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2007-11-26

anond:20071126131549

人はなんらかの要因でパニック状態になったときに、脳内にある映像記憶を、視覚であたかもそこにあるかのように認識することがあるという。

これがいわゆる幻覚という現象。

幽霊も幻覚の一種かもしれないが、そこに様々な妄想や憶測が追加されて尾鰭となり、怖い存在がそこにあるように語られる。

しかし、恐ろしい幽霊がみじかにいるかのように語られながら、実際の被害は都市伝説的に聞くだけで幽霊が原因で死んだ人はほとんど見たことがない。また、バイオテクノロジーによるクローン技術細胞分裂などをみていると、一体霊体ってぇ??のは一人につき一つなのか2つなのか無限なのかもわからなくなる。また、先祖の霊といっても十代以上さかのぼれば何千人何万人何億人という先祖がいるわけだよ。

江戸時代までは幽霊は恐ろしい存在とは語られなかったそうだ。しかし、いつ頃からか人間の未知なる物への無知と弱さにつけ込まれて幽霊宗教屋に利用されはじめた。

神秘的な物への弱さと無知を克服しなきゃいつまでもエセ宗教屋にだまされつづけるよ。

ここでいうエセ宗教屋というのは神秘性をタテに使って霊を商売の為に商品化している人々の事ですよ。

ああ、空気読めてなかったな

人の話す幽霊話なんて、大半が作り話か、ちょっとした事を大げさに言ってるだけなんだから

それに対して「単なる気のせいじゃない?」「見間違いじゃないの?」とか言ったりするのは失礼だよなぁ。

とりあえず「(君の精神状態が)やばいね」とか「それって大丈夫なの?(君の頭が)」とか言っとけばその場は盛り上がるんだろう。

でも、あいにくとこちらはその手の幽霊話なんて知らないから盛り上がりようがないよな。

まあ、幽霊なんて人間認識エラーによって生み出された存在でしかないしな。

もし、全人間コンピューターの中に入ったら、

エラーエラーとして認識せずに、実在の物として扱ってしまったら、

本当に幽霊が実在するなんて状況になるかもしれない。

なんてSF的な事を思いついたが、これ確か誰かが話書いてた気がするな。

2007-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20071114175723

んー、私も子供の頃、幽霊だの地獄だのが怖くて電気を消して眠れなくなった事がある。

んでそれは三年くらい続いた。

可能なら誰かと一緒に寝るのが一番落ち着くと思うけど、なかなかそううまくもいかないだろうから、

やっぱカウンセラーに相談するのが良いと思う。

2007-10-31

永遠に関するつぶやき

僕には、みんなが普通に生活を送っていることが

ときどき、とても不思議に感じられる。

人はいつか死ぬ。

当たり前のことだけれど、

しかしゆるぎない真実であって、

これが僕にはひどく恐ろしい。

死の痛みは怖くない。

自我喪失は怖い。

怖いけれど、僕が本当に怖いのは永遠だ。

幼稚園小学校低学年の頃、

テレビサンタクロース人形劇をやっていた。

サンタクロース子供好きなただの老人だった。

みんなにプレゼントを配っていた、やさしい老人だった。

やがて、サンタクロースは天寿を全うして死んでしまう。

神々は会議を開いた。

老人のような神、黒い山羊の姿をした神がいたのを覚えている。

神々は話し合う。

我々には永遠の命があるが、人間はいつか死ぬ。

私たちから見れば、人間の一生はあっという間だ。

しかしサンタクロースをこのまま死なせるのは忍びない。

そうだ、永遠ローブを与えよう。

永遠ローブをまとえば、永遠に生き続けることができる。

かくしてサンタクロースは生き返り

世界中子供たちに夢を与える存在となりましたとさ。

おしまい

僕はこの物語を見て、「死」というものを理解した。

自分がいつか消えてしまうということを知って、

その夜、枕を涙で濡らした。


小学校高学年になって、手塚治虫の「火の鳥 宇宙編」を読んだ。

その物語の中で、宇宙船トラブルが起きてしまい、

乗組員それぞれが一人乗りの船に乗って、脱出するというくだりがある。

そして、その中の一人は、軌道がかすかにずれてしまい、

みんなと一緒の方向に行けず、宇宙の果てまで孤独に流れていくこととなる。

別の一人は、惑星の引力に捉えられてしまい、永遠にその星の周りを周ることになる。

マンガとはいえ、「永遠」というものを肌で感じられたような気がした。

永遠ってなんだ。

永遠とは「終わらないこと」だ。

つまり、死んだ後も、その状態は終わらないということ。

永遠に続くということだ。

永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に・・・

死に続ける。

死ぬということは、消えるということはそういうことなのだ。

そして、永遠の命を得ようとも、

天国地獄があろうとも、

幽霊になったりしようとも、

輪廻を繰り返そうとも、

永遠からは逃れられない。

空想の世界でさえ、永遠から逃れることはできなかった。

それからは、そのことを忘れるように努めた。

思春期、ときどき授業中などに思いだしては、身を震わせて恐怖した。

そしてすぐに頭から振り払った。

まともに考えていては、頭が狂ってしまいそうだった。

そうしたまま、逃げ続けて現在に至るのだけれど、

今でもまだ夜中に恐怖にかられることがある。

その恐怖は、衝動的と表現しても差し支えないくらい、強い。

どうしてみんな、普通に生活していられるんだろう。

たしかにどうしようもないことだ。

だけれど、このことについて語る人はあまりにも少ないし、

誰もあがこうとしていないように見える。

みんな、僕のように逃げ続けているのだろうか。

それとも、折り合いを付けているんだろうか。

僕には到底マネできない。

しゃべるはずのないもの

こないだ彼女と話していたら、なにやら興奮した調子で

「そうそう、聞いて!たかしがしゃべってん」と言われた。

「・・・はい?」

冷静に、慎重に、僕は彼女の言っていることを理解し、

そして、彼女精神を気づかう必要があった。

「・・・え〜と、大丈夫?」

「本当やって!」

もともとユニークな娘ではあるけれど、

こんなに真剣な調子で嘘や冗談を言うタイプではない。

心身ともに健康優良児だと思っていたが、

もしかしたら頭の中にお花畑が広がっているのかもしれない。

そう思った。

なぜなら『たかし』は自転車だからだ。

彼女通勤のために買ったこの自転車

フレームの形状や装飾がなかなか珍しいタイプで、彼女自身もいたく気に入っている。

気に入ったからといって、名前まで付けてしまうのはどうかと思ったが、

このくらい、まあかわいらしいレベルかと思っていた。

この日までは。

「あんな、自転車屋さんの前通ったときやねん。

 並んでる自転車チラって見たらな、

 たかしが言ってん!

『捨てんといて』

 って!」

「う、うん。でも周りに誰かおらんかった?」

「おらんかったって!声が聞こえてんもん!」

これ以上追求すると怒り出しそうなので話題を変えたけれど、

そんなことが、『モノ』がしゃべるなんていうことが

実際にあり得るんだろうか?

(僕自身、幽霊の声を聞いたことはあったけど、さすがに『モノ』はない。)

どなたか同じような体験を持つ方はいませんか?

っていうか、正直どう思いますか?

あ、ちなみに文中の自転車の名前「たかし」は仮名です。

プライバシーの問題上・・・。

2007-10-26

http://anond.hatelabo.jp/20071023221224

質問している人は最低でも二人はいるよ(俺と俺以外)。俺は「疑問」(http://anond.hatelabo.jp/20071022234530)ってエントリを挙げたの。

増田が求めてるのは、教義じゃないんだね。信仰心に根ざしたコミュニティを目指してるのか。

私が疑問に思っていることは、「信仰とは何を指しているのか?」、「宗教に何を求めているのか?」、「今何を困っているのか?」。

私は、信仰心が全く無いので、信仰がなんなのか、何でそれを必要としているのかがさっぱり分かりません。

例えば、「人生の目的を定め、悩みをいかに乗り越えていくか、自分のため、人のためにいかに善く生きていくか、など。生きる哲学のようなもの」と、宗教信仰心がどう関係するのかがさっぱり分からない。

増田にとってどうなのか、創価学会の場合はどうなのかって、具体的な事例を教えてくれるととても興味深く拝聴できるんだ。相談に乗るんじゃなくて、教えて、教えてなんだけど。

増田はどんな人なの?

1.学歴は?専攻は?面白かった?

