はてなキーワード: はてな界隈とは
はてな界隈では、定期的に英語の習得法が話題になるが、俺もそろそろ参入してみようかな、と。
■自己紹介
俺の英語力は、TOEIC975点、実用書・平易なペーパーバックなら辞書なしで速読できるレベル。
CNN/BBCが字幕なしで理解できて、それなりに気のきいたことも英語で話せる。
語彙力は、http://www.wordengine.jp/vcheckで測定してみたところ、約20000語。
■趣旨
だが、巷にあふれかえる英語の勉強法は、基礎力がないのにいきなり実践を勧めるものが多い。
例えば、臆せずに何でもいいからしゃべってみろだの、辞書をひきながら本を読めだの。
この手の勉強方法は、学習者のコンフォート・ゾーン(快適な領域)を外れることが多く、大抵の人は不安感や不快感を感じて、学習をやめてしまう。事実、俺も何度も挫折してきた。
そこで、この記事で私が提唱したいのは、基礎からきちっと積み上げる、実直かつ具体的で不安のない英語の勉強方法である。
重要なところは全部網羅していると思うし、実際に自分で試してみてうまくいったものばかりだから、信頼性の高い勉強法だ。
これから紹介する勉強法に加えて、モチベーションの管理と習慣化のテクニック(これに関しては今度記事を書くかも)さえあれば確実に英語は身に着く。
■本論
やることは3つ:文法を理解する(骨組みの構築)、単語・例文(肉付け)、実践(本を読む、ポッドキャストを聴く、など)
以下が具体的なやり方。
◆1. 文法に関しては、『英語リーディング教本』(薬袋 善郎 著)・『日本人の英語』(マーク ピーターセン著)の2冊の本が超オススメ。
そもそも文法は必要なのか?という議論は常にされてるけど、俺の実感としては、文法を学んでおくと英文の理解速度が飛躍的に向上するから、後々すごく楽。
学校英語の影響で文法を忌避する人が多いし、その気持ちはわかるんだけど、本来は文法=ショートカットだよ。
莫大な文例をもとに法則を自分で見出すより、すでに見出された法則を学ぶほうがはるかに手っ取り早いでしょ?
さて、『英語リーディング教本』は英語の理解力が格段に向上すること間違いなしの超名著!!
そんなに厚くない本なのに、効果がめちゃくちゃ高い。
俺が今まで読んだ参考書のなかで一番役に立った。誇張じゃなくてマジで。
この本を理解すれば、英文法の骨格は完成する。骨格さえ出来てしまえば、後は肉付けするだけだ。
『日本人の英語』は、日本人にありがちな英語のミス(例えばI ate chicken last night.とI ate "a" chicken last night.の違いなど)が豊富に書いてあって、英語リーディング教本でカバーしきれなかった冠詞・前置詞・自制などの微妙なニュアンスを理解するのに非常に役に立つ。
文法の学習は、基本的にこの2冊だけ読めばOK。
だが、上級レベルになるにしたがって、冠詞や文法の微妙な違いが気になるようになると思う。
そういうときは、『例解 現代英語冠詞事典』(樋口 昌幸 著)、『ロイヤル英文法』がおすすめ。
ちょっと高いけど、どっちも枕元においていいほどよく出来た本だ。
◆2. 単語の習得は、P-Study Systemという無料のソフトウェアが超おすすめ。
忘却曲線理論とやらを参考にしていて、ゲーム感覚で効率的に単語が身に着くソフト。
俺はP-Study Systemを利用して、大体2年間の勉強でGREレベル(アメリカの大学院入試)の語彙力を身につけることが出来た。
これに出会う以前は、俺は単語帳を買って、音読したり、ノートに書き写したりしたが、結局やる気がなくなってやめてしまった。
もう単語を覚えるのは無理かと諦めかけていたんだが、このソフトウェアを使って毎日コツコツ学習していたら、見事なまでに単語が定着した。
きっと俺みたいな人は多いと思うんだけど、机に向かって紙面を相手に学ぶのと、PCを使って学ぶのでは、心理的な労力が全然違う。後者の方が圧倒的に気楽。
よく単語の習得方法として、英文を読みながらいちいち辞書をひけって人は多いんだけど、よっぽど根性のある人じゃないと続けられないよ。
辞書を読んでるのか本を読んでるのかよくわからなくなって、苦痛極まりないからだ。
リーディングと単語学習、2つのプロセスを同時にやるような中途半端なことをしないで、単語は単語だけ一気に覚えてしまうといい。
短期集中・個別撃破作戦で行こう。
やる気のないときはラジオを聴きながらでもいい、とにかくだまされたと思って、やり方はどうでもいいから続けろ!
