はてなキーワード: さぼりとは
働く能力が無い人間への補助、働く気がある人間への一時的な補助と言うのなら絶対必要であろうさ。
繰り返すが、働けるのに働かない(努力しない)人間がずっと補助を受けるのが、どうしても変だと思う。
はてサの人は学生の頃のグループ課題なんかで終始サボっている人間に対しても不快感が無かったのかね。
(その人間の働く理由とか義務とか云々の話じゃなくてね)
さぼった人間とそうでない人間の関係が極めて近いからだろうけど、
派遣村とかについて言えば、
働かない人間を救ったところで自分の生活に目に見える影響が出てくる訳でなし、
どうでもいいといえばどうでもいいことだから、やっぱり同情心が強くなるのかな。
元の案内文は2種類あって、1つはしっかり13時から、
もう1つは「講義時間割」って書いてあって13時半から、って書いてあったの。
でもそこにも隅っこの方に「前座:13時から」・・と。
さぼりたくて早めにデスクを去ったのがばれちゃったと思うとちと気まずい。
まあ20分ー30分の誤差だが。。
業務に関する講義でさ。
で、事前に配布された案内には講義自体は13時半から開始って書いてあって、
だから13時20分ごろに講義室に入室したんだけど、
実は講義の前に「前座」ってのがあって、研修の趣旨を説明する講話が既に13時から始まっててさ。
私はひとりすごすごと席に着いたわけ。
で、部署には「午後一で研修なんで席外します」って言って、13時ちょっと前にデスクを去ったわけ。
13時半からなら13時20分にもデスクをたてば間に合うんだけど、
ちょっとさぼりたかったんで早めに出た。
13時10分ごろになっても私が講義室に来ないもので、
係りの同僚が心配になって部署に電話したらしい。
しかし「(私の名前)はもう向かったはずだ」と、上司が回答したという。
デスクで仕事をしているわけでもなしに、どこにいったか分からず行方不明、
となると相当印象悪くしたかな・・
不安なら、いっぺん同棲してみて彼氏に家事をやってもらったらどうかな。
妻が第一子妊娠中から身体の調子を崩して寝たり起きたりで家事も何も出来ない状態になり、しばらく仕事+育児+家事をやっていたことがある。ちなみに仕事は在宅勤務。体力には自信があったつもりだが、困憊しきった。常に「今横になって目をつむれば3秒で寝入れます」という状態。もちろん家事は全部は出来ない。洗濯は最優先でどうにか回して、食事は簡単なもの以外は外で買ったおかず中心。掃除は最低限必要な生活空間だけで他は放置。正直、仕事ぬきでも、育児+家事だけでフルタイムの勤務よりきついと思ったよ。
独り暮らしの経験も長いんだけれど、独り暮らしで家事をするのと家族がいるのとでは話が全く違う。独り暮らしなら自分がきついときはさぼっても迷惑するのが自分だけだからね。誰か他に人がいると、さぼりたくてもさぼれない (赤ん坊がいればなおさら)。そこが決定的に違う。頭ではわかっていたつもりだったけれど、実際にやってみるまで本当にはわかってなかった。家事が向いている人ならてきぱきこなせるのかもしれないけれど。自分はとりあえず、これから家事をやってくれる人には頭があがらないなとつくづく思ったよ。
だからまずやってみては。彼氏の夢が何かしらないけれど、彼氏はそれにも時間を作らなくちゃならないんだろう。その時、それを言い訳に家事がおろそかになるようなことがあったら、二人の生活は破綻するかもしれない。あるいは、夢がうまくいかないと、家事に時間が取られることを言い訳に使っちゃうかもしれない。絶対に言い訳をしないことを腹の底から覚悟しておくことが必要だと思う。
あ、あと、育児に関して男ができないことって母乳を直接あげることだけだよ。「育児は男には向かない」とか言っている人がいたらそれは言い訳。
http://anond.hatelabo.jp/20081226123905
「5歳年下に負けない」ところからやり直さなければいけない。
人生を勝ち負けでとらえたから。
もちろん他人はそれを認めてくれないのはわかっている。
クビ切られる人が続出している中で、勤め続けられているのに「認めてくれない」などといじけているから。世間の中の自分がちゃんと見えていない。
言われたことを黙々とこなすだけ、会社での人付き合いとかにも参加せず、家に帰って本ばかり読んでた。
集団生活の中にいたくせに、馴染まなかったから。受け入れてくれる集団があるありがたみをわかってない。
とうとう親にまで「何もしないなら死んだ方がいい。もう面倒見ない」といわれ、家を追い出された。
これができずに子どもを腐らせる親が多いのに、あなたの親は偉い。でもあなたは親の偉さをわかってないから。もっと他人を観察しなよ。
どんな仕事だか知らないが、私はあなたに勝てないだろう。物事というのは実行する人間が一番偉いんだ。上ばかり見ていじけていては実力は発揮できない。
ご恩返しの意味でも、たとえ周りになんと言われようともここで踏ん張るしかない。