2.仕事は?何屋さん?面白い?

3.趣味は?自分の時間は何して過ごしてるの?

4.本は読む?映画とか?どんなの?

5.交際範囲は?恋人は?友達は?何系とかある?

6.増田にとっての世界はどう見えてるの?自然科学的なもの?超自然的な真理の法則があると思う?そういうのはどうでもよくて、地表百メートル人間の生活圏内の人間関係が全てとか?どこに重きを置いているのかある?

7.これからなにをどうしたいの?

ちなみに、私の場合は、

1.大学院卒、物理学専攻、面白かった。

2.IT系、インフラ屋、面白いこともあるけど、仕事に面白さは求めない。

3.とくになにも・・・休みの日はできる限り長く寝られることを追求。

4.本好きだけど、SF/ミステリ/評論とかのジャンルマニアじゃない。ラノベは読まない。今は宮部みゆきの『模倣犯』読み中。最近は『悪童日記三部作が面白かった。映画はほのぼのするのが好き。『バッファロー’66』とか『バグダッドカフェ』とかがすごく好き。

5.非コミュ恋人はいるけど、まだ2ヶ月くらい。友達は極めて少ない。というか、いないと言っても過言ではない。何系とかはない。

6.世界自然科学的な法則に従っていて、真偽は数式/論理学のレベルで決まるものだけが実体。来世とか幽霊とか生まれ変わりとかは無いと思う。物理学化学的な実証事実は概ね正しい。人間関係では、お互いに不快にならないように気を遣ったり努力するまでは当然で、そこに真偽はない。

7.どうしよう・・・

信仰って何なのかなぁ。差し支えない範囲で教えて。

私が自然科学的な知見をほぼ事実と信じているのは、数式レベル自然科学の知見は、その数式運用や観察において緻密に網の目が張り巡らされていることを学んで、30年ちょっと生きてきた日常的な経験から、反証を経験したことがなくて、それ以外はどうも嘘くさいと思うから。だから、そう思わない人もいると思う。ので、個人的な信念に属することだと思う(この信念を持っている人は珍しくないと思うけど)。けど、信仰はそういうのとも違うんでしょ?

信仰って何なのかなぁ。よりよく生きるために役立つのかなぁ?役立つ気がするんだけど、なんなのか分からない。神はいないと念じて必死に祈る信仰もあると思うんだけど、増田の場合はどうなの?日蓮宗には、神も祈りもないよね?

増田は分かりやすく書いてくれるので、良かったら教えて欲しい。増田にとっては、他の信仰心を持っている人の意見が聞けるといいんだと思うけど・・・

2007-10-21

http://anond.hatelabo.jp/20071018040343

最初、おまえは俺かと思ったけど、「無になるのが怖い」っていうのはまるで逆だな。

俺の場合、むしろ無というのが救いに見えて、すぐにそっちに逃げてしまいそうになる。

もし幽霊がいたら、俺は発狂すると思う。

死後も意識があるなんて地獄だ。

死が無であるからこそ、どんなに最悪な状況でも「せいぜい死ぬ程度じゃないか」と、希望を持てる。

いちばん怖いのは、痛みをずっと受け続けたまま死ねないこと。

無ってのは救い、いや、その救いすらも無に帰すものだ。

俺は「楽しい」とか「嬉しい」とかの価値がわからない。

だってそんなの死ねばなくなるんだぜ。

たとえるなら、ゲームの中のお金のようなものだ。

ゲーム世界お金が価値を持つのは、ゲームの外にプレイヤーがいるからだろ。

逆に言うと、現実の外には何もないから、現実世界の「楽しさ」には価値がないんだ。

そんな感じで、生きる理由もなく、死ぬ理由もなく、何事にも価値を見出せず、俺はただ存在し続けている。

こんなので参考になるだろうか?

2007-10-18

http://anond.hatelabo.jp/20071018112152

増田さ。レンタルマギカはそれなりではあるけど超面白い!!これ薦めなきゃ!!ってほどではない。少なくとも作者の別の作品もチェックしなきゃーとは思わなかった。手堅く纏まってるラノベーって感じ。ワンパターンだし、話が全然進まないし、主人公キャラが嫌いな人は嫌いそうだ。

しかし!

萌えポイントはいくつかあるんだ……だから読んでる。まあキャラ萌えなだけなのさ。狐目で敬語で猫キチな陰陽師にびびっときたり、味方かどうかよくわからない慇懃陰険?最強キャラと絡むすっとぼけ幽霊が好きなら読んでもいいかもしれないけど、自信をもっておすすめはしないさー!

死にたくなくてしょうがない

世の中の人は普段どれだけ死を意識してる?

それが知りたいから、これを読んだ人はできるだけ答えてほしい。ここに書いたほうが、別のアンケートにするよりかは自由に、自由すぎるほど勝手に思うことも言えるだろうから。

俺は死というものがいまだに理解できていない。

祖父は俺が生まれる前になくなっていて、祖母は健在、両親も健在で、物心ついてからまだ俺の身のまわりで死というものが見えたことがない(近所の人とか友人の親にはそういった人もいる。でも実感の範囲外)からかもしれない。死そのものを知らないけど、存在は知ってる。無になるんでしょ?こんな怖いことはないよね。

精神状態がある程度より下にあるとき、死を思うことにとりつかれることがある。そんなときは過去偉人の話を聞いても、どんな偉業をなしても結局死ぬんだと一人布団の中で震える。

それでも、俺は自分の意識の終焉と終焉以後の自分の意識について想像する。

死ぬことで自分の意識が無に帰すってどういう状況?さっぱりわからん。想像するたびにびびる。だって生まれてこのかた自分の意識が無に帰した状態になったことないじゃん。誰に聞いても知ってる人はいないし、宗教の話もピンとこない。

幽霊がいればいいのにね、死後も意識があるって証明になるから」とある人はいったけど、俺もほんとうにそう思う。幽霊を見ることができれば、俺はこの恐怖から解放される。

そういう俺だから、自殺する人の意味がまったく分からない。

いろんな事情があるのは分かる。自分が死ねば他の多くの人がいい方向にいくっていうのは、ある意味で死ぬ動機にはなりうる気がする。でも、中には思い悩んだ結果死ぬことにしたっていう人もいる。悩んだ自己完結の結果が死、というのに対して俺はまったく理解ができない。死より恐ろしいものを知らないせいだ。

いじめを苦に自殺するのも、言いにくいことだけどよくわからない。学生にとって学校はその人の世界のほとんどを占めるものだろう。そこでいじめがあった場合、世界絶望してしまうかも知れない。でも、結局のところ環境は自分が作るものだ(少なくとも日本においてはそういえると思う)。

宗教的な観点とか実体験に基づく考え方とかいろんな見方があると思うけど、知りたいのは他の人がどれくらい死を意識してるのか、死を毎日思う俺は異常じゃないのかどうか。

まあそれに尽きる.

2007-10-06

京アニ版のCLANNAD - 原作から抜け落ちた描写・変わった描写(1話時点)

原作シナリオから自分が気になった所だけを抜粋したので、他の人が作ればまた別の物になると思います。2話以降で後付けで説明されたり、回想の形で挿入されたり、時間軸をずらして取り入れたり、というのも当然あると思います。京アニが、この長大な作品の、何を描いて何を描かないのかという取捨選択の趣向を見守っていきたいと思います。

また、あとから追記するかもしれません。→少し追記しました。

「町」とその開発への言及

やたらと自然が多い町。

山を迂回しての登校。

すべての山を切り開けば、どれだけ楽に登校できるだろうか。

直線距離を取れば、20分ぐらいは短縮できそうだった。

代わりに「売地」が写される。

アバンタイトル

女の子】「それでも、この場所が好きでいられますか」

………。

女の子】「わたしは…」

【朋也】「次の楽しいこととか、うれしいことを見つければいいだけだろ」

【朋也】「あんたの楽しいことや、うれしいことはひとつだけなのか? 違うだろ」

女の子】「………」

そう。

何も知らなかった無垢な頃。

誰にでもある。

【朋也】「ほら、いこうぜ」

最後の地の文が抜けている。

何も知らなかったから言えた台詞、無垢だったから言えた台詞。
 自分はこの町が嫌いだというのに、この場所を好きでいたいと考える女の子
 自分は変化を求めているというのに、変化を恐れている女の子
 ちょっとした反感から口を滑らせた、聞き覚えのいい正論

