はてなキーワード: 少年漫画とは
ただ、一部の腐女子がそういうのを「少年漫画だ」「女向けだけって訳じゃない」って言い張っている現実はある。
何故混ぜた。
CLAMP作品は「CLAMP作品の中」でジャンル分けできるだけで
みんなヲタ向けだろ。
いやそんなことは言ってないよ。
男性作家が書く少女漫画は真の少女漫画じゃないし女性作家が書く少年漫画は真の少年漫画じゃない、という話なんだったら異存はないよ。
その通りだよ。矛盾してないじゃん。
少女漫画読んだことないでしょ。脳中心っぷりのレベルがケタ違いだよ。
あと念のため言っておくけど、もちろん例外はあるよ。当たり前だけど。
アイマスに限った話じゃないけど、「限られた公式情報を頼りに想像力を駆使してゲームの世界観のディティールを深めていく」という楽しみ方があるんよ。パズルのピースを自在に組み合わせていく感じで。
腐女子が楽しむ作品って男性向け作品を素材にするケースが多いし、特に少年漫画の場合は主人公に最初からヒロインが設定されているから抵抗が無いんだろうけど、「アイマス」の場合は違うんだよね。
俺は詳しくないけど、たとえば腐女子向けの「男子校を舞台としたイケメンばかりが登場するゲーム」があったとして、
こんな流れを想像してくれれば良いかと。
KIM625 マンガ, アニメ, 文化 アメリカにはなぜ大人向けコミックが無いのか、なぜ日本にはあるのか。 2010/09/08
はてな表現規制反対派の重鎮KIM625のこの問い、一見素朴なギモンに思えるが違うんだよね。
表現規制反対派の間では、出来合いの答えがある。
「コミックス・コードによる規制のため子供向けのものしか許されなかった」という答えがそれだ。
KIM625の問いはこの答えを念頭においたものだろう。だが、この表現規制批判派史観はどこまで正しいのか?
田中秀臣氏がブログで調べ続けているようにアメリカン・コミックスの不人気の主犯がコミックス・コードだという説は実証的に否定されつつあるという。
それ以前の問題がある。大人向けコミックがないというのは果たして事実なのか?
実際には、MADやアート・スピーゲルマン、映画にもなったロバート・クラム作品やアメリカン・スプレンダーのような先鋭的な大人向け作品の流れが、ほそぼそとながら、六十年代から続いていた。
アンダーグラウンド・コミックスと呼ばれるこれらの流れは、80年代頃からスピーゲルマンが自らの父の体験と緻密な調査を元にアウシュビッツの悲劇を描いた「マウス」などのヒットにより日のあたるところに現れ、スーパーヒーローなどの商業的コミックスに対向するものとして「オルタナティヴ・コミックス」と呼ばれるジャンルが成立する。
一方の商業的コミックスもだんだんと大人向け路線になり八十年代には映画化したウォッチメンなどの大人向け作品がヒット、90年代には大手コミックス社からスーパーヒーローにとらわれないやや文芸路線のmature reader向作品レーベルVertigoが現れるなどの流れが起きる。
この流れとオルタナティヴ・コミックスの二つの流れ、そしてスーパーヒーローなどの旧来型の流れは、未だ別々に流れているが、だんだんと中間的作品も現れ、現在ではかなり曖昧な区別しかなくなっている。
では、"旧来型"のアメコミが子供向けというのは事実なのだろうか?成熟した真っ当な大人向けと見なされていないのはたしかに事実だろう。
だが、それと実際の年齢層は別の問題だ。
なんと”アメコミ”の主要な読者はずっと昔から「男の子」ではなく「キモオタ」なのだ。
むしろコミックス業界は将来の投資のため子供にコミックスを手に取らせる方策を考えているくらいだ。
田中秀臣氏推薦の『戦争はいかにマンガを変えるか』から引用しよう。
この極度にマニア層に依存した構造の市場から、書店での一般読者の獲得から、書店での一般読者の獲得と映画展開などによるライセンスビジネスによって突破口を開いたのが現在のグラフィックノベルブームに沸くアメリカのコミックス界であるわけだが、以上からわかるようにそれ以前からすでにコミックブックは子供向けのものなどではなくなっていた。
(ながいので中略)
つまり当のアメリカ人にとってすら「コミックブック=子供向け」という神話の影響が強すぎるために、実際に子供に読まれているマンガが「マンガ」としては見えなくなってしまっているのである。(p38-39)
なお、此処でいうマンガと見なされていないが「実際に子供に読まれているマンガ」は日本マンガをさしているのではなく、ディズニーやニコロデオンなどのアニメや名作文学のコミカライズなどを指している。小田切氏の意見によると、ジャンプなどのマンガとアメリカの市場で競合しているのはスーパーヒーローなどではなくこちらだろうと述べている。
小田切氏に従うなら、「アメリカにはなぜ大人向けコミックが無いのか、なぜ日本にはあるのか。」ではなく「アメリカにはなぜ子供向けコミックが衰退したのか、なぜ日本にでは盛況なのか。」と問うべきだ。
なぜこうも転倒した問いになるか。
それは何でも規制反対に結び付けたいという心性があるんではあにか?
