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はてなキーワード: アフリカとは

2009-02-20

ウォール街の人々は年収5000万円は端金らしい

とあるニュースより。

オバマ企業の幹部報酬の上限を年収5000万円に抑える法律を提案したら「そんな端金じゃあやってられねえ」(←べらんめえなのはニューヨーカーだからなのかなw)なんだと。5億も5千万も大金であることには変わりがない庶民の金銭感覚に訴えるだけのしょうもないニュースなわけだが、どう捉えたものかなあ、という漠然とした気分。「ウオール街の連中はとんでもねえやつらだ」と思わせたいのだろうけれど、何をいまさら、とも思う。

アメリカンドリームでやってきた人たちなんだから、そこを否定しても無駄な気がするし。

マイケル・J・フォックスが、金融関連会社メールボーイから成り上がるコメディ映画があったけど、あれなんかまさにそれだよね。

あ、古いよこの映画タイトルは忘れた。

でもまあ、年収5億の人がいきなり5000万って言われたらまあそういう気分にもなるのかな。

お金価値物価経済レベルと相対的なものだから、額そのものを云々行っても意味がないかも、とも思う。

ところで、アフリカとかで年収12万円の人は、日本の平均的年収600万円がこの不況で5%カットで大騒ぎ、なんて話を聞いたら「日本人はとんでもねえやつらだ」と思うのかなあ。

2009-02-19

 ヒラリー来日で興奮している場合だろうか?

中国は着々と資源外交で得点、満を持してヒラリー訪中を待つ

 胡錦涛アフリカ八カ国歴訪の旅を終えて北京へ戻った。

 主席として三回、副主席時代の歴訪を含めると合計五回、アフリカ諸国合計20ヶ国を訪問したことになる。

 『フィナンシャル・タイムズ』(09年2月10日付け)は、中国アフリカにおける「資源目当て」外交、その横暴な振る舞いを批判した。

 とくに露骨な投資コンゴに向けられており、道路鉄道学校病院建設北京政府は90億ドルもの資金を投入する。

 何が狙いか? 交換条件は銅鉱山だ。銅の鉱脈に付帯するのがレアメタルの代表=コバルト。これがないとハイブリッド車エンジン触媒や高速輪転機の裁断機などが生産出来なくなる。

 つまり戦略物資の独占的確保である。

 かつてコンゴ内戦コバルト鉱山の権益をめぐって争われ、ベルギーフランスなどが落下傘部隊を投入してコバルトを守った。

 モブツ・セセ・セコという大統領が同国に君臨していた時代、凄まじい汚職国民は疲弊し、一方で、モブツ大統領専用機に、秘書官三十数名を連れて欧州にたびたび出現し、保養地で遊んだ。

 秘書官の大半が美女で、何故「秘書官」か分からないほど政治も国際情勢も知らなかった。

 

 中国スーダンアンゴラ石油鉱区を保有し、輸入石油の20%前後は、この両国からである。ナイジェリアタンザニアにも触手を伸ばしている。

 資源大陸アフリカにおける列強の角逐に、日本外交今日も拱手傍観を決め込んでいる。

日本中東においてすら独自の「日の丸鉱区」を失っているのに。。。

2009-02-16

[][]自己欺瞞

日本人アフリカの貧しい子供には募金をしたり、貧困をなくそうと努力するけど、自国のホームレスには関心がない

2009-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20090210152316

別にアフリカ子供を個人的に愛する必要はないんじゃないか?

彼らを救うのは、そうすることが正しいから、で俺には十分なんだが。

なんの利益感情的満足も必要ない。

見知らぬ他人の命なんてどうでもいい。アフリカでは何秒に一人ずつ子供が死んでいます!なんて言われても,統計への興味以上の感情は抱けない。遠い国で誰かが100人死んでくれれば愛犬が助かるというなら,犬の方が尊い。私に与えてくれる効用が大きいもの。いや愛犬はとうの昔に死んでしまったけど。

たまたま同一の種に属する個体であることが,そいつらを愛する理由になるのか? 遺伝子の多くを共有しているから? そいつらを守るように染色体が命令するから? 行動セットとして生存競争適合的であることは認めるけど,少なくとも私にはそんな命令は聞こえてこない。

人類愛に入れ込んでしまう人,社会運動や人道活動に自分人格価値を預けてしまう人は,どこか不健全な気がする。動機を勘ぐるのは上品じゃないが,何が彼ら彼女らをしてそうさせているのか気になる。直接の被害者とか,現場に知己がいるとかならわかるけどさ。無限に愛が広いのか,無限に愛が広い自己像が大好きなのか,無限に愛が広いふりをすることで得られる社会的利益がほしいのか。

2009-02-08

大陸臭は動物

 ~動物臭ことってどんなこと? 他人を気にしないこと~

 動物はそこらに糞尿を垂れる。なぜならば,「他人」という概念がないからだ。

 当たり前のことを書くけど,「人間は何故服を着るの?」ということは大切に問題だ。

 全裸であれば,他人に不快感を与える可能性があるからだ。肉体は,よほど清潔にしていなければ匂いもするし,不潔感もある。

 現代のように毎日シャワーにあびれる環境ではなく,昔のようにこまめにフロに入れない時代であれば,皮膚病もあるし,とにかく清潔ではなく,相手に不快感を与える。それが「清潔にされた特別な美女」でない限り。

 このため,人は衣類を着用する。

 衣類を必要とする理由は,自分のためではなく他人のためだ。

 あなただって,もしも無人島に一人しかいなくて,助けに来る気配もないとする。まわりには動物かいない。気候が温暖であり,岩場やとげのある植物もないようなところだったら,それでも衣類を着るだろうか?

