めなさそうでかわいそうだ。その仕事に生きがいを求めろというほうがむりだろう。
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やっぱりこれなんか読むと、かなーり殿上人フレイバー漂う世界観みたいだね。
「こんな仕事を強いる社会は狂ってる、かわいそう」て感想なら良いんだけど、
「あーウチら、あんな人生じゃなくてよかったぁぁぁぁあwww」的なゴミ虫扱いですネ。
確かに運送の人たちは、自分がその場にいたら「はぁ?」ってなるだろう融通効かない感じ。
ただ、それを強いる人たちがいる。そして、そっから外れる事は、ばななが考えるよりマズい。
彼女がそんな立場に置かれたら「そんな仕事やってられっか、辞めるわ」で済むのだろうけど、
そんな馬鹿げた仕事でも失う訳にはいかなくて、それをしなくちゃいけない人たちがいる。
高名な父の物書き一家に生まれ、大学卒業後は就職せずに、糸井重里経営の喫茶店でバイト。
純粋培養みたいな環境で育ち、自身の能力ゆえ(正直著書読んだこと無いんですが)プライドも高い。
そんな彼女は運送屋みたいな立場に置かれた事はないだろうし、これからもないでしょーね。
2ちゃんで橋下徹・大阪府知事の支持者をB層と名指す人が何故か平松邦夫・大阪市長を評価している場合を多々見かけるんですよね。単に民主党で民間出身だから評価しているのかもしれないんだけれど、大阪市民からしたらとんだ勘違い野郎なんですね。平松市長が当選以来何やってきたを挙げましょう。
・WTCに市庁舎を移転すると公約しながら自ら破棄。しかも同様にWTCに府庁舎を移転しようとした橋下知事を批判。
http://www.team-osaka.com/article.php/20071107125547830
平松「大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC)を最終処理後に市が買い取り、市役所を移し、現市庁舎は近代美術館にする。中之島が一大文化ゾーンになり、人が集まってくる。夢を語れる街にしたい」
・橋下知事による市庁舎・府庁舎共にWTCに移転する案に対し「両方入れるスペースはない」と反論。WTCに隣接しスペースが有り余っている市の三セクATCへの移転すら考慮しない。
http://osaka.yomiuri.co.jp/tokusyu/h_osaka/20090606-OYO8T00282.htm
一方の平松市長は前日、WTCへの府市同時移転を提唱した橋下知事の発言について、「現実味がない。両方入れるスペースはない」と反論し、蜜月関係だった2人が批判し合う展開となっている。
・大阪市は既にWTCに多数の市の部局・外郭団体を入居させ、「入居率は8割」を占めている。それら部局・外郭団体は、他に入居している民間企業の「2倍の賃料」を三セクに支払っている。そうすることで赤字三セクに多額の税金を投入、破綻を回避することでWTC建設を計画した市幹部や賛同した自民・民主・公明の各会派へ責任問題が波及するのを回避してきた。住民訴訟でも是正するよう判決で言い渡されたにも関わらず、平松市長は賃料を「たった1割しか減額しなかった」。三セクを破綻した方がトータルで見れば市の負担額は減るにも関わらず、破綻させる気はハナから無かった。
http://mihari.exblog.jp/8192643/
入居率が下がる一方のWTC,ATCに、市の部局などが民間の約2倍の賃料を払って、事実上公金による支援を続けてきた問題で、見張り番は、4年前に住民訴訟を提起し、そのなかで裁判所採用による不動産鑑定で高額賃料が明らかにされました。
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1204097314/
二次破綻(はたん)の危機にある大阪市の第三セクター「大阪ワールドトレードセンタービルディング」
(WTC、住之江区)など2社の再建方法などを探る「市特定団体再建検討委員会」が、WTCについて、
現在の入居率のままでは09年度にも資金が不足し、破綻すると試算していることが、27日わかった。
二次破綻した場合、市には債権者の金融機関に最大で約509億円の損失補償をする義務が生じ、
危機的状況にある市財政にとって大きな打撃となる。
55階建てオフィスビルのWTCの入居率は82%で、テナントは市の7部局と関連団体で
大半を占める。市は今年4月から賃料を8.5%引き下げる方針で、新年度当初予算案に
盛り込んでいる。
WTCをめぐっては、市が支払う賃料が高すぎるとして、市民団体が過払い分を返還するよう
求めた訴訟が、大阪地裁で6月に判決を迎える。同地裁の鑑定は、賃料が最大で適正価格の
約2倍と指摘。敗訴した場合、WTCには多額の賠償責任が生じ、破綻は必至とみられている。
このため、検討委は入居率を現状に近い80%に設定し、市の賃料について、(1)現行継続
(2)市の鑑定に基づいて8.5%引き下げ(3)大阪地裁鑑定の額、の3パターンで試算した。
関係者によると、検討委は、予算案通り8.5%下げた場合は09年度に、現行の賃料(月額で
1平方メートルあたり4700円)のままでも10年度に資金不足が起きると予測している。
資金ショートを避け、04年の特定調停で成立した返済計画を維持する場合でも、市は多額の
追加負担をする必要があるとしている。
市は、WTCの再建策や最終処理策について、市によるビル買い取りや会社更生法の適用など6案を
3月中に市議会に提示する方針。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200802270035.html
http://www.pressnet.co.jp/osaka/kiji/090124_15.shtml
大阪市の第三セクター「大阪ワールドトレードセンタービルディング」(WTC、住之江区)に入居する市の7部局の賃料をめぐり、平松邦夫市長は19日、WTCの仲茂彦社長と会談し、現行より8・5%減額となる1平方m当たり月額4万1300円とすることで合意した。
・平松市長はWTCが二次破綻したら債務返済により自治体破綻のおそれがあると主張しているが、その一方市庁舎等の市が抱える優良物件を売却しようとすらしない。現庁舎でなければ市職員の仕事ができない事情でもあるのか?