せめて「フけた22歳」か「社会人1年目」程度の働きができるように頑張っていきたいとおもう。
総合すると「回りが見えてなかった」から、というのが、罰を受けている理由のようだ。「ご恩返し」という言葉が出るようなら、その罰はもうじき終わる。あとは、回りに受け入れられているということ信じることだ。きっと、これからもつらいことがあるだろう。ぜんぜん受け入れられていないと感じることもあるだろう。でも「他人の役に立とう」としている人間は、誰かがきっと引き上げてくれるよ。
もうすぐ、その罰は終わるよ。
さぼり病じゃないよ。やすめ。休んでいいんだから。
あと病院は一週間に一度とかにしてもらいな。
自分も躁鬱って診断されたけど最初は一週間ごとだった。覚えてられないから。今じゃ三週間置き。
相変わらず片づけはできない。やらなきゃいけないことは家に帰ってもできない。好きだったはずなのに料理する気力もない。だけど薬を飲めばじりじりとだけど回復はするよ。休みたくないなら休まないでもいい。罪悪感があるなら働きながらでもいい。しんどいなら休んでしまってもいい。だけど薬を飲んで誰かに管理をしてもらえばだいぶ楽になるから。増田は楽になっていいんだよ。
料理は好きだ。
掃除は苦手だが最低限こまめにやらなければいけないことは適度にこまめにする。トイレ掃除とか風呂掃除ね。
洗濯はこまめにする。アイロンがけはサボっているけれど、干すときには丁寧に干す。
それが数年前の自分だった。
ここ2,3年すべての家事がほぼできなくなった。
事情があってあまり休みがない。給与には反映しない休出や残業を繰り返し(別に役職付ではない)、河原の石を積むみたいな作業を繰り返しているうちに、毎日ぼんやりするようになった。
家に帰って一人になって気がゆるむと、疲れ切ってしまってもうぼんやりする。反動で友人と長電話をすることもあるが、たいていは一人でぼんやり本を読もうとし、ゲームをしようとし、テレビを見ようとし、すべて途中で挫折して、眠ってしまう。着替えることもせずシャワーも浴びず、眠ってしまう。食事はコンビニかレトルト、外食。へたしたら食べない。食べても、箸を使うことがめんどうくさくて、手でそのまま食べられるサンドイッチやおにぎり、ファーストフード、またはスプーンで食べられるカレーなどのレベル。
さすがに出勤前に慌ててシャワーを浴びて出かけるけれど、風呂もトイレも掃除をする気力がなくて、どんどんひどい汚れが目立つようになった。こびりついて取れなくなったような汚れを見ると、やらなくてはと思い、もういっそ大掃除をして汚れきった用具は捨ててしまうつもりでいろいろ買い込むが、結局それも袋に入ったまま埃をかぶる、の繰り返し。
連休があまりなく、あってもひたすら眠ってしまう。数時間眠り、起きてはぼんやりしてまた眠る。すべきことややりたいことが思いつかず、ぼんやりして眠る。ひとと会わなければ風呂にすら入らず、会えば会ったで疲れて帰宅後に眠る。
躁鬱。
病院ではそう言われた。けれど、病院にこまめに行く暇もなく、やすみの日には病院までの距離が果てしなく遠く思え、出かけられない。結局途中で通院をやめてしまう。しばらく期間があいて、少し気力がチャージされたところで通院する。二回、三回がんばると力尽きる。この繰り返し。
鬱で仕事に来られなくなった同僚に対して、会社はそこまで不親切ではない。フォローするよう命じられ、自分も何人かフォローした。けれど自分はまだ、出勤もできるし職場にいればそこそこ仕事も作業もこなしているとは思う。だから休みもなかなか取れないし、勤務時間も減らない。2か月にいっぺんくらいは、疲労がピークになり、風邪のふりをして休むけれど、罪悪感に苛まれて結局その後休んだ分も働く。
ときどき黒い渦がこころのなかでぐるぐるする。
自分も「いけなくなった」ふりをしてサボればいいんじゃないか?
そしたらきっと誰かがフォローしてくれて自分は楽になるだろう。
これだけ家の中のことはなにもできず、生活がいっぱいいっぱいなのに、ただ「出勤できる」「行けば責任感がわいて仕事はする」っていう状態だから誰にも気がつかれていない。
これじゃ倒れたもん勝ちじゃん、と言いかけて、その台詞の非人道さに、酷な内容に自己嫌悪が始まる。
毎日これを繰り返している。こんな黒い渦が出てくるってことは、自分はほんとうの躁鬱じゃないよな? ただのサボりたい病(実際の業務のキツさは置いておくとして)だよな?
ほんとに参ってるわけじゃないからこんなこと考えてしまうんだよな?
家事も、単にサボってるだけなんだよな?
でも、振り向くと荒廃した自室がある。ごみ袋いっぱいにたまったごみと、積もった埃、汚れた洗面所、見えなくなってきた床、皺のまま干された洗濯物、洗濯するまでには日のあいてしまった汚れた服の山。
病んでるのか、ただサボってるダラなのか、自分じゃわからなくなってしまった。
俺は、ほんとのところ、どうなんだろう?
正常なのか?
異常なのか?