 自分の汗なくすため,こまめに洗濯をするだろうか?

 いま貴方はどんな部屋にすんでいる?

 頻繁に友達や恋人が訪れる部屋ならば,掃除が行き届いてるいることだろう。部屋が不潔であることは,来客に対して失礼であるからだ。

 しかし,誰もこなければ部屋は汚くなる。

 「他人のため」という意識が,人の自律をうながす。

 他人という存在知覚し,理解するからこそ,つまり「社会」という概念があるからこそ,言葉遣いも正確になって誤解のない表現をつかい,几帳面になり,物事にたいして正確になる。

 他人を意識するからこそ,他人に共感するからこそ,他人の権利や心情を理解し,他人の権利を侵害しない。つまり,違法な行為をしない。

 すべて人間だけが持つ能力だ。

 動物には「他の者」という概念がない。世界には自分一体だけだ。だから,誰にも関心を示さないし誰からも関心をもたれないと思っている。

 従って,他人の権利という意識もないから,女が欲しいとおもったら犯すし,空腹になれば盗むし,感情的になれば殴るし,違法な行為をする。

 能動的にしなくても,自分の義務を全うしない。法律に何がかいてあっても,「ただの紙」と思う。

 人間であれば,常に他人の目を意識する。だから,感情的になるような不愉快なことがあっても,社会秩序と自分の権利義務の範囲で行動する。

 動物人間の違いは,「他人の目がある」という意識があるかないか,ということにある。

 だから,私たちは,不潔な格好をしていたり,いつも「へらへら」とわらっている気色の悪い表情の者や,円滑に会話することすらできないほどの無知,その他の「反社会的行為」が起きる。

 結論をいうと,人間犯罪をしないし,動物は「躾」や「鎖」がない限り,必ず犯罪違法行為)をする。

 動物は「ルール」を理解できない。

 自分がそのとき考えたことが「ルール」である。

 動物には意思がない。だから,いきなり性行為を強要したとしても,「嫌だ」という意思がないのだから強姦にならない。

 従って,動物同士には,窃盗強姦もない。「とられたら嫌だ」とか「おかされたら嫌だ」という意思がないからだ。

 しかし,これを人間相手にしたとき深刻な被害が生じる。

 他人の心(犯されたくない,殺されたくない,傷つけられたくない,盗まれたくない等)は,そもそもそこに心があるからこそ,「読みと力」が発達する。

 誰も意思がなければ,共感能力を発達させる必要性がない。

 相手の意思を確認する能力,それが共感能力であり,これは人間前頭葉にあるミラーニューロンによって機能する。

 この前頭葉には,ブロカ野といって言語を司る機能がある。

 言葉とは,相手の表情や筋肉の動きからではなく,より的確に「相手の心」を把握する手段だ。だから,人間だけが言語を発達させた。

 「他人と連携するため」に。

 動物は,一体でいきている。そこに「他人」という概念がない。

 だから,法律も守らないし,法律という意識がそもそも存在しない。他人の所有権という概念を理解できない。そして,たいてい,言葉がろくに話せない。

 単語を発することが出来るが,オウムのように何かを模倣して繰り返すか,コピーのみできる。どれも「不適切」な用法で。

 だから,人間社会言葉を話せない者,聞けない者を人間として認めない。

 (ただし,その人が幼児または動物にかこまれて半生を生きたため言語能力が発達していない場合除く)

 動物世界では,反対に言語を自由にあやつる者を「動物として認めない」。

 さて,以上までは社会科学の立場から論じた。

 自然科学の立場から,「動物」を論じることが今,世界中で起きている。

 事の発端は,「恐怖の大魔王」が世界を滅ぼすという予言のあった1999年,人類起源そのものをかえてしまう発見ポルトガルであったことだ。

 人間サピエンス)と,旧人ネアンデルタール)の混血化石発見されたことだ。

 2002年,米ワシントン大のアラン・テンプルト博士が,人類の常染色体の10座標から,原人旧人の血統を発見した。

 2008年,この研究発表に対して様々な反論がくわえられたが,ついに断念,人類の「混血」が確定した事実となった。

 混血の頻度は,西欧がもっとも低く,ついで東欧中央アジア東アジア,の順となっている。

 ネアンデルタールは,人間に似た形をしているが人間ではない。共食いが大好きだし,空腹になればまず子ども妊婦を殺して食べる。

 感情的になればすぐ相手を殺すし,つまるところ他の動物となんら違いはない。

 ボスの座をめぐって,殺し合いをするチンパンジーの習性と全く違わないし,子どもの脳(栄養価の高い)を食べて空腹を満たすチンパンジー母親となんらかわることはない習性を持つ。

