はてなキーワード: 女子校とは
http://anond.hatelabo.jp/20100217113611
http://anond.hatelabo.jp/20100217224011
ただでさえ学生が少ないのに、男の上智生(しかも文系)っていたらレアモノなので勢いで書く。
上智の最も素晴らしい点は、大橋アナとか海老様の嫁とかを輩出した女子の戦闘力の高さ、という意見もあるけどそんなの一部しか享受できないので無視。
全学生が喜びに震えるのが四谷駅から徒歩90秒で門に辿り着ける立地!これに尽きる。
すごいよね。駅でたら見えるもんね。門が。
これにより、大学近くに住む必要性も減り上智生は住居選択の幅が大分広くなる。
*そもそもオフィス街の為、学生向けの住居は少ないので最初から切ったほうがベター
中央特快も停止する懐の深さ!飲み屋もスーパーもラーメン屋も豊富で、皆が大好きサンプラザ中野ブロードウェイのお膝元だ!
高円寺~荻窪に住むと「しんみち通り」で飲んだ後、特快と気付かず乗車。
うっかり吉祥寺あたりまで連れ去られる。
気付けばいいんだけど、そこで寝てたりすると高尾山でハイキングして帰ってくる羽目になるから本当に注意だ!
不動産屋選びは匿名ダイアリー読むくらいの余力があるなら、いくらでもコツまとめ記事が見つけられるだろうからそれに従いなさい。
早稲田の人も書いてるけど、乗り遅れたら5月まで待ちな、ほんとに。
俺、夏に死ぬほどバイトして、半年で引越しを強行する羽目になったよ。
1位:中野 2位:代々木or阿佐ヶ谷 3位:幡ヶ谷or笹塚あたりからチャリ通
したがって「一人暮らし大変で・・・」みたいなトークで共感を得ようと思っても、ほとんど理解されない!ドンマイ!
学科ごとの授業選びのコツだとか、留年しないコツだとか、シラバスだなんだってのはあの「オリキャン」っていう謎の一泊二日で先輩からシコタマ聞きだすんだ。
ただ、もしコレを読んでる中に女子がいたら注意して欲しい。
間違いなくその先輩と付き合う羽目になる。というか、二年生以上は毎年、下級生と付き合うためにそれに志願する。
ウキウキの4月で先輩にツバつけられたら、GWや夏休みに待ち構える楽しいサークル活動で素敵な殿方とのラブメイクも遠のくぞ!
身軽でいろ!最初は!騙されんな!
男子!ゲンナリしてる場合じゃない。
いいか、お前らが入ったのが例え年中ツナギの工学部でも、お嬢様だらけの仏文でも、等しくチャンスが与えられるのがこの二つだ。
チャンスとは何か?他の学部学科の可愛い女子(法学部が圧倒的破壊力)と知り合うチャンスだ。這ってでもイケ!
生徒人数が少なく、どうやったって友達が出来る仕組み(理由は英語の授業の特殊性にあるんだけど)の上智にあってもこれは必須要素。
他の大学と違い、体育会系がそこまでイケイケではなく、非常にバランスが良い。
特に文化系な君達、輝けると思う!
個人の興味で選んでいいと思うけど、理系ならテニサーはいるべき。
俺と同じ文系の君は溢れんばかりの女子にまみれて勉強しなきゃならんので、サークルくらいは男臭くてもいいと思うよ。
インカレ系はいるより、上智らしくインターナショナル系のサークルにはいっておくと英語がびっくりするほど喋れるようになります。
繰り返すけど、ぼっちにはなりにくい大学だけども、結局は個人次第。
もう大学生なんだから、まずは笑顔で元気よく挨拶。これ、忘れんな!
マジで超裏技で実行したことがある人は俺の知り合いにはいませんが、上智学生同士で結婚してしまうという技があります。
これをすると学費がタダ?だっけかな。まだあるといいね、この制度。
プール券ってのが毎年10枚もらえる。
ほとんどの人は使わないので、これをもらって夏は毎日タダで泳げるね!
女子と一緒にいくとキャッキャウフフできて楽しいですよ。マジで。
あとサークル棟にはタダで入れるシャワーがあるので、貧乏学生謳歌中の人はここでいつでもキレイになれます。春日もびっくり。
学食は「まずい・高い・少ない」の三拍子がそろっているので、近くのしんみち通りの居酒屋ランチか、お弁当を推奨します。
SJハイムとかクルトゥルとかイグナチオとかは、洗礼を受けていない人間はまず入る機会はないけども、イグナチオのクリスマスミサは一度くらいは行っておくと見識広まるかも。
最重要ワードを伝え忘れてたけども「8ピロ」とかっていうワードを聞いたら、それは8号館下のピロティのことだ。ピロティがわからないひとは「コルビジェ ピロティ」とかでググれ。
それぞれのピロティはサークルと学科が代々受け継ぐたまり場になっている。
メンストってのは大学のメインストリートのことで、北門から続く一本道ね。
スケボーに乗ると怒られるので注意。
入学したてのお前らに絶望的な宣告をする。
四年後、卒業して社会に出てみろ。世の中の女子のほとんどは上智の学生より可愛くない。
いいか、お前がこれから遭遇できるかわいい・キレイな女子のほとんどはそこにいる。
今おまえが手が届く範囲のそこにいるんだ。
だからこれからの四年間、どんなに授業がタルくても、寝坊しても学校にいけ。
そしたら、あっという間に就職も決まってるし、卒業も出来るし、何より素敵な生涯の伴侶を手に入れることが出来るよ。
合格おめでとう!
10年間女子校育ち。
元増田が書いてたり数個前の「病気診断チェック表」エントリと全く同じ状態になる。
ただし相手が中学生の時からの同級生の同姓の友人。(今も一緒によく遊びに行きます)
何それ浮かれてるの馬鹿じゃないの中ニ病継続中なの死ぬの…と色々考えて9年目。
よく分からないけど9年間ずっと同じ状態。
ずっとドキドキして幸せになって落ち込んでちょっとした事で天国と地獄です。
彼女と仲が良い友人に対して本当に「死ねばいいのに」なんて嫉妬をドロドロに煮詰めた様な感情が沸いて、
彼女に「こんな苦しくなる位ならいっそのこと死んでくれ」と思い、
そんな訳わからない馬鹿なこと考える自分が死ねばいいのにと思い、
痛々しいのは重々承知、客観的な第二の自分がプギャーしているんだけど9年間ずっと同じ状態。
なんだかよく分からないけれど男性相手にこんな状態になった事は無くてもうどうすればいいか分からない…
とりあえずサークルやバイトでよく顔を合わせる男性陣にゃこんなことが全く皆無で、
「大好きな人」(俗に言う「愛」に近いのかな?)の基準が彼女になってる気がする。
ダントツぶっちぎりです。困った。
まあ現実問題どうしようもないので黙ってますが。明らかに迷惑過ぎるwww
友達グループで旅行して一緒のベッドで騒いだり一緒に御飯たべたり褒められたり愚痴言ったり馬鹿やったり、それができる事の幸せに感謝してます。
でもやっぱり苦しい。辛い。
笑うしかないwww
元増田です。
私も増田と近い気がする。
セックスしてる時には「相手を性的に興奮させられる自分」という価値が感じられるから
すごくふわーっとして嬉しくなる。
あと、相手を撫でてほやーっとした状態にさせるのも好き。
小さい時からバイオリン習って、モダンバレエ習って、私立の中高一貫女子校行って、
最後には人文系専攻なのに院まで行かせてもらった。
でもどれも中途半端。極めるには何かが決定的に欠落したまま24歳。いま社会人半年目。
国立大の院出たし、大手企業に就職したし、もういいよね、十分親の世間体を満たせるのスペックは身につけたよね、
というところで安堵してはいるものの、この先どうすればいいかよくわからない。