http://www2.city.osaka.jp/shikai_kensaku/index.html
平成19年第4回定例会(平成19年12月・平成20年1月) - 01月09日-02号
本市財政危機の引き金となった赤字第三セクター、とりわけWTCの最終処理策についてお聞きします。
現在、WTCに入居している本市部局の賃料が不当に高いとして住民訴訟が提起されており、昨年7月には大阪地裁において賃料鑑定が行われ、本年中の判決が予想されています。仮に賃料が高いとされれば、本市からの賃料が収入の大半を占めているWTCがたちまち二次破綻を起こすのは必至です。その結果、債権者に対し損失補償を行っている本市に多大な財政負担が生じることになり、財政破綻に至る可能性は極めて高いと言わざるを得ません。もはや当事者による経営再建は不可能と判断すべきです。
平成19年12月・平成20年1月定例会常任委員会(財政総務)-12月26日-01号
◆太田勝義委員 今お尋ねいたしますと、美術館の箱物には使われていないと、こういうことでありますが、何とか600億の枠を認めてほしいと、こういうことでございますので、それはそれでいいといたしたいと思いますが、問題は、市長が今回選挙に立候補されるに当たって、中之島の本庁舎を近代美術館にとの発言が大きく新聞に取り上げられました。全く斬新な発想であり、さすが平松さんだなと、実は私は驚嘆をいたしました。ああ、この発想は私にもできませんし、恐らく理事者もできないでしょう。ゆとりとみどり振興局もできないでしょう。
それと同時に、美術館に呼応して、ここのオフィスをワールドトレードセンターに持っていくんだということで、向こうを市庁舎にすると、これは実は私も考えたことがあるんです、財政厳しいときにね。それを平松市長がおっしゃったんで、うん、これは私も同じ考えだなと思うたんですが、現実的にどうなんかなと。一般的な政治家であり行政マンであれば、そこまでは考えるんですけども、それを選挙の一つの大きな材料にし、公約と言うていいんでしょうか、マスコミに堂々と発表されて圧倒的な票を獲得されたと。
私は、この2つの公約は大変タイムリーであり、すばらしい発想だと思います。逆にいうと、それ以外は私はあんまり評価いたしておりません、悪いけどね。いろいろとマニフェストを読ませていただきましたけども、これはあんまり、これで票稼いだなという感じしないんですが、イの一番に評価していたんはこの美術館とワールドトレードセンターへ行くということかなと。しかし、私はどう考えてもいいことだ、すばらしいことだという考えと、果たしてこれが可能なんかどうかということについて、ちょっと私はクエスチョンマークがつくんだがね。
そこで、ゆとりとみどり振興局に来ていただいておりますんで、この本庁舎を近代美術館として活用するとすれば、整備に当たって構造上どんな問題があるのか、果たして幾らぐらいかかるのか、これが一番問題だと思うんですね。いかかでしょうか。
◎横田ゆとりとみどり振興局文化部博物館群企画担当課長兼近代美術館担当課長 お答え申し上げます。
近代美術館建設用地についてでございますが、1万6,900平米を先行取得いたしておりますけれども、この用地につきましては、国との売買契約におきまして指定用途に供さなかった場合には違約金が生ずる旨の規定がございます。
◆太田勝義委員 幾らぐらい違約金を払うことになるんですか。
◎横田ゆとりとみどり振興局文化部博物館群企画担当課長兼近代美術館担当課長 違約金の対象となる用地の取得価格の30%、最大の場合30%でございまして、金額にいたしますと約48億円でございます。
◆太田勝義委員 今の理事者の答弁ですと、48億円を違約金として国に払わなければならない。この本庁舎を美術館にするとすると幾らかかるかわからないと。ましてやエレベーター、その他照明いろいろかかると、二次的な問題がある。果たしてこれ市長は知っててあなたはここを美術館にしようと、そういう構想をなさったのか、知らなかったのかはどうですか。
◎平松市長 お答えいたします。
先ほど来、市役所本庁舎を近代美術館に、それからWTCを市庁舎にというのを公約だと委員はおっしゃっておりますけれども、私、立候補の記者会見をした際に、一番最後に、これは夢ですけれどもと、つけ加えました上で申し上げたことでありまして、今、御質問がありましたような細かいお話を一切知らずに発言したものでございます。以上でございます。
