はてなキーワード: 浮世絵とは
大学時代からの友人がいる。
彼はドイツ人で、浮世絵の研究をしているうちに日本に留学したくなり、留学した日本の風土が気に入って永住したくなり、ドイツ語の翻訳の仕事をしながら日本人の奥さんまで貰ったというそれはもう筋金入りの日本好きだ。日本語も堪能で、電話口ではネイティブの日本人にも彼がドイツ人だとわからないほど上手い。
物腰も穏やかで、友人や奥さん相手にすら丁寧語で話すというまさにジャーマンジェントルメン。
彼が怒ったり、声を荒立てているところを見た人間は誰もいない、というくらいの温厚で優しいドイツ人なわけなのだ。
まあそんな彼とこの間、恵比寿のガーデンプレイスにエビスビール祭りに一緒に行った。
彼は日本のビールだけはあまり好きではない、と悲しそうに言っているのだが「まだエビスビールは飲めるほうだ」とも言ってくれている。
秋口の夕焼け空の下、久闊を叙しながら(この言い回しは彼に教えてもらった)ビールで乾杯したら楽しかろう、と思ったのだ。
彼と彼の奥さんと、黄昏のいい雰囲気の空の下、ビアガーデンで乾杯しようと屋台の兄ちゃんにビールを頼み、我々のテーブルに届けてもらったとき、それは起こった。
その屋台の兄ちゃんは、客へのお愛想なのか、こんな事を言ったのだ。
「ウチが一番泡の量少ないんですよ!」
要するに、ビールの実質的な量では並み居る屋台の中でも一番多いのだ、と言いたかったのだろう。
「それは違うでしょう!」
誰が言っているのか判らなかった。
その声の発された元は友人だった。
彼は一瞬、しまったという表情を見せながら、こう続けた。
「…泡も含めて、ビールなのです」
彼はびっくりしている屋台の兄ちゃんに謝罪しつつ、こう言った。
「ごめんなさい。大声を出してしまって。どうか、ちゃんとした泡の分量のビールを持ってきて頂けますか?その分の料金はキチンとお支払いします」
1990年代に入って突然「天然茶髪」が発生し始めたとは考えにくいから、「天然茶髪」は、昔から存在していただろう。「ちゃぱつ の をのこ」みたいな浮世絵とか残ってないんだろうか。
なのに、なぜ1990年代に入っていきなり「天然茶髪」が問題になり始めたのだろうか。
それまでは、逸脱行為者といえば完全マッキンキンだったのに、1990年代からトーンを抑えた「人工茶髪」の逸脱行為者が増えたからかな?それの巻き添えをくらった感じなのだろうか。
暇があったら調査してみたい気もするけど、どっから手をつけりゃいいのか。
# そういや、これ、トラバ先を一段階間違えてるわw
文化への処罰を考える|和田秀樹オフィシャルブログ「テレビで言えないホントの話」
ttp://ameblo.jp/wadahideki/entry-10479759744.html
今回は、非実在青少年法とかいう形で、18歳未満と思われる人物が登場するポルノ的アニメ、そのほかを取り締まろうという法律についてどう思うかという質問が偶然重なった。
私は、日本の警察が誰でもひっかかるような法律(たとえば、18歳や19歳の飲酒を取り締まる法律など)を作っておいて、ほとんどの人は捕まえないのに、気に入らない人間を捕まえる道具にしたり、政治資金規正法にしても、気に入らない人間の虚偽記載だけを捕まえるという前科を考えると、誰のパソコンでも、チクリがあったから、調べさせてもらうという権利を警察に与えるのはとても危険だと思う。本来、法律というのは守れる法律だけを作る代わりに、警察のほうも違反者は、警察が適当に選んで捕まえるのではなく、全員捕まえるというのが法治国家のあり方だと考えている。
青少年ポルノの類にしても、相当きちんとそれが流れないようにするとか、発信が確認されたら処罰するのは当然だが、単純所持で処罰するなら、誰かのメールアドレスに送りつけて、それを削除していなければいつでも捕まえることが可能になる。日本の警察が信用できない、つまり金をもらえるところならば景品交換型賭博を認めるが、気に入らないところがやれば捕まえるという組織である限り、つまり、捕まえるか捕まえないかは警察が判断できる法律は危険だと私は考える。民主党に、警察や検察改革をやってほしかったし、やる気だったと聞いているが、それをやられるのを知って、先に小沢氏周辺を捕まえて、しかもマスコミまでそれに乗って。おそらくこれからの政治家がよほどのことがない限り、警察改革、検察改革に手を出せないようにしてしまった。三井環という元検事が裏金問題をテレビで話そうとした日に逮捕されるのと似たようなにおいを感じるのは確かだ。
