はてなキーワード: 機構とは
取り返しがつかなくなる前に気付けるといいけど、無理かもなあと思うよ。
ものすごーく単純化して言うと
いいとこどりに成功したケースってあるのかな?
最近知りたくて仕方が無いことがあるんだ。
「怒り」っていう感情の状態があるじゃない。 英語ではangerって翻訳される、顔が火照ったり声の抑揚が不安定になって声色が攻撃的になって、緊急に対策が必要だってシグナルをだすときのあれ。他人が怒ってるときはまあ当たり前だけどわかるんだ。
でも最近、俺は怒り方がわからないって気づいたんだ。 怒った記憶も無い。俺は別に仏でも恵まれてるとかボンボンそういうのでもない。 というか抑うつで寝込むことが多い。
・・・多分怒りってのははけ口として、メンタルヘルスの免疫機構として作用してるものなんだと思うんだけど、俺免疫不全なんじゃないかと疑っているんだ。
何がどういうときに「よし、今は怒るときだ」って思うんだろう? どうやって「怒る」んだ? 日本語と英語でググってみたけど、入門っぽいものはなくて、Wikipediaで「原始的な感情」とか見つけて凹むだけだった。 きっと、「怒る」っていうものを禁じられてきてたんだと思う。 家は色々問題があるから・・・
今免疫をきちんと機能させないと本当にヤバい状態なんだ。
どうやったら怒れるんだろう? どうやって足がかりをつかんだらいいのかな?
株価の低迷で含み損が発生していて、本業の利益を全部食われてしまっていて、赤字決算になって役員賞与が貰えないという事で、株価を公的資金で維持して欲しいという主張である。無論、こんなに正直には言っていない。建前として、金融機関の自己資本比率が低下して融資ができず、資金繰りに困って倒産する所が出てきているから、株価を維持する為に銀行等保有株式取得機構のような仕組みで、公的資金で買い上げろとしている。
しかし、失われた10年の間、ダム論で企業を優遇しても、景気は回復しなかったし、融資も商工ファンドやサラ金といった、高金利の性質の悪い所が増えたばかりで、金融機関は、国債や地方債や外債を買ってばかりで、融資なんてしていなかった。不動産デベロッパーですら、外資系金融機関からしかファイナンスができなかったし、外資系金融機関がクレジットクランチを起こした後は、資金がショートして、未完成物件の投げ売りやら民事再生やらでごたごたしている状態にある。
こんな状況でPKO(Price Keeping Operation)を再びやってくれというのは、持ち合い株の含み損を減らしたいというだけでしかない。
そもそも、金融機関や事業会社が、他の企業の株式を抱えているという点が間違っているのであって、株価の低迷で持ち合い株の含み損が発生し、決算が軒並み悪化して、さらに株価が低迷するというスパイラル現象は、株式の持合によって状況を悪化させているというだけでしかない。株価の低迷が原因であるが、それを、自律的回復が難しいほど波及効果を発生させてしまうようにしたのは、持ち合い株という手法を選択しているからでしかない。
時価会計以前は、持ち合い株は簿価で帳簿に載せられ。株価が上昇している時には、簿価を時価にして益出しするという手口で、本業の失敗を糊塗できていた。それを覚えてしまっているのであろう。そして、与党株主を増やすのにも、株式持ち合いは有効であった。
株主と向かい合う事を避け、過去の成功体験にしがみついているから、こういう発想しか出てこないのであろう。
公的資金で株式を買い上げた後を、どのように考えているのであろうか。企業の国有化が望みなのであろうか。買った株式は、いずれ、市場に出さなければならない。買った時以上に株価を引き上げるには、無能な経営者・管理職の首を切り飛ばすのが、まず重要である。公的資金で株を買え、でも、株主権は行使するなというのであろうか。だとすると、公的資金で株を買う以前の問題として、そのような企業は市場から退場させるべきとなる。
昔の経済人には、国家を支え人民を食べさせているのは我々だという矜持があった。政治や行政は税金で雇っている召使いに過ぎないと言う、プライドと実力があったのだ。税金からお仕事を貰い、規制や許認可で参入障壁を築いて縄張りに汲々とするような小商人ばかりになってしまったのは、どこで間違えたのであろう。
よく家とかでさ、「ヨーロッパ風に仕上げました」とかあるけどさ、みてみると全然ちがうっていうのあるじゃん?