避妊対策はずっとピル飲んでて、STDチェックも定期的にしてる。
(といっても、ほんと言う程不特定多数と寝ている訳ではない、と、思う。まだ今は。
寄ってきた男友達をだいたい断らずに受け入れてる程度。)
夏頃から仕事で体調崩して心療内科&併設のカウンセリングに通ってるんだけど、
カウンセラーさんから
「お母さんに対してのネガティヴな気持ちを全部書き出してきてください」
っていう宿題がでた。なんという難問wwwww正直何を書いてよいのやらまったく見当がつかないwwwww
なんかもー三連休のはずなのに休める気がしない。
中高一貫の女子校6年目、いい子たちに囲まれて平穏に、もうすぐ卒業する。
という書き出しに込めた皮肉が自分の6年間を象徴するようで、はやく卒業したい。嘘ではないのだけど。いい子たちに囲まれて平穏無事に過ごした。友達がいて、家族が健在で、部活もゆるくやって、そこそこの成績で、健康で。来月の始めに18になる。辞書が好きだ。授業の合間に思いついて「思春期」とひいたら広辞苑曰く17までだそうで、だから書く。思春期の終わりに寄せて。
思い返せば昔からなんとなくずれていて、死骸を見つめる子供のまま成長してしまった。戦争に興味がある。ミリタリマニアではない。グロ好きでもない。使命感もないけど時々小銭の募金をする。POSO宗教戦争の動画や樹海の写真や身体改造系のあれこれとか、そういうのをなんとなく見た。熱く好きな人と話が合わない。気持ち悪がる人とも話が合わない。いつだったか、15に届かない歳のとき、SAW(15禁)の何作めかを観に行かないかと誘われて、エグさを嬉しそうに語る彼女に引いた。当時上映されていた犬と死が出てくる映画に泣いたという話にも引いた。言うことのいちいちに意図を感じて、目指す先に馬鹿らしくなった。結局なぜか、クリスマスに2人で「シャーロットからの贈り物」?という、超平和な映画を見て、ああもう一体なにキャラ目指してんの、と思ってうんざりしつつ、自分も似たようなもので、映画はなにを観ても面白いしなにを観ても泣かない。そう書くとドライな感じだけどなにを観ても音にビビる。そんな自分、隣でなぜか鼻をすする友人を無視した。お前は黙ってSAW観て泣くな。
マイナーなアーティストを好きになってニコニコで聴いていたらたまたま軍艦島を撮った写真をまとめた動画のBGMに使われていて、それをきれいだと思った。一応進学校と言われる高校で、スカート短くして笑って、ほとんど意味のない言葉を吐いても誰も気にしないような教室で、息してて、廃墟! 廃墟が好きだと言って分かるよと言ってもらっても、あるいは分からないと言われても、どっちにしろ殆ど変わらない。私がおばあさんの纏足を眺めてなにを思うか、言っても分からないのと同じで。当り前じゃないか人間はみんなそうだと偉そうに断言するあんたが嫌いだ。なんでそんなこと分かるのか、なぜ断言できるのか。私はまだ17だけど、絶対、あなたにだって分かるはずないのに。分かって欲しがる私の同類でしょう。
すごくベタな、例えば「親友」とか、そういうのに憧れているのかもしれない。だけど私は誰が死んでも泣かないと思う。廊下を歩いていて、通り過ぎる人を次々に殺したことがある。昔見た外国のアニメみたいに、体の断面はマットな肌色で首は高く遠くに跳ぶ。トイレでレバーに八つ当たりする。出て、鏡の前で自分の不細工さに気がついて、何か思う前に隣の知り合い(友達)になにか意味のない言葉を言うか言われるか。息がつまりそうなんて、全然、違う。息をするのと同じなんだ。吸う空気にまで文句を言うのはおこがましい。そこは東京の高校のお手洗いだもん。私は恵まれていて。
人間が好きだ。どのくらい好きかって、戦争を見たがるくらい好きだ。自殺系サイトでくだを巻いた中学時代、いろんな変な人がいたし、私もきっと変な人で、世の中の普通の人もわりと変だ。すごく簡単に人を嫌うくせになんだかとても良く強い部分もあって。したたかだなと思うし、不器用で馬鹿で、平凡なままドラマチックで、とても好きだよ。いろんな変な人に引かずに付き合った変な自分は背が低い。おかしな話だけど、もし小さい頃にもう少したくさんアニメや漫画に触れていたらオタクグループに属しただろうし、もしもう少しお洒落な親のもとに生まれていたら恋愛で青春を謳歌したかもしれない。もし運動神経がよかったり人前でなにかするのに抵抗がなかったりしたら部活に打ち込んだと思う。もし本を読まずに生きていれば、きっとこうではなかった。もし背が高かったらもっと男らしくなっていたと思う。そうではなくこうであって、そして父が廃棄されたパソコンをくれた。
会ってみたりもした。男の人が気持ち悪くなった。同性愛者を名乗る友人ができた。顔を知らない友人のために死ねる気もしたし、死ねとも言ったし、言われて、リストカットも通院も珍しくなくむしろ誇るような見せびらかすようなそんな中二病に、罹りつつやっぱり馬鹿じゃないかとは思っていた。それでも人が好きだ。痴漢に遭おうと見知らぬおじさんに誘われようと、話をしてみたいと思う。あなたはどんな変な人なのか。なにが好きでなにが嫌いで。趣味の悪いネクタイに微笑む自分は気持ち悪いんでしょう。死体を見たがる自分も、雨ににやつく自分も。そしてまた変な子と仲良くなる。mixiの、趣旨がよく分からない、綺麗で暗い写真を使っているコミュに入っているような子。拒まない。社交性がない自分に友達がいる理由がどこにあるのか分からないけど拒むという選択肢がそもそもない。拒むときは世間のそれを借りる。彼女たちは狂った私を好む、世間の逆をいく、なんだかまたありふれて見える、やはり共感できない、変な連帯感、みたいな、いうなれば友情、というものをくれた。なんか分かんないけど私、信号守るし飲酒も喫煙もしないし国立の大学目指してるよ。注射嫌過ぎて泣きそうだし体育嫌いだから学校行きたくなくて時々さぼるけど良い子だと思う。宿題なかったら22時には寝たいさ。
なになに系というのはなんなんだろう。私は可愛い系だ。背が低くて真面目でおとなしい。だからまともな友達がいる。
http://anond.hatelabo.jp/20091005011123
ちょっとした事で褒められて凄く嬉しくなって、舞い上がって、
ちょっとした事で嫌われてしまわないかと凄く不安になって、落ち込んで、
一緒の趣味で盛り上がって、
他の子と仲良くしてたりどこか行ったなんて話を聞くと嫉妬でうわぁぁぁとなって、
一緒に遊びに行く予定ができるとドキドキしてワクワクして、
一番ベストな状態の自分を見せたくてその為にオシャレも頑張って、
でもどんどん自分の至らない所が色々自覚できて、
もっと自分が成長してから会いたかったと思って悔しくて、
2人だけになると内心パニックでもう頭が破裂しそうで、
元々ボディタッチ多い人だからその手が肩が頭が触れる都度に心臓がバクバクして、
こんなに苦しくなるならいっそ消えてくれという位憎くなって、
でもやっぱり一番「だいすきなひと」で。
お呼びじゃねえよ!等でしたら申し訳ございません。
喪女である以前に“女”でなく“お子様”だった非リア充女子大生です。
中学~現在までで上記の様な強い想いを抱いたのは、中学時の同級生(女)にのみです。
彼女とは今でも友達。想いも変ってません。
キスやら何やらといった発想は全く出てこないし、
人間性に惹かれたのかもしれない、という所?
