はてなキーワード: 観光とは
また、児童ポルノ法の問題が再燃しているので増田に書き込みます。
例のゲームについて騒いでいる市民団体が「サヨク団体だ!!」と言われているのを聞いて、
思ったのですが、我々反対派は、規制推進派が言う「日本は児童ポルノ大国」
などという主張に対し、嘘だと反論しているわけですし、
「児童ポルノ法など、表現規制をもくろむ連中は、日本を不当に貶める反日連中だ!!」と言って、
というのも、実際に、児童ポルノ法に反対している保守系の人間はいるのです。
例えば、保守系運動家のカリスマ的存在である水間政憲氏のコピペには
児童ポルノ法についても言及されています。
2009-01-04 12:17:23
ネット上に蔓延している「反日法」にたいする不安は、確かにそれぞれ国を弱体化させる由由しき問題です。
しかし、津波のように押し寄せてくる「反日国家解体法」に対して、浮き足立ってバラバラに対処していては適の思う壺です。
そこで『日本鎮護』を成就するため、皆様が「反国家解体法」対処順位を認定して、ネットの力を最大限に活かす必要があります。
その第一は、国家主権に直結する反日法阻止です。それには、国籍法・外国人参政権・1000万人移民推進阻止を主要ターゲットにして、付随する偽人権擁護法案・ノービザ観光客推進・児童ポルノ法(法律の悪用の防止策)を監視・阻止するために、日常的に国会議員へ問題点を継続して手紙・FAXで要請することが重要なのです。
現在、緊急を要する問題は、外国人犯罪者第一・二の韓国・中国へのノービザ観光推進阻止です。中国観光客の添乗員廃止など言語道断です。観光客の逃亡実態を記載して、外務委員会・国交委員会に所属している国会議員を中心にFAXで要請しましょう。
と水間氏の定義では児童ポルノ法改定は「反日法」の一つに入っています。
国民が知らない反日の実態には、児童ポルノ法改定案についても反日法として言及されています。
人権擁護法案や国籍法改定案などの例を見ても、右派が騒いだ法案はかなりの確率で潰れています。
残念ながら規制推進派に議論は通用しません!! そのままでは必ず押し通されてしまいます!!
「反日」「国賊」「売国」と保守派を煽ることにより、法案を潰しましょう!!
水間政憲氏を動かすのが非常に効果的です!!
規制反対派には、左派の方も多いので不快に思われる方も多いと思いますが、
右派が「売国」「反日」と騒いだ法案はかなりの確率で潰れています!!
チャーチル首相は、独ソ戦が始まった時に「もしヒトラーが地獄を侵略したら、私は悪魔を支持する」と言ったそうです。
つまり、大きな敵を倒すためであれば、別の敵とでも組めということです。
ウヨクだろうとサヨクだろうと、味方になる人は味方にすべきです。
そういう心構えを持たないと、法案は阻止できないのです。
日本に貢献する・しないというのと、日本で働く・海外で働く、というのは切り離して考えるべきじゃないかなあ。海外で働く=日本を捨てる、じゃないでしょう。
一国内で経済は完結しないのだから、鎖国するというのでもない限り、モノや情報の架け橋として国内側だけじゃなく海外側にも受け口が必要でしょう。確かに海外労働組の稼ぎは日本の税収にならないし日本のGDPも増やさないけれど、間接的な貢献はできるんじゃないかな。このままだと人口が減って行く以上、高度成長時代のような経済成長は無いだろうし、経済大国としてのプレゼンスは下がるかもしれないけれど、文化を成熟させて観光でまったりと生きてゆくのは十分ありだと思うし。それならそれで海外組は日本の窓口になるわけでしょう。
自分はアメリカに住んでて事業やってるけど(シリコンバレーではない)、日本の若い優秀な技術者に活躍してもらいたいと思っていて、もちろん本人が望めば来てもらう可能性もあるけれど、日本に留まってもらってリモートで連携するのも十分可能だ。比較的単純な仕事ならインドや中国と勝負にならないけれど、職人芸的なセンスと細部へのこだわりが必要とされる一品仕事っていうのはわりとあって、そういうのを安心して頼めるところって少ないんだよね。
国と国とが持ちつ持たれつで支えあって行く未来を考えるなら、その未来に一番貢献できるのは、「自分の生産性がもっとも発揮できる場所に行くこと」だと思うよ。日本であれ海外であれ。もしあなたの持っている特技や性格が、日本で一番有効に活用できるなら、日本で活躍するのがいい。もしそうではなく、かつ他の事情が無いのに日本に留まるとすれば、それは単なるセンチメンタリズムであって、結局は日本のためにもならないんじゃないかな。
一連の論争で、日本組 vs 海外組みたいな構図になるのが一番いやだなあ。そういう構図で見ようとするのが一番日本のためにならないように思う。
