はてなキーワード: モニタとは
それ姿勢じゃないかなあ。近い距離で何かに注目してする仕事ならPCでなくとも目はちかちかするし肩も凝る。
特に肩こりの第一は肉体的な緊張なんだから変に力がかかってるところがあるんだよ。作業に集中すると変な姿勢による多少の痛みなんか無視するでしょ?そうやって蓄積する。作業中の姿勢を確認して身体に緊張してる箇所がないかどうか確認しては?他にもノートPCじゃ疲れて当然だし、安い液晶も左右の視野角の違いで疲れる。目とモニタが近すぎると中心部と辺縁部との距離の違いで疲れる。キーボードは自然な姿勢で座ったときの肘の高さでないと…とかね。
10万出してアーロンチェア使えってことじゃなくて(この椅子は要するに調節機構の塊に過ぎない)、とりあえずは座面角度の調整のできる椅子を使ってはどうですかね。調整可能な肘つきもふっと休むときに置けるので凝り解消になるよ。
3年ぐらいまえまではPC2台(ときどき+ノートパソコン)で作業していました。ディスプレイは2枚。
といっても片方は鯖とかコンパイルとか、他のサーバーマシンのモニタ、遠隔操作用なので、ほとんどマウスしかつかわないんだけどね。
今のご時世はPGがコーディングにディスプレイ二枚つかうんですか?
なんのプログラム??
コーディングだけだったらどでかいモニターの方が効率よくない?
HTMLとかGUIを書くようなプログラマーにはいいのかな??
デイトレーダー(注文用と情報確認用でひどい人は6台ぐらいつかってたりする。)
少人数会議などでノートからモニター出力ができる環境つくっておくとみんなと画面がシェアできて便利。
HTML,CSSコーダー(画面が構成とかが常に確認できると便利そうだよね)
ネットショップとかで商品登録とかをしながら画面を確認する用(これは複数PCの方が便利かな)
という理由でいつの間にか増えたらしい
新規ものはDNPも凸版もWindowsのInDesignに切り替えが進んでいるのでご安心を。
どちらも上層部はAppleを見捨てているようで(OS9→OSX と G4→G5→Intel で互換性がひどすぎ、業務に耐えうる品質ではないと判断したらしい)モニタカラープルーフ(つまりモニタで確認しつつの画像分解・修正)以外にMacの出番はなくなる勢い。
正論だけど、顧客自身もユーザーだからね。とある大企業のサイトのアクセス解析を見たら、実は自社社員のアクセスが一番多かった。営業が商品カタログ代わりに使うことのほうが生活者より多いのだとしたら、彼らのモニタサイズに合わせるのもありかもね。
http://anond.hatelabo.jp/20070811003350
「家」「寿司」と「ウェブサイト」の違いとは、「自分が使い手か、他人が使い手か」なんじゃないかと思う。
家や寿司は自分が使ったり自分が食ったりするけど、ウェブサイトは注文主ではなくて他人が使うもの。
それなのに、ウェブサイト作成を頼む注文主は、往々にして「自分にとっての使い勝手=閲覧者にとっての使い勝手」だと勘違いしがちなもの。
他人のパソコンでの見栄えがどうかなんて、ちっとも気にしない。とにかく自分のパソコンですごく派手でクールな見栄えならそれで満足してしまう。
たとえば、自分の趣味全開の「Flashで派手に画面が変わったり何だか変な音がする」「marqueeや派手な色や大きな文字でゴテゴテに装飾」なんてサイトの方が『楽しいし、人目を引きそうだ』なんて思い込んで、そんなサイトを註文したがるもの。