参考記事をば…
今度、その人と二人で映画に行く。
もし、好きな人が男性だったら、けじめをつけるため彼氏がいるのに映画なんか行かないだろうし、その気持ちをきちんと見極めて、場合によっては彼氏と別れ話をすることになっただろう。
だが、生憎と好きになったかもしれない相手は友達の女の子だった。
その友達とは、一番の親友とか、長年の付き合いとか、そういうのでは全然ない。
だから、彼女にもおそらく他にもっと仲のいい友達はいるし、私にももっと付き合いの長い友達はいる。
ただ、キツめの性格の子が多いバイト仲間の中で、人当たりの柔らかい彼女と一緒にいるのはとても居心地がよくて、その人間性に惹かれた。
大学での専門分野が近いこともあって、最近はよく二人でバイト上がりにご飯を食べに行って、色々話し込む。
一緒に映画を見に行くことになったときは、思わず声が震えた。ついさっきも、彼女のことを考えていたら思わず涙が出て、ああこれは困ったな、と自覚するに至った。
実は、今までも何度か、女性に好意のような感情を持ったことはある。
そもそも、初めて「好きかも」と思ったのは、女子校の運動部の先輩だ。
けれど、思春期に同性に対して恋愛にも似た感情を抱くことはよくあると聞くし、周りにも「○○先輩格好いい」などときゃあきゃあ言っていた女の子は多かった。
また、それ以降の「好意」も、恋愛関係の愚痴を言う友人や、振られて泣いている友人を見て、「守ってあげたい」「私が彼氏だったら泣かせたりしないのに」などと考えて友人の隣に立つ自分をちょっと妄想したりするくらいの軽いものだった。
だから自分でも、いわゆる「なんちゃってレズビアン」みたいなもの、或いは友情の意味での「好き」を取り違えているのだろう、と分析して、それ以上深くは考えなかった。
考えないようにしていた、と言った方が正しいかもしれない。
とにかく、自分は異性愛者だということに疑いを持ったりすることなんてなかった。
そもそも、人と比べて私はそう惚れっぽい方ではない、と思っている。
彼氏とはもう3年を越える付き合いになっているけれど、彼氏の前にも後にも恋愛感情を抱けるような男性は現れなかった。
今は付き合いも長くなっているので、恋愛のドキドキ感よりは家族や親友にも近い安心感がある。
そんな相手を失いたくないからといって、彼氏とはこれまでの付き合いを続けつつ、好きな人とデートしてドキドキ感を楽しむ、なんていうことは不誠実なのではないか、と悩んでいる。
仮に好きになったのが男性だったら、それは世間的にも非難されることだろうし、私の価値観としてもどうも許せそうにない。
これが好きになったのが女性だから許される、というのも何か変な話だ。
かといって、新しく好きになった女の子とどうこうなろうという気は全くない。
好きになった女の子にもやっぱり彼氏がいるし、話を聞いているととてもいい人そうなので、彼女には是非その彼と幸せになってほしいと思う。
とは思いつつも、彼女が恋人とデートした話や、彼女が他の女の子と仲良くしているという話なんかを聞くと、どこか胸が痛むし、嫉妬のような感情すら覚える。
これは表に出してはいけないものだと割り切って、ニコニコしているように努めているけれど。
好きになった彼女との付き合い方にも悩むけれど、「もしかしたら女性が恋愛対象になりうるのかもしれない自分」を発見して、自己認識が揺らいでいる。
これからどうしたらいいのだろう。
気持ち悪い。
最近、ずっと兄ポジションだった人からモーションをかけられてる。
モーションかけるってのが死語かどうかは知らないけど、
頭撫でたり真隣に座ったり電車でも壁際で私を挟む様に立ってたり。
お土産でも家族の分の他に「そういやこんなのあったよ」なんて、
後で私にポイッとくれたり。(これは私にのみなのか不明)
某所で相談したら「それはお前に気があるんじゃないか?」との回答。
年もそんな違わないし、悪友的な感じだった筈なのに。
今年あたりから特に遊びに誘われてて、
おたがい姉妹達とはちょっと年が離れてるから結果的に2人で行く事が多くて、
こっちとしては「何でも話せる楽しい兄貴」と出かけてるつもりで、
でもそんな状態でいつの間にか上記の様な事になってて。
※スペック
オタク。
金銭的にも「スカート一枚¥4000とかw無理ぽwww」
みたいな感じで、ずっとスイーツ(笑)やオシャレはすっぱいブドウ。
そして2~2.5次元で生息。
やっと現実と向き合う覚悟ができてきて。
まずはオシャレして“女の子”になる決心つけました。
(化粧と髪と服を整えるだけでずいぶん擬態できるものだと学習)
いずれも「や、急いでるんで…」なんてキョドりながら逃げました。
↑特に高校以降は男なんて全く居ない環境で。
オタク(BLよかノーマルのが好きつまりただのオタク女)なもんで
夢小説読んだり2.5次元で悶える事はあれど。脳内お花畑でしたよ。
人と接するのも狭い範囲だけだったし、
お子様です。分かってます。
それでも。
だいぶ混乱してるけど問題を整理してみる。
お兄ちゃんが自分(=喪)にモーションかけてきてる
こっちが経験ゼロ(笑)なだけに、「自意識過剰乙www」で済めば一番いいんだけどなあ…
某所の回答を元に考えると、この気持ち悪さは
○兄からそんな目で見られてるから
どうやらこんな結論。
この「嫌だ(そして気持ち悪い)」をどう伝えたらいいものか…
非常事態ですよ
・なんか嫌だ気持ち悪いとにかく気持ち悪い
・彼女居ないからって手近な所で済まそうとしてね?
・まずはお金稼いでリア充になって友人とお台場とかに遊びに行ったり新宿や渋谷にお買い物に行ってお金の事気にかけずに心底楽しみたい
・兄は兄であって恋愛対象外であってあくまで兄である
・だからほんと勘弁して下さいとにかく気持ち悪い
この人仕事ができないのを男のせいにしてる気がする
>>何せ、こちとら10年女子校だったからね。付き合いのある男友達は理解のある人ばかりだったし、バイトの先輩は仕事の関係だから、そんなに突っ込んだ発言もしないし。<<
関係なくね?
バイトの人だから関係崩したくなくて言いたくなかっただけかも知れない。
特に
>>何せ、こちとら10年女子校だったからね。<<
って何が言いたいのかさっぱりわからん
何せ、こちとら10年女子校だったからね。
じゃあ、女の子だけの会社でも作って女の子ばかりを相手に仕事をすればいいじゃない。
横増田だけど、ものすごく腹が立っているので、コピペ文と元投稿文を全面貼り付け。
コピペだけ読んでコメント付けてる、ほかの増田さんにはなんの落ち度もないけど、やはり、一部だけでは元増田が言いたいことは歪んで伝わっていると思った。出来れば元投稿も読んでもらいたい。
http://anond.hatelabo.jp/20090927210711
日本の大抵の男性は、女性を馬鹿にしている。そして、そのこと自体に全く気づいていない。
何せ、こちとら10年女子校だったからね。付き合いのある男友達は理解のある人ばかりだったし、バイトの先輩は仕事の関係だから、そんなに突っ込んだ発言もしないし。
それが、社会に出たらガラっと変わった。
あなたは差別発言と思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたはセクハラだと思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたは多分よかれと思って言ってくれてるんですね。でも私はとても苦痛なんです。
女の子同士なら、自然と気に掛けあって丁寧に接していた部分を、先輩が、上司が、特にお酒の席で、何にも考えずぐしゃっと踏みつぶしてその境界を越えてくる。
それがたまらなく苦痛で、大学で一緒に学んでいた友達に言ってみたら言うんだ。「わかるよー。でもそんなものだよね」
ああ、こんな苦痛な状況が、社会一般では『そんなもの』で済まされる程度の問題なんだって分ったのは、正直そのときだった。
それで、今はどうやって生きているかというと、日常では、社会学で学んだ問題意識にほとんど蓋をして、生きていくのに便利なところだけ使って生きてます。とりあえず、世間一般様から見て、頭のおかしい奴だと思われない程度に猫被ってね。
男性メインのビジネスの場に立ち、名誉男性的な立ち位置で、ある意味男性に媚びるようにして生きている私にとって、社会学の知識は、被差別者を踏みつけるのに(効率的に差別者特権を使うのに)とても役立っています。あとは自己防衛のためにね。
こんな生き方が良くないというのは重々承知している。一番申し訳ないと思うのは、今の世を生きにくいと感じている日本女性たちに対してだ。自分の体を資本として、男の『勘違い』を上手く使う、一種の『戦略的本質主義』を振りかざして生きている私は、本質主義から脱して生きたがっている思っている女性にとって、目の上のたんこぶでしかない。(そして巡り巡って、自分のクビも締めてる。承知の上だ。)
だから、私は世の女性の味方を標榜している。もちろん、偽善だとも分った上でね。日々ご迷惑をおかけしています。女性の皆さん、特に日本女性の皆さん、本当にごめんなさい。