ヨーロッパ風って具体的にどこの地方のいつくらいのもんなのよ、っていうの全部適当で、しかもそれの超劣化コピーばっかりで。
だったらさ、機構的に合う合わないとか予算とかあるかも知んないけどさ、向こうの家で売りに出されてるの分解して持って来て
こっちで組み立てるとかさ、図面から徹底的にコピーして寸分違わぬように作り上げるとかできないものかねえ?
それができないならやらなきゃいいのに。
和室とかだってそうだよな。江戸のいつくらいの武家屋敷がモデルなのか、そのころの建築様式はこうで、こんな素材がこういう工法で作られていて、とかさ。
そもそも和室なら室だけじゃなく家全体を武家屋敷みたいにしないとつじつま合わんだろ。ちゃんと作ろうとしたらさ。
巷のPerl Mongerな人たちの間で話題の『モダンPerl入門』を読み始めた。
第1章はオブジェクト指向のトレンドの話で、とても興味深く読んだのだが、同時に「なんでこれPerlで実装せなあかんの?」と疑問に思った。ていうかオブジェクト指向やりたいならJavaやC#でいいじゃん。
継承という基本的な概念もないし、コンストラクタなんかも用意されていない。ゆえに、MooseとかのCPANモジュールを使って実装しなければいけないのだけれど、その分敷居が高くなって初心者には判りづらい。初心者でも現場に投入できるような、強力なオブジェクト指向機構が用意されているJavaやC#といった言語、StrutsやASP.NETといったフレームワークなんかとは全然違う。
私はメインがPHPとASP.NET(C#)という人間で、Perlはバッチプログラムとかクローラの実装とか雑用処理なんかに使っている。PHPは小規模プロジェクトでアジャイルな開発がしたい時、ASP.NETは大規模プロジェクトに呼ばれた時用の懐刀という感じで使い分けている。PerlでWebサービスを作ることももちろん出来るけれども、どちらかというとスピードが優先される開発に用いるものだと思うし、OOPを用いた大規模なプロジェクトにPerlを使おうとする理由がよく判らない。無駄に難しいし、そもそも本書を読めるレベルでPerlを理解している人の頭数がかなり少ないだろうから、実装しても保守コストがやたらかかる。Livedoorやmixiやはてなのような大規模サイトはPerlで動いているようだが。。。
『モダンPerl入門』は内容も書き方も素晴らしい良書だけれど、その辺りが引っかかった。「PerlでOOPを使う理由(APS.NETやStruts+Javaを採用しない理由)」は何なのだろうか? 私のプログラマーとしてのスキルが低いだけだと思うが、よく判らないので誰か教えてくだしあ。教えてダンコーガイ!
それよりキーワードになってる単語含む文字列使ったリンクの記述に骨ぼきぼきってなったよ。増田さんちょっと来ない間にどうしたの。あ、まずっぱい。
これねー、色々大人の事情があるらしんだわ。
発端はhttp://anond.hatelabo.jp/20090119011950とか、タグを閉じないで遊ぶ増田ちゃんがいて、
それをどうにも腹に据えかねた増田様がhttp://anond.hatelabo.jp/20090120165220なるエントリを挙げたもんだから、http://b.hatena.ne.jp/naoya/20090120#bookmark-11744130とかって対策されたんだけど、
たぶん使ったHTMLを正規化するライブラリがASCII以外を数値文字参照にするようで、http://anond.hatelabo.jp/20090121091528の様に携帯からみれなくなったり、キーワードを含むページが化けたりした。
それで、その流れと関係あるかは分からないけれど、おそらく文字実体参照を含むキーワードに関するバグを直すためか、
http://anond.hatelabo.jp/20090126170135みたいに文字化けするバグ(トラックバックツリーの欄に痕跡あり)を経て、
キーワードリンク関係の処理機構が変わり、http://anond.hatelabo.jp/20090128194522のような状態となり、
更に、http://anond.hatelabo.jp/20090204012513の指摘を受けて、数値文字参照はデコードされるようになって、
http://anond.hatelabo.jp/20090205205616の状態に落ち着く事となったらしい。