あるいは、自分の使ってる1280x1024ピクセルの大きなモニタいっぱいにページを埋めないと、隙間がもったいない、なんて思うもので、1024x768とか800x600くらいで閲覧してるユーザだとページが切れてしまう、なんてことを、ちっとも想像しない。
ホームページ・ビルダーなんかで自分でウェブサイトを作っちゃう人だと、「改行位置が気に入らない」と言って、別の解像度のPCだと表示が狂ってしまうにもかかわらず、とにかく自分のパソコンで最適に見えるような位置にスペースでインデント&強制改行を入れる人が結構多いけど、似たような事を註文する人もいたっけ。
「ウェブサイトは、あなたのパソコンで完璧な表示ができれば良いのではなくて、いろんな環境のみんなのパソコンで最大公約数的にベストな表示や使い勝手を目指さなくてはいけない」というところから、いちいち説明しなくてはいけないのだ。
もう少し世間(モニタの外)に目を向けるといい
PCの電源はつけっぱだなあ。モニタだけ電源切る感じ・・・と言おうと思ったら他の増田が既に。
将来、モニタはきっと何かのロボットアニメみたいに画面だけ空間に表示されるようになると妄想。それかメガネ型かな。
若者はきっと順応性高いから説明すれば分かると思うんだけど、理解して日頃から使おうとしていないことに問題があるというか、もったいないなあ、と思ってる。その辺が欠けてるのを、ITリテラシーの欠如と表現したかった。能力があっても実際に使ってないと意味が無いというか。それに気付くことのできるような機会を、操作が簡単な携帯ばっか使ってるうちにみすみす逃してるんじゃないかと。会社入ったら自然とPC使いこなすようになってくれるのかなあ。
寝てるとき以外、PCいつも点けっぱなしにしてるよ。だから、モニタの電源入れればいつでも準備OK。個人的には、むしろ携帯のちっさなボタンで入力する方が遙かに面倒かな。
ただ、一般PCに使われてるHDD規格(SATAとか)は常時電源ONを考慮して作られていないはずなので、複数台PC環境じゃないと、ちょっと危険かもしれない。RAIDでもいいだろうけど。
あと、PCはウチではテレビ兼メモ用紙兼新聞兼落書き帳兼ゲーム機兼……って感じで使ってるから、仕事以外でも大活躍してる。ネットの世界は広大だけれど、ネットだけがPCの醍醐味ではないよ。ネットはむしろツールの一つに過ぎないから。
その辺の根拠は、携帯でしか出来ないことがあまりない、
今はそうだね、と個人的に期待しているので、そこらへんで相容れないのかも。
最終的に、人は携帯電話くらいの大きさのPCを持ち歩き、本腰入れて作業したいときに近場のモニタを探すかもしれないな、といった未来を思い描いてる。
実際、仕事以外の面では本当にPC要らなくなりつつあるよ。携帯電話のデータ通信を定額にしたおかげで、ネットは殆ど携帯電話で閲覧するようになり、PCを起動する機会が格段に減ったな。だってさー、ネットやるのにいちいちPCの電源いれるのって、すげーかったるくねー?
あと、PCに不慣れな若者に、携帯電話での操作におきかえて説明すると解ってもらいやすいと実感してるだけに、別にそれがリテラシーの低下だーとは全く思えないんだな。
ちっちゃい会社なんだけど、モニタを買い換えたいというので一緒に近所の電気屋に行って、俺の好みも込みで
http://jp.gateway.com/products/prodDetails.html?prod=FPD1975WJ
これを買った。自分も新しいモニター欲しくて、ワイドもいいかなと思ってたので。あとバイト先の人も「綺麗だし安いしいいじゃん」とかいうので。
で、もって帰ってきて付けたら、解像度が対応してない…1440*900?
