はてなキーワード: プレッシャーとは
プレッシャーに弱く他人からすればとても些細な事にも一々落ち込む性格だと自分自身思っている。
怒られる事に過剰に怯えて人の顔色を伺いながら生きている。
にも関わらず、嫌だったこと・苦しかったことを、ひと月もすれば忘れてしまう。
忘れてしまうと言っても、その事自体まるっと忘れるわけではなく、辛いと言う気持ちはそのままに(下手をすればその当時以上に大きく膨らんで)けれど、何がどうなってそういった事になったのか、詳細をすべて忘れてしまうのだ。
簡単に言えば、「起こった事のぼんやりとした縁取り」だけが脳裏に残っている。
結果として、その感情だけが心に残ったままになっているから、うまく消化出来ない。
そんなに辛くて苦しくて嫌だったのに、その出来事の核がすっぽり抜け落ちてしまうなんて、そんな妙な事があるのだろうか。
思い出そうと、その時書いた日記やTwitterなどを読み返してみるけれど、やっぱりピンと来ない。
流石に痴呆には早い年齢だし、だいたい痴呆ってこんなもんじゃないんじゃないか。
こういうことが何度も起こるから、その都度その都度、忘れないように必死になるのだけれど駄目みたいだ。
なんで私は全部忘れてしまうんだろう。
なんか、怖い。
確かに。一理あると思う。
「親がやらせている」のとあるだろうし。
教師の言も子供の言い分もきちんと聞くことが出来、
さらには「そう成るように『自分が』育てた」としたいだけなので、
その場合は、「特別いきたくもない学校」にわざわざ「したくもない勉強」をして入ったということになる。
習い事にしたって、好きでやってる方が何倍も努力できるし長続きする。
場合によっては親の口出しなんて不要だろう。
やりたくも無くやってるのなら、練習するのも苦痛でしかないのに続けていくのは大変だろう。
その上親から文句が来ようものならやる気は無くなるしプレッシャーで精神的にもきついだろう。
子供が潰れそうになっても、見栄の為に何かさせようとする親ほど子供を顧みないし忠告も聞かない。
なぜなら悪いのは自分では無く、自分の希望に沿うことが出来ない「子供」だと思っているから。
厳しいこというけど、叩きじゃなくてマジレスだからよく聞いてな。
まあ言ってることが理解できなかったり、反発しちゃうような人ならそもそも無理だし、俺の言葉が届けばいいなって思う。
さて、恋愛でもっとも大切なものってなんだ?
相手を好きな気持ち?
そうだと思っているならそれは違う。
相手の幸せを願う気持ちと、相手のために何かをしたいって思う気持ちだ。
当たり前に見えてそれがなかなか難しい。
一歩間違うと、相手に喜んで欲しいって気持ちや、俺との幸せを願う気持ちに摩り替わるからだ。
当時の僕は若かったから、なんだか自信に満ち溢れていてとんがっていた。
彼女が一生懸命勉強して韓国語の検定に合格し、僕にそのことをメールで報告してきてくれたとき。
「うかったぁ!」
「何が?」
「何がって。。韓国語検定だよ」
「そんなのやってたっけ?おめでとう」
このやりとりがきっかけで、僕は再び愛想を尽かされてしまう。
こういう話を聞く限り、元増田さんが、彼女の何を好きだったかわからないし、彼女の何を見ていたのかわからない。
自分が、自分がっていう独りよがりな思慕に見えるし、彼女の話をちゃんと聞くこともなければ、その奥にある彼女の心を理解しようとしたことすらなかったのかなと思う。
まあ、それは若かったときの話だし、今はそうじゃないんだって信じたい。
そうであってほしい。
悔しかった。
悔しくて、戸惑って、思わず少し攻撃的なメールを送った。
こう考えるのもどうなんだろうと思う。
こういう心情に流れる時点で、元増田は彼女のことを何にも考えていないのがわかる。
彼女のことをほんとに考えているなら、まず心配になるはずだ。
いいやつなんだろうか?
変なやつじゃないんだろうか?
だまされてないだろうか?
幸せにしてもらえるんだろうか?
って。
元増田にとって彼女はアクセサリと変わらないんじゃないだろうか。
って言い方も驚く。
じゃああなたと付き合えば今の彼と付き合うよりも幸せにしてくれるんですか?