これ使っとけば絶対に語彙力つくから。
例文の暗記についてなんだけど、これもやっといたほうがいい。
なぜかというと、これは文法の学習と同様に、型を覚えれば、いちいち頭使わなくても英語がスラスラ出てくるから。
書籍は、『英語丸のみ辞典』(全三巻、井上 一馬著)がおすすめ。
例文暗記は結構単調で辛いんだけど、確実に報われる。
だから、暇なときに興味のあるところだけ、気の向くままに音読するといい。
嫌になったらすぐやめるのが、続けるコツ。
◆3. 実践に関しては、特にリーディングを重視するといい。
この段階までくれば安定飛行に入ったようなもの。
既に単語はある程度覚えているだろうから、John Grisham, Sydney Sheldonの小説を読むといい。
本を読みつつ、気になった表現をたくさん蓄えよう。
前述の通りに文法をちゃんと理解していれば、特に頑張らなくても自然に英文が頭に蓄積されていくよ。
俺の場合は、リーディングをたくさんやって、表現を蓄えたから、他の3技能(リスニング・ライティング・スピーキング)は、それぞれ適当な参考書を数冊やるだけで大丈夫だった。
■終わりに
長文を書く習慣がないもんだから、ちょっと疲れてしまった。拙い文章で申し訳ない!
でも、結構たくさん書いたつもりなんだけど、完成したものを読んだらちょっとした作文程度なんだよな。
ご自身の発言が影響をもたらすことを十二分にご存知な方々が、リアクションを求め日記を書いたりつぶやいたりします。
勝手なことなんだけれどもご自身の発言自体がどれほどの力をお持ちかということをご存じない方が多い。
本のことが好きでいても興ざめするわけです。こんな中二病こじらせたみたいな幼い屑な人間が書いたものかと思うとうんざりしちゃう。興ざめ。
ご本人はコメント等で「センセーよくぞいってくれた!」的な応援団コメントもらってご満悦だろうけれども。
で、たぶんこうやって「興ざめ」とかいっちゃうファンをぶった切るわけです。そんな人に読んでもらおうとは思わないとかさ。
そういうコメントもうんざりしちゃう。最終的には応援団に向けてのみ本を書いたりしていくのでしょう。
でもさ、それって先細り見えてるよな。
それだけじゃなくてさ、ただはてなで日記書いてるからってそれらの名前だして自分の本とか宣伝しちゃうのもうわーって思っちゃう。いろんな意味で乞食。そこまでして売れたいかっていう。
いいものは売れるじゃん。いや、宣伝が大事っていう人いるけど宣伝あんまりしてなくて隠れた名品的なものなんてああこの程度か的なものしかないじゃん。
どうでもいい人がそういうことしてたらなんとも思わないんだけどあああの人まで本の宣伝とか乞食だなーって思ってがっかりしたって話。
大阪・難波の2児放置死事件を覚えておられるだろうか。誰も覚えていませんね。
いや、言われれば思い出すが、そんなことも昔あったなあ、レベルだろう。
事件の直後ははてなでも激しい盛り上がりを見せたが、しかし当初からどうも、誰かがうまくやって自分の目から不愉快な事件を消してくれと言っているようにしか見えなかった。
行政が悪いと主張するなら、体制を整えるコストは負担する用意がありますという意味でなければならない。が、役所が現有戦力で勝手にうまく処理してくれるべきというマジカルワードになっている。人員や費用(人員も費用だけど)が増えるなら、追加負担には応じるという意味でなければならない。行政に強権を付与せよと言うなら、その行使を(無制限にではないが)認め、自分が不利益を被っても協力を惜しまないという意味。その覚悟はあって行政のせいにするのか。踏み込めよというなら踏み込まれることを容認できるのか。近隣隣人が気を配れというなら、隣人付き合いをちゃんと行わねばならないし、通報した時にはその後ぎくしゃくするデメリットも含めて背負わねばならない。その覚悟はあるか。
おそらく誰にも、誰一人、なかった。
隣人は、行政は、社会は、自分ではない誰かは一体何をやっているんだ!と叫ぶだけ。哀れな児童に同情する自分、行政にガツンと言ってやる自分、この悲劇を呼んだ社会構造を批判する自分に酔うばかり。自分が、何かを、しなければならない、と考える感想は見られなかった。
