はてなキーワード: タブーとは
中学の頃からずっと疑問だ。
これは我が家だけなのかもしれないが、家の中で生理の話をしようとすると、母に咎められた。父と弟がいるからだ。
母だけにならよかったが、父と弟がいるときは母はいつも「そんな話をここでするな」と言わんばかりに目で咎めてきた。
とりあえず逆らわず生きてきたが、ずっと疑問ではあった。何故父や弟の前で話してはいけないのか?
そして、女子との間でも微妙にタブー化されている事にその内気付いた。
一体何故…?
たかが股から血が出るだけの現象である。
何故それが恥ずかしいのかとんと分からない。
人類皆、尿も出れば、糞も出る。男は射精もする。それと同じ様なことだ。
寧ろ私は、恥ずかしがることが恥ずかしくなった。
別に、所構わず話したいというわけではない。
しかし別に、話す流れであれば話したって構わないのではないか。なぜそう執拗に不自然なまでにタブー化するのか。
腹が痛いときに「生理痛だ」と何故言ってはいけないのか?何故「ちょっとおなかが…」と誤魔化さなくてはならない?
いいではないか。堂々と言えばいいではないか。胸を張って「生理痛だ」といえばいいではないか?
隠して、妙な雰囲気で誤魔化すほうがよっぽど恥ずかしいではないか。
そうして隠すから、男性にとってもよく分からない未知のものとなり、下手に口出しできなくなってしまうし
いいではないか。話せば。生理の何が恥ずかしい?
「ああ、いかにも、今股から血が出ているが、何か?」それでいいではないか。
(薄暗い部屋。タイプの音とディスプレイの青い光。はたと男はタイピングをやめると、くるりと椅子を回転させこちらに顔を向ける。男は、その血も通わぬ爬虫類を思わせる青白い顔を隠そうともせず、語り始める。左手には空になったワイングラス、右手には陰茎を握り締めている。)
「パンチラによる興奮とは」
(そこで言葉を切るとニヤリと笑みを浮かべ、こちらに視線を送ってくる。その目は、あらゆる汚辱を連想させるのに十分な汚らわしさ持っている。)
「スカートの下に、パンツが、下着が、もっと言えば、さらに深層には陰毛、そして性器がありますよね。それらが隠蔽されているけど、確かに存在するというギリギリのせめぎ合いの中にこそパンチラの美の断章があるということは、おのおのが胸に手を当ててみるまでもなく共有された、一般的な感覚でしょう。ここで重要なのは実際にパンチラがそこに見えた瞬間にそのエロティックな、張り詰められた緊張は突如として色を失い、泡のように溶けてしまうというです。私たちはパンチラに、はかない夢を見ているといってもいいのかもしれません。しかし、我々はパンチラという原始的で、その下に陰毛が群生していて、さらにその下には性器が待ち構えているという分かりやすさの中に現れる単純なエロティシズムに、我々のちんぽ的なものをあずけていいのでしょうか。我々、複雑さを好むオタクにとってパンチラなんていうのは児戯に等しいとさえ思います。実際に、パンツなどというものはとるに足らないものです。ではその下に欲望されるべき陰毛はどうでしょうか? 性器なら? 逆です、逆、これは逆なのです。性器に近づけば近づくほど、エロティックな情感からは遠ざかっていくのです……エロティシズムの井戸から、とめどない興奮と激情を汲みだせるのは想像力、それだけです。真にエロティックなものとは性器でも性交そのものでもなく、それを暗示し、ほのめかし、イメージさせる固定観念にまで凝り固まったイコンでなくてはなりません。
では、どのようなものがエロティシズムを喚起するにふさわしい、我々オタクのちんぽ的なものをあずけるに相応しいエロティックなイコンとなりえるのでしょうか。順を追って考えていきましょう。
まずパンチラの例を再度考えます。それが低レベルであってもエロティシズムのかけらを保有していることは、さっき確認しましたね。ではその際、重要なファクターとなったものも覚えていますね。そうです、隠蔽されているということです。スカート-パンツ-陰毛-性器というふうに多重に隠蔽されているからこそ、それを想像し、それを犯すことが出来るというわけです。では、どんどん性器から、性交から遠ざければ、多重に隠蔽すれば、エロティックな様相を帯びてくるのでしょうか。十二単? チャドル? ブルカ? フフ……確かに、個人的にはそれらに劣情を催すこともあります。個を排除し、まったいらにする……どこかみたいですね。しかし、それらは物理的な多重構造です。我々オタクはもっと知的になるべきです。物理的な多重性よりも、観念的な多重性を重視すべきです。布が何枚重なろうと、我々の想像力は北風や太陽よりも早くそれらを剥ぎ取ってしまうでしょう。
