はてなキーワード: プリンスホテルとは
東京都心のホテルが提供する男性向けの宿泊プランが、好調な売れ行きを見せている。客の中心は30??40代のビジネスマン。非日常の空間で健康や美容を重視した特典サービスを受け、自分磨きをしているようだ。
全国に先駆けメンズシングルプランを始めたのは、京王プラザホテル(新宿区)。2003年から「俺(おれ)の時間」を販売。「仕事も家庭も忘れて1人になれる」と好評を得ている。昨年からは、乗馬感覚で楽しむ健康器具「ジョーバ」を室内に導入。童心に帰ってもらおうとミニカー「チョロQ」も置いた。「男性は女性よりも、室内でゆっくり過ごすのを好まれます。独身の方も多いようです」と同ホテル。月に10??20室稼働するという。1泊2万500円から。
ホテルニューオータニ(千代田区)も、04年からメンズプラン「おとこの革命」を始めた。「着こなしで磨く」「ダンディにくつろぐ」など6つの特典コースを用意。宿泊者が目的別に過ごし方を決める。アメニティーの海外ブランド化粧品を使ったり、館内の理容室でひげをそったりと、重要な会議や記念日といった大切な日のための準備を提案する。1泊3万6000円から。
一方、グランドプリンスホテル新高輪(港区)は4月から、炭の脱臭や空気浄化作用による癒やしを特徴にしたプラン「MEN’S STAY」をスタート。炭綿を使った作務衣(さむえ)と寝具で、ワンランク上の眠りを目指す。羽田空港や新幹線にアクセスがよく、東京出張時に自腹で料金をプラスして、スパマッサージなどを受けるビジネスマンもいるという。1泊2万4200円から。
目に付いたんで書いておこう。
なお、初めに断っておくが、以下はプリンスホテルの対応の是非を述べたものではない。プリンスホテルの対応の是非において営利団体とか企業である事を理由とする事の是非を述べたものである。
いつから一営利企業は自らの損害も省みず言論やら集会やらの自由のために戦わないといけなくなったんだ?誰が、どんな資格で彼らにそれを強制できる?
私は「一営利企業」を盾に逃げてはならないと考える。逃げてもよいか戦うべきかは、個人・企業・営利などが理由になるわけではなく、自身や相手方、また起こった事件・事象などの、社会への影響力によって決まると思う。
つまり、「言論やら集会やらの自由」といった、社会的に影響のある事柄について、力のない個人や団体なら逃げてもよいが、経済力や発言力など、何かしらの力を持つものは立ち向かうべきだと思う。幾らかの損害があろうとも。
端的なのはマスコミ各社である。彼らも営利企業であるが、その大きな影響力には大きな責任を求めるべきであって、利益を求めてもよいが、それ以上に言論の自由は求めていただきたい。
他にも、大手と呼ばれる、大きな資本(経済力)を持つ企業には、率先して社会福祉に勤めていただきたいし、利益のために環境を破壊してほしくない。
また、個人であろうとも同様で、大きな財力や権力、発言力を持つ人物が、安易な発言や行動をとれば批判される。元増田が批判するように。
プリンスホテルにそこまでの力や責任があるか?と問われると、私としてはわからない、となる。それほど詳しくないから。しかし、それなりに名の通ったホテルグループであることは知っている。だから、もう少し対応の仕方があったのでは?と、思う。それだけのブランド力は持っているだろう。
別の事例も少し。
つい最近、バス車内で10分間の暴行の末に、人が殺されたという事件があった。これに対し、車内には他に30人が乗っていたが、誰もとめなかったとして批判があった。
刃物は持っていなかった様だが、暴力を振るうバカである。放置して正解であっただろうか。
30人を集団と捉えれば、ある程度の力を持つ集団である。一人の男くらいには立ち向かうべきであっただろう。しかし、個々は見ず知らずの他人と見れば、個人対個人であり、相手は人を殺すほどの力は持つ。放置して正解だったかもしれない。非番の警官がいたら、なんら武器を持っていなくとも立ち向かうべきだったかもしれない。バス会社としては損害が出ても何とかすべきだったかもしれない。たとえダイヤが乱れたとしてもバスを止め、警察を呼ぶ、被害者に逃げる余地を与えるなど。
このように、(それは力の大きさに関連はするが)一企業一個人という理由ではなく、どれだけの力を持ち、したがって責任を負うべきかで見るべきだ。
http://anond.hatelabo.jp/20080406172307
ちなみにこの契約の話も書いたんだけど、長くなりすぎたので削除した経緯があったりする。
まず、契約というのは必ず守らなければならない、というのは間違い。我々にそんな義務はない。
もし契約というのが破棄不可能なものであるなら、契約を結ぶことは非常に難しくなる。
だって将来どうなるかなんて誰にも分からないでしょ?