そうリッチなマシンじゃないし、ワイド買うなら当然考えられることだったんだけど、失念してた…。
一応1280*800?ぐらいで表示は可能なんだけど、全体的にちらちらした感じで凄い醜い。バイト先の人はこんなもんかと思ってるらしく何も言わないけど…選んだ手前凄く申し訳ない。かといって追加でいいVGA買ってくだしあ、っつーわけにも…。
大体スリムタワーでロープロしかだめだし…と思って探したらヤフオクで結構安く出てるので、自腹で買ってみようかと思うのだけれども…
http://www.xiai.jp/products/xiai9250-dv128pci.html
これに目を付けたんだが、どこ探しても対応してる解像度、とかってのは載ってないのね。最大は載ってるんだけど。
http://anond.hatelabo.jp/20070504144115
それじゃモノクロだよ。縦、横、濃度(輝度)だ。
PCモニタを通した話をすると、縦、横、R、G、Bであるし、現行のアナログテレビは縦、横、輝度、色差信号、色差信号である。5次元情報だよ。
これが印刷物になると、実物と同じ次元まで行ってしまう。可視な波長一つ一つに対して、CMYK特色箔押しなど各種印刷用塗料・染料素材の分光反射特性と印面の反射特性の合成を行った関数に対し、光源のスペクトル分布を掛け合わせた後、ヒトの持っている眼球と脳での処理を重ねて色というものは得られる。
可視光は大体380nm-780nmの間だから、簡単のため1nm単位で反射率を離散化して各波長に一つデータを割り当てるとしても400次元が必要だ。*1
印刷されたイラストは402次元、モニタのイラストは5次元ということにしようじゃないか。
(*1 実際の研究の話を聞くと、現行の3では光源変更のシミュレーションに耐えられないが6だとだいぶマシになり、16ぐらいでそれ以上増やしても労力の割には効果が少なくなってくるほど高い効果が得られるらしい。)
http://anond.hatelabo.jp/20070529105309#
http://anond.hatelabo.jp/20070702220146#
■やっぱりさ、温情なんかやめて
悪は徹底的に叩くべきだ。中途半端な叩きかたするから癌細胞みたいに悪は増殖するんじゃん。遠慮もなにもしないで断固粉砕でいいじゃん。
「善も悪もそんなのは主観なんだからそんなのはない」っていう人は自らが悪に荷担している事を知れ。こういう偽善者こそ大嫌いだ。分かったフりなんてするんじゃねーよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070719111334#
■転売がイケナイのって
今回のアニヤのバッグの場合、全然欲しくない人が転売の為にアニヤのバッグを買い占めて、他の欲しい人が買えなくなる事例が出ているのだけど。
その欲しくない人が転売の為に買って、高く売りつける行為は経済的な付加価値を生み出さないからイケナイんじゃないの?
けーざいがく的に転売がイケナイのってそういうことじゃないの?
http://anond.hatelabo.jp/20070731115229#
■
更生できなかったら無期懲役。
更生の見込みがなければ無期懲役。
本当に更生できるかは刑務所の中の人の頑張り次第。
人のやることに完璧はない、という問題であって、
http://anond.hatelabo.jp/20070724093345#
■http://anond.hatelabo.jp/20070723224418#
技術革新はユーザーに驚きをもたらさなくなった、ある一定以上の複雑さはユーザーの限界を超えた、ある一定以上の高画質はモニターと動体視力の限界を超えた。
この頃のユーザーは0から共に育ったユーザーとは打って変わってもう大分進んだ先からゲームに触れた世代だというのもある、もともと高画質の世界を見てきた世代だ、いまさらMOVEの華麗さに声を上げることは無い。
360やPS3をHD対応のTVやモニタに繋いでプレイしてみろ。
戻れないだろ…。
http://anond.hatelabo.jp/20070811131813#
表に出てきていない。
実際に、この機械を使って初期癌を消した人もおり
末期癌患者はこの機械を使っているときに痛みが取れる、と話していた。
何故その機械を知っているのかというと、私もその機械を実際に使ったことも、治療に当たったことのある人間の一人だからだ。
特許も取れているし、量産して全国配備すればどれだけの人が救えるのだろうか。
7並べのカードのように、出さずに手元に持っている人たちが居るという事態が、私は許せない。
自己利益を求めるのではなく、多くの人が救われるようになってもらいたいと心から望む。