勢いでは、する!って答えるだろうけど、十分間考えてその根拠とか、自信の所以とかじっくり考えてごらん。
自分を選んでもらうことのプレッシャーみたいなものに潰されそうになることもよくある。
いろいろ今までの行動を否定してしまったけど、じゃあどうするんだよ!って不満と言うか憤りを感じると思う。
それについて具体的に答えるのが難しいから、それはほんと申し訳ないんだけど。
ただ、このまま彼女が結婚してしまうことが、彼女にとって幸せなのか不幸なのかをじっくり考えることから始めて欲しいと思う。
そして、それが不幸だって結論に至ったのなら初めてそこで、自分と付き合うことは彼女にとって幸せか不幸か考えて欲しい。
それでその結論が出たら、迷わず行動して欲しい。
俺からは以上だ。
セックスはコミュニケーションだって感覚を理解せんとダメだと思うわ。
とりあえず、「やりたい」と主張するときの文頭に「君と」をつけるくらいのところから始めるべきだと思う。
がっついて突っ込もうとしないで、ダラダラダラダラ途中に食事休憩を挟むくらいのノリで
二人のそーゆー時間を楽しんでいけば時間はかかるだろうけどトラウマ解決できると思う。
なんにせよ、過去のことを想起させないそういうのとは違う、感じでセックスしようとするしかないよね。
男女ともにそうだけど、変なプレッシャーとか嫌な記憶とかあると楽しめないので
少しずつ払拭していくようにしたほうがいい。あせんなあせんな。
お互い触りあってる時間をまず楽しめるようになったほうがいい。
http://www.webcreatorbox.com/inspiration/100ways-better-life/
1. 間違いを受け入れる
あなたは人間です。私たち人間は間違う事もあります。自分のしたミスを受け入れて次はうまくいくように努力しましょう。自分自身に罰を与える必要はありません。間違いを受け入れる事が、罪悪感を消し去る唯一の方法です。
2. 友達のミスを許す
誰かに傷つけられる事もあるでしょう。人間は間違うものですし、自分の間違いを受け入れるのと同じように、他の人の間違いも受け入れましょう。最終的に、あなたの必要なものは彼らからの「愛」です。
3. 新しい習慣をつける
私たちは無意識のうちに多くの物事をこなしています。自分の人生に取り入れたい新しい事をこの習慣の中に結びつけてください。習慣は強力です。自分のためにこのエネルギーを利用してください。
4. 自己規律を作る
誰かがあなたに規律を作るのを待たないでください。早いうちに自己規律を作成しましょう。厳しく聞こえるかもしれませんが、自己規律はあなたの人生の多くの物事を容易にしてくれるでしょう。大変かもしれませんが、自己規律があるということは素晴らしいことです。
5. 新しい友達をつくる
手を差し伸べ、恐れないでください。新しい付き合いを始めましょう。起こりうる最悪の事態は拒絶されることです。そうなった場合は次へと進みましょう。
楽しみを刺激する事は、人生に多くの価値を生み出します。今の仕事に満足がいかないのであれば、新しい仕事につきましょう。収入がなくなるのは一時的なものです。乗り越えましょう。
7. いつも食べている物を変える
毎日の食卓に並ぶ食品を変えてみましょう。新しい食事を試すのは健康とエネルギーのために必要です。ヘルシーなものやベジタリアンである必要はありません。いいなと思ったものを試してみましょう。
8. 日記をつける
思ったこと、アイデア、目標、行った事を日記に書くことは、自分が人生の中で何を行ってきたのかを知るいい方法です。必要な物はペンと紙だけですよ。
今日一日の目標、したい事を「今日の一言」として毎朝作成しましょう。どんなものでも構いません。その目標はその日のうちにきっと叶うでしょう。朝起きて最初に今日の一言を言うだけ。とても簡単です。
10. 遠くへ旅にでる
遠くへ旅に出ることはとてもいいことです。わくわくするし、知りえない出来事に満ちています。
あなたの人生がなんだかつまらないのは…リスクを冒した事がありますか?最後に本当に大変な事に挑戦したのはいつですか?最後にリスクを伴う何かに挑戦したのはいつですか?さあ、やってみましょう。
自分自身を管理しましょう。自分の時間で働きましょう。浅はかな考えに思えるかもしれません。そう、保証があるからと好きでもない仕事をしている人にとっては、浅はかな考えに思えるでしょうね。最初の一歩を踏み出さない限り、何も挑戦できません。
13. 仕事場を変える
机を整理し、模様替えをしましょう。仕事場に新しい色を加え、仕事場を楽しめる場所に変えましょう。楽しめない仕事は仕事ではありません。それをしたいと思えるのが仕事です。
繰り返し挑戦し続けましょう。もしあなたが 10. 遠くへ旅に出る をする予定なら、新しい言語も学んでみましょう。たとえそこへ旅行しなくても、新しい言語を学ぶ事は素晴らしい事です。
15. 同意する理由を見つける
反対ではなく同意。私たちは絶えず論争し合います。それをやめましょう。無理に同意する必要はありませんが、もしその必要がある場合は十分な理由を見つけましょう。
あなたが持っていない物は、他の人に与える事もできません。あなたの中に光がなければ、他の人を照らす事もできません。あなた自身にゆとりがないと、誰かに与える事はできないのです。
17. 早起きをする
これは習慣ではなくライフスタイルです。ただ、目的もなく早起きするのでは効果がありません。早起きし、誰よりも早くチャンスを探してください。早起きするという事は可能性を見つける目を開くという事です。
18. 本質を見抜く力を鍛える
事実上、あなたの考えうることががあなたの現実です。それを賢く使ってください。物事の本質の何処に焦点を当てるかを考え、鍛える事で、あなたが今まで想像もしていなかった方法が見つかります。それはあなたの世界の質を高めます。こうした感覚を研ぎ澄ます事で、あなたの人生はより、すばらしいものになるでしょう。
19. ブログを始める
どんなトピックでも構いません。ブログは何か新しくて価値のある物を作り出すだけでなく、あなたの人生に新しい人々を連れてきてくれるでしょう。ブログは人を成長させるツールです。
あなたは自分に才能がないと思っているかもしれません。しかしそれは大きな間違いです。電子書籍を書いてみることは、自分の才能に気づくいい方法です。トピックはあなたが知っている事、勉強したい事などを選びましょう。楽しいですよ。
完璧を目指して努力し過ぎるとあなたの人生を台無しになってしまいます。 人間であるあなたを作っている不完全さがなくなってしまいます。完璧でないことは、逆に価値のあることなのです。 昨日の自分に向かって言いましょう。「もっとよくなったよ!」
22. 自己妨害をやめる
あなたは自分自身が、どれほど自分の負担になっているかを驚くかもしれません。 多くの場合、無意識のうちに、あなた自身を文字通り自己妨害しています。 もし、あなたの人生が、長い期間ずっとうまくいっていないなら、その最大の敵は、自分自身なのです。
人生は公平ではないと感じているかもしれません。そう、人生は公平ではないのです。しかし、それは素敵な事です。個性的で、美しくて、シンプルで、挑戦的で、甘く、苦しく、二度と体験できない、世界にただひとつのものです。自分の人生を見つめ直し、人生を愛する理由を探してください。
きっとあなたは退屈すぎて悲しくなっているのでしょう。そう考えた事はありませんか?今までしたことのない新しい事に挑戦してみましょう。新しいスポーツを始めたり、いつもと違うレストランを選んだり、いつも観ないジャンルの映画を観たり。
25. 争いをやめる
誰かと争うという事は多くのエネルギーを使います。あなたは相手が間違っていると平然と言おうとしますが、それが間違っています。あなたは誰かの間違いを立証するためではなく、人生の驚きを認めるためにここにいるのです。彼らは間違ってはいません。ただ意見が違うだけです。そして、それが人生です。
26. エネルギーを浪費しない
今すぐしなくてもいいと思う事をしていませんか?エネルギーの無駄です。あとどれほどし続けるのでしょう?なぜ無駄にエネルギーを浪費しますか?