ネタバレ(文字白色):いずれ「変わって欲しくないもの」を手に入れて、そして失ってしまったときに、この言葉は自分自身に跳ね返ってくることになる。

ちなみに、アニメでは地の文の「………。」の箇所で、朋也が視線を落とし、次のシーンで朋也の顔が隠れることで反発を表現している。

朋也と春原の状況説明(若干ネタバレ)

母を亡くしたショックでだろうか…残された父は堕落していった。

アルコールを絶やすことなく飲み続け、賭け事で暇を潰す生活。

少年時代の俺の暮らしは、そんな父との言い争いにより埋め尽くされた。

けど、ある事件をきっかけにその関係も変わってしまった。

俺に暴力を振るい、怪我を負わせたのだ。

その日以来、父親は感情を表に出さないようになった。

そして、俺の名を昔のように呼び捨てではなく、『朋也くん』とくん付けで呼び、言動に他人行儀を感じさせるようになった。

それはまさしく、他人同士になっていく過程だった。

まるで殻に閉じこもっていくように。

今と過去との接点を断ち切るように。

突き放すならまだ、よかったのに。

傷つけてくれるなら、まだ救われたのに。

怪我についての描写はアニメではまだ無かった。

うちの学校は特に部活動に力を入れているため、地方から入学してくる生徒も多い。

そんな生徒たちは親元を離れて、ここで三年間を過ごすことになるのだ。

俺のような学生生活に夢も持たない人間とはまったく違う人種

関わり合いになることもなかったが、こんな場所にあいつ…春原は住んでいるのだ。

春原は元サッカー部で、この学校にも、スポーツ推薦で入学してきた人間だ。

しかし一年生の時に他校の生徒と大喧嘩やらかし停学処分を受け、レギュラーから外された。

そして新人戦が終わる頃には、あいつの居場所は部にはなかった。

退部するしかなかったのだ。

その後も別の下宿に移り住む金銭的余裕もなく、この体育会系学生が集まる学生寮に身を置き続けているのだ。

春原のドキュン

【春原】「ま、一年連中をどければ済むけどね」

【春原】「はい、ここ、僕たちの席ねーっ」

座って歓談していた一年連中に向かって、にこやかにガンを飛ばす春原。

【春原】「とりあえず学食いったら、誰かいるだろうからさ、ジュースでもおごらせようぜ」

【朋也】「そんなのばっかだな、おまえは…」

【春原】「よし、じゃ、いこう」

やることもなかったから、ついていくことにする。

【春原】「ねぇねぇ、ジュースおごってよ」

春原が後輩を捕まえて、そうせびっていた。

【春原】「百円じゃなくて、二百円」

【春原】「ふたりぶんだから。あっちの人も」

【春原】「うん、君、いい奴だねぇ。なんかあったら、僕たちに言っておいでよね」

【春原】「僕たち、学校の外ではぶいぶい言わせてるからさっ」

朋也の鬱屈

他の男子も、何事かと窓際に集まり始めていた。

…鬱陶しいこと、この上ない。

どんな奴かは知らないが、ミーハー連中と一緒にされたくない…。

あの中にいたら、むかついて誰か(主に春原)を殴っていただろう…。

暇つぶしには最適。

一日の授業を終え、放課後に。

春原の奴は最後までこなかった。

結局、今日俺が話をしたのは、朝に出会った女生徒だけだった。

朋也と渚の距離感

【朋也】「好きにしてくれ」

見捨てて、ひとり坂を登り始める。

ただ…

そんな不良に見えなかったから、話しかけてしまっただけだ。

それだけだ。

女の子】「あっ、待ってください」

どうしたものだろうか…。

遠慮なく、話を聞きすぎたような気がする。

気にならないといったら、嘘になるが…

気にしないよう、務めよう。

これからは、あいつ一人で頑張るしかないことだった。

進学校における受験対策に取り組むクラスメート達との距離感

三年で、ここに来ているのは俺たちふたりだけだった。(智代登場のシーンふたりは春原・朋也)

【朋也】「友達、作ればいいじゃないか、また新しく」

女の子】「時期が時期ですから、みんなそういう雰囲気じゃないです」

【朋也】「三年生だったか…」

三年といったら、もうクラブも引退寸前なのに…

それをこれから頑張ろうなんて…他人の目にはどう映ってしまうんだろうか…。

新入部員だと言っても、三年生だと知れば、部員たちの反応は当惑に変わるだろう。

ひとりでも知り合いがいれば良かったのだろうけど…。

アニメでは代わりに、同級生が朋也と春原の事を噂している描写と、委員長が不良生徒に話しかける珍しい事態に周りの生徒が注目している描写が入る。

渚を眺める女生徒視点

【女生徒】「見て、あの子」

【女生徒】「ほら、あそこ」

窓際にいた女生徒が窓の外を指さして、隣の連れに話しかけていた。

【女生徒】「ひとりで、パン食べてる。なんか、一生懸命で可愛い」

【女生徒】「どこのクラスの子だろ。あんまり見ない子だね」

アニメでは女性徒を下から眺める

自己紹介シーン

女の子】「頭の手は…なんですか?」

【朋也】「いや、別に」

女の子】「そうですか…」

【朋也】「ああ」

しばらく彼女は呆然と、俺はその後ろで彼女の頭に手を置いて、ふたり立ち尽くしていた。

端から見れば、おかしなふたりだっただろう。

【朋也】「俺はD組の岡崎朋也

【朋也】「あんたは?」

女の子】「…B組の古河渚です」

【朋也】「よろしく」

古河】「はい、よろしくお願いします」

遅すぎる自己紹介

ふたりだけは、出会いの日の中にあった。

古河】「………」

古河】「それで…」

古河】「演劇部はどこにいったんでしょうか」

【朋也】「よろしく」

古河】「………」

古河】「はい、よろしくお願いします」

古河】「………」

古河】「で、演劇部は…」

【朋也】「よろしく」

古河】「はい、よろしくお願いします」

古河】「で、演劇部は…」

【朋也】「よろしく」

【朋也】「ひとりで帰れるか?」

古河】「はい、もちろんです」

【朋也】「ハンバーグでも食って、元気つけろよ」

古河】「え?」

古河】「岡崎さん、すごいです。今晩、ハンバーグにしようと思ってました」

この箇所は原作でも印象的なシーンであり、電撃G'sマガジンで連載中のCLANNADの第一話も、ここをクライマックスにしていたため、この描写が抜かれたことに違和感を感じる人は多いようだ。

ただ尺の問題上「お連れしましょうか」のシーンを第一話のクライマックスにする事に決めたとしたら、

といった理由で、かなり難しいのではないか、と思う。

ハンバーグ伏線古川家のシーンで回収されている。

家から飛び出し渚宅へ

こんなところに来て、俺はどうしようというのだろう…

どうしたくて、ここまで歩いてきたのだろう…

懐かしい感じがした。

ずっと昔、知った優しさ。

そんなもの…俺は知らないはずなのに。

それでも、懐かしいと感じていた。

今さっきまで、すぐそばでそれを見ていた。

子供扱いされて…俺は子供に戻って…

それをもどかしいばかりに、感じていたんだ。

………。

「もし、よろしければ…」

代わりに、電灯のついた部屋を見上げる。

プロローグ(ネタバレ) (追記)

一面、白い世界

………

雪…

そう、雪だ。

今なお、それは降り続け、僕の体を白く覆っていく。

ああ…

僕はこんなところで何をしているのだろう…。

いつからこんなところに、ひとりぼっちで居るのだろう…。

………。

雪に埋もれた…僕の手。

それが、何かを掴んでいた。

引き上げる。

真っ白な手。

女の子の手だった。

ああ、そうだった…。

僕はひとりきりじゃなかった。

彼女の顔を覆う雪を払う。

穏やかに眠る横顔が、現れた。

そう…

この子とふたりで…ずっと居たのだ。

この世界で。

この、誰もいない、もの悲しい世界で。

完全なネタバレ(麻枝准の他作品のネタバレも含む)なのでここから文字を白色に(匿名ダイアリー続きを読む記法が使えないようだ。キーワードリンクも消せない。)

ゲームでは、開始時点は幻 想 世 界編であり、そこから始まる本編は長い回想のようなものだと解釈できる。

(もっとも幻 想 世 界では時間が意 味がなさないので『回想』という表現は相応しくないかもしれない。)

