見知らぬ他人の命なんてどうでもいい。アフリカでは何秒に一人ずつ子供が死んでいます!なんて言われても,統計への興味以上の感情は抱けない。遠い国で誰かが100人死んでくれれば愛犬が助かるというなら,犬の方が尊い。私に与えてくれる効用が大きいもの。いや愛犬はとうの昔に死んでしまったけど。
たまたま同一の種に属する個体であることが,そいつらを愛する理由になるのか? 遺伝子の多くを共有しているから? そいつらを守るように染色体が命令するから? 行動セットとして生存競争適合的であることは認めるけど,少なくとも私にはそんな命令は聞こえてこない。
人類愛に入れ込んでしまう人,社会運動や人道活動に自分の人格的価値を預けてしまう人は,どこか不健全な気がする。動機を勘ぐるのは上品じゃないが,何が彼ら彼女らをしてそうさせているのか気になる。直接の被害者とか,現場に知己がいるとかならわかるけどさ。無限に愛が広いのか,無限に愛が広い自己像が大好きなのか,無限に愛が広いふりをすることで得られる社会的利益がほしいのか。
そうだねー。 取りあえず一度助けたら、最後まで助けろと言いたい。責任もって。
別にアフリカの子供を個人的に愛する必要はないんじゃないか? 彼らを救うのは、そうすることが正しいから、で俺には十分なんだが。 なんの利益も感情的満足も必要ない。
うむ。 別に報酬はいらないよね
遠い国で誰かが100人死んでくれれば愛犬が助かるというなら,犬の方が尊い。 どういう比較なのかよく分からないけど 愛犬を助けるためには知らない誰かが100人死にますよ、っ...
横だけど、エコはほとんど政治問題だからなあ。 緑のニューディールなんつってエコマーケットを世界経済の当面の成長ドライバにしようとしてるから、 そこに乗っからない手はないぞ...
エンドユーザーにとってもエコは地球環境が目的じゃないよね。 何らかの利益があるorファッションとして乗っかってるだけ。
どっかで読んだなぁ。 ボタンを押すと100万円もらえるんだけど、遠いどこかの知らない人が死ぬんだって。 ボタンを渡された人は悩んだ挙句押してしまうんだけど、100万円は...
つい最近観たな。 「このボタンを押せば相手は死んで自分は助かるけど、押さないと相手がボタンの押して自分が死ぬかもしれない。時間切れで両方ドカン」って。 ボタンを渡された...
出た、功利主義者。 いい加減効用で社会的行為を考えることが不可能だって事に気づいたらいいのに。
でも、馬鹿に馬鹿と言って何が悪い!誰が馬鹿かは俺が決める!ってメソッドははてサに限らないよな、と思った。
功利主義の使い方間違ってね?
遠い国で誰かが100人死んでくれれば愛犬が助かるというなら,犬の方が尊い。私に与えてくれる効用が大きいもの。 別に遠い国の問題じゃない。 元増田と同じような考え方(もちろ...
そりゃ増田にとっての愛犬に当たる存在を、それまで見つけることが出来なかったからだと思う。 手近な愛が見つからず、その愛は薄く広く範囲を広げていったんだろう。