はてなキーワード: プロレスとは
見え見え過ぎる釣り(twitterの痛い発言晒したのもあなた?)だが、気が向いたので思惑に乗ってみる。
なんかイチローが200安打達成したからパンチ佐藤は偉い、みたいな変な話になってるけど、
その点は不問に付すとして、実は自発的・内発的な支援活動はこの場合何の反論にもならないんだよね。
生存「権」というからには、自分以外の何かへ無条件に要求出来る資格を有しているって意味なんだろうと思う。
でもボランティアというのは単に好きだからやってるだけで、「面倒くさいからやーめた」なんて言って、急に放り出しても
(女性専用席の図書館だって、可能ではあるんだろうけど追い出してはいないし)言うまでもなく何の問題もないわけ。
医師における応召義務と似たような形で、何らかの制度的な縛りが存在しないと、趣味嗜好の話として却下されるだけ。
法的な縛りは難しいと言うなら、たとえば実名や住所を公表するなりして、評判を人質にコミットしてみるとか色々出来るよね。
パンチ佐藤の方に話を戻せば「大学や食堂がいくら音を上げようが、積極的にどんどん収容する義務があるんだぜ凄いだろウチは」
みたいな、誰からも(たぶん・・・関係者以外)反論が来なさそうな形で実績を積まないと、傲慢さの代償として理屈に殉じる
誠実な態度とは言えないんだな。葛藤や屈託もなしに綺麗事言って説教に励む無敵の人に、貸す耳を持つ人はそう多くないから、
せいぜい努力して見せてほしい。まあ例の如く詭弁に詭弁を積み重ねて、変人と物好き以外関心を失った掃き溜めのプロレスに、
いちいち人生掛ける必要や意義は限りなく薄いと思うけど。面倒臭いしリソースの無駄だよね。
あとどうでもいいけど、狭隘な義憤に任せてうっかりヒステリックなエントリ書き上げて炎上した人がいたとして、
目の届きにくい所で悔し紛れに「本当の俺はこんなに偉いのになぜあいつらは認めないんだよ畜生」みたいな書き逃げしたって、
どこまで内容が真実味を帯びているのか、疑問に思う人が出ても不思議じゃないと思うな。
まあそこまでは人が悪くないつもりだけど、少なくともフェアな議論を心掛けるならあんまり得策じゃない態度だとは言えそう。
こんな感じでご要望には応えられたかなあ。
ゼロアカ道場が面白い。道場の課題の内容などはほとんど理解できないのだけど、それでも面白い。
面白い面白いと言ってまわっているのだけど、あんまり理解してもらえないのでちょっとまとめてみようと思う。
ちなみに、私自身にはゼロアカ道場やそれに参加する人たちに対しては頑張ってほしいと心から思っている。
ゼロアカ道場について書く前に、まずはあの革命的テレビ番組について語らなければならない。
「ガチンコ!」である。番組の概略については以下のリンクを参照してほしい。
「ガチンコ!」が革新的であったところはいくつもあるのだが、それを一言で言うと、
という事に尽きる。
「テレビ番組」がすべからく「やらせ」である事はある意味で当たり前だ。「本当に」タレントが怪我したり、アクシデントが起こってしまったら放送できないのだから。その検閲をくぐりぬけ「お茶の間にお届け」された時点ですでにテレビ番組というのは作為的なものだ((その意味でその限界に挑んだという意味で初期電波少年というのは偉大な番組であった))。
「ガチンコ!」はそういうメディアにおいて「ガチンコ(やらせなし)」を名乗った。
そしてさらに凄いのは確信犯的にガチンコ!は「ガチンコ!はやらせである」とわかるような演出を施しそれを含めて視聴者に提供した事だ。(「ガチンコラーメン道」における「神輿やないねんから」などの超名言はその最たるもの)
つまり、「ガチンコ!」は、
「ネタ(演出手法)としての面白さ」
の二つを楽しめる番組の構造であったと今にしたら思う。そして、その楽しさというのは極めてプロレス的楽しさである(ガチンコ!の神ぶりについてはこちらを参照。http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/8539/d35.html)。
翻ってゼロアカ道場。
「天下にあまねく評論家志望者を募り、関門をくぐり抜けた猛者一人に天下の講談社がデビュー作一万部を保障」
つかみはOKである。そして、人数が絞れてきたところで各人のキャラと名前・顔がはっきり分かるようになってきて俄然面白くなってきた。
そして文学フリマでの同人誌販売。「ネタ」としても面白くなってきた。
くれぐれも断わっておくが、私は「ゼロアカ道場はやらせである」などとは露ほども思っていない。
そもそも、こういった場が設定されることさえ前代未聞の快挙であると私は思うし、大変だろうなと思う。だけど、文学フリマでの同人誌販売という課題を見て「これって『揉めてくれ』って言ってるようなもんじゃね?」と思ったのは事実だ。
というか、「プロジェクト」なんてその重要さが増せば増すほど殺伐としたものになる。
しかも、一緒に同人誌を作るのは友達ではなく、ライバルである。
そもそも、「批評家」に興味のある人(今の世間では希少人種だ)の中のそれなりの数の人たちにとって「批評家」の本なんて読まないのではないか。彼らの「キャラ」を消費している。
「言説それ自体よりも論壇内プロレスの方が売れる」
という事に多くの人たちが気がつきはじめているのではないか。