これに限らず。
はてな界隈の議論は浮遊した観念論しかないんだよな。サヨク系の人々の理想というか。現実の被害者を直視しない、バッシングの快感を優先する言説ばかりが多い。
ま、言論を弄ぶだけの、正論をバッシングの道具にしたいだけの言説が多いことは、分かっていた。ただ、その裏に一片の善意はあろうと思っていたんだ。浮ついた言説やくだらない左右対立の底には、それでも集合知が埋れていると思っていた。甘かったよ。徹頭徹尾、遊びだったんだな。はてなーの言葉には何の重みもなかった。
俺は狂犬っぷりを発揮して児童虐待や民族差別に浅く首を突っ込んで噛み付きまくった自覚があるのだが、それで恐ろしいと思わされたのは、ノータイムで喉元に反論を突き付けて来る「また○○か」と言われるあの人ぐらい。いい意味で真っ直ぐに狂ってると思う。真摯だわ。どうも他の人には余裕を感じる。錚々たる面々でも。優越感ゲーム、と呼ばれていたか。自分とは無関係な議論ごっこの具としか考えていない余裕が見え過ぎている。本気で怒っていないのが見え見え。議論ごっこをして勝ち誇りたいだけ、撃墜マークが欲しいだけなんだ。マイノリティだの何だのを本気で案じているわけでは決してない。
いや、現に案じて現に行動している人はいる。しかしそういった人の言葉でさえ、なんか「ギャラリーにも見せつけながらプロレスをして自陣営にうまいこと隷属させよう」という言葉なんだよね、素で本音をぶつけてくる熱さがないんだよ、全く。
おそらくは、はてな界隈にとどまらないのだろうね。言説があまりに軽い。
社会がー行政がー都会の無関心がー言って自分は高いところから采配しているつもりになっているのでは無責任に過ぎる。多分、ブログで論者として発言する人はこの陥穽に陥るがちだと思うのだよね。自分が特権階級だと思っちゃう。自分は部外者として外に置き、中の国民によきにはからえと命じる。そうじゃない。他人事ではいられないはずなのに。
社会が悪いと言う時には、その社会を作ってきた一員としての反省と、その社会を少しずつでも変えていく決意がなければならんのです。なのに、自分ではない漠然とした誰かが悪いという風に怒って済ませている。良くて、やり場のない怒りのやり場として、行政の不作為や都会の無関心という藁人形を作って叩いている。悪くすれば、責任を誰でもない有耶無耶に拡散してしまっている。
まず「男は誰もが女と接したいと思っている」という前提からしておかしい。
コレは真理である、と原理主義者のように信じきってる。
だから「女と接する気持ちがそもそも無い、恋愛などどうでもいい」
という意見が全く理解できない。
勿論、恋愛自体に興味が無い奴には、同性愛なども当然あるわけがないのだが、
それを理解出来ない恋愛馬鹿は、すぐホモだのゲイだのと決め付ける。
そして、努力完全主義とでも言うべき思想が蔓延しているのもある
よって、女と接点を持たない男性に対して、
「女性に興味があるけどその方法がわからない、 努力さえすれば、必ず恋人が出来るはずなのに、
恋愛至上主義自体は、内需の活性化や出世率の上昇など国にとっていいことずくめなんだろうけど、
ホモ、ゲイなんてことも言われたこともあるし、全く面識のない女性らに「なんで彼女つくらないの?」
それに対する答えは「めんどくさい」の一言なんですけどね。
女性に対して性的魅力は感じるけど、人間性(右脳よりの思考、利己的など)に関しては苦手だから距離をとっている。
オレみたいな男性が増えたら、女性としての利権が縮小するから女性陣は反発するのも理解できるけど…。
個人的に死刑についてはどっちでもないんだけど
どうもはてな界隈はしばしばこれと同じような
出来損ないの皮肉が通用してるからこの際に指摘しておきたい。
http://anond.hatelabo.jp/20100910122005
(江川紹子)
考えてもみて下さい。死刑制度を廃止するということは、オウムの松本智津夫のように、