・違法に公金が注ぎ込まれた市職員の「ヤミ年金・ヤミ退職金」事件で、違法な公金支出のため職員に対して損害賠償請求しなければならないにも関わらず、関淳一前市長の意に反して勝手に「ヤミ年金・退職金の公費返還は求めません」と発言して更迭された「森下暁・前市長室長」を、平松市長はあろうことか副市長(助役)に抜擢。
http://ninjax.dreamhosters.com/newsplus/news19_newsplus/1127/1127308679.html
大阪市の関淳一市長は21日、ヤミ年金・退職金で支出した公費の
(経営企画監)を同日付で更迭するとともに、土崎敏夫筆頭助役が
辞職を申し出たとして、26日付で辞表を受理する考えを表明した。
上山信一慶応大学教授らの主導で市政改革を進めている。土崎氏は
1964年に市に採用された“たたき上げ”の代表格。「外部主導の改革への
反発だろう」との見方も出ており、改革をめぐり亀裂が表面化した格好だ。
森下氏は16日、市議会財政総務委員会で、ヤミ年金などの財源として
市が支出した公費328億円のうち、未返還の189億円について
「地方自治法の5年間の時効が成立している」と答弁。市職員互助組合
連合会に返還を求めない考えを示した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050921-00000224-kyodo-soci
・平松市長就任後に起きた裏金問題で、平松市長は裏金がどの部局にいくらあるのかを調査すべく幹部職員に「裏金はありません」と誓約書を書かせた。しかし平松市長が抜擢した森下暁副市長が誓約書にサイン後、裏金を隠していたことが発覚。それにも関わらず平松市長は森下副市長を処分しなかった。裏金は同和対策事業に関するもので、平松市長は部落解放同盟に支援を受けていた。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1188822548/686
http://www.mbs.jp/news/kansai_GE080326184700100256.shtml
ウミを出し切ったはずの大阪市の裏金がまた新たな部署で見つかりました。しかも、今月就任したばかりの副市長が当時、局長を務めていた部署で、責任問題に発展しています。
調査の中で、環境局では旧同和対策事業の財団法人への委託費9,400万円余りが裏金化され、このうち少なくとも160万円が同じ事業を担当する経済局に分配されていた疑いが出ていました。
これに対し、当時、経済局長だった森下暁副市長が、「裏金はなかった」と誓約書まで書いて反論していましたが、その後の調査で担当者が裏金の存在を認めたため、その管理責任が問われました。
「環境局は『経済局に現金を渡した』と。経済局は『受け取った記憶がない』と。調査にあたっている総務局法務監査室は『記憶がないと言っているのでわかりません』と。誰が考えても納得できるものではない」(自民 多賀谷俊史市議)
「調査に取り組む自覚に欠けていたと言わざるを得ない」(森下暁副市長)
平松市長は以前から「調査締め切り後に裏金が発覚した場合は厳罰でのぞむ」と話していて対応が注目されます。
(03/26 20:00)
・平松市長は選挙で市の連合系労働組合「市労連」と部落解放同盟を実働部隊にし支援を受けていたが、選挙期間中その事実を伏せていた。その一方、対立候補だった関・前市長が助役上がりの市長だと批判。自ら抜擢した森下副市長の市職員とのしがらみについてはいまだ言及していない。
http://www.sun-inet.or.jp/~yonetaro/doc4.html
●初当選の平松氏、苦しいかじ取り必至 大阪市長選 07年11月18日
自公対民主の激しい戦いになった市長選は、民主が推薦する平松氏が自公推薦の現職、関氏を破り、初当選を決めた。市長選が公選になって以来、初めての民間出身市長の誕生となった。
市民は、長く続いた助役から市長になる構図を否定し、「民間の目線」を強調した平松氏のフレッシュさを選んだ。職員厚遇問題から不祥事が続いた大阪市の閉塞(へいそく)感が長く行政を担当した関氏にとってマイナスにはたらき、逆に元毎日放送アナウンサーで長く夕方のニュース番組のキャスターを務めた平松氏を押し上げたともいえる。
選挙戦は、平松氏の高い知名度と、関市政の市政改革で一定の距離を置く形となっていた市労働組合連合会(市労連)や部落解放同盟などの組織がフル稼働する2面作戦が功を奏した。
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1195395132/