現に、私自身も「ゼロアカ道場」には興味があるが、「そこでの言論」にはほとんど興味がない。
そういったところを見るにつけ、ゼロアカ道場のプロデュース側はある程度は確信犯なのではないか、と私は思っている。ガチンコ!ほど神の領域には入らないとしても。
どう見てもiammgはコミュ強者なのにダンコーガイをはじめ全員が必死に釣られてること。後でiammgがコンサル内定もらってると聞いてさもありなんと思ったよ。
ダンコーガイにしてもiammgにしても、こういう上昇志向の強い奴の文章は行間から脂ぎったオーラがギンギンにじみ出てきて、読んでると疲れる。そもそも「コミュニケーション能力」とやらを煽ってきたのはこういう手合いなのに、今度はそれを肴にして自分たちがネットプロレス繰り広げて、それにはてなの愚民たちが釣られている。本当に誰も彼も救いようがないねー。
だいたいみんな、本当に「学歴なんて関係ない」なんて思ってるんだったら、あの程度の陳腐な作文に釣られるだの、ダンコーガイの自称中卒という逆学歴詐称の尻馬に乗ったりだのするなよ。いい年こいて学歴ネタに噴き上がるダンコーガイやらmkusunokやらもみっともないが、そういうみっともないコンプに先導されるはてな民はもっとみっともないぞ。
まあ、こんなこと書いてる自分自身、「金なんて関係ない」と割り切れないから、ダンコーガイにこんなに必死でみっともない嫌みを書いてしまうわけだがね。
まあ、どのくらいの数の格闘技オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない格闘技の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、格闘技のことを紹介するために
見せるべき10試合を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に格闘技を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う時間無制限の試合は避けたい。
できれば5分、長くても90分にとどめたい。
あと、いくら格闘技的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
ブラジリアン柔術好きが『ヴァリッジ・イズマイウ』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
格闘技知識はいわゆる「亀田」的なものを除けば、魔裟斗やタラコくちびる程度は知っている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「PRIDE以前」を濃縮しきっていて、「PRIDE以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。長さも5分弱だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「総合格闘技オタが考える一般人に受け入れられそうな試合(そうオタが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「オタとしてはこの二つは“格闘技”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のプロレスオタが持っている宇宙への憧憬と、高田延彦のプロレス的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもニューフェイスな
の二人をはじめとして、プロレス好きのする試合展開を世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「イケメン来たよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の試合がその後組まれていないこと、これがアンチKID界隈では大人気になったこと、
アメリカならディーン・リスターとマウリシオ・ショーグンになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非総合格闘技オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり総合格闘技はマニアのためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは『青木真也 vs 菊地昭 2回目(修斗)』
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、試合にかける桜庭の思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも1時間30分、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにも総合格闘技オタ的だなあと思えてしまうから。
『桜庭vsホイス』の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
桜庭がジェラルド・ゴルドーや曙だったら5分以内に一本負けしてしまうだろうとも思う。
