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はてなキーワード: 便宜上とは

2010-07-27

お尻の穴(性的な意味で

便宜上、はじめての彼氏をA、二人目の彼氏をBとします。

Aとはアナルセックスを数度しました。感想は、痛い・気持ち悪い。だんだん体が冷たくなって、冷えによる腹痛が起こりました。Aのおちんちんは大きいほうだったので、5分くらいしか耐えられませんでした。

Bとアナルセックスをしたいと思うようになったのは、彼とはじめてセックスしてから二ヶ月目くらいです。Bとの体の相性はたぶん合っていると思います(Aと比較して、ですが)。

Aとアナルセックスを数度(10回ないくらいかな)したうちの最後のあたりで、快感の扉のドアノブに手が触れたような気がするんですね。だから、Bとのアナルセックスでドアをオープンさせたいんです。なにより、大好きなBに全て(の穴)をささげたい。ビッチです。

Bとアナルセックスしたいなあ。一回すれば好奇心は収まるんだけどな。

Bはしきりに「体の負担が大きいし、増田が耐えられるとは思えない。あれは玄人しかできないプレイだ」って言ってるけど、

「いや、よゆーよゆー。ちょっとしんどいけど、大丈夫だったよ」

って、言えないし。

2010-07-18

何が正しくて何が間違ってるのか、分からない。

心の整理をするつもりで、初めて増田日記を書いてみる。

昨年の4月告白されて、付き合っていた彼女が居た。

昨年の10月に振られた。

それから2ヶ月ぐらい、僕は彼女を避けていた。

昨年の12月に、相手から仲直りを求められた。

そこから、何度か崩れ掛けながらもズルズルと友達なんだか恋人なんだか分からない関係を続けてた。

こき使ったり、暴力された事もあったりと、良い扱いを受けてたとは言えないけど、甘えさせてくれてたし、たまに甘えてきた。

「みんなの前じゃ恥ずかしかったから」とか可愛い事も言ってた。

自分については書くと恥ずかしいのだけど、容姿は良いとは言えないし、なかなかふとっちょでもある。

それ故、今まで女の子と付き合うなんて経験をした事もなく、昨年の4月告白された時なんかはもう舞い上がっていた。

相手の言っている事を疑いもせずに信用した。「好き」だとか、「愛してる」だとかいう言葉が嬉しくて、労力もお金も消費する事を惜しまなかった。

当時の自分では、精一杯相手のことを大切にしたつもりだった。

ただ、相手を取り巻く環境はそれなりに特殊で、それが原因で次第に相手に対する愛情は崩壊していった。

第一に、僕に告白してきた時点で既に相手には彼氏が居た。

しかも、その事を僕に事前に告げた上での告白に踏み切っている。何かがおかしい。

更に、その彼氏家族ぐるみでの結び付きで、親同士が仲が良いので、別れるに別れられないと。

その上、その彼氏はかなり優秀な奴だった。通うところからして自分たちとはレベルが違う。

第二に、親がかなりのキチガイだった。

いつも親に自分の行動を制限され、身体的、精神的、経済的にも暴力を受け、家内は父と母が対立して居て、そのどちらの味方にも敵にもなれない彼女

「両親から愛されないから、他に愛を求めた」とかこれまた可愛い事を言ってくれた事もあったけど、

家内での苛立ちのはけ口になるのも、これまた僕に対する暴力だった。

他にもいくつも僕を悩ませる環境彼女の周りにはあった。

10月に振られた時には「やっぱり元の彼氏の方が良いから」、と言われたので、それなりに吹っ切れたつもりだった。

でも、12月に仲直りを求められた時には「あの時彼氏の方が良いと言ったのは、あなたに自分を責めて欲しく無かったから、私が悪い事にした」と言われてしまったので、承諾してしまった。