自分を信じて集ってきた者たちを使って、自らの野望を満たすために多くの人々を殺傷し、
(元増田)
正しい世界をつくるため 徹底的にポアするぞ
ハードにポアするぞ
「麻原を批判する江川紹子だが、麻原と同じことをしてるではないか」ね。
同じだとする為の共通点は
「死刑という手段を用いる」だね。
江川紹子による麻原批判の論点が「死刑を用いた」ではないから。
仮に例えば、
江川紹子「麻原さんのやった事は理解できるんだけど、手段に死刑を用いちゃった。だからダメ。」
と言ってるんだったら
「お前もダメじゃねーか!」「ポアじゃねーか!」
というギャグの構造が出来るし、そこをイヤミで突くと「皮肉」が生まれる。
だけど江川紹子の麻原批判は
自分を信じて集ってきた者たちを使って、自らの野望を満たすために多くの人々を殺傷し、
であるから、
江川の発言に「ポアじゃねーか!」と言うには
自分を信じて集ってきた者たちを使って、自らの野望を満たすために多くの人々を殺傷し、
との共通点を示さなけりゃいけない。
人間同士のやることで重ならない部分が皆無と言うことなんかないから
どれだけ立場が違う人間同士であれ
批判者と被批判者であれ
必ずどこかは共通する。
「死刑が同じだから江川と麻原は同じ」みたいな頭悪い皮肉がOKなら
あらゆるデモは「デモな時点で在特会と同じwww」とか言える。
人の発言を皮肉る時は
その発言の中身をこそ正しく掴んで逆手に取らなければいけない。
いけないというより、それが出来てないなら皮肉が成立していない。
批判者に対して
「でもお前も服を着てるでねえかっ!」「お前だって鼻の穴が二つでねえか!」
(先鋭化させていくとなんか感動的なヒューマニズム台詞みたいだ)
出来てない皮肉は慎み、人がやってたら笑いましょう。
横だが。
カンニング問題で「カンニングをしてはいけない理由はない(キリッ」とか言っていた増田と同じじゃね?
徹底的に無視して、「匿名ブログ≒twitter」なのはなぜ?とかを勝手に議論するのが良いと思う。
個人的には、twitterのリスクは、そこにどれだけ個人を特定可能な情報がばら撒かれているかで決まると思うので、「人による」としかいえんな。
「ブログ≒twitter」とか「匿名ブログ≒匿名twitter」「実名ブログ≒実名twitter」なら、判らなくもない。
炎上の傾向を見るに、ブログとtwitterは、どちらも危険で、文字数制限から考えて炎上しやすいのはtwitterだから、私の個人的な危険度はこうなる。
これに「はてブ」がどう絡むかだけれど。
やはりこれも、はてなIDの匿名性に依存するので、「ekken」さんやら「kanose」さんのリスク度は高い。
他にも、実名直結のIDの人は多いはずだ。
そのリスクが下がりがちなのは、はてブまで見る人が少ないという、ただそれだけの理由で、「はてな界隈」で活動している人は、「はてブ」のリスクが相当高いことになる。
まず根本的なスタンスとして、id:ekkenのtwitter見てるとさ、あの人はてブからtwitter使ってるのがほとんどじゃん
はてな界隈の人はあくまではてブがメインでtwitterはそのフォローに使ってる感じ
だから、ekkenの場合、
っていう使い方してると思うんだよね
だからこそ彼が違和感を感じたのであって、
これははてブをメインフィールドで使ってる人とtwitterをメインで使ってる人との間では
埋められない差なんじゃないかと思う
あと匿名かどうかの差とかね
とにかく、元増田が増田から出てこない限り、ekkenの気持ちなぞ分かるわけもないし、
もうekkenってハンドルで10年以上活動してるekkenには、増田でしか吼えられない奴の気持ちなんかも分からないと思うぞ。
先日母がついにらくらくフォンに変えるというので家の近所のドコモショップについて行った。料金体系の選択がわかりにくいことと、いらないオプションやドコモマイショップメール送付など余計なものを言われたままつけられるとその削除手続やRメールが来るたびに削除を家族の誰かがしないといけなくなるのもある。どちらかというと新聞勧誘員のようで、ドコモショップの店員は好きではない。かといって鼻めがねで見そうな勢いのアップルストアの店員はマニュアルどおりに話すロボットのように感じる。