観念的多重性とは、観念的にスカートでありパンツであり陰毛であるところのものとは、つまるところ禁止の概念です。タブーです。我々はしてはいけない禁じられた遊びの中にこそエロティックなイコンを見ることができるのです。
それは実際の性交においても当てはまります。初めての性交は、少年と少女の共同犯罪ということができます。それはエロティックな、痙攣的激しさを持って行われる魂の完全犯罪ということができるでしょう。彼らにとって、それはしてはならない「禁じられた遊び」に他ならないのです。うしろめたさ、背徳と堕落が絡み合う瞬間……ひひ。
我々オタクはいつまでたっても本質的には子供ですが、禁止も侵犯し続ければ当たり前になってしまいます。そこにはなんのエロティシズムも見られなくなる……エロティックなイコンの神様はうつり気で恥ずかしがり屋なのでしょう。幾重のベールをめくり、やっと会えたとしても、すぐに隠れてしまいます。
しかし現代日本において、共同幻想として機能するエロティシズムは絶望的といわなければなりません。何一つ禁止されることなく、どのような性的なものでさえあけすけにばら撒かれているのですから。私くらいのオタクになれば、目を瞑って URL を適当に打ち込んでも幼女のどぎついポルノに行き着くことができますよ。ははは」
乾いた笑い声が響かせながら、男は机の上から茶封筒を取りあげる。
「これがなんだか分かりますか。これは、夢の残骸です。セカイを変えようとして、それでも変えられなかった、そんな夢の死体です。性を禁止し、徹底的に取り締まらなければならない、その理由と、それがもたらす平和についてかかれています。性を徹底的に匿名化し、性別という概念すら血液型レベルにまで追い込んでしまおうとするものです。そのセカイでパンチラを体験すれば、おそらく誰であろうと、今までのように低レベルなエロティシズムだ、などと思うことはないでしょう。それどころか、涅槃にまで到達できるでしょう。これを、我々の手にエロティシズムを取り戻すために、国会にねじ込もうとしたのですが……かれらは目もくれませんでしたよ……人をキチガイ扱いして! 何が性の抑圧は変態性欲をつくり出す、だ! 何が前時代的だ! 何が表現の自由だ! 奪え! そんなものは刈り取って抑圧してしまえ! アスファルトの下に咲くたんぽぽこそが、最も美しいたんぽぽだろうが! 貴様等、海外幼女買春ツアーの、想像力欠如の!! 蛆虫レベルの低次元のエロスに満足する豚どもが! いいさ! セカイが変わらないならこっちから願い下げだよ! 我々は、我々のセカイに逃げるのだよ! ははっはっははは!!!」
男は突然立ち上がり自らの陰茎を引きちぎり、両目を潰した。
「ひぎぃ! ふふふふ……いいんだ、これで、いいんだ……何もなくていい。何も見えなくていい……目を瞑ってみるセカイこそ、私に、もっともエロスを与えてくれるのだから。私はこれから記憶の澱の中で、過去の苦い経験の中で、エロティシズムをすくい続けるのだよ……もはや、ちんぽなどという分かりやすい絶頂は必要ないのだよ……」
そのとき、男の目から確かに一筋のエロスの涙が零れた。
最近いろいろ発生している問題を見て思う。
普段、賢いフリをしている人や、一般に賢いと思われている人ですら
簡単に騙されるひとは多いんだなということ。
そして、それは自分だけが例外ではない幾つものDNAレベルに書き込まれたような
罠が存在しているんだなということ。
そしてその罠に抗う方法ですら罠であるという多重構造になっているということ
さらにそれらすべてが騙されることがとんでもない快楽だということ。
自分なりにいろいろ世の中や自分自身をみていて
この罠をリストにしてまとめてみた。
亀田親子最悪だよねー。オタクきもいんですけどw うわぁ。出たよ低学歴w まったく、人の悪口いうやつって最悪だよね。 俺は状況をクールに見てるぜ。コイツラばかじゃねーの?w ほら、罠。どっちにころんでも。
TBSやGoogleが最近叩かれている。マイクロソフトもそうだ。この権威に屈しないかんじ。 カッコイー。俺は正義の代弁者だ。いいだろう。 大企業は金にまみれて汚い。電通は汚い。 金を持っている?そんなもの人生の幸せなんかじゃない。 東京大学?ふんっ!どうせ使えないやつらだろ? 学校の勉強がなんになるんだ? 肉体労働をしてないから、わからないんだ!ハッハーw 俺の若い頃はもっと苦労してたからよかったんだ。 今の若いやつらは勉強しないし、活力がない。 ちょっとかわいいからってエリカ様とかやってるから いけないんだよ。
うぁ。なにこいつ、いい年こいて童貞なのw?キモ過ぎw へー。こいつ、数学できるとかいってるけどどんだけのモンなのかねぇ。 はっきり言って俺の若い頃は違ったね。 こいつ、プライドばっかりでぜんぜん使えない。 自分ができる奴なんて勘違いしてるんじゃないのw?
