昔から一人でいることが多かった。
一人でいるのが好きだったし、他人といることはとても疲れた。一人でいても全然暇じゃなかった。むしろやることがありすぎて忙しかった。テレビを見たり、漫画を読んだり、親が使わなくなったパソコンでディグダグやマインスイーパーをした。スーファミのドンキーコング2も64の時オカも何周しても飽きなかった。勉強もかなりやったし、成績が上がるのは楽しかった。
もちろん、友達とも遊んだ。それも楽しかったけど、遊ばなくてもよかった。半日以上他人といると疲れたし、それは年齢が上がるほど顕著になった。高校の時には親が相手でも長時間一緒にいると疲れるようになった。ただ、高校生までは嫌でも毎日誰かに会わなくちゃいけなかった。学校にいかなくちゃいけないし、家には家族がいた。だから、一人でいられる時間は貴重だったし、とても大切にしていた。
それが大きく変わったのは大学に入って一人暮らしを始めたからだった。
本当に衝撃を受けた。
家にいれば誰にも会わないし、学校に行っても知り合いと会わないことは容易だった。そして大学の入学祝いに買ったもらったノートパソコンは無限に時間を消費できる代物だった。はじめて開いた2ちゃんねるは常にスレッドが更新されたし、親の足音を気にして見ていたエロ動画は何時間でも気兼ねなく見られた。インターネットは俺の一人好きを助長した。それは嬉しいことだったし、望んでいた環境だった。大学1年の夏休み、気が付いたら家を出ずに1週間たっていたこともあった。ご飯は宅配で頼んだ。大学で知り合った同級生から遊びに誘われても忙しいからと断ってテレビを見ていた。
今思い出しても、あの頃は本当に充実していた。
そんなことをしていると、時たま誰かに会いたくなる。一人でいる時間を9としたら、誰かに1は会いたくなる。夏休み明けは少しずつ同級生と遊ぶようになった。だんだん仲良くなっていった。そんなことを繰り返していくと、友達ができるようになった。友達と遊ぶのも悪くないなと思った。
大学4年になる頃には、一人でいる時間より友達といる時間の方が長くなった。楽しかった。本当に。
一人でいるときの楽しさと別のものだった。ふと、最近一人でいる時間が少ないな…と思った途端に怖くなった。もし、また一人になったらどうなるんだろう。あの頃のように一人でも楽しめるんだろうか。誰かがそばにいないことを不安に思わずにいられるんだろうか。そんなことを考えたけど、まぁ大丈夫だろうと見ないふりをした。いつだって、そばにいてくれるだろうと思ってた。
そのうち社会人になって、環境が変わった。でも、大学の時と違って一人の時間は少なかった。会社って、本当にずっと仕事してるんだな。一人でいる時間なんてほとんどなかった。真面目だったし、さぼらず一生懸命働いた。そんなことをやってれば、会社の人とは仲良くなっていく。同僚の枠を超えて、友達と呼べるような人たちも増えた。飲みに行ったり旅行したり、いろいろ遊んだ。俺にとって、自分が自分であるのはその人たちと遊んでいる瞬間になった。
その人たちと遊ぶために生きるようになった。
残業も面倒くさい仕事も、友達と遊べるならと頑張った。空いている時間は誰かしらと遊んだ。寝ずに遊ぶことがかっこいいと思っていた。飲みすぎて吐くことがイケてると思っていた。一人でいる時間が少ないことが生きている証だった。
そんなことを何年も続けて、もう30手前。
俺が他人だけを拠り所にして生きてきた中、その人たちは色々蓄えてきたらしい。
全然気づいてなかった。俺には友達しかいないと思った。でも、友達もいなかったらしいことが分かった。俺が自分の人生をかけて仲良くなってきたと思っていた人たちは、他の人と仲が良くなっていた。俺は1番どころか、みんなのランキングにも入っていなかったらしい。
そうか、あれはうわべの付き合いだったんだな。
誰かと遊ぶために思考して、行動していた俺よりも、切磋琢磨している中で同じ時間を過ごしている人の方が仲良くなれるらしい。気が付いたら、俺だけ時間だけ過ぎていて何も得ていなかった。
思い出せば、昔一人でいるときは多くのことを磨いていた。勉強をしたし、絵も描いたし、ピアノもやったし、習字もかいた。運動も一人でできることは何でもやった。そんな俺でも、誰かと会ったときは緊張しながらも話が盛り上がっていたと思う。
どうやらそういうことらしい。
他人を拠り所にした俺には、何も残らない。自分を大切にした人には、きっと色々集まってくる。
無駄な時間を過ごしたと思う。他人を拠り所になってしなければよかった。