なのに、グレイシー一族が各所に迷惑かけて1時間30分を作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタ」としては、たとえホイスがそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。試合自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でナジーム・ハメド見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
『マルコ・アントニオ・バレラ戦』よりも前の段階で、スウェーバックとかノーガード戦法とかはこの試合で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの試合が現実にこの時代にあったんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく格闘技好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるファイナルファンジータクティクスでしか"ハメドる"を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
ブラジリアン柔術の「関節技」あるいは「ポジショニング」の芸術性をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「仲間を背負って試合をする」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ、この試合の寝技展開は彼ら以外ではあり得なかったとも思う。
「仲間を背負って試合をする」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はこの試合にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
コマンドサンボvs柔術でこういう試合を組んで、それが非寝技オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9試合まではあっさり決まったんだけど10試合目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にホイスvsシャムロックを選んだ。
ヒクソンから始まってホイスで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、UFC以降の総合格闘技時代の先駆けと
なった選手でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい選手がいそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10試合目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1145683.html
そりゃーやらせという表現自体は適切じゃないけど間違っちゃいない。
鈴木みのるの発言に
「スペシウム光線もただ打つのではなく一番説得力のある場面で打つように
しないとお客さんは楽しんでくれない」
的なのがあったと記憶しているがプロレスの本質を良くあらわしてるんじゃないかね。
サスペンスドラマよりは特撮物の方が例えとしてはあってると思う。
怪人が必殺技を避けないのはそこが本日のハイライトだからだし、
避けられたり防御されたなら新技や更なる大技のフラグなんだよ。
今時プヲタで「プロレスはガチ」って連呼してるのは猪木時代を忘れられないか
ネタで言っているかがほとんどじゃないのかね。
後最強論も大半のプヲタは興味ないよなぁ。良い試合をすれば客は勝敗無視で満足するし負けて評価を上げることの方が多い世界だし。
IPAX2008で行われた公開対談シリーズ。もちろんはてブでも大人気だ。
ちょっと参加者の比較をしてみよう。
前回(IPAフォーラム2007) http://www.atmarkit.co.jp/news/200710/31/ipa.html
情報サービス産業協会会長(NTTデータ取締役相談役) 浜口友一
v.s.
そして今回(IPAX2008)
・http://www.atmarkit.co.jp/news/200805/28/ipa.html ・http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20080528/304458/
v.s.
慶應義塾大学,九州大学,千葉工業大学,東京情報大学,東京工科専門学校から各校2名の学生
東大を外した時点で日本の若者による産業議論としては終わってると思う。せめて京大くらいは入れるべきだった。
会社側の顔ぶれを見ても、正直ちょっと物足りない。業界をリードするような魅力ある会社の役員を迎え入れて議論すべき。
結局疲弊した現場の罵りあいに終始する、志の低いつまらんトークに終始してしまった感が否めない。
まあ、プロレスとして見れば面白いか?
ところで
田口氏は「日本の学生はぬるま湯につかっていて頼りないという話になっていますが、実は日本の企業もぬるま湯ということですね」とまとめた。
あー、こういうのを上から目線って言うんですか?