私は大学生だった頃、今をときめく某テ ―マパ―クで着ぐるみのバイトを3年間続けました。このキャリア(?)が絶大な効力を発揮して、スウェーデンの某遊園地で着ぐるみの仕事を即ゲットしました。日本と違い、着ぐるみという職種が皆無なので経験者だった私はとても重宝がられ、後継者の育成まで頼まれるなど楽しい経験でしたけど、1 ヶ月で挫折してしまいました。こんな事件が起こったのです。
子供の多くは着ぐるみを見ると近寄ってきて着ぐるみをポカポカ殴ります。大抵の場合、それは『かまって欲しい』という意志表示なので、殴っている子供を抱きしめたりナデナデすると、子供は大喜びで抱きしめ返してきます。それでも殴り続ける子供は無視するのが一番。(相手にすると子供がエスカレ―トする)しかしごく稀にいつまでも殴り続け他のゲストに迷惑を掛ける子供もいます。そんな時は、保護者と思われる大人を見つけ、素早くその大人の後ろに逃げ込み“助けて~”というジェスチャ―を示します。大人は自分の子供が着ぐるみを殴る様子を見て“ほほえましい”とでも思っているのか(、、、ったく、、)ニコニコと子供が暴力をふるう姿を眺めていますが、着ぐるみがヘルプを求めてくると“ハッ”と我に返り、『いけません、着ぐるみさんがイタイって言っているよ!』と制止に入ってくれます。ここまでして殴り続ける子供は、、、 まあ、たまにいるけど(とほほ)、大抵静かになります。スウェ― デンでも御多分に洩れず、随分と子供には殴られ石を投げられ、毎日仕事があがった後のシャワ―室でアザだらけの私は有名でした。それでも子供は無邪気で悪意がないので、私は気を悪くした事は一度もなく、楽しい毎日でした。
そんなある日の事です。着ぐるみに入った私は3 メ―トル程の高台に登ってゲストにグリ―ティングをしていました。すると13 歳前後の子供6 ~7 人のグル―プと引率者らしき大人2 人(男1 人女1 人)が私をとり囲みました。子供の一人が後ろから私をハガイジメにし、残りの子供は次々と私にケリを入れ始めました。大人2 人は大笑いでその様子を眺めていました。しかし子供は手加減なくケリ続けるので、思わず『うっ!』と苦痛のうめき声をあげてしまいました。着ぐるみにとって声を上げるのはタブ―なのです。『こりゃヘルプを求めなきゃ、ボコボコにされちゃう、、。』と思った私は、すかさず引率者の男の後ろに逃げこみました。ところが、この男、私の着ぐるみのヘッド(着ぐるみの頭)をぐいと引っぱり上げ、『見てみろよ、この着ぐるみ、中国人が入っているぜ!シンションシャン!!中国人が俺達を騙そうとして動物(着ぐるみ)に成りすましているぜ!シンション、何か言ってみろよ中国人!!』子供達はわーっと歓声を上げ、益々ケリが激しくなります。『この中国人、動物のフリしたって中国人は中国人なんだからね!消えなさい、黄色ヤロ―!この馬鹿中国人!!』ひとりの女の子がそう叫んで私を思いきり3 メ―トルの高台から突き落としました。ヘッドをかぶっていると視界が悪く何が起こったのか分からないまま、私はあっという間に地上に転がり落ちてしまいました。目を開けると子供が狂ったように大喜びしながらこっちへ向かって走ってくるのが見えました。『殺される、、。』私は逃げようと立ちあがろうとしましたが、腰とひざを強く打ったようで、痛くて動けません。さっきの女の子が私に追いつきまたケリを入れ始めます。引率の女の人はあまりにも笑いすぎて涙を流し、懸命にそれを拭っていました。私は這いずりながら従業員室へ逃げ、女の子は『黄色ヤロ―、馬鹿中国人!』と私のお尻を蹴り続けます。
ボコボコにされた私はなんとか従業員室まで戻って来れました。外では『戻って来い、卑怯な馬鹿中国人!』という笑い声が響きます。その場にいたアルバイト従業員の高校生が驚いて部長に連絡を取り、即救急車を呼んでくれました。私はショック状態で何が起きたのかよくわからず、呆然としているうちに担架に乗せられ救急病院に運び込まれました。救急外来なのに6時間半も待たされました。その間に、血だらけのイタリア人観光客が私の隣にかつぎ込まれ、苦痛に声を震わせていました。警察が通訳を連れて事情聴取を始め、耳をすませばこんな話でした、、、 “観光でストックホルムに来た。旧市街を歩いていると、3人のスキンヘッドに囲まれ、ワケのわからない事を言われナイフで刺された。”
そこで私は堰を切ったように泣けて泣けてしょうがありませんでした。トロい私はやっとその時、自分の身に何が起こったのか把握できたのです。子供も大人も、ケリを入れられ高台から付き落とされる中国人の姿(ホントは日本人だけど、スウェ ―デン人にとってどっちも同じ)は、涙を流すほど滑稽でおもしろいものだと思っている。誰も制止しない、それどころか、ゲ―ムを楽しむかのように虐待し続けていた、、。
この話をスウェーデン人にすると、『信じられない、、。』とショックを受ける人間もいるけど、『あんたがどんなブザマな姿で逃げたか想像するとウケる!』と大笑いする人間もいるのも事実。そんなに面白いですか、中国人(日本人)がスウェーデン人中学生に虐待される姿って、、、?