 言語ははなせないが,石器などから人間の真似をすることはできる。勿論,劣化コピーとなる。

 旧人はお互いに交流しないと連携しない。だから,交易はない。たいてい,近親相姦によって子孫を増やす。

 遺伝的に等しいので,近親相姦をしても問題がないのだ。

 進化の速度がはやい人類は,劣性遺伝があるので,近親相関は奇形児の生む確率が高い。しかし,旧人進化の速度が遅くて均一しているので問題ない。

 勿論,「旧人との混血なんて無いはずだ」と感情的にただ叫ぶ者もまだ世界には多い。

 だが,考えてもみてほしい。

 人間であるあなたは,「全て人間だ」つまり自分と同じだと思えるだろうか。「全て」に対して。

 エドマンド・バーク偏見の大切さを論じた。

 人間の「裸の理性」(思いつき)によって為されたことは失敗し,長い歴史時間の積み重ねによって得た英知が,「偏見」にあると論じた。

 確かに,一つや二つ異常をみたところで,人は先入観を抱かない。

 歴史的に連続した「異常」によって,偏見が形成される。偏見は,すぐにはつくられない。

 もちろん,偏見の中にも,時代の変化によって不適切なものが含まれてくる。その場合は,再び時間の経過によってその事象が偏見の中から削除される。

 あなたは,今までの人生の中で,明らかに「人間ではない存在」を多く見たり,或いは新聞ニュースの伝聞で聞いているはずだ。

 犬は犬に対して異常とはおもわない。しかし,人間が犬の行動をもし「人間がしていたら」と思うと,「異常だ」と思う。吠える,噛む,糞尿をたれる。

 しかし,「あれは犬だから」と認識することで自然だと考える。だが,もし犬が形態的に人間とあまりかわらない形をしていて,かつコピーされうような人間言葉をある程度再生できる能力を有した状態で,「犬の行動」をしたらどうなるか。

 「異常」とあなたは感じるだろう。

 なぜならば,人間の中には,吠えたり噛んだりする者はいないからだ。

 しかし,人間の形をしていることに違和感をおぼえる。

 あなたは「視覚」と「偏見」どちらが正しいと思うだろうか?

 あなたの偏見は,人間価値基準での偏見だ。

 参考までに,一つの「事実」を示そう。

 「プレ・ネアンデルタール」というのがいる。これは人間とそっくりだ。何故ならば,人間から分離して別の進化(まはた退化と呼ぶべきか)を遂げてから間がないからだ。

 そして,旧人には渡航能力がない。まだ島と大陸が同じだったとき,または氷河期に海面が凍結していたときに徒歩で移動した。

 従って,原則,アフリカユーラシア大陸にしか旧人はいなかった。

 イギリス日本にも徒歩で移動できるが,島であればそこにいるだけの旧人を殺してしまえば,後から「次は来ない」。

 旧人に接した人間は,どう変化するのだろうか?

 以前まではの内容は,いままで散々日記に書いてきた。過去4年間にわたって書いてきた。

 ここからが,「旧人と接しつづけた人間は,どうなったか?」という新しい考察だ。

 いや,そもそも「なぜ,旧人人間から離れてしまったのか」。

 進化論インテリジェンスデザイン論も,根拠がない。

 人間は猿から進化したといっても,その「進化した様子の化石」がいまだ発見されず,「失われた輪」であり,想像の産物に過ぎない。

 一方で,神などの知的存在人間デザインしたという説も,具体的な根拠がない。進化論ID論も物証がない。

 しかし,私はアラブ人,シナ人,朝鮮人などをみて思うのだ。

 「彼らが,次の旧人ではないか」と。

 次の,というのは現時点で彼らの中にホモサピエンスがいることに違いはない。しかし,明らかに彼らは島嶼部の人類形態的にも試行的にも異なる。

 専門的なことをかくが,島嶼部の人類および「アダム」の時代とされる初期のホモサピエンスの頭示数は81以上-86未満であるのに対して,大陸人類は頭示数が86以上であり,サピエンス形態的に変化しているのだ。学術的には「過短頭」と呼ばれる。

 もはや,目でみて「大陸人間だ」とわかるようになるまで形態的な差が生じてきている。

 ここで私は考えた。

 もし,生まれたときから旧人と共に生活し,それが何世代にもわたってしまえばどうなるのか。

 恐らく,心を持つこと自体不毛であり,精神的につかれてしまう。他人をおもいやる気持ちをもっていても相手は自分を尊重しない。

 愛しても愛されない。守っても守られない。盗まなくても盗まれる。犯さなくても犯される。傷つけられなくても傷つけられる。殺さなくても殺される。

 この時,「他人を思いやる気持ち」(共感能力)を持つ人間は,精神的に疲弊して,やがて死んでしまうのではないか。死ななくても,子孫をつくる気力さえなくなってしまうのではないか。