27. 無視する事を学ぶ
これは学校で教わるべき事です。私たちは多くの物に焦点をあて、多くの事をしていかなくてはいけません。人生はそういった物に悩まされているのです。物事をこなす事はいいことですが、無視することはもっといいことです。
あなたが最後に「ありがとう」と言ったのはいつですか?それは心から言った言葉でしたか?みんな感謝する事は成功の鍵だという事は知っていますが、多くの人が実行できていません。
29. 負けん気を持ち続ける
あなたの目標のために負けん気を持ち続けましょう。あなたの中にある強い思いを声に出しましょう。負けず嫌いの気持ちはあなたの一部であり、今以上に強くなるために、それを決して否定してはいけません。
触ってはいけない、食べてはいけない、チャンスを掴もうとしてはいけない…あなたが何か本当に欲しい物があったときに、このような言葉が駆け巡るでしょう。こういったもう一人の自分が頭の中であなたを守ろうとします。それを解き放てばよりよい生活を送れるでしょう。
31. 掃除する
楽しいものです。そしてそれはあなたにとってもいい事です。家の掃除をする習慣をつけて楽しんでください。部屋の乱れは心の乱れ。整頓するだけです。簡単なことです。
32. 目標や行動方針を書き記す
あなたはここにいる理由があります。どんな小さな、ささいな事でも、あなたには目的があります。将来の成長する為に必要な目標や行動方針を書いてみてください。それが人生の明るい道しるべとなります。
あなたができると思っている事は、あなたが本当にできる事の半分程度です。それはあなた自身に対してネガティブな考えを多く持っているためです。それらを解決し、可能性を秘めている事実を受け入れ、行動しましょう。
34. 異なったスキルを磨く
学ぶことをやめないでください。ひとつのキャリアにとどまらないでください。たったひとつのキャリアなんて、退屈で、制限のあるものです。今までしてきたこととは全く違うスキルを磨いてください。いつそれが必要になるかわかりませんし、何よりも楽しいものです。
お金と同じように時間を管理するとどうなるか、考えた事はありますか?なにに時間を費やしているのか、どれほど時間にゆとりがあるのかを見てみましょう。
36. 運動する
新記録を作るとか、そういった事はしなくてもいいんです。ただ定期的に体を動かしましょう。体は健康に、頭はすっきりします。よりよい人生を送るための簡単で、取り組みやすい方法です。
37. 親になる
子供を持つことはあなたの人生を大きく変えます。永久に持続的な愛とあたたかい気持ちをもたらします。愛に生き、多くのことを学ぶでしょう。
38. 一日にひとつ、家にあるものを捨てる
きっとあなたの人生は何かの物によって息を詰まらせている事でしょう。思い切って捨ててみましょう。寄付するのもいいでしょう。
39. 週に一度、本を読む
ブログ記事でもかまいません。あなたの心のアンテナを安定させるでしょう。 読書は脳にとって良い食材です。それなしでは怠けてしまい、健康的とは言えません。良い食材と良い関係を持ちましょう。
40. 月間目標を作る
物理的で、精神を安定させ、社交的な生活を送れます。 30日間であなたの人生に何か新しいものを取り入れましょう。 新しい始めることによって、新しい方法を利用して、健康的な生活を送りましょう。
41. 古い友人に電話する
長年連絡をとっていない人と話しましょう。さあ、今直ぐ電話してみてください。素敵な思い出話と新しいチャンスが待っているでしょう。今までの関係を無駄にしてはいけません。
42. 偶然に身を任せる
いえ、偶然なんてありえないですね。嘘をつきました。全ての物事には理由があります。偶然と思える出来事に遭遇したら、それは本当に運がいい事です。それを信じて、身を任せましょう。すべてはうまくいきます。
43. 遊ぶ
どんなものでも構いません。ただ子供の頃のように楽しんでください。目標なしではただのプレッシャーに感じるかもしれません。全ての物事を「ゲーム」だと思って楽しんでください。苦しい時もあるかもしれません。でも大丈夫、ただの「ゲーム」です。
44. 許す
過去に嫌な思いをしたことを、いつまでも根にもってはいけません。恨みを取り除くのは難しいでしょう。しかし、長年の恨みを取り除くのはより困難なものになります。許して自分を開放しましょう。
45. 必要のない問題を解決しようとしない
あなたは粗探しをするためにここにいるのではありません。日々を楽しむためにいるのです。本当に重要な問題のみを解決する事に集中してください。
46. 古くからの敵と和解する
許す事よりも、仲の悪い状況を変える事が重要です。和解し合い、友人となってしまいましょう。それは簡単な事ではありませんが、うまくいくものです。敵の数を減らし、友人の数を増やしましょう。
47. 約束をして、それを果たす
大した事ではなくても構いません。誰か特別な人とでなくてもいいんです。もちろん、難しい事でなくても構いません。約束をし、果たしましょう。気持ちいいものですよ。
48. 本当に嫌いな人とは縁を切る
なんとなく縁を切れないでいる嫌いな友人がいるでしょう。別れてしまいましょう。あなたに、あなたが長年失っていたと思っていたもの(勇気)を運んでくるでしょう。
49. 長年欲しかった物を手に入れる
「お金や時間がなくて我慢している物」…思い切って手に入れましょう。自分を高めるだけでなく、長年あなたを悩ませていた欲望を解放してくれます。
50. 批判するのをやめる
誰かの、そして自分自身の批判をするのをやめましょう。過度の批判はあなたの情熱を失わせます。心を明るくし、人生をそのまま受け入れましょう。
51. クローゼットの中身を変える
自分が着るものがどれほど限られているか知らないと思います。クローゼットをあけて、暗い色ばかりなら明るい色を足してみましょう。簡単に変えることができますよね?