典型例が航空会社のダブルブッキング。我々がチケットを買うのは契約の一種。でも航空会社は我々の席を平気で別の人間にも売る。統計的に何人かはキャンセルすることが分かっているからだ。もし計算以上に搭乗客が来てしまった場合、会社は謝り倒して別の便を用意して我慢してもらう。
これだって立派な契約の放棄。「俺は絶対にこの便に乗りたいんだ!」と全ての客が言うなら、航空会社は今よりもはるかに高い料金を要求してくるだろう。そうしないと商売が成り立たないから。
契約を守るというのは大切なこと。尊重するのは当然で、そう教育されてもいる。でもね、契約に絶対はないんだよ。
我々が契約を守るのは何故?契約を破ると失うものが多いからだ。違約金を払ったり、評判を落としたり、契約を反故にされた相手から報復を受けることだってある。「だから」契約は守らないといけないんだ。商契約は「約束は守りましょうねー」という理屈抜きのモラルの話とは訳が違う。契約を守るのには理由があるんだ。
逆に言えば、これらのコストを甘んじて受ける覚悟があるなら、我々は契約を破棄していい。そのコスト以上に得られるものがあるなら、それは極当たり前で合理的な商取引だ。世の中にどれだけ契約の中途破棄が溢れてるか考えてごらんよ。それは社会が柔軟であることの証なんだ。この柔軟さを失って得られるものと失うもののどちらが大きいか、考えたことはあるかい?
多分プリンスホテルは(結果的に)予想以上に評判を落とした。最終的にプリンスホテルにとってこの判断が合理的だったのかどうかはわからない。でもそれはプリンスホテルの問題であって、我々がどうこう言う問題じゃない(株主でない限り)。逆に、「政治理念よりも顧客を優先した」ことを評価している人だっているかもしれない(politically incorrectだから大声ではいえないだろうが)。それもまたプリンスホテルの判断。それに、判断の正しさを後付でグダグダ言ったってしょうがないでしょ?
もちろん、契約の当事者である日教組は大いにホテルを非難すればいいし、今後は使わなければいい。それは当然の権利。プリンスホテルだってそんなことくらい覚悟の上だろう。でもね、それは第三者がモラルを云々する問題じゃないんだよ。我々が考えるべきことは他にある。
前のエントリーでこのことを書かなかったのは、学者の彼にそんな契約概念についての理解を要求するだけ無意味だから。
"平時にしたことを彼らが合理化できるなら、戦時においては同じふるまいを合理化することは一層容易である。"
彼はこの文章で悲憤慷慨しているつもりかもしれないけど、こっちにはほんのわずかにも響かない言葉なんだよ。わかってねーな、と思うだけ。ホテルルワンダという全く次元の違う問題を無理やりつなげて、自分の感情を正当であるかのように見せるあざとさは鼻につくけどね。それ以上に、その我田引水すら論理的に成功してないことのほうが腹が立つ。学者なら論理的にものを語れよと。
だから、ホテルマンの信条とか、そういう定義も良く分からないような便利な言葉で彼らに(日教組にとって有利な)モラルを押し付けるような主張には賛成できない。それが、前回書いた「社会の問題を個人の問題に還元してしまう」行為なんだよ。昔どこかの新聞が事故を起こした電車の運転手に「風の呼吸を感じるべきだった」みたいなことを書いて失笑を買っていたけど、それも同じ。医療関係者に「命を預かる聖職だから」と全力以上を要求する今の風潮も同じ。必要なのはより安全な運行システム、より有効な救急体制、それに「言論の自由に守られて他人の言論の自由を侵害する」今回のようなケースを排除する法整備だろ?
