2021-08-17

私が小学生の頃、母は鬱病になった

元父からDVを受けて離婚余儀なくされ、シングルマザーになった母には、頼る人がいなかった

鬱病になったのは、たった一人で私と弟の二人を育ててきた疲労ストレスが積み重なった結果だ

精神科で処方される薬が効いてくるまでは、感情コントロールできないせいでちょっとしたことで怒鳴られた

夜中に死にたい死にたい呪詛のように耳元で繰り返されたこともある

そんな母の影響を受けて、私自身も精神的に病んでいった

小学5年生のとき、初めて手首を切った

担任にバレて空き教室に呼び出されどうしてこんなことをしたのか問い詰められた

彼は私が心配なのではなく、周りに不安を与えないために私を呼び出したようだった

あなたより酷い自傷をしている生徒を見ていた事もあると言われた

その生徒の話をされた

私の心配じゃなかった

母に連絡され、家に帰って二人きりで話をしたが、私がどうして手首を切ったのかは聞いてくれなかった

母はこの時点で何故だか私のことがとても嫌いだったようだ

母の機嫌を取るため、中学では部活に入ってそれなりに普通学生として生きようとした

無理だった

休み時間トイレに籠もって、周りにバレないよう手首ではなく太ももに切り傷をつけていた

高校も同じようなことをした

卒業間近、とうとう限界が訪れた私は母の睡眠薬を全部飲んで死のうとした

結局口に入れることすらできなかった

「どうしてお母さんを困らせるようなことをするの?」

そのとき初めて、「死にたい」と言った

「親の前で死にたいなんてよく言えるな」と返された

鬱の自分の方が辛くてたまらないのだと延々と話された

辛いのなら病院に行くかと言われた

私の話を聞く気はないみたいだった

10年経った今も、私の自傷癖と鬱は治っていない

生活保護受給している母の元から逃げ出して、一人暮らしを始めたが、生活が立ち行かなくて、風俗で働いた

そこでなんとか貯金をして風俗をやめ、その後は普通仕事で働こうとした

しかし、過去経験が心の傷になっているのかどうにも人が信じられず、体を切り傷でボロボロにした挙句仕事を辞めてしまうのを、何度も何度も繰り返している

先日、母から連絡があった

私は母が好きになれないけれど、縁を切ろうと何度決心しても、家族からという理由で、もしくは、精神障害者の家族を見捨てた罪悪感からか、ずるずると関係を続けていた

母は、再婚の為に動くかどうかを考えていた

理由は、将来のことが不安だったかららしい

それを聞いて、全部馬鹿らしくなった

私の手首の切り傷も、死にたいも、全部見て見ぬふりをしてきたのに、私は今でも、誰にも相談できずに苦しんでいるのに、毎日消えてしまいたくてたまらないのに、母は、鬱病の母は、なぜだか、十年後二十年後の将来を見据えている

母を支え、家事を肩代わりしたり、機嫌を損ねないようにつまらない長話を夜中まで聞いていたりした十代の私が、哀れで仕方なかった

どれだけ楽しいことがあっても、心の中にはいつも嫌な思い出があって、事あるごとに思い出すような精神状態を、ここ数年続けていて、でも病院に行ってしまえば、母と同じだと診断されてしまうかもしれなくて、それが怖くて、なんとか自分で治そうとして、悪い方へ転がり落ちていった

今、私は仕事をしていない

風俗をしていたときに貯めたお金がまだ少し残っているから、これを使い切ったら、首を吊ろうと思う

どちらにせよまともに働く事もできない社会ゴミなのだから、死んだって誰も困らない

かに話す勇気もなくて、ここに書いている

文章にしたら少しスッキリした

せめてあと少しの間は、幸せでいられますように

  • 繋げておきますね anond:20210817015307   海外だと即通報&動くけど日本はこういうところからしてダメだよなぁ

  • 切った瞬間、ラムネが口の中で溶けるような、スーーーっとした開放感があると思う。 生きていると、腕も足も切らずとも、同じようにスーーーっとした開放感がある。 だから、それに...

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