一応都内だけど私の住んでいる街は基本的に住宅街だ。いわゆるそういったメカに詳しい人や情報bizな人はほとんど店内にもいないと言って等しい。はてな界隈のメジャーな話題とは全く別世界のようだった。
それでも、私自身携帯に関しては写真の機能以外でこだわりがない。軽くていいデジカメでも持っていれば、らくらくフォンでもいいんじゃないかと思った時もあったぐらいだ。けれどもインターネットをよく見るのでエクスペリアを使っている。電池がもたないというのでほぼ通話用に以前から使用しているガラケーは維持したまま。
ずいぶん新機種が出てるものだなあと陳列された棚を見ていた。となりで地味な大学生ぐらいのカップルが携帯を見に来ていた。
地味な分、どこかで自分の携帯電話に何らかのステータスの代替を見出しているのか、
男の子の方が「携帯変えたいなあ。」と言い出した。すると女の子が「今の携帯どのぐらい使っているの?」
男の子「え?何それ?よくわかんねえ。」女の子「スマートフォン、iphoneもどきみたいの。」
男の子「だったらiphone買うだろ。だけどその何とかって言うの別にいらない。」
すごいなと思った。
少しカルチャーショックみたいなものを受けた。
最初これもWOMかと思った。
(WOMとは、米国でクチコミそのものを指す“Word of Mouth”の略語。自然発生して自然に広がるもののほかに、マーケッターが発生のきっかけを作ったり波及しやすい仕掛けを用意したりするものもある。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Keyword/20080409/298536/)
iphone3とipadが出る間ぐらいの初夏の時期、実際iphoneのWOMらしきものは都心でかなり見受けられた。
専門家ではないがわたしはブログを書いているからか、こういった人の関心や評判の移り変わりが敏感に気になるようだ。けれども題に書いたように人が身につけるものの一つとしてとしか個人的には関心がない。
だけれども、皆、どうして携帯を変える、次は何を持つ、ということに関してよく話すのだろう?
それなのに逆にSNS以外では携帯を変えた、とか次は何にしようという普通の記事をあまり見かけない。
新機種の情報はどこかでお役立ち情報なんだろうか?そう思っている節のある男性もいるようだ。だけれどもそういった情報ならはてな界隈で見たほうがいいものがある。女性の場合、○○とのこコラボだとかイルミネーションが綺麗だとか、わたしは関心がない。使うたびにきらきらされたらたまったもんじゃない、とわたしは思う。それでも皆、実は「どれを選んだらいいかわからない状態」なんじゃないかとも感じる。(おしゃれと結びつけるとどこかで破綻しそうなのか。)iphone利用者の女の子の話は「iphone=イケテル」の一点張りでわりと一番困る。わたしのはアンドロイドと言っても、何か知らない。スマートフォンはiphone以外ないと思っているかのようでgoogle携帯と言ってもgoogle自体あまりわからないようだ。googleに頼るまでもなく自分の考えの流れを客観的に見たいからこの携帯を使っているのだと言っても何の意味もなさそうでわたしは言いづらい。電波が届かないから使いたくないんだと言っても嫌な顔をされる時もある。
とにかく、なんだかおかしいなと感じる今日この頃。
コモディティは誰が作るんだとか。
けど、俺の実生活では幸いにもとくに関わりのないことなので「本当にこんなことが?」なんて思ってしまう。
上記の記事をななめ読みしただけだけど、結局、ホメオパシー信者って、「悪魔の証明」を逆手に取った宗教的集団なんだろうと思った。なんか「ね、証明できないでしょう?つまり効果があるってことなんですよ」「誰々さんも・・・」みたいに、