_ _ _
PerfumeのGAMEが届いたからここんとこ移動中よく聞いている。いいアルバムだ。ネットでも面白い感想がたくさん出てきて読むのが非常に楽しい。一部のアイドルだった状態からお茶の間に進出しまくりな時期なわけで、そういう時期に湧き出まくった感想が面白くないわけないよなー
どれも面白いんだけどid:acidtankさんとid:inumashさんのやりとりが面白い。
で、ここで期待されたアルバムの常として必ずよかった/よくなかったという感想なり評価なりが出てきてて、これが楽しいんだけど、で、その中でinumashさんがかなり煽動的な釣りエントリをあげてるので反応する。俺は、(いいアルバムだとは思うけど)GAMEは「失敗」側かな、と思ってて、で、エレクトロ好きなので。
つうか、そもそも成功/失敗みたいな話ってどこに評価軸を置くかってとこが大事で、まあ文脈的に右肩上がりのストーリーを残せたら成功なんだと思う。
売り上げでも、お茶の間インパクトでも、ファンの中の評価でも。
で、定量的に見えない評価なんて個人的な文脈でどー判断したかという話になるわけで、サウンドがどうのーっていってても視点がミクロにいったりマクロにいったり、いやそれはそれで面白いんだけど釈然としない。ジャンル云々とか引用云々とかって水掛け論になりがちだなあと。いや、水掛け論もいいかげんにやってない限りすごい朝まで生テレビで面白いんだけど。
で俺はPerfumeって史上最強のテクノ歌謡だと思ってたから、アニソン的+電グル的な濃さとモー娘的なプロレス的幻想+αで凄い高い水準で楽しませてもらってたから、オアシスの1stがコンプリートベストで次はモーニンググローリーが来ると思ってたから、それで考えるとちょっと肩をすかされた感じがあるので失敗かなあ、と。
で、具体的に曲でいうとGAMEとtake me take meとButterflyのこの3曲微妙でしょと思った。ポリリズムとかチョコレイトディスコとかあるのに中途半端なインスト比重高い曲いらないでしょと思った。とくにGAME、ブリブリしててカッコいい曲だとは思う。でも名曲を量産してきたPerfumeの初オリジナルアルバムのタイトルトラックがカイリーのWowのB面曲のCherry Bombヌルくしたような、JUSTICE安易にパクったっていわれそうな、そんな曲じゃ悲しすぎるでしょと。NEXTステップのPerfume象徴させるにはどう考えてもヌルいでしょ。歌メロでPSPSぐらいの歌謡つっこんでくれなきゃ嘘でしょと。作業時間がなくてそういう曲が間に合わなかったとしても、その3曲をモーニンググローリーのタイトル無し間奏曲みたいにもっと2分以内にしちゃってよかったでしょと。逆に既発だらけになったとしても3曲抜いちゃってセブンスヘブンとか既発入れといてもよかったんじゃないのと。
アイドル歌謡のフィールドでは十分実験的なのか、マスにアピールするために敢えてヌルくしたのか、どっちにしても言い訳になるくらいのクオリティじゃないと思う。何ゆえystkのゆるウンコ入れてきたの。失敗でしょ。
書いてるうちにカッとなって言い過ぎた。キモオタまるだしじゃないか。
冒頭で書いたとおり、いいアルバムだと思う。ただその3曲はなんでこんなことになっているのか腑に落ちない。
でも混乱してるわけで、でも道夏大陸とか見て入れ込み強くしてきたわけで、3人を責めることなんかできるわけなくて、中田のアホ、っていって溜飲下げるのが落としどころになるわけで。今は言わせて。中田のアホ。そしてこれからもいい曲書いてください。
_ _ _
主だったところから地方都市の新星堂じゃ見ねえぞ置いてねえぞそれっていうところまでさっきidを出したお二方とも洋楽での比較対照をあげてくれてるんだけど、俺がPerfumeを(新星堂レベルの)洋楽と比較してパっと思いつくのは現在進行形ってことだとちょい古でAnnieなんだけど、ググっても比較の話がみあたらなかった。なぜだ。すげえ的はずしてるのか。
http://www.youtube.com/watch?v=f9Wf46tLonM
_ _ _
つうか、J-POP抜きでPerfumeを語るのはあまりに部分的すぎんじゃないのとも思う。
http://www2.plala.or.jp/wasteofpops/
その辺この人とかすげえな、といつも思う。
同じようにJ-POP語らせたら毎回すげえ面白いのにパーリスの人はペルフメ?なんすか?みたいな態度だし。
なんにしても俺は期待しすぎだわ
ねこだかぬこだか知らんがかわいいかわいい騒ぐ連中まじうぜえ。
特にオタクニュースサイトとかで他のリンクからまったく浮いたネコ画像のリンクはってるのとか。
何でいつもスイーツ(笑)だのなんだのいって馬鹿にしてる連中がねこだとぎゃーぎゃーかわいいかわいい騒ぐんだよ。
そりゃ少しはかわいいかもしれんが、反応が異常だろ。
なんか、これって結局オタクが内心は三次元女に「あ、オタ沢君も、ねこ好きなんだ。私も??」とか構ってもらえるの夢見て騒いでんじゃねえの?