http://anond.hatelabo.jp/20070814113827#
■「どんだけー」を使う人間はIQ80以下、SS40以下と言う定説。
http://anond.hatelabo.jp/20070814102023#
ひたすら勉強だ。
学生時代もそうだが、大人も勉強しなくてものらりくらり適当に生きることは出来る。お前みたいに。だけど少しでもよりよい生活を、よりよい仕事をしようと思ったら、ひたすら勉強。学生時代と違って、受動的な勉強じゃなく能動的な勉強をしなければいけないから、出来ない奴は落ちこぼれる。
http://anond.hatelabo.jp/20070820171302#
■http://anond.hatelabo.jp/20070820161916#
「サラリーマン」って、給与所得者が自分の処遇を愚痴るときに使われる決り文句のような気がする。
夕刊フジや夕刊ゲンダイの記事に、いかにもありそうなんだけど、
とか。
http://anond.hatelabo.jp/20070822082933#
■アルコール抜き
昨日はアルコールなし
一昨日は氷結350ml
だんだん普通の生活?にもっていけるのかな
http://anond.hatelabo.jp/20070822003934#
■http://anond.hatelabo.jp/20070821215228#
http://anond.hatelabo.jp/20070823005253#
■職種と生産性
職種と生産性に関する素朴な考え。
最初に自分の考えを言うと、現在の社会では、作業量に応じて線型に利益が上がる職種、作業量に応じてステップ関数的に利益が上がる職種、作業量に応じて指数関数的に利益が上がる職種の3種類があると思う。
作業量に応じて線型に利益が上がる職種としては、美容師、料理人、介護士、小売店員、工員、医師等がある。
これらは、人間の命に関わる職種(医師)意外は、人材が買い叩かれる傾向がある。平均レベルの従事者では他の人と取替え可能であり、それゆえ低い給料に甘んじることになる。しかし、取替え不可能な非常に高度な人材、つまり高級料理の料理人、有名建築家、有名華道家などは概して高給である。
作業量に応じてステップ関数的に利益が上がる職種としては、メーカーの技術職、システムエンジニア、営業職等がある。これらの職種の多くは、大卒を最低保証とする程度の一定の知的技能を必要とするが、特定の組織の中での部分的な利益を出し合うにすぎず、利益の幅は限定的である。
最後に、作業量に応じて指数関数的に利益が上がる職種として、金融、マーケティング、広告、商社、コンサル、経営者等がある。これらの職種は個人の決定が他業界にも波及し、結果的に指数関数的な影響を与えうる。たとえば、金融はグローバル化が進み、非常に流動的である。トレーディングを最適化すれば(実際には不可能だが)、作業にかかった時間の何乗ものレートで利益が生まれることになる。また、商社は日本を中心とした二国間での物の流れ決定する。その決定はさらに、最終製品から原料にいたるまでの複数の国間の物や金の流れにも影響し、それがさらに日本にも波及することになる。したがって、周辺ノード(国)への波及という点で指数関数的な利益を生み出す構図がある。
今後、経済はよりグローバル化し、市場におけるひとつひとつの判断が大きな影響を及ぼすことになる。このような中で、定型の仕事や、組織の中での限定的な影響しか持たない仕事ではなく、不確実性に対処し指数関数的な利益を生み出す代えのきかない人材が求められることになると思う。
http://anond.hatelabo.jp/20070823233243#
■何でも楽しいという友人
「数学と現代文はパズルだし、物理や化学や生物や地学なんてさ、物体や宇宙や、物体の動きとか、そんな宇宙の根本的なところの話で普通に知ることが楽しいし、倫理なんかも人間の根本的なことだから楽しいし役立つし、しかも過去の超天才、超有名人たちのエッセンスだけピックアップして体系化して知れるんだから倫理なんてマジで超お得じゃん!現代社会とか政経なんて普通に新聞読む時とか実生活に即役立つし、歴史なんて、俺らと同じ人間の今までのビッグニュースを集めたもんだし、しかもなんせ歴史はマジで起こった事なんだぜ、楽しいよ。理科も、架空の事じゃなくてマジで今のここにある物体の仕組みの事で、リアルありまくり。全部即役に立つじゃん。楽しいじゃん。古文も、日本に文字とか文章とかの文化が生まれてから今までの超有名作がピックアップされててマジ便利。楽しい。漢文もそうだよ。だから勉強って超楽しいよ。ついつい夜までやっちゃうんだ。やめようと思ってもなかなか「あとちょっと」とかいってやめらんなくてさー」
大体奴はそんなようなことを言っていて、周りの皆は「理解できねえ」と苦笑いしていた。俺も含めてだ。
