当方間口狭めの好きな人分かれるタイプ、インタ〜ネット大好き作家
見つけてくれた人だけに刺されば良いと思ってやっている。
自分と趣味が違うであろう友人が、オフ友などと交流する為の一般人のアカウントで
「友人がこんなことやってます!みて!」って
ここが苦しいのだけど、
「友達のやってることすごい」で紹介されても、なんか違うのね
当アイテム買ったこと無いくせに、本当に価値を分かって宣伝してんのか?
貴方が宣伝したとして、その先に繋がるかな?とは伝えた事がある
わかんないよ、好きな人いるかもじゃん!って返ってきた。その通りではある
でも大体、無理矢理不特定多数に発信され、誰の心にも刺さらないまま、こちらは恥を書いて終わるのだ
この場合宣伝主も同じ目に遭っているハズなんだけど、ダメージ受けないのか?モチベーションが違うのか?
あやつこんな宣伝させてんのか、とか、友人の宣伝のセンス無さ=自分のセンス無さを偶然見るわけだ
自分も走りたての若い頃は誰彼構わずこんな活動してますって言ってた。
紹介した時点で「なんか感想を言え」みたいな感じにさせてしまう空気にしてしまう。
ほんとに興味ない人って「へえ〜」で終わる。地獄。
続いてグループに初対面の人間がいる時、唐突にくる「こいつの活動を聞いてくれ」のフリ。
強制活動内容紹介タイム。そんなつもりではなかったのに急にスイッチを押される。
自分は今、元気よく発動内容を紹介しなくてはならない。コレは断れば空気が凍る。
それから「なんか感想を言え」タイムが始まる。どっちに転んでも地獄。
今から話すのは別の人の話
学生時代働いてたバイト先、ビルの清掃で駆け出しの芸人が働いてたらしい。
バイト仲間にその人のファンがいて、声をかけたんだって、応援してます!って
それが芸人は凄い嫌だったらしく、どこからどういう経緯で話が伝わったかはわからないけど
翌日週報に「清掃員に芸人がいるけどプライベートもあるし、嫌がってるから話しかけないでね」
みたいな内容を店長が書き記すまでのちょっとした事件になってた。自分はここで一連の事件を知った。
週報に書くことで自分みたいな1ミリも知らなかった人が知るきっかけになったのでさらに大ごとにしてやるなよ、とは思った。
当時は「応援されるの何で嫌なの?嬉しいじゃん!」って思ってたけど
少しづつ気持ちわかるようになってきた、コレとはちょっと違うかもしれないけど
「この人好き」をそれっぽい人間に紹介されるのが一番嬉しい
「誰々が好きそう」「わかる!」とかのSNSの会話見てる時が幸せ
結局のところインターネットで偶然的に見つけてくれた知らない人の声が良い
販売会で真っ先に当ブースまで来てくれるお方達の滲み出る「ファンです」感は涙出そうになる
趣味の合う、作風をわかってくれる友人の応援はとても励みになる
100%善意なのが、やめてとも言えず、ありがとうしか言えない。
趣味の合う人間見つけるのって大変だねってただそれだけの話なのかもしれないな。
ただのセンスない友人の文句みたいになってて草、友達やめれば?ってなるとちょっと話が変わってくる
ついでに言うけど一般の友人が「〇〇なう」でタグ付けするのほんとこれはマジでやめた方がいい