ほら、出たよ。B型批判w低俗だよねw??。血液型で人を判断するなんて 低俗極まりないし、科学的根拠にかけるよw あ、ちなみに松本人志はB型だけどねw
アッコが芸能界で幅利かせてるのは在日だからだろ? このアイドルもプロデューサに抱かれたんだろ? Googleで初音ミクの画像が出ないのはGoogleがTBSから金もらったからだ。 金子?あー。どうせ在日だろ?
バカだな。知らないのかよ。9.11はブッシュが戦争を起こすために仕組んだんだぜ。 そもそも人類は月になんていってないしw テレビ業界は完全に電通と創価学会に支配されてるからな。 ジャニーズ事務所の人間はみんなジャニーにケツほられてんだよw
ジャニーズ事務所の人間はみんなジャニーにケツほられてんだよw 郵政民営化はあれは外資に200兆あげたも同然なんだよw
知ってる?リサイクルって意味ないんだぜ?
こんなこと言うのは俺だけかもしれないけど、TBSも亀田親子も被害者。 最大の加害者はそのストーリをつくった電通とその背後のヤクザ。
っていうか出たよ。工作員。工作員が大量に沸いてるなw
いじめ問題とかは景気が回復すれば自然と無くなるんだよ
いじめ問題とかは景気が回復すれば自然と無くなるんだよ
水は言葉を理解するし、初音ミクは世界を変えるし、TBSは最悪。 下賤下賤。ご立派ですねー。
俺は欝病なのさ、失恋中なのさ。かわいそうだろ。 そんなかわいそうな俺の言ってることを信じてくれないなんてなんて嫌な奴なんだ。 あー。そうさ、こんなに悲しい俺。すてき☆
ソース?チャンネル桜だバーロー? アスパルテームは毒だし、買ってはいけない! タバコは人を殺すし、副流煙w猛毒ッスw いやいや養老先生はちがうって言ってたよ。バカの壁にぶちあたりすぎ。
これらの罠はすべて巧みに刷り込まれ、組み合わされ、
人の判断を狂わせる。
例にあげたような考え方なんてしないって思ってることも
罠。ほんとにそう?例に挙げたのはワザと極端な論でごまかしてるだけ。
ほら、そろそろ見えてきた。
罠の構造。
人間の根本にあるプライドやコンプレックスをくすぐったり、いじったり。
これからは逃れられないってところを自覚することから、
話を始めよう。
俺は、この罠のこと自覚して、生きてるよ。どうだい?
ね。またひっかかっちゃった。
この罠に引っかかってないブロガーなんて見たことない。
特に有名ブロガーなら、ことさら。
アンタもだよ。
おっとまた罠に引っかかった。
あー。現代の哀れなソフィスト達に栄光あれ!!!!!