麻枝准が自ら企画した作品は最初のシーンに後から繋がる、戻ってくる、という話が多い。

  • ONEという物 語の構 造は主人 公が、幼い頃の悲しい出来 事が原 因で思い描いた「えいえんのせかい」から始まり、そこで各ヒ ロ インとの学園でのエピソードを回想することによって、元の世 界に戻る動機 付けを見い出して回 帰する話である。学園エピソードの前半ではそれが回想だと気付かない作りになっている。(より正確に書くと,メ タな位置にいるはずのプレイ ヤにとってはリアルタイムの出来事が、作品中の主人 公にとっては回想になっている、という捻れた構造になっている。)
  • AIRゲーム版では、OPムー ビーの最後から繋がるシーンで、ラス トシーンの少 年が呟く「さようなら」という言 葉を国崎行人が夢うつ つに聴いている。(この時点では何のことが分からない。)これはアニメ版では抜け落ちてしまったが、代わりにアニ メではEDの少 年に「昔の事を思い出していた」という台詞を言わせている。A I Rのプロローグ「我が子よ、良くお聞きなさい。これから話すことは大切な事、これから・・・」のシーンも、クライマ ックスで再び使われている(これはアニメ版でも一緒)。このシーンはプロローグで使われたときは国崎行人と,その母 親を想起させる( 注:「力」を持つ者に課せられた、はるか遠い約束,というフレー ズに基づく)が、クライマッ クスで使われたときは「最初の翼 人」が自らの子 供に語りかけた台詞になっている。
  • 智代アフターが回想なのは自明なので省略。

アニメ版ではプロローグを省いているため同じような仕掛けはやらないつもりなのかもしれない。

(仮に、アニメでも本編が回想である、という前提に立てば、アバンの『二人が出会った瞬間「光が揺らめ」いて彩度の上がる演出』は

朋也の思い入れ(「今思えばあの頃から俺は・・」的な)の反映とも解釈できる。)

しかし回想は積極的に使われていて、視聴者は、作中人物である朋也の主観的な時間軸を行ったり戻ったりする。

(注:以下では「語られる」=物語として表現される、の意味

  • 13:20の「なんてな、他人に説教なんて出来る人間か俺は」のカットで、そこまでのシーンが回想だった事が分かる。この回想の特徴はどこから回想が始まったのか定かでないところ、少なくとも初見では回想だと気付かせないところである。その後、先ほどの回想シーンの続きである自己紹介シーンになる。そして消しゴムの欠片を投げつけられ回想が終わる。ここでは出来事の語られる順番は「回想される過去の時間」→「回想している今の時間」になっている。(回想のきっかけは、授業が暇だったからだと思われる)
  • 16:33から 時間を潰そうにもすることがなくなって途方にくれた朋也が古河パンを訪れるときに入る回想。帰宅時に渚が自宅を紹介してもらった記憶を思い出している。ここは回想だと明確に分かるシーンである。この回想は、視聴者がまだ見たことの無いシーンになっている。つまり、ここでは出来事の語られる順番が「回想している今の時間」→「回想される過去の時間」になっている。(回想のきっかけは、することが無くなったからだと思われる)
  • 20:54から 朋也が家に帰りながら、渚との別れを思い出す回想である。回想は音声だけであり、映像リアルタイムである。このシーンでは「回想している今の時間」と「回想される過去の時間」の出来事が、同時に語られる。(回想のきっかけは、自分の家の惨状を思い描いたからだと思われる)

(書きかけ)

メモCLANNADMAD的である理由
 静止画MADムービー(静止画とテクストの断片と、音楽シンクロ)、葉鍵系MAD全盛期(訴訟警告前)、動ポモMADムービーに関する記述(トレンドパロディ原作感動の再現)
  音楽キャラクターが、世界連続性を担保しているー断片の羅列が世界を表現する
    麻枝准執筆方(音楽イメージが無いとシナリオが書けずCDを延々と探している)、「ゲーム音楽は1/3」という麻枝の発言
    「キャラ」が連続性を担保している(テヅカイズデッド)
  ADV形式ゲームの記号性(動ポモ)
 CLANNADシナリオに対する二つのアプローチ:エクセルによる時間管理(監督石原達也) 全エピソードのカード化と、パズルのような組み合わせ(脚本家志茂文彦)
 

ハルヒの成功がもたらしたもの:
 キャラクターメタ物語性の確認:SFミステリーギャグロマンスも同じキャラクターで可能である。(昔から。フルメタだってギャグリアルだし、FFのようなRPGだって、(何故日本の作品にはシリアスな作品にもギャグがあるのか(ask john)),麻枝准は何故シリアスエピソードで笑いを入れるのか(ONEのバニ山バニ夫、Kanon舞エピソードのウサ耳、CLANNADアフターの風子参上、リトバス最終エピソードの丁寧に伏線まではってある筋肉大増殖)
 時間軸を各自の脳内で再構築できる視聴者層が、商業的に成立する規模(DVDの売り上げがトップクラスになる程度には)はいた事の発見
 「仕掛け」れば見つけてくれる視聴者と、その情報が直ぐに広まるネットワークキャラ紹介の波線の演出は智代アフターだよね、白地の背景で「朋也の後を渚が・・」ってとこも智代アフターのOPかも?
EDのウサギはONEのバニ山バニ夫。EDのだんご大家族映像NHKっぽいのは、当然だんご三兄弟パロディだから
シーンのトランジションワイプなのはゲームのADVのパロディ
猫。幽霊
智代登場シーン。不良サングラスギャラリーが映り、顔から汗がたらたら流れる→闘いたいわけじゃないけど、ギャラリーがいるから後に引けなくなってるのかな。不良が持ってる武器フライパンってことは、ゆきねえの取り巻きかな、みたいな解釈話も含めて

2007-08-31

今日モテたなぁ。

電車に乗ったらに向かいの席の大学生っぽい黒髪で長髪の清楚系の女性がこっちの方見てくるし、

降りた駅のエスカレーターですれ違うスーツを着たOLがこっちのことずっと見てるし

コンビニの店員は俺の時だけお釣り出すの手間取ってて「あー、俺と少しでも長くいたいんだな」ってのが伝わってきた。

休みに頼んでもないのに好意もたれたいからって旅行のお土産くれる子もいたし。

俺には見えないけど、たぶん俺の背後には美人幽霊がたくさん憑いてるんだろうしなぁ。

何で誰も告白してこないんだろ。シャイすぎるぜ、日本人は。

2007-08-21

博士就職できない理由は、日本年功序列アメリカ実力主義だから

http://anond.hatelabo.jp/20070821000854

博士就職難で、その理由はコミュニケーション能力協調性欠如などと新聞に踊っているが、

新聞はなんで根拠も無しにあんなことを書いているんだろうか?

完全に名誉毀損だろう。

博士就職が難しい理由なんて、普通会社で3年過ごせばすぐわかることだろうに。

原因日本会社風土にあるってことでも説明してみっかな。

日本人プライベート仕事をあまり区別しない。

お酒の相手も仲の良い有人ではなく、同じ会社の社員と飲む。

終身雇用前提だから、社員は一生その会社人生を過ごすことを想定して仕事してる。

年功序列だから、上司は無能が多いし、無能でも給料はおおよそ平等に貰える。

天下りみたいなのも普通にあって、幽霊老人社員とかいるわけよ。

そんなんでも会社は余裕でまわる。

税金工事みたい発注がいっぱい来るからね。

自由競争市場ビジネスしてる会社なんてあんまりないわけ。

(あんまりぬるま湯につかり過ぎると、世界競争に巻き込まれて日本沈没かもな)

中には「俺は社会人」とか言って張り切ってるやつもいるけどさ、

ぶっちゃけ平々凡々ぬるま湯まったり世界なわけよ。

そんなところに、やる気と知性に満ち溢れた博士課程の学生が入ってきたらどうなるか・・・

mixiコミュ乱入する日下部さんを想像してもらえばいい。

ほとんどの博士は、大学受験を勝ち抜き、修士博士の5年間をたった1人で戦い抜き、

世界に通じる業績を捻出してくるやつらなわけよ。

博士課程の学生の4分の1は東大生で、9割は超高学歴

そんなやつらが「僕、新入社員です」とかいって入ってきたら、お前らどうするよ?