ばら撒きをいくらやっても景気は回復しないのだが、ばら撒く事しかできないと、視野狭窄を起こしている。サラ金地獄に陥った人が、目の前の返済日をクリアする為に、より高利で条件のきつい金融会社を探し、融資を受ける事で仕事をしたつもりになってしまうのと同じで、本質的な解決策が見えなくなっているのである。
ド田舎の選挙区に公共事業や農業補助金をばら撒けば、票と資金を掘り起こせるから、選挙対策になるという見込みもあるのかもしれない。しかし、そのようなやり方では、借金が増えるだけで、それらの地域の担税能力が成長する事はない。この、無駄なお金のばら撒きこそが、国民が批判し、改革を求めている部分であるのだが、見えていないようである。
国民が求めているのは改革である。しかし、小泉後の総理総裁は、改革の担い手としては、今一つであり、ついに、改革を見直すと公言する首相まで出てきてしまった。
改革の痛みをやわらげるという主張から、改革に反対だったとまで、ニュアンスが変化し、それに伴って、国民の支持率も変化している。
戦後60年間かけて作り上げられてきた制度の、方向性を転換しなければならない状態にあるという基礎的な認識が無いから、改革の痛みとか、反対だったという主張が出てくるのであろう。
官僚機構を始めとする既得権益層は、方向性の転換をしたくないし、何かをしなければならないのであれば、小手先の無意味な変更で終わらせるとか、変更した結果、国民にしわ寄せが行くように骨抜きにしておいて、改革に反対の意見を作り出さそうと企み、いくつかの分野においては成功している。それらの成果を真に受けて、改革を修正すると主張するようになれば、抵抗勢力の対策に乗せられてしまっていると評価するしかなくなる。
自ら倒れていく内閣に、わざわざ倒閣運動を行う必要はない。むしろ、次の首相の用意が整うまで、今の内閣を倒れないようにしなければならない位である。
で、問題は、次の首相なのであるが、誰が良いかねぇ。アメリカの国務大臣が日本に来るようだけど、自民党の議員で面談する人の中に、次の首相となる人が居るかもしれんね。
http://anond.hatelabo.jp/20090120003918
神の存在以外にも根拠や説得力の無い身勝手な放言がよく見られるしなあ。
ここで私がちょっと引っかかったのは、「科学の進歩は人類の利益になる」と言うのが、当然のこととして考えられているという点。
私にとっては先の前提が既に宗教のように感じられる。それって本当なの?根拠あるの?
科学の進歩というのはつまるところ蓋然性調査の進捗であって、それが人類の可能性を広げる。もちろん自分の首を締めるのにより安易にできるロープをも提供するから、それを検出したり防止したりする方法も開発していかねばならないが。
効率よく生産する可能性を手に入れた。肉体的に楽をする可能性を手に入れた。
極端なことを言えば、交通機関が発達したために人は歩くことを忘れたし、
別に歩けなくさせたわけじゃない。今も散歩を嗜む人は多い。
こういった問いは、これから先も中二病として処理され続ける。人によっては、こんなこと馬鹿馬鹿しくて考える気にもならないだろう。
重要な問いだし恐らく社会は「科学者なら答えを見つけておくべき」と期待しているだろう。
技術倫理が破綻しているとみるならばそういう結論になるけど、私はそうはみていない。
「(可能な限り)蓋然性研究結果で何とかする」というのは当たり前ではなかろうか。
こんなことを書いたところで、もう後戻りできないところまできているのは分かっている。
敢えて蓋然性がわかってない事で以って各種問題の解決に当たれと?それが許されるほど呑気な問題だけじゃないような。
科学哲学そのものに宗教的な要素があるとすれば、斉一性原理や因果律とかかな…。
科学と言う手法についてじゃなくて、科学を使っている人について。
理系の学部にいると、分野によって多少の差こそあれ、社会との関わりを考える必要が出てくる。
研究のプレゼンでは、その研究が社会にどういう風に役に立つのか説明しないといけないし、
ここで私がちょっと引っかかったのは、「科学の進歩は人類の利益になる」と言うのが、当然のこととして考えられているという点。
宗教を毛嫌いする人って、多分「神の存在には根拠が無い、科学的でない」と言うところで否定していると思うのだけど、
私にとっては先の前提が既に宗教のように感じられる。それって本当なの?根拠あるの?