さあ、数えてみましょう。笑顔は正直で、とても強力です。多くの人が嫌な出来事に涙していますが、強力な笑顔だけがその気持を取り除く事ができます。次は一日20回の笑顔を目指しましょう。
53. 黒歴史を消し去る
中1の時のノート?十代の頃書いた寒気のするポエム?もう捨ててしまいましょう。難しいかもしれませんが、過去に囚われていては素敵な人生を歩めませんよ。
54. 観葉植物を育てる
数カ月に一度は部屋に緑を与えましょう。潜在能力を高めてくれるでしょう。また、植物の成長する様子を見る事は、自分の成長にも繋がります。さあ、始めましょう。
55. 違う街や国へ引っ越す
そろそろ生活環境を変えてみませんか?違う街や国へ引っ越してみましょう!最初は戸惑うかもしれませんが、本当にいい刺激になります。
バイクサークルや、話し方教室など、なんでも構いません。新しいグループに参加しましょう。熱中する何かを発見でき、コミュニティー力もアップします。
57. テレビを観るのをやめる
まずは一週間、その後一ヶ月、テレビを観るのをやめてみましょう。その間あなたの精神状態がどのように変化するか感じてください。きっと驚きますよ。
58. 全く違う趣味を見つける
マッチで列車を作ってみたり、コブラを育ててみたり、小さな瓶に船を入れてみたり…。自分の抱えている問題を忘れて、新しい事を始めましょう。
59. 道端で見知らぬ人にハグ(挨拶)を
少し危険かもしれませんが、ハグを返してくれる人もいます。いい刺激になります。
※Mana注:この記事は海外ブログを翻訳しています。海外のフリーハグの文化を指しており、日本では挨拶程度にしておいた方がいいかもです…
サプライズパーティーはいつでも楽しい気分にさせてくれます。あなたが落ち込んでいる時、もしくは友人が落ち込んでいる時に効果的です。友達を誘って、友達にはその友達を誘ってもらいましょう。新しい出会いが待っています。もちろん、楽しむ事が大切です。
61. ハイキングへ行く
週末、ハイキングへ出かけましょう。人工のものより自然のもつ力は強力です。休息が必要であれば、外にでて、自然とふれあいましょう。
62. ペットを飼う
鳥でも、ハムスターでも、犬でも猫でも構いません。落ち込んでいるときの癒しになります。ペットの世話をすることは、人間関係よりもたやすいことです。例え相手がペットでも、愛は愛です。
例えそれを送れないとしても、感謝の気持ちを書き記す事が肝心です。過去に助けてくれた誰かの事を考えながら、その人に言いたい事を書き始めましょう。あなたがどれほど感謝に満ちた人生を送っているのかを知ることができます。
64. 毎日瞑想する
簡単に始められます。心を空にして、感覚に身を任せましょう。難しいテクニックなどはありません。あるがままに瞑想しましょう。
知っている人にでも、知らない人にでも、何か素敵な一言を言ってみましょう。その人の反応から喜びと感謝の気持ちを得る事ができるでしょう。あなたも誰かにそうされたら嬉しいですよね?
誰もあなたに素敵な事を言ってくれないなら、自分自身に言ってみてはどうでしょう?あなたにふさわしい一言を、付箋に書いて机に貼っておくのもいいでしょう。自分に優しく生きてください。
67. 思いついたままに行動する
行動する事を恐れていては何も解決しません。考えすぎると、あなたを余計に混乱させます。流れに身を任せ、自分の思いつきのままに行動してみるのもよいでしょう。無意識の行動によって、本当の自分に驚かされます。
68. 結果に対して議論しない
結果に対して議論しないという事は、争いを避けてくださいと言っているわけではありません。議論から生まれる結果は、勝つか、負けるかしかありません。あなたの望む通りの結果にならずとも、結果が決まったものは受け入れて、それに従う事が人生を円滑にする手段です。
ごまかす事は簡単です。世間は建前や偽りでできていて、時にはあなたもそうする必要があるでしょう。それをやめて、正直に生きる事が大切です。悲しみも、楽しみも、どちらもあなたの人生です。
70. 目標を設定する
明確な決意表明であり、あなたが本当にしたい事です。あなたは目標がありますか?熱中する事がありますか?