部活で例えれば、後輩にスタメンとられちゃった先輩は、その後輩にどう接しますかってこと。

もちろん、博士を雇えば、生産性はあがるかもしれない。

だけど、それと引き換えに失うものがある。そうプライドさ。

どんなに言ってることが正しくても、結局会社なんてmixiコミュと一緒。

馴れ合いが大事。

正しさも生産性利益も求めてません。

大事なのは、馴れ合いであり、自分の立ち位置なんですよ。

だから会社村に、天才は必要ないんです。

だからね、博士はおろか、そもそも優秀な社員なんて恐くてとれません。

あの和風外資コンピューター巨人の○○○でさえ、

インターン書類選考する時にかわいい子を選んでるんだと

中の人が自慢してました。

でも、最近は事情がちょっとかわって来ました。

海外との競争が本当に激しいです。

あんまり温いことやってると、本当に会社が傾きかねないです。

今後はどうなるかはわかりませんが、まあ会社なんてこんなもんですよ。

1人で世界にチャレンジしちゃうような博士課程の学生とサシで勝負できる社員なんてほんの一握りです。

そういう人が会社支えてます。

以上、ネタでした。

PS

Q. アメリカ就職すればいいんじゃないですか?

A. アメリカ就職するには、ネイティブ並の英語力が必要なので簡単ではありません。ですが、待遇給料にすると3倍から5倍以上違うとかなんとか。また、修士博士外資系企業に行く率は高いです。特に優秀な人が外資にかなりの割合で流出しているのが現状です。ただ、外資にいく場合、年功序列のかわりに人種差別がある可能性があります。給料などは暗にそういう基準に従います。

Q. 博士卒は全員優秀なのか?

A. ピンキリです。ですが、うんこジャーナルでさえ論文を掲載することは簡単ではないですし、うんこ国際会議でさえ英語論文を投稿し、査読を通過し、英語発表するのはとても大変なことです。従って、底辺でもそこそこのレベルです。一方、上は果てしなく頭の良い人が多いです。修士の上位層が博士に進んでいると言っても過言ではありません。中には金銭的な理由で修士卒業する人もいますが。

Q. 博士に進んでもいいですか?

A. 分野によります。数学物理のような産業とはほぼ無関係研究をする場合、アカデミックポスト争いに敗れた時のリスクは計り知れません。一方、工学系で就職できないケースはほとんどありません。いずれにせよ、肝に銘じて欲しいことは、研究は手段であって目的ではないとういことです。あなたが博士過程に進むということは、10年以内に人類に大きな影響を与える研究成果を叩き出すという契約であって、あなたが研究人生を過ごすためのプロセスではありません。研究がしたいだけなら、趣味でどうぞ。

Q. 博士に進むメリットはなんですか?

A. 3年間、自由に研究ができることです。企業に入った場合、あなたの行動は制限されます。あなたがどんなに有望な技術だと感じていても、その研究企業リスクを感じていたら、取り組むことはできません。一方、「研究してる自分が好き」なだけであれば、企業に入った方がいいでしょう。そういう人は企業にいっぱいいます。大学にもいっぱいいますが。

Q. 博士に進むとコミュニケーション能力が鍛えられないんですか?

A. いいえ、1人で戦うからこそコミュニケーション能力が必用です。会社と違い、あなたを助けてくれる人は極小数です。一方、社会とは1人で生きられる程甘くはありません。ですから、常にコミュニケーション能力を磨く必要性に晒され、嫌でも対人能力を磨かざるえないでしょう。少なくても、群れから出たことのない羊や、決まったプロトコルでしか会話できない端末のような人に比べれば、力強く柔軟な対話能力を身につけることができるでしょう。その分、苦労は計り知れません。

2007年08月25日 kiya2014 コミュニケーション能力があったら打算考えるから博士なんて行かない。対偶をとると、博士に行くやつはコミュ能力欠如

http://d.hatena.ne.jp/kiya2014/

Q. 「コミュニケーション能力がある、ならば、博士に行かない」またはその対偶の、「博士に行く人はコミュニケーション能力がない」は真実ですか?

A. もし上記が真実であれば、「コミュニケーション能力があるならば、成績が悪い」そしてその対偶の、「生成が良ければ、コミュニケーション能力がない」が成り立ちます(既に書きましたが、博士課程に行く人は、主に学力で上位に位置する人です)。これは現実と照らし合わせる間違っていると思われます。従って、「コミュニケーション能力がある、ならば、博士に行かない」がそもそもの誤りであり、その対偶である「博士に行く人はコミュニケーション能力がない」も誤りということになります。対偶は証明の手段ではないのであしからず

2007-08-02

学歴無意味論かー

引用見ただけで実物見てないんだけど。

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/07/40_f9f8.html

(前略)本当に食べていくだけで精一杯だったんです。そんな鼻つまみ者扱いが、大学が決まっただけで「あ、早大生なんですね」って周囲は好意的に受け入れてくれるようになったんです。(中略)ある程度の大学にいるというだけで、社会的な信用度が大きくなり、有名大学って入ってみるとお得な身分だなって、つくづく思います。

 それまでの「え、○○短大卒なの?」って眉をひそめられていたのとは違う現実を突きつけられる。

 社会って、不思議な世界で、私は短大のときの私と何か変わった訳でもないのに、大学看板があるだけで扱いが変わるんですね。

自分も、進学しない前提の学校から、そこそこの大学に行ったときに同じことを体験したなー。

その他にもギャップがあった。進学校出身の同級生達が無邪気にその世界が全てと思ってること。そうでない世界があるのを知識としては知っていても、まるで別世界のように思っていること。俺は幽霊かよ、目の前にいるじゃん、と思ってた。

大学入学前後(直後の話)で自分の技術レベルやそれまでに作ったものは変わらないのに、大学看板が付いただけで何かすごいことのように先入観を持って見る人達プラシーボ効果?)。技術関係は、当時の自分の拠り所だったし、余計な御託や権威を並べるより出来たブツを見れば分かるだろって思っていたかったから裏切られた気分になった。今なら看板には看板意味があるってことも、看板抜きで評価出来る人の方が稀少だということも分かったけど。

なーんてことを思い出して、どっかに書いておきたくなった。まあ今となってはどうでもいい話です。

2007-07-12

http://anond.hatelabo.jp/20070712003040

物理学から幽霊存在を証明しようとしてる奴だけ毛色が違う気が。君の嫌う人たちとは違うんでないの?検証しようとしているんだから。今の科学も絶対ではない。新事実が発覚しガラリと今までの事実が入れ替わることも有り得なくは無い。宗教胡散臭いと思っていても幽霊は無条件に信じるというのが君の嫌いとするところであったはずだ。ちゃんとした学問から検証しようとしている人は君の嫌いセンサーに引っかからないはず。引っかかるとするならば、君は「宗教は信じてないのに幽霊は無条件に信じる奴」が嫌なのではなく、単に「俺の考えと違う奴」が嫌だということになるぞ?あまりに科学科学というやつもまた、科学信仰なんて言われたりするが……君だって、別に幽霊は絶対にいない、と様々な学問から綿密に調べあげたわけでもあるまい?「常識的に考えて、いねーだろ」レベルだろ?もしくは科学者の著作を数冊読んでみましたレベル。君が「宗教は(以下略)」という奴が嫌いだというなら、物理学から幽霊を、というやつは寧ろ君自身より君の思考にかなっているのではないか?ただ単に君は、「オカルト臭い奴が嫌い」なだけなように見えるが、どうか。人のふりみてわがふりなおせってやつですな。

http://anond.hatelabo.jp/20070711035008

どうやら特殊な環境にいるみたいです……。別にオカ研とか入ってないんだけどな……。

心から先祖供養をしなければ不孝者と見做されたり(先祖だろうと何だろうと死んでるんだし、不孝も何も無いのにね。礼儀程度にはやってるのに……)、物理学から何とかして幽霊存在証明しようと苦悩してるやつがいたり、正夢やら予言やら……しまいにはあいつはAB型だから云々なんて真面目に言ってるし……もう嫌だ。

今まで唯一真っ当だと思ってた友人も、「幽霊の不存在は証明不可能」って理由で(それはその通りだけれど)、もしかしたらあり得るけれども殆ど確実にあり得ないような可能性を真面目に受け止めていたし……。同様にしてスパモンだってあり得るじゃないかって言ったら怒られちゃったし……。

信じられます? キリスト教の神を都合の良い作り物って言って嘲笑してる連中がですよ。

田舎だから? 大学行った、たったそれだけで褒めそやされてるような学識の浅い地域だから?