こう思うのは邪推だろうか?
lisagasu 日本の名作少女漫画は繊細すぎてウケない予感…トワイライトが売れてるなら、乙女ゲームのコミカライズとかのがいいんじゃ?なんにしても少年漫画以上の市場になるイメージがないんだけど 2010/09/08
24年組が受けてないというかそもそも今まで翻訳が出てなかった(出版予定)のは事実だが、従来のオルタナティヴコミックスのファン層には注目されてるようだ。
ジャンプ掲載時にチラチラ読んでいたんだけど、ちゃんと読んではいなかった。
今回、古本で一気に全巻買って読んでみた。
で、思うことをつらつら書いてみる。
たいして沢山漫画読んでないから、素人さんの意見でしかありません。
気に入ったところ
明らかに途中からバトル漫画になっちゃった、ドラゴンボールとか幽遊白書とかに比べると無理がなく続けられてるような気がする。
気に入らないところ
掲載時に読まなかったのもこれが原因だった。
ハンタなんかが理詰めで勝のに比べると、なんか物足りない。
ナミとウソップが覇気つかってもゲンナリするけど、使えなくちゃ戦闘中はやることなくなっちゃいそうだ。
こいつ何時の間に移動したの?って感じになる。
たとえば17巻で城のの海賊旗が折れたあと、地面にいるルフィが次に出てきたコマではもう塔のてっぺんにいて、海賊旗持ってる。とか。
ルフィがジャンプする小さなカットでもあれば飛んだんだなってわかるとおもうんだけど、それがないから「あれ、いつからここにいるの?」って感じになる。
ところどころそういうシーンがあって、度になんか物語かな意識が切れる。
スラムダンクとか、ドラゴンボールではそういう違和感て感じた記憶がない。
その他気になったところ(作品外)
電子書籍で探したんだけど、でてないんだよね?これ。
今、大量の単行本をどこに置くんだよコレって悩んでる。
正直言っちゃうと、全巻もってても、違法サイトに全巻分の画像が上がってたら欲しくなる。
さらに50巻以上続くとなると今後は新刊を必ず買うから、違法サイトで画像落とす権利をくださいって思う。
できれば単行本すでに持ってる巻の電子データ版をタダでくれ、と言いたい。
場所を取るの確実の長期連載漫画を一から揃えるのは本の形式をとってる限り敷居が高い。
だって置く場所ないもん。
そしたら中古で買うよりもちょっと高かろうが僕は電子書籍版を買うと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20100820215214 にてネトゲでのネナベを薦めている方がいて、かなり同意する所があるので書いてみる。
俺自身は男だけど、今の彼女はネナベをやっていたことがあり、いままでに経験したネトゲでもネナベをやってた知り合いや色んな女性を見ている。彼女らの体験談や自分の体験がソース。
俺のやったことのあるネトゲがPvP(対人戦)可能なものが多かったので少し考えが偏るかもしれないけど、PvPのないネトゲでも基本は同じ。ただ、PvPのあるネトゲより無いネトゲの方が、他人と関わらずオフゲに近い感覚で生きていけるので都会の近所付き合いのように淡白になりやすいかな。
本人にはどうしようもない格差や差別といったものが基本的にない。年齢が評価基準に関わらない。古参でもダメな奴はダメだし、新参でも出来る奴は出来る。加えて頑張りや鍛錬の成果が、数字や勝敗という形で見えやすい。
この傾向を「出来ない奴は根本的に救われないのか」と思う人もいるかもしれないけど、ネガティブな意味で実力主義が使われる事は"リアルに比べると少ない"。他人を叩き貶めても、自分が上手くなったり他人からの信頼を得られないと本質的なメリットがないからね。
例えるなら、スポーツに見られるような信頼関係、自信と信頼の上になりたつ健全な依存関係、そこから得られる充実感がある。
「俺らはよくやった」「君のことを信用していたから、僕は判断できたよ」「君ならあの時ああしてくれるって信じてたさ!」「俺らってすげー!」こんな少年漫画のような充実感がフツーに存在してる。リアルじゃ恥ずかしくて言えない台詞も、ネトゲだと言っちゃう人は結構いる。
ネトゲなんて、皆軽々しくつきあってるんじゃ?いつでもやめられるんだし、リアルな人間関係なんてないよね?信用とか馬鹿馬鹿しい。と思う人もいるかもしれない。確かに画面の向こうに人間がいることを考えずモノのように扱う人もいるけど、とても少数派だ。
ネトゲではなぜ信頼という要素が重要なのか。それは、本当の意味で蓄積される経験値がそこにあるから。