スウェーデン人が笑いながら私に言い放った言葉が益々私の怒りを激しくさせた。『あなたがボスニア難民だったら、こんな被害にあわなかったのにね。白人だからパッと見ただけじゃ、スウェーデン人かどうか区別できないもん!』
アジアの成長を日本の成長につなげる為に、アジア総合開発計画の策定や、アジアの広域インフラ整備への支援などをぶち上げたらしい。
アジアが成長するならば、それを世界にとって望ましい方向に誘導する為に関わるべきであろう。しかし、成長しない物を成長させる為に、日本国民の血税を他国に注ぎ込むODAのばら撒きや工場の移設、技術供与は、必要ない。当然、仮にアジアが成長するとしても、世界にとって望ましい方向に誘導する為の発言力は、資金や技術の提供で得るべきではない。
アジアには、経済を成長させる前に、民度を成長させなければならない国家が多すぎる。そして、民度を上げるには、政治体制が障害になっている場合が多い。
政治体制を放置したまま経済を成長させたり、生活水準を快適化したりすると、好ましくない政治体制を延命させる事に繋がる。好ましくない政治体制をとっている国家には、民度を引き上げる為の方策が必要になる。内政干渉にならずに、政治体制の欠陥を自覚させるには、国境の無いメディアであり、しかも、閲覧者の閲覧行為が無ければ見れないwebが望ましい。これは、pushメディアでない事が有利になる使い方となる。
web上のコンテンツを充実させる事と、コンテンツクリエイターを増やし、その活動を秋葉原等に集約して観光資源とする事は、つまるところ、お金の問題でしかなく、新しいスポンサーを作り出す事は不可能であるから、既存のお金の流れを、権利を独占してピンはねしている既得権者から実際に物作りをしている人へと渡るように調整する事が手段となる。
ド田舎の温泉地を観光資源化しても、一度行けばそれで終わりであり、パリやロンドンやNYのような、リピーターが確保できる観光地にするには、毎日進化し、変化する芸術や学術を、観光資源としなければならない。ハコ物を作ればそれでおしまいという考え方とは正反対であるし、何が支持されるかわからないので、税金でやらせるようなやり方は、失敗しか生み出さない。
低炭素革命については、低炭素化の為に買い換えるのでは、逆効果である。需要を生み出す為の手段としては、確実に間違っている。使える物は最後まで使いきるという考え方こそが、低炭素な考え方であり、これは、需要活性化とは、正反対になる。すくなくとも、需要を生み出せるような話では無い。なんでこの話が出てくるのか、理解しがたい。燃費の良い自動車に買い換えるならば25万円を税金から補助するという話みたいな物で、自動車を買い替えた時にかかる費用と、節約できるガソリン代から算出できるメリットとを比べれば、タクシー業者並に走り回らないと元が取れないという間抜けな話になる。自動車を処分して、必要な時にレンタカーを借りるというやり方の方が、駐車場代の高い都会ではコスト的に有利になってしまうし、自動車を製造する時に発生する炭素を排除できる。一人だけの移動手段としては、バイクの方が安いし燃費も良いとなる。
あとは、健康長寿社会という話であるが、健康に気を使う人を増やすには、まず、企業が従業員を使い捨てにしない事である。また、健康に気を使いたくとも、代わりは幾らでも居るという雇用側の態度では、まともな労働者は居なくなる。外国人労働者を使わなければならないほど国民に嫌われている企業は、日本から出て行くか、行動を改めるかの二者択一をせまるべきである。
公害を撒き散らし、従業員を使い捨てにして国際競争に勝つのならば、経営者は誰でも良いとなる。公害を防ぎ、多くの人が従業員になりたがる雇用環境を維持しつつ、国際競争に勝ってこそ、高額の役員報酬を受け取れる人材となる。同様に、財政赤字を撒き散らし、賄賂をとりまくって政権を取り、維持するのであれば、政治家は地域にばら撒きを持ってきてくれる人ならば誰でも良いとなる。財政を黒字に保ち、身辺に一片の曇りも無い状態を維持しつつ、国益を増進させてこそ、高額の歳費を受け取れる人材となる。
目的を達成する手段の選択や、役職や地位にふさわしい行動を取っているかどうかを、客観的にわきまえられる能力は、民度の基礎である。
彼らは、戦争状態で侵略されて労働力として日本に連れて来られたり、本国で飢餓貧困から脱出するために日本にやって来た。
戦後、彼らは独立した母国に変える選択をせずに日本に残っている。
彼らは何故母国に帰らないの?