平松氏は長年にわたって助役出身者らが市長を務めてきたことが職員厚遇問題などの温床になったとして
マスコミ報道だけでもこれ程のダメ市長だとわかるのに、バラエティ番組しか見ていない層なのか、宗教的に支持政党以外を絶対悪とみなしているのか、平松市長を素朴に支持しているB層ってちょっと頭がアレだよねえ。
老人ホームは、現在の法制度の中では、老人福祉法第29条に規定されている。介護保険制度が成立した2000年以後、介護ビジネスに参入するには、介護を受ける老人を確保しなければならないという事で、設備投資として、老人ホームを作る事がブームになった。不動産業界と金融機関では、老人ホームバブルとすら、影で言われていたぐらいの好況が発生していたのである。
このビジネスの要諦は、要介護認定において、症状の軽い人を重症者として登録する事で、介護する手間をかけずに、満額の介護報酬を引き出すという点にある。入所者の支払ったお金は、家賃や光熱費、共益費、食費といった実費分で費消してしまうが、介護報酬分が利益となるのである。これは、詐欺行為である。介護支援専門員(Care Manager)にしてみれば、ケアプランを作って手数料を貰う以上、老人を管理しているホームの側の要求に従わないと、仕事が取れない。老人にしても、ホームに入った以上、ホームの指示に従わないと追い出される。行政が調査に来る時の為に、ボケや徘徊や失禁の症状を装う練習すらあったと聞く。
この詐欺行為がなぜバレたかというと、本当にボケたり徘徊したり失禁したりするような老人が出てきた為である。老人ホームは、元気な老人を重症者として偽装する事で利益を上げているわけで、本当に重症者になってしまったり、重症者が入所してきたりしたら、困るのである。そういう患者を追い出したり、他の施設に飛ばしたりしてごまかしていたのが、ついに入所者達にバレ、行政に密告が入ったのである。
2006年以後は、介護保険の支払い総額を抑制する為に、都道府県によって、新設数が規制されている。
介護保険を作った事が根本的な間違いなのだが、行政のやる事に間違いは無く、問題は運用にあったという事で、不埒な業者が悪いという事になり、不埒な業者が老人ホームを開設しないように、厳しい規制を課している。ここに、無届け有料老人ホームが発生する原因がある。
老人人口は増加しているし、介護が家族関係を破壊し、老人の面倒を見ていたら生活が成り立たなくなるという共稼ぎの核家族家庭も増えている。老人ホームの需要はあるのだが、新設が許可されないということで、無届老人ホームが発生するのである。
老人ホームは、老人福祉法によって規制されている。しかし、各都道府県の育英基金等が運営する学生県人寮(cf.1,2)のように、若者ばかりが寄宿する施設も、世の中には存在する。
老人ばかりでは、実質的に老人ホームとなり、老人福祉法の届け出をしなければならないが、たとえば、年齢条件を課さず、結果的に老人ばかりとなっていれば、それは、老人ホームでは無く、単なる雑居寄宿施設となる。
行政としては、設立許可を出した老人ホームが介護保険詐欺を働いたら責任問題になるという事で、基本的に、官職退職者やその関連といった、人物的に問題の無い人や、不祥事があっても出身省庁が全力をあげて揉み消してくれる人にしか事前許可を出せない。無届老人ホームが勝手に開業した後に、老人ホームとしての実体がある事が介護保険の請求から判明したので、届出を出させたという形であれば、将来詐欺行為が発覚しても、責任問題にならないのである。開業してしまえばなし崩しにできると言えなくも無いのであるが、まともな人は、認可老人ホームである事を入所の条件にする為に、無届老人ホームには、まともではない患者ばかりが集まる。そこで、ビジネスとしては死に筋という話になっているのであった。
官職退職者が、同じような退職者や現役官職者の老親を受け入れる為の老人ホームを設立し、そこで行われる介護行為にかかる費用を賄う為に、非公務員はおとなしく介護保険料を支払え、非公務員やその老親は、ボケようが徘徊しようが、介護保険の対象にはならないし、たとえなったとしても自宅で面倒を見ろ。あと、公務員関係者以外に介護認定を上げてきた介護支援専門員は、五年毎の資格更新試験の時に覚悟しろよ。という話なのである。
介護保険という善意あふれる思い付きが、結果的に、老人ホームが必要な人に供給されないという現象を発生させ、大衆を苦しめるという典型的な展開になっているのであった。
警察官は「正義の味方」じゃなくて、「役人」だと思って接しないとだめ。