内田樹さんのプリンスホテルの議論(http://blog.tatsuru.com/2008/04/03_1313.php)だが、http://anond.hatelabo.jp/20080404073011さんの議論は、結論は正しいが過程が間違っていると思う。
http://anond.hatelabo.jp/20080404073011さんによる内田さんの議論の再構成はこういうものだ。つまり、内田さんが
A. ルワンダのような極限状態で人助けをするには超人的な勇気が必要で、それを要求するのは無法。
と述べていることから、以下のように組み立てる。
(1) 極限状態で客を助けないのは、卑劣ではない(Aから)
(2) プリンスホテルは、極限状態で客を助けないだろう。(B)
この再構成がおかしいのは、Aの翻訳である(1)だ。Aが述べているのは「ある人が極限状態で客を助けないからといって、その人が卑怯だとはいえない」ということである。つまり
(1') 極限状態で客を助けない人の中には、卑怯な人もいるかもしれないが、そうでない人もいる
ということ。したがって(4)のような結論は出てこない。
(「私は別にこのような超人的な勇気をグランドプリンスホテル新高輪のマネージャーも持つべきだというような無法なことは申し上げない。」とあるので、本当に内田さんが「助けないなら卑怯」といっているかどうかには疑問があるが、一応議論の流れに乗っておく)
しかし(1')と(2)を組み合わせると、
(*) プリンスホテルは、卑怯かもしれないが、そうでないかもしれない。
という命題が出てくる。おそらく内田さんはこういうことを言いたいわけではないだろうが、これは内田さんの議論がちょっとずさんだから。というのは、内田さんは次のようなことを書いているが
もしグランドプリンスホテル新高輪のマネージャーが内戦時代のルワンダでホテルのマネージャーをしていたら、彼はためらうことなくツチ族の顧客全員を政府軍に差し出しただろうということである。
...
だが、私の経験が教えるのは、平時に卑劣なふるまいができる人々は、軍国主義の時代や恐怖政治の時代にも同じ種類のふるまいを(もっと葛藤なしに)できるということである。
これは結局
ということであって、(1')と矛盾してしまう。ということで、わたしはhttp://anond.hatelabo.jp/20080404073011さんの結論
この人ほんとに学者?
には同意してしまうのである。
たぶん内田さんがやるべきだったのは、戦時中であればプリンスホテルの中の人がやりそうな------しかしそれをしないには超人的な勇気を必要としないような------卑怯なこと(しかし、彼らはそんなことは人道上しないといいそうなこと)の例を挙げることで、そうすると、プリンスホテルの中の人がいかにひどいかと言うことを描写できたのだが、例を出すのをケチってしまったので、こんなことになってしまったのである。
http://anond.hatelabo.jp/20080404083502
いや、それは問いかけではなくて、その直前で出した推論の結果(プリンスホテルは客を見捨てる)に対する反論可能性の検討であって、平時に卑劣な人は極限でも卑劣、という彼の考え(本気で突っ込むなら、これらの彼の主張には悉く根拠がないので、全否定すら可能なんだけど、それをやっても楽しくない)は、あくまでも「プリンスホテルは極限で客を見捨てる」という推論の補強材料。
それに、その部分だけ指摘されても、前のリプライで指摘した部分の反論にはなってないと思うぞ。
その前に「プリンスホテルは、平時には客を追い出すが、極限状況では客を追い出さないと主張するのだろうか?」という問いかけがある。
http://anond.hatelabo.jp/20080404080752
個人的にはAのその解釈(後者)を「正しい」と感じる感覚はちょっと共有できないけど、それを言っても水掛け論なのでおいておく。
”「たいていの人は極限状態では卑劣だが平時には卑劣ではない」という前提のがAの裏に隠れている。”というのはどこから類推したの?不安になって今読み返したんだがどうにもそう解釈できない。なぜかというと、仮にこの前提が正しいとした場合、彼の文章は全く内容がなくなるからだ。
「平時に卑劣な人間は極限状況においても卑劣だということを覚えておこう」と彼は書いた。もし「たいていの人は平時は卑劣ではないが極限状況では卑劣だ」という前提も存在した場合、今現在卑劣であろうがなかろうが極限状況では人間を超えた例外的存在を除いて全員卑劣だということになる。もったいぶってホテルルワンダの例を出し、長々と「プリンスホテルは極限状態で客を見捨てる」という”推論”を彼は語っている。自身で推論というからにはそれは論理的な帰結であるはずだ。でも、君の言ったその前提を受け入れてしまうと、どういう状況であろうがプリンスホテルが極限状態で客を見捨てるのは自明の「前提」となり、推論の結果でもなんでもなくなる。
そう考えると、君の仮定した前提は蓋然性のある読解と言えるのかな?擁護するには結構無理がないか?