あるいは、何故日本に残るなら日本国籍をよこせって言わないの?
アメリカに強制的に奴隷として連れて来られたアフリカの人たちは、アメリカ国籍を得て、それでも残る人種差別を乗り越えて、
アメリカという国を動かす政治に参加させろと要求し、大統領を輩出した。アフロアメリカンとして、当たり前のアメリカ人になるために。
韓国・朝鮮系日本人になって、日本の政治に参加して変えていこうというのは理解できる。
日本の政治はどこかで日本国民を民族として純血種にしておきたいの?
既得権益は理解できるけど、それ以外に彼らが日本人にならずに日本に留まるのは何故?
日本に留まる限り、日本国籍を取得して観光・朝鮮系日本人として何故行動しないの?
ヘイトスピーチとか右とか騒がしいけど、なんだか大元がよく分からない。
おしえてエロいひと。
これはだれですか。
言えますね。
言えない年になってしまいましたか。
香里奈という人です。
これは日本人ですよ。
これは日本のあれですけれども、
これは知っているでしょう。
知らないですか。
こんなことを言っていたら、
ほとんど、今の時代には生きておられない方だと言われますよ。
これが「エビちゃん」と言われる「エビちゃん」ブームと言われた蛯原友里という人です。
こういった表紙のモデルというものが、今の時代というものでアジアのOLたちの読む、
いわゆる雑誌、テレビコマーシャルに並ぶ時代なんです。何となく昔のアメリカ人とか、
そういったイメージは、今はないんです。ここが是非わかってほしいところなんですけれども、
何となく我々の世代より上の方は、ほとんど、この感覚にはついていっていないんだと私は思っています。
アニメとかファッションの聖地と言われれば、これは秋葉原とか原宿、裏原宿というところなんですが、
トイレをきれいに保つためには、まぁ最低常時一人の人間を半日くらいは張り付けないといけないだろう。
固定費分も見込んで1日5時間だとして月120時間くらいか。時給1000円だとすると12万円。
お土産屋だと客単価よくて1000円程度だろう。食事ができるところならもう少し上がるか。
1000円で1日平均N人来るとすると、1割の客足増加による売り上げ増は100*N円。
変動費率がどのくらいかわからないが、それなりに薄利な気がするから0.5とすると、固定費割り当てを無視して
客足増加による利益増は50*N円。
これの25営業日倍が12万円の追加コストに見合わないといけないので、最低N=96人来る店じゃないとダメ。
観光シーズンが年3か月程度だとすると、4倍でシーズン中は400人/日程度来ないといけない。
400人が数時間に分散されるとするとトイレ一個じゃ足りないから、維持コストも上がるかもしれない。
そう考えると結構難しいことだなと思った。
7・5%成長から6・5%へ改定。中国の公式は「8%成長死守」だが。。。。
3月18日に発表された世界銀行「2009年経済予測」では、中国のことし通年の成長を「政府の4兆元もの景気刺激策」を高く評価しつつも、7・5%から6・5%へ下方修正した。
とくに世銀報告は二つの特色を持つ
第一は中国の73人のエコノミストが、「8%をすこし下回る」と、珍しく中央政府の目標数値を下回るであろう、と予測していること。従来、政府が8%成長を公的に掲げた場合、エコノミストたちの予測もびったり8%だったからめずらしいのである。
第二の特徴は、「不動産」セクターの落ち込みを特筆していることだ。
中国のインフラを支えたのは不動産開発、公的資金が注入された鉄道、ダム、高速道路、一般道路建設のほか、公的な建物(共産党委員会、市政府、公務員住宅、兵舎など)が大ブームを支えてきた。
これは地方政府の財源でもあり、地方政府の「計画」(ト称する恣意)により、土地の払い下げでデベロッパーと組み、それで地方政府は潤い、しかも不動産税、日本流の固定資産税が歳入の中心だった。
中国の景気刺激策4兆元(日本源換算で57兆円のパケッジ)で効果が出ると、日本のシンクタンクでも予測する向きがあるが、じつはこの財源は中央政府が30%、あとは地方政府負担なのだ。
すでに昨年の不動産税による歳入は20%減退、地方政府は、この財源でこれまでも健保、教育、社会福祉などの行政をカバーしてきた。