さて、もう一つは、ロリータっぽい主人公が出てきて、エッチなことをするアニメ(この場合、実際の児童が被害者になるわけではないから、実写のロリータポルノとは違う)を日本特有の文化と見るかどうかだろう。
日本の場合、ほとんどの先進国で解禁されているポルノ(ネットを使う人には有名無実化しているが)を処罰し続けてきた。おかげで、それが暴力団の資金源になるし、解禁したらおそらくはヘアヌードのように飽きられ、暴落していたものを、警察が保護育成してきたようなものだが、その副産物として、外国ではあまりないエロ漫画というカテゴリーの文化ができた。(自国の文化である浮世絵さえ弾圧する無教養ぶりだから、もちろん露骨な描写は許されないが)
この件については、大人になっても、政府が大人扱いしないという点では、まさに「お上」の力の象徴のような気がするが、実際、欧米の国のほとんどは児童ポルノには厳しいが、成人した後については規制しない。
これが文化ならば、きちんと守るべきは守るという対応をすべきだろう(私はアニメや漫画は詳しくないので、そこがわからない)
飲酒運転についても私が問題にするのは、酒を飲みながら食事をするのが文化ならば、1県あたりにすれば年間数人の飲酒死亡事故があっても、酒を酌み交わしながら食事をするという文化を守るべきだろうし(フランスやイタリアはこの路線だ)、人の命のほうが文化より大事ならば(おそらく鮭を飲みながら愚痴をこぼす文化がなくなり、家で一人で飲むのが当たり前になれば、飲酒死亡事故の数倍の自殺者と数十倍のアルコール依存症の患者が生じるだろうが)飲酒運転を厳罰化すればいい。
文化を守ることは、人の命より大切なときもあるのだ。
韓国が日本を恨むことについても、当時の植民地(実際は連邦国家だが)は、欧米のスタンダードからすれば、ずいぶん進歩的な支配だった。現地民に日本国の選挙権を与え、識字率が1割にも満たない国にハングルを教え、言語も強制せず、日本国と同格のエリートになれる帝国大学も作った。それでも、韓国人、朝鮮人が日本を嫌うのは、創氏改名が問題だったらしい。要するに、家系図(族譜)が大切な国で名前を変えさせられるのが、それだけ屈辱だったそうだ。文化に敬意を払わなかったために、世界的に見ても先進的な植民地政策をとったのに、かえって恨まれた。
最近の「非実在青少年」がらみの話。3次の児童ポルノについてはまたちょっと話違うので、冒頭にお断りしておきます。
例えばの話ですけど、「アイドルはうんこしない」「あの子は処女」って言い張ってる人っているじゃないですか。どんなに必死に否定したって、実際のところアイドルはうんこするし、大好きなあの子は彼氏とセックスしてるんだけど、「そんなことない!」ってかたくなに信じてる人。本当のところが分かってないのはその人だけで、周りのひとは全部知ってる。「そんなマヌケいるわけねー」ってそれはそうなんだけど。じゃあちょっと言い換えて「アイドルはうんこするべきではない」「あの子は処女であるべきだ」って言い張る人。これは結構いると思う。
何が言いたいかっていうと、基本的に今も昔も、日本はポルノの国だってこと。
「世界最古の長編小説」なんて言われたりする源氏物語はセックスばっかりしてるし、印象派の画家に大きな影響を与えた浮世絵は春画です。めぐりめぐってutamaroって言葉は今「すげえデケエちんぽ」って意味のスラングになってるじゃないですか。そもそも日本語そのままで海外に通じる言葉って、エロいことばめちゃくちゃ多い。bukkake。hentai。geisyaもきっとエロいニュアンスで理解されてると思います。
日本で一番のベストセラー作家で海外で文学賞ももらってる村上春樹先生だって、基本的にはエロい話です。『1973年のピンボール』の設定なんか、美人の双子と同棲してやりまくってる主人公ってどこのボンクラアメリカ人の妄想なんだよ!って感じじゃないですか。芥川賞の選考委員も、龍にしろ都知事にしろみんなデビュー作がエロい話の人すげー多い。同世代で高校生ぐらいのころ山田詠美の『僕は勉強ができない』薦められて読んで、「この人すげー文章うまいなー」って感動したことある人多いと思うんだけど、あの人だってデビュー作は黒人とやりまくってる話ですよ。