71. 他人を助ける
手を差し伸べ、誰かを手助けできるか考えてください。聖者になる必要はありません。誰かに与えるようにみえて、実は自分がもっと多くのものを受け取っているのです。
72. 社交的に
外に出て誰かとふれあいましょう。新しい人と出会うのに慣れましょう。その習慣を身につければ、新しい事を始めるのにも慣れてきます。目標はいいネットワークを作ることではなく、なるべく多くのエネルギー源とつながり、それを手にすることです。
73. 一人の時間をつくる
あなた自身のために必要な時間も十分にとってください。新しい観点に気づくでしょう。あなたはどこにいますか?今後どうなりたいのですか?少し立ち止まって、辺りを見渡してみましょう。
74. 自分で何かを直す
お店に修理に出さず、壊れた窓や車の傷を自分で直してみましょう。どれほど周りのサービスに頼っていたかがわかるでしょう。汗を流して自分
大学生になり自分が賢くなるに連れて親父の凄さが分かってきたところだった。本を読めば読むほど知識が増えれば増えるほど、政治経済から歴史に至るまで親父の知識の量と見識の深さに気付くようになり親父と話すことが一番の楽しみになり、話せば話すほど俺の考え方も知識も問題に対する切り口も論理構成力も一段上へと進化していっているところだった。自慢の親父で本当に尊敬していた。そんな時間が当たり前のものになっていた。
しかし親父は単身赴任をしていて50を過ぎているのに平日は一人で暮らしていた。週末帰ってくるので2日しか会えなかった。それでも平日は親父が購読しているメルマガから面白い部分を抜粋し俺転送してくれていて、週末帰ってきては趣味化しているコーヒーを豆から買ってきて自分で入れて飲ませてくれるのだがこれがまた最高に美味かった。
身長を高校生の時に数センチ抜かし体型はここ10年で明らかに太り、ハゲかかって前髪が後退した額は俺に将来の毛根の不安感を与えるのには十分だった。そんな日常は当たり前のものだと思っていた。
日曜日、俺はいつも通りバイトを終えて携帯を見ると着信が死ぬほど入っていた。
ー 親父が死んだ
そこからはよく覚えてないけど、心が折れた母の代わりに喪主を務め、葬式にきた人間からは「しっかりしている長男さんだね」とか「20歳なのに精神力強いわね」みたいなことを言われていた。
実態は、想像もし得ないことがあっさりおきたので気持ちの整理がつかなすぎて、感情が崩壊していたのだと思う。涙も出なければ死に目にあえなかったことも特段なんとも感じなかった。ただそこには、親父が死んだという事実しかなく、それを受け入れる準備ができていなかった分、その死がただただ自分の生にとって一つの通過点でしかないと本能的に感じていたのかもしれない。
親父が死んでも空の色は同じく、世間ではアホカップルが愛を誓い合い、時は流れ明日は必ずやってきた。しかし変化は微妙にあらわれる。
まず、平日、親父からメルマガが転送されなくなった。奇しくも、最後の転送されたメルマガは「戦争による死の矮小化」だった。土曜日がきても親父は帰ってこなかった。そしてコーヒーは入れられていなかった。しかたなく、自分で入れることにした。そこで始めて涙があふれた。
親父の記憶とともに膨大な後悔が脳裏に浮かび視界は水没した。こんなことすればよかった、こんなことしてやればよかったということ。もしこの日に死ぬと分かっていたのなら、もっと多くの時間をそしてもっと多くの感謝を形にしていた。その後悔が脳を壊し心がなくなったような衝撃が俺を襲い視界は真っ白になった。
俺は夢から覚めた。
あまりにリアルすぎる夢で焦ってリビングに行くと親父がコーヒーを入れていた。
「おはよう」
この日常が当たり前のものではなく奇跡の連続だと感じるようになった。
さすがに神が存在するのかと疑った。
ここまでリアルな夢を見るということ自体はたしかに縁起の良いことではないかもしれない。しかし、縁起が良かろうが悪かろうが、自分の家族、大切な人はいつかは必ず死ぬ。それが明日なのか20年先なのかはわからない。しかし、死なれた時にになって初めて後悔するのは馬鹿だ。大切な人が生きているイマを強く意識することで感謝を形にすることができる。その感謝の積み重ねがいずれくるべき時になり事実を受け入れることができるようになる。だから縁起がどうこうではなく、一度自分の大切な人の死をリアルに考えることが必要なのかもしれない。軽々しく死を扱うなとかは的外れな指摘だ。事実、命は軽く他人の死も一つの出来事にすぎない。
一方で自分の死んだ後を想像する人間もいるがそれは多いに間違っている。死後どう思われたいかなんて考える時点で宗教狂だと認定していい。死んだらそこで俺らの人生は終わる。死後にあるのは無であり実質そこには何もない。死後が現在を規定するというならどうやってそれを確認するというのだろうか。(これも一つの宗教なのかしら
死ぬの対義語は生まれるであって生きるではない。