歳入減によりプロジェクトの停滞が明らかに予測される。このために中国は「地方政府債権の発行」を許可した。じつはこのことにこそ注目すべきであり、日本でいえば富山県や島根県が県債を発行するように、従来地方政府の許可が必要だった地方政府の「借金」も、投資家さえ買えば、円滑化する。
こうみると、世銀予測の6・5%成長という数字は不思議なインデックス。私見によれば、世銀の数字は甘すぎる。
▲中国国際航空が武漢のローカル・キャリア「東星航空」を吸収へ
中国は観光ブームが下火となり、乗客がガラガラ、航空業界も大不況に陥った。
フラッグキャリアの旗艦「中国国際航空」は、武漢を拠点とするローカル・キャリア「東星航空」を吸収合併することで最終合意に達した。
東星航空のラン・シリ(音訳不明)社長が、この交渉過程の大詰め段階で行方不明になったとウォールストリートジャーナル(3月18日付け)が伝えた。
同社はGEが株主で参加している。理由はGEがエンジン部門から、エンジニアを送り込んでいる関係からだ。
ほかに中国の「OKAY航空」が業務を中止、また大手の中国南方航空は44%の収益ダウン、中国国際航空は31%、東方航空は20%のダウンとなり、同東方航空は四億三千万ドルの救援を中国政府に要請した。
id:isikeriasobi
さんに見てもらいたいけどぜいたくはいいません
不法入国の中には、騙されて母国から連れてこられて、
単純労働が禁止なのも、そういったことをふせぐため。
カルデロンさんたちがテレビに出てアピールしてたのは
「私たちは普通の生活をしています(=むりやり連れてこられて人権侵害されているわけではありません)」
ってことだったんだね。。。
やっとこの理屈にたどりつきました。
ときどきテレビで見る不法滞在の摘発シーンと、このケースとどう違うのか。
その文脈で、違法行為に手を染めているかどうかが重要になってくるだけで、
少し前に、政治家が観光ビザでの就労を斡旋してて問題になったけど、
入管がうるさく言うべきなのはそういうケースなんですね。
学生時代にアメリカに旅行した時、「英語わかんないけどジェスチャーでなんとかなるだろ」
って軽いノリでブラブラ観光に出かけて、実際最初のうちはそれなりになんとかなってたんだ
色々観光して歩いてるうちに小腹が空いてきて、レストランか何か探して飯を食おうと思ったところに、
ファーストフードっぽい外観の店があって、看板に「なんとかヌードル」って書いてあるのを見つけた
ちょうどいいやってことで入店して、「ワンヌードルプリーズプリーズ」とか適当に言ったら
一応注文として通じたらしく、店員も「おk」って言ってオーダーしに下がってった
で、なんかテーブルの上になんかご自由にどうぞ的なものが置いてあったから適当に食って待ってたら
「Tack a nut a better 'n death car ?!」
って18センチのまま一気にかましながらものすごい勢いで怒鳴られて、
わけもわからないまま店追い出されてしまた
いや、一般的でないことを願うw
役得みたいに捉えてる人が多いんじゃないかな。分野ごとの文化だと思う。
飛行機の都合にして次の日まで滞在を延ばしておいて、
1日は観光ってのが多いかな。
ふーむ。イナゴ横増田がほざいてるみたいに、学会=遊ぶ場所ってのが一般的なのかねえ。
自分の分野では、先生も学生も行ったらとにかく全日講演をチェックして情報を集め、夜は外の先生とアポを取ってディスカッションかこれから発表のある学生の直前チェック、最終日はミーティングをやって帰ったら即ゼミ、って感じだった。
観光?何それってとこだったよ。
大学を中退して数年、初めてまともな文章の形にして、サッカーの現状を書こうと思う。大御所が見た「現状」ではなくて、知識も経験もろくにない学生の意見なので、細かい突っ込みはご勘弁。簡単な経歴には触れざるを得ないと思うので、匿名日記だけども別に身元がバレても構わない気持ちで書く。長くなるから、適当に読み飛ばしてくれて結構。
関西のまあ誰でも知ってる進学校出身。男子校。何を思ったのか、サッカーに強い興味を持ち(そのころの時代の雰囲気も影響していたと思う。Jリーグ開幕とかね)、まあ実家からそこそこ近い大学に進学。授業は正直言って、まったく面白くなかった。系統だった講義があるわけでもないし、科学的な考え方を叩き込まれるわけでもなく、雑多な知識を積み込まれるだけという感じ。今考えてみると、恐ろしいことに9割以上が就職する割りに、勉強している人間はほとんどいなかった。