ふつうの人って、オタクのことはおおっぴらに笑いものにしたり見下したりするのに何の躊躇もないけど、例えば知的障害者に同じことするのはダメって思ってるよね。行為そのものがダメなんじゃなくて、対象によってOKだったりNGだったりすると思うんだけど、その境界はなんだろうね。
・「自らの意志でそうなった」「自業自得でそうなった」と(実際にどうかはともかく、そういう風に)思えるかどうか。
・理由は本人もよく分かってなくて、対象にしちゃいけないタブーリストが教育とかを通じて与えられている。それ以外はOK。
他にあるかな。
何故、出産は特別視されるのだろうか。
夫婦間における家事や育児労働に対しては、それに金銭的価値を与えても文句は言われないだろう。きちんと給料として支払え、と主張する人だっている。
だが、出産は違うようだ。例えば、人工授精の貸し腹をビジネスとするなんて、とんでもないという意見が大半だ。とにかく、出産に関わることで金銭のやり取りは、そのような話をする事さえタブーなのである。少なくともこの日本では。
しかし、出産を特別視する必要はあるのだろうか。
常に命の危険が伴うのはそうだが、命の危険が伴う仕事は他にもある。極端な例えをすれば、スタントマンは命を売っているようなものであろう。命懸けであることをもって、出産を崇高であるとするなら、確率的に、スタントの方が余程崇高である。出産時の苦痛についても、同じ論が成り立つであろう。
あるいは、新しい生命の誕生に関わる行為に、金銭的価値を与えるべきではない、という意見もあるかもしれない。しかし、出産はそれのみで命を誕生させる事はできず、子供を作るという営為における一連の流れの最後に位置するに過ぎない。しかし、射精が、だから崇高であるという話は聞いたことがない。出産だけを「生命の誕生」として特別視するのは単眼的に過ぎる。
このように、出産を他の労働と比較して特別視する理由はないのである。
われわれは、いい加減に出産を一つの「労働」として正面から認識し、それを市場原理に任せるという選択肢を視野に入れるべきである。
これによって、前参議院議員(元公明党)の福本潤一って人が国会の場に呼ばれたら創価はじまる!って感じで今のところ待ち。福本君は創価批判を雑誌でしたらしいし呼ばれたら期待が持てるんじゃまいか。
案外面白かった。空気が変わりすぎ。新人議員がそれを察してきょろきょろしすぎ。
今、議事録も調べてみたけど、国会で創価学会が話題に上がる事は極めて稀みたいだなぁ。マスコミは現段階ではそこまでとりあげないだろうから、福本君待ちかな。
最後には石井一も民主の同僚議員に落ち着くように指示されてるみたいだから、このまま民主内でさえタブーもありうる。
日テレNEWS24 民主・石井氏 公明党と創価学会の関係追及 (一応動画付き)
http://www1.ntv.co.jp/news/wmtram/dw/300k.html?m_url=071016065&n_url=95319
【政治】 「池田大作氏らに国会に来ていただきたい」…民主・石井氏、公明党と創価学会について追及(ニュース速報+)
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1192523970/
【創価】公明党の冬柴が上納金を払ってると民主党が指摘(ニュース速報)
http://news23.2ch.net/test/read.cgi/news/1192510024/
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/giin/1192511133/
前半と後半に分かれてて、まず前半2時間55分ぐらいあるから、バー引っ張って終わりまでやれば午後の分が始まる
午後の動画に切り替わって、34分ぐらいから公明党のことを喋り始めて、40分ぐらいで池田批判。45分ぐらいで冬柴。1時になったら一先ず終わってこいつの利権ずぶずぶの北朝鮮問題に移るから見なくておk。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/nmg/20071008/136857/
そもそもmixiにせよyahooにせよ見る側からすると広告ってウザい。
だから、広告サーバを騙して、広告を出さないようにする、その簡単な方法を紹介する。
この方法って、ネットに詳しい人には至極当然で当たり前に
何年も前から行われてることなんだけど、この方法が広がっちゃうと
自分の首を絞めることになるから、あんまり言いたがらないし、雑誌やネットでも書かれていない。
だから、一般ユーザはいつまでたってもこれを知ることができず
いまもウザい広告を見せ付けられ続け、ある意味「搾取」されている。