「科学的な根拠に基づくかどうか」 → 「あなたは信じるかどうか」
という感じでうまいこと論点がシフトして、もうどうでも良いような論争になっちゃうんでしょうね。やだやだ、そんな面倒な・・・。
ところで、コメディー「ホメオパシー救急病棟」の皮肉っぷりは面白かった。 http://www.nicovideo.jp/watch/sm11404088
世の中に絶望していた。
自分の可能性に心の底から失望していた。
四六時中息苦しかった。
考えなければいけないけど、考えるのは辛く、かといって考えることから逃げてもまた辛かった。
そんな時、知り合いにされて嬉しかったのは、挨拶と世間話だった。
小栗旬がどうだ、AKBがどうだ、という世間話をして気を紛らわすこと、
それらの、はてな界隈では「中身が無い」とされているようなことが、
疲れ果て、煮詰まり、逃げ出したくてしょうがないときの救いや癒しになった。
同じところをぐるぐる回り、衰弱し、怠惰に、逃げ腰になっている私に、
厳しい言葉をかけ、将来と向き合わせてくれたのは、親であり、恩師であり、親友だった。
相手が産み育ててくれた親であり、就職などの世話をしてくれた恩師であり、
精神的に煮詰まったときには部屋に呼んで、徹夜で飲んで愚痴を聞いて
酔い潰れたら寝かせて毛布をかけてやることをお互いに何度も経験した間柄の親友であるから、
彼、彼女らの言葉は力を持ち、辛い現実や不明瞭な将来について向き合うことができた。
心から感謝することができた。
厳しい言葉をただの知り合いに言われたところで、泥沼に落ち込むだけだった。
ただの知り合いに、落ち込んでいるときだけしゃしゃり出てこられて、
いきなり本質をぶつけられても、通り魔にボコボコにされたような気分になり、沈み、憎悪に繋がるだけだった。
「お前に何がわかる」としか思えないのだ。
私の苦しみを面白がっているとしか思えないのだ。知り合いに言われても。
私にとっての特別な存在からの言葉でないと、上から目線としか感じないのだ。
誰に対しても本質を突こうとするのは、自分の立ち位置が見えていない人の行動だと思った。
自分が弱ったとき、他人からされてみて、初めてそういった行動の有害さがわかった。
昔は私自身も、問題には早急に向かい合うべきだし、世間話やあいさつには中身も意味も無く、
誰に対しても本気で本題をぶつけるべきだと思っていたのだけれど、
信頼関係が出来ていれば「本質的な話」がその人を救うことになるし、
信頼関係がお粗末であれば、「本質的な話」は相手を不快にし憂鬱にし恨まれるだけなのだ。
はてな界隈で絶賛されてるんだかされてないんだか微妙な立ち位置のサムスンだって、書類選考では手書きと電子媒体とで評価基準がきちんと分かれていて、手書きの申請書類は文字が下手くそだったりすると学歴職歴関係無しに落とされたりする。電子媒体の場合も誤字脱字は論外のレベル。
そもそも会社が三顧の礼で迎えたいような人材の場合、その時点で履歴書だの職務経歴書だの提出させるような事はしない。重役がその人の家に直接出向いて「うちに来ないか」と口説きに来るよ。
今ほどPCが普及していなかった頃のマイクロソフトやIBMも、書式をろくに守ってないような書類で申し込んでくる志願者は例外なく落とされてた。「たとえうちの社長(ビルゲイツ)が申し込んできても落とせ」と厳命されてたそうな。実際、採用担当がまともに仕事してるかどうかを調べるためにダミーの(明らかに不採用基準を満たしている)履歴書を送ったりしてたらしいし。
はてな界隈でも毎日のようにipad関連のエントリは上がって話題にも事欠かないですね。
そんなiPad、一体どんな層が購入するのか、ちょっと考えてみました。
・裁断機やスキャナまで用意して自分の本棚を電子化しようという、革新派本の虫
あと、他国と比べて凄く多いんじゃないかと僕が思うのが
・既に電子化された本(コミック)のデータを数百、数千冊と持っている割れ厨
割れに慣れ親しんでいる人々は、タダで手に入るソフトに出費しない代わりに、ハードにお金をかける傾向が強いです(俺調べ)