 こうして,人類の中にも,旧人と共に暮らしてきた者は,「共感能力をなくす」つまり,退化するということで,旧人に対応したのではないか。

 動物に対応する方法は二つあって,動物を殺して統制して飼い慣らすか,或いは自分自身も動物になってしまうことだ。

 能力の高い人間動物を統制して対応し,能力の低い人間は同化したのではないか。その際に,全てを捨ててしまったのではないか。

 つまり「人間性」を。

 朝鮮人,シナ人への偏見は,「非人間性」を持つ。それは今更説明しなくても報道をみればわかる。

 そして,旧人ユーラシア大陸に分布していた。原人も同様だ。

 彼には明らかに退化している。人間としての機能が退化している。「他人を思いやる心」が無い。共感能力が無い。法がない。

 退化することで,自然淘汰を免れ,旧人と共に暮らす進化ベクトルおせんだのではないか。

 ここで一つの答えがある。

 どうして,プレ・ネアンデルタール人間から分離してしまったのか。後期型ネアンデルタールは明らかに人間と違う形態をしているが,初期型ネアンデルタール,つまりプレネアンデルタール人間と極めて似通っている。まだ分離して間がないからだ。

 このため,「進化している」と当初勘違いされた。実際,ネアンデルタールは80万年前に人類から分離して「退化」したのだ。

 なぜ退化したのか。

 そこには「原人」がいた。原人にふれた人間が,「他人を思う心」をなくすことで適応し,それが旧人へと「退化」したのではないか。

 ならば,大陸に住む人類の末路でなはないか。

 彼らは知能の問題から,人間動物を見極める能力を有さない。だから信じては裏切られ,ということを繰り返し,そのうち考えることも信じることもやめて,機能そのものを遺伝から削除した。

 退化した。

 それが生きる術だった。

 島嶼部の人間は,旧人を殺せば次はこないため,人間同士で生活し,人間特有の機能をそのまま進化させた。

 協力すること,信じること,愛すること,理解すること,尊重すること。

 アルフレッド・セイヤー・マハンによれば,シーパワーランドパワーはあきらかに区分することが出来るとする。

 それは地政学上の問題では論じることの出来ない,思想・思考の違いがある。

 ホモサピエンス,つまりアダムの子孫が住む地域は,日本イギリス台湾,およびこれらのイギリス人の子孫が入植した地域に限られる。

 その日本でさえ「人間が混じっている」という状態だ。

 なにしろ,1万年前まで日本大陸は陸続きだったのだから。

 人間人間でいることは,孤独の場合つらいことだ。

 自分が信じても相手は信じてくれない。自分が誠実にしても相手は適当。与えた分だけ相手に着服される。

 そんなことを繰り返していては,自分が死ぬ。だから,死ぬ前に彼らを殺すか,或いは自分自身が「彼らと同じになる」しかない。選択肢は二つしかない。

 私は,旧人を殺すことが正しいと思う。

 それは私の生育環境人間が多かったことが原因していると思う。

 私のこの意思は,ここに矮小ながら発信している。

 あにたは私の意思に共感するだろうか?

 もし共感したならば,もっと私を知って欲しい。私の考えや発想を暗記するほどに知って欲しい。そして私の目的をより理解してほしい。

 それがあなたの利益になるのだから。

 一体だれが,愛のない世界,他人の協力のない世界に生きたいのだろうか?

 この文明は,一人ではできない仕事だ。

 「他人を信じ合い,協力すること」でビルがたつ。製品が出来る。

 人間社会幸福を私たちはしっている。

 これを壊すことなく,維持発展させるには,旧人原人を皆殺しにすることだ。

 その方法は,唯一,私たちが共感能力をもちいてお互いに共感しあうことになる。

 共感すること。それが人間の力だ。

最近は「DISりたい奴の文章を勝手増田転載してブックマーカーに叩かせる」という手法がはやってるらしいので、某所で見かけた電波文を載せてみました。

2009-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20090207021257

ゾマホンが建てた最初の学校って、誰かに放火されたって風の便りで聞いた。

現地に喜ばれない学校無駄になるんじゃないだろうか。

あと民意は別にして、国家統制下の学校なの?私塾の延長にある学校なの?

日本英国の学制って、工場労働者をつくるために出来たって説を聞いたことがある。

インドアフリカ学校が出来て、卒業生はどこにいくんだろう?

http://anond.hatelabo.jp/20090207134813

男性の嗜好として「比較的年齢の若い女性が好かれる」傾向は全世界的に共通だと思うのだが。

たぶん「若さ」じゃなくて「子作り適齢期」だと思うよ。

世の中には子作りに最適な時期を過ぎた女性の方が多いから、若い=子作り適齢期に近い=好かれる、という図式かもしれんが、子どもを作るに適さない年齢は興味の対象外。

仮にヒトが子どもを産んだらすぐ死ぬような生態だったら、年上ほど好かれてたかもしれん。

まぁ10歳で妊娠とかアフリカニュースでちょくちょく見かけるからおよそ不可能ではないにせよ、適齢期かというと違うよねぇ。

で、14くらいから適齢期に入って、18くらいがピークで、あとは緩やかに下がるけど。かといって35歳はまったく不適かというとそうでもない。これに対し10歳の幼女はおよそ不適、な気がする。

つまりですね。

14歳が好きな俺はロリコンじゃねぇ!