『おくりびと』みました?いい映画でしたね。みんな演技上手だったし。ちらっとみえた広末のお腹、エロかったですよね。あの映画でアカデミー外国語映画賞とった滝田洋二郎監督は、日活ロマンポルノ出身で、監督デビュー作のタイトルは「痴漢女教師」。他にも日本アカデミー賞に輝いた監督のうち、かなりの数のひとが日活ロマンポルノ出身ですよ。崔洋一も周防正行も森田芳光も井筒和幸も、エロい話からスタートしてるんですよ。
産業界を見まわしたって、例えばベータとVHSの規格争いとかも決め手は「AVはどっちでみれるか」みたいなところで決着ついちゃったりするわけじゃないですか。「じゃあDVDもVHSよりDVDの法がセルビデオ安いからみたいな理由で広まったんじゃないかなー」って邪推しちゃいますよね。
日本の文化はエロいんですよ。そんで、日本人もエロいんですよ。世界中の人も「日本人はエロいやつらだ」って思ってる。最近フォーカスが行った調査だって、日本は色欲部門で世界2位なんですよ。印象を基にしたアンケートとかじゃなくて、1年間にポルノに消費するお金の金額を基にしたランキングで2位ですよ。認めたくない人もいるだろうけど、現実そうなんだから仕方ない。アイドルはうんこするし、大好きなあの子はセックスしてる。日本人はエロい。
じゃあ「アイドルはうんこするべきではない」ように、「あの子は処女であるべきだ」ように、「日本人はエロくないべき」?
日本にある文化の中に、倫理的に褒められたもんじゃない、おおっぴらにできない後ろめたい部分がかなりあるのは事実です。でも、それってそんなに悪いことなんでしょうか。実際、そうじゃないと思うんですよ。例にあげた映画や文学はどれも素晴らしいものばかりだけど、たぶん海外じゃ商業として成立しなかったものが多数あると思います。イスラムとかキリストとか、宗教のからみで性に対するタブー感が半端ない。女性は肌みせらんなかったり、膣外射精したオナンさんは「セックスは楽しむもんじゃない」「神に対する反逆だッ」つってぶっ殺されたりしてる。
おれは日本の性に関するおおらかさを、文字通り日本の文化の土台だと思っています。今問題になってる漫画やアニメだけじゃなくて、全ての土台。これを良くないものだと言って規制するのは「アイドルはうんこしちゃいけない」って言ってるひととおんなじぐらい滑稽だと思う。
現状をありのままに肯定したっていいじゃないですか。いっそみんなで開き直りましょうよ。男子は「世界のみんな!おれたちこんなニッチなポルノでオナニーできるんだぜ!いいだろー」って自慢して、女子は「ほんと男子って馬鹿よねー」って言いながら実際興味しんしんみたいな。おれ、そんな日本がいいな。
「Hなのは悪いことですか? Hだと怒られたり、笑われたり、イジメられたりするのは何故ですか?! 何故ですか… どうしてですか!!」
「皆バレるのが怖いんです 本当は 何より大事なことですっ Hなことはっ」
http://anond.hatelabo.jp/20090505104332
全くもって、古くの小説害悪論、TV害悪論、漫画害悪論、ゲーム害悪論と同じ論調な訳で。 そういう「こういうジャンルが悪い!」てな論調ではなんら説得力を持たせられない。 だって、どういうジャンルでもこの言い方が通じるからね。つまり無為 じゃ、オタクがどうか、ってーと、これも意味が多彩で議論が発散する。 原義でいうと、マニアの中にいる協調、同調能力の低い奴への蔑視表現だし、 オタキングとかが逆に意志疎通部分はかなぐり捨てた求道者という啓蒙にも使ったしで、 現状の、まったり周囲の情報と同調しているようなアニメファンとは結構異なる。 で、最後の意味で使ったとしても、それがアニメの質の低下に繋がっているか? いや、これも違うだろう。直接的には制作者やその周りの環境の問題であり、 視聴者がどういうアニメを見るかは副次的な問題だ(それも確かに大きいが)。 アニメというジャンルが良い、悪い、で言うならば、その特徴によって語るべき。 