あれだろ、ちょっと前(今もか?)オタクが「ぼ、ぼくの趣味はオタクなものだけじゃなくてプロレスとか音ゲーとかもあるんだな(しかもフォローになってない)」みたいにアピールしてんのと一緒だろ。
最近、流行ってるプロレス用語の「マッチョ」ってあるじゃないですか。
まぁ、なんていうんですか? 勝ち組マインドの持ち主? みたいな。
そういう人たちはいいんですよ。
本貰って、宣伝エントリ書いて、大儲けして、リアルでもはてなでもモテモテでいいんですよ。
例えば、今30代半ばで就職氷河期にぶちあたって大したカリアーも積めなくて、
今、なんか色々もがいて悩んで嘆いてついにブログで「悪いのは俺じゃねぇ、世の中だぜ、ポイズン」
ってな具合に爆発した世代。
それに対して人々は「てめぇの能無しさを他人のせいにするんじゃねーよバーカ」と非難する。
当然です。そんな厨二病セリフを吐くことを許されるのは20歳までです。成年の自分酔いは禁止されてます。
でもね、そんなことなんざ負け犬親父たちも解ってるんです。内心では。
才能がない。運が悪い。コネが無い。頭が悪い。親が悪い。
みんなウソです。
ホントは「成功したくないから、成功しない」んです。
いや、成功したくないわけじゃないけど、成功するために色々するのがメンドイから成功したくない」んです。
だから、まぁ、はてななんかでグダグダクダまいて、ブクマして、
本当に必要なことってのは、はてなでは教えてくれません。2chには書き込みされてない。
ライフハックやら裏2chやらweb2.0やらダンコーガイやら梅餅とかいう博多名物みたいな人やらはまちちゃんやら。
みんなウソです。虚構です。実在しません。あなたには関係ありません。
知ってるんでしょ? 最初から。
ネットを捨て、街に出る。そうすれば、何かが見つかるかもしれない。
少なくとも前進はできなくても、動くことは出来る。反応する原子はいつも振動している。
――でも、それがなんだっていうんです? 外は怖いですよ? めんどくさくないんですか?
最近id:hashigotan系の話題で粘着してる増田です。
個人的にはid:hashigotan本人よりは、「ああいう人」に対してどうすればいいんだろうということが気になります。
具体的にいうとid:idiotapeの件。
何の話かわかんない人はこのまとめを参考にどうぞ。→ はしご事件 - Usada’s Backyard
あと、先に言っとくと、この文章はとくに結論がないです。
自分がセックスその他幸せにつながるような体験をしたことがないというあたりを基点に、
おまえら幸せそうなエントリ挙げるんじゃねぇと他人をdisっていたid:hashigotan。
(あってるよね??)