この時点で"彼女"とは呼べないのですが、便宜上"彼女"と記します。

なにより、自分が他に仲良くしている人達が、彼女とも交流があるので避けるに避けられないと言う事もあった。

本当ならこの時点できっぱりと「ふざけんなよこの野郎」とでも言ってスッパリ関係を断ち切っておけばベストだったんだろうけど、

正直な所、女子が親しくしてくれる事なんてそうそう無かったので、ズルズルと友達以上恋人未満を続けていた。

ある時、他の知人が彼女告白した。しかも時期こそズレるが、2、3人と。

彼女は「付き合ってくれ」と言う事には応じる事も拒むこともせず、ただ相手の望む事(一緒に何かをしないか、等)には応じていた。

決して自分はもう彼氏でもないが、それでも比較的近くにいたかった気持ちもあったので、もちろんその都度追及はした。

返事は決まって、「ただ相手のしたい事に応じているだけ。来る者は拒んでいないだけだし。」だった。

ムシャクシャするくらいならもう縁を切ってしまおうかと何度も考えたけど、優柔不断な僕は結局ズルズルと関係を続けた。

今日彼女IMで会話をして居た時に、ふとした事で本音をぶちまけられて、そして本音をぶちまけた。

本当に色々な事を吐露された。

以下に羅列したいと思う。

  • 私は人を愛したい、でも愛せない。でも愛されたい。
  • なぜなら、自分の心をこれ以上縛ってまで人を愛すことが良いとは思えない。
  • じゃあ、適当に振る舞って愛されていれば良い。
  • その分の対価は払う。相手の喜ぶ事をしてやる。望むなら身体だって使わせてやる事もある。
  • 既にあなたに対しては、愛ではなくて依存してるだけ。
  • 愛したくないから、心を満たしてくれる、愛してくれる人が居ればそれでいい。
  • たまに淡い恋心を抱くこともあるけど、家内で両親を見ると失せる。
  • 人を愛す事は自分を束縛し、態々首を絞めて、人生の選択を狭めている事に気づいた。
  • 相変わらず私の家族は元彼氏家族と仲良くなることで必死。
  • 愛がないから割り切れる。多分将来は元彼氏と過ごすことになるんだろう。
  • 許嫁なんだから、今しか出来ない事…「無償の愛を存分に浴びて遊ぶ事」にする。
  • 私は私をここまで堕落させた世界が嫌い。
  • 男は散々僕を騙し痛めつけて来た。
  • だから嫌い。だから欲しいだけ愛を吸い取って、騙して、捨ててやる。
  • 男なんて使い捨て
  • 狙った人は泥沼にハマって行くよ。
  • でも途中で可哀想だからネタばらしするとすぐにどっか行く。
  • 私から逃げて欲しい。私はこういう人だから。
  • もう癖になっているから治らないと思う。
  • 他の人も、愛している訳じゃなく、愛している演技しかしていない。
  • 以前から嫌いだった。
  • あなたはまだ理性があるし、私を完全に愛さないで、疑いの心と優しさを両方持って接してた。
  • そんな奴は珍しい、だから私の元で潰してしまうのは勿体ない。
  • 今更引き返せなくて困ってた。
  • 私と一緒に居ると、あなたもダメになってしまう。
  • だから私は、陰からあなたをフォローしてあげたい。
  • まずは私を嫌いになって貰うことがあなたを救うことになる。
  • 私は男を騙して時間や労力や愛や金を搾取してるだけ。
  • 甘えて居る時も、心の中でニヤニヤ笑いながら、いくらくれるだろう、どれだけ愛してくれるだろうと計算してる。
  • 昨年の4月当初は、淡い恋心を抱いていた。
  • 正直に言うと、今も抱いている。
  • だから、私の手であなたを完全に潰してしまう前に、逃げて欲しい。
  • 私の復讐を狂わせる、イレギュラー存在だから、あなたの事が「大嫌い」。
  • 愛憎とも言う。
  • どうなっても知らんよ、もう。

…何がどうなってるのか分からない。

もう、正しいのがどれで間違ってるのがどれとか分からない。

多分彼女を手放せば、僕に親しくしてくる女子なんてほぼ居なくなるだろう。

それが嫌だったから、ズルズルと続けて来た。

でも、これだけの事を暴露されちゃってなお、どうすれば良いのかが分からない。

承知した上で、自分も泥沼に浸かってしまえばいいのだろうか。

それとも、彼女の言うとおり、一刻も早く泥沼から抜け出すべきなのか。

自分が考えている事が正しいのか、彼女の言った事が正しいのか。

もしこれで僕が決裂する道を選んだら、これからの交友関係はどう変化していってしまうのか。

彼女存在自分の中で、とても怖いものに変化しつつある。

彼女の振るまい一つで自分の身が掌握されている気がする。

ただの友達以上恋人未満のはずなのに、一体どうなっているんだろうか…。

自分立ち位置が決まるのは、一体いつになるんだろう。

支離滅裂な文章で失礼しました。

2010-06-16

マンガ戦艦って広すぎじゃねとか思った

NCISってアメリカ海軍出てくるドラマ見てたらそんなことをふと思った

廊下もぎりぎりすれ違えるくらいだし一般兵なんて個室どころかカプセルホテル

上級士官でやっとビジネスホテルみたいな個室を持てる程度

 

ホワイトベースだったらアムロとか個室だった(気がする)し

ナデシコのアキトの自室なんて下手なワンルームより大きい

こいつらどんだけでかいんだ?と不思議に思ってちょっと調べてみた

 

ニミッツ級原子力空母全長がほぼ同サイズ(300m弱)で幅が2倍から3倍(ニミッツ40mWB約200mナ150m)

高さは空母のほうがwikipediaになかったけど最低でも2倍以上の空間があると考えていいと思う

まぁアニメ戦艦空間占有体積に比べてデザイン上の無駄空間多いけど便宜上倍以上の空間があることにする

排水量や重量から面積を予測するのは空想科学的に無意味である(exマジンガーZウルトラマンの体積と重量の矛盾)

もっとバカでかいかと思ったらそれほどでもない感じだ

 

そして乗員は空母が船員3000名乗員2500名で5000人以上が乗っている

対してWBは225名ナデシコも214名

2倍以上の面積を1/10~1/20の人員で使用しているわけだからそら空間もあまるわけだわ

 

なんとなくすごく微妙な感じで自分の疑問に答えが出てしまった

2010-06-03

[][][]

便宜上上記カテゴリーで。

angmar   無責任面白がってるアウトロー気取りが鬱陶しいのはさておき、これでコミティア本体が潰せるわけもなく、一部のエロ創作家が追い出されて終わりな可能性が高い面で闘争としてどうなのと思わなくもなく。  2010/06/03
y_arim  twitter, 揉め事  私怨コミティア潰す、か。面白そうだな。そのやり方、上手くすればビッグサイトから同人誌即売会追い出すくらいはできるかもよ。91年のコミケや94年のシティのように。  2010/06/03

http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/26112

angmar   こういう話に関して、開き直りとか上から目線面白がってる手合いが一番クソだと思う。というとまた「クソだとは十分自覚してるよ」とか返すのでこの手合いはどうしようもない。  2010/06/03 
y_arim  twitter, 揉め事  id:ululun  いやー、この件については「面白そうだからもっと暴れろ」スイッチが入ってしまった。基本愉快犯なので  2010/06/03

http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/akami_orihime/status/15227172705

二人は仲良し

2010-06-02

[][]http://anond.hatelabo.jp/20100519114529

便宜上上記カテゴリーで。

zaikabou 運動とか左翼にはしつこさが無いといけない、ということについて改めて思いを致す。これとかも → http://b.hatena.ne.jp/Apeman/?url=http://d.hatena.ne.jp/finalvent/