「現在の社会が繁栄しているのが何よりの証拠」と言われるかもしれない。しかし、私は納得しかねる。
人間の多数派が、効率よく生産し出来るだけ肉体的に楽をするために「科学」と言う価値を選択してしまったと言うだけの話だ。
極端なことを言えば、交通機関が発達したために人は歩くことを忘れたし、
医学が進歩したために死に方を忘れ、ネットが普及したために人との関わり方を忘れた。
科学は無から有を作り出した訳ではない。何かを変質させただけだ。利益を生み出したように見えるだけだ。
こういった問いは、これから先も中二病として処理され続ける。人によっては、こんなこと馬鹿馬鹿しくて考える気にもならないだろう。
技術者倫理は自らを省みる機構としてはもう全く機能していない。
講義で話されたのは、環境や人命に対する責任だけだった気がする。少なくともこのような問いは無かった。
こんなことを書いたところで、もう後戻りできないところまできているのは分かっている。
つぎはぎにつぎはぎを重ねて、この国の道路のように人間は歴史をつむいでいくしかない。
ああ、タイトルは「科学が一種の宗教に思えてならない」だった。なんか支離滅裂な内容になってるな。
確かちょっと前、「人類の敵は宗教だ」ってのがあったけど、なら「人類の敵は科学」ってもいえるんじゃないかなーなんて。
これをオチにしてくださいorz
高速道路の有効活用・機能強化について
高速道路の有効活用・機能強化に関する計画(案)について、高速道路会社及び機構により、パブリックコメントが開始されます。
(1)「生活対策」として当面平成22年度までの取組み
(2)高速道路の有効活用・機能強化を図るため約10年間の取組み
- 「安心実現のための緊急総合対策」として講じた措置の効果的な運用(実施中)
- 大都市圏の料金施策(環状道路への迂回誘導等)
- 一般有料道路、特別料金区間等において利用転換を図る引下げ 等
- スマートインターチェンジの増設
◇ あわせて、以下の取組みが行われる予定です。
[1]ETC普及促進策の推進(車載器購入者への助成等)
[2]高速道路会社による企画割引の実施
DENPA!!!行って来ました。
ここ5,6年で一番いいpartyでした。
掛け値なしに楽しい!!!
昼間っからやってるのも健康的(←こう書いて「おっさんに優しくて」と読む)で◎。
内容、客層、ロケーション、料金すべてに満足できる、レベルの高いイベント。
ここまで"熱い"のは昨今ではかなり珍しい。マジおすすめ。ちょっとでも興味のある人は、一刻も早く行くべき。
とまぁ、ここまで書いて小休止。
自分は↓これ書いた人。
http://anond.hatelabo.jp/20081223011009
自分語り(補)
http://anond.hatelabo.jp/20081223215937
自分語り(転)
「良いイベントだなー。こんな良いイベント久しぶりだー」と強く思ったのですが、
どうも悶々とするものがあり、それをこの2日間考えてました。
んで、marquee ( vol.70「次世代ファンタジー特集」に電刃の特集あり) とかユリイカ増刊号『初音ミク』とか買って
まだわからなくて悶々としてたんですが、主催者の"点と線"さんのブログを見つけてちょっとわかった気になったのでコメントします。
以下はアリバイとして書き残したい文章。もしかしたら読む人によっては不快に感じるかもしれません。
でも、申し訳ないけど気分を害すような文章をアップします。
(なので過去の『自分語り』で不快に思った人は読まないで下さい。)
冒頭の佐々木渉氏へのインタビュー『生みの親が語る初音ミクとアングラカルチャー』が抜群に面白い。
これだけで1,200円出す価値があります。今現在、初音ミク関連の資料として最も価値のあるものじゃないでしょうか)
きちんと書いてる暇がないので。
では先に進みましょう。
//////memo//////
[前提]
自分語り133 - DENPA!!! 「超ライトオタク」 言説
http://www.technorch.com/2008/12/133---denpa.html
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html
慟哭 (3)
http://web.soshisha.com/archives/otaku/2006_1019.php
栃内新,左巻健男 編『新しい高校生物の教科書』講談社ブルーバックス,71頁より
[目次]
1.「慟哭 (3)」を読んで
3.人類知に帰ろう
4.あなたはどう思ってるの?