ネトゲでのキャラクターの見た目というのは人間関係の上ではインターフェイスでしかなくて、人間関係の評価の対象になることはまずない。キャラをころころ変える人だっている。ネトゲ歴が浅いうちはアイテムやキャラクターのレベルに価値を感じるかもしれないけど、それもいつかなくなる。全てがかりそめのものであるネトゲでは、本当の意味で蓄積される経験値は、人間関係と自分の経験の中にこそあるんだ。
軽々しくつきあえる、いつでもやめられる。切ろうと思えば簡単に切れちゃう。だからこそ、信頼というパラメタの価値が高いというのかな。これは、やってみないとわかりにくい面かもしれないね。
ここまでで書いたことは少年ジャンプの世界の話みたいで、幾分か男性的に感じられるかもしれない。だけど、女性だからわからないなんてことはないよ。信頼を得たい、信頼したい、仲間と充実したい・・・そんな要求は男女関係なく人間として共通のものだ。
もし、優劣があると感じてるなら「私は女だからこうであるべきだ」「相手は男だからこうであるべきだ」と無意識に背負ってしまっているから。リアルではそういう鎧を着ていないと生きていけない面があるけど、ネトゲでは重荷にしかならないことが多い。でも、"女らしさを捨てろ"という意味ではないんだ。これについては後述するよ。
残念ながらネトゲをやっている全ての人が、先入観を持っていないわけではないんだ。ここではありがちなパターンをあげてみる。
先入観以前に、ネトゲが女漁りの手段になってしまってる人たち。こういう人は、相手を人間としてみる前に男か女かでしか見ていない。そんな付き合いを求めているのでなければ、相手にすることはないよ。
ちなみに、ネトゲだから直結君がいるというよりは、SNSでも職場でも学校でも、コミュニティのあるところには一定数の直結君がいると言った方が正しい。ネトゲは基本が中立的だから、直結君が目立つだけ。
直結君の逆バージョンと言ってもいい。直結君相手に女を売りにしてアイテムを貢がせたりするような人。こういう人は女性が付き合っても疲れちゃう。愚痴ばっかり言われてうんざりしてしまうかもしれない。ぶっちゃけ直結君と遊んでいてもらえばいいと思う。
「女性は実力主義に弱い」「女性はクリティカルなシーンで感情論を持ち出すから面倒だ」というようなものだね。こういう考えを持ってる人は大抵、本当にゲームが上手い女性や人間として信用できる女性にネトゲ内で会った事が無いのだと思う。はっきり言って、同じだけ努力して同じだけ向上心があれば性別は関係ない。
この手の先入観は大抵は悪意から生じてるものではないから、一度考えを改めるきっかけがあると無くなることが多い。
「私は女だからこうであるべきだ」「相手は男だからこうであるべきだ」と無意識に背負われると、女性としてではなく人間として見ようとしていても、それが難しくなってしまう。
男性に対する先入観から、ネトゲでも「男性は怖い。だから防御しなければ。」と身を固めていると逆効果になってしまうんだ。そんな態度は暗に、「私は女性だ!だからそのように扱え!」と発しているのと同じだ。自分から特別扱いを求めてしまってる。
優しい人なら、「本当は他の友達と同じ感覚でざっくばらんに付き合いたいけど、特別扱いしないといけないのかなぁ」と思ってしまう。そうすると、「女だからってそういう扱いしないで!」となって悪循環に・・・まあこれは最悪のケースだけどね。
現実では、「私は女だからこうであるべきだ」「相手は男だからこうであるべきだ」という考え方は身を守る為に最小限必要なものだ。だから、ネトゲでこれをいきなり捨てろといわれても出来ない人は当然いる。それに直結君をいなすのも、ネトゲになれていない女性にはストレスが溜まるものだろう。
ネナベは、そんな人の為の初心者モードだと思う。ネナベという建前が、女性自身にある先入観から開放してくれる。直結君から自動で守ってくれる。自然に振舞えるきっかけを与えてくれる。
当然、ネナベがロールプレイとして面白いからやってる女性もいるけど、本題とずれるからここでは触れない。
男性に対する先入観や女性自身に対する先入観が薄れ、自分の向上心や技術、仲間との信頼に自信を持てるようになったら、ネナベという盾を捨ててもいいと思う。
お互いに人間として評価しあえているなら、女性であることを公言して女性らしい振る舞いをしても、人間としての信頼や友情、評価が揺らぐ事はないよ。
ちょっと難しいかもしれない。だけどこの段階までいければ、素のまま振舞っていても女性である前に人間として評価されるし、男性側にある先入観さえ無くする効果がある。それはその人が"そういう女性だから"ではなくて、人間として魅力的だからなんだよね。