何処に無神論者のエデンはあるのでしょうか?

2007-07-11

ID:tasoiの、kurotokageさんとの話の続き。

このエントリに対する、

http://anond.hatelabo.jp/20070707022857

 

kurotokageさんの応答に対して、再応答という形ですー。

http://d.hatena.ne.jp/kurotokage/20070709/1183911740

 

細かいところから、kurotokageさんのレスに対して、順を追ってレスをします。

全体に触れれるまで長くなりそうなので、というか長くなってるので、

気長に見てもらえれば嬉しいです。

 

長すぎて読めるかコラー!というひとは、スルーしてくださいスミマセン(汗

でも、最後の段落は読んでもらえると嬉しい・・・(好きな漫画の紹介です)

 

 

1.

対話の手法について語ることと、ネガティブ言及の両立について

 

>「他人の思いを汲み取ることが必要」といったような繊細な対話の手法について語りつつ、

>他人のセンスをバカにするような表現をおこなって

 

『ある程度、他人の気持ちを汲み取るのも大事だよね』ということと、

『いくらなんでも憎悪渦巻く表現が満載のバナー群がずらりと並ぶと、ヒクんじゃない?』

というのは、両立すると思う。

すごく短く言えば、そういうことで。たとえば

 

↓対話例

たそ「このアレバナーは何さー?(汗」

亜門「これはその法律とかに対して、よっっっぽどムカついたからやってんだよ」

たそ「うーん、そうなのかあ。丁寧に書いた方が伝わるんじゃないの?」

亜門「放っとけバーカw」

たそ「(`Д´)放っとくよバーカ」

 

こういう感じに、普通に対話できるんじゃないかな。

kurotokageさん、割とさっくり人の言及を『嘲う』みたいに評してるけど、

その言葉、当てはまらないと思う。こっちに悪意がそんな無いもん。

 

他人のセンスを嘲笑する(対話する気がないと思わせるほどの嘲笑具合)、っていうのは

もっとアレなやつだよ。

「こんな(ピー)は苦しみにのたうち回りながら(ピー)ばいいのに」とか

「(自主規制)」とか・・・

もっと『悪意が満載』されてるようなやつ。

こんな罵倒の場合だと、会話する気無いなこいつ、みたいなのがビシバシ伝わってくると思う。

そういうのは自分と直接関係ないものでも、見るだけで嫌気がさしてしまいそうだと思う。

 

だからこそ、

エントリに挙げた関連例のように、

憎悪や悪意がむちゃくちゃ渦巻いてる様子に、ヒいてしまうようなことが起きる。

そこから感じる悪意・憎悪が凄いから。

 

で、こういう酷いのはできたらある程度否定されておいて欲しいんだけど

(完全否定じゃない、場合によってはアリかもだけど、敷居はそれなりに高くあって欲しい。)

じゃあ、『だからといってちょっとでもネガティブな要素の入る言及をしたらダメか』というと

違うでしょ。

そんなこと言ってたら、なんも言えなくなる。

 

これは『さじ加減、バランスの問題』なので、感覚を同一にしろとは言えないことだし、

油断するとすぐ極論にぶっ飛んじゃうので難しいです。

そんなわけで、ここが、kurotokageさんが極論に飛んでる点その1です。

 

(別事例を出して参考に書くと、

自分は、例えばmojimojiさんが『個人を対象にしたキーワードの件』で色んな人に対して示した、

あれほどの潔癖具合ではないです。あの感覚はすごく解る部分があって、何度もうなずいてはいたけど。

・・・で、一方、

“明らかに集団で弄り回す目的キーワード作ること”に何の逡巡も覚えないほどモヒカンでもない。

なんかそこらへんに着地点があるんです。言葉にしづらいけど。

言葉にしづらいから、いっぱい喋って伝えようとしてる。)

 

それと、『度の超えた行為はやめた方が』、という言い方は、

特に身を慎みまくった聖人じゃないと言っちゃいけないってことじゃないよね、と思う。

 

自分について振り返ると、あまりそういう悪意むきだしにえぐい罵倒とかは・・・してないはず、と、

ひっそり思ってます。(そんなことやるとなんか損なうえにダメな気がするし)

→自分のブックマークコメント一覧 http://b.hatena.ne.jp/tasoi/

一応見てみてほしいです。

言行一致してねえじゃないか!ってところあったらツッコミください。

ポジティブネガティブ色々あるけど、一定ラインには収めてるつもり。

 

 

2.

コミュニケーションのやり方について

 

>単に自分自身の“感覚”とtasoiさんが共感する意見を並べただけ

 

うん、そうだよ。

感覚の問題だから、感覚を書く。

参考に見て欲しいから、共感した意見を書く。

そういうのが総じて、説明になっていく、と考えてます。

何か違う??

 

ちょっと、共感に頼りすぎてる?ぽいコミュニケーションの仕方かもしれないし、

いかにもアレで取っつきにくかったらごめん。

「これが好きだよ、これは少し嫌いかも、これはイイね、だからこういう風に思うんだよ、わかってくれ??」

っていう感じの話です。

 

>その感覚を共有しない私には「え?あ、そうなん…?」としか返すことができません

 

そんな感覚知ったことか!と言い切れる種類のものと、言い切れない種類のものがあると思う。

一番解りやすい境界線だと、自分オンリーの問題(前者)と、相手のある問題(後者)、とか。

あっさり全部、感覚を共有するギリは無え!的に切り捨てれるのが、ちょっと自分には意外だったり。

ここも、kurotokageさんが極論に飛んでる点その2。

 

 

3.

万人に○○なものは無い&どんなものも△△な可能性はある (←??? なんか既視感。)

 

>万人に好かれるものなどないのだから、どんなものでも常に“ヒかれる”可能性があるわけで、

>それを“程度問題”と称してして自分基準でバカにして良いものと悪いものを切り分けたとしても、

>到底同意はできません。少なくともその基準が如何に妥当であるかを主張すること無しには。

 

まず、程度問題っていう要素はすごくあるよ、断然として。

軽いブラックジョークなら許されても、無茶苦茶酷いブラックジョークは大概ヒかれるし。

その切り分けなんて、モロに程度問題だもん。

どのぐらいそういうニュアンスを含めるかという比率でも違うし、種類、質によっても違うかな。

(その説明は↓にも続きます。)

 

で、そういうのを総合的に見た結果だから、簡潔な説明が難しいんだけど、

今回の事例に則して自分の基準を言えば、

「相手を悪魔化しすぎ」

「一方的な解釈を前面に押し出してる比率が高い」

「善悪の判断を決めてしまう単語を入れまくり改悪とかナチスとか現代版治安維持法とか)」

のようなもので自分は判断してると思います。

そんな要素の度が超えすぎてると、これはヤバいって思う。

憎悪に取り込まれてる印象を受けるから。

 

たとえば、右翼っぽい人の例で言うと

人権擁護法案」「反対」とかのキーワードググると、いくつも出てくると思う、

そういう類の人が。

kurotokageさんは、割とさっくり、万人に??なものは無い、とか飛んでるけど、

個別に妥当性を見るという観点から真逆に遠ざかってると思う。

ここが、kurotokageさんが極論に飛んでる点その3。

 

 

4.

数の論理の取り扱い

 

数の論理で自身の主張を正当化しようとする部分。

>ある部分においてマイノリティーである私にとって、

>“数の多い意見が正しい”なんてのは到底受け入れることができません。

>まさか「多数決民主主義だ」なんて言いませんよね?

