2007-09-04

人権を否定したくなったときってどうしようもないよね

最近思うんだけど人権至上主義のいまの世界で人権が重荷になるときがこないのかな

例えば最近mixi関連でネット私刑流行ってるみたいだけど、そうゆう人たちは人権なんか考えてないよね。

責任を取る必要もないし、匿名で自分の人権を無視している姿を人にみられる心配もないから、行くところまでいってしまう。

こうゆうのを見てると本来人間人権を認めてないんじゃないかなって思う。

少なくとも人権を与えなくてもしょうがない人間存在を認めているんじゃないのかな…?

ものすごく胸糞悪くなるような事件が起こると2chではみんな犯人をボコボコに叩く。死刑を高らかに謳う。

でもTVとか公の場では人権がどうのこうの言って、人権団体犯人を全力で擁護する。

遺族の気持ちなんか完全無視で、水戸黄門の印籠のように「人権」という言葉をふりかざす。

たぶん「人権」にこじつければなんでも通ると思ってるんだろうね。その通りなんだけど!

憲法違反になるんだけど、僕は人権が認められない人間がいても良いと思う

最初から人権を認めないのではなく、人権を持って生まれる権利は平等に確保する。

しかし、人権を永久に保有する権利は認めなくてもいいんじゃないのかな?

人間には生きているだけで責任が発生するよね

社会の中で生きていかないといけない責任とか、他の人の人権を侵害しない責任とか。

責任をとるってことを「人が受けた痛みを自分もうけること」だとすると、人権を侵害した人たちに人権を認める必要はないと思う。

ひどい事件を起こした犯人は遺族に虐殺されてもしょうがないし、政府実験台にされてもしょうがないんじゃないのかな?

自分から人権を放棄したんだから

人権ってものは人の持っている能力ではなくて、社会が人に与える権利なんだから、社会で求められる責任が全うできない人間人権の所有を認める必要はないとおもうんだけどな…

でもこうゆうことは社会ではタブーとされていてこんな発言をするだけで「何を言ってるのあなた!!それ以上ものを言うのはやめなさい!!」って感じで何の答えもかえってこないまま、香水臭いヒステリックなおばさんに注意されたりする

でも、人間がつくった考え方なんだから絶対に完璧であるとはかぎらないのでどこかに綻びがあると思うんだよね

完全性とはあらゆる可能性を含むわけで、あらゆる可能性を含むということはその事象が固定されていてはいけない。もっと総体的で流動的なものでないといけないって村上春樹が言ってたと思うけど、人権に関してもそうだよね。

人権人間本来の完璧概念だとするのなら、もっと流動的な柔軟性を持たせた姿勢で考えないといけないと思うんだ

だから今日人権団体人権を振り回し、学校人権はすごいんだよなんでもできるんだよとか教えているのはちょっと危ない

人権否定派がナチドイツときヒトラー否定派のように何も言えないって現状はとっても怖いと思う

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