"女らしさを捨てろ"という意味ではない、といったのはそこなんだ。女性らしくあることと、相手に女性として扱うのを要求する事は全然違う。
リアルでは、その学習をするのが難しい。そういう意味で、ネトゲでネナベというステップを踏むのは、かなりアリだと思う。
ネトゲで学んだ先入観を解消する考え方や体験は、リアルへも還元される。たかがネトゲと思うかもしないけど、人間相手の感情や経験は本物だ。生かせるかどうかはその人次第だよ。
俺自身ネトゲを通して色んな女性を立場や縛り無しに見れて、女性に対する先入観がかなり無くなった。
ネトゲという場所に生き生きした女性がいるのは、男性にとっても学ぶ機会になる。もちろん、現実にもそういう場所はある。理想的な職場とか創作活動の場とか。ただ現実では、女性も男性も自分自身を守ることや社会的な要求の為に、先入観や防御や損得の意識を完全に捨て去る事は難しい。ネトゲだと簡単にそれができるってだけ。
異性に対して必要以上の先入観を抱かない事は、相手の警戒心を薄くして素直に振舞ってもらえる余裕に繋がる。
"みんなとセックスレスな恋人でいたい。" を書いた元増田さんは、一人の男性と関係を持つことは、他の男性との友情まで制限すると考えているように見える。俺はそうは思わない。信頼や友情は恋愛関係とは別枠で継続できると思うし、実際出来てる。恋愛関係がなくなっても親友でいる選択ができるということでもある。二組のカップルの異性同士が親友同士なんて、全然おかしくないと思う。
異性との付き合い方が、すべて恋愛の延長になっている人には色々と難しいかもしれない。相手にも異性の親友を認めないとなるとさらに異性との付き合い方の選択肢が狭まる。でも、ずっとそんな考えに縛られるのは、辛くはないのかな。
http://anond.hatelabo.jp/20100715094622
以前書いたものが2週間ほどしていきなり謎の注目を(ごく一部に)浴びていた。何がおきたし。
ちょっと面白かったので眺めていたら、もっと面白いものを見つけた。
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=12260621
まさに「ありもしない魔法のシステム」を信じている人間の言葉である。それを悪いとは言わないが、明らかにすむ世界が違う人間の言うことだなあ、と感じる。
とりあえず「嵐」「雨」といった単語を使ってはいけないのであれば、多分某有名少年漫画雑誌に連載中のマフィアを題材にした某漫画の二次創作は検索結果に表示されてしまうので不可能になる。というどうでもいいことを言ってみる。(漫画やゲームでありがちな「属性」に天候の名称が使われているため。嵐と雨はまさに該当の属性に当てはまる)
……ひょっとしたら、某ジャンルの絵を探していた人間が「変なもの」が見つかって腹いせに書いた記事ではないか、と一瞬ゲスパーをしてしまったりもしたのだが、いい加減自分の気に食わないものを見つけると騒ぎ立てるおかしな人達に毒されすぎている。
(さらにどうでもいいが、天候としての「嵐」以外にグループとしての「嵐」もあるが、ピクペディア?には「嵐(グループ)」というタグではなく「嵐」でアイドルグループ「のみ」登録されているあたり、本来の単語の意味が説明されている悪天候よりよほど「その天候に関する絵を捜している人」に不快で失礼であるはずだが、そんな話は聞いた事がない。
アイドルグループが良くてヘタリアが駄目なのは、差別ではないのだろうか。国の擬人化なら当然、なのだろうか。不快に思う人数の問題で差別するのは失礼な気がするのだが。)
ネットの世界では、元々は不快なものから身を守るためには自身で対策をするのが基本だったように思っている。
それが私の狭いコミュニティの中限定ではないかと言われるとその可能性は否定できないのだが、ネットが元は技術者の住まう場所だったことを考えたらそう遠くもないと考えているのだが、どうなんだろうか。
実際のところはともかくとしても、今現在の現実としては、人に頼るよりも自分で対策をした方がよっぽど楽であり、健康的でもある。
他人の行動はコントロールできずとも、自分の行動はある程度コントロールできるからだ。手綱をとりやすいものを操作したほうが早い。単純なことだ。
マイナス検索をしろ、というのは驕りでもなんでもない。寧ろ自分が何かを調べるためにその程度の手間すら裂けないような人間は「物を調べる」という行動の意味を分かっていない。ネットを使うとストレスが溜まるだけなのでやめた方がいい。心の平穏の為に。