そして奴は、東大へ行った。
知ることが楽しいのだという。
他人の、自分の知らない趣味の話なんかされても、たいていの人は「へー」「ふーん」で流すばかり、気付けば一人で盛り上がってて周りは苦笑、てなのが常だが、奴はどんなことでも目を輝かせて聞く。
たくさん聞きまくるから、話してるほうは愉快で、もっと話す。奴はもっと聞く。困った事がただ一つだけある。奴がその後、その分野について、初めに話した奴より詳しくなってしまうことだ。そうなると相手はちょっと、面白くないようだ。
「どんな事でも楽しいよ。そりゃ最初から全部楽しいわけじゃないけど、どんな事でも、世界に一人はそれを楽しいと感じてる人がいるわけじゃん。どんなマイナースポーツでも、どんなマイナーな趣味でもさ。それだったら俺も楽しめるなって思うんだよ。楽しんでるその人がどういうところで楽しんでるのかって思いながら楽しいんだって軽く思いこみながらやってるとそのうちマジで楽しくなってくるし、楽しさがわかってくる。どういう所を楽しいと感じているのかってのが。基礎知識をある程度詰め込めば、それなりになんでも楽しくなるよ」
「でもその基礎知識を詰め込む時点では面白くないわけだろ?」
「まぁ、その時点ではその事に対して面白くて仕方がないってわけじゃないよ。でも、未知のものを知っていくっていうのは、楽しいことだよ。例えばサッカーを全然知らなくて、サッカーについて知ろうとしてるとき、そのときはサッカー自体について楽しくて仕方がないってわけじゃないけど、全然知らなかった未知のものについて、おおまかでも概要を掴むっていう動作が楽しいんだよ」
「それ楽しいか?」
「楽しいよ。概要を掴むとか、体系化するとか、そういうことが俺大好きなんだよ。段々世界を把握できていく気がして、すっきりする。怖いのは、そういう事をしていって、ついに知ることがなくなったらどうしようって事だけど、でも今の時代そんな怖さは全くないから。無限にある。いつまでもある」
「そういうもんかなあ」
「うん。そんで、大体概要が分かると、細かい事も知りたくなってくるんだよ。あと、日常でも、今まで見えなかったことが見えてくる。これは比喩じゃなくて、さっきのサッカーのことでいえば、今まではネットでサッカー関連のニュースがあっても、たとえ目がそこに向いても実質見えていない状態だったりするわけなんだけど、それが、目に付くようになる。「あれ?サッカーの事ってこんなにやってたっけ?」って気付き始める。そうすると、また知るだろ。そんで、知ると、また知りたくなる」
言うまでも無く奴は非常に博識である。
だが奴自身はそんな風には思っていないようだ。
小学校の時、嫌な場所の掃除当番になったときも、奴は面白がっていた。
「どうとでも楽しみ方はあるよ」
「どこがだよ。つまんねーよこんなん」
「めっちゃがんばって綺麗にすれば、楽しいじゃん。今まで汚かったのに、俺らがめっちゃ綺麗にできたら、楽しいし、すごいじゃん。先生も褒めてくれるし、優等生気分じゃん」
「うーん」
「それか、時間でもいい。めっちゃ綺麗にしなくても、いかに早く、大体を終わらせるかってのを目標にしてもいい。早くする方法を考えるの、楽しいだろ?それに、早く終わると、楽しい」
「まあそれはそうだけど」
「一番楽しくないのは、楽しくないって思って、ダラダラやることだよ。それは全然面白くなんない。つまんないとか嫌なことは、つまんないとか嫌だって思って嫌そうにやると嫌なままだけど、開き直って、おっしゃ、やってやるって、目標立ててやると、結構面白いよ」
俺らはかつてないほどその場所を掃除した。ただし時間内には必ず終わるように。だからすっげー必死になってやんないと終わらないから、チャイムがなったら急いでその場所にいって、嫌だとか考える暇もなく、ただおりゃーって頑張ってやってた。手が汚れるから嫌だとか前は考えてたけど、やるって決めてからはんなこと考える暇もなくてただやりまくってた。そして気付いた。手が汚れたら洗えばいいんだと。めっちゃ綺麗になって、俺らは先生から帰りの会で褒められた。
http://anond.hatelabo.jp/20070824125319#
■http://anond.hatelabo.jp/20070823233243#
知的好奇心つながりで一つ自分の話を。
自分は東京の街並を眺めるのが好きです。
特に新宿の高層ビル群とか、東京タワーとかレインボーブリッジとかの巨大な建造物が。
ちょっと近づいて地上数十メートルの巨大な建造物、
その部品に使われる小さなネジ・・・
と、だんだん小さな部分に注意を向けていきます。
で、はたと気がつく。
今、自分の視界に入っている、凄く巨大なものから凄く小さなものまで、すべてどこかの誰かが作ったものなんですよ!