■http://anond.hatelabo.jp/20090925071837
正直、こんな時間に書くことじゃないんだ。明日やることもあるんだし。
ただ、私にとって、考えを大きく揺さぶられる出来事があったから、少し話をさせて欲しい。
ちょっと長くなるかも。あと、女性向きだよ。男性は気分悪くなるかもよ?読むなとは言わないけれど、念のため注意。
http://anond.hatelabo.jp/20090925071837
↑の記事を、オンライン上の友達に、何気なく見せてみた。
ホント、何の反応も期待してなかった。流せる雰囲気だったから、多分何の反応もないだろうと当たり前のように思ってた。
でも、その人は言ったんだ。『抗いたい』って。
この言葉に、私は懐かしくなって、ものすごく申し訳ない気持ちになって、泣きたくなったから、それについて書く。
やってたことは、女性問題、黒人問題、水俣病問題、沖縄基地問題、色々だ。
ゼミ一番ショッキングだったのは、『私が差別者だ』ということを直視しなくちゃいけないことだった。
社会学を学んだことのある人は、どうか笑わないでほしい。私は、私が世界中のあらゆる差別問題の中に居て、その中のほとんどの状況で差別者なのだ、と、抵抗なく認識できるまでにまるまる1年かかってしまった。
「だって、私はなにもしてないのに、ただ生きてるだけなのに、どうして他人を差別しているなんて言うの?」という疑問を解消する、それだけでだ。課題図書や、毎度のレポート提出が嫌いだった。『分りたくない、信じたくない!』ってずっと思ってた。
社会学を学んだことの無い人は、差別問題をどうか他人事と思わないで欲しい。あなたは世界中の差別問題の中に居て、ほとんど常に差別者だ。
日本国民、大和民族、正社員、男性、健康体である、という、ただそれだけで差別者だ、というのは、すぐには受け入れがたいと思う。(先述の通り、私も理解するのにまる1年かかった)それでも、社会という構造の中にいる限りは、その中で差別者として無意識に振る舞ってしまうことが常にある。無意識に、他人を傷つけている。確実に。
そして、たいていの場合、特別に本を読んだり勉強をしなかったら、この『無意識の差別者』状態から、人は絶対離れない。
だって、この状態が最高に快適だもん。味方は多いし、強いし、くさい、汚い、怖いことはないし、安定している。
この状態から、どうしてわざわざ、よわっちい被差別者の味方をしたり、あまつさえこの特権を引き渡すなんてことをしなくちゃいけないんだ?ってなる。
だから、差別者はこの状態から滅多に自発的には離れない。
もうひとつの原因は、『自覚が無くても困らないから』だ。
道を行く人(差別者)は、花を踏んだことに気づかなくても怪我をするわけでなし、なにも困らない。<でも、踏まれた花(被差別者)にとっては一大事だ。>
だから、差別者(マジョリティ)の集団または親玉は、自分たちの得になるように必死に策を練る。
・なんで沖縄の基地問題は、全国メディアで滅多に取り上げられないんだろう?(だって日本はほとんどが大和民族だもんね)
・沖縄の中でも、基地をなくしたいと考える人と、居て欲しいと考える人がいる。これは国が基地の土地貸し出しに対して支払っている補助金の絡みで起こる対立だ。(このせいで、基地問題の県内世論が必要以上に割れている)
・基地移転は出来て、日本国内に基地が置けない理由ってなに?(移転できないんじゃなくて、移転しないだけなんじゃないの?)
例を沖縄基地問題であげてみたけど、ちょっと考えてみると議論のしがいがある(あるいは明らかにおかしい)問題がぼろぼろ出てくるのが差別問題だ。そして、差別問題を華麗にスルーできる特権を持っているのが、差別者だ。
こういう困難な状況にあっても、『これはおかしい』と気づく人、そして声を上げる勇気ひとたちが現れて、差別問題は議論されてきた。
昔と比べて、良くなってきたものもある。(女性問題は、明治時代から女性の権利の見直しを考えようと呼びかける先達の手で、長い時間をかけて、やっとここまできた。)
まだ根強く差別が残り、世代を超えて人権を脅かすようなものもある。(水俣病問題は、未だに遺族が差別を恐れてる。)
こんな問題の事例に4年間触れていて、その当時は、私も思っていたんだ。
『私は、なにも知らないままで人を傷つけるような人間になりたくない。もし差別者の立場を脱する方法があるなら、私はそうしたいし、もし無かったとしても、せめてその差別について理解して、なるべく他人を傷つけないように生きたい』って。
でも、いざこんな気持ちを持って、たくさんの差別問題の事例を知ったあとで、社会に出てみたら、こんな問題意識が苦しいだけだって分ってしまった。
一番キツかったのは、『大抵の男性は、女性を馬鹿にしていること、そのこと自体に全く気づいていない』という事実だった。
何せ、こちとら10年女子校だったからね。付き合いのある男友達は理解のある人ばかりだったし、バイトの先輩は仕事の関係だから、そんなに突っ込んだ発言もしないし。
それが、社会に出たらガラっと変わった。
あなたは差別発言と思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたはセクハラだと思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたは多分よかれと思って言ってくれてるんですね。でも私はとても苦痛なんです。
今まで、女の子同士なら、自然と気に掛けあって丁寧に接していた部分を、先輩が、上司が、特にお酒の席で、何にも考えずぐしゃっと踏みつぶしてその境界を越えてくる。それがたまらなく苦痛で、大学で一緒に学んでいた友達に言ってみたら言うんだ。「わかるよー。でもそんなものだよね」
ああ、こんな苦痛な状況が、社会一般では『そんなもの』で済まされる程度の問題なんだって分ったのは、正直そのときだった。
それで、今はどうやって生きているかというと、日常では、社会学で学んだ問題意識にほとんど蓋をして、生きていくのに便利なところだけ使って生きてます。とりあえず、世間一般様から見て、頭のおかしい奴だと思われない程度に猫被ってね。
男性メインのビジネスの場に立ち、名誉男性的な立ち位置で、ある意味男性に媚びるようにして生きている私にとって、社会学の知識は、被差別者を踏みつけるのに(効率的に差別者特権を使うのに)とても役立っています。あとは自己防衛のためにね。
こんな生き方が良くないというのは重々承知している。一番申し訳ないと思うのは、今の世を生きにくいと感じている日本女性たちに対してだ。自分の体を資本として、男の『勘違い』を上手く使う、一種の『戦略的本質主義』を振りかざして生きている私は、本質主義から脱して生きたがっている思っている女性にとって、目の上のたんこぶでしかない。(そして巡り巡って、自分のクビも締めてる。承知の上だ。)
だから、私は世の女性の味方を標榜している。もちろん、偽善だとも分った上でね。日々ご迷惑をおかけしています。女性の皆さん、特に日本女性の皆さん、本当にごめんなさい。
こんな長文をここまで読んでくださっているあなたは考えるかもしれない。「どうして、そんなひねくれた生き方をするんだ?女性に対して申し訳ない気持ちがあるなら、そんな風に思わなくて済むような道を探せばいいじゃないか」と。
確かに、正論だ。
ただ、今まで男性社会の中を駆け抜けてきた私の人間関係には、そのようにしなければ維持できない人脈が多くある。今更切ることが出来ない、お金になる人脈が。
一言で言えば、こういうことだ。
「こうしなければ、明日のご飯がない。明日の立場がない。明日の社会に居場所がない。そういう危機感に、ただ突き動かされて、ビジネスという男性社会に埋没しているのです」
・・・あ、万一今、「だったら結婚すればいい」とか考えた人がいたとしたら、冗談も大概にしてくださいね。そういうのが仕事を志向する女性のプライドを傷つけかねない繊細な問題だってこと、いい加減気づいて。
そして、そもそも「働けないなら結婚すればいい」という言説を女性に押しつけるのはやめてほしい。
私は今、こんな風に生きているから、正直、最近の私が差別者に立つあらゆる差別問題に対しては、「分る、分るよ-、その痛み。でもごめん、味方はしないよ。余裕ないから」っていうスタンスだった。思い切り逃げモード。そこそこ底辺の仕事で、それより底辺の人たちの頭を足蹴にして得た仕事で生きている日常です。
そこにきて、冒頭のアレですよ。
『抗いたい』という言葉を聞いたとき、まずはじめに思い浮かんだのは、「青いなあ」という、ある種その人を侮った感想だった。
でも、よくよく考えてみたら、それって違くないか?むしろ、この人が言っていることのほうが正しいだろう?本当は、自分が差別者のままで居続けるのって嫌でしょう?その嫌な気持ちがあるから、他の人に対して内心申し訳ないとか思ってるんでしょう?