彼らの行動原理は単純で、(1)自分の責任は問われたくない、(2)余分な仕事はしたくない、という順番で状況判断を行う。
「これは民事ですね」と言われて、「そうかも知れませんが・・」と引き下がると、(確かに民事事件は警察の仕事ではないので)(1)彼ら自身の責任は解除されるため、上記(2)の原則に従って、「何が何でも正規の事件としては受理しない」という方向で対応される。警察官と対応する上で必要なのは、上記(1)をスルーさせないこと。つまり、徹底的に「彼ら個人の責任問題」という点を追求することだ。
今回の例で言えば、まず絶対に「民事事件」とは認めないこと。架空請求は刑法上の詐欺事件であり、刑事事件として相談しているという点を譲ってはいけない。その上で、警察官が対応してくれない場合、「あなたは、私が現に相談している刑事事件について、特段の対応は必要ないと判断するのですね」という点を明確に確認しよう。警察官は絶対に、「はい、私はそう判断します」とは言わず、言葉を濁してくるので、そこを追求するべき。
「警察官の氏名を確認する」「氏名を教えてくれなければ、『教える必要はないと判断するのですね』という点を確認する」、「当該警察官の対応によって、被害が拡大する可能性を指摘する」など、常に「個人の責任問題」を刺激するように対応しよう。
会社法の規定によれば、1%以上の議決権か、300個以上の議決権を、継続して6ヶ月以上保有している者は、総会の8週間前までに、取締役に一定の事項を株主総会の目的とすることを請求することができる。総会で総議決権の10%以上の賛成を集められないと、向こう3年間は同じ内容の提案は出せないとある。
6月の下旬に株主総会が開かれるとすると、そのおおよそ2ヶ月前である4月の下旬までに申し立てをしておかないと、議題として取り上げられないという事になる。
この時期に提案すべき内容とは、企業献金である。企業献金は、効果があれば賄賂であるし、無ければ背任である。しかし、単純に止めろと言っても、うちだけが止めることは出来ないとなる。止めたことで不利益が発生したり、問題が発生した時に、止めた事が原因だと宣伝されたりしたら、責任問題に発展してしまう。企業の内部や、企業同士が話し合って終わらせるという事は、ありえない。
単純に政治献金を打ち切るだけでは、政治家が行政に対して圧力をかけて、金を出さなくなった企業を冷遇し、違法であっても金を出す企業を優遇するという行動を取る可能性がある。政治献金に代わる、合法的な資金提供の手段が必要になるのである。
そこで、株主提案によって、企業献金の廃止とそれに代わる資金供与の方法をセットで提案する事で、総会での決定事項として、企業に行動を取らせるという方法が浮上してくる。
企業の所有者である株主が認めているのだから、不利益が発生しても取締役会や従業員は責任を取らなくて済む。企業献金が法律で禁止される前に、献金を自主的に廃止して代替策に乗り換えておく事は必要な事であり、それは、株主が動かなければ出来ない事である。
このwebでは、政党や政治家のwebのミラーサイトを作り、その許諾や著作権使用料を、宣伝費名目で処理する事を提案している。与党や工場・営業所のある地域の選挙区で当選した現職議員のwebを、企業のwebサイトの下にミラーサイトとして丸ごとコピーして公開する事は、それらのwebを公開している政党・議員にとって、より多くの人にwebを見て貰う為の、リソースの分散確保につながり、また、ミラーサイトが政治関連だけでは、あまりにも生臭すぎるので、宣伝費の名目にふさわしい、音楽や演劇やその他の娯楽情報といったコンテンツのミラーサイトも、それなりに確保する事になる。CMを流す為にマスコミに投入していたお金の一部を、コンテンツクリエイターに直接流す事になり、大衆の信頼を失い、嘲笑の対象になっている新聞やテレビを中抜きすることになると同時に、価値のあるコンテンツに対してインセンティブを与える事になり、インターネットという国境を越えたメディアにおいて、日本の価値観や生活水準を世界に広め、日本製品や生活に対する憧れを植え付ける道具となりえるのである。
配当を増やせ、株価を上げろと言うばかりでは無く、多少なりとも建設的な議題を上げないと、何時までたっても株主は企業経営の邪魔でしかないとなるであろう。
ここで自己責任を持ち出されてもなあ。
自己責任って要するに比較してより大きな責任主体(国とかな)が請け負えるはずのものを
その責任主体下にあるより弱い小さな主体(個人とかな)が負いなさいよ、ていう話じゃないですか。