とりあえずセックスが一度してみたいので、公開募集し、相手がみつかって、
セックスできて、本人曰く『私はセックスについてだけ自分が忘れずいつでも回想したかったので』一部始終を公開と。
あんまりid:hashigotanが好きではないので、積極的に応援する気にはなれないけど、
だからといって彼女が不幸になればいいのにとは思わない。
だれだって幸福を追求する権利はある。絶対に。
例えそれがみっともなかったり、見るに耐えない形であってもだ。
どうすればいいのかわからない時は、とりあえずじたばたしてみるしかないのだと思う。
だから、公開募集もしたければすればいいし、「個人的な体験の公開」も別にかまわないと思う。
その結果に対しては、みんな好き勝手にコメントすると思うけど。
問題は。id:idiotapeだ。またはid:AyanoIchijo、Maria氏、その他もろもろ。
気になる点はいくつかある。
○id:idiotapeはあの時削除なんてする必要なかったんじゃないかっていうこと。謝罪する必要もあったのかどうか、私にはよく分からない。
○id:hashigotanが自分の幸せを肯定したい気持ちになっているのなら、他人の幸せを否定したことを謝罪しなくていいのだろうか、という事。
○仮に謝罪してももうid:idiotapeはいなくなってしまったし、謝罪すれば絶賛する人も出るけど納得しない人も残るだろうなっていう事。それに謝罪は勧めることはできても、強制するようなものではない。
○現状を肯定することは、一番我侭で暴力的な人(要はジャイアン)を肯定するような感じがするのだけど、さりとて誰かにid:hashigotanを裁くような権利があるようにも思えない。
一番気になるのは、
◎id:hashigotanが今後disを行ったとき、また別のid:hashigotanのような人が出てきてdisをしたときにどうすればいいのだろうかという問題。
つまり、あのときのid:idiotapeに何をいってあげるべきだったのだろうかということ。
あの時はあのエントリが気に食わない人達がスクラムを組んでいた。感激してる人達もいた。
どう考えてもあれはよくなかった気がする。(追記:あれというのはそのときの全体的な反応。finalventを非難するつもりはなかった)
もっと言うべきことがあった気がするのだ。
例えば、「どんな表現であってもそれが人を傷つける余地というのは残る。
表現が強いものであればあるほどそうだ。
誰かを意図的に傷つけようとしたわけではないのだから、負い目を感じる必要はまったくないんだ」とか。
結論は出ない。
追記するかもしれないししないかもしれない。
保留。
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関係ありそうな文をはっておく。
表現の問題に関しては以前、糸井重里はこんなことを書いていた。
例えば、ある絵画について、すばらしいと言うことがある。
しかし、その絵画を見られない立場の人がいる。
音楽についても、そうだ。
音を聞くのに不自由な人には、
音楽をたのしむことがむつかしい。
こどもを持つよろこびを語っている文章を、
こどもの産めない夫婦が読むことだってある。
祭りのよろこびを語っているときに、
病床にある人もいる。
そういった事情をぜんぶ考え合わせたとき、
ぼくらは何を言えばいいのだろうと、思う。
受験がうまくいった人におめでとうと言うと、
「ぼくは落ちました。そういう人間がいることも、
もっと考慮してくれてもよいのではないでしょうか」と、
マジメに書いてくる人のことを、
ぼくはどう扱えばいいのかわからない。
いちばん本音のところで言えば、
「そんなこと言ってくるな!」という気持が近い。
オレならそういうことは言わないな、ということだ。
会ったこともない人間にまで甘えるんじゃねーよ、
ということだ。
(略)
そういう表現の延長には、
優秀な彼らの表現には、
とにかく公平に思われるような「方法」があるからだ。
もちろん、そういうふうになりたいとも思わないし、
そうならないように、逆に気をつけているつもりだけれど、
おおぜいの人を相手にしているうちに、
近づいていく危険性はいつも感じている。
罪とか許しに関してid:finalventはこういっている。(略が多くてすまん。)
自分がこれまでこっそり考えてきた問題系列の比喩で言えば、「罪」は許されるか?という問題。
極度にマクロ的というか無限延長的に言えば、許されるのかもしれない。
だが、人の生涯において、「罪」がありそれが「許される」というのはどういうことなのか。
(略)
イエスに、許しを求めた女にイエスが語ることは、「誰もあなたを罰しない、行きなさい」というだけだ。
(略)