生きるというのは状態であり対義語は死んでいるである。
だから、自分の生の流れの中に他人の死は起こり、自分の死はその生の流れを止める。
俺は常々目標や夢はその状態になっていないということが原因で自分に対するプレッシャーとなってブーメラン化する心の負債だと表現している。その原因は夢や目標といったものが極めて前向きであるからだ。今よりよくなるということを想定しているためどうしても向上的なものになる。しかし死について考える時、俺らはとんでもなく後ろ向きな仮定から始める。例えば「今日、母親が死んだ」とか「彼女が死んだと連絡があった」ということを考える時、俺らは、そうなってほしくはない未来について考えるためそれは心の負債にならない上に、もし本当に死んでしまった時への心構え、さらには後悔しないためにやれるべき事をやっておこうと考えるようになる。
最初はそれこそ鬼のように過疎っていたが、しばらくすると2人の女性がエントリー毎にコメントをくれるようになった。どんな内容でも2人の女性はほとんどのエントリーに対してコメントをつけてくれる。
しかし、私にとってそれは重荷だった。
ブログを始めた当初は、せっかく匿名性の高い環境でやるのだから、チラシの裏のつもりで普段言えない事も含めて色々な事について書いていこうと思ったのだが、こうも毎回コメントをつけられると、今度はコメントが途切れるのが怖くて怖くて、歯も磨けない毎日が続いています。
私は次第に好きな事が書けなくなっていった。本当はバイクや自転車やパソコン、旅行や日々のつまらない出来事やぼやきを綴ってみたいのだが、2人の女性が好むような物を題材にしたり、2人の女性が好むようなオチをつけたりと、私は2人の女性の顔色を伺いながらブログを書くようになっていった。
実際はつまらない事も書いていると思う。そのつまらないであろう記事にも2人の女性はコメントをくれる。それはご近所付き合いのように毎回コメントをつけているから毎回仕方なしにつけているかもしれない。そんな事を思うとなるべくコメントを付けやすい記事を書こうとしてしまう。ストレスがたまり始め更新の感覚も開くようになっていった。
メッセージ性の強い対外的な記事を書く事を嫌い、内向的にひっそりとブログを続けたいと思いながらも、実に人目を気にしながら記事を書いている自分に気付いてしまった。ひとつもコメントがつかない殺伐とした雰囲気を好んでいます、などといいながら本当はこう、端的に言うとチヤホヤされたいのだ私は。
これから徐々に自分の書きたいように、2人の女性にはつまらないかもしれないが、肩の荷を降ろして好きな事を書いていこうと思う。2人のコメントは止まるかもしれない。それはそれで構わない、と思いながらもまだ吹っ切れていない。
そのうち、今ここに書いたようなクソつまらないどうでもいい事も自分のブログに書いていきたい。
その前に一先ず増田でグチらせてほしい。だってここは何書いても構わないのだから。
残念ながら実際はそんなプレッシャーはないよ。
むしろ話合って、前進した感じなんだよ、今。
んで、公平とかそんなものは成立しないと思っているからね。
結婚は契約行為だから、きちんとお互い譲れないところは話あっている。
それは彼女からもあったし、俺からもあったからね。
俺は少年ジャンプ、BUBUKA、ハロプロ、iPhoneは独身時代同様
消費させてくれっていうお願いをしたぐらいかな。
両親が結婚のプレッシャーを掛けてくる。母親が市主催の婚活サークルや結婚相談所の広告なんかを見せつけてくる。うざい。
以前に一度、結婚を考えた相手を連れてきて、両親ともにショックで寝込むほどの猛反対をされて、自分は彼との板挟みもあって心身共に疲弊。
結局、その彼とは別れたので、もうこれでゴタゴタは済んだし、これから仕事のこともふくめて、自分の思うように生きていこう、その為にいろいろ勉強したり身につけたりして頑張っていこう…とそれなりにやる気になりつつあったところでこれだ。うざい。
娘は早く片付けたいけど、だからといって、自分たちの気にくわない相手はダメってか。
かといって、自分としては、こうなった以上は、もう無理に結婚なんかしたいとは思わない。さらに言えば子供だって欲しくない。例えばうちの母親みたいに、夫(父親)の不満とその親戚連中(義母と義姉)への非難を30ウン年、娘達に向かって零し続ける結婚生活。そして、千円程度の菓子を食べるにも稼ぎ手の父に気兼ねして内緒で食べなければならないような、そんな生活は絶対送りたくない。
これまでの人生も失敗だらけで良いことなんて無かったのに。それでも、唯一結婚したいと思えた相手にも失望した。だから、せめてこれからの人生は自分の思うように生きたいのに。結婚なんてしたら、それこそ、これまでの私の人生は完全に否定されことになる。後に続くのは完全なる敗北の人生だけだ。たとえ、結果孤独死するようなことになったとしても、一人で過ごした方がずっとましだ。