と、そういうわけです。

2009-02-04

海賊定義

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090203-00000605-san-pol

民主対応遅れ いまさら「海賊定義」議論

2月3日21時7分配信 産経新聞

 民主党は3日、外交防衛部門会議を開き、アフリカソマリア沖の海賊被害の実態について外務、防衛両省、海上保安庁からのヒアリングを行った。自衛隊法の海上警備行動で海上自衛隊護衛艦派遣するとした政府の方針に社民国民新両党などが反対する中、民主党依然態度を明確にできないままだが、会議では、いまさらのように「海賊定義」を問う質問が飛び出すありさま。同党の海賊問題への対応の遅れが一層浮き彫りになった。

 民主党は昨年12月に2回、部門会議海賊問題について議論したが、年明けから政府与党内でソマリア沖への自衛隊派遣論議が熱を帯び始めてからは初めての会議となった。与党海賊対策プロジェクトチームを8日から13日の日程で現地視察のためにジブチバーレーン派遣するほか、自衛艦派遣の根拠となる海賊対策新法の整備に向けた作業も進めているのに、民主党はようやく対応の検討に入ったわけだ。

 しかし、この日の部門会議では、足踏み状態から脱出したとはいえる議論はなかったようだ。藤田幸久参院議員が「海賊定義は何か。犯罪なのか。テロなのか。組織性はあるのか」と外務省に問いただせば、谷岡郁子参院議員も「まず民間船舶会社自己責任国の責任の区別をきちっとすべきだ」と主張するなど、「そもそも論」が噴出したのだ。

 同党は政府が新法を提出することを見据え、3月中にはスタンスを固めたい考えだが、寄り合い所帯ゆえに党内でも見解は真っ二つに分かれており、意見集約は容易ではない。自民党からは民主党はいまごろ『海賊って何だ』という議論をしていて、大丈夫なのか」とあきれる声が上がっている。

いっそのこと「体がゴムのように伸びる」とか定義すりゃいいんじゃねーの?

2009-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20090203001341

簡単にいうけど、ひとりじゃほとんど無理だって。

たとえば、うちは今月の頭、親子そろってインフルエンザで倒れてたけど、

こういうとき、お役所から誰か来て料理してくれるの?

だいたい、半年にいっかいくらいは、どうにも都合がつかないので、

ばあちゃん助けてくれ! みたいなのがある。うちは夫婦そろってるのに。

アフリカあたりは、人間がありあまってるわけだから、

そんなに青筋立てて出生率を増やすこともないと思うが、

どうしても日本人を増やしたいというなら、

もっと家族生活を大切にする文化を育てる、

安定した経済社会をつくる、という、王道をゆくしかないんじゃないか。

2009-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20090202214146

若い人が多ければ新技術へ対応できるともいえないんじゃないかと。アフリカとか出生率高くて若者多いのに技術が遅れたまま。新技術への対応で重要なのは教育でむしろ子供の数が多いほうが教育の質をあげやすいので対応しやすいと思う。実際先進国後進国より出生率は少ない国ばかり。

2009-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20090131111455

近代経済発展の始点が「資本の蓄積」なのは高校世界史産業革命帝国主義で教えられている、いわば日本の常識

人口の増加」以前に「大量生産」が必要(大量生産品は購買層が無ければ不良在庫の増加でしかないわけで)。そのためには「大量生産装置」が必要で、そのためには「資本」が必要だったり「手工業」に従事している連中との主導権争いとかさまざまな経緯を経ないと「経済成長」には到達しない。帝国主義ってのは自国内の人口が頭打ちになったから海外の国に売りつけることから始まっているし。

というわけで、何の前提も書かずに「人口の増加」が机上の空論と書く奴は馬鹿

経済成長の諸要因が揃えば「人口の増加」は経済成長に必須だし、諸要因を欠いた「人口の増加」は貧困の増加でしかない。

ちなみに白人アフリカから黒人奴隷としてラテンアメリカ地域に輸入していた時代、アフリカ側には輸出していた国というか部族があった。戦争で勝った部族が負けた部族を奴隷として輸出していたのな。

当然対価は受け取っていたんだが、族長とかが装飾品とか武器の購入に使ってしまい、「資本の蓄積」にはならなかったんだってさ。

http://anond.hatelabo.jp/20090131105710

高校からやり直したって結論変わりないと思うが。

アフリカ人口増えてるし経済発展もしてない。

むしろ出生率低下してから成長するほうがよくあるパターン

http://anond.hatelabo.jp/20090131014404

先進国のほうが後進国より出生率低いけど経済発展してるわけで人口増加で成長するというのは机上の空論だろ。アフリカとか昔から人口増加率トップクラスだが相変わらず貧困国ばかりという現実直視すべき。