私はネット業界にいない人間なので、タブーはない。あえてここで書いてしまう。
この方法のデメリットとしては、面白いウェブ広告を見落とすことかな。
ちなみにXP用なので。ほかのOSはhostsファイルを各自探して。
スタート→「ファイル名を指定して実行」で下のをコピペ実行する
notepad c:\windows\system32\drivers\etc\hosts
メモ帳がでてきたら、ファイルの最後にしたのをコピペ追記して保存。こんだけ。
0.0.0.0 adserver.yahoo.co.jp ard.yahoo.co.jp ai.yimg.jp 0.0.0.0 bizad.nikkeibp.co.jp ads.nikkeibp.co.jp 0.0.0.0 ads.mixi.jp 0.0.0.0 click.adv.livedoor.com image.adv.livedoor.com 0.0.0.0 ad.doubleclick.net
これをやるのとやらないのとでは大違い。お試しあれ。
君が元増田か別人か分からないけど、そう(防衛機制だと)思われるのが嫌なら、性被害にあったことと性行為なんかなんとも思っていないことをセットで書くのはタブーだよね。どっちかだけにしておくべき。そういう事例がセットで提示されてる話題に首突っ込んで何か言うのも止めて、単独で性行為なんかなんとも思っていないことを主張した方がいい。
鼻が猛烈にかゆくなったり
鼻くそを猛烈にほじりたくなる時がある。
仕方なくティッシュごしに指でほじったりするのだが、もっといい方法はないだろうか。
何分指ってのは鼻の穴をほじるのにはでかすぎるのだ。遠くまで届かないし、何より鼻の穴が広がりそうで嫌なのだ。
つまようじの頭の方でほじるという提案をされた事があるが、はっきりいってこしょぐったいだけで全く「ほじった」感がない。
あまりに細すぎてもダメなのである。
何かないか。
ていうか、卵がけご飯用の醤油なんてものが発売されるような日本で、高級耳かきなんてものが発売されるような日本で、どうして鼻くそほじり器がないのか甚だ疑問である。鼻の穴を広げることなく、かつ危なくない程度に奥まで届き、「ほじった」感があり気持ちよくなれ後片付けも楽チンで衛生的な鼻くそほじり器があれば、僕は高級耳かき程度の値段は出せる。
耳がかゆくてしかたない時があるのと同じく
鼻だってかゆくてしかたない時があるのだ。
大体耳くそは幸せモノすぎる。耳をかいてても汚いとは思われないし、いい耳かきの話題は誰とでも盛り上がれる話の一つだ。カップルの、膝枕で耳かきイベントなんていう美しいイベントまでついている。所詮クソのくせに、なんたる贅沢ものか。
それに対し鼻くそを見るがいい。誰もがどうしてもたまってしまうものであるのに、話すことはタブー化され、ほじれば「汚い」烙印を押される鼻くそたち。実際そんな僕も耳クソよりどうしても鼻クソの方が汚らしい感じを拭い去る事ができない。カップルの鼻くそほじりなどというイベントは勿論なく、寧ろ漫画等で悪役やなまけもの役のいかにもな仕草として使われる始末。同じクソ、カスだというのにこの落差は何か。
人々の美意識を変える事は難しい。
ならばせめて鼻くそほじり器を世に放ち、世間の人々に「耳かきもいいけど、鼻ほじりも気持ちいいよね」と安全に思ってもらおうではないか。いざ、鼻くそ革命。いざ、鼻ほじり革命を!
人権ってものは人の持っている能力ではなくて、社会が人に与える権利なんだから、社会で求められる責任が全うできない人間に人権の所有を認める必要はないとおもうんだけどな…
でもこうゆうことは社会ではタブーとされていてこんな発言をするだけで「何を言ってるのあなた!!それ以上ものを言うのはやめなさい!!」って感じで何の答えもかえってこないまま、香水臭いヒステリックなおばさんに注意されたりする
釣りですか?
と言いたくなるほどの杜撰浅薄さ。それこそあんたの言う「香水臭いヒステリックなおばさん」と同レベルだよ(で、誰それ? そのおばさんはなんて名前でどこに住んでるの?)。
まあhttp://anond.hatelabo.jp/20070904185243この増田の言ってるのが反論のほぼ全てなんだけど、蛇足で。
最近思うんだけど人権至上主義のいまの世界で人権が重荷になるときがこないのかな
例えば最近mixi関連でネット私刑が流行ってるみたいだけど、そうゆう人たちは人権なんか考えてないよね。
責任を取る必要もないし、匿名で自分の人権を無視している姿を人にみられる心配もないから、行くところまでいってしまう。
こうゆうのを見てると本来人間は人権を認めてないんじゃないかなって思う。
少なくとも人権を与えなくてもしょうがない人間の存在を認めているんじゃないのかな…?