さ、就職面接での「何か質問はありませんか」OK/NGガイド(日本企業版)の解説だ。
さて、まずは例え話をする。
誤解を恐れずに言えば、就活は男女の仲、つまり婚活や合コンに良く似ている。
一方が相手のことを熱烈に望んだとしても、もう一方が嫌がればカップルは成立しない。
ある程度の傾向はあるけれども、特定の相手を"落とす"手法は存在しない。
細かなことを積み上げ、相手に選んでもらえる確率を上げて行くしかないのだ。
だから、とても重要なこと(わかってる。愛だけじゃ結婚できないとかさ)だけど、
相手から「何か聞きたい事ってあります?」と聞かれて、
「長男ですか?」「年収は?」「どこに住んでいるの?」「親とは同居希望?」とか
「一人暮らし?」「淡泊そうって言われない?」「SMって興味ある?」とか
そういうことは聞くな。
重要なのはわかる。
大切なのもわかる。
世の中きれい事だけじゃ生きていけない。
でも「俺のことが財布に見えてるんだな」とか「風俗に行けばいいのに」とか思われたら駄目なんだ。
さて、といったことを頭に入れてから、質問内容のガイドを見て欲しい。
前提として「なにか質問はありますか?」というのは、単に聞いてるだけ。
実は、あまり評価には関係ない。単に印象が少し変わるぐらい。
でも、その差が大切。
ほんの少しの差が、次の担当者に書類を渡すかどうかを決める差になったりする。
実はさっきのリストは、実際に聞かれたことがある質問を分類しただけ。
(凄い質問もあったと思う。でも本当なんだ)
さっきの極端な例え話に似て、相手がどう感じるかを考えればわかる分類だと思う。
基本的には「うちを選ぶ基準ってそれなの?」という疑問を抱かせない質問ならOK。
言い直すと「キミはうちじゃなくてどこでも良いんだね」と思わせたらNG。
繰り返しになるけどセミナーでNGに分類した質問をしたからって評価が下がったりはしない。
(そもそも説明会で質問する人が少ないから、そういう点でチェックはされるかも知れないけど)
でも、面接時とか面接後とかに「ああ、そういやこの人はあれ聞いてたな」とちょっとトーンダウンしたりする。
待遇が良いところで働きたい、別にその会社の事なんて知らない、同業他社はどこも同じに見える。
でも「どうして我が校を選んだのかな?」「家から近いからです!」と言って素直で宜しいと評価されるのは高校が最後だ。
「説明会ではステッパーが主力事業と言われていましたが、Nikonさんのシェアが高いと聞いています。どこで差別化しているのですか?」
なんて質問をしたからといって、選ばれるとは限らない。
でも「残業は多いでしょうか?帰りにくいとか感じることありますか?」と質問した人と比べたら、
面接官だって人の子だ。どっちを上にあげたくなるかは、察して欲しい。
「質問はないけど、と断ってからの雑談」というのが、質問ではないというのも、
場所によっては「それだって質問だよ」と面接官が笑顔で応じてくれるかも知れない。
でも、会社に関しての質問を期待されていたら?
コレを読んでいるあなたがもしも面接官で、課長とか部長とか決定権を持つ人に推薦する立場で
「おまえが推薦してくる学生はみんな落ちてるな」とプレッシャーをかけられていて、
質問はありますかと聞いて、パンフの2ページ目に書いてあるのに「企業文化について教えて下さい」と質問されたら?
「企業文化には美意識を大切にするとあったのですが、茶道部とかそういったクラブ活動も社内で行っていたりしますか?」
そういって質問してきた学生と、どちらが良さそうだと判断するだろう。
まあ、最初に断ったようにどんなに熱望してもうまくいかないこともある。
なんであの2人が?というカップルも世の中にはたくさんいる。
でも「結局は※なんだろ」と言って腐っても意味はない。
Yシャツの袖が汚れてたって、寝癖が付いてたって、それで人間性や能力が決まる訳じゃない。
どうせ入社しないと社内の事なんて判らない。それも判ってる。
もちろん判ってる。
でも、スヌーピーも言ってただろう?どう転んだって、配られたカードで勝負するしかないんだ。
ほんの少しの差でも、出来ることは全部やっておくべきだと、そうは思わないか?
でも、その人にキャンセルされたために時間が空いて受付できた新たなお客さんが結構気に入ってくれたようで、
時間を延長してくれた。
落ち込んでいた気分だったのが、立ち直れた。また指名してくれるかもしれない。
その人にキャンセルされてなかったらそのお客さんには当たっていなかった。
お客さんからしてもどんな嬢に当たるかばくち打ちの気分だと思うが、
嬢だって客以上にロシアンルーレット的な賭けごとをしている心境なのだ。
昼間の仕事では不確実性の高い失敗はなく、
失敗があったとしたらある程度の必然性のあるもので、
従って解決策も明確化できるから、風俗の仕事の方が精神的なプレッシャーはずっと大きい。
対面した時に嫌な顔をされたら?
プレイが終わった後も、お店にあまりよくない評価を告げられたら?