アニメ、漫画、ゲームというのは、デフォルメによって 誰にでも理解が行いやすくなるという特徴を備えた媒体であり、 これは日本が昔から俳句や浮世絵などで培ってきた、 あらゆる物事を抽象化する文化の延長上に存在する。 そして、これらの媒体で「何を」表現するかにおいては制作者が行うことで あって、それの質が悪いからといって、そのジャンルが滅ぶ訳ではない。 #質が悪い原因はとどのつまり制作者に帰されるしかない 美術、演劇、映画が本当の文化だ、ってのは、単に歴史が長く、量が多く、 高尚なモノが多いと「歴史を積み重ねることによって」思われているに過ぎない んな事で日本の優位点を捨てようって話になるのはもったいない話だ。 逆に取り込んでやれば良いよ、高尚と思われる他の文化を。 でもそういうモノだってアニメにも存在する。 今MXでやってる東京国際アニメフェア見てるけど、良く出来てるよ。 高尚って言って良い作品が沢山流れてる。でもこれじゃ売れないんだよね。 じゃ、どうするか。そこを上手く拾わないと生き残れない。 まず、日本は漫画、アニメ、ゲームという文化をちゃんと表現する言語を作りたい所。 オタクは当然違う。サブカルチャーもカルチャーへの対立軸でしかない。HENTAIは(ry この3つのジャンルが、絵画や音楽や演劇などよりも、より抽象的な表現のメディアで、 その文化は日本が過去から培ってきた多彩な感受性、自然との協調、足るを知る文化より 生まれた「抽象性」から来ているという連続性、優位性をもっと意識する所から始めるべき。
順序ばらばらですが
・ポルノとしての問題点であれば国際的には二次三次どちらも同じです
・エッセイというのは多少なりとも演出というか本人の方向性(そういうよう見せたい気持ち)も入ってきている。特に本人じゃなくて他人が書いてるのなんかは、実話をベースにしているとはいえ取捨選択で文筆家の持ってきたい方向にもってくでしょ。
・先進国で実写ポルノがなくならないのは、成人の経済社会においては問題点を持ちながらも容認されているから。ヨーロッパみたいに文化として認められているところ、アメリカみたいにビジネスとして認められ上場できるくらいになっているところもあります。日本でも男が多い場所(例:自衛隊とか)での攻撃性が抑止される点などもあるのでしょう。お父さんの浮気も抑止されます。事実上黙認です。世界的には賛否派両方いるにしても大人の趣味としては絶対になくならないものだし、そういったものを嫌う日本の宗教観の曖昧さ、薄さもあり、先進国に準じて厳禁とされることはありません。
ただ、日本は昔から性におおらかだった(ことは昔話や歴史名作、浮世絵を見てもわかる)ので「普通の場所」におきがちです。
アメリカでは街中でポルノに触れることはありません。日本でもビデオ店が増えたときと各県条例ができた際に厳密な配置分けが出来ているのですが、日本はやや緩いと思います。おおっぴらに街にむかって開いているAVの店舗を街角で見にすることも都市部ではあるでしょう。本来はつつましく営業しなければならないのですが。秋葉原は二次元だけだと思いますが、路面に向かってのポスター展示等を自粛するよう、以前通知が出ましたよね。
AVが許される道理はパチンコと同じで、「店舗側は直接現金交換に関わっていない」という建前の三店交換方式みたいなもんで、AVも「もともとは映画」「本番はやっていない(ようにモザイクを介して見える)」という建前で合法としているわけです。
これに関しては「映画」ルートから30年くらいかけて警察や政治ルートに根回しがされてきた(と推定するだけですが)わけで、パチンコを絶滅させる力があれば、同じようなことはできるでしょうが、現実的には難しい。
・AVの摘発、露出や事件性のある作品では一部ありましたが、最近は日本も年齢確認で捕まえたりとかしてるけど、アメリカなんかは年齢確認や被虐SM性のある作品に関してもっとウルサイ。
・日本のAVの世界はメーカー側の仲介業者の淘汰(常識外に危ない所との距離の置き方)で昔みたいに極端に騙されてる人は少なくなってる。ただ、そういう仲介でも女の子がよければ使っちゃうし、現場での小さい嘘は多くて、本来的にはあんまりよい業界とは思いません(それを許すのはギャラが介在するからですが)。モデル相場も下がっています。昔みたいにものすごく売れてるところは少なくて、もうあんまりわりのよい世界ではないので、しかもブルーレイ化とかも売れ行きよくないし、このまま不景気が2、3年続けば自然に淘汰が進むでしょう。