 

言ってないので多分知らないと思うし、興味とか持ってくれないかもしれないけど、

taso自身も色んな部分でマイノリティだよ。

性的趣味的出自的嗜好的、いろんなカテゴリのいろんな部分で割とオンパレードマイノリティ

でもあんまりそのことに、悪い意味での価値を置いてないというか、

「私はマイノリティだから、数の論理が許せない!」みたいな感情はあんまり抱えてなかったり。

(※ここの部分、最後の8でもっと書きました。) 

量が少ないだけで、kurotokageさんの感情そのものは解るんだけど・・・ね、

自分もそういう感情一応持ってることは持ってるよ(だから、引用された文中にも、『言いづらい』と)。

感覚的なものは伝えづらいけど・・・

とりあえず、

 >(たぶんだけど、多くの“一般人”も引いちゃうと思うわけ。言いづらいんだけど・・・)

の中の『言いづらいんだけど・・・』の部分の気持ちは、

できたら汲み取って欲しかったです。

(こういうやりとりで、感情とか心情とかそういうのまでちゃんと伝わるはず!と自分は信じてるけど

解釈に悪意が混じると大変なことになりそう。これについてはまた書きます。)

 

・・・で、話を戻して、

正直なとこ、数の論理って結構重いです。

でも。

それがもっと重要論理とぶつかった場合、その重要論理の方が優先されるし、

重要さ具合に応じて、数の論理もそのぶんだけ引っ込められる。

逆側から見ると、数の論理もある程度重要だから、ぶつかる側の論理も完全にそのとおりには通らない。

そんだけだよね?そういうさじ加減だと思う。

学問的な領域での話じゃなくて、そのほか一般の領域の話。)

 

そういう意味で、数も重要な1つだからこそ、

民主主義の根幹の部分に、話し合い&多数決っていう感じで数の論理“ も ”組み込まれてるんじゃないの?

今回、数のことも引き合いに出したのは、その手の憎悪渦巻く悪魔バナーとか、同じく悪意に充ち満ちた解釈群が

いくらなんでも度を超してるんじゃない?っていうことを伝えるための、要素の1つだからです。

煽りとかツカミの部分にマジレス返してるだけになってるかもしれないけど、

これは、重要だと思うのでちゃんと言葉にしてます。

 

(ここで、重要さってどう判断するんだよ!ってツッコミはもちろんあると思うんだけど、

なんでそこを細かく書いてないかというと、

そういう判断を明確にするには、実益とか数とか歴史的なものとか他倫理との兼ね合いとか、すごく色んなことを

意識的にしろ無意識的にしろ考慮しないといけないことなので、

文章にするととんでもなく拡散してしまって、書けないからです。

大概は、あうんの呼吸でそれなりに通じることでもあります。

今回は必要だからホントは書かなきゃいけないんだけど、そういう理由で、言い訳だけ書いてます。)

 

うーん、長すぎてややこしい。

よくネットでも話題になるような例を挙げると、・・挙げすぎるとややこしくなるかもだけど、

たとえば論理とか規範とか同士って結構ぶつかるよね。

表現の自由」っていう重要なものと、「人権を守る」みたいなのも、重要なもの同士がぶつかりあってる有名な例で。

その結果、あんまりな表現はほどほどに、でも基本的には自由も大事に・・ぐらいの玉虫色で収まってる感じじゃん。

 

kurotokageさんは、玉虫色って嫌いですか?

自分はけっこう好きです。

kurotokageさんが、数の論理への憎悪を持つのは別にいいし、何も言わないけど、

ほかの人にまで数の論理を過剰に低く扱うことを要求されると、困るときもあります。

長くなったけど、これがkurotokageさんが極論に飛んでる点その4。

 

 

5.

主張や宣伝の方法論について

 

>主張や宣伝はある程度声を大きく・印象を強くしなければ、誰にも聞いて・見てもらえません。

>しかし声を大きく・印象を強くすると、それに対して反発する人が必ず出てきます。

 

なんで??

ここはよく解らない。

声を大きくすること=>増大させまくった悪意で満載の主張をすること じゃないし、

印象を強くすること=>相手を悪魔化するような一方的な表現 でもないよ。

極論に飛ん(略)その5。

ひとつの方法としてあるにはあるかもだけど、デメリットだらけじゃないかな。

ワガママかもしれないけど、そういうのやって欲しくないし、やりたくもない。

ほんとワガママでごめんね。

 

ちなみに自分が好きなのは、ちょっと経緯とかを無視して出しちゃうけど、

http://d.hatena.ne.jp/meiwakoko/20070525

こういうのとかすごくいいと思うな。

>「経団連には興味ありません この中でニート派遣ワーキングプアがいたら私のところに来なさい」

なんという才能無駄遣い・・www

 

 

6.

自分の思うさじ加減、方法論の続き

 

>ではtasoiさんはどのくらいの“バランス”が良いと考えますか?

 

関連しそうな例その1に出してる教育基本法の例で言うなら、

ダメだなと思うのは、

「相手がこう思ってるに違いない」と悪意満タン勝手想像力を働かせ、悪意見えすぎな弄り行為を(特に集団で)行い、

さらにその行為に対し、やってる集団の誰もが疑問に思ってないような状態。

そういうの見ると、うわこれはヤバいなと思う。

 

だから、

構図が似たような別の事例でいうと、

“「チョンどもは日本を乗っ取ろうとしている」みたいなレスが集団で溢れるような一部2chスレ”には

『なにこのキモイスレ?』ぐらいのことはバリ思うよ。レスするのはもう疲れたから、わざわざしないけど。

(一時期はマジレスちゃんだったこともあった。いまはそういうスレそのものがもうあまり無いかなあ)

 

で・・・、

そんなのに対して自分に出来ることは、そんな種類は多くない。

方法の1つは、直接ガチレスること。きついけど。

次は、スルーすること。

もう1つは、(これがイイ!と自分では思うんだけど)

イイと思うから蛇足気味でもこういうの書いちゃうんだけど、

 

『そういう嘲笑するネタになるようなモノを、

どっちかというと軽い文脈(・・・こう、さっくり受け流せるような文脈)にして回収して、

“中和・無毒化”してしまうこと。』

http://blog.goo.ne.jp/tasoringo/e/5aacd4fdb86a526aafcc73d59b1ad6ee

自分のエントリだけど、これの4つ目の最後のやつがちょうど・・・。

そういう感じの意図です。

事実関係とかが間違ってたら指摘ください。すぐ直します。細かな事実関係重要じゃないのですぐ直せます。)

こんなのが積み重なっていけば、そのうちだんだんいい方向に転がっていくんじゃないかと夢見てたりします。

 

書いたときは特に意識もせずに、“こういう風な感じでバランス取った方がいいな”とてきとーに思って書いたけど、

言語化すれば、自分の思ってることは大体こういう感じです。

ちょっと話が逸れたかもしれない。

 

 

7.

蛇足気味な部分だけど、いくつか。

 

まず、

価値判断のときによく使う、『いくらなんでも』『さすがに』っていう言葉は、

レベル的にそこまで達したからこう言わざるを得ない」、っていうニュアンスだと思う。

「それに達するまでは、不適切ではあるかもしれないけど許容範囲だよ」、って意味も暗に持つ感じ。

なので本来は、「じゃあお前はどう思うんよ」と、ひとつひとつ聞かなくても、読みとって欲しかったかも。

 

>“謝罪に相当することをあえてやった”としか読めないので。

 

『これは言いづらいけど、言わないと伝わらない部分かなあ・・』と思ったときは

そういう風に書いてます。今回もそう。

その意味ではそのとおりなんだけど。。。あえてやった、とは似てても違う気がする。

 

>思うところをちょっと書こうかと思っていたのですが

 

せっかくなので是非書いて欲しい!

でも、あんまり悪く取ると、

「逃げるのはベトコンだ!逃げないのはよく訓練されたベトコンだ!フゥハハハー」

ってやつになりそうなので、気を付けないといけないと思う。

あ、tasoの書いてることで、そうなってる部分があったら言ってください。直す。

 

たかだか100文字以下のブックマークコメントが“会話”と言えるのですか?というのは置いておいて

 

100文字でも一応頑張って考えて書いてるよッ

字数制限があると、その字数制限に挑戦したくなるんだよね・・・人間心理かな。

ID:mindさんみたいな人は、上手くていいなあと思います。)

足りないときには、出来るだけエントリーとかコメントとかで補足したいなと思うし、

そういうときは、実際にそんなふうに実行してると思う。

今のこれも、それです。

 

 

8.