ただ、ゆっくりねむりたい。
勝てない、辛い、と思ったら即逃げてしまうようになってしまったのは、
遡れば中1の部活からだったような気がする。
俺が中学生の頃は、バリバリのスラムダンク世代ともいえる時期で、
当時の俺はその例にもれず、その地区でそこそこ強豪といわれてたバスケ部の門をたたいた。
運動は得意でない、でも何とかなると思った。
何ともならなかった。絶望の毎日だった。
そもそもボールを持った時頭が真っ白になり、何もできない。
そのうちなめられて俺にボールがきたら何人も群がられなにもできず被スティール。
そもそもちょっと早いパスになるととれなくなる。指が痛い。
そのうちなめられてボールがこない。くるのはそもそも捕らせる気のない、おふざけの剛速球。
このあたりでレギュラー候補の同級生には軽蔑され、それ以外にはストレスのはけ口にされる生活に。
だんだん嫌になって、同じく何にも出来ない子と部活をさぼるようになった。
そんな生活を半年続け2年に進学する時、俺は両親の転勤の都合で別の中学へ引っ越すことになった。
2年生、今度こそはと入ったハンドボール部。
サボることなく、卒業まで続けることができた。
いや、なんどもサボろうとしたけど仲良くなったキャプテンがそれを許さなかった。
でも、何もできなかったことに変わりはない。
顧問にセンスがないと一言いわれてへこみ、それをバネに努力することもせず、結局スタメンに選ばれるどころか
候補に挙がることすら1度もなかった。
高校はそんな努力をすること自体が苦痛で、でも部活に入るのが決まりだからって卓球部で幽霊部員。
残るものと言えば、同じ時間をなんとなく過ごしてきた部員とのなんとなくの繋がり。
大学でもサークルで学祭の店のリーダーをやるも、計画性の無さと人間関係のトラブルを全て他人におしつけ、さぼり、
連絡に来る携帯のバイブに怯え何がしたかったのかわからないまま終わってしまった。
もう少し、自分に暴力的な、暴走してでもいいからなにかエンジンみたいなものがあれば。
たとえば初めてバスケットボールを顔面に近距離で剛速球で投げられた時、
ただ泣くだけでなく全力でボール投げ返すことができていれば。
なにか変わったのだろうか。
おめーにだけは負けたくない、そう心から思って何かにとりくめる人間は強いと思う。
そりゃ動機は負の感情かもしれない、何かトラブルを起こすかもしれない。
けどそういった人間の爆発力には何か、とても憧れてやまないものが入ってる気がする。
なんでこんな事を書いたかっていうと、社会人1年目の今、同期と差が開いてきた気がして、
しかもそれが俺自身がさぼっている、+客にびびっちゃってるのが原因で、
その原因がわかっていながらもう嫌になっちゃって、また今日もサボるという悪循環を
繰り返してしまったから。
自分なりに何とかしようと、本を読んだり戦略練ったりはするものの、実行に起こせない。
アウトプットできないなら本とか読んでも全く無意味じゃないと、
わかっててもできない。
染みついた負け癖逃げ癖不利になったら放棄する癖が
どうしてもどうしてもどうしてもどうしてもとれない。
一回ドロップアウトしてしまったらもう戻れないのかな。
家に帰ってきた今は、こんなにやる気なのに、
寝て目が覚めたらまたいつもの日常になってしまいそうなのが怖い。
おれはできない奴には絶対に強く言わないよ。強く言うのは一生懸命やらないでヘラヘラサボる奴だけ。
一生懸命やってできないってことは、努力のコツを知らないか、その人が本当に能力がダメなだけじゃん。前者なら自分が持ってるコツを提供して、「だまされたと思ってこのやり方で努力してみな」と言うし、後者ならそれこそ採用した奴の責任で、本人にはどうしようもない事なんだから、採用されてしまった以上、あとはどういう位置にそいつを置くかしかない。ポジショニングの問題。学歴いいんだけど仕事できない人に多いね。勉強って一人の作業が多いから、あまり対人的な緊張しないからね。仕事はほとんどの場合対人が多いからね。
で、「一生懸命なダメな奴」によく見られる傾向なんだけど、きつく言えば言うほどウッカリは増えるし、覚えも悪くなる。「一生懸命やる」ってことは緊張状態にあるんだよね。緊張状態では人間の能力は6割減と見ていい。緊張を増加させるような事を言うのは逆効果。むしろ、重大な失敗をしたときそこリラックスさせてやらないと。なんで重大な失敗した奴にそんな気を使うのか、と思いがちだけど、それが全体の為なんだよ。
逆に、いつも堂々としてて、物怖じしない奴は、潜在能力をほぼ100%使えてると思っていい。こういう人は「仕事できる人」って評価されることも多い。もともとそういう性格の人とか、ベテラン社員とか。ただこういう奴は世の中をナメて、こんくらいいいだろうとさぼりがちになるから、そういう奴には強く言う。こいうのは多少緊張させるくらいでちょうどいいんだよね。
思うに、「物怖じしない奴」が「緊張する奴」を指導するときに「無意味に強く言う」現象が起こると思う。物怖じしない奴は自分が強く言われて緊張状態を多少得たときが一番仕事に適してたから、他人もそうだと思ってしまうんだ。
本当に全体のためを考えたら
1、自分の持ってるコツを提供する(メモは荒く、だけど情報量は多く、仕事後に清書とか)
2、失敗したときこそリラックスさせる(「大丈夫大丈夫。ぜーんぜん取り返しつくし、こんな失敗みーんなするからさ。君を慰める為に言ってるんじゃなくてほんとにみんな失敗するよ」とか)
この2点だなあ。
このまえ実家帰ったときに母親からおやじがどれくらいDQNだったのかって話を聞かされた。
簡単に言えばパチンコ依存症だ。もうやめてー!ってくらいいろいろ聞かされた。
・仕事に行く前にパチンコに行って、ぎりぎりまでねばるもんだから仕事に遅刻しないようにと車を飛ばして事故ること3回。母に内緒で示談にしようとしたが全部バレてる。
