自分の人より劣っている部分を覆い隠すために、あるいは有り体にいえば、劣った点はそのままでいいのだという承認欲求を満たすために、社会思想や哲学を用いる人がいる。
上手くやればよいのだが、目的が透けて見えるときがある。ああ、こいつは自分の欠点を隠すために小難しい理論・社会思想でドレッシングしているのだな、と。
そうなるとその人は、もう、超ダサい。
そもそも秋田や岐阜などの山奥や田園地帯が舞台であることが大半で何故か老人や地元の人全員が知ってるという設定。
にも関わらずそれがどの村の人を指してるか明確ではなく、〇〇県で実際に…という前提が多いために妙に信憑性が出てくる。
いわゆるコピペの類なのだが、何故か妙な信者が付いている事がこの手の話の特徴だ。
ついでながら、この手の精神障害モノは結局、暗に知的障害者を差別してるだけだと言える。
見た瞬間、最後は精神がおかしくなる系の締めで終わってる事からも明白だ。
プレイヤーのやった事に結果(末路)が返って来ないとは、プレイヤーが何をしようと所定のとおりにしかならない
シナリオに無い目の前のりんごは豪華さを演出する為のただのお飾りで何か起こるどころか触れる事もできない
シナリオがこの先の敵をやっつけるだったら途中に何があろうとこの先の敵意外無反応