ものすごく胸糞悪くなるような事件が起こると2chではみんな犯人をボコボコに叩く。死刑を高らかに謳う。
でもTVとか公の場では人権がどうのこうの言って、人権団体が犯人を全力で擁護する。
遺族の気持ちなんか完全無視で、水戸黄門の印籠のように「人権」という言葉をふりかざす。
たぶん「人権」にこじつければなんでも通ると思ってるんだろうね。その通りなんだけど!
憲法違反になるんだけど、僕は人権が認められない人間がいても良いと思う
最初から人権を認めないのではなく、人権を持って生まれる権利は平等に確保する。
しかし、人権を永久に保有する権利は認めなくてもいいんじゃないのかな?
社会の中で生きていかないといけない責任とか、他の人の人権を侵害しない責任とか。
責任をとるってことを「人が受けた痛みを自分もうけること」だとすると、人権を侵害した人たちに人権を認める必要はないと思う。
ひどい事件を起こした犯人は遺族に虐殺されてもしょうがないし、政府の実験台にされてもしょうがないんじゃないのかな?
自分から人権を放棄したんだから
人権ってものは人の持っている能力ではなくて、社会が人に与える権利なんだから、社会で求められる責任が全うできない人間に人権の所有を認める必要はないとおもうんだけどな…
でもこうゆうことは社会ではタブーとされていてこんな発言をするだけで「何を言ってるのあなた!!それ以上ものを言うのはやめなさい!!」って感じで何の答えもかえってこないまま、香水臭いヒステリックなおばさんに注意されたりする
でも、人間がつくった考え方なんだから絶対に完璧であるとはかぎらないのでどこかに綻びがあると思うんだよね
完全性とはあらゆる可能性を含むわけで、あらゆる可能性を含むということはその事象が固定されていてはいけない。もっと総体的で流動的なものでないといけないって村上春樹が言ってたと思うけど、人権に関してもそうだよね。
人権が人間本来の完璧な概念だとするのなら、もっと流動的な柔軟性を持たせた姿勢で考えないといけないと思うんだ
なんかひっかかった。
きっと人の頭の中を自由に覗くことへのタブー意識と、「死」とあからさまな「楽しい」が簡単には直結しない保守的な感覚からだろう。
色々乗り越えちゃってるんだろうけどね。
企業が金にこだわるところについては反論とくになし。
ただひとついえるのは企業にとっての金は信用と同義というところかな。
下請について
下請法の改正でちょっとはよくなるかとおもったけど、まったく改善しないね。
摘発数を聞いて悲しくなったよ。
内部告発はずいぶん機能してきたので下請け告発もそろそろ策をろうじて保護育成するひつようがあるとおもうよ。
何をしたらいいんだろうね。
人口減少、少子高齢
日本の景気は、上昇するにもかかわらず、その規模をどんどん小さくしていくように思えてくる。一部の人たちのための景気になってしまうのではないか。文字通りの格差社会だ。
いまから出生率が増えても労働人口の急激な減少は避けられない。
http://www.kajisoku.com/archives/eid1615.html
156 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/08/18(土) 09:47:02.72 ID:+xhi3sbS0
>>153
ともかく、外人の友人から
「日本のヤングはあの状況で怒ろうともしないのが理解できない。
ヘタレなのか?!」みたいに言われたことはあんよ
160 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/08/18(土) 09:49:40.05 ID:re9OI6zlO
>>156
なるほど。
俺も外国人が「今の日本は何故革命が起きないのか不思議」だと言ってるのを聞いたことがあるが…
162 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/08/18(土) 09:54:20.65 ID:zG5IDp0jO
こんなやりとりがあって失笑しちゃったけど、実際、海外の知日層からは「日本の若者は革命を起こす権利がある」みたいなことはよく言われるよね。
日本の経済を海外視点からレポートしてくれるような外人さんの講演会でもよく聞く。
もっともそんなのを聞いてるのは年齢いったおっさんばっかなんだけどね。