ただつわりが酷くて、いままでと同じように仕事をつづけるのが困難ぽい。
で、一応法律では出勤時間ずらしたり、勤務時間短くしたりするのがみとめられてるよ!って、アドバイスしたんだけどなんだか、そのまま退任の方向に向かってる・・・
現場リーダー的には、現状の勤務時間だと、まともに作業してもらうのは難しいから、抜けてもらうしかないってことみたい。
いぜん、本人は12月末までは続けたいようなことをいっていたのだけれども、思うように出勤できないプレッシャーを感じてかそれもあきらめているみたい。
というのが2,3日の間に発生。で、あまりに急だったのであわてて「(上述の)法律は追い出すためじゃない、働きたい妊婦さんを働けるようサポートするためだ!私や他のメンバーはまだ一緒に働きたいし、サポートもいとわないよ!!」みたいな内容のメールをおくったんだ。なにか、ものすごい凹んで、それでそういう結論に至っちゃったんじゃないかと推測して。勇み足だったけどorz
そしたら、私ではなくほかメンバーに電話で「べつに(そちらが)思っているような(追い出される)ことはない。いまは体調わるすぎて考えられない」というような返信があったらしい。ただ翌日も出勤できず、現場ではなんかふつうに交代要員の手続きおわってるし。出れそうな日だけ出て、引継ぎしたら退任ぽい・・・
私のメールはものすごい余計なことだったのかなぁ・・・むしろ迷惑だったのかも。と悶々としている。それなりに会社内では仲良い方だと勝手に思ってたのだけど、どうもこっちが勝手に思ってたみたいだし(メール送る→返信はない→他の同僚に電話で状況等を返信する、の流れから)。
たぶん引き継ぎで出社した日も引継ぎ業務をこなしたら、体調のこともあるだろうから、すぐに帰宅すると思うし。なんか、あとはこのまま普通に会話することも無く、もう会うこともなくなるのかなぁ・・・と思うと、どうにもやるせないというか。
妊婦さんが本人の働ける範囲で働くことを許容できない社会・会社にたいする苛立ちと、自分があまりにも人とそれなりの関係(信頼される、相談相手になる等)を築けないことに対する悲しさがごちゃごちゃになって、なんか何も考えたく無い。
なんで、人に好かれないんだろう・・・私。
どうやって生きていいかわからなくなった。
辛いよ・・・辛い。
うつ病になってもうすぐ2年。今が最悪の時だと思う。
仕事は辞めた。
拘束時間が長いのと社長からのプレッシャーで追い詰められる毎日で生活のリズムが崩れた事が原因でうつになったから。
一人暮らしをしていたけど、もう一人で生活はできないと判断されて、貧乏で金のない実家に戻ってきた。
貧乏なのに働けない長女の私が迷惑をかけていることは言うまでもない。
先日唯一の救いだった彼氏と別れた。
もうどうにもならなかった。
彼の仕事の忙しさと私が精神病になった事で彼にかかる負担が苦痛でならなかったらしい。
私は今後どうしたらいいんだ。病気を治すのが最優先なのはわかる。
どう治したらいい?
薬を飲んで休めばよくなるのか?もう2年たってるんだぞ?
私っていったいなんなんだ。
(ゼミで指導する側からの話です。末尾にあるように内部向けに書いていたのだが、明らかにゼミ生向けではなくなってしまったので、増田行きとしました。)
「卒論を書くのに身近な先輩の卒論読んではいけない」ということをゼミの学生に言ってもなかなか理解されない。半分ジョークだと思っているのかもしれないが。
もちろん、研究室で継続的に行なっている一連の研究であれば、内容的に引用したり、データを参照するためには、「見る」必要はある。
ただ、卒論がどんなものか、何を書けばよいのか?というイメージを得るために、先輩の書いたものを読みこむのは決定的に間違っていると言わざるをえない。残念ながら。その意味で見本として満足なフォーマットを満たした、うちのゼミの卒論はほとんど存在しないのだよ。ほとんどの場合、時間切れタイムアウトの残骸なんだ。
なお、卒論というのは建前はともかく、実態はあくまで単位(と技能)修得を一つの目的とした演習課題だと私は思っている。なので、本論が貧相でも、本論を作り上げる上で膨大な作業をこなした場合、優れた着想を自ら考えた場合、などは本論の品質の評価基準が甘くなることもある。そのようなこともわからず、結果として残されている論文だけ真似て作ることは危ない。
それは私の指導力不足でもあるので申し訳ないというところもあるが、まあ半分以上はなんとなく「なあなあで」卒業できるという日本の大学の持つ恐ろしい特性に起因するのだ。
言うまでもないが、手本とすべきものを間違ってはならない。もっとも、手本にした結果、残念な出来だからといって、落第させてやるほど私は親切ではないので、さほど心配しなくてよいが。ただ、余計な指導の回り道は避けたいというだけだが。
もっとも、では他に何を参考にしたらよいか?と言われると、文系一般でA4で数十ページ書くようなタイプの卒論の参考になる文章形式はそれほど多くないというのも同情すべき点ではある。
私がよく知ってる学会の和文学術論文であれば、せいぜい1本2万字弱の文章で書く事が求められる。だが、長い伝統なんだかどうかよく分からないが、私の勤務先ではなぜか卒論はA4の(スカスカの)フォーマットが指定されており、それ以上の分量(ページ数)を無意識のうちに求められるような気がする。(今少し検索してみたら、3万字「以上」とか4万字「以上」とかを課している大学もあるみたいだ。決してうちの学科が特殊というわけでもなさそうだ。一方、工学系学会の論文(梗概形式、2段組、せいぜい4P~8P)は分量的にはもっと少ない。多くて図表込みで5千字程度だろう。自ずと書くことが厳選される傾向がある。その方式だと、ロジックや実験の方法をちゃんと書けば手早く論文っぽいものになるというメリットもある。余談だが。)
もともと文章の論理展開をしっかり作る技量が不足している初学者に、長い文章を課すというのはやっぱりナンセンスな気がする。一方で、論理が未熟ながら、というか期待しないが、とにかく調べて何か文章を書けというレベルの課題としては納得ができなくもないが。それって意味あるんかいな?そんなんだったら大学名乗るのやめようよ。と毒づきたくもなる。
つまり、今の文系の卒論とやらはその形式が特殊すぎて、まともな見本が存在しないという状況にある気がする。だれか素晴らしい見本があったら教えてください。
お前が書いたらと言われるかもしれないが、経験上、自分が書いた論文を見せても絶望とプレッシャーを与えるだけでまず参考にならない。自分も書けそうと多分大学4年生に思ってもらえるような「手本」を書くのは大変そうだ。でも一度やってみようかな。一般向けの学術書を書くのと似てる気がする。
誰に向けて書いているのかよくわからなくなってきたが、卒論の時期に向けて、学生の皆さんにはとにかく頭をよく絞って書いて欲しいです。あんまり追い込みすぎないで早めに片付けましょう!