# 自己責任については、大きな責任主体が請け負う責任範囲に認識のズレがあるから議論が起こってると思ってるが。
補助に関して言えば、努力の過多は関係なく補助されるべき。それは間違いないです。
でも、例えば就業支援とか実施して職が見つかったとしても、
その先までは面倒見切れないわけで、そこは努力してくれよと。
それに加えて、今社会によって救済されるからには、
未来に社会に還元(納税とかでね。命まであけわたせって話でなくね)する責任があるんですよ。
まとめると、救済するにしても救済後の未来については救済される者が努力しなければならない。
また、責任が発生するとすれば、それは救済する社会と救済される個人の間で発生する責任問題であり、
つまるところ、自己責任ってのはどうにもしっくりこないと思いましたとさ。俺にはね。
これを受け入れられない(努力するなんて死ぬまでヤダヤダ、でもおもしろおかしく生きさせろ)人には
無償で救済したい人と無責任で救済されたい人でご勝手にやられたらよろしいんじゃないでしょうか。
(追記)ちょっと直しました。
こんな事件があったそうです…。会社はちゃんと責任問題果たさないとね。
それこそ「いじめを放置」して「改善」しないと、とんでもないことになりませんかね…。恐ろしいです…。
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愛知県安城市藤井町の自動車部品メーカー「アイシン・エィ・ダブリュ」の男性社員(23)が、勤務中の同僚のいじめでうつ病になり、自殺を考えるまで追い詰められたとして7日、同県刈谷市の刈谷労基署に労災の申請を行った。
申請によると、男性は06年12月に同僚の借金請求を断ったのをきっかけに、いじめられるようになった。ラインでボルトを締める仕事中に「臭い」や「きもい」などの言葉を連日のように浴びせられたり、仕事を男性に集中されたほか、トイレに男性の名前を落書きされた。上司らに相談や指導を求めたが、ほとんど対応してもらえず、昨年11月に精神科医にうつ病と診断されて以後、休職しているという。
担当の社会保険労務士は「業務に起因する傷病だから、労災に該当する。いじめの労災は泣き寝入りが多いので、法的にはっきりさせたい」と話す。
これに対し、同社は「この件は労災に該当しない」と事実関係を争うことを表明している。【安間教雄】
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蒟蒻畑大好きだったから
製造中止っておいおいふざけんなや
注意書きあるし、注意されてからはちゃんと喉に詰まっても空気通るようにハート型にしてるじゃないか、蒟蒻畑に罪はない、やめてくれ!とプンスカしておった俺だが、
反対派の意見を見たらちょっと気が変わった。
・いくら親が気をつけても、食わせる馬鹿がいる
・親に責任がある、ってのはそうなんだけど、それでも、とにかくこんにゃくゼリーで死ぬ子供を減らしたい。
こういう意見らしい。
責任問題以前に、とにかく罪のない子供を救いたい、いくら注意書きをしても食わせてしまうバカ親が存在してしまい、そしてそういう親のせいで罪もないのに死んでしまう子たちがいるから、それを救いたい、ってことなんだろう。「親が悪いんだろ!」ってのはこういう意見に対しては確かに的外れだ。
……でもさ。でもさー!
やっぱり「だから製造をやめようぜ」は違わないか!?
それじゃバカにあわせて俺たちは常に動かないといけないのか?!それでいうなら、「子供に食わせるなって書いてあるのに食わせた親は逮捕な!」の方向でいくべきじゃね?子には罪ないが、蒟蒻畑にだって罪はないぜ!
蒟蒻畑食いてーよ…
責任問題じゃないんだ
実際俺も害を被るから困るんだ
「お前のせいだぞ!」「……」ってなったところで被害は取り消せないんだー!
なるほど、勉強になりました。
まず「テクニカル」という語用につきましてはこちらも安易に
使い過ぎていたと思います。訂正いたします。
政策形成は、どういう形であれ結果的に社会的な効果として起これば
裁判官としては、確かに1回の判決というプロセスにおいてであれば、
政策形成を意図したとなれば問題がでて来てしまいますね。
親の責任問題は認めているので、
このケースですとカプセルのサイズ安全基準「3.1センチ」に対する判断が、
安全基準(確かメーカーの自主的なものだったと記憶しているのですが)
として是か非かという点が、裁判としての論点では中心ということになるでしょうか?