そんな風に考えていたら、私は大学生時代に一生懸命学んでいた差別問題の事例が懐かしくなって、現在の自分のことを思うと、世の中の女性に対してものすごく申し訳ない気持ちになって、そして、『抗いたい』と言った友人の若々しい気概が眩しくて、それと比べたら自分はずいぶんみすぼらしくなったと気づいて、泣きたくなったからそれについて書いた。
オンラインの友人だから、性別は分らない。
日本の大抵の男性は、女性を馬鹿にしている。そして、そのこと自体に全く気づいていない。
何せ、こちとら10年女子校だったからね。付き合いのある男友達は理解のある人ばかりだったし、バイトの先輩は仕事の関係だから、そんなに突っ込んだ発言もしないし。
それが、社会に出たらガラっと変わった。
あなたは差別発言と思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたはセクハラだと思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたは多分よかれと思って言ってくれてるんですね。でも私はとても苦痛なんです。
女の子同士なら、自然と気に掛けあって丁寧に接していた部分を、先輩が、上司が、特にお酒の席で、何にも考えずぐしゃっと踏みつぶしてその境界を越えてくる。
それがたまらなく苦痛で、大学で一緒に学んでいた友達に言ってみたら言うんだ。「わかるよー。でもそんなものだよね」
ああ、こんな苦痛な状況が、社会一般では『そんなもの』で済まされる程度の問題なんだって分ったのは、正直そのときだった。
それで、今はどうやって生きているかというと、日常では、社会学で学んだ問題意識にほとんど蓋をして、生きていくのに便利なところだけ使って生きてます。とりあえず、世間一般様から見て、頭のおかしい奴だと思われない程度に猫被ってね。
男性メインのビジネスの場に立ち、名誉男性的な立ち位置で、ある意味男性に媚びるようにして生きている私にとって、社会学の知識は、被差別者を踏みつけるのに(効率的に差別者特権を使うのに)とても役立っています。あとは自己防衛のためにね。
こんな生き方が良くないというのは重々承知している。一番申し訳ないと思うのは、今の世を生きにくいと感じている日本女性たちに対してだ。自分の体を資本として、男の『勘違い』を上手く使う、一種の『戦略的本質主義』を振りかざして生きている私は、本質主義から脱して生きたがっている思っている女性にとって、目の上のたんこぶでしかない。(そして巡り巡って、自分のクビも締めてる。承知の上だ。)
だから、私は世の女性の味方を標榜している。もちろん、偽善だとも分った上でね。日々ご迷惑をおかけしています。女性の皆さん、特に日本女性の皆さん、本当にごめんなさい。
正直、こんな時間に書くことじゃないんだ。明日やることもあるんだし。
ただ、私にとって、考えを大きく揺さぶられる出来事があったから、少し話をさせて欲しい。
ちょっと長くなるかも。あと、女性向きだよ。男性は気分悪くなるかもよ?読むなとは言わないけれど、念のため注意。
http://anond.hatelabo.jp/20090925071837
↑の記事を、オンライン上の友達に、何気なく見せてみた。
ホント、何の反応も期待してなかった。流せる雰囲気だったから、多分何の反応もないだろうと当たり前のように思ってた。
でも、その人は言ったんだ。『抗いたい』って。
この言葉に、私は懐かしくなって、ものすごく申し訳ない気持ちになって、泣きたくなったから、それについて書く。
やってたことは、女性問題、黒人問題、水俣病問題、沖縄基地問題、色々だ。
ゼミ一番ショッキングだったのは、『私が差別者だ』ということを直視しなくちゃいけないことだった。
社会学を学んだことのある人は、どうか笑わないでほしい。私は、私が世界中のあらゆる差別問題の中に居て、その中のほとんどの状況で差別者なのだ、と、抵抗なく認識できるまでにまるまる1年かかってしまった。
「だって、私はなにもしてないのに、ただ生きてるだけなのに、どうして他人を差別しているなんて言うの?」という疑問を解消する、それだけでだ。課題図書や、毎度のレポート提出が嫌いだった。『分りたくない、信じたくない!』ってずっと思ってた。
社会学を学んだことの無い人は、差別問題をどうか他人事と思わないで欲しい。あなたは世界中の差別問題の中に居て、ほとんど常に差別者だ。
日本国民、大和民族、正社員、男性、健康体である、という、ただそれだけで差別者だ、というのは、すぐには受け入れがたいと思う。(先述の通り、私も理解するのにまる1年かかった)それでも、社会という構造の中にいる限りは、その中で差別者として無意識に振る舞ってしまうことが常にある。無意識に、他人を傷つけている。確実に。
そして、たいていの場合、特別に本を読んだり勉強をしなかったら、この『無意識の差別者』状態から、人は絶対離れない。
だって、この状態が最高に快適だもん。味方は多いし、強いし、くさい、汚い、怖いことはないし、安定している。
この状態から、どうしてわざわざ、よわっちい被差別者の味方をしたり、あまつさえこの特権を引き渡すなんてことをしなくちゃいけないんだ?ってなる。
だから、差別者はこの状態から滅多に自発的には離れない。
もうひとつの原因は、『自覚が無くても困らないから』だ。
道を行く人(差別者)は、花を踏んだことに気づかなくても怪我をするわけでなし、なにも困らない。<でも、踏まれた花(被差別者)にとっては一大事だ。>
だから、差別者(マジョリティ)の集団または親玉は、自分たちの得になるように必死に策を練る。
・なんで沖縄の基地問題は、全国メディアで滅多に取り上げられないんだろう?(だって日本はほとんどが大和民族だもんね)
・沖縄の中でも、基地をなくしたいと考える人と、居て欲しいと考える人がいる。これは国が基地の土地貸し出しに対して支払っている補助金の絡みで起こる対立だ。(このせいで、基地問題の県内世論が必要以上に割れている)
・基地移転は出来て、日本国内に基地が置けない理由ってなに?(移転できないんじゃなくて、移転しないだけなんじゃないの?)