4年生になると週のほとんどが実験。レジュメを読んで手を動かす。ある程度問題意識を持って、研究室に遊びに行ったり、セミナーに参加したり。そこそこ充実。ゼミでも知識が増えていくのは面白かった。ただ、このあたりで、他のやつらと比べて、「ああ。おれ全然頭使ってない感じがする」と思っていた。このあたりでサッカー止め様かとか就職活動も少し頭にあった。
焦燥を感じつつも、周りのやつらも同じようなことを言っていたので、まあこの時期誰でもそういうことを感じるもんなのかな、と自分を納得させる。卒業する前に少し早めに部室に通い始める。生活はここで激変。鬼コーチの特訓で、時間の縛りが大変厳しい。1週間のうちほとんど拘束。土日もなし(毎年のお正月は部室でどんべえ食べていた)。練習も一度始めると、当然自分の意思で「今日はきりがいいからここまで」ということはできない。週3日は徹夜で練習してそのまま練習に出てた。まあ、これは耐えれないこともなかった。
ただ、皆が使う器具や練習場の芝の世話を、仮にもお金を払うお客さん側である学生に負担させることへの違和感は感じていた(この違和感は後に海外に短期留学し、向こうの様子を知ることで強まる)。試験前は本気で「どうしたらいいんだろう」と悩む。しかし自分が(自分で言うのもなんだけど)純粋培養で、世間知らずというのもあったし、部内の人間関係は悪くなかったし、周りが「当然、Jリーグ関係に進むんだよね?」という雰囲気(実際にコーチにそう言われた)もあり、某Jリーグ下部組織に進む。
いよいよ生活は練習の日々。練習が始まると生協にすらいけなくなり、コンビニ弁当ばかり食べていた。唯一の楽しみはチョコボールを一緒に買って、金のエンゼル当てること(結局、金のエンゼルは一回も当たらなかった)。夏あたりで体がおかしくなり始める。朝起きれない。同期の練習生は合わせて7人中5人が去っていった。残りはおれともう一人だけど、もう一人もほとんど練習に来ていなかった。
信じがたいことに、天下の某Jリーグ下部組織(今となってはこんなこと思っていた自分に失笑してしまうけど)に苦労して入っても、わずか数ヶ月でほとんどの人間が辞めてしまった訳だ(そいつらがどうなったかは知らない)。当然器具や練習場の芝管理の負担はおれに圧し掛かる。練習に行こうとしても、吐き気がして行けない。自分が練習している姿を想像するだけで、目の前が真っ暗になって、体から変な汗が噴出してくる。構内を歩いていても、些細なことで物凄い感情の波が押し寄せてきて、まったく知らない人間に怒鳴り散らしてしまったこともあった。常に目の前を小さな蚊が飛び回っていて、当時はタバコを吸っていたんだけど、気がついたら一日に4箱くらい無くなっていることも。練習のきつさ以上に、将来に対する不安が大きすぎて、押しつぶされてしまった。
秋に観光に来た母親が異常に気がついてくれて、即刻病院に連れて行かれた。連れて行かれるまでは、自分が欝だということを認めたくなくて、母親を怒鳴りつけたりもしてたけど、一旦認めてしまうと、ようやく自分のおかしさに気がつくことができた。そのまま逃げるように某Jリーグ下部組織を辞めて、半年くらいは何もせずに実家で引きこもっていた。
http://anond.hatelabo.jp/20090222224732
を読んで、当時の記憶が鮮明に思い出された。すべてがそうだとは言わないが、少なくともおれのいた某Jリーグ下部組織では、練習生を体のいい労働力としか考えていなかったのではないかと。よくよく調べもせずに安易に某Jリーグ下部組織を決めた自分が悪いのも分かっているし、細かい雑用を通じて学べることがあるのも分かる。ただ、某Jリーグ下部組織を去っていた同期や、他のJ関係にいる友人と話してみても、日本のサッカー環境では、「サッカーは娯楽提供機関であると同時に、文化養成機関である」という自覚が欠けている気がしてならない。