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/Apeman/?url=http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/

その方も(b:id:zaikabouさんではないですよ)これだけの記事をしっかり読むとなると結構大変だよね。一山いくらのネトウヨと違って脊髄反射ではないと思うので。

2010-04-30

[][]

便宜上上記カテゴリーで。

umeten 絵に描いたようなサヨク 2006/09/02

I11 レッテル貼りでなにかしらわかったような気持ちになっているあわれな人がほらここに(苦笑)→id:umeten 2006/06/15

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/I11/

はてなサヨク”同士の言い合いというカオスさ。

2010-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20100317155623

元増田に難癖つけるわけではないんだが、便宜上ここにぶら下げざるを得ないので。


この話題って半年くらい前に既に出尽くした話だと思っていたんだけど、今更のように大量にブクマがつきまくるのはどういう事だろう?

http://yama-ben.cocolog-nifty.com/ooinikataru/2009/09/post-cce7.html

いやまあ、時期に関係なく推進派の異常性が注目されるのは悪いことじゃないとは思うけど、この微妙ラグは一体…?

2010-03-17

http://anond.hatelabo.jp/20100317214730

ドMヘタレ(両者は厳密には違うが便宜上まとめる)とかドS鬼畜(これも便宜上まとめる)とかそういうことかな?

俺の感覚ではツンデレ(好意や悪意を一方的に評価するものだ)やヤンデレ感情の起伏を一方的に評価するものだ)もおよそ人を馬鹿にした概念だと思うが。

だが性格の固定的な評価をする上で便利なんじゃよね。俺の将来書く予定の小説には四つともガッツリ使う予定ですよ。分かりやすいからな!

2010-03-01

信頼を定義

信頼を定義してみよう。

元々ボクは信頼とは、単純なメリットデメリットを超えた、その損得を埋める心の働きだと思っていた。

例えば、一度悪いことをした人でも、そこに信頼に値する感情があれば、次は悪い事をしない、と相手を信じるわけだ。

相手の未来の姿に価値を見いだすわけだ。それが信頼だ。

そして、その信頼はどうやって作られるのか?

それは、おそらくランダムなのではないだろうか、とボクは思っていた。

心とは元々損得勘定定義できない心の働き、特定のものに対する「その他」の感情を集めたようなものだ。

その「その他」がどう作用するのかは、はかれない。だから、ただ直感的に「コイツといると落ち着く」だったり「楽しくなるな」だったり「安心する」だったり。そういったその他の感情で信頼が生まれる。そしてその信頼を向けられる対象は、特定的な誰かであって決して代用のきく物じゃない。

そういう信頼があるから、特定の人間と根強い関係を作り、信頼がうまれたり、愛が生まれたりする。それが信頼の定義ではないか。

と、思っていましたが、違いました。

信頼とは、他人の目からみた「過去自分最適化」意外の何者でもない。

10回良いことをした人が1回悪いことをしても「あの人は10回も良いことをしてるから1回ぐらいしょうがない」と思う。これが他人の目による、過去自分最適化による評価。それが信頼だ。

過去に10回悪いことをした人が1回良いことをした所で信頼は生まれないのだ。

しかし、ここには1つ盲点がある。「過去自分最適化」ではあるが、その「過去自分」は誰が定義できるんだろう?

答えは誰も定義できない。つまり「10回の良いウソをついてる人が、1回の本当の悪さがバレても、相手にとっては10回の良いウソが維持されるから信頼される」という形で、信頼を意図的に創造する事が可能になる。

どんな手段でも相手にとっての「過去自分」の定義を書き換えてしまえばいい。演出で書き換えればいい。そうすれば、いくらでも信頼は創造できる。

10回悪いことをした人が、たった1回の良いことをする前に10回分の努力がありました。と、うそぶけば、そのたった1回の良いことに10回分の努力ポジティブ評価され「あの人は過去は悪い人だったけど、すっかり更生して立派になった」などと10回分の良いことをした人と同じぐらいの信頼を簡単に作り上げることができる。

過去そのものは変えられないが、現在は常に過去になってゆく。現在、相手に少しでも「良いところ」をアピールし、それを積み重ねればいい。ただそれだけで信頼はできる。「良いところ」とは「相手にとっての良いところ」であり「都合のいいところ」だ。それをアピールすればいい。

しかも、「悪いところ」は全て隠せばいい。単純に「認識」されなければ、過去自分最適化をするときに悪い要素が入ってこないのだ。

100回悪いことをしてる人が、それを相手に伝えず、10回よい所を見せれば、相手は信頼してしまう。

さらに、この理屈でいえば、信頼している人間関係とは大体「代用がきくもの」である事もわかる。

例えば、自分がすごく信頼している人が100回良いことをしている人だったら、同じだけ100回良いことをしてる人が他にいれば(そう認識できれば)、おなじだけの信用を創りだすことができる。

良いこと、悪いことを回数でカウントしてるのは便宜上なものだが、要するに他人にとっての自分に、どれだけのポジティブ要素を演出できるか、これが信頼の創造だ。

会話によって、相手にすごく納得できる話しぶりをしてあげれば、相手が自ら持っていた「10回分良いことをしてたら、こういう形になる」という想像自分が同じ形である事をアピールできたら、実際に10回分良いことをしなくても、相手の脳内で「ああ、きっとこの人は10回分の良いことをしてきたに違いない。だからこういう形なんだ。よくわかる」と思われる。すると何もしてなくても会話だけで10回分の良いことをした信頼と同等の感情を作り出すこともできる。