海外からみると経済的な面で若者が負担している現状を合理的に理解できないみたい。
たとえるに、友人が遊びたい金ほしさに「おまえあそこの消費者金融いって金借りてこいよ!」言われて、
まじめに借りに行って、その金を友人に渡したあげく返済に困って多重債務に陥いって困ってる。
なんで黙って返済してるんの?みたいにやっぱり外からみれば不思議なんじゃないかな。
中にいても不思議だけど。
おまけ・「企業は誰のものか」について
http://anond.hatelabo.jp/20070818135658
http://anond.hatelabo.jp/20070818141853
旧来型の貧乏
・自分が住んでいる地域とか、血縁とか、性別なんかで貧乏かどうかが決まっちゃう貧乏。
生まれたときから親兄弟親戚近所一同皆負けてます、みたいなもの。
部落とか、母子家庭とか、田舎に住んでいるかとか。生来的なもので決まっちゃう。
あとインフラ格差の解消とか。下水道ありません、とか、電車通ってません、近所に病院ありません、とか。
その解決の道具がお金(土木系公共事業・ばら撒き行政)と教育。
田舎や貧乏人の子供は家の手伝いで小学校までしか行かせてもらえなかった分、就ける職業も限られてた。そのために夜間中学なんてあったし。女が学問するなんて!って驚かれた時代。
でも、昔は学歴小学校卒非モテニートでも親の家業や農業を継げばよかったし、自分の家のクラスや住んでいる地域に合わせて勝手に決められた見合いで結婚できた。後天的なコミュニケーション能力不足なんて関係ない。とにかく家の面子を守ることと嫁という労働者が欲しいということ。離婚なんてタブー。嫁が子供が産めないという理由で離縁されることはあった。そこに職業選択の自由と結婚の自由はないけど。
それと長男は親との同居が当たり前。女は姑と同居が当たり前。介護に嫌気が差して座敷老人なんて問題もあった。
『ALWAYS三丁目の夕日』みたいな貧乏があっても皆幸せだったのは、『皆いっしょ』に貧乏で皆一緒に豊かになろうとがんばっていたから。
新しい貧乏
・『中流家庭』に育ったはずなのに、ある日突然貧乏。またはいつのまにか貧乏。
生まれたときは一応中流(中の上、中の中、中の下)だったけど、いつの間にか自分ひとり負けてましたもう這い上がれません、みたいなもの。
雇用の流動化、核家族化、少子高齢化、消費社会化による行き過ぎた個人主義、グローバリゼーションと自己責任。
ばら撒きしようにも、今の家族の単位が小さくなりすぎた結果(中年独身男女も含む)、ばら撒く家族が増えてしまったことと、独居老人が多すぎることで、ばら撒けるお金に限界が見えた。
だから、国に頼る前にもっと皆繋がってください、支えあってください、自分の人生自己責任でということになる。
繋がれないと、老人孤独死。中年はへたすりゃ自殺。自殺率最悪。職のコネがないローン抱えた中年の親父が自殺。息子勉強して大学行ってサラリーマンになっても、同じサラリーマンの親自殺。自分の職業、労働単価の安い海外に外注で自分の職がなくなっちゃうかも。自分の職がいつ職業ごとなくなるかわからない。学問よりもコミュ能力。英語だのファシリテーションだのコーチングだの。
ニートの親はサラリーマン。自分が継げる先代から脈々と続く家業なんてない。地域社会の商店は大型ショッピングモールが出来てからボロボロ。工場は単価の安い中国に出ちゃった。農業は、海外から輸入作物の価格に影響されて、国内農作物の価格が安くなりすぎるもんで、補助金に頼らないと生活できない。でも国は地方にばら撒ける金もうないよ。
それと、昔は正社員の職しかなかったけど、今は契約社員とか、派遣とか、バイトとか、いつ首切られて孤立するかわからない立場の職ばっか。フリータになりやすい。雇用が流動化して職場すぐ変るから人間関係も不安定。山谷とか釜が崎とかに集っていた日雇い労働者も高齢化。若い日雇い労働者はネカフェの個室に一人きり。
こういうときに必要なのは、お金ばら撒きや職業教育よりも、人とのゆるい繋がり(コネ)と根拠なき自信。一旦繋がりが切れると対人関係の自信もなくなって二度と繋がれない。皆問題抱えためんどくさい他人と付き合いたくない。昔は地縁や血縁で面倒くさくても嫌々人と繋がってたけど。それで、格差っていうのは世間にある幸せコミュニティには自分は二度と入れないんだっていう絶望みたいなもの。ちがう?うーん、どうなろう?
