2010-03-01

信頼を定義

信頼を定義してみよう。

元々ボクは信頼とは、単純なメリットデメリットを超えた、その損得を埋める心の働きだと思っていた。

例えば、一度悪いことをした人でも、そこに信頼に値する感情があれば、次は悪い事をしない、と相手を信じるわけだ。

相手の未来の姿に価値を見いだすわけだ。それが信頼だ。

そして、その信頼はどうやって作られるのか?

それは、おそらくランダムなのではないだろうか、とボクは思っていた。

心とは元々損得勘定定義できない心の働き、特定のものに対する「その他」の感情を集めたようなものだ。

その「その他」がどう作用するのかは、はかれない。だから、ただ直感的に「コイツといると落ち着く」だったり「楽しくなるな」だったり「安心する」だったり。そういったその他の感情で信頼が生まれる。そしてその信頼を向けられる対象は、特定的な誰かであって決して代用のきく物じゃない。

そういう信頼があるから、特定の人間と根強い関係を作り、信頼がうまれたり、愛が生まれたりする。それが信頼の定義ではないか。

と、思っていましたが、違いました。

信頼とは、他人の目からみた「過去自分最適化」意外の何者でもない。

10回良いことをした人が1回悪いことをしても「あの人は10回も良いことをしてるから1回ぐらいしょうがない」と思う。これが他人の目による、過去自分最適化による評価。それが信頼だ。

過去に10回悪いことをした人が1回良いことをした所で信頼は生まれないのだ。

しかし、ここには1つ盲点がある。「過去自分最適化」ではあるが、その「過去自分」は誰が定義できるんだろう?

答えは誰も定義できない。つまり「10回の良いウソをついてる人が、1回の本当の悪さがバレても、相手にとっては10回の良いウソが維持されるから信頼される」という形で、信頼を意図的に創造する事が可能になる。

どんな手段でも相手にとっての「過去自分」の定義を書き換えてしまえばいい。演出で書き換えればいい。そうすれば、いくらでも信頼は創造できる。

10回悪いことをした人が、たった1回の良いことをする前に10回分の努力がありました。と、うそぶけば、そのたった1回の良いことに10回分の努力ポジティブ評価され「あの人は過去は悪い人だったけど、すっかり更生して立派になった」などと10回分の良いことをした人と同じぐらいの信頼を簡単に作り上げることができる。

過去そのものは変えられないが、現在は常に過去になってゆく。現在、相手に少しでも「良いところ」をアピールし、それを積み重ねればいい。ただそれだけで信頼はできる。「良いところ」とは「相手にとっての良いところ」であり「都合のいいところ」だ。それをアピールすればいい。

しかも、「悪いところ」は全て隠せばいい。単純に「認識」されなければ、過去自分最適化をするときに悪い要素が入ってこないのだ。

100回悪いことをしてる人が、それを相手に伝えず、10回よい所を見せれば、相手は信頼してしまう。

さらに、この理屈でいえば、信頼している人間関係とは大体「代用がきくもの」である事もわかる。

例えば、自分がすごく信頼している人が100回良いことをしている人だったら、同じだけ100回良いことをしてる人が他にいれば(そう認識できれば)、おなじだけの信用を創りだすことができる。

良いこと、悪いことを回数でカウントしてるのは便宜上なものだが、要するに他人にとっての自分に、どれだけのポジティブ要素を演出できるか、これが信頼の創造だ。

会話によって、相手にすごく納得できる話しぶりをしてあげれば、相手が自ら持っていた「10回分良いことをしてたら、こういう形になる」という想像自分が同じ形である事をアピールできたら、実際に10回分良いことをしなくても、相手の脳内で「ああ、きっとこの人は10回分の良いことをしてきたに違いない。だからこういう形なんだ。よくわかる」と思われる。すると何もしてなくても会話だけで10回分の良いことをした信頼と同等の感情を作り出すこともできる。

これが、信頼の測り方。便宜上の信頼はあるが、心からこの人は信じられる!なんて一生を託せる人間はこの世に一切存在しない。

幼いながら、ようやくこれが分かりました。

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