6.参照元
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1.「慟哭 (3)」を読んで
慟哭 (3)
「あー、デュシャンか。理解理解納得納得」って感じです。
こう言ったら失礼(ネタバレ)かもしれないけど、電刃はデュシャン - ウォーホール - 村上隆のラインの音楽・ファッションverなのねと。
この流れだとたしかに「○○論」は確かに意味を成さないっす。「意味を成さないように働く機構」という罠・舞台装置だから。
(便器語ってもしょうがないし。まぁ、人類史上もっとも「すごい」便器なんだけどw)
次のエポックメイキングな事象はアキバのホコテン復活の時かもーとか妄想しちゃいました。
(補)
レディ・メイド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%89
「泉」に関する個人的な解釈は、「心のヒダへの"effect"を芸術とするなら、
便器にサインして展示会に出しても芸術作品として"アリ"なんじゃね?」と提案している作品。
デュシャンは「美術を"effect"とするなら、『美しい』でも『怒り』でも『恐怖』でも何でもいいじゃん」と
「美術(芸術)」を「拡大解釈」できる素地を作っためっちゃ偉大な人。
(それまでは「真善美」を追求するファインアートが主流だった)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88
ウォーホールは「キャンベル缶も芸術作品じゃね?」と言った人。
(余談ですけど、村上隆は美術史的「文脈」をきちんと押さえてるから海外で評価が高い。
美術史をちゃんと踏まえ、理論として一貫しており、装置として実際に働くから「海外の美術界」では評価されています)
ガイジン「あー、そうかもそうかも!!」
(電刃は村上隆と違って商売っ気が今のところなさそうに見えるから、反発(というか"やっかみ")も少ないかもしれないですね。)
(ニコニコではちょっとあるみたいだけど)
(補の補)
電刃は「オタク等々を拡大解釈させる"装置"である」と言いたいだけ。
電刃を「芸術作品だ」とは言ってない。「芸術作品」という評価は「解釈が拡大する運動性」において無意味。
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html より
はてな民に対しては「気持ち悪い」かもしれませんが、
ホントは「パラレルワールドで幸せそう?に学校に行くシンジ(を描いた庵野監督)」が正解じゃないですか?
(「気持ち悪い」は悪い意味ではない。↓参照)
映画エヴァンゲリオンの最後、「気持ち悪い」ってどういう意味?
http://news4vip.livedoor.biz/archives/50801624.html
俺は電刃行って目の前ですんげぇかわいい長門がぴょこぴょこジャンプしながら踊ってて、
それ見ながらガン踊りできる幸せに絶頂を迎えそうになったけどなー。
「現実」を住みやすくする手立ては、陳腐な言葉(≠「仲良く」)の中にすでにあるのになぁと。
「アメリカヲチしようぜ!!」でいいような気がする。オバマ的な意味で。
(別にEUヲチでも構わない。もちろん)
3.人類知に帰ろう
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html より
正直なところ、その違いって、テクノウチ君の考察のように参加者が共通してポジティブかどうかじゃないかなとw
それで終わりじゃ駄目なの?むしろw。
(中略)
僕や参加者がそうだと言ってるんだからそれでいいじゃないと思うんだけども、
それでも解釈(知的経験の枠)の媒介を人は要求する社会学の囚人なので、
僕なりにそれ用の答を探求してみたんですが、もとよりそんなつもりはないので嘘はつけないなあというどうしようもない始末。
庵野監督が『気持ち悪い』でEVAを終わらせた心境から遠くはないです。
(関係ないけど社会学部だった僕の卒論は「社会学は永遠に社会そのものを追い越せない」というものでした)
(中略)
これは大変ありがたいことですが、DENPAはアカデミックな言説に幽閉されるよりも、ただ好きなものを好きという幼児的で野蛮で原始的な本能に基づいているのも事実です。それもコンプレックスをいだかず堂々と。
僕らは学論の探求ではなくエンターテインメントの探求をしている。
不恰好でも感動はほんものだ。
そのシンプルな行為がこんなにもやりにくく、珍しがられる時代になってしまったんだなあ
と感慨深くなりました。
marquee(vol.70)「次世代ファンタジー特集」より
文字打ちが大変なので割愛。
「アート(引用者注:「学問」という意味も多分に含まれてる)はどこに行き着くために問い続けてるかわからない」というインタビュアーの質問に対し
点と線さんが社会学のフレームで世の中をすっきり見れるように、
若い子にもその手段をゲットできるような仕組みを作ってあげたいなーと思ってみたり。
年下の子に「学問楽しいよー。いや、むしろキモチイイとすら言える!!」としか俺はまだ言えてないけど。
(カウンターカルチャーであるはずの「学問」が、「幽閉」する機構として働く日本の異常性がアレなんだよなぁ)
学生運動とか創価学会とかオウムとかプロザックとかと変わんない気がします。
最近は「死なない程度の失敗ならおk(死なない程度に納めよう)」という考えの人多し)
鶴見済ですら
http://tsurumitext.seesaa.net/category/3920016-1.html
と言ってるのだから、たとえ手詰まりでも「ポジティブであればいい」とは言わない方がいいんじゃないかなーと思ってみたり。
まぁ、アメリカとかEUは全然手詰まりに見えないので、「手詰まり」こそが共同幻想な気がしますが。
(個人的にはバンクシーみたいな手法が好き。愛しつつコケにする系。音楽だとBUBBLE-Bさんとか)
バンクシー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC
BUBBLE-B / アムロケット
4.あなたはどう思ってるの?