普通に考えると当たり前の事なんだけど、よくよく考えるとこれってもの凄い事だと思いません?
こういう視点で街やいろんなものを見てると、素直に「人間て凄いなぁ??」と感動してしまいます。
こんな風に街を見てる人って少ないのかなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20070829100649#
■格差と想像力
こういうことを書くと「偉そうに」と怒られるのかもしれないけど、ある意味TB先と同じ話だと思うので書いてみる。
http://anond.hatelabo.jp/20070826235204#
私は親には相当程度恵まれていたクチで、別に裕福ではなかったけれども教育費に事欠くようなことはなかったし、親の勧めで進学校に進み、世間的には一流と呼ばれる大学に進んだ。自分自身その当時の境遇には満足していたし、親も喜んでくれたし、ささやかな優越感を楽しむことも出来た。
大学は楽しかったが、私は特に大学の成績には興味が無かった。先輩の話を聞いていても、大学の成績が良かったからといって、それこそ総代にでもならない限りは大したメリットは無さそうだったし、なにより自分が興味をもてない科目をちゃんと勉強するほどの忍耐力は子供の頃から全く無い。自分の好きな科目だけはすべて優でそろえてそれで満足していた。
卒業して就職し、何年か経つと、周囲の友人たちの一部が留学を始めた。それまで自分が海外で暮らすとか、海外で勉強するなどということは想像の遥か外側にあったので、そういうことが可能なのかということ自体に結構驚いた。その当時はそれ以上考えが進むことは無かったのだが、仕事をしていくとその分野で日本が決定的に立ち遅れていることが見えてくる。これはちゃんと勉強しておかないと10年後に必ず行き詰るなと思ってアメリカ留学の準備を始めたのだが、ここで壁にぶち当たった。
アメリカの大学院はどこも学部時代の(場合によっては高校も含めて)成績を重視する。GPAで3.3(優と良が半々で少し良が多いくらい)は足切ラインであって、それ以下だと申込書を送ることすら出来ない場合もある。もちろん、実際に一流校で合格を決めるにはそれよりも遥かに高い、例えば3.9(ほとんど全部優)とかが求められる。GPAなんてものは存在も知らなかった私の成績は3.3を割り込んでいた。
もうひとつ重要なのが推薦状。アメリカの大学で博士号を取り、出来れば本人も世界的な業績をあげている人に推薦状を書いてもらうことが望ましい。残念ながらそんな人はほとんどうちの大学にはいなかった。というか、そういう先生がごろごろしているのは東大他数えるほどしかない。しかも推薦状は3通必要。私は推薦状のネームバリューを考えるどころか、3人の推薦人を揃えるだけでも精一杯だった。
それでもなんとかアプリケーションを書き上げ、会社に隠れてTOEFLの勉強をし(この時期の平均睡眠時間はちょっとやばいことになっていた)、会社に迷惑はかけられないので合否の結果が出る前に辞める宣言をして代わりの人材を自力で調達し、やることはやって合否の結果を待った。結果はほぼ全滅に近かった。中堅大にぎりぎり引っかかっていたのは運が良かったとしか言いようが無いが、その当時はその幸運に感謝する気にはなれなかった。
その後アメリカに行ってから、自分がアプリケーションを出した大学のうち結構な数が「世間的には難易度がそこまで高くないと思われているが、募集人数が少なかったりして実は非常に入りにくい大学」であったことを知った。比較的まともな大学で日本人を積極的に受け入れるところがあったこともその後知った。東大からハーバードみたいなところに進む連中は、学部生のうちから留学準備をしている先輩を毎年見ているわけで、この辺りの情報は常識であったらしい。まぁ、ハーバードだMITだのに進む学生はそもそも私などとは比べ物にならないほど優秀だったので、特に腹も立たなかったのだが。それでも、うちの大学でもGPA3.8位あれば学部によっては超一流大を狙えた事を知ったときは少し堪えた。