例を沖縄基地問題であげてみたけど、ちょっと考えてみると議論のしがいがある(あるいは明らかにおかしい)問題がぼろぼろ出てくるのが差別問題だ。そして、差別問題を華麗にスルーできる特権を持っているのが、差別者だ。
こういう困難な状況にあっても、『これはおかしい』と気づく人、そして声を上げる勇気ひとたちが現れて、差別問題は議論されてきた。
昔と比べて、良くなってきたものもある。(女性問題は、明治時代から女性の権利の見直しを考えようと呼びかける先達の手で、長い時間をかけて、やっとここまできた。)
まだ根強く差別が残り、世代を超えて人権を脅かすようなものもある。(水俣病問題は、未だに遺族が差別を恐れてる。)
こんな問題の事例に4年間触れていて、その当時は、私も思っていたんだ。
『私は、なにも知らないままで人を傷つけるような人間になりたくない。もし差別者の立場を脱する方法があるなら、私はそうしたいし、もし無かったとしても、せめてその差別について理解して、なるべく他人を傷つけないように生きたい』って。
でも、いざこんな気持ちを持って、たくさんの差別問題の事例を知ったあとで、社会に出てみたら、こんな問題意識が苦しいだけだって分ってしまった。
一番キツかったのは、『大抵の男性は、女性を馬鹿にしていること、そのこと自体に全く気づいていない』という事実だった。
何せ、こちとら10年女子校だったからね。付き合いのある男友達は理解のある人ばかりだったし、バイトの先輩は仕事の関係だから、そんなに突っ込んだ発言もしないし。
それが、社会に出たらガラっと変わった。
あなたは差別発言と思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたはセクハラだと思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたは多分よかれと思って言ってくれてるんですね。でも私はとても苦痛なんです。
今まで、女の子同士なら、自然と気に掛けあって丁寧に接していた部分を、先輩が、上司が、特にお酒の席で、何にも考えずぐしゃっと踏みつぶしてその境界を越えてくる。それがたまらなく苦痛で、大学で一緒に学んでいた友達に言ってみたら言うんだ。「わかるよー。でもそんなものだよね」
ああ、こんな苦痛な状況が、社会一般では『そんなもの』で済まされる程度の問題なんだって分ったのは、正直そのときだった。
それで、今はどうやって生きているかというと、日常では、社会学で学んだ問題意識にほとんど蓋をして、生きていくのに便利なところだけ使って生きてます。とりあえず、世間一般様から見て、頭のおかしい奴だと思われない程度に猫被ってね。
男性メインのビジネスの場に立ち、名誉男性的な立ち位置で、ある意味男性に媚びるようにして生きている私にとって、社会学の知識は、被差別者を踏みつけるのに(効率的に差別者特権を使うのに)とても役立っています。あとは自己防衛のためにね。
こんな生き方が良くないというのは重々承知している。一番申し訳ないと思うのは、今の世を生きにくいと感じている日本女性たちに対してだ。自分の体を資本として、男の『勘違い』を上手く使う、一種の『戦略的本質主義』を振りかざして生きている私は、本質主義から脱して生きたがっている思っている女性にとって、目の上のたんこぶでしかない。(そして巡り巡って、自分のクビも締めてる。承知の上だ。)
だから、私は世の女性の味方を標榜している。もちろん、偽善だとも分った上でね。日々ご迷惑をおかけしています。女性の皆さん、特に日本女性の皆さん、本当にごめんなさい。
こんな長文をここまで読んでくださっているあなたは考えるかもしれない。「どうして、そんなひねくれた生き方をするんだ?女性に対して申し訳ない気持ちがあるなら、そんな風に思わなくて済むような道を探せばいいじゃないか」と。
確かに、正論だ。
ただ、今まで男性社会の中を駆け抜けてきた私の人間関係には、そのようにしなければ維持できない人脈が多くある。今更切ることが出来ない、お金になる人脈が。
一言で言えば、こういうことだ。
「こうしなければ、明日のご飯がない。明日の立場がない。明日の社会に居場所がない。そういう危機感に、ただ突き動かされて、ビジネスという男性社会に埋没しているのです」
・・・あ、万一今、「だったら結婚すればいい」とか考えた人がいたとしたら、冗談も大概にしてくださいね。そういうのが仕事を志向する女性のプライドを傷つけかねない繊細な問題だってこと、いい加減気づいて。
そして、そもそも「働けないなら結婚すればいい」という言説を女性に押しつけるのはやめてほしい。
私は今、こんな風に生きているから、正直、最近の私が差別者に立つあらゆる差別問題に対しては、「分る、分るよ-、その痛み。でもごめん、味方はしないよ。余裕ないから」っていうスタンスだった。思い切り逃げモード。そこそこ底辺の仕事で、それより底辺の人たちの頭を足蹴にして得た仕事で生きている日常です。
そこにきて、冒頭のアレですよ。
『抗いたい』という言葉を聞いたとき、まずはじめに思い浮かんだのは、「青いなあ」という、ある種その人を侮った感想だった。
でも、よくよく考えてみたら、それって違くないか?むしろ、この人が言っていることのほうが正しいだろう?本当は、自分が差別者のままで居続けるのって嫌でしょう?その嫌な気持ちがあるから、他の人に対して内心申し訳ないとか思ってるんでしょう?
そんな風に考えていたら、私は大学生時代に一生懸命学んでいた差別問題の事例が懐かしくなって、現在の自分のことを思うと、世の中の女性に対してものすごく申し訳ない気持ちになって、そして、『抗いたい』と言った友人の若々しい気概が眩しくて、それと比べたら自分はずいぶんみすぼらしくなったと気づいて、泣きたくなったからそれについて書いた。
オンラインの友人だから、性別は分らない。
http://anond.hatelabo.jp/20090913020028
「女子校」なら、生徒も先生もほとんど女性で、若い男性なんて、滅多にいない。
「介護施設」も女性率高い。長寿なのは女性だし、世話する仕事も女性のほうが向いてる。男性もいるけど少ない。
「エステ」だと女性が個室で肌をさらす相手が男性なんてあり得ないんで女性しかいない。男性が経営者かも知れないが、滅多に会うことはないだろう。
変わり種だと「レズビアンバー」とか。今でもあるんだろうか。ホストも客も女性だ。
「女性しかいない職場」と目標決めれば、見つけようはあると思う。そういう進路が選べる進学をしていないとしても、そういうところの「事務」なら入れる可能性があるよ。
http://anond.hatelabo.jp/20090909103627
どのあたりが、と言えば。
「友人を犯罪者として(犯罪などおかしていないのに)見ているのに、なお友人で有り続けようとしている」
言い分については、Aに同意。
少年を性対象として見られる人間が子供の教育現場に現れたら私は戦慄する。もちろん、現実とフィクションは違う。けれど、そもそも大多数の人間は「一緒に子供を作れない相手を性対象としない」んだから、対象に出来るというだけでイヤだ。
ちなみに私はバイセクシャル。だから、「私」の性嗜好自体は否定する気はない。フィクションなんだし。私は同性には自分の性嗜好を隠してる。イヤだろうから。
例えば、マンモグラフィーで胸を撮ってもらうときに、計測係の男の人が暇つぶしにエロ本読んでたら、イヤな気分になる。
それと同じ意味でイヤだ。
12時42分追記。
http://anond.hatelabo.jp/20090909112424
増田はどう思う? って、元増田は聞いてるよ。「私がどうなのか」を書いても、この問題に対する回答になってないよ。
私だったら、私がこれから教師になれるとしたら「女子校」にだけは近寄らない。もし、ショタ趣味があったら小学校にだけは近寄らない。実際にどうにかするかどうかの問題ではなく、回りの感情を考えて節度を保つということ。寛容を発揮できるのは節度を持っている相手に対してだけ。
元増田です。
たいていの人は自分に悪意をもっているという疑いをもっていました。
なにしろ二十代前半すぎるまで、女性の笑い声がするたびおびえていました。
(女子校でしたので)
容姿を徹底的にバカにされて、劣等感をもち、異性と関わることに恐怖を覚えたりもせず、
普通の女の子のように化粧をしたりお洒落をしたり、ということもできたでしょう。
虐めがなかったら、少なくとも多少は人を疑わずにいられたと思います。
そういう態度でなかったら、何回も確認したり、人を疑って裏をさぐったりという、
嫌な行動や仕事に支障の出る行動はなかったでしょうし、
なにより普通に人と接することができたと思います。
でも、虐めはなくならないと思いますから、
私の変わりに誰かが首切り恐怖症になって、
私は苛めた後悔に苦しめられつつも忘れているか、
苛められる方にも問題があったと責任を押しつけ、
それなりの幸せを手に入れていたと思います。
某京都の大学やら最近は頻繁に大学で性的不祥事が続いているが、この話は以前にも某大学関係者から聞いていて、昨日またもや別の大学の関係者から、全く別ルートにて聞き、マスコミはおろか、ネットでも殆ど語られていない、事態の深刻さ&闇のお話・・・
以前聞いていたのは国立系大学。昨日聞いたのは旧帝大系大学。共に内容は同じだったので、ほぼ間違いないと思う。
あ、話し始める前に、某京都の大学の件は被害者を非難するつもりは毛頭無く、また加害者を擁護するものでもない。しかし一般的に大学において性的加害者やまた大学関係者の認識が甘いその当たらずとも遠からずな事情について書くよ。
前提として大学セクターって閉鎖的なとこあるけど、それについては当たり前だとして話を進める。
[参照記事⇒留学生受入れの概況http://www.jasso.go.jp/statistics/intl_student/data05.html]
それに伴って多くの以前から考えると質の悪い学生も増えてるそうな。
で、晴れて日本の大学に入ってくる訳だが、彼等は入った後に研究テーマにおいて話し合い、意気込みだけは揚々と語るらしい。しかし日は過ぎてもデータは一向に増えない。データが無いから分析もできない。もちろん学位取得の道は遠のくばかり。そして留学期限の3年が迫ってくる・・・
で、上記の留学生(ここではあえて女子留学生と限定する)等はどうすると思う?
