2009-02-11

橋下府政の「結果」を支持するとも「手法」を支持するなかれ。

http://anond.hatelabo.jp/20090211111554

そこはちょっと違和感あるなー。

良い結果が出たとしても、それは手段の正当性を証明したことにはならんでしょう。手段が正当でなかったことを(多少なりとも)免罪はするかもしれないけどさあ。で、そうやって良い結果が出たことを理由にして「あの手段を評価する」ということはやっぱり「度し難い」と評されても仕方の無いところではないかしら・・・。超たとえ話地獄に陥る可能性を恐れずに言うならさあ、雨乞いして雨が降ったからって、雨乞いってスゲーな!まじ最高雨乞い!ってならんでしょ。(や、これも明らかに間違った言い方なんだけど。少なくとも予算削ったことと財政黒字だしたこととの間には因果関係があろうし。どっちかというと例えるなら家族の誰かを生贄、とかそういう方向で考えた方がいいかな)

そりゃまあ、結果よければ全てよしと思いたいとこではあるけど、飽くまで認められるのは「結果的にオッケーだった」ということであって、その「手段が正しいかどうか」ってこととは全然違うし、ごっちゃにしたらいかんポイントではないかなあ。良かったのは結果だけよ、という。(ありむー的には、その結果にしたって長期で見たら信用ならねえよ、という話を併せてしているけど)

もしそういう「手段」の正しさを認めちまうなら、橋下知事とは比較にもならんような悪党が、何かあったときにそういう「手段」を悪用してしまうことに繋がりかねない。だから、結果から手段を正当化しちゃいけねえよ、ってことを言ってるんじゃないかなあ。

ここ、結構大事なとこじゃないかしら。

http://anond.hatelabo.jp/20090211111014

うーん、教育・福祉予算を減らすことによって財政黒字が達成できたにしても、その「教育・福祉予算の縮減」は必ずしもああいうポピュリズムに則ったやり方、世間を煽るやり方でなければ実現が不可能だったものかね。(や、まあ俺は大阪府民じゃないから、現場の人から、長年そういうぬるま湯に浸かりきった体質を甘っちょろいやり方でどうにかするなんて不可能ですからボケ!ガタガタ言ってるけど橋下のがよほどエライわアホ!と言われたりすると反論不能ではあるんだけど)また、「縮減するための予算」は本当に教育・福祉予算からでなければならなかったのか、ということも大事じゃないかなあ。どうも見てるとその辺おざなりになってそうだから・・・。

あと、破綻したら全てを失うのだから、手段を問わずに受け入れろ、つー手法は、いくらでも悪用が利くから安易に認めちゃまずいって。こーゆー言葉はあんま適当じゃない気がするし、またぞろ論争を巻き起こしそうだけど、トリアージを実施するときだって、黒タグ付く人に「全員診てたら全員助かんないから君諦めて」って面と向かって言い放ったりはしないでしょ。削られざるを得ない立場の人に対する慙愧の念みたいなもんはあるわけで。

そこを正当化しちゃって、削らざるを得ない立場の相手を「お前が甘い」「おかしい」と説教するのは何か政治お仕事ではないと思う。行政道徳やったらいかんて。まして、福祉・教育予算を受ける相手って基本的に強者じゃなくて弱者なわけでしょう。中学生泣かせちゃったのとか、ああいうのを通じて支持を集める政治手法って相当ヤバくみえるわけです。おれが過敏なのかな。

橋下知事が、こうした手法を駆使して予算を削ろうとしたのでなかったなら、同じように教育・福祉予算が削られたとしても、橋下知事批判は相当に穏当なものとなったのではないかしら・・・(無論、それでも左翼的な視点からは批判しうる余地は残るけどさ)。

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