http://anond.hatelabo.jp/20080404073011 の続きで、内田樹教授のプリンスホテル批判について。
http://blog.tatsuru.com/2008/04/03_1313.php
プリンスホテルの例にしても、靖国の映画の件にしても、言論の自由が脅かされたのは事実。
何故? 右翼だか国粋主義者だかが騒いで、それによって損害を蒙ることが予想されたから。
なぜヤクザまがいの連中の圧力を恐れなければならないか? 彼らが騒いでも警察が摘発できないからだ。
何故摘発できないか? 今の彼らの行動が現行法に照らして違法とはいえないから。
何故法整備をしない? 彼らの行動が政治活動として分類される(されうる)以上、その摘発には慎重を期さざるをえないからだ。
内容を聞いてれば分かる? そうは言っても警察が「政治活動」の内容を勝手に判断して差別できるわけがない。
言論の自由が脅かされたのは社会の問題だ。彼らの行動を掣肘できないのにはそれなりの訳があり、そのせいで日教組もプリンスホテルも迷惑している。で、そこでなんでプリンスホテルが非難されるのかがさっぱり分からない。いつから一営利企業は自らの損害も省みず言論やら集会やらの自由のために戦わないといけなくなったんだ?誰が、どんな資格で彼らにそれを強制できる?もし法人にそんな義務があるなら、我々個人も目の前で街宣車が軍歌を鳴らしていたら敢然と立ち向かわないといけないのか?
刃物を持ったバカが目の前に現れたら一目散に逃げるのが正解。もしかしたらそのせいで逃げ後れた別の人が怪我をしたり殺されたりするかもしれない。でも悪いのは逃げた彼じゃない。そういうバカを放置し、適切なタイミングで排除できなかった警察の責任。それが出来るだけの予算と権限を警察に与えなかった政府の責任。そしてそんな政府を選んだ我々の責任だ。それを、"刃物を持ったバカを放置してはいけません。社会のために敢然と立ち向かいましょう"などと臆面もなくいえる人間の神経は理解を超える。
前から思ってたけど、日本人は社会の問題を一個人(法人)に還元し過ぎる。そうして社会問題への対処がどんどん遅れていく。医療崩壊なんていい例だろ?明らかに個人の努力で解決可能な水準を越えてしまっているのに、この後に及んでも"医者がもっと頑張らないといけない"などと言っている人間がどれだけいるか。そうやって社会全体のマクロな問題から目をそらし続けるから、問題がどんどん悪化するんだろうが。
今社会問題として考えなければならないのは、声ばかり大きくておつむの小さい国粋主義者のせいで日本全体の言論の自由が脅かされているという問題をどう解決するか、だ。主義主張にかかわらず、騒音を出す輩はまとめてブタ箱、でいいのか?(選挙カーや辻立ちの政治家だって例外じゃない。個人的には、日本の政治家一般の出す騒音は他国と比べて度を越して大きいので、この際一律規制しろと思うのだが)。それとも、警察が恣意的に"いい騒音と悪い騒音"を判別して良いのか?バカを速やかに確保できるだけの警察予算、そのための増税を甘受できるのか?
