最近、無給医や無休医だの称していろんな媒体で労働搾取されている医者らの苦労話が出ているが、あれ、なぜ彼らが無給医を続けてしまうのか、その理由が不明瞭だと思わない?
”自分がやらないと患者がこまる”とか、あるいは”大学病院で医学の最新知識に触れていたい”などなど、それっぽい理由が書かれていることもあるけれども、本当かな~?
医者になる奴らって、基本的に頭が良いことにプライドがあって(他の、例えば外見とか、スポーツとか、コミュ力などは2流以下だから拠り所にならない)、頭が良いことの唯一の証明方法であるお勉強に関しては結構な労力を厭わないわけ。だからこそ、あんなクソつまんないはずの受験勉強に没頭できるのであって、まあ、それこそが才能なのかな。
だから、高校⇒医学生⇒医者となって、さあいよいよバリバリ働いてガッツリ稼ぎますよ、とはならない。頭が良いことを証明するための勉強の方がまだまだ大事なの。そしてそれが大学院進学⇒医学博士ということになる。
ところがだ。大学院の博士課程で医学博士になる、つまり研究を遂行するって、受験勉強とはかなり違うのよ。
中には本当に頭の良い(または研究活動の経験がある)奴も含まれるので、すんなりと研究できちゃう人もいる。でもこれは全体からすれば希少種。
多くの医者は、手取り足取り教えてもらっても、ようやく研究のスタートラインに立てるぐらい。それを限られた年数で走りきるには、年長者(おもに教授)の庇護の元、的確な指導を受けつつ、ノーミスでやりきるしかない。だいたい手持ちの研究費もないし。
このような現実が見えてきて初めて、研究のできない医者は気づくわけだ。”教授の言うことに服従しなければ、ならない”
そんな教授がある日言ってくる。
「君、来月から大学病院の勤務に入ってくれるか?詳細は医局長に聞いてくれ。給料は出ないか、出てもわずからしいけど、どうせ外部のアルバイトに行かせるからいいだろ。」
この教授のオファーを断わる奴はいない。なぜなら、教授に逆らえば大学院の研究もストップしてしまうから。大学院の留年、または研究ストップに伴う関連病院への出向、そして決まる博士課程からのドロップアウト、そんな下流な奴になるわけにはいかない!こうして無給医が発生する。
無給医が続く理由、これは”頭が良い証明として博士号を取得する”ためなのである。
ストイックなほどの低賃金&無休&過労、これらはすべて自我を満足させるため、といえるだろう。また、教授から庇護してもらうための対価であるともいえる。高尚な理由は後付け、代償としての自己満足のためなのだ。
どうして最近になって無給医の話が世に出回るようになったのか。これは昨今の働き改革や、労働環境に対する関心の高まりが影響しているといえる。加えて、教授や医局の求心力の衰退が影響していることも忘れてはならない。
しかし、多くの無給医に関連した記事では、なぜ無給医が発生し継続するのか、その確信には触れられない。
医者の持つ独特な価値観と、それを利用する教授や医局の存在は、いまだ公言されることはなく、白い巨塔の内側に息を潜めている。