本来、何かを調べることはもっとずっと手間のかかることなのだ。むしろ今の検索システムの便利さこそ異常である。あれだけ便利なものが使えるのに、多少別の物が出てきたくらいで大騒ぎする奴は一度近所の図書館で司書の手助け無しに目的の本を探しに行けばいい。まあそれでもよっぽど簡単な部類だが。
マイナス検索をすることが相手にそこまで負担であるというなら、タグをいちいち直したり、新たなタグを普及させるのにかかる手間はどれほどかかると思っているのか。
たった数文字検索欄に入力する手間を惜しんで、相手には一月かかっても対処しきれないような手間を押し付けているそちらの方がよほど高慢だろう。
この絵なのか記事なのか分からないものを投稿した人物が探していた「雨」や「嵐」は、いったいどのようなイラストを探してのことだったのか。
もしゲスパー通りの絵を探していたなら、そうでなくとも求めたものが例えばゲームや漫画に関わるものであったなら、一般名詞を使うなという話になりそうで嫌なドキドキ感がある。
ヘタリア以外で、自分が探していないイラストだって検索に少なからず出たはずだ。なぜヘタリアだけなのか。
そもそも、ヘタリアタグを付けることですら本来は自由であるはずである。必ず特定のタグをつけないといけない理由は無い。
ただ、その方がラベリングとして相手にも自分にも有用に働く場合が多いから、個人的にはジャンルタグをつけることは推奨する。お互いを尊重するとは、そういうことだ。
ヘタリアタグだけだとAPHのタグがついているものが出る?ならばとっととAPHも一緒によければいいだけである。まあでもヘタリアジャンルは妙なタグがついて検索の邪魔をしている場合があることは否定しない。
相手が「ヘタリア」だという理由で、過剰な反応をしてはいないだろうか。相手が「厨が多い」と言われるジャンルであれば何をしてもいいわけではない。
マナー違反である絵がごろごろしていたなら別だが、これを書いた人間が言っているのはただ「求めていたものと違う絵が出てきた」だけで、「公共のマナーに反する絵が出てきた」ではない。
公共のマナーに反する絵が出てきたなら思う存分自重を主張すればいい。ただの個人の好みの問題であるなら、それこそそこまで求める必要はないだろう。だが、仮に公共ryであるのなら、そもそも主張するべき内容が間違っている。
「単語を一つ放り込んだだけで都合のいい結果だけが出てくるような魔法のシステムはない」。
何度でも言ってやる。そんなものはない。この先よっぽど文明が進化したらどうにかなるかもしれない。でも、少なくとも今の子の世界には無い。ましてやPIXIVの貧弱な検索機能では不可能だ。
ネットの世界でいきなり不快な物に遭遇することなど当たり前なのだ。サムネがNGと言うならもうそれはPIXIVを使わないほうがいい。
「危険なもの」がごろごろしている世界に自ら飛び込んだのはあなたなのだ。
文句があるなら、もう運営に検索機能の高性能化を働きかけたほうがいいと思う。
ぐだぐだと俺ルールを広めようとするよりよっぽど前向きだし、検索機能が改善されれば自分以外の多くの人間にメリットがある。
ジャンル外の人間だが、別に関係ないイラストが山ほどでようと不快にはならない。ただ、自分のジャンルよりも盛り上がっている別ジャンルを見ると羨ましくはなる。
だが、このような謎マナーを見るといらいらする。仮に「あなたのそれは私を不快にするので検索避けしてください」などと言ったらどのような反応をされるのだろう。
まあ、私にはそんな我侭なことを言う資格はないのでそんなことは言わない。私が勝手に見に行っていらいらしているだけである。
(まとまっていなかった部分を一部手直し。ただし直したあともまとまってはいない。所詮便所のラクガキである。)
要は、ママ友ネットワークの世界の科学リテラシー、医療リテラシーと、
正直、「はてなー」の科学リテラシーが高いとはとても思えないけどね。
たとえば「はしかパーティー」の件にしたって、「なぜはしかパーティーが予防接種に比べて悪手といえるか」ということをメリットとデメリットを挙げて説明できる人がどれだけいる?
それができないんだとしたら、「はてなー」は「はしかパーティーは下策」ということを「聞きかじって知っている」というだけのこと。そしてそれは「ママ友」だって同じこと。「はてなー」と「ママ友」の唯一の違いは「聞きかじった」相手が誰かということだけだ。