2009-01-19

チョコレートが好きという人に聞きたい

あなたはチョコレートの何が好きなのか。カカオ成分か。ならカカオ86%とかのチョコを心の底から「旨い」と思うのか。そうでないならあなたは「乳脂肪砂糖が好き」なだけではないのか。カカオはその(カフェインなどの)薬理作用によって体が欲しているだけで、ミルク砂糖で苦みをごまかさないとおよそ食べられない代物ではないのか。チョコレートについて好意的に紹介する記事でも、チョコレートは「食べ物以上、薬以下」という向精神作用があることを認めている(

http://journal.mycom.co.jp/column/lifehack/019/)。また、場合によってその中毒性は非常に危険でもある。甘い口溶けに誑かされるのは危険ではないか。

あなたはチョコレートの何を知っているのか。あなたの食べているカカオは、ガーナアルジェリアコートジボアールなどの大規模カカオ農場で人身売買によって働かされている児童奴隷によって生産されているかもしれない。そしてあなたが支払ったカカオの代金は、彼らの生活の向上ではなく紛争地の兵器や弾薬のための資金になり、アフリカの人々を更に傷つけているかもしれない。日本で食べられているカカオの80%はガーナ産。フェアトレードと謳われていても油断はならない。(参考:「チョコレート真実英治出版 (2007/8/27) )

あなたは食品としてのチョコレートを理解しているか。チョコレートに含まれるテオブロミンは、人以外の大抵の動物にとって代謝できない毒物であることを知っているか。またカロリーにおいても、板チョコレート1枚(70g)のカロリー約400kcalは、どんぶり飯一杯分、ポテトチップなら一袋分に匹敵することを知っているか。それだけのカロリー量を消費するのに、最短でもたとえば40分から50分も水泳しなければならないことを理解しているか。(http://www.kenkoukagaku.jp/calc_asp/chocolate/kekka.asp?ans=yes)軍用レーション登山者が非常食として携帯する理由はその濃密なカロリーにあることを理解しているか。それがもたらす未来に気づかず、軽い気持ちで「チョコレートが好き」などと言ってしまって良いのか。

クッキーを食べるのもチョコレートを食べるのも良いし、決めきれずたけのこの里に手を出してしまうのも避けられないかもしれない。だが、何を選ぶにしても大切なのは、あなたがその対象をどのくらい知っているかということではないだろうか。何も知らずお菓子を食べ散らかしたら必ずあとでヒドイ目に遭うのだから。

http://anond.hatelabo.jp/20090119081207

※比喩に全力でマジレス

2009-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20090113105115

人口が激増してるところ(中国とかインドとかアフリカとか)がそんなに幸せだとも思えないけどな。

2009-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20090110061536

それ高校倫理教科書に書いてあった。日本では「○○してはならない」が道徳教育だけど、日本以外の国では(特に欧米とは書いてなかったからアジアでもアフリカでもそうなんかな)「○○しなさい」が道徳教育だと。

で、誰かブロガーが書いてたけど、日本人のほとんどは悪いことしないけど、でも少しはする。いいことはほとんどしない。外国人日本人よりも悪いことをたくさんするけど、いいこともたくさんする。で、外国ではいいことをするから、そのポイントを悪いことから差し引きすると、かなりのプラス点になる。一方、日本人はいいことはほとんどしないから、わずかにある悪い点がそのままマイナス点となり、結論として「全体として外国は善」「全体として日本は少し悪」となる。と書いてる人がいた。

2009-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20090107154114

50年代60年代のアフリカなんかの植民地からの独立運動もそうだよね。民族自決っていう。自決した結果が貧乏でも…って気持ちはあったろうね。

2008-12-29

2008年エクストリームエロゲーベスト

エクストリームエロゲー……それはあまりにも「やりすぎた」挙げ句、泣けるとか萌えるとかエロいとかを通り越して、もはや笑うしかないエロゲー

それは、エロゲーという日本オタク文化の極北においてさえ異端としてしか存在できないもの。

というわけで今年プレイして「こいつぁエクストリームだぜ!」と感じた名作ベスト5を紹介する。

 

  • 1位 わるきゅーれ『女体狂乱』(2008/08/22)

文句なしにエクストリームエロゲー横綱

というか、これを紹介したいがためにこのエントリを書いている。

アフリカの一部の部族のように伸ばした乳房で蝶蝶結び、自分の身体より大きくなった乳房に寝そべる、乳首チンコ化、野生化……何を言っているのか分からないと思うが、本編はもっと訳の分からないシチュエーションばっかり(というか、それしか存在しない)なので覚悟するように。

制作者のあまりにも発達した想像力には脱帽するしかない。

  • 2位 Delta『飼育白書 ??鎖に繋がれた同級生??』(2008/07/25)

