といま気づいた。
いやさ香港の話。
こうなったらもうダメだ。有志以来、革命っていうのは、軍隊を味方につけた方が勝つと決まっていると聞く。軍隊の一部でも民衆に共感して合流すればよかったのだが、香港、という単位でやっている以上、結局は避けようがなかったのかもしれない。
なぜこんなことになったか。
そもそもデモなぞすべきではなかった、としか思えない。単純にそれは勝ち筋ではなかった。だって敵方に妥協する理由がない。権力と給料は中国政府がくれるから、次の選挙で落ちる心配はいらない。軍隊と警察とヤクザを味方にしているから、物理的に死ぬ恐れもない。香港デモ市民はきわめて行儀がいいので、治安や経済の心配も当座はいらない。昨今の国際情勢では、欧米諸国が介入してくる心配もない。
かといって、中国でどうすればよかったのかはわからないが……。香港返還の時に危惧されていたことが正にいま起きているわけだ。やるならあの時やらないといけなかったのかも。
なぜ勝ち筋ではないデモに踏み切ってるのに、我々はそれを賞賛などしてしまったのか。
「市民の力」とやらを過大評価する向きに、問題があるのではないか。
ガンディーの非暴力運動は、不買運動と敵兵士懐柔策のミックスだった。
(両方一回成功した後に失敗した例だがおいといて)
そういう事実、市民の声という理想を裏打ちしている、純然たる物理と経済のパワーを軽視した、空想平和主義的な思想がリベラル層に広がってしまっている。そしてそれが「デモ」という行為に集約されている。
アベ政権を許さない、と声高にアベとアベ支持者の悪を唱えながら、アベとアベ支持者が善意を発揮するのに期待せねばならない運動の奇妙さよ。
もし本当にアベが悪ならば、あなた方はアベを物理で攻撃しないといけないのではないか? いや、そうしろと言うのではない。行動の無力さを直視せよ、と思うだけだ。
似たようなことは沖縄の基地のことでも思う。基地の前で座り込みをする。相手の善意に期待して、暴力を振るわれないと信じているから。もちろん相手も、座るだけの市民が何かしてきたりはしないと知っている。だから上は妥協とかしない。あれほんと、単に危ない上に、効果がないと思う。あと、知事も結局はアメリカと日本の政府や善意を待ってるだけだしね。善意が欲しいのに悪を批判してるのはほんとどうかと思う。
デモが無力とは言わないよ。
ただ、団結とは、それ自体が力なのではない。その背後にちらつく暴力こそが脅威だ。暴力を振るわないと前以て言っているデモならば、ツイッターのRTのほうが余程脅威ではないか。