社会にはバカが一定数混ざる。それをすべて取り除こうとすればさまざまなコストがかかる(犯罪者を確実にとらえようとすれば、監視カメラを随所に設置する必要だって出てくるし、監視カメラがいやならマンパワーに頼らないといけない=人件費ウナギ登り)。今問題とすべきは、言論の自由を守るために"我々が"どれだけのコストを呑めるか、であって、プリンスホテルがどれだけの頑張るべきか、じゃない。プリンスホテルを非難して事足れりとしている人間が入るなら、自分の行為がただの責任転嫁に過ぎないことを自覚すべきだ。
これはないだろ。ちょっと分かりやすくするために書き直してみよう。
A. ルワンダのような極限状態で人助けをするには超人的な勇気が必要で、それを要求するのは無法。
B. プリンスホテルが当時のルワンダにあれば、躊躇いなく客を政府軍に引き渡した。
以上から導かれる論理的帰結。Aから、客を助けないのは卑劣とはいえない(超人にしか出来ないから)。Bから、極限状態で客を軍に売り渡すプリンスホテルは卑劣とはいえない。Cの対偶を取ると”極限状態で卑劣でない人は平時でも卑劣ではない”。よって、プリンスホテルは平時において卑劣とはいえない。なんだ、彼はプリンスホテルの擁護をしてたのか。
これは違う。君が後で上げた解釈が一部ただしいと思う。
無理やり彼の穴だらけの理屈を養護する方法を考えたんだが、以下の方法ならぎりぎりプリンスホテルは平時において卑劣であることを説明できる。Aの解釈を「客を助けないのは超人でないならしょうがないが、卑劣であることには変わりない」に変更する。そうすると「プリンスホテルは卑劣でありえる」という結論になるが、今度は「世の中超人的な勇気を持つ人以外は全員卑劣」なので、きわめて例外的な一部の人を除いてプリンスホテルを非難できなくなる。
ここの前半はあっている。ただ最後の
今度は「世の中超人的な勇気を持つ人以外は全員卑劣」なので、きわめて例外的な一部の人を除いてプリンスホテルを非難できなくなる。
というところが間違っている。
「たいていの人は極限状態では卑劣だが平時には卑劣ではない」という前提のがAの裏に隠れている。
Cでは「極限状態での卑劣」であることXと「平時の卑劣」であることYが別変数としてあって、Y=trueのときX=trueと言ってるだけなのだから。
たとえばあなたが会社で、取引先と2000万円の契約をしたとする(自分が受注側ね)。
契約書も交わし半金(1000万)も支払われた。あとは完成を待つばかり。お客さんも楽しみにしてる。完成までは1年はかかる品物。ところが引き渡し2ヶ月前になって「(某団体が)色々騒ぐから作るのやめる」とか自分の上役が言い出したらどう思う? 「お客さんになんて説明するんですか!」って返したら「半金振り込んで契約解除通知を内容証明で送っとけばいーべ」って上司が言ったとさ。どう思う?