無論、それはそんなものだ。専門外の事柄については多かれ少なかれ誰でも、「信頼できる情報源」を見つけてききかじる程度のことしかできない。そして「リテラシー」と呼ぶべきものがあるとしたら「信頼できる情報源」を探し当てる能力、それの情報をどれだけ受け売りしてよいかという判断力、そして自分がどれだけ受け売りをしているかということにどれだけ自覚的であるかということ、その三つぐらいしかないはず。
けれども、「はてなー」はその三つともかなり怪しいというのが俺の素直な実感だ。まず「ネットは真実」とか「ネットは知の高速道路」なんてのを真に受けてる時点で「信頼できる情報源」を探し当てる能力は論外。次に池田信夫や金融日記やちきりんみたいな明らかな扇動家にブクマが集まり続けることから考えて、情報の信頼性に対する判断力も乏しい。そして、自分は経済学の教科書すら読んだことないくせにリフレ派あるいはその反対派の専門家を馬鹿呼ばわりする連中が大量にいることを見ても、自分が受け売りをしているという自覚すら乏しいと言わざるを得ない。
「はてなー」なんて所詮は冷戦期の朝日・岩波信者のなれのはてにすぎんのだよ。テレビの受け売りをしている人間を「愚民」「情弱」と蔑み、過去は朝日・岩波、現在はネットという「真実」のあるメディアを鵜呑みにしていれば知識人ぶれるなどちゃんちゃらおかしい思いこみでしかない。どんなメディアだって情報は多かれ少なかれ玉石混淆だし、受け取った情報をどのように解釈するかという判断力については「はてなー」は「愚民」を見下せるレベルでは少なくともない。むしろ「年功序列」「団塊」を少年漫画の悪役のように敵視している連中の大半は「団塊」に「年の功」で劣っていることは明白だ。
要するにこれは余りにも陳腐といえるほどの「五十歩百歩」の構図に過ぎないんだよ。ご立派でも何でもない「はてなー」をあんまり持ち上げすぎない方がいい。
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220より。
http://anond.hatelabo.jp/20080726023345を受けて。
まあ、どのくらいの数の白泉男子がそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない花ゆめコミックスの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、2000~2009年の花とゆめコミックスのことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に花ゆめを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う20巻、30巻越えの漫画は避けたい。
できれば巻数1桁、長くても既刊10巻にとどめたい。
あと、いくら花ゆめ的に基礎といっても時期がずれすぎるものは避けたい。
テニス好きが『しゃにむにGO』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。(連載開始が98年だから)
そういう感じ。
彼女の設定は
花ゆめ知識はいわゆる「花ゆめ黄金期」的なものを除けば、ドラマ版「ガラスの仮面」程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「オトメン以前」を濃縮しきっていて、「オトメン以後」を決定づけるだろうという点では
外せないんだよなあ。長さも既刊10巻だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
このトキメキ過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな花ゆめコミックス(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「白泉男子としてはこの二つは“神漫画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の歴史漫画オタが持ってる江戸への憧憬と、ゆるゆるのオタ的な架空歴史へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも津田雅美な
「耽美的なかわカッコよさ」を体現するソウビ
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「どろろだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後も続いていること、これが単行本では収録順大変更になったこと、