[はてブ]2006年12/31までに指摘されたはてブに関する問題まとめ
はてなブックマーク - [はてブ]2006年12/31までに指摘されたはてブに関する問題まとめ
その他の参考
今日のCNETの記事へのブクマの集まり具合からもわかるとおり、夏以降にリリースされる新はてブへの期待は高まっている。その期待の中には、現はてブにおける既存の問題がどれくらいクリアされるのだろうかという期待も含まれている。ということで、2006年12/31までに指摘された、はてブに関して、問題と指摘された事項まとめてみた(観測範囲の都合上、全部はフォローしきれていない点はご容赦いただきたい)。現在までに、これらの問題に対しては多くの方が考察済みで、問題とは言い難いものもあるし、システム的にはどうしようもないユーザの姿勢に依る問題もある。また、現在までにシステムとして対応済みのものも含まれている。
今夏に新はてなブックマーク登場--その進化と情熱:インタビュー - CNET Japan
http://japan.cnet.com/interview/story/0,2000055954,20372715,00.htm
■システムに関する問題
■人気エントリに関する問題
■コメントに関する問題
■お気に入りに関する問題
■その他の問題
コンテキストを無視して言葉の一部分だけを見て、この部分は正しいなどと論ずるのは大間違いだよ。凶悪事件の話に続けて問題の責任に言及をすれば、事件に対する責任問題を言っているのだと捉えられるのが自然だ。
この増田は俺の文章が「文脈を無視して言葉だけ捕らえようとして批判している」から被害者の責任問題をいっていると言っているわけだが、その点こそ俺が指摘した、目をそらす行為なんだよ。
俺が「被害者が悪い」と言っているのか、「被害者にも落ち度がある(から、被害者になりうる人も気をつけよう)」と言っているのか、それは文を読めばわかる。だが、彼はコンテキスト云々を持ち出して、俺(のような人間は)批判されて当たり前とする。
コンテキストを無視して言葉の一部分だけを見て、この部分は正しいなどと論ずるのは大間違いだよ。凶悪事件の話に続けて問題の責任に言及をすれば、事件に対する責任問題を言っているのだと捉えられるのが自然だ。
そして、その後で一般論として言ったと言い訳をする行為も、全体の文脈で見れば、凶悪事件の話の文脈の途中で責任論をすげ替えた者の意見なのだという風に捉えられるのは致し方あるまい。
コンテクストと無視した自分のせいで信頼を失ったのだから、分かり合うためには信頼回復のコストがかかる事を覚悟するべきだ。それに不満ならしっぽを巻いてその場を去れ。
そういった論って、よくあるけども、いつも不思議なんだよな。
なぜ「成人したら」ダメなのか?なぜ20歳になった瞬間から、親のせいにしてはいけなくなるのか?
逆にそれまではある程度許されちゃうわけだろ?
19歳なら許されて、同情されて、それは親が酷いよ、なんていわれたりするところを、20歳になったら突然「お前はお前、親は親、もう親のせいにするな」って、何故なんだ?