現実に、おれのいた某Jリーグ下部組織ではほとんどの人間がJ1やJ2でプレイできていない。就職先も絶望的。コーチのなかにも、危機感を感じていた人間はいたのだけども、練習生の立場からみると、若い人間に不利益を押し付けているだけにしか見えない構造がある。サッカー文化を根付かせるとか言いながら、都合のよい言葉を吐く上の人間にしか金は回ってこない。チェアマンなどの大御所が、「日本のサッカーは練習生や支援企業によって成り立っている。彼らには一律生活できるだけの奨学金を出すべき」とのたまったはいいけれども、ふたを開けてみれば1人につき2万円/月。どうやって生活したらいいのだろうか。奨学金は単なる借金に過ぎない。生活費も考えると、就職した人間とくらべて、J1やJ2の選手やコーチや審判の資格を取るころには1000万近くの借金。それで就職先がないというから、もう罰ゲームでしかない。
おれの同期には、それでも不平を言わずに一生懸命日夜練習を続け、不安定な身分でも前を向いて頑張っているやつらがいるけれど、おれはもう無理。この国の偉い人は、若者が心の底から嫌いなんだと思う。もしかしたら、日本のことも憎んでいるのかもしれない。
読んでもらったら分かると思うけれども、おれにも随分甘い部分がある。これは失敗例の一つでしかない。もしもこれから先、サッカーの選手を志す人がいるならば(サッカーなどのスポーツは社会にとって絶対に必要なものだし、立派なことだと思う)、この失敗から何かを学んでほしいと思う。
その後、親に拝み倒して借金をして、海外の大学院でMBAをとり、まったくサッカーとは関係のない仕事に就くことができた。幸運だったと思う、正直。今は幸せかと聞かれれば、So soという感じ。
金のエンゼルはまだ一回も当たっていない。
大学院を中退して数年、初めてまともな文章の形にして、生命科学の現状を書こうと思う。大御所が見た「現状」ではなくて、知識も経験もろくにない学生の意見なので、細かい突っ込みはご勘弁。簡単な経歴には触れざるを得ないと思うので、匿名日記だけども別に身元がバレても構わない気持ちで書く。長くなるから、適当に読み飛ばしてくれて結構。
関西のまあ誰でも知ってる進学校出身。男子校。何を思ったのか、生命科学に強い興味を持ち(そのころの時代の雰囲気も影響していたと思う。ちょうどゲノムが全部読まれたころ)、まあ実家からそこそこ近かったこともあって、京大理学部に進学。授業は正直言って、まったく面白くなかった。系統だった講義があるわけでもないし、生命科学的な考え方を叩き込まれるわけでもなく、雑多な知識を積み込まれるだけという感じ。今考えてみると、恐ろしいことに大学院に8割以上が進学する割りに、周りに統計を勉強している人間はほとんどいなかった。1,2回のうちは系は決まらないので、周りもなんとなくCellをパラパラ眺める程度。
3年生になると週のほとんどが実験。レジュメを読んで手を動かす。ある程度問題意識を持って、研究室に遊びに行ったり、セミナーに参加したり。そこそこ充実。ゼミでも知識が増えていくのは面白かった。ただ、このあたりで、他の系のやつらと比べて、「ああ。おれ全然頭使ってない感じがする」と思っていた。paperも、コントロールの取り方と極基礎的な統計の知識さえあれば、30分もかからずに読める(ある程度の単語が分かれば誰でもそう)。このあたりで系の転向や就職活動も少し頭にあった。
焦燥を感じつつも、文系のやつらも同じようなことを言っていたので、まあこの時期誰でもそういうことを感じるもんなのかな、と自分を納得させる。4回になる前に少し早めに研究室に通い始める。生活はここで激変。生き物を扱う関係で、時間の縛りが大変厳しい。1週間のうちほとんど拘束。土日もなし(4回のお正月は研究室でどんべえ食べていた)。実験も一度始めると、当然自分の意思で「今日はきりがいいからここまで」ということはできない。週3日は徹夜で実験してそのままゼミに出てた。まあ、これは耐えれないこともなかった。
ただ、皆が使う器具や動物の世話を、仮にもお金を払うお客さん側である学生に負担させることへの違和感は感じていた(この違和感は後に海外に短期留学し、向こうの様子を知ることで強まる)。教えてもらったことといえば試薬の置いてある場所と作り方くらいか。