これが、信頼の測り方。便宜上の信頼はあるが、心からこの人は信じられる!なんて一生を託せる人間はこの世に一切存在しない。

幼いながら、ようやくこれが分かりました。

2010-02-22

日本国内でも地方や業種や会社によって状況はずいぶん異なる。

それを全部一緒くたにしようとすることにそもそも無理がある。

制度とかでは便宜上一緒にするしかないんだけど、普通の議論とかで全部一緒にするのは無謀なことが多いよ。

国とかを議論するときには、常に罠にかかっていないか気をつける必要があると思う。

2010-02-20

統合失調症のススメ

統合失調症患者妄言としてスルー推奨。

下手すると自殺しますよ。

http://d.hatena.ne.jp/unsui456/20100218見て夏目漱石統合失調症であるという事を知り、

学問のススメにならって統合失調症のススメを書いてみます。

とおもったら福沢諭吉でした、すみませんw

昔からなぜか病気になりたいと思っていた。多分中二病。私は特別なんだとかそういう。

思い返せば、病気(風邪)になれば母親から優しくされるからか、なんかの病気になりたかったのかもしれない。

もしくは小学生の時に隣に養護学校が隣接されており、養護児童との接点があった。

彼らは確かに見た目は奇異ではあるがゆえに、周りから優しくされて少し楽に生きているように子供の目には写ったのかもしれない。

始めから変人を目指す自分がいたのかもしれないが、その辺は定かではない。

ただ相対的には、少しわがままな子供であったのかもしれない。

そして最近人生がうまく行かない。自殺しようかとかよく考えていた。

病気になろうとしているのだからそうなるのは当たり前なのだっていうのは浅はかだと思う。

心の中では本当になろうとしている訳ではない。サボりたかっただけかもしれない。

ただ「私は病気かもしれないな」が重傷化して、発症してしまう思い込み病に近いものであると思う。

病は気からといいますが。

そしてやる気がいまいちでないのを自己診断で鬱だとかADHDだとかそういうものであると思っていたのだが、

最近世界とうまく行かないと思っていたら、統合失調症に近いものに陥っていることに気がついた。

これはやっかいな病気で様々な妄想が止まらない病気だ。

病気が進行していくと、面白いくらいに世界が崩壊していく。

今までの価値観(人間として大切な所)や大切なはずのものがどうでもよくなってくる。

この世界感の崩壊は体験した人間にしか分からないのかもしれないけど、

serial experiments lainの主人公の行動に共感が持ててしまいます。

ただ以前視聴した大分後にそう思ったわけで、私が影響されやすいだけなのかもしれません。

一番怖かったのは、自分の思っている事が相手に伝わってしまう「気がする」(※本人は100%伝わったと勘違いしている)という症状だ。

脳内言葉(脳内音声)として文章化して物事を考えている場合にそれが人に丸聞こえになってしまう、と周囲の状況から判断してしまった。

まさにサトラレ状態。

それに気がつき(勘違いし)パニック障害に近いものも発症していた。

病気の状態を調べている最中にも、精神科世界では便宜上「そういう気がする」に押さえて伝えておかなければ、

自分の意思を周囲にまき散らして迷惑をもたらすからだ、と思ってしまった。

そんなことが伝わるはずがなく、自分の思い違いである、という認知が狂ってしまうことで、

どんどんと疑心暗鬼になって行き、負のスパイラルに陥る。

一旦これに陥ってしまうとなかなか抜け出せない。全ての事が思考が伝達した結果であると感じてしまう。

そうすると自分の思っている事がちょっとした考え事が何か大それた物であるとか、人にどう思われているかとか、

そういう事ばかり考えるようになって、その結果、幅広い視線で物事を考えられなくなったり、世間の人間が汚くみえてしまった。

ただ幸いにも人が助けてくれてるのかなという感覚はあった。

始めは何か周りから嫌がらせをしているかのような感覚

次にmatrixではないが、聖人君主資格をもった救世主を探して周りの人が行動しているようにみえた。

そして人間は実は脳内音声が聞こえている生き物なんだと自分に理解させ、人間になるように諭される。

そして自分に少しでも救世主資格がないと発覚すると、汚い人間性を持った俗人になるように誘惑され、

志のない一般市民への転落へと陥れようと画策しているかのように人間が見えた。

以下妄想垂れ流し。

統合失調症根本的な思考方法パターンが異なっているだけの人種だのだと思う。

http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/fe5d47a4094d72a271d6de0c7980bc6aのようなSとN、みたいな。

でも実はこれは誰にでも備わっている能力であると思う。

今ではパニックを少し抱えつつ冷静に落ち着いて行動をしているけど、普通自然体が言葉で思考する人種にとっては黙っておけというのは難しい。

(※黙っておけ=お前の脳内音声が聞こえるからうるさい、と言われている気がしていた)

音が気になる人は、別にそれは小さな音なのだから騒音として聞き流すか、音楽でもかけていれば気にならなくなるはずだろう?

仏教や禅の精神では心を無にするのが落ち着くと考える人がいる。特にそれが盛んな地域では、他者の生み出す意識の流入が嫌われる。

なのでそういう宗教の人は、統合失調症を発症した人間に対して「何か悩みがあるのだろう」と優しく語ってくれるのだが、

決して悩みがある訳ではなく単にそういう考え方の脳を使うスタイルであることを理解してもらいたい。

心を無にしても無の境地があるだけで、何にも新しいものは生まれてこないと思う。ただ生み出しやすくはなるけど。

誰もいわないけど、「心の声」や一種の「テレパシー」は存在するのではと考えている。

オカルト的なものではなく、脳からマイクロ波が飛び出し周囲に伝搬する「フレイ効果」というもので、

脳内音声は他人に聞こえるのではないかというのが私の見解。これが自我という奴なのか?それを知っているのが普通なの?