・俺の学費として貯めていた通帳を空にした。
・その他もろもろくすねてつぎ込んだ。
・そんなこんなやっといて、「俺はいまの自分を変えるつもりはない!」と母にどなりつける。
・会社をさぼり、上司から怒りの電話がくること2回「もう来なくてもいい!」。母親平謝り。
などなど。
俺が小学校のときから喧嘩ばかりしてたというか喧嘩しているところしか見たことないんだけど、原因はほぼこれだったっぽい。
で、お金がないもんだから母親が働きにでて家計を支えていた。そんな母親を親父は金にうるさい女と父方の祖父の前でののしったりしていたそうだ。。もう、なんというか。。
そりゃ、母親も怒るよな。もう怒りすぎて後年基地外じみてたもん。俺が小学生の時から毎日そんなんだから居心地悪くて、大学行ってからはほとんど家に帰ることはなくなった。あ、大学の費用も別の通帳で管理していたんだけど使い込んだみたいで、兄貴に出してもらった。これも全然しらなかった。兄貴に感謝しなくちゃ。
おやじがDQNじゃなく、普通の人だったらな、って思う。話も底が浅くてつまんないし。きっとずっとパチンコばかりしてたから中身がまったく成長していないんだな。親父みたいにはなりたくないもんだ。
※直接的に性的表現や暴力表現が出てくるので注意してください。はっきり言って変態記事です(´Д`)
自分には他人に言えない性癖があることを思い出した。
僕は「丸呑み」好きだ。
「丸呑み」というジャンルについて説明が必要かわからないが、簡単に言うと僕は「女の子が怪物とかにもりもり食べられるシーンでハァハァする人」だ。
はっきり言って、変だと思う。英語でVoreとかVorarephiliaとかいう言葉がある程度にジャンルとして確立されていて(日本語版Wikipediaの丸呑みフェティシズムってタイトルはダサすぎ。内容の是非と無関係に記事ごと消してほしいほどダサい)、「丸呑みデータベース」というサイトがあったり、同好の士が少しながらいることも知ってるけど、それでも特異なジャンルだという自覚がある。
たぶん、丸呑みに興味ない人は、僕が女の子が食べられるシーンで勃起してしまう理由が理解できないと思う。ノンケの僕に同性愛嗜好が理解できないのと同じように、丸呑みスキーでない人には食べられて死んでいく女の子に興奮する僕がきっと理解できない。
そもそも理屈で考えておかしい。一応、曲がりなりにも性欲というのは子孫繁栄のためにあるもののはずで、女の子の体内に射精して子づくりに励みたいというのが根本のはずで、実際には大多数の精子はオナニーをはじめとする各種の方法で膣外に出されて消えていくのだけど(´Д`;)、怪物の体内に消えていく女の子を見ながら勃起してあさっての方向に射精する行為にどんな解釈を持ち出せば説明がつくのか、僕にもわからない。
(念のために言っておきますが、僕は基本的には女の子の膣内に射精したい(´Д`;)というノーマルな欲望も持ってる人です)
思い出せる限りで僕の丸呑み好きの原体験じゃないかと思うのは、たぶん悟空がブヨンに食べられるシーン。
…もしかしたら、ディスク版ゼルダの伝説でリンクがライクライクに食べられるところかも。たぶん、この頃にはもう丸呑みというか、捕食ネタが好きだった。あのファミコンの16*16ドットのキャラで、ビッグマックみたいなドット絵のライクライクがリンクにのしかかるところで興奮してた。
当然18号の吸収シーンは大好物。今でも抜こうと思えば抜ける。さすがに大人になった今、悟空で抜くのは無理…(というか悟空で抜いた経験があるわけではないです。当時はオナニーや射精すら知らなかったはずだけど、勃起はしてた気がする)
たぶん一番好きな丸呑みは、バイオハザード アウトブレイクのハンターγの丸呑み。丸呑み目当てで買った。わざわざスク水やバニーの格好させられて、見ている僕の性欲を満たすために、食べられるためだけにカエルの怪物に向かっていくお姉さんたちにハァハァ。大きな口の中でじたばたもがいて、ごくんとお腹の奥に消えていく瞬間の陶酔感というか。
女性の場合はどうなんだろう。男(じゃなくてもいいが)が食べられるシーンで興奮する女性って、いるのだろーか。
丸呑みはリョナと被ってる、あるいはリョナの一部とみなされるジャンルで、実際僕はリョナ系もモノによっては好きなんだけど(でもあんまり腹を殴ったりとかは苦手。これから大変なことになる女の子が恐怖におびえてる顔とか、トゲに刺さってエロい悲鳴上げながら光になる某ロックマンの女性とかが好物)、丸呑み好きの人は「痛いのは嫌」とか「出血は嫌」とか嗜好が多少ぶれる。
僕は丸呑みっぽければ多少出血しても平気。ワニの出てくる某パニック映画で、女の子がばくばく食べられながら体が血にまみれていくシーンでも勃起していた。
でも女の子がただ普通にむさぼり食われるグロシーンなんかは全然好きじゃない。
そういえば、捕食された後の女の子が胃の中で溶かされていくシーンもあんまり好きじゃないかもしれない。体内に触手があって陵辱シーンに移行するとか論外。
丸呑みの何がいいか、やっぱり今まさに飲み込まれていく女の子の絶望の悲鳴だろうか、口の中で手足をばたばたさせて抵抗をするところだろうか。頭から頂くか、足から頂くかでも楽しみ方が二通りあるし。
オナニーにたとえれば、丸呑みシーンで口の中で女の子をもてあそぶのは、手でペニスをシコシコしごいているときで、ゴクンと飲み込む瞬間は射精開始の瞬間。お腹の中に消えていくときはもうドクドクと精液が流れ出している状態。
丸呑みシチュでは、口の中でもがかせる時間を少しでも長く味わっていたいけど、最終的な目標は女の子が飲み込まれて消えていくという絶頂を迎えること。飲み込んでしまったあとは急速に襲ってくる虚脱感。(射精って、最高なのは始まりの一瞬で、精液がびゅっと出てるときにはもう絶頂が過ぎてるように思うけどどうでしょう?)