・あとAVはゲイラインのもあるから、男の人でも「高収入アルバイト」で行って掘られてる人もいると思うよ。女子だけの問題じゃない。
一つ目の理由に対しては、俺はよく美術館に行って、いい展示だと衝撃を受ける(感動する)んだわ。
江戸時代の水墨画なんかが今に伝わってること自体すごいんだけど、その絵が21世紀に生きてる俺に感動を与えてくれる。
それを俺は、たとえば俺の子供にも味わってほしいと思うんだわ。
絵画とか彫刻って、基本的に「ひとつ」しかないのね。印刷されたものなんかじゃ味わえない本物の力があるんだ。
だから、そいつを爆弾なんかで吹っ飛ばされたら困るの。
あ、ちなみに俺が後世に残すべきだと思ってるのは、評価の定まってる古い作品ね。
フェルメールやらレンブラントやら印象派やら江戸時代の水墨画やら。
村上隆は・・・しいて言えば、日本のサブカルが、西洋に受けてるっていう構図で、
江戸時代に浮世絵が海外で評価されてたのと同じよーなもんかと諦めてる。
彼の場合は作品以前に、作品をアートとして認めさせるだけの力があったのは、評価せざるを得ない。
やったもん勝ちになっちゃうけど、どんなもんだろうと、ウン億で売れるだけの商品価値をつけたってのは、すごい実力。
ただの便器に名前付けて作品として出した、デュシャンみたいなもんなんかな。
ただ、純粋に作品としてみたら、ぶっちゃけ萌え系のフィギュアのほうがスゴイんじゃね?w
ただし「芸術」といっても世の中には「商業活動としての芸術」と「人の性(さが)的な営みのしての芸術」があるように感じてしまう。
とりあえずは、売れなきゃアートとして認められない。
売れる=価値がある、わけだから。
描くことを前提にした「表現としての芸術」とはちょっと違う気がしないでもない。
個々人の問題としてはそうかもしれないけど、必修を外したら入試科目から外れて履修者が減り、教師も減ってしまって勉強する機会が減る、という問題が現に理科や社会の一部科目では起こってしまってるわけですよ。だから政策判断は難しい。
その例えはおかしいだろう。こっちは好きな人だけやればいいだけで必修科目自体不要という風に言ってるだけで古典とか行列とか教えるのを禁止しろといってるわけじゃないよ。
教育は全部が自主性に任せて済むってのは理想論じゃないだろうか。強制という形だけがベストとは言わないが、何らかの形で少しぐらい触れておかないと、分野自体の存在すら知らずに終わってしまうことが多いんじゃないだろうか。
授業削減してできたあまりは各自が好きに使えばいいんだから勉強したい人はそうすればいいだけなんだよ。
いや、そこで何を勉強したらいいかという問題がある。我々が過去の天才科学者よりも多くのものを知っているということからわかるように、情報があるかないかということは学習効率に致命的な差を与える。
たとえば、数学が好きで高校の教科書を独学で終わらせてしまった人がいたとする。この先にどういう世界が拡がっているか彼はは知らない。そこで、気の利いた誰かが昔の教科書だとか大学レベルの参考書なんかを渡せば従来高校で教えていた内容をさらに彼は独学でカバーできるかもしれない。でも、受験参考書を渡せば受験勉強ばかりにかまけるか、あるいは受験勉強に飽きて遊び出すかどちらかじゃないだろうか。そして一番アリガチなのは、受験参考書すら渡してくれる人がいないという状況だろう。「数学はもう合格ラインに到達してるから次は英語をやれ」とか言われて。
立場が入れ替わりたくない人だけが入れ替わられないぐらいにがんばればいい。
イチローがいた頃のオリックス見てもらえればわかると思うけど、イチローが毎年のように好成績を挙げてもオリックスは毎年Bクラスだったんだよね。経済だってそれと同じだよ。ずっと前から優秀な中国人やインド人は掃いて捨てるほどいるのに、経済が発展しはじめたのは最近になってから。
日本のアニメや漫画とかもっと昔の浮世絵とかだって国策で宣伝やって外国での評判がよくなったわけじゃないし、むしろ意図的にやったらプロパガンダっぽくてかえって逆効果の気もする。