中堅大のハンディキャップは就職活動に現れる。ハーバード、MIT、スタンフォード、イェール、そしてプリンストン(分野によってトップ5の大学は変わってくるが)。これらの大学にやってくる求人広告とうちの大学に来るそれとはかなり明確に差が出てくる。イェールの友人にそれを愚痴ったら、「ハーバードとMITは特別扱いなんだ」と愚痴られた。
もし日本の大学に入った直後にこの辺りの事情を知っていたら、そして自分にもそういった「とんでもなくエリートっぽい」キャリアパスがあり得るのだと想像できていたら、自分の人生はもう少し楽になっていたと思う。情報なら幾らでもあった。世の中には留学ガイドがあふれていたし、掲示板にだって色々なことが書いてあった(その頃はまだインターネットは無かったわけだが)。本屋でちょっと手に取っていれば必要な情報の半分くらいは入手できただろう。でもそうしなかった。そんなこと想像も出来なかったのだからしょうがない。親も友人も、海外にまで出て行く人間などいなかった。就職先で留学する人間に出会わなければ、今でも想像できないだろう。
結局、人間は社会に縛られる。それはしょうがない。誰かが悪意を持って情報を隠しているわけでもない。多分こちらから聞きに行けば喜んで教えてくれただろう。でも私はそうしなかった。想像力が足りなかった。想像力が足りない自分が「悪い」わけじゃない。ただ運が悪かっただけだ。それでも、そういう運の良し悪しも含めて自分の人生なわけで、それを嘆いても始まらない。架空の「すべてをコントロールするエリート」をでっち上げて彼らのせいにしたって虚しいだけだ。
結局私は海外で就職して必死に働いている。多分また無意識のうちに別の「社会」に縛られているのだと思う。もう少し世の中が見える人からは遠回りしているように見えるのかもしれない。でも自分に出来るのは手持ちの知識と能力と時間のなかでベストな選択をすることだけ。今の自分に満足できないからって「格差社会が悪い」と大上段の議論をするより、自分の手持ちの駒の使い方を考えたほうがいい。
http://anond.hatelabo.jp/20070904222327#
■http://anond.hatelabo.jp/20070904214759#
増田とか2chとかうろうろしてるとやたらにクズな奴の話とかが出てきて、ついこの世はクズばかりかと錯覚してしまうのだが、これと同じで、単に「普通の人」とか「いい人」の話はあんまり皆書き込まないだけなんだよな。「え?なんでこの人たちこんなに類稀なクズばかりが周りにいんの?有り得ないだろ。ネタ?」(実際ネタもあるんだろーが)とか思っちゃうんだけど、そういう類稀なクズに出会ったからこそ書いてるわけで。リアルにいるときはそんな事忘れてるんだけど、ネット上ではついそうやって勘違いしてしまう。こんなクズたちに会ったことのない自分はめっちゃ幸せもんなのか?とか思ったりするけどそうじゃないんだよな。
http://anond.hatelabo.jp/20070904225227#
■そうね
クズに会う確率は誰でもそんなに変わらなくて、
書き込もうと思うかどうかのほうが人による気がする。
俺もうちの社長のこと何回書き込もうと思ったことか。
http://anond.hatelabo.jp/20070905094121#
■http://anond.hatelabo.jp/20070905015711#
自分、5桁代前半(1xxxx)だけど、その頃の事を言いたかった。当時は知らない人の所見て回って、ついた足跡から仲良しになるなんて日常茶飯事だった。
そんな雰囲気の事を言いたかったんだ。
http://anond.hatelabo.jp/20070906151611#
■1000から2000字ていどの文章書いてと言われたら
俺がいつも念頭に置いている基本形(だが変形することの方が多い)
http://anond.hatelabo.jp/20070906150600#
- 思いつくネタを箇条書きにする→マインドマップでもよい
- オーソドックスな三段構成(はじめ・なか・おわり)で配列してみる→おそよの筋を見つける
- 筋に必要な話題を追加し、入れると構成が取りにくい話題を削除
- 箇条書きのネタを膨らませていく→実際の文章を書く
- 構成の再整理
追記:
もっと長い文章を書く場合、小見出しをつける癖をつけると良い。構成のとき、最初からおおざっぱな小見出しを書いていくというのも変形の一つ。話題のグルーピングがしやすい。