あ、でも蛇の丸呑みとかで、お腹が女の子の形にぽっこり膨れてるのは大好物。食後シーンも状況によっては楽しめるな。
丸呑みというのは、リアルでは絶対に実現不能な嗜好だけど、それ以前に僕は自分で女の子を食べてみたいとは微塵も思ってない。実写の人の口に小さい人間を合成して飲み込んでいく映像とかあるけど、全然実用にならない。
手のひらサイズの小さい女の子が実在するという異常な状況を仮定した場合に、その子を口の中でじたばたさせてみたいとか、それもない。
もっと限定した無茶な仮定で、自分がカエルみたいな口の化け物になったときに、リアルなサイズの女の子を口の中でもごもごする行為ならやってみるのもいい、かも。それでも飲み込むのはちょっと嫌か。…自分で書いてて引きそうな文章だ。
あくまで食べられてるところを傍観するほうがいいな。
丸呑みに特化したエロゲーは存在しないのだろうか。知らないだけで存在してるのかもしれないけど。丸呑みAVは信じがたいことに実在するようだが、サンプルを見たら残念な出来の怪物だった…
ストーリー:20XX年、突如現れた侵略者の手によって世界は荒廃。生き残った一部の人類が侵略者と戦っている。その侵略者は「捕食者」とか呼ばれ、人間を主食とし、特に若い女性が大好物。大きさは人間よりひとまわり大きいくらいのやつから、数mくらいまで。
ヒロイン:侵略者と戦う抵抗勢力の女の子と、侵略者から逃げる女の子のふたりくらい。
ゲーム内容:短編オムニバス形式、あるいはロックマン形式でいくつかのシナリオが選択できるAVG。シナリオごとに爬虫類・両生類・植物・芋虫など、多様な捕食者が出てきて、必死で抵抗したり逃げたりするが、どんな選択肢を選んでも最後はヒロインが食べられてバッドエンドになる。次のシナリオを選ぶと何事もなかったように同じヒロインで話が進む。そしてまた食べられる。抜き所となる捕食シーンも、ヒロイン主観視点で怪物の口に入っていく場合と、地の文の視点でヒロインが体内に消えていく様子を淡々と描写する場合のほか、怪物主観視点でヒロインを味わってしまうなどバラエティ豊か。
問題点:対象層が狭すぎて企画が通せない。しかもエロゲーのつもりなのにエロシーンが存在しない。着衣のまま食べればモザイクゼロで済んじゃう。ハッピーエンドが存在しないからオチもつけられない。
http://anond.hatelabo.jp/20080730043540
何かに集中していないと、常にああ鬱だなあと感じてる。
増田の皆さん一喝してやってください。
なんだかんだで学校である程度一定の状態に保たれていたんだと思う。
もともと僕は精神的にすごく弱い人間で、何事もすぐに逃げたいという気持ちをもってしまう。
本当に逃げ出してしまうことはめったにないけれども。
勉強ってつまらない。くそつまらない。
一応全国でも有数の進学校に高校から入学して通っていて、最近は最低限は勉強しているわけだけれども、
入学してから2年間は可能な限り勉強を避けてきた。
入学時は割と上位だったであろう成績もいつの間にか下に数えるほどしかいない状態になった。
赤点まみれの成績表になった。職員会議に成績不振者として登場するラインのある意味ダブルスコアだった。
幸い今では平均レベルには戻ったようだけど。
知的好奇心は旺盛なほうだからか、図書館とかに勉強しに行くと集中力が途切れることなく数時間と続けて勉強できる。さすがに目は疲れちゃうけどさ。
それでもこう勉強しなきゃなーということを考えると勉強ってつまらないって思う。
小説を読む、音楽を聞いているほうが人間味があって数倍素敵だなと思う。
世界史や倫理を学ぶことだって、地理で民族紛争を学ぶことだって、ただの知識なんだもん。
「デカルトは今こうして考えている自分は確かに存在する、われ思う、ゆえにわれありといいました。それを合理論といいます。」
別に、ツルゲーネフの「父と子」に登場するなんとかヴィッチのようなニヒリズムではないと自分では思ってる。
というか車輪の下の主人公に近いんだろうか。今思った。思いつき。
教師一家に生まれたにも関わらず、上のいとこたち数人は高校中退だったりいわゆる学業が振るわなかった人たちばかりだったから、
親戚一同喜んでくれると思う。たとえここでぱたりと勉強をやめ、地元の公立大に入学したとしても。
でも中途半端なプライドが許さないからだらだらと勉強は続けて上に挙げた大学に進むんだと思う。
それで最低限のプライドは守られる。でも決して満足はしないのであろう。
学費をお母様お父様に払っていただいてもらいながらも、さぼりがちの大学生活を送るんだろうか。
なんて親不孝者なんだろう。
世間の評価は冷たいのかもしれないけど、やりたいことがあって専門学校に通う人が今の僕にはうらやましい。心のそこから。
僕だけじゃなく、こんな感情は誰もが通る道なんだろうか。中2病の類なんだろうか。
ただ僕のプライドが高すぎ、また自己顕示欲が強すぎるだけなんだろうか。
親しい友達にもこんな長々と話せない。わからない。周りが見えない。
勉強をしなきゃいけない、本を読みたい、教養を身につけたい、友達とずっと喋っていたい、女の子といちゃいちゃしたい、眠たい、寝られない、勉強したくない、いつこの気持ちから解放されるんだろうか、いっそまあまあ幸せな今のうちに死んでしまったほうがいいんじゃないだろうか、でも苦しいのは嫌だ、周りから認められたい、自己主張をしたい、もっとみんなに好かれていたい、もっとみんなに愛されたい、誰かにかまっていてもらいたい、明日なんて来なければいいのに、寝る時間がもったいない、寝なきゃいけない、部活を同じメンバーでまたやりたい、この高校生っていうモラトリアム期間ももうすぐ終わる、そのうち歯医者で看護婦さんから大丈夫?が大丈夫ですか?に変わる。
様々な気持ちをもった自分がいる。すべて鬱という言葉に収束している僕が。
長くなってしまいました。昼過ぎに起きたら消します。。
通常しなくてもいい消すよ宣言をわざわざしてらっしゃる辺りから文意を汲んでコピーとっときます。起きたら読むかも。読まないかも。
