2007-06-08

科学信仰。(長文吐き捨て)

科学的」を理由に物事を信じることに意味はあるのだろうか?

一般人は科学者でもなければ研究者でもない。

現実に対して、そんな厳格さを求める理由はないんじゃないんだろうか?

日本人科学的じゃないから幽霊妖怪は信じないという。

偶に妖怪を信じると言えば、まるで馬鹿かのように扱われる。

しかし、そもそも科学的というのはどういうことなんだろうか。

私にはまるで妖怪のように見えてくる。

不思議なことや知らないものごとに現れて最もらしい説明をして消えていく妖怪カガークテキ。

どうでもいい話だが、妖怪というのはとても可愛い。

小豆あらいなんて小豆を研いでるという、意味が分からない。

ばたばたと言う妖怪は畳を叩くような音をだすと言う、何がしたいのだろうか。

サンタを信じるのは夢があるが、子供っぽいと言う。

なぜ、子供っぽいのだろうか。

本当はないものを信じるから?

そんなことを言えば、未だ私は宇宙を見たことがない。

科学者ならともかく、一般人に宇宙とサンタにさしてちがいがあるのだろうか?

どちらも見たことがないし、あってもなくても私たちには害がない。

だったら夢のある方を信じても良いのではないか。

もちろん新興宗教祈祷のように、金儲けのために故意にウソやるのはいけないことだ。

そのような宗教は駆逐された方が良い。

そのために信じる対象を全て科学に任せるのも悪い手段ではない。

しかし、それが絶対の基準になっては意味がない。

科学信仰しても、情報リテラシーのない人は似非科学に引っかかって同じことになっている。

科学を信じることと同様にサンタや妖怪を信じることは、文化的なことと認めて欲しいものである。

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