いや、フランスの文化政策はすごいし、実際フランス文化は世界中の人の憧れになってるじゃない?意図的にやるといっても、例えば国内の優秀な人に奨学金を出すとか、海外での展覧会やイベントに資金援助するとか、そういうやり方だってあるんだし。
気持ちはわかるけど、でもそれって話が違うと思うんだよね。例えば、街に一つだけ図書館があって、そこは専門書の品揃えがいいもんだから学生を中心に利用者が増えていたのに、放課後遊び場のなくなった子供が流入するようになって、それで「ここの本難しすぎてわけわかんねーよ、こんな本捨ててマンガ置いてくれよ」なんていったらそれはいくらなんでも違うでしょ。子供向きにマンガ図書館を建ててくれというなら理解できるけど。
その例えはおかしいだろう。こっちは好きな人だけやればいいだけで必修科目自体不要という風に言ってるだけで古典とか行列とか教えるのを禁止しろといってるわけじゃないよ。特定の分野の本を捨ててほかの分野の本にしろという主張じゃない。図書館に例えるなら「古典を?時間以上読んでない人は利用するな」というルールだったのを「古典を全然読まなくてもほかのを読みたい人は利用してもいい」というルールのほうがいいじゃなかといってるわけ。
同じように、全員一律に学習レベルを下げろとか(あるいはたとえば)大学入試に出すなとかというのはおかしいと思うんだ。卒業条件を緩和しろとかいうのならまだしも。
よく誤解されがちだけど、ゆとり教育にしたからといって猛勉強が禁止されるわけじゃない。授業削減してできたあまりは各自が好きに使えばいいんだから勉強したい人はそうすればいいだけなんだよ。学校がやってくれなきゃ勉強する気にならないなんてやつは元からあまり意欲ないだろうから。
楽しめるわけじゃないけれど、後で楽しみに気付いたときに楽しめるだけの土台を築いておくのが教育でしょ。実際、歳をとったり他のことを経験したりしないとわからない楽しみってのもあるわけだし。そうしたもののなかで普通高校の役割を考慮すれば、自然と古文の優先順位はそれなりに高くなると思うんだけど。
後で楽しみに気づくのは古文の勉強に限ったことでもないと思うんだよね。若いころもっと勉強ばかり遊んでおけばよかったと思う人だっているだろうし、古文の使わされてた時間をほかの教科に使ってればよかったと思う人だっているだろう。
いや、そうだけどさ、例えば途上国の人ってよっぽど優秀でも先進国の下請け仕事しかできなかったりするよね?つまり、日本は現時点の相対的な経済力を維持しないと、立場は入れ替わってしまうよということ。そのためにはどうしてもある程度以上優秀な人の数を揃えることは必要じゃない?
立場が入れ替わりたくない人だけが入れ替わられないぐらいにがんばればいい。これ以上努力させられるくらいなら追いつかれ追い抜かされてもかまわないという人に無理にさせる必要ないし、無理にさせたってやるわけないでしょ。GDPとか国際的な学力テストで高順位になるために子供が生まれてきたわけじゃないんだから。別に日本人全部が有能でなくても自分が有能になれば生活は豊かになるわけだし、全員を動かすより自分ひとり動くほうが楽だし。
それに、日本文化を宣伝して日本のブランドイメージを上げるというのは観光業だけの利益じゃないと思うけどな。わかりやすいから観光業を挙げただけだけど。
ほかの産業に利益があるとしてもどのくらい利益になるかはそれぞれ違ってくるわけで費やすコストに見合わない利益しかない人も当然出てくるはず。それにブランドイメージって公教育とかの国策でどうにかできるものでもないだろう。日本のアニメや漫画とかもっと昔の浮世絵とかだって国策で宣伝やって外国での評判がよくなったわけじゃないし、むしろ意図的にやったらプロパガンダっぽくてかえって逆効果の気もする。
「旦那〜 遊んでってよぉ〜」
と赤く塗られた木の格子から、外に手を伸ばして男を誘う遊女。
これって現実にあったのか、なかったのか。
見なくなったのはお前の視聴行動が偏っているからだ!!!
昼前〜昼下がりの時代劇再放送アワーでは日常チャメシゴト!!!
あと、現実にあったかなかったかは見てないから断言できないけど絵とかあるよ
の右下の方。拡大するとよくわかる。
明治のもあった江戸東京ものがたり#15 明治風俗篇(2)けっこう下の方。
うん。その漠然とした危機感はよくわかる。