この事は大人の対応として誰も言ってくれないんだが、逆にこれを言うとオカルト扱いされるというレトリックもある。

電磁波ハラスメント」というものも出てきているくらいに、人が密集した地帯では深刻なものになりうる。

脳内での受信部位であるミラーニューロンが発達した人々の間では耳障りな音がするらしい。

これは自閉症スペクトラムの中で自閉気味にある人間には、聞こえないか聞こえても無視できるくらいの音声、もしくは人間的な度量があるのかもしれない。

こういった自閉症のようなマイノリティーが病気として追いやられ自殺に追い込まれるという社会は終わりにしたい。

私の頭がおかしいのだけなら、そんなこと(脳内音声が伝わる事)はないと言ってもらいたい。

逆にそうでなければ自分がおかしい、病気だぞという方向におさえこまれる意味が分からないからだ。

こんな感じで、ちょっと冷静になってみると訳の分からない理論勝手に唱えていました。

一旦統合失調症の発症に気がつくと、実は人間という存在は全てが脳の思い込み刷り込みの産物でしかない事に気がつく。

人類が作ってきた歴史文化そのものが、特定の価値観があるんだよという刷り込み。

感受性豊になると世界カラフルに見え、恋愛をすると世界が輝いてみえるように、世界は白黒で無価値なものに見えた。

よくありそうな自己啓発などではなりたい自分イメージしなさいと言われる。このイメージする作業は、人によって脳内言葉であったり映像であったりするだろう。

そして言葉映像以外でも、同じように実は人間の5感は自分の意志で脳をコントロールする事ができるかもしれないと思っている。

外部入力がなくても脳内感覚を作り出せる、という意味で。

音声はともかく、味覚や触覚や嗅覚視覚を実際の入力とはかけ離れてコントロールできる。

ただ再現可能性がないということで科学にはなりえません。自分だけのものとしてうまく使いこなせるようになりたいですが。

幻聴というものを自分の制御下で行っている人はいるだろうか?

スパイラルの底に陥って、どうしても幻聴は外部から攻撃されているんだという概念から離れられず、

自分でやっている事に気がつかないで苦しんでいる人もいるのかもしれないと思うが、

一般に普通とされる人間がそれらの幻覚を自ら進んで実行する脳コントロールをしてみる欲求はあると思うのだ。

ビジネス自己啓発や美容で用いられる思い込みの力は、社会的プラスに作用する方向に使うからいい。

これを自分の感じる感覚無意味であるものとする方に作用していくと、精神的に荒廃した人間が出来上がる。

無意味であるとはどういう意味であるかというと、例えば痛覚。これを遮断するように脳に働きかけると、痛みを感じなくする事ができる。人間はヤバいときには、沈痛作用の脳内麻薬を分泌して本能的にそうやっている。