ここまで来たら全部書く。『マイノリティに対しての感覚』

 

↑の方で出たマイノリティへの感覚なんだけど、なんか書き足りてない、

引っかかりがあるので、

この際なので出来るだけ全部出します。

 

いきなり漫画のことで悪いんだけど、

自分のすごく好きな漫画家のすごく好きな漫画

「どうにかなる日々」(作者は志村貴子さん)

っていうのがあります。

(あ、エロ漫画なのでそういう表現もあるので見るときはすこしだけ注意です、たぶん大丈夫だけど)

 

オムニバス形式で、色んな人の色んな日常や心情を淡々と描く、という感じの漫画なんだけど、

その中のやりとりの1つ1つが、なんていうか、全体的にすごく素敵で琴線に触れる。

たとえば

その漫画の中で、こういう話があって

 

幽霊”の見える女の人が、自殺した幽霊の出ちゃう格安の部屋を借りるという話で、

もちろん案の定、さっそく若い男の子幽霊さんが見えるわけなんだけど、

 

幽霊さん「こわくないの?」

女の人「別に 見えるだけだし」

幽霊さん「見てしゃべってるよ」

女の人「見てしゃべってるだけだし」

幽霊さん「あーうれしいなあ」(大の字に、寝っ転がる)

女の人「ちょっと、そこじゃま」

 

こんな感じのやりとりが。

初めて読んだときは、この感覚がそのまんまソレすぎてすごく驚いたりした。

(同じ話に出てくる欠点?な部分もまんまそれぽくて怖いけど)

あと、他にもいっぱいあります、ゲイとかビアンとかAVとか思春期とかの話も、さらりとある。

マイノリティとかなんとか、そーゆーのに対して、だいたいこんな感じ。

 

わかってほしいなあ・・・

 

 

取り留めもなくなったので、ここで〆ます。

何かあったら追記するよー

改行の数を減らしましたー

こんなに改行が目立つとは思ってなかった。すみません。

http://anond.hatelabo.jp/20070711000332

いや、つーか、日本人の多くは宗教だけでなく幽霊胡散臭いと思ってると思うが。

超自然的なこと、信じますか

前世でも幽霊でも何でもいいんだけど、それを超自然的だっていうのは変だと思うんだ。

前世があるとしたら(仮定だよ)前世・転生は超自然なんかじゃありません、実は自然現象でしたあ、

幽霊存在するとしたら、幽霊は実は自然現象でしたあ、

ってことになると思うんだ。違うか。

日本人の多くは宗教を胡散臭く感じてる。聖書から読み取れるだけでも恐らく悪魔の数百倍は人を殺してるキリスト教の神なんて多くの人は信じていないし、そんな神を信じるという行為そのものに一種の愚かしさを見て取って、影に嘲笑する。

でも、そんな人間が、幽霊を信じる。超能力を信じる。宗教というラベルを剥がされた、ただそれだけのことで、その人の考える宗教馬鹿馬鹿しさの、まさにその核心となるところを信じ込む。或いは、信じ込むところまでは行かなくても、ある一つの可能性として重きを置く。神なんて存在しないと明言したまさにその人間が、しかし霊の存在は信じ込んでいる。彼は、宗教というラベルに対し反応しているだけであって、宗教の持つ難点そのものについて反応しているわけではない。

でも、確かに彼は無宗教家だ。だから、彼は自己の信仰に気付かないし、気付こうともしない。彼は、それによって自己を見つめ、学ぶべき一冊の書物を開いたとしても、それを他者のものとして全然考慮せず、一笑し、そして退屈して静かに頁を閉じる。宗教というものが切実な問題として捉えられていない日本においては、彼は、その書物を場違い一品と見做し、日本においてはごく僅かしか存在しない宗教家を指さして嘲笑うといった程度の価値をしか見出さない。本来、その書が非難している対象が、まさに自分自身であるということにさえ気付けない。

だから、日本人は、これほどまで宗教を信じない民族でありながらも、長く長く信心深い民族であり続けるだろう。鏡の中の自分を愚者と見做し続けるだろう。

2007-06-27

同じ人のことなのに。

「白い肌」と書くと美人になるのに、「白い顔」と書くと病人幽霊になる。

2007-06-12

http://anond.hatelabo.jp/20070612090445

元カレがうざかった

正確には私の前に付きあっていたという女が

これ見よがしな行動を取るのがうざかった

ここまではわかる。

そんな女に憑かれるような男だったということか

無駄な時間を過ごしたものだ

ってエー!その女性幽霊?「これ見よがしな行動」ってエー!エー!

そしてそれを「無駄な時間」と切り捨てられる増田!そこにしびれる!あこがれるゥ!

追記

元記事消えてるし。でも全文引用になってるからいいや。元記事のタイトルはたしか「嘆息」。

2007-06-08

科学信仰。(長文吐き捨て)

科学的」を理由に物事を信じることに意味はあるのだろうか?

一般人は科学者でもなければ研究者でもない。

現実に対して、そんな厳格さを求める理由はないんじゃないんだろうか?

日本人科学的じゃないから幽霊妖怪は信じないという。

偶に妖怪を信じると言えば、まるで馬鹿かのように扱われる。

しかし、そもそも科学的というのはどういうことなんだろうか。

私にはまるで妖怪のように見えてくる。

不思議なことや知らないものごとに現れて最もらしい説明をして消えていく妖怪カガークテキ。

どうでもいい話だが、妖怪というのはとても可愛い。

小豆あらいなんて小豆を研いでるという、意味が分からない。

ばたばたと言う妖怪は畳を叩くような音をだすと言う、何がしたいのだろうか。

サンタを信じるのは夢があるが、子供っぽいと言う。

なぜ、子供っぽいのだろうか。

本当はないものを信じるから?

そんなことを言えば、未だ私は宇宙を見たことがない。

科学者ならともかく、一般人に宇宙とサンタにさしてちがいがあるのだろうか?

どちらも見たことがないし、あってもなくても私たちには害がない。

だったら夢のある方を信じても良いのではないか。

もちろん新興宗教祈祷のように、金儲けのために故意にウソやるのはいけないことだ。

そのような宗教は駆逐された方が良い。

そのために信じる対象を全て科学に任せるのも悪い手段ではない。

しかし、それが絶対の基準になっては意味がない。

科学信仰しても、情報リテラシーのない人は似非科学に引っかかって同じことになっている。

科学を信じることと同様にサンタや妖怪を信じることは、文化的なことと認めて欲しいものである。

2007-05-21

神とか幽霊とか魂とか生まれ変わりとか

そういうのを信じられる人が、ただただ羨ましい。信じたいけど、どうしても信じられない。どうやったら信じられるというのだろう?調べれば調べるほど、それらの存在を否定する材料しか出てこない。というか、それらの存在を肯定する材料自体そもそも皆無。どうしても信じようとしても、心の奥底で「でもいるわけねーし」って思ってしまう。信じられる人というのは、そういう思いは無いのだろうか?いや、そう言う思いが無い人を「信じている人」、というのか。何にせよ羨ましい。神のように、絶対的な物を信じられたら、色々楽そうだ。それに全て委ねちゃえるから。「神の言うとおりにきちんと生きてるから、大丈夫だ」みたく全部不安を神に委ねちゃえるみたいなそういう面は羨ましい。どうしたって根底に「物事全て相対的、何がいつどうコロコロ変わるかわからない」「きちんと生きてようが生きてまいが、災難が起きるときはどうせ起きてしまう」そういう意識が消えない俺にはとうてい神など信じることは出来ない。今は「神がいないという証明ができない」という部分にすがりついて神みたいなものを信じようとしているが、やっぱり奥底では信じきれない。薄々、「神はいないって証明はできないから、なんていってもそんな証明ほとんどのことが不可能だし、やっぱ総合的に考えたらいないに決まってるよな…結局俺が信じたいないたらいいのになって思ってるからこういう事にすがりついてるだけで…やっぱどうせいねーんだろなそんなもん」って思っちゃってる。信じられる人がマジで羨ましい。煽りじゃなくて。マジで。教会とかいってみたら信じられるようになんのかなあ。

2007-04-11

神様と一緒だから

幽霊そのものが存在してるわけじゃない

人間の心のためのもの

だからルールにはしばられない

フィクションとして成立すればそれでいいのです

http://anond.hatelabo.jp/20070410232446

それでよさそうな気がする

http://anond.hatelabo.jp/20070411064531

呪い殺した相手が幽霊にならないよう、ちゃんと成仏させる形で殺せばいいのでは…ってそれもなんかシャクだな。自分は現世に恨みを残して死んだからこそ幽霊になってるわけで。

相手が死んで幽霊になることで、自分は成仏してさようならーになれば、お互い幽霊になったどうしの直接対決は避けられる気もする。

呪い殺したほうは目的を果たせて成仏するんじゃないのかな。

一方、呪い殺されたほうは恨みが残って成仏できず、かといって反撃しようにも相手は既に仏様だから太刀打ちできず。

永遠成仏できないままさまようわけだ。ひいい、恐ろしや。

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