少年漫画なら能力バトルになって、頭脳戦が展開されてもおかしくはなさそうなのに、
少女漫画でそういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり恋愛は障害を乗り越えるものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「赤髪の白雪姫」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるふじつか雪の思いが好きだから。
断腸の思いで伸ばしに伸ばしてそれでも全2巻、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「続ける」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
金魚奏の短さを俺自身は短絡とは思わないし、もう伸ばせないだろうとは思うけれど、一方でこれが
美内すずえや魔夜峰央だったらきっちり未完の大長編にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて2巻に収めてしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたもの膨らませきれないオタク」としては、たとえふじつか雪がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で蛍火見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
夏目友人帳よりも前の段階で、緑川ゆきの哲学とか漫画技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がLaLaDXでこの時代に掲載していたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく白泉社好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる夕方再放送アニメでしか夏目を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
ふじもとゆうきの「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない群像劇を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそアニメ版『学園アリス』最終話は「俺たちの学園生活はこれからだ」以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
加速剤はキラメキにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうフェティシズム風味の愛欲をこういうかたちで漫画化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
オトメンから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、アニメ化から始まるハルヒブームの先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
男女問わずだよ、そんなの。
うん、男女問わずだよって言いたいだけなんだけど
なんか「男は見た目で選んでて女は見た目を気にしない」みたいな話が展開してたから
それはないよねーって
脇役が主役の存在感を食ってしまい、中には人気投票などで一位に躍り出たりする作品を時々見かける。
何故そのような現象が起きるのか。私は、作者の思い入れの強さが大きく影響していると思う。
特に少年漫画の場合、主役の個性というのはある程度制約がある。たとえば殺人狂だったりサイコパスだったり、あるいは特殊な性癖(ネクロフィリアとか)の持ち主だったりさせる事は非常に難しい。青年向けでも、ストーリーを破綻させないための制約が存在する。
必然的に、作者の思い通りに作れる登場人物は制約のより少ない脇役になる。思い通りに作れるので、当然作者の思い入れも強くなる。演出や台詞も優遇されやすくなる。その結果、主役より格好良くなってしまうと私は考える。
「脇役が主役より格好良い作品というのは気をつけて読みなさい。作者に主人公をちゃんと格好良く書く技量がない場合があるからね。」