http://anond.hatelabo.jp/20070906153931#
■Re: 1000から2000字ていどの文章書いてと言われたら
http://anond.hatelabo.jp/20070906151611#
私が苦手なのは接続詞。「しかし」「したがって」「そして」「さらに」などなど。
これらがワンパターンになりがちで困る。気が付くと、重ねて使ってることが多々。そして、どうつなげるのか悩む。
なので、最近は、まず接続詞はなしで書く。どんどん切る。その後、つなげていく。すると、そもそも書くべき順番を間違えていることに気が付く。
でも、やっぱり苦手。
生きてゆくために 何をすればいいかなんて
僕の父さんだって きっとわかっちゃいないのに
さんざん欲ばって ぼくがたどりついたのは
どっかで聞いたような、サルマネのコンセプト
愛をうたうために 何をしておくべきかなんて
今さら真剣になって ちょっと考えちゃうけど
さんざんほっといて 逃げ倒すだけ逃げといて
どんなツラさげて 今書けばいいんだろう
増田に書き込んで その場しのぎでつながって
ぼくの青春なんて きっとたわいもないけど
真剣な顔で君と交わしたトラバは
ぼくのたった一つのプライドになったんだ
君のブクマにとどくがいい いつの日か消えてしまってもいい
君のブクマにとどくがいい
http://anond.hatelabo.jp/20070119230616 (と、其れに対する反応)を拝見して羨ましくなった。
素直に、羨ましい、と思う。
きっとこの方は、増田でこのようなエントリを上げていらっしゃるけれど、現実でも上手く寂しさを消失させる手腕に長けているのだろう、と想像した。そうでなければそこまでの流れを踏まえた上であの文章でこの内容は書けないだろう。そう考えた故の想像だ。
私には無理だ。
「さびしい。メールや電話をしてくれる異性の相手が欲しい」と考えているのは同じだが、其れを上手に表に出して、結果を出す方法が判らない。
現実でも電気の網の上でも、全くそういうスキルのない私は、ただただ羨望の眼差しでモニタを見つめ、二匹目の泥鰌を豆腐に滑り込ませる様をイメージしているだけだ。
嗚呼やはり、どう書いても二匹目だ。先に作った泥鰌豆腐を泣きながら食べる自分を想像し、涙しながら眠ることにする。
追記:
丑三つ時のエントリだったというのに反応をいただいた。涙が出るほど嬉しく思った。ありがとう。
http://anond.hatelabo.jp/20070120014619
とりあえず性別書いてみろYO。
当ててみろYO、と返すべきなのだろうか、と考えてしまう。もちろん素直に「男」「女」「その他」等正答にて返すのが筋なのだろうが、増田で素直に、というのも何だか面白味に欠ける…と捻れた思考が巡るから寂しい毎日なのだろう。
個人的には「文面で判ると思ったYO!」、なのだが…。
http://anond.hatelabo.jp/20070120014842
でも俺はあんたみたいな人の方が好きだよ
ありがとう。人から好きだと言われることなど久しく無かった、嬉しかった。貴方みたいな人がもっと現実に沢山居れば好いのに。
http://anond.hatelabo.jp/20070120014520
いいじゃないっすか、それもまた生き方。
とりあえず、そういう気持ちを書いてみたらちょっと反応あったでしょ?少しはさびしさ紛れませんか。
確かに紛れた、仰るとおりである。ありがとう。
「いいじゃないっすか」については微妙なのだが(良しとしているのなら相手募集などとは書かないだろう)、拗らせた出会い願望を抱えたまま生きて行く人生もありなのか、と一考するきっかけをいただけたのは有り難く思う。
泥鰌は養殖物でお願いしたい。天然物は高い上余程上手く処理しないとすぐ泥臭くなり、とても食べられない故。
そういえば書かなかったが、泥鰌豆腐は地獄鍋とも称する。出会い欲求を拗らせ悩みに苦しむ地獄でつつく鍋としては出来過ぎの呼称。この日記に反応してくださった優しい貴方がたに食べさせたい類の料理ではない。泥鰌に拘るならせめて柳川にした方が良いかも知れない。