オタクって何?
オシャレって何?
疑問に疑問でお返しします。
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「面白い」とか「なかなかのもの」とか言ってくれた人ありがとう。
全レスすると「キモイ」とか言われちゃうので、指摘してくれたコメにのみ応答。
clonicle 言っていることはまっとうだが、「ジャンクフード」(=人によっては取るに足らない虚像)だと発言することでテクノウチを決断主義者に仕立て上げるのは悪質
「決断主義」って言葉の意味を調べましたが、よくわからなかったです。
fuldagap「「ジャンクな物でも『おいしい』と感じる人が大半になったよ』って書いてあるだけだよ?」が微妙に誤読な気も。「化学調味料うめえ」じゃないかなーとか。総じて現役/引退オタクの自己正当化合戦に見える
そうです。たしかに「化学調味料うめえ」なのですが、
化調まで抽象化しちゃうとかえって伝わりにくいかなーと思い「ジャンクブート」にしました。
(「化調」に対応するのが「ビート」だけになっちゃうので。音楽的広がりが欲しかったので「ジャンクフード」と表現しました)
fuldagap 「全員「アツイ」から、濃淡は金・環境・時間の差でしかなかった」ってのは「アツ」くない人が見えにくかった時代がゆえの偽史だと思うなあ
「『おたく』とアイデンティファイされるようなファナティックな人々」が母集団ですから。
y_arim ぼくの知る限り、昔だってヌルいひとはいた。だけど時間の経過とともに彼らは「卒業」し、一貫して熱かったひとのみが生き残った。すると「昔は誰もが熱かった」という言説が生まれる。「元ヌルオタ」をどう語るか?
(『タイム・マシン』のエロイ的な意味で)幸せで「語り」に対してモチベがない人々に無理に語らせなくていいのでは?
ジャンプの発行部数見れば、「いた」ことはわかりますから。
mkd5 オタク 「おたく」のうち岡田氏の守備範囲が「オタク」となったってことかなあ/「(淡から濃に行かない奴は、そもそも「おたく」と呼ばれていない)」これがヌルオタなのでは
「ヌルおた」は言語矛盾を引き起こしますが、「ヌルオタ」は新語なので好きに定義しちゃってください。
『竹熊健太郎氏との対話(1)』での解説が一番しっくり来るのかなぁ。
「おたく全般」にまで広げちゃっていいのかどうかはまだ自分として決めてないです。
6.参照元
は文字数制限を避けるために↓こっちに移動。
http://anond.hatelabo.jp/20090115000935
おまけ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1756156
フック
(追記)
ああ、そうかそうか。書きたいこと書き殴ってたらレポ忘れてた。
"DENPA!!!"に行ってきたよ。
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20090113/p1
お三方とそう変わらない印象。
3Fではアニソン流してカラオケノリでオイオイって感じ。2Fと3Fの交流はぼちぼち。曲や3Fの込み具合次第かな。
ロンドンナイトは行ったことないけど、普通のライブとか新宿で昔やってたグルービー・ロックキャラバンとかと相似。
僕は2Fで「普通に」踊って楽しんでました。
テクノウチさんの時間は、3Fのお客さんが大挙していらっしゃいましてまったく踊れなかったので、僕的には一番…w
NHKの方(ETVのカメラマンさん)は「アンディー」かなーっとちょびっとヲチしてました。
(こっそり追記)
metamix きちんとオーガナイズされてる良イベントだっていうのは分かったけど、
その先があるのかどうかをもっと知りたい/クラブピーポーには文化考証なんてどうでもいいんですよ。
要はその現場があるかどうかだから。