これをやっちゃうともう後には戻れない所にくる。私の予想では、後に戻るには赤ん坊精子の時からと同じ道順をたどってこなければいけない。

私はさすがにそこまで自分自分を追い込む勇気はなかった。

ただ人にはそういう精神的な所に気がつかずに生活してきたベースとなるそれぞれのパーソナリティーはあるにしろ、

社会性をもったパーソナリティーは排除されるように教育がなされている。

自分連続殺人犯だとかの反社会的パーソナリティーの気持ちも別に分からない気はしない。

やっても得になる欲(興奮)が欠落しているのではなく、それを理性によって閉じ込めているだけかもしれない。

頭で考える事が出来たからといってすぐに犯罪に結びつく訳ではない。人間には理性がある。

行動しなければ何を考えても自由であるはずだ。少なくとも日本では内心の自由保証されているのだし。

人間は一人で生きていく存在ではないとよく言われる。

これはまぎれもない事実であるかどうかは分からないが、社会ベースとなる考え方だと思う。

だからその考え方を元とすれば、どうやっていけば(障害者も含めた)社会全体がより良い物になっていくかを考える事が可能であると思う。

2010-02-01

性別を明かしてネットで文を書く事

格調高い、硬質な文体でブログを書く人物がいた。

文学伝統芸能の話の他、時々話題として出るジャズ映画が魅力だった。

サイト小説も書いていて、

出てくる人物が何故か懐かしい親しい人のように感じられて夢中で読んでいた。

雰囲気や感情を表す言葉の一つ一つが尖っていて、

読んでいる間だけ、自分は異空間にいた。

きっかけは忘れたが、私は彼の読者になった。

本当は毎回コメントを書きたいが、彼に鬱陶しがられるのが怖く、

3回に1回程度の頻度で書いた。

このような状態が半年程続き、

同じ地方に住んでいるということも記事から分かり、

彼にどうしても会いたくなった。

メールアドレスプロフィールに書かれていたのだが、

送ると引いてしまうのではないかという思いから躊躇していた。

コメント欄のやり取りよりも深い話をしてみたい、

したら引くだろうな、

でもしてみたい、

しよう、

メールを送った。

内容としては

「あなたの文章が好きだ」

「実は自分も〇〇に住んでいる」

時間が合えばお会いしたい」

といった感じ。

彼からメールが来た。

OKだった。

何回かやり取りをした後、

場所や日程を決め、最後に彼から

「私は12時に××の下でグレーのキャスケットを被って煙草を吸っていますので」

と来た。

当日待ち合わせの場所に行く。

背は高いんだろうな。

体も細いんだろう。

煙草も様になっているんだろう。

勝手想像を抱き、約束の場所へと向かった。




―――キャスケットを被って煙草を吸っている「女」がいた。

目が合う。

手を振られる。

色々な事を話した。

と言っても、色々な話をする前に当然突っ込んだ。

前置きが長かったがここからが本題。

なぜ彼女は女であることを一切匂わさずにブログを書いていたのか。

彼(便宜上)の言い分はこうだ。

男と女が全く同じ文章を書いた場合(プロフィール等にて明示する限り)、

 女の方が、アクセスや反応が多いのではないか。

 加えて、女が女しか書かないであろう文章や己の写真を晒せばどうなるか。

 私は純粋に、文章の力だけで勝負したい。

 文章は表現であることと同時に戦いでもあると考えている。

 私は「女であること」を利用するのはフェアではないと思っている。

 女である事をおおっぴらにして文章を綴り続け、

 ある男の読者が強烈に自分を支持しているとしたら、

 文章の評価とは別の何らかの思惑がある場合もある、

 と考えるのが妥当ではないか。

 だから私は女の匂いの一切を消すために、

 その手の話題を一切せず、

 時々一人称に「俺」を使う。

 女としての評価ではなく、

 「表現をする一個人」として評価されたい。」

それから話したことはあまり覚えていない。

顔も綺麗だったのにどうしてそういう思いに至ったのか分からない。

過去に何か拗らせたのか、あるいは自分から女をとったら何も残らないと感じたのか。

こういう思考は冴えない青年男子が陥りやすそうな思考なのに。

結局のところ私は「女として書かれたその文章」ではなく、

「男として書かれた」それが好きなだけだったんだ、ということにようやく気付いた。

2010-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20100131191856

異性や恋愛に対してガツガツしてるより少々淡白なほうがモテる便宜上こう呼ぶ)

というのは思い違いなのだろうか。

ガツガツしている男は痛いし、女性からみても引くと思うんだが。

2010-01-29

違法コピーを禁止にしても元々買わない層だから意味がないという意見

〜についての仮説。

違法コピーといっても、正確には判決が確定するまで違法ではないのだが、

いい用語が思いつかないのでここでは便宜上そう呼ぶことにする。

ユーザ層が例えば次の5種類に分類できるとする。

違法コピーについて

a:絶対やらない!という強い意志の人

b:なんとなくいけないんじゃないかと思ってやらない人

c:よく知らない

d:人がやってるからいいやという人

e:いわゆる「情を知って」やってる人

このうち、eの層は確かに元々買わない層だと思う。

問題はcとdの層で、違法コピー{音楽, ソフトウェア, etc.}の流通というのには

e→d、e→c、e→d→c、d→cの4つの流れが存在すると考えられ、

このうち前の3つは、eからの供給ストップすれば新規に{音楽, ソフトウェア, etc.}

無料で手に入れることができなくなる。

そこからの選択肢

1:今あるものを使い続ける。新しいものは無視

2:今あるものを使い続ける。新しく出たものは買う

(心から悔い改めて今までのも全部買う、というのはレアケースに過ぎないだろうから無視。

あとパソコンソフトなどではOSハードの関係で今あるものが使えなくなることもあるが

短期の話としてこれも無視)

2だけのためでも違法コピー禁止の意味はあるんじゃないかという話。

違法コピー問題の是非についてとか宣伝になるならないとかそういう話の広げ方をしたいわけじゃなく、

単にタイトルのような文章のコピペがあまりに多く見られるので書いてみた。長文御免。

2010-01-17

以前、うちの会社でとあるプレスリリースを出した事があった(以下これを便宜上Aと呼ぶ事にする)。それはその分野の人にはそれなりにニュースバリューがあったものだと身内ながら思ってるし、ネットのそういう方面のブログあたりではそれなりに注目も浴びた。報道記事の中にははてブ三桁越えの所もあった。

んで、この発表に基づいて新しい商品を開発し、発売した(以下その商品を便宜上Bと呼ぶ事にする)。これは今でも発売時とあまり変わらないペースで売れている、うちの商品の中では主力の部類に入っているものだ。なのでビジネスとしては成功したと考えていい。しかし気になるのがネットでの反応だった。

過半数とまでは言わないが、体感的に2割とか3割くらいが、こちらが予想しているものとは全く違う反応を示していた。おおざっぱにまとめると、

「Aから全く音沙汰なかったから自然消滅したのかと思った。」

「完全にあきらめてたのにBが出た。○○(うちの会社の社名)は神!!」

「出すのが遅すぎる。Aからどれだけ経ったとおもってるんだ。」

「B?ああ、あったねそんなのが。」

あのう、Aから7ヶ月しか経ってないんですけど。Aの目処が見え始める少し前から商品化プロジェクト立ち上げて(これはAにも明記していた)、リサーチや各種官公庁への手続き、生産する工場の手配で海外本社を往復したり、広告会社との折衝とか、色々フル稼働で進めてたんですけど。

特に驚いたのが2chで、うちの会社の関連スレッドでは、Aは担当者(つまり俺)がとっくに会社を辞めているので商品化は絶望的、などという話が定着してしまっていた事だった。もちろん、その真偽をただす書き込みもあったが「それならとっくに商品化されているはずだ」という声が支配的だった。

つくづく、ネット時間というのはすさまじいスピードウソもホントも押し流れされているんだなあと痛感した。

2010-01-16

http://www.asahi.com/national/update/0116/TKY201001150510.html

小沢氏公開の「確認書」は07年の会見直前に作成

 小沢氏の資金管理団体陸山会」の不動産取得をめぐり、小沢氏が2007年2月に記者会見した際、便宜上個人名義とした」ことの根拠として「確認書」を示していたが、この文書が会見直前に作成されたものだったことがわかった。

 この不動産は、石川議員らの政治資金規正法違反容疑事件の舞台となった東京都内宅地東京地検特捜部も、09年3月に大久保秘書逮捕した際に陸山会事務所などを捜索して押収したパソコンデータを分析し、この事実を把握している模様だ。土地取引の全容解明のため、確認書が作成された経緯を調べている。