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/06/h0628-1a.html
で、家族っていうのは相互扶助社会の最小単位。昔は伝統や世間体を理由にして嫌でも家族と付き合う、っていう前提があった(その代わり家族の中でどんなドロドロが起こっているかわからない。嫁姑問題とか親から子への体罰とか当たり前。貧乏な家の子供は小さな大人であり労働力なので、ひっぱたいてでも働かせる。中流以上の家庭の子供は、親の面子そのものであり大事な家を支える跡取りだから、親の敷いたレールからちょっとでも外れたら親とドロドロの喧嘩)。
そういう前提が日本が消費社会化するにつれて変った。まず、日本の住宅に団地というものが登場して、核家族が爆発的に増えた。核家族っていうのは1970年代のアメリカンホームドラマを模倣したもの。家電製品に囲まれた消費社会的な家族の始まり。そこから消費社会的な自由が進行して、お父さん仕事とオタク趣味、お母さんも仕事と女友達とお買い物、子供はモバゲーで皆バラバラな家族の出来上がり。一人に一台携帯電話持ってるから話したい人と話せる一方で、話したくない人とは絶対に話さないということも出来る。最近の家族はLDKの持ち家やマンションに一人一室の個室を割り振られて住んでるし。昔ながらの障子や襖で仕切られているだけのプライバシーの無い部屋なんてありえない。だから皆付き合いたくない人とは絶対に付き合わない。付き合っても嫌なものは見ない。というか無関心。でも、おばあちゃん、おじいちゃんはどこ行った?親に事情のある子供だって、昔は親戚に養子に出されたのに今は施設直行。
そんな人付き合いの伝統や義務が無くなって人間関係が流動化した時代に、一旦自信の無さの塊になって、人付き合いに自信がなくなるとあっという間に孤立。行政はお金が無く、制度は家族の相互扶助の前提を崩そうとしないのに、「家族が嫌いでも、それでもやっぱり家族なのだから支えあうのは当たり前」という大義名分を主張することが、消費社会的な自由を阻害しているということを皆直感的にわかっているから中々主張できない。そして地縁、血縁、義理や情などで、面倒くさいんだけど義務的に構ってくれる人はどんどん少なくなり、他人の無関心に囲まれて消えるように自殺する。
これから日本人は、縁に縛られて毎日同じ他人といがみ合う苦しみと、生まれたときから将来が見えてしまっている不条理と共に生きることを選ぶのか。それとも、縁から自由になりすぎて高速で自分の前を通り過ぎる周りに無関心になるむなしさと、不安定な将来への漠然とした不安と共に生きることを選ぶのか。今の時代はそれらの選択の分岐点なのか、それとも折衷の機会なのか。国が行うシスティマティックなばら撒き福祉が大事なのは当たり前。けれどもそれだけじゃなくて、自分が嫌いな人や嫌いな世代に対しても、関心を持って扶助しあうような相互扶助社会も必要なはずなのにね。皆自分のことだけを大事にして生きてきたわけでは必ずしもなく、お互いに面倒くさいことを求めない、嫌なことはしなくていい、貴方は自由に生きていい、という優しさと気遣いを持って生きてきただけなのに。
だから格差社会っていうのは、世代間や地縁血縁の相互扶助と承認が機能しなくなった、今の核家族・孤立家族といった家族社会の拡大版だと思う。
普通に話せよw
異性じゃなければ話せるの??
2人きりで相手もそれほど饒舌じゃなかったらこんな振りをされて会話を持たせるのは至難の業だよ。
男「休日とか、何やってるの?」
女「はぁ……まぁ出かけたりとか……」←この時点で相手に話す意思がないと普段なら切り上げる
男「え?どこへ?」←俺のバカーとか思いつつ反射的にくいさがってしまう
女「え?いや、色々……」←おまえには言いたくないよとの返事だとけとる
男「え・・・?言えないような場所?」←しかたがないので雰囲気をなごませようとする
女「いや、そんなことないけど……」←めんどくさいなとおもいながらも一応否定
男「いきなりプライベートな事聞いちゃまずかったよね。」←軌道修正
女「べつにいいよ」← ここでようやくふりだしにもどる
なんで増田はいきなり難易度の高いところから入るんだよ!
なんでいきなりなれなれしいんだよ!