「その先」「現場」ってのがどんなものをイメージしてるかにもよるなぁ。
「Dir en grey」なのか「RYUKYUDISKO」なのか「初音ミク/ニコニコ」なのか「third summer of love」なのか。
「超ライトオタク」や「越境」云々は主催者も意図してない(?)「バズワードでのプロレス」(@inumashさん)なんで、
どの層がたくさん「ひっかかる/ひっかかってる」かにもよるかと。
(まぁ、お客がみんな「かっこいい/かわいい」と書かれているってことは、
ちょっとキモ目の"いわゆる"「おたく/オタク」はあまりいないってことでもあるような気がするのはきっと気のせい。)
(昔に比べて非寛容な人が減っただけのような気がするのもきっと気のせい。)
【佐々木渉】 三年くらいしたら「初音ミク?そんなのもあったね」で良いんですよ。(中略)
まあウチも営利団体なのでもしかしたらヴァージョン・アップ版とか出すかもしれませんけど(笑)。
ただ、引くタイミングは考えないといけませんね。初音ミクにまで泥を塗って、
グダグダと退いていくようなやり方は、やっぱり不味いので。
ユーザーさんからも「『ぷよぷよ』を作った会社(株式会社コンパイル)が辿った末路を、よく調べておいて下さい」という
(独り言)
「働きたくても働けない人」ってのを聞くたびに、なんかもやもやとしたものを感じる。
能力を得ることが出来たそれそのものがラッキーだったのだ、との意見も分からなくもないが、
実際問題として、職場に使えない奴が居るのは御免被りたいのも本当じゃなかろか?
働きたいのは分かる、家族を養う必要もあったりするだろう。
でも、その人が居ると効率が下がるって人は一定数いる。
言ってしまえばその職に向いてないわけだが、再出発と簡単に言っても、そういう人って同じ職種に就いても駄目な気がするんだ。
職能開発とか言っても、職業選択の自由ってのもあるわけで、バランス難しいよな。
別の視点だと。
社内仕様に特化した仕事能力しかなかった人とかが、リストラされるときつそうなんだよね。
その社内では問題なく仕事できても、他社では何も出来ないとかさ。
必要とされる能力が無いから再出発できないのだけれど、じゃその能力を何処で手に入れればいいのか?
未経験などの中途採用者を一から教育しようとしない企業が悪いのか、訓練機構が貧弱な国の施策が悪いのか?
両方なのかねぇ。
街頭インタビューとかで「最近の政治について・・・」的な質問の回答に「誰がなっても一緒って感じ」ってのがある。
で、「誰が(首相に市長に議員に)なっても一緒でしょ?」っていろんな場面で聴く。
でもさ、よく考えたら「誰がなっても一緒」って超すげーよな。もしほんとに「誰がなっても一緒」ならこんな凄いシステムというか仕組みはない。ある意味「理想の仕組み」だよ。
職場に置き換えて考えてみるとその凄さがわかる。完璧に安定した運用があってそれが完璧にマニュアル化されて初めて「誰がなっても一緒」ってことになる。ちょっとすげー。
確かに「誰がなっても一緒」って言葉は閉塞感の現れだとは思う。しかし同時に如何にこの国の統治機構が(そのアウトプットの良否や将来性はさておき)仕組みとしての完成度が高いかってことの現れでもあると思う。
ここまで完成度の高いシステムだったら、改修はもう無理だ。
リプレイスするしかないとおもう。まじで。
誰かが恋愛とは性欲の詩的なかたちであるって言ったけど、そのとおりだね
じゃあプラトニックラブってなんだろう?
俺にはそういう経験はないから、よくわかんないけど
でもひどく不自然だ
ここから、人間だけが性欲と無縁の恋愛を許されているって論理展開はしたくない
じゃあ君達、恋愛の高揚感とは化学物質で、種の保存に基づいて刷り込まれた本能なんだけど
本当にそれが楽しいかい?
むしろ、人間として高尚になるには、恋愛なんてものやめたほうがいいんじゃない?