そう。ご想像の通り、学位取得の為に股を開いて学位授与のキーマンとなる担当日本人教官と一夜を共にするわけさ。
で、彼女等は何食わぬ顔をして翌日も学校に来て、そして学位を取り大学を出て行く・・・ってわけ。
これらは殆ど表に出ることも無く、当事者間だけの秘密で闇に葬られる。合意といえども犯罪だ(不正取得及び幇助という点でね)。
一番情けないのは日本人♂教官だが、直情的に「けしからん!」と言う前に考えて欲しい。特に男の場合、女性が向こうから誘ってきたら断固として断ることができるか?100%断る事が可能か?俺はそれがたとえ外国人であっても100%の自信は無いね。いくらかは迷うと思う。そこに彼女等はつけいる訳さ。国内で一個人にハニートラップしてやられてるわけ。
女子留学生等のしたたかさにゃ恐れ入るよ。
で、そんな子達がいる大学とやらは、そもそも閉鎖的なアカデミズムとやらの中で育ってる♂教官等の中に勘違いして日本人もそうだと思い込む輩が出てこないとは言えないよな。
昔から結構な数の不祥事があってたらしい。昔は被害者も泣き寝入りしてたのだけれども今は声をあげると一気に情報化されて流れるから、騒がれてるだけ。でも実態の数(ハニートラップも含めた数)は変わってないっていう事実。だから大学関係者も「ああ、マスコミ台風が来たよ」ってな感覚らしい。
それこそ管理強化をして加害者側が「日本人♀には近づくまい。女子留学♀にしとこ」なんてなったら基も子もないだろ?愛国者じゃあるけど差別主義者じゃないんで、あえて国名は入れてないが・・・想像してくれ。あ、もちろんそんな不貞な事しない国の女子留学生がたくさんいるって事はわかってるよ。
(※話し変わるけど。へぇ・・・日本ってこんな事もやってるんだ。http://strategy.co.jp/modules/bulletin/article.php?storyid=797)
話を元に戻す。
・留学生は優遇
(・出産もタダ)
だれがこんな政策を後押ししてんだ!って話。
後押ししてるのはどうせ理想主義的な開放主義者+男女参画社会推進論者+文部官僚の連中なんだろうけど。
そもそもこの三者って所属してる個々人の考え方が結構似てないか?
・方法1:留学生の受け入れ枠を減らす
・方法2:閉鎖的な教育界に外部からの血をたっぷりと流し込む(産業界から教官をレンタルする?)
ただねぇ・・・いづれの方法も結局は上に書いた人たちにとって都合の悪い結果になる。
・方法1:⇒日本人の入学者数減少⇒文科省予算削減⇒文科省官僚衰退+開放主義者涙目
・方法3:⇒ジェンダー推進者反発⇒教育現場混乱⇒文科省官僚面倒+男女参画社会推進論者本末転倒
要するに今の状況って、構造的問題が大きく横たわってるのにそれを無視して
「けしからん!けしからん!」って言ってたって短視眼的でなんら変わらんよ。って話。。。
一部かもしれないが、上記の様な表に出てこない現実が、今大学で現に起こっている事だけは知っておいた方がイイ。
※注1)
ある意味では「日本の女性も国際競争させられてる」って視点にもなるのかもしれんが・・・
※注2)
http://bouzumekuri.jugem.cc/?eid=275
今話題の僧職系男子でリア住の蝉丸Pのブログを読んで思い出したことを、つらつらと増田に書いてみ増田。
俺の小学校から中学までの同級生に地元のお寺の長女がいてな……お寺のお嬢さんというと某マリア様がみているらしい学園の話に出てくる娘さんみたいな人を思い出すだろうが、実際にはバレーボールでならしたスパルタ思想でいじめっ子、でっかいねーちゃんである……の話をする。
等と言われていたそうだ。ひどいはなしだ。と他人事みたいに言うが、我が家も実は彼女のお寺の檀家であって、俺のじいさんは檀家のなかでも一応役をもらっていたので、それに荷担していたと言えるかも知れない。
当時俺は、ドッジボールとなるとまず真っ先にねらってくるいじめっ子としての彼女しか知らない事もあるし、特に興味もなかったのだが、後で聞いた話によると、女子高生にする話かと思うのだが、
等と話し、終いには
とまで言う大馬鹿者もいたそうである。
地域でも主要なお寺であり、檀家の数も凄く多く、お祭りだなんだと様々に伝統を持つ。地方ではもう珍しいお寺の建物で葬儀を今でもやっていて、盛大なお祭りがあるせいか、檀家の結束も強い。特に、一定の年齢より上の人々は、なんか某新興宗教と地域の宗教を巡ってやりあったとかで、自分がこの寺をまもってるんだー!と言う気質が非常に強いと思う。
酷い話であるが、その両親の言い分もよくわかる。彼女は「おじいさんですか?」と間違われるくらい高齢になってからの娘さんで、一人娘の長女である。高校生の時、父親はすでに60代、住職としては脂がのっている時期かも知れないが、あまり若いとも言えない。
その両親も20歳以上年が離れており、父親は養子で、それも檀家が世話したらしいと聞いた。
また、檀家だって必死である。寺が無くなったら確実にこまるからだ。都会だと葬儀をする専門の僧侶が詰めて宗教法人が運営している葬儀所みたいなのがあるらしいが(よく知らんけど)田舎には葬儀屋はあるが基本的に坊さんは自分たちの所の坊さんに依頼するしかないのである。辛口な言い方をすれば老い先短いジジイ共が自分の墓を心配する、つまり、刻一刻と近づく死への恐怖を別のベクトルで放出しているのである。
おそらく凄いプレッシャーがあったのだろう。
で、結局どうなったかというと、結局彼女は彼が僧侶になることを承諾して、修行だか学校だかに行ってから結婚することになっているので一件落着だった。だもんで大事にはならなかった。門前の小僧、近所の少年である彼女の彼を仏教へと進ませるために言っていたんだ、とその住職や周りの檀家のジジィ共は言うが、それは結果論じゃないかな。まぁいいけどさ。
蝉丸Pの話と違うところは、このお寺は檀家の人数も多く、地元の幼稚園、女子校、女子短大を経営する仏教系学校法人ともつながりがあって住職はその学校法人の偉いさんをやってい等々と経済規模が大きいところである。(その彼女も女子校の体育教諭である)それが救いかも知れず。
特にオチはない。
私は中高一貫の女子校に通い、そこはそれなりの進学校(東大医学部現役合格が出ても騒ぎにならない程度)だった。
校則がほとんどなく(自主性に任せられていた)、教師も個性だらけの学校であったため、すこし浮いた学校だったと今ならわかる。
生徒は自主性を重んじられるあまり大変気の強い人間に育ち、教師に対しての反抗心も露骨だった。
そんな私達がみな慕っていた教師がいる。
おおらかで、先生らしくない能天気さを持ち、えらそうでないのに尊敬したくなるほど人柄がよかった。
そういえば在日だったなあ、と思い返すぐらい、そのことについては印象が薄くて(先生は名前を韓国での読み方にしていたし、在日であるがゆえにうけた差別などについて話してくれたこともあったはずなのに、だ)今思うと不思議でたまらない。
これはどういうことだろう?