異性は友達にはできない、とやけに嬉々として断言する男女は割りといる。
そもそも、そんなことを前もって決定して、友人の候補者を半分に減らすメリットが全く分からないのだが、彼らは妙に嬉しそうに、それを断言する。
異性は、恋愛対象だから無理なのだ、と彼彼女らは言う。しかしそれは、分かるようでよく考えると理由になっていない。
恋愛対象だから無理だ、というのは、恋愛対象と友人対象は全く重ならない、という前提に立っている言葉である。
しかしそれがまず分からない。そもそも、恋愛と友情はどこでどう分かれているのか。もっといえば、親子の愛と友情はどう違うのか、兄弟愛と友情はどう違うのか。たとえば親子の愛情と友情の違いは、「血が繋がっているか否かだよ」とある人は答えるかもしれない。なるほど、その人にとっては、いくら仲がよくても、養子とその育て親の愛情は、永遠に親子の愛情とはならないのだろう。ずっと自分の子だと思って育ててきた子供が、実は他の男の子供だったと分かった父親の愛情は、親子の愛情ではなかったのだろう。言っておくが、勿論皮肉である。
兄弟愛と友情の違いは何なのか。友情と恋愛感情の違いは何なのか。セックスをすれば、恋愛感情なのか。では、「セックスフレンド」という言葉はどうなるのか。そもそも何故、セックスをすれば恋愛感情となるのか。セックスをしなければ、やはり、恋愛感情ではないのか。セックスをしていない恋人たちは、恋愛感情ではなく友情なのか。
およそ人間の抱きうる、「愛情」というものは、一体どうすれば区別が可能なのか。
簡潔に言えば、そもそも区別不可能である。というのが僕の説である。
そもそも漠然とした、「他人に対する強い気持ち」があるだけであり、僕らはそれを、歴史の中で、そのときどきの状況や、環境に応じ、便宜的に言語というもので「他人に対する強い気持ち」にラベルを貼り分けただけにすぎない。
便宜的に、「友情」「恋愛感情」「親の愛情」などと、ラベルわけしたほうが、今までの人間の歴史の中で「楽」だったのである。
人間は、未知なるものが基本的に怖い。未知なるものに、とりあえず名前をつけ、既知のものにし、自分の中に取り込んだ気にならねば、安心できない動物である。「他人に対する強い気持ち」では皆不安であった。「僕のこれは、友情だ」「私のこれは、恋愛感情」そうやって分けていかねば不安だった。得体の知れない、強い気持ちが存在するのが嫌であったのだろう。
そんな感じで「便宜的に」分けられたものたちを、今僕達は、逆に、「名前で分けてあるのだから、全ては違うもののはず」と倒錯的に考えてしまっている。そうではない。もともと、漠然としたものであり、僕達人間が、勝手に自由気ままに名前をつけてきただけだ。愛情だけでなく、全ての名詞、いや、全ての言語はそうである。言語というのは、そういうものなのだ。世界の現象を、人間基準で分けるという作業が、言語なのだ。
この気持ちは愛情なのか友情なのかなど、そういう意味で全くどうでもよい、本質を外れた事である。
在るのは、仲良く話している、一緒に遊びに行っている、等の現象であり、その時に発生しているここの心情がどれであるか、などという問題に答えることに、一体どれほどの意味があるというのだろう。
便宜的に分けてきたラベルに、振り回されてどうするのか。道具は使うものであり、道具に僕達が使われていては本末転倒だ。
あるいは、「○○ならば友情で、××ならば恋愛感情、という定義を僕は作った。それに従うと、僕のこれは、友情となるのだ」といいたい人もいるかもしれないが、それは単なる言葉遊びでしかない。勃起するなら恋愛感情で勃起しないならば友情だと定義した、今は勃起しているから恋愛感情だ……それはアメリカ人が相手ならば友情で、イギリス人が相手ならば恋愛感情と定義した、今話しているのはアメリカ人だから、友情である……というのとどう違うのか、って話である。「だから、何だ」としか言い様がない。
女友達と二人きりでお泊り旅行なんてできやしない、だから男女の友情なんてありはしない、という男は割といる。彼らからすれば、「二人きりで泊まるなんて、勃起してしまう」ということなのだろうが、勃起したから何だというのだろう?
勃起したからといって襲うわけでは当然あるまい。それは犯罪行為である。それとも、「自分は、勃起したら、相手の同意なく襲ってしまう、犯罪者予備軍です」という自己認識なのだろうか?腹が減ったからといって、コンビニのおにぎりを突然むさぼり食う奴はほとんどいないと思うのだが、確かにそうしてしまう、理性の効かぬ人間というのは少数ながら存在する。自分がその、「理性の効かぬ人間である」ことを認識し、そのために事前に防ごうという腹ならば、それはそれで正しいのだろうが、そんな人間は「女友達と旅行なんてできない」派の人間の中でも少数派だろう。ほとんどは、当たり前だが、そんな抑制くらいは可能なはずである。
勃起したから、何だというのだろう?多くの「旅行なんて無理」な人たちは、勃起したといってもそれを抑制できるわけである。ならば、勃起したから、何だというのだろう?体の一部が動いたから、これは、友情じゃなく、恋愛感情だ、もう友達じゃないのだ、となるのだろうか?そこまで厳しく種類わけする意味は一体どこにあるのだろうか?
ラベルわけに必死になる意味が、僕には分からない。どこからが友情でどこからが恋愛だの何だの、どうでもいいことじゃないのか。この人と話していると楽しい、であるとか、この人といると面白い、であるとか、大事なのはそこであって、それが友情なのか、恋愛感情なのか、そんなものをラベルわけしたところで、今の僕の気持ちが変化するわけでも、相手の気持ちが変化するわけでもないだろう。
いや、別に1人暮らしまでする必要はないだろ。
元増田は親との関係をちゃんと自立したかたちで築いてこなかっただけだし。
要するにさぼりだな。
そもそもが、出かけるときにわざわざ「秋葉原行ってくる」だのなんだの
細かく報告するのが30男のすることか?