 確認書は05年1月7日の日付だが、実際には会見用に間に合わせた文書だった。「公私の区別をしている」と強調した小沢氏の説明の根拠が崩れることになった。

 陸山会は94年以降、各地で計15件の不動産を購入。資金管理団体名義では不動産を購入することができないため、小沢氏はこの会見で「すべての不動産について、いかなる権利も持っていない」と話し、便宜上小沢氏個人の名義で購入したと主張した。

例の「小沢一郎」と「小澤一郎」の契約書。ああ、こりゃもうダメだな。

2009-11-02

性別と性自認性的指向

生物学的な性と性自認、それに性的指向の組み合わせを考えると、性同一性障害のうちのさらに少数派の存在が見えてくる。

いろいろと議論はあるだろうけど、ここでは簡単のためにそれぞれの値域を次のように決めておく。

性的指向に関しては同性愛異性愛とおくと混乱しやすいので、便宜上このように書くことにする。

そうすると、それぞれの組み合わせは2×2×3=12通りとなる。が、両性愛を含めると組み合わせがやや多くなるのでここでは触れないことにする。

ここで、最も多い「普通」の組み合わせは次のようになる。

次に、よく見かける同性愛の議論の組み合わせ。(下の二つとどちらが多いのかは数字を見つけられませんでした)

そして、性同一性障害を持つ方の多数派の組み合わせ。

最後に、かなりの少数派だと思われる組み合わせ。

この場合は外見には異性愛なので、性同一性障害の症状が軽い場合は何の問題もないように見られそう。けれど、やっぱり人との関係において違和感を感じるところがあるんじゃないか、身体的同性は似た体を持ちながら異質の存在として映るんじゃないか。

妄想した朝でした。素人考えなので詳しい方の反応があると嬉しいです。

2009-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20091101204450

後者増田自己分析ベースになってる感じだね。

この増田主観フィルター意識して作り上げてて、他者に投影しまくる人であろう。

主な投影先は周囲から『良い人』と評価されて居る人で、

自分と同類に見えたら後者、そうでなかったら前者という風に分類している印象。

ただ前者のような人間後者との区別のため便宜上定義しただけの人間像であるように見える。

後者については事細かに書いているのに、前者の人間性や行動理由がほとんど説明されていないのがその証拠だ。

2009-10-21

http://anond.hatelabo.jp/20091021024133

君の文章に書いてある事は読んでいるよ、主張も理解しているつもりだ。

ただし、残念ながら、僕にはまるで一かけらも納得できる要素が無い、と感じているだけだ。

『死』に理由が必要だ、なんてこともなくなるんじゃないかな。

発言が矛盾してないかい?

 

矛盾しないよ。現実として、何の死因も無く死が出来上がることなどあり得ないだろう。

死因が解明できない場合はあるが、死因が無いということは有り得ない。

 

人間は生きたいから生きてるんじゃない。

生きているから生きている。

物事には慣性が働くんだ。その慣性を止めるには別の力が必要で、

それをここでは便宜上、理由と呼んでいる。

それは飢餓かもしれないし老衰かもしれないし

事故かもしれないし諦観かもしれないが、まとめて理由と呼んでいる。

 

それから

飯を食っているだけのようなものだ

こう解釈されると酷く凹むな。

飯を食うのは生きる為の仕組みの一部であって、「ようなもの」ではない。

 

どうにも、君の話は、独りよがりすぎる気がする。

君の理屈は、1人で生きている仙人理屈だ。

だが、人間は1人で生きているわけでも、生きられるわけでもない。

死ぬのに理由が要るのは誰だか、それこそ僕の文を読んでほしいな。

 

もっとも、本当に人間が1人で生きていけるようになったら、

生きているのも死んでいるのも全く等価だ。

生きる意味も死ぬ意味無意味化する。

1人しかいない人間が死んでしまうと言う事は

1人も生きていないのと同じだ。

2009-10-18

今さらのお話

結構前に、2chSFもののショートショートを書いた事がある。内容的には、「イノベーションが起こる速度が人間の理解速度を超えたらどうなるか?」という思考実験的なもの。昨日と今日別世界、のような状態になるというか、それ以上にイノベーションが加速していく様なイメージ。(とりあえず、便宜上イノベーション自動化というか、発明する機械コンピュータ)が勝手イノベーションを起こして、世界勝手に加速しながら改善されていく感じにしてみたが)

もちろん、エヴァスーパーコンピュータとして進化する使徒を思い出された方もおられると思うが、あれのオチは「進化の促進による自滅」だったが、俺的にはもうちょっと希望の持てるハッピーなオチにしたかった。某犯人もその影響を受けたという話もあったし。でも、オチがなかなか思いつかなくてちょっと悩んだ。仕方がないので、むりやり、機械イノベーションの速度を人間が快適と感じる速度に合わせるイノベーションを行った的なものを漂わせる残念感の漂うオチにした。意味不明だという感想をいただけた。自分でももっともな話だと思った訳だが。

それで、Tumblrで下のような記事を見つけた。

19 :名無しさん@十周年:2009/10/16(金) 17:55:02 ID:MVkpniAp0

専業主婦が一般的だったのは高度経済成長期の数十年、たった1世代でしかないという事実

よくあることなんだけど、今現在社会的な慣習を永続的なものだとみんな勘違いしちゃうんだよ。

みんなでクルマを持つようになってまだたった1世代。

腕時計をするようになって1世代だが、携帯のせいで売り上げが3分の1に激減

社会人のたしなみと誰も疑ってなかったはずのものが、1世代であっけなく終了。

タバコと酒の消費量は戦後で1人あたり5倍くらいになってて、今みたいにパカパカ摂取するようになって1世代。

(だから健康被害とか出てくるんですよ。当たり前やがな)

バカみたいな飲み会とかやってたのは実は団塊だけ。タバコは今のペースならあと0.5世代で滅ぶ。

自由恋愛も1~2世代ですよね。だいたい告白という風習が少女漫画から広まったものじゃなかったっけ。1世代。

社会慣習は意外とフィクションの影響を受けている)

日本女性ブラジャーをつけるようになって1.5世代くらいか。

今のスタイル葬式がもうちょっと長くて2世代くらい?

