2007-10-20

出産という労働

何故、出産は特別視されるのだろうか。

夫婦間における家事育児労働に対しては、それに金銭的価値を与えても文句は言われないだろう。きちんと給料として支払え、と主張する人だっている。

だが、出産は違うようだ。例えば、人工授精の貸し腹をビジネスとするなんて、とんでもないという意見が大半だ。とにかく、出産に関わることで金銭のやり取りは、そのような話をする事さえタブーなのである。少なくともこの日本では。

しかし、出産を特別視する必要はあるのだろうか。

常に命の危険が伴うのはそうだが、命の危険が伴う仕事は他にもある。極端な例えをすれば、スタントマンは命を売っているようなものであろう。命懸けであることをもって、出産を崇高であるとするなら、確率的に、スタントの方が余程崇高である。出産時の苦痛についても、同じ論が成り立つであろう。

あるいは、新しい生命の誕生に関わる行為に、金銭的価値を与えるべきではない、という意見もあるかもしれない。しかし、出産はそれのみで命を誕生させる事はできず、子供を作るという営為における一連の流れの最後に位置するに過ぎない。しかし、射精が、だから崇高であるという話は聞いたことがない。出産だけを「生命の誕生」として特別視するのは単眼的に過ぎる。

このように、出産を他の労働と比較して特別視する理由はないのである。

われわれは、いい加減に出産を一つの「労働」として正面から認識し、それを市場原理に任せるという選択肢を視野に入れるべきである。

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