おかしい。
私の知らない所で何か特別な儀式でも執り行われていて、そこでお互いの相手に求めるニーズをさらけ出し、出会い、逢瀬を重ねてそんな関係を築いているのだろうか。
これが二十数年くらい前の話ならまだ分かる。お見合いという出会いのチャンスがあって、客観的に見て結婚が無理そうな父も母と出会った。世間はバブルでお金がたくさん出回っていて、一つダメでも次で取り返すような、そういう空気も生まれやすかったのかもしれない。
しかし現代でも大学生にもなれば「恋人がいる・いた」が普通で経験済みも学年が上がるにつれ普通になっていく。キャンパス内でも多くの若いカップルを見かける。
私は年齢=彼氏いない歴の喪女オタクのため、関わる人もそういう人の割合が高めだが、オタクでも恋人がいる人は一定数いる。
「一年の頃の外国語のクラスが一緒で、みんなでよく懇親会をしてた」「オタクサークルで一緒で、みんなでよく遊んだ」と言う。
とにかくよく会ったり話したりする機会が多いのはわかった。
しかしそこからどうやって恋人にまでなってるのか、知りたいのはそこだ。
単純に私の対人スキルと表情の固さがよくないのかもしれないが、私は「そういう(恋愛へ発展しそうな)雰囲気」を体験したことがない。そのためそんな雰囲気は今の若い人同士に実在するのか?と思う。
そして出会ってせいぜい数年で、全くの他人に体も心も預けられるようになるまで親密になったりするものなのだろうか。
以上のような疑問がずっと頭の隅にあった。
私は一生こんな感じだろうから、どこかの誰かと恋仲になったり、ましてや結婚なんてあり得ないだろうと思っている。
本音では絶対嫌だとも思う。結婚なんてよくわからない契約をするのは怖いし、他人と同棲なんて出来る気がしていない。
でもたまに、私は一生独り身で寂しく歳をとってしまうのだなあと思うと悲しくなる。
ただ血が出てあらゆる場所が痛いだけで、将来何の意味もなさないのに生理がくると辛くなる。
性欲も絞り出せばあるので、いわゆる愛のある交わりをしたいと衝動的に思ってしまう。
喪女オタクが何を戯言を、もともと自分で二次元を選んだのだろうと言われるかもしれないが、実際そうなのだから仕方ない。
あと二次元を選んだのだのは確かだが、それは高校生の頃に既に後戻りできないほどオタクで人と関わるのが怖かったからで、今更後悔はしていないがあの頃もう少し頑張ればこんな(少し前の価値観を持つ)社会から見て絶望的な未来も避けられたのかもしれないとは思う。
結局、結婚しようが恋人やセフレがいようが時折寂しくなるのはあまり変わらないと思う。むしろ不安要素が増えることで寂しさが増幅されるかもしれない。