この問題は、ヨブの問題でもあって。
(略)
むしろ、ヨブを捌いた者たちを神は皆棄却してみせた。この世の知恵は、すべて、この世の悲惨にその内部で完結する理屈ようなものを求める。そして、それはものすごい悪たりうる。
(略)
ヨブの苦しみには、理由がまったくない。あるとすれば、それが神の意志というだけだ。それは世の中の、理屈をすべて却下させる。
イエスと女・注:http://www16.plala.or.jp/north1000/seisho-0610.htm
ヨブ記・注:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%96
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引用追記
ブクマコメで分裂勘違い君劇場の文章が紹介されてた。以前読んだときはジェンダー論かと思ってスルーしてたけど、「小さな世界」を「みんなに公開」するブログにおいて「道理」は通用するのかとか読み替えると面白かった。
そもそも道理というものは、長い人類の歴史のなかで、利害と感情の調整をするために生まれ、使われてきたものです。
利害と感情が完全に調整されていれば、そもそも道理などというものは必要ないのです。
(略)
そういう女性の小さな世界で必要とされるのは、「道理」ではなく、もっと別の方法です。
とくに家庭のような「小さな世界」では、利害関係が生じる人間の数など
たかが知れていますから「みんなが納得するような道理」など必要ないし、
むしろ不適切なのです。
そもそも、なぜ「みなが納得するような道理」が必要となったかというと、
個別に利害調整するのはコストが大きくなりすぎるからです。
そういう状況では、できるだけ多くのケースに適用できる
「普遍的な公正さ」というものを作りだし、それを使い回すことで、
利害調整の生産性を上げるわけです。
(略)
家庭のような小さな世界には、男性が職場で培った「みなが納得するような道理」など
持ち込んでも通用するはずがないし、また、持ち込むべき正当な理由もないのです。
それでは、「みなが納得するような道理」を使わずに、
「個別対応で利害を調整」するには、どうすればいいのでしょうか?
それにはまず、男性は「普遍的な道理に照らし合わせて、どのようなことが正しいのか?」
と無意識に考えてしまうことをやめなければなりません。
そして、「どのようにすれば、結果として個別具体的な誰がどれだけ得し、損するのか?」
「どのようにすれば、結果として、個別具体的な誰がどれだけ感情的に気分が良くなるのか?」
という個別具体的なことだけに、全意識を集中するのです。
そして、女性との関係が良好なときにこそ、女性と「対決」しておくのです。
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コメをうけて追記:
id:hashigotanが謝罪したらすっきりするかもという気持ちはあったけど、
「あなたが謝ると私の溜飲が下がるから謝れ」とはいえない。
仮に。id:hashigotanが謝る必要があるのだとすれば、それは被害をあたえた人たちに対してであって、
増田は野次馬なんだから、野次馬の感情なんて考慮する必要はまったくない。当たりまえの話なんだけど。
「あなたが謝ると私の溜飲が下がるから謝れ」とかその手の主張する人っている気がするけど、それってリンチなんじゃね?
id:hashigotanがid:idiotapeをdisったのもリンチっぽい。
リンチも面白ければOKなプロレス的感覚の持ち主以外使っちゃいけないの?
http://anond.hatelabo.jp/20080124075450
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Marco11氏に対する追記:
Marco11 Marco11 「どう考えればいいだろうか」の問いに答えてるだけだろうが、字読めないのか?白痴か?人間として生きていく上での最低限のプライドや誇りがほんのすこしでもあなたの中に残っているのなら、名乗ってみろよ屑が。
Marco11さーん。
なんか上記の増田に怒ってるみたいけどそれは自分じゃないっす。
個人的にはfinalvent爺とのやりとりが面白かったですよー。
トラバってくれなかったらそれ読めなかったし、トラバってくれてぜんぜんOKです。
このエントリに対する罵倒は甘んじてうけるのですが、上記増田とは別の人だということだけご了承ください。
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いろんな視点があってすごい参考になった。
自分的まとめみたいなの書いてみた。↓