全編獣姦という、動物好きにはたまらないであろう一本。

最初は『犬の花嫁』というタイトルだったが、あまりにも直裁的だったためか、発売未定になった後に現在タイトルに変更して無事世に出ることとなった。

また、ルート数削減のためなんだろうが、ハード選択肢とヌルい選択肢が出てきた場合、プレイヤーがヌルい方を選んでも「いやそれじゃ手ヌルいな!」的なことを言って結局ハードな行動をとる主人公自分勝手っぷりは強く印象に残る。

萌えゲー的なパッケージで、公式サイトで紹介されているCGもとってもソフト

実際、本編にはエッチシーンが一つもない……が、この作品がその本性を現すのはクリア後。

ここではアナザーストーリーとして各キャラクターエッチシーンが開放されるんだけど、これがもうエクストリームなまでにハード

フィストファック・異物挿入程度は当たり前、子宮摘出・内臓破壊などもはや「これはエロいのか?」と不思議に思うレベルにまで達している……が、この作品で真にエクストリームなのはそこではない。

萌えゲーを求めて買った人はショックでブチ切れるだろうし、その逆にハード系好きは「なんだ萌えゲーか」と一見では回避するだろうし、一体何を考えているのかサッパリ分からない制作者が一番エクストリームである。

  • 4位 スワンアイ『孕ら☆みん!! ??催眠中だし子づくり宣言??』(2008/05/30)

はっきり言ってこの作品自体は別段大したことがないんだけど(いや全CG妊娠ver.になるという凄い裏モードはあるけど)、凄いのはこのスワンというメーカー企業姿勢。

『孕ら☆みん!!』『孕ら☆カノ!!』『人妻お姉さんとツンデレ幼なじみの孕らんだ関係』『姉は教師で新人メイド ラブラブ孕ませ生活!』『孕ら巫女姉妹』と、この1年だけで孕ませテーマゲームが実に5本!

それ以外もサンプルCGを確認するとボテ腹CGあり!

一体何がこのメーカーをここまで突き動かしているのか分からないが、この異常な愛情は十分エクストリームだ。

2位に引き続きDelta登場。

一体このブランドはどこを目指しているのか。

本作のウリは「全編ふたなり」で、『飼育白書』に比べれば題材的にはやや大人しい。

だがエクストリームなのは主人公ふたなり)の行動で、電車内で後輩に欲情して痴漢レイプされる憧れの先輩を見ながらセルフフェラ、その先輩と衝突した挙げ句逆ギレしてレイプなど、そのリミッターのはずれきった行動には大笑いさせられた。

言わずもがなの一本。

クソゲーの新たな領域を創り出したという点において、これも一種のエクストリームゲーと言って良いのではなかろうか。

 

ここで紹介したものは、お世辞にもシナリオが良いとか、作品としてとても優れているとは言い難い面もある。

ただ、エロゲーというある種のキワモノ文化の特色を最も活かしている作品群であることは確かだろう。

エロゲー規制の話が出ると必ず「いや感動するものもある」「素晴らしく考えさせる作品がある」的な反論をする人がいるけれど(ちょっと違うけど堺市のBL本問題でも似たような論調の人がいた)、ああいう反論は逆にジャンルの幅を自ら狭める結果になるから危険だと思う。

そういう「よくできた」作品がある一方で、ここで挙げたような、個性と勢いだけで突っ走った作品もあってこその文化だろう。

あと最後に、「これを見逃している!」「てめー目の付け所がなっちゃいねえぜ!」という意見があったら是非教えてください。

2008-12-25

http://anond.hatelabo.jp/20081225181704

まてまて、、なぜそれが、アフリカのめぐまれないこどもたち…

2008-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20081130144046

でも、浮気や行きずりも含めて、一生のうちにたった1人の男

としかセックスしない子なんて滅多にいないわけで。


どうでもいいはなしだけど、うちのオカンは(いまのところ)明らかにそう。オトンがはじめての相手で彼氏

80年代半ばに交際をはじめたようなんだけど、曰く、当時はいまほど男女交際が乱れていなかったと。

さすがにオカンのような例がメジャーではないとしても、付き合っても3,4人とかそれくらいで、なによりもセックスにまでおよぶカップルもそう多くなかったと。

こういうのって時代とか地域差がすごく大きいものだから、どこぞの社交界かキリスト教コミュニティあたりの例外的な話に思えるかもしれないけど、舞台地方都市郊外大学が密集する学生街。もっとヤリまくっててもよさそうなもんだけど、そうでもなかったらしい。