そのまま人類が滅びたら、なんて素敵なんだろう
『最強のシェーバー』なんて無い。強いて言えば電池はリチウムイオンが良いし、非接触型で電源供給できると便利だし、なんのかんの言って古くからの専門メーカーのシェーバーは良い。
だけどヒゲは千差万別だし人も千差万別だ。二乗すれば百万の『最強』があるわけだ。
ヒゲならば、濃いか薄いか、広いか狭いか、柔らかいか固いか、伸びが早いか遅いか、肌は弱いか強いか、形を整えたいのかさっぱりしたいのか、あごの形は単純か複雑か、顔全体は大きいか小さいか……
人ならば、一日何回剃るのか、いつ剃るのか、どのくらいの時間をかけるのか、仕事は営業や受付かそれ以外か、性格は物ぐさかマメか、鈍感か几帳面か、手先は器用か不器用か……
そういう諸々の事情を踏まえれば、最強などというのは幻想でそれぞれの『個人的な最強』しかこの世には無い。格闘技における『最強』議論が結局ルール問題に終わるように、シェーバー界の最強議論も所詮むなしいものになるしかないのだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20081215111156
まあそれはそれとして「3 次元密着機構・トリプルトラックヘッド・ジェットクリーンシステム」を備えたフィリップスの8200シリーズは最強だから買え。
いやホント「肌が弱くて・広範囲剃りたくて・しょっちゅう剃りたい・けど性格は物ぐさ・なのに細かいことを気にする」タイプには最強だ。店頭で試して、即買え。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081205-00000153-jij-soci
この問題っていうのは、育英会の奨学金ってもらっても返さなくてもさしたるデメリットを受けない、というのが大きかったのですよ。
これまで育英会は奨学金を出して高度な大学教育をうけるための機会を創出して貢献をしてきたと思う。それは意義のあることだったのだけど、
回収が非常に甘かったんだよね。
だから、奨学金は返さなくてもいい、というのが多くの認識だったんじゃないかな。返すこと自体が、そもそも莫迦臭いというか、そんなくらいに。
そんな甘い金貸しはいないわけで、これは当然の結果。
銀行のブラックリストにもっていかれちゃ、それ以降、多大なる不利益を被ることになるから、ま、ちゃんと返した方がいいですね。
第三章 国民の権利及び義務
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
すべてのXについて、XはPされない(14条)。
Xたる要件はQである(10条)。
憲法14条1項は,法の下の平等を定めており,この規定は,事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別的取扱いを禁止する趣旨であると解すべきことは,当裁判所の判例とするところである<略>
憲法10条は,「日本国民たる要件は,法律でこれを定める。」と規定し,これを受けて,国籍法は,日本国籍の得喪に関する要件を規定している<略>このようにして定められた日本国籍の取得に関する法律の要件によって生じた区別が,合理的理由のない差別的取扱いとなるときは,憲法14条1項違反の問題を生ずることはいうまでもない。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kokusekihouiekennzennbunn.htm
憲法第10条は「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」とありますが,そのことは,この「法律」が憲法第14条に反する差別的なものであってもよいということを意味していません。法律を作る国会議員が,そのような憲法論の基礎の部分を理解されていないようでは困ってしまいます。
【むしろ,自民党が心配】
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2008/11/post-8c0c.html
酔狂と言われるかもしれんが、おいらとしてもそれなりに日本の雇用問題には危機感を抱いているので、月々数千円でもいいから国の職業訓練の一助になりたくて寄付を申し出てみた。スキルがもっともっと高ければ講師役を無料でかって出たり、学術活動などに精を出すという貢献の仕方もあるんだろうけど。まつもとゆきひろのような頭脳をおいらにも!
現在、当機構については、国が策定した独立行政法人整理合理化計画において本年12月までに法人自体の存廃についての結論が出されることとなっております。このため、ご寄付のご質問がありました若者の就職支援についても、当機構が継続して実施するか、現時点では明らかになっておりません。つきましては、誠に勝手ではございますが、機構に係る整理合理化計画の決定を踏まえた上で、お申し出に係るご連絡をあらためて差し上げたく存じますので(以下略)
なに!?NICTや理研やJAXAとかも統廃合の危機にあるのか!?これらに匹敵するほど雇用・能力開発機構って重要な機関じゃないのか!??ここを無くしたらどこが職業訓練実施するんだよ。まあ職業訓練校やハローワークが無くなるわけではないのでどこでもいいんだけどさ。