大学院の試験前は本気で「どうしたらいいんだろう」と悩む。しかし自分が(自分で言うのもなんだけど)純粋培養で、世間知らずというのもあったし、研究室での人間関係は悪くなかったし、周りが「当然同じ研究室の大学院に進むんだよね?」という雰囲気(実際に助教にそう言われた)もあり、大学院に進学。
いよいよ生活は実験実験の日々。実験が始まると生協にすらいけなくなり、コンビニ弁当ばかり食べていた。唯一の楽しみはチョコボールを一緒に買って、金のエンゼル当てること(結局、研究室にいるころには金のエンゼルは一回も当たらなかった)。夏あたりで体がおかしくなり始める。朝起きれない。同期の院生や、学部生は合わせて7人中5人が去っていった。残りはおれともう一人だけど、もう一人もほとんど学校に来ていなかった。
信じがたいことに、天下の京都大学大学院(今となってはこんなこと思っていた自分に失笑してしまうけど)に苦労して入っても、わずか数ヶ月でほとんどの人間が辞めてしまった訳だ(そいつらがどうなったかは知らない)。当然器具や動物の管理の負担はおれに圧し掛かる。研究室に行こうとしても、吐き気がして行けない。自分が実験している姿を想像するだけで、目の前が真っ暗になって、体から変な汗が噴出してくる。構内を歩いていても、些細なことで物凄い感情の波が押し寄せてきて、まったく知らない人間に怒鳴り散らしてしまったこともあった。常に目の前を小さな蚊が飛び回っていて、当時はタバコを吸っていたんだけど、気がついたら一日に4箱くらい無くなっていることも。実験のきつさ以上に、将来に対する不安が大きすぎて、押しつぶされてしまった。
秋に観光に来た母親が異常に気がついてくれて、即刻病院に連れて行かれた。連れて行かれるまでは、自分が欝だということを認めたくなくて、母親を怒鳴りつけたりもしてたけど、一旦認めてしまうと、ようやく自分のおかしさに気がつくことができた。そのまま逃げるように研究室を辞めて、半年くらいは何もせずに実家で引きこもっていた。
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を読んで、当時の記憶が鮮明に思い出された。すべてがそうだとは言わないが、少なくともおれのいた研究室では、学生を体のいい労働力としか考えていなかったのではないかと。よくよく調べもせずに安易に研究室を決めた自分が悪いのも分かっているし、細かい雑用を通じて学べることがあるのも分かる。ただ、研究室を去っていた同期や、他の研究室にいる友人と話してみても、日本の大学、大学院の研究室には、「大学は研究機関であると同時に、教育機関である」という自覚が欠けている気がしてならない。
現実に、おれのいた研究科ではほとんどの人間が博士を取れていない。就職先も絶望的。教官のなかにも、危機感を感じていた人間はいたのだけども、学生の立場からみると、若い人間に不利益を押し付けているだけにしか見えない構造がある。科学技術立国を目指しながら、都合のよい言葉を吐く上の人間にしか金は回ってこない。学会の長も務めたさる大御所が、「日本の研究は院生によって成り立っている。彼らには一律生活できるだけの奨学金を出すべき」とのたまったはいいけれども、ふたを開けてみれば1人につき2万円/月。どうやって生活したらいいのだろうか。奨学金は単なる借金に過ぎない。生活費も考えると、学部で就職した人間とくらべて、ドクターを取るころには1000万近くの借金。それで就職先がないというから、もう罰ゲームでしかない。
おれの同期には、それでも不平を言わずに一生懸命日夜研究を続け、不安定な身分でも前を向いて頑張っているやつらがいるけれど、おれはもう無理。この国の偉い人は、若者が心の底から嫌いなんだと思う。もしかしたら、日本のことも憎んでいるのかもしれない。
読んでもらったら分かると思うけれども、おれにも随分甘い部分がある。これは失敗例の一つでしかない。もしもこれから先、生命科学の研究者を志す人がいるならば(生命科学の研究自体は社会にとって絶対に必要なものだし、立派なことだと思う)、この失敗から何かを学んでほしいと思う。
その後、親に拝み倒して借金をして、海外の大学院でMBAをとり、まったく生命科学とは関係のない仕事に就くことができた。幸運だったと思う、正直。今は幸せかと聞かれれば、So soという感じ。
金のエンゼルはまだ一回も当たっていない。