ああ、言っておくけど、別に反発してるわけじゃないし(同意してるわけでもないけど)、君にどうこういってるわけじゃない。こういう論ってよくあるから、君に特別向けていってるわけじゃなくて、この「一般論」に対する疑問ね。
最初から、「親のせいにするな。親は親で子は子だ。関係ない」というなら、分かる。同意するかはともかくとしてまだ言い分は分かる。3歳だろうが、9歳だろうが、19歳だろうが、34歳だろうが、「親は親、子は子、関係ない」というならそれは分かる。
あるいは逆に何歳だろうが「子の思考・性格は親に責任がある」という言い分も同意するかはともかくとして分かる。
でも成人したら親は親、子は子なんだ、それはいいわけになるんだ、ってのは分からん。
「普通するもんじゃない」とか「中学生みたいだ」とか、それは論理的には何の意味もなさない、個人的な感情的な言い分に過ぎない。
しかしそれにも関わらず、なんとなく世間にそれが通用してしまっているというのが一番不思議だ。論理の欠片もないこのおかしな言い分で一体何故納得してしまうのか、あるいは、納得せざるを得ない雰囲気が流れてしまうのか。こういった論理的には意味がない言い分であるのに、なんとなしに言われたほうは何も言えなくなってしまうような言葉というのは「世間」「多数派」を盾にし自分は後ろに隠れ隅からやりで刺してくるようななんとも言えない卑怯さを感じてしまう。これをだしときゃまず何もいえまい、というような卑怯さというか。なぜなら何かこれで相手が反論してきても、もう「ほらこうやっていつまでも子供みたいに屁理屈こねる」みたいにしてしまえばいいからだ。「いい大人が」とか「成人にもなって」と言った言葉にはそういう負のパワーがある。論理的には何も成していないのに、何となく「成人なんだから」とか「いい大人が」を言えば、いくら論理的に反論したところでそれは「子供じみた屁理屈」に変化する。何をどうしてもこれを言った時点で勝利が決まり、大人目線、上から目線で「なっていないガキ」を思う存分説教できるという空気が出来上がる。実に不可解で不思議だ。
仮に子の人格形成に親はかなりの影響を及ぼし、かつ人格というのは幼児期から学生時代辺りまででほぼ決定してしまうというならば(20歳まではいいけど20歳超えたらダメだ、というこの論からしてこの仮定は前提として認めているんだろうが)、ある年齢を超したらもう親に責任は無い、というのはもうこれはかなり解せない。一体どういう理屈ならそうなるのか。時効的な考え方なのか?それにしたって早すぎやしないか?せいぜい、時効を設定するにせよ、その「子」が「親」になるまで、ぐらいが妥当ではないか?昔ならば20歳でよかったのかもしれないが。
そもそも、親は子の人格形成に影響を及ぼさないし、幼児期や学生時代の人格はあまりその後に関係が無い、という主張ならば(その是非はともかくとして論理的な理屈は)分かるが。上の仮定を認めた上で、「成人になったらダメだ、子は子だ、親のせいにするな」というのは分からない。
あるいは「そんな事言ったら親になるの超大変じゃん。だから便宜的に親にはそういう責任は追及しないって方向にしようよ。大体その親たちをそういう人間にしたのは更にその上の親で、みたいに話が終わらなくなるし」という物事の根本、論理的な理屈とは関係の無い「そうしないと事が進まないし」的な便宜的な言い訳なのかもしれない。なんにせよ論理的には全く理屈になっていないのではないか。つまりこの「子の人格形成についての親の責任問題」は、「成人過ぎたら親は親!子は子!そういうもんなんだ!」でなんとなく決着がついているようで実は全くついていない。この言い分は対症療法的なもので、根本の問題からは目をそらし続けている。一体親はやはり責任があるのかないのか、その辺はいつも「オヤジ的説教」でぼやかされている。俺はそこが知りたいと思う。
「そんなところを追求したところで、結局その親を責めたってどうしようもないし、自分が変わるしかないじゃない」とかそういう対症療法的な言い分はとりあえず別問題である。是非がどうのではなく、全く別だ。一体責任があるのかないのか。そしてなぜそこをぼかすのか。「20歳過ぎても親にそうした人格にしてしまった責任はあるよ。あるけど、でもいちいちそんなこといってたらなんてーかキリないじゃん?だからしょうがない」的には絶対言わず、前半の責任の有無についてはぼかし対症療法的な事しか言われないのは、逆に、その「責任の有無」について本当は後ろめたいところがある、つまり本当は親に責任があると思っているからこそ言えないのではないか?もともと人格形成について親に責任はないのだ、と思うならそれを言ってしまった方が早いわけだ。
結局皆、思ってんじゃないのか、人格形成は親のせいだって。
20歳云々は便宜的な意味でしかないんじゃないのか。
まあどうせそういう便宜的な案をとるんなら、俺としては「子が親になるまで責任はある」くらいがまだ妥当な気がするけどね。だって20歳ってまだ大半は学生だよ?早すぎだろ。子が親になるならば、「もう自分の事だけでなく子のことも考えねばならないからいつまでも自分の事を親のせいにしていられない」とか説明しやすくなるしこれを採用すれば「そんなこといったらその親の責任はその親に」というどんどん祖先のせいになっていく現象も止められるしね。「20歳になったんだから」式だと否応なくそうなってしまうけれども「親になるまで」式ならば自分の意思でそれを決断する分、覚悟も出来やすいし反発も少ないだろうしそもそもこれから親になろうって人間がもうそんな悩みを抱えていそうにはないしね。あと実際、子が親になったら物理的に子の方に親のいない新しい家族が生まれて親は親で子がぬけた新しい家族が出来るわけだから、「親は親、子は子だ」も納得しやすいと思う。
だからどうせこういう論をぶつなら「20歳になったんだからもう親は親、子は子だ」より「子が親になったら、親は親、子は子だ」の方がいいと俺は思いますがどうでしょ?