私はひとつずつ、先生の言動を思い出していくことにした。
ある日、日数が余ったかなにかで(私の学校は勉強に力を入れていないのでそういうことは日常茶飯事)特別授業として人権や差別のことについて話してくれたことがある。(人権問題の講座の担当もしていたので)
先生が自分が在日であることを自分の口で述べたのもそれが初めてだった。
名前読みは韓国での読み方になっていたので、在日であることはうすうす感じていたけれど、私達は特に意識もしてこなかったので、先生の話にちょっとドキリとした。
先生の話は名前のこと、自分の出生のこと、そして大学時代、友人だと思っていた人から差別されたことや(しかしそれを笑い話にして話してくれた)、それを救ってくれた別の友人との出会い、最後には差別がどれほど人を傷つけるか、けれどそれを救ってくれる人はいるのだ、というものだった。
先生は日本と韓国の歴史に対しては何も言わなかった。むしろ、「日本」「韓国」なんて単語を出すこともなかった。
話では常に自分と友人が登場人物であり、国家の話に摩り替えられることはなかった。
先生は個人と個人の間で起きた差別について実感してもらうためにまず私達に自分の体験を話してくれたのだ。
その後、先生は日本にあった「女人禁制」や他国の差別問題などの話をはじめ、きっとそれが本題だったのだろうけれど、
私達は導入部分であったはずの先生が受けた差別についての話にかなりショックを受けていた。
泣く学生も続出していて、でもそれは自分が先生を差別した友人と同じ日本人だからショックだったとかそういうものではなく、
いい人が不条理な扱いを受けた、という事実に涙していた。差別というものの残酷さに泣いた、それだけだった。
別に先生がアメリカ人で、その友人がイギリス人でも同じ反応をしただろう。(アメリカとイギリスにそんな関係があるのかは知らない)
差別の経験を話す際、偶然先生が「在日」だっただけ。そこに重きは置かれていなかった。
その先生の差別の話を聞いたところで、私達の頭に歴史がよぎるわけもなく、
ただ私達が過去に経験した話を今の友達にするのと同様、その人の財産である経験を見て、さらに信頼を築いている、それだけのことだった。
先生のスタンスは常にこんな感じで、国家や立場を、人と人の関係より重視することは決してなかったのだ。
だからこそ私は、先生が在日であるということを、さほど意識してこなかったんだろう。
こういった状態には賛否あるんだろうと思う。問題意識が足りないとか、そういう点で。
私の学校には在日の子もいて、でもそれも同じように気にならなかった。名前が見慣れないってぐらい。
彼女達も自分が在日であることを隠すわけではなかったけど、それで関係がどうなるってことでもないし、国の名前が会話に飛び交うこともなかった。
問題意識が足りない、と言われればそうなのかもしれない。
歴史問題を考えるいい機会だったのかもしれない。
バックボーンをきちんと理解することが礼儀だって思う人もいるのかもしれない。
でも、私達はそんなことを意識する以前に仲良くなっていて、その関係が密接であるために、国家という大きすぎる定義を取り上げる必要性を感じていなかったのも確かだ。
もちろんそれは日本人である私達がのんきに考えてあげなかっただけだ、ということなのかもしれないけれど、
別に在日の生徒がだんまりをしていたわけでもなく、自分や家族が受けた差別の経験などについては、人権問題のイベントなどできちんと意見する人ばかりだった。
そのさいでも、被差別者だからといって私達が態度を変えたこともないし、それが友人関係に影響を与えることはなかった。
それと同様、私達がただ友達で、青春時代をともに過ごす関係である上で、国家や歴史は特に持ち出すべき問題ではないと私達も、彼女達も考えていたんだと思う。
私達の中で、彼女達に日本人として申し訳ないとか思う子もいなかったし、あなたたち韓国人ってなんで歴史捏造するの?と思う子もいなかった。
私達は学生番号XXXXX1とXXXXX2で、仲がよくて、クラスメイト。
それでよかった。
これがいいことだったかはわからない。最後までいい先生、いい友達、で彼らとはいられたし、差別だとか思いつかないほどだった分、歴史問題について意識が薄くなってたかもしれないことは確かだ。
世の中にそんなに在日を嫌う人や、在日の中で日本を嫌う人がいるんだって考えもしなかった。
はっきり区別するものだということ自体に驚いた。
世の中の状況をネットなどで知って、私も国家についてすごく考えるようになる。
その反応する人に反応する人もいるし、
あの学校生活と反対に、国家というものが人間関係ですごく重視されているのがネット(特に不特定多数が出入りする)だと思った。
学校では校舎という狭い世界に閉じ込められていて、クラスや学年で個人個人がちゃんと識別できていたし、「あいつ1組だし」とか「あいつ三年だし」とかでちょっと冗談で偏見持ったこともあったかもしれないけれど、国家なんて大きすぎるものさしで人を考えることはなかったのに、不思議だと思った。
広すぎて、人が一人一人区別できなくなってくるし、クラスや学年でちゃんと整理されているわけでもない。むしろわざと匿名や不特定多数の出入りでわからなくなっているところもある。
そんな中で、ちゃんとはっきりとわかる「個」というものは、ネットを構築している言語だろう。
日本語のサイト、フランス語のサイト、フィンランド語のサイト、英語のサイト…。
日本語のサイトを見たとき、その人がどこにいてどんな人なのか、なんてわからないことも多いけれど、
日本語があるのだから、きっと「日本人」なんだろうと思うことができる。(例外ももちろんあるけど)
そこにいるのが誰かまったくわからない世界に飛び込めば孤独感で人が不安になるし、なんとか判別できる個性を見つけようとするだろう。
けれどネットは混沌としすぎていて、ちゃんと分けるとき重視してしまうのが「言語」、そして「国」ぐらいしかないのではないだろうか。
日本の土地に住み、日本の学校や職場に通っている間、頼るはずもない「自分も相手も日本人」という意識が、
こうした広大な世界に入るととても重視されていき、
結果的に「自分は日本人」という自覚が、どんどん大きくなっていく。
国家はこうしてネットの中で重要視されていくんじゃないだろうか。
私も今は「自分は日本人である」という意識、そして「○○人は好き・嫌い」だとか考える気持ちが芽生えている。
でもそれはあくまで、不特定多数が出入りし、そして個があいまいになった集団の世界にいるときだけだ。(あと、政治問題もこちらかな、と思う。人一人ではなく、国と国の問題だから。)
個人で向き合ったときそれは払拭すべきで、学校生活のおかげか私はそれが自然とできるようになっている。
人一人と向き合ったとき国家関係や歴史というものの影響がすっかり消えてなくなるというのはすごく不思議な現象で、当たり前のことのはずなのに、すごく平和に近いんじゃね?とか思えてしまったりするのは、私はまだまだ平和ボケしているからなんだろうか。
違うと良いな。
私は特に女が陰湿だとか怖いと感じたことはない。
それどころか男よりいじめをする人が少ないし暴力的な喧嘩もないし安心する。
私は、男も女も陰湿さはそんなに変わらないのではないかと思っている。
「男も女も~変わらない」って主張をするなら、
「男は女より~」とか「女は男より~」って話を先にしちゃだめだろ。
女が特別陰湿だというなら、誰も女子校なんて行きたがらないだろう。
別に陰湿さを好んで学校選んでいる人なんてあんまりいないと思うが、その陰湿さが女しかいない事ゆえの副産物だとしたら、
そりゃ、受け入れざるを得ないデメリットだわ。
そうした別物を「どっちがどう」って比べるのもナンセンスだけど
そもそもそんなのはない、ってのは飛躍しすぎ。
そういう事を言うのは臭いものに蓋な奴か、視野が狭いかどっちかだよ。
学年によっても濃さは違うから、3,4年違いの人or兄弟姉妹がいる人に聞くと良い。
(大体どこも3,4年で雰囲気ががらっと変わってる)