ほかにも「実はたった1世代」ってモノや慣習は無数にある。ちょっとこの事実にお前ら恐怖したほうがいいです。

だからまあ、なんも考えず親世代の真似をしようとするのはやめろ。無理だから。

親の言うことも聞くな。だいたい親もこの辺のこと分かってねえから。愚者は経験に学ぶ。しかもたった1世代の。

終身雇用なんてギャグだし、ローンで家建てる前に経済誌でも購読するべきだし。

ブルーカラーホワイトカラーどころか、最近ゴールドカラーって新しい職種が出てきてるなんて言われている。

せっかくなのでこれも

ttp://d.hatena.ne.jp/nishiohirokazu/20090401/1238588872

> * 2010年需要のある仕事上位10位は

> * 2004年にはまだ存在していませんでした。

> わたしたちは指数的に成長する時代に生きています。

> 5000万人の視聴者を獲得するまでにかかった年数

> * ラジオ 38年 * テレビ 13年 * インターネット 4年 * iPod 3年 * Facebook 2年

変化に対応できないと、ものすごい勢いで取り残されてしまうよ。簡単に墓場まで逃げ切れると思うな。



そして、今さらながら、上記記事で引用された記事の別の部分の引用

2010年需要のある仕事上位10位は2004年にはまだ存在していませんでした。

今私たちは学生を教えています。まだ存在しない仕事に備えて。

まだ発明されていない技術を使って

まだ知らない問題を解く仕事に備えて。

ttp://d.hatena.ne.jp/nishiohirokazu/20090401/1238588872



なんというか、人並み程度の自分妄想していたものと違った形で現実世界の実感として感じられると、ぞくぞくするものがあるというか、気分は孫悟空だなと思った。

うまいオチを付けてくれる人がいれば良いんだが、と思ったが、希望はあるかも。(と明るいオチにしてみた)

もしあなたが中国で「100万人に1人の逸材」なら…

あなたみたいな人が国内に1300人います。

ttp://d.hatena.ne.jp/nishiohirokazu/20090401/1238588872

2009-10-12

http://anond.hatelabo.jp/20091012123957

ノンネイティブ外国語を学ぶのには体系的マニュアルがあるほうが効率的。

外国語教育における文法重視批判の意見は多いが、さすがに学習マニュアルまで批判する主張は少ない。

非コミュ便宜上、一定年齢までに空気の読み方などを身につけていない者をこう呼ぶ)が

空気の読み方やノンバーバルコミュニケーションを身につけるのも外国語学習と同じだと思う。

なんでもマニュアルどおりでは通用しないのは確かだが、かといってマニュアル全否定もおかしい。

2009-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20090923231900

社会便宜上の都合で個人の生を左右すること

これには異論はないよ。

だってそれが社会と言うか国家の役割だし、

私人がそれをやってはいけないから、国家にゆだねたんだろ。

問題はその左右の仕方だ。

属性や他者からの評価によって、個人の命の価値が異なる」

「そして便宜的に値札をはることにより、その個人の社会からの扱いが変わりうる」


「結果、社会が、個々人の存在価値に一般的に序列をつける」ことが許されないと思う。

(一般的にというところがみそ。個別具体の事例に応じてラベルが貼られるのはいたしかたない。)

許されないというのは倫理が許さないということだ。

倫理と言うのは我々の一般意志とneary equalだと思う。

2009-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20090923223906

その答で、あなたが真面目に考え、答えてくれてることはよく分かる。だからこそ、あなたは自分の進む道がどこに向かっているかについて、冷静に分析し考えるべきだと、私は思う。

あなたが感じている怒りは、社会が・便宜上の都合で・個人の生を左右すること、についてではないのか?

でもそれは社会というものの定義そのもので、そしてそれが、いかに不完全でも現時点で我々が持ち得ているもっともマシな在り方だという、それだけのことじゃないのか? 社会が、便宜上以外のいかなる根拠を持ちうるのか?そして、個人の生を左右する力がそもそも社会にないのだとしたら、我々が社会を営む意味なんてあるのだろうか?

社会は我々を規制するが、その規制は、我々が弱いながらも生きていくために求めた規制ではないのだろうか?

あなたは書いた

許されるのか?

沈没船の例では、答えは分からない。

「許されるのか…」←『誰が』それを許す、という前提での質問なんだろう?社会が?社会社会自身の行いを裁くことはできないね。個人が?特定の個人の意見だけで社会を裁くことはできない。神が?神はそんなこと語りかけてこないよ。哲学が?倫理が?世間が?……それは全て「社会」の言い換えに過ぎない。

「沈没船の例では、答はわからない。」←でも選ばなければならないよね。限られた時間内で。だから、社会便宜上の基準を作って、本当は選べないような選択と向き合って一つを選ばざるを得ない。文句はあるだろうけど、文句を言うなら対案を示す必要があるだろうね。で、残念ながら人類はまだその「対案」とやらを持っていないんだよ。

もちろんあなたが、仮に対案をもっていなくても、「もっと真剣に対案を探すべきだ」と主張するのはアリだと思う。当たり前だと思われてる不可能にチャレンジしなければ、人類進歩はない。だから、私はあなたに「現在人類のつきあたっている壁」について説明した。そこでどうするかは、また、私は私自身で、そしてあなたはあなた自身で考えるべきではないか。

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