ムスメと母親の友達親子なら分かるが。
「ちょっとでかけてくる」程度でいいだろ。
お前の方も朝起こしてもらったり
深夜帰宅で食事作ってもらったりだのなんだの、甘えてるところもあるとおもうぞ。
まず自分から自立すべし。
共依存てのは、片方だけ頼ってる状態では言われないんだ。
相互が頼ってるから、共依存だってセンセイは言ってるんだぞ。自覚しろ。
それは、初音ミク開発元のクリプトンの依頼によるものであったと言う。
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公序良俗に反する歌詞を含む楽曲について-ピアプロ開発者ブログ
http://blog.piapro.jp/2008/01/post-15.html
公序良俗に反する歌詞を含む楽曲について
VOCALOIDを用いて楽曲を制作する場合、「VOCALOIDライブラリ使用許諾契約書」に記載されております通り、公序良俗に反する歌詞を含む合成音声を公開または配布することを禁じております(※)。
特にVOCALOIDそのものや、VOCALOID製品のタイトル/キャラクター(「初音ミク」「鏡音リン」「鏡音レン」等)、バーチャルシンガーなどとクレジットされた作品において、それそのものが、いわゆるエロティックな表現や、バイオレンス、グロテスクな表現を、自ら発言/自己表現しているような見え方と捉えることが可能な場合、または視聴者がVOCALOIDやキャラクターのイメージを誤解し、困惑、嫌悪の感じをいだく可能性がある場合、 VOCALOIDやキャラクターのイメージに悪影響があると判断させていただく事がございます。
今回、公序良俗に反する歌詞を伴う作品がニコニコ動画に連続的に投稿されているとの通告を一般視聴者の方より受け取りました。弊社で調べましたところ、確かに公序良俗に反すると認められました。また初音ミクのイメージを損なう恐れがあると見受けられ、それらが同一人物と思われる作者による投稿ということもあり、誠に残念ではございますが、黙認のレベルを超えていると判断せざるを得ませんでした。何卒ご理解いただけますようお願いいたします。
※"公序良俗"の判断基準については弊社では「TV放送できるか否か」をひとつの判断基準としています。例えば性的表現に関しては視聴者に困惑・嫌悪の感じを抱かせないように注意しています。家族がそろって視聴した場合、露骨な表現描写をすることによって困惑・嫌悪の感じを抱かせないように注意をしています。(民放連の放送基準より一部参照)
そして、この件に関しては批判的な意見が多いようだ。
クリプトンは「やっちゃった」と思う
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しかし、今回の削除は仕方ないと思う。
クリプトンは初音ミクのイメージを守るということ以上に、藤田咲さんのイメージを守らなくてはいけないのだ。
「初音ミクに歌わせる」ということは「藤田咲さんに歌ってもらっている」ということに他ならない、ということは忘れてはならないと思う。
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ここからは妄想だが、もしかしたら今回の件は彼女の所属事務所からの依頼なのかもしれない。
しかし「事務所からの依頼で、中の人のイメージを損ねるから」としてしまうと、間違いなく彼女のブログや所属事務所のサイトは炎上する。
だから「一般の人からの削除以来で、初音ミクのイメージを損ねるから」としたのではないか、と思う。
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最後に、個人的にだが、俺はこういうのは削除によってネタとして完成すると思っている。
だからむしろ積極的に削除すべきだと思う。
思えば、今回の件で初音ミクが歌えなくなった歌など実は存在しない。
初音ミクはすでに僕らの手の中、パソコンの中にあって、どんなことを歌わせることも自由なのである。
ということは、もはや初音ミクはクリプトンのものではない。僕らのものである。
いくらクリプトンが削除しようが関係ない。もう僕らの好きにできるのである。
ならば、クリプトンは、もはや僕らの味方である必要はない。
むしろ、クリプトンはかわいい娘を守ろうとする雷親父で、「初音ミクを妖しくたぶらかす僕ら」の敵であってもいいのではないかと思う。
twitterで印象深かった出来事を10個取り上げてみました。順不同です。
就職活動中に面接先の社長とtwitterのイベントで偶然対面し就職が決定。twitterで得られた人脈を頼りに転職など。
就職できたユーザのアイコンが鼻血を出していた事から、「鼻血を出せば就職できる」という都市伝説が発生、一夜にして鼻血アイコンでtwitter中が染まってしまった。
DMすると代わりにしゃべってくれる。
一見すると匿名性が高いので卑猥な言葉を多く話すが、中の人たちからはバッチリ見られているので注意。
404や500などのエラーが発生したときに出現していた猫画像、通称メンテ猫がリニューアル時に消滅。
当時はメンテ猫を惜しむ声が上がったが、twitterユーザは数ヶ月後にはそのことをすっかり忘れてしまう。
基本的にtwitterユーザは物忘れが激しい。1ヶ月前の事をまるで数年前の出来事のように懐かしんだりする。
あれ?そういえばついったんって何で猫をモチーフにしてるんだっけ?
泣く子も黙るスーパーハッカーdankogaiが、さらに上手を行くウルトラスーパーハッカーに脳をハックされ、最盛期のdankogaiなら設定するはずのない安直なパスワードをtwitterで使用させられてしまったため、そのパスワードを類推されてアカウントを乗っ取られた事件。
次々に顔(=アイコン)を変え、URL以外の文章を立て続けにPOSTするdankogaiに全Followersはガタガタと震え上がるしかなかった。
その後、dankogaiは対twitter恐怖症になりFollowingを減らしprotectをかけ、引きこもった。
Webカメラがあればブラウザだけで簡単に中継の出来るUstreamがtwitterユーザ間で大流行。
オフ会中継に活用され、オフ会をけまらしく思う地方ユーザに一体感を与える事に成功した。
しかし、どんなにオフ会が盛り上がっていても自室で一人モニタに向かっているという現実に気付いてはいけない。
また、自重を知らない者たちがUstream上で異常な行動を取る現象が多発。
イベントの控え室で叱られる大人や、性器を露出して他人のアカウントを剥奪させた者もいる。
twitterのFavorites機能を集約し、どの発言が注目を集めたのかを可視化したサイト。
心に響く発言、ためになる発言が集められる事が期待されたが、ふたを開けてみると変態が変態をさらし者にするという阿鼻叫喚の地獄絵図がそこにはあった。
☆を付けられるごとにエクスタシーを感じる露出狂系の変態の変態度が急加速し、twitter全体の変態度が3割ほど上昇した。
その後、機能強化が行われ、ユーザごとの「ふぁぼられ」ページが追加された。
ふぁぼられページのGoogle Adsenseは脳内メーカー以上にその人を分析してくれると、もっぱらの評判である。
6月の「春のban祭り」と、12月の「歳末大ban祭り」の2回開催された。
歳末大ban祭りでは勝手に待避先に設定したjaikuに、変態どもがわんさか押し寄せ、変態トークを開始、jaikuが爆発した。
その有様はまるでjaikuがレイプされているようだった。
enrakuがお題を出し、Followersが答えを返すtwitter大喜利がゲリラ的に行われるようになった。
大喜利タイムにはtimeline上が@enrakuで染まるが、enrakuをFollowしていない人たちのtimelineは急に静まりかえってしまう。
座布団運びのyamadakunはややさぼり気味である。うふふぐふ。
相手をアイコンでしか把握していないので、みんな胸にぶら下げたアイコン名札に向かって話しかけ、目を見ない。
当然ながら会った相手の顔など覚えていないので、「忘年会でお会いしたxxxです」と挨拶するのは禁物だ。
これは10大ニュースですか?