80年代ってポストモダン全盛でみんな差異に戯れってたんじゃないの、とか勝手想像してたんだが。

あれかね、恋愛資本主義(笑)の完成にはバブルの到来を待たなければならなかったのかね。まだ恋愛が多少なりとも慎み深かった(?)時代の最後の徒花、とか。

以上、そんな母親に育てられたからかは知らんけどこのまえヤラハタ達成した童貞談。

ついでに。

 アフリカの某部族の女子割礼(幼児のうちにクリトリスを切り取る

 史上最悪の儀礼)って、それが目的だし。


史上最悪の儀礼とか調子乗って断言しちゃってるけど、それはあくまで今日的観点からのおはなしね。

女子を交換可能な財、として見なすなら決して間違っちゃいない。

http://d.hatena.ne.jp/Britty/20081217/p2

こことか読むとわかりやすい。性の悦びを知らなければ浮気する可能性は低減できるわけで、結果として血族の純潔性はいっそう高まる。

日本でも明治以前は、程度の差はあれこうだったわけでしょ。政略結婚とか。もちろんさっき書いたように時代・地域差があるけど。夜這いしまくり江戸自体の一部農村とか。

そんでそういう発想の極北として女子割礼はあるのだけど(いやあ人間知恵って恐ろしいねえ最初に思いついた某部族の父祖は偉大だよある意味)、西洋近代価値観とは当然衝突するよね、と。

どんな文化にも独自の価値観があるわけで、それを尊重するのが文化相対主義なんじゃないの、と。それでも普遍的な倫理は成立しうる、という立場もあって、まあどうしても衝突するわな。

話がそれたけど、要は他のものさしを知れ、と。枝葉末節だがな。

いちおう断っておけば、俺個人としては女子割礼はナシだけど、それは俺が現代日本の文化に馴染み育ってきたからであって、よその文化がそういうことをしていることについては口出ししないよ、というのがスタンス

……これって処女うんぬんの議論にも適用できんじゃないの? どんだけ罵りあったところで、結局は個人の内面の問題、「人それぞれ」としか。

それがなんでこんなにも気持ち悪く盛り上がっているのかといえば、実際のところは「処女厨きめえ」という罵倒の欲望だよね。ただ「きめえ」じゃ頭が悪いから、もっともらしく現実の例とか学問とかを引っ張り出してそれらしく見せてるだけ。

あと万人の万人に対する恋愛観の闘争。俺(私でも僕でもワシでもなんでも)はこういうふうに恋愛してきて学習しました俺なりのテツガクがありますだからおまえの恋愛観はおかしい、と。

金銭感覚とか習慣とかもいい話のタネだけど、話題がことセックスまわりになるとどうもおかしくなるよなあ、とは思う。

2008-12-18

勝間和代アフリカ

http://mainichi.jp/select/biz/katsuma/k-info/2008/11/post-3.html

この体験本にまとめないかな・・・っていうかするだろうな。

立ち読みじゃなくちゃんと図書館で借りて読む最初の勝間本になりそう。

2008-12-17

日本人アフリカイメージがつかないように一般人には最下層のイメージがつかない

努力が足りない」論の根本的な問題がここにあると思う。

マラリア対策で支援された蚊帳を漁業に使う話をネット民が「バカなの?死ぬの?」と笑っているように、

普通に暮らしてる一般人にとって下流派遣だのなんだのって話は「ハァ?」って言うレベル

自分達は今も昔も普通に暮らしている。

多少の苦労もあったかもしれないけれども、

とりあえず平穏無事に満足な生活をしている。

給料は少ないかもしれないけど、幸せだ。

だから、「なんでこの程度の暮らしができないの?」と思ってしまう。

この問題は理解不能なんだ。普通の人には。

だから何か良くわからないものへの理由付けとして努力論が出てくる。

自分達があまりに普通に暮らしているせいで、それ以外が考えられないんだから。

だから対策とか職業訓練だとかなんだとかを上の人間が考えても今ひとつ効果がないんじゃなかろうか。

誰も問題の原因がわからないんだよ。あまりにも自然に出来上がりすぎてて。

http://anond.hatelabo.jp/20081217113533

自分に見えてる世界しか見ようとしない人? よくいるよね。そのうちアフリカで飢えて死ぬ子供努力が足りないとか言い出しそうだな。

2008-12-15

http://anond.hatelabo.jp/20081213214440

タバコの煙をくっさい体臭や、口臭にでも置き換えて見ると、

言っている事がおかしいのが分かります。

目の前でくっさい臭いを撒き散らしているおっさんがいても、

そんなものより排ガスの方が体に悪いから我慢してやれと?それは変ですよ。

それに、排ガスどころか、自動車事故とまで結びつけるなんて意味不明すぎます。

自動車事故より危険じゃなかったら文句を言えないんですか?

っていうかあなたの論理だと、喫煙者が可哀想って言えば、分煙だって何だって否定できるんですけどね。

あなたが勝手に喜ばしいか必要以上かのラインを引いてるだけですよ。

私にとってはまだちょっと不十分ですね。

結局は「気になるかどうか」です。

アフリカ子供バンバン死んでても、大して気にならないのに、

野菜の値段には目を血走らせる人が沢山いる。人間なんてそんなものです。

そして、私はトラックが、目の前で黒煙噴出すレベルじゃなければ、

歩いてるおっさんがふかしてるタバコの煙の方が煙いし、はるかに気になります。

だから、「人の側での」路上喫煙には反対ですね。

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