ちなみに「契約の解除」を、プリンスホテル側が「内容証明」一本で、かつ一方的にやった、という話は事実。今回の話は実は要するにそういう単純なビジネスマナーや契約における信義則上の問題であって、だからこそ裁判所も「そんな話は罷り通らんよ」という判断をし、3K新聞ですら「日教組が正しい」と書いたわけ。その上「(日教組側は)事前に説明してなかった」という、裁判所で否定された話を繰り返してるプリンスホテル側の担当者は、裁判所の神経を逆なでしてること分かってないなあ、と。まあ一般のイメージ向上を必死に狙ってるんだろうけど。
結局「お客さんがどうこう」とか「泥をかぶって」とか言うのはきれい事で、たぶん相当な所から圧力がかかったんだろうねと思う。誰のために泥かぶってるかと言えば、結局その筋なんでしょ。
相手が日教組であるというのは置いといて、右翼のような街宣活動がうるさいという理由ならば
警察署と協議の上で機動隊を動員するなどしてそれなりの対策を練ることもできたはずなのに
そういうことを行わずに一方的に予約をキャンセルした辺り、プリンスホテルまたは
西武グループ全体でいかなる理由であっても警察に踏み込まれると困る理由を企業生命に関わるレベルで
抱えてる事を堂々と言ってしまっている様にも受け止められるんだけどどうか?。
西武HDは上場取り消しをはじめとして大リストラをかけなければいけないほど、
近年色々トラブルを抱えているので民事問題のうちにカタを付けたいのだろうけど
余計に世間と社会を敵に回してる印象を受ける。
問題は「それなら最初から断れば良かったのに」ってとこなんだよね。半年も経って契約も済んで前金も払い込んで向こうでは多分告知も始めて……で2ヶ月前に突然一方的に「契約解除します。金返すから」って話が通るわけない。結婚式の式場予約とかしたことある奴なら分かるだろう。半年以上前から予約して打ち合わせして金払い込んで段取りを決めて……50人かそこらの宴会ですらそんなんだ。直前に「会場の都合で」とかいって会場側から一方的にキャンセルされて「金は返します」で済むわけないよな。
せめて余所を紹介するとか慰謝料込みでお引き取り願うとか、カドたてない方法なんていくらでもあるだろう。プリンスホテルの担当者ってどんだけ無能なんだよ、というのがオレの感想。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080202-OYT1T00729.htm
http://www.asahi.com/paper/editorial20080202.html
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/74044.html
(1)
ホテルは宿泊客を満足させることが最大の使命。騒音を垂れ流すやつらが周りを取り囲んだりしたら商売あがったりだ。だから今回の判断は妥当。そいつらが右翼かどうかってことはまったく本質的ではない。
これを集会の自由だとか表現の自由と結びつけるのは完全にこじつけ。論点の誘導も甚だしい。だいたいこういう自由を保障する主体として想定されてるのは私企業なの? 国家でしょ?
本当に集会開きたかったら公の施設を使えばいいし、私企業でも金積めばやらせてくれるところはいくらでもあるはずだし、なんなら河原や原っぱでやればいい。
(2)
司法判断に従うべきなんて主張は誰にでもできる。そんな陳腐な論理を展開するなんて仮にも一流を自負する新聞の社説として恥ずかしいと思わないのか?そもそも法律や司法の判断だって相対的なもの。それらが間違ってることだってあるし、今回の場合、ホテルにとっては法に従うことよりもその使命を全うすることの方が重かったんだ。こんな思考停止したやつらが論客気どってんじゃないよ。
あちこちで非難されてるけど、民間企業の経営判断としては至極妥当だよね(具体的にホテル‐日教組間でどんなやり取りがあったのか分からないから、報道で見たままの印象でしかないけれど)……?
契約しちゃった時点で自ら貧乏くじを引いたようなもんだからどうしようもないけど、契約解除による悪印象とホテルの周囲を右翼団体と警察車両に囲まれることによる悪印象を比較して、前者<後者だという判断は特に不合理じゃない(報道や司法がどう出るかという要素が賭けになるけど、何といっても前者の理由でホテルを非難するのはどうせホテルに泊まることもないだろう第三者であるのに対して、後者は現実にホテルを利用する顧客に影響するのだから)。公共施設と違って客が来なけりゃ潰れるんだから、そのあたりは特に切実なはず。
大企業の公共性が――みたいな意見も理解はできるけど、鉄道や電力と違って生活基盤でもなんでもない一企業にそんな公益性を求めても仕方ないんじゃないかな。私企業のこういう行動で社会規範を左右されるほど国民はバカじゃないよ。
とまれ、契約解除の話が出た時点でどっちも意地を張らずに全力で妥協案(代替施設の斡旋とか、運営方法の変更とか)を探っていたらこれほど話はこじれなかったんじゃないかと思うけれど。