最近の出来事に偏っているのは、物忘れが激しいためです。
「あれだけ話題になったのに何でこれが入ってないんだ」という意見もあるでしょう。
それは観測範囲の違いによるもので、そのこと自体がtwitterの特徴の一つと言えます。
こんな出来事が印象に残る利用者もいるんだな、と思っていただければ幸いです。
この記事を参考に、自分なりの10大ニュースをまとめると楽しいのではないでしょうか。
この10の出来事よりも、印象に残ったこともいくつかありますが、特定個人に関わる一部の出来事は意図的に除外しています。
気になったエントリをいくつかクリップしてみる。47氏やジーン・カン氏はどんな未来を想像していたのかが知りたい。
楽曲対価を支払うたったひとつ(ではないかもしれない)の冴えたやり方
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著作物に対する権利の主張と確保、という点からのみ語られがちな一連の問題を、著作物に対する対価の支払いを進んで積極的にしたいと思ってる側から考えてみる。
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むしろ、そういうJASRACが噛まない料金徴収システム(送金システム)を、ユーザーのフェアユーズ&シェアユーズを満たす形で整備したほうが、事業者にとってもユーザーにとっても原曲作者にとってもプラスなんじゃないの? と思ったりはする。
さぼり記 2007-12-20 http://d.hatena.ne.jp/azuki-glg/20071220/1198121928
コンテンツは何のために必要なのか
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私的録音録画小委員会: 反対意見多数でも「ダウンロード違法化」のなぜ (1/2)
この内容は流石に怒っても良いよね?
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そういった、今のお金を大切に思うが余り施行した法により、未来のこれから出てきたかもしれない革新的な文化活動の発展を萎縮させ、クリエイターの卵となるべき人たちの芽をたたきつぶしたといったことの大きさを憂える。ひたすらに。
rerofumiのつぶやき 2007/12/19 http://www.fumi2kick.com/rrtalk/archives/932
誰が音楽文化を支えるのか
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音楽の世界だって書籍と同じように、オリコンチャートを意識して売り捌きようのない枚数のCDをプレスするという時代錯誤で不毛なチキンレースは遠からず終わり、いくつダウンロードされたか、総額いくら寄付を受けたか、世界中でノベ何時間再生されたか、そこからどういった二次著作物が生まれたか、誰をどう触発したか、何にマッシュアップされたかといった、もっと本質的な尺度で測られるようになるだろう。
雑種路線でいこう 2007-12-04 http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20071204/music
音楽そのものについての考察がおきざりにされた著作権議論の不毛
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音楽著作権というのは無前提に音楽の創造者にある権利だとして、そこの検証が全くされないままそれが前提に議論がされているが、音楽著作権という考え方そのものがそもそもイリュージョンだったのではないかという検証は本当に必要ではないのだろうか?
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「グヌーテラは音楽著作権を侵害しているがどう思うのか?」という質問が次々投げられた。この質問に対してジーン・カンは実に冷静に答えていた。
「グヌーテラを停止させることはもはや私にもできないのだ。
いわゆる『音楽著作権』の侵害はあるかと聞かれれば『その通りだ』と答えざるをないが、もはや『覆水盆に返らず』だということを認識した方が良い。
それよりもこの状況に合わせた新しい権利の設定を考えた方が遥かに現実的だ。
現在の音楽の著作権は太古の昔から存在しているようにみんな勘違いしているが、音楽家とは本来その演奏に対する対価として報酬を受け取っていたので、著作権という抽象的な録音定着、複写の制限を定めた権利はつい最近生まれたものだ。
まずそのことを勘違いしない方が良い。
MacOSXの新着アプリテスト記録とトラブルシューティング http://nmuta.fri.macserver.jp/unei0712.html#musiquecultual
47氏が見たラジカルな世界
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まず、言えることは、47氏は現状のWinny自体にはそれほど関心を持っているわけでもないということだ。問題は次だ。
4. コンテンツ提供者側の集金問題
話変わりますが、最近私の方ではコンテンツ流通側とは逆側のコンテンツ提供者側に関するシステムについて考えてることが多いです(コンテンツ提供者向けのシステムであって、よくあるようなコンテンツの保護技術に興味があるわけではないので注意)
そもそも私がファイル共有ソフトに興味を持ったのは、当時ファイル共有ソフト使用ユーザーから逮捕者が出たということ(これは明らかに変だと思った)というのもありましたが、どうやったらコンテンツ作成側にちゃんとお金が集まるのか?ということに、もともと興味があったからです。
インターネットの一般への普及の結果、従来のパッケージベースのデジタルコンテンツビジネスモデルはすでに時代遅れであって、インターネットそのものを使用禁止にでもしない限りユーザー間の自由な情報のやりとりを保護する技術の方が最終的に勝利してしまうだろうと前々から思ってました。そして Freenetを知って、もはやこの流れは止められないだろうと。
極東ブログ 2004.05.11 http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/05/47.html