2021-08-11

かつて、「キャンセルカルチャー」と呼ばれる社会運動があった

かつて、「キャンセルカルチャー」と呼ばれる社会運動があった。

それは、多くの人々がある人間不正に声を挙げ、その是正を求める運動のことである

その「キャンセルカルチャー」が進んだある時期の我が国では、首相になる人間が居ないことが大きな悩みであった。

なぜなら、首相候補となった人間が立て続けに、他人を傷つけるような過去所業週刊誌やらインターネットやらで明かされてしまい、

社会的地位が失われるほどに叩かれ、ことごとくスキャンダルとして立候補を取り辞めてしまたからだった。

そこではもはや、与党野党無所属もなかった。どの政治家立候補しても、批判となる種は必ずみつかった。

また、人々の批判候補者日常生活についてもその対象だった。交通関係特にそのターゲットとされた。

速度規制を守らない、赤信号無視して渡るなどが、今の時代でも理解できる例であろう。

それはいくら微細と言えど、政治に関わる者が法を犯すというのは、やはり人々から批判を受ける事項だったのだ。

もちろん、違反金を払うなど法の裁きを受けたものノーカンではある。

ただ、1キロ、2キロの速度オーバー、人が見ていないだろう歩行者信号無視などは、候補者自身でも罪を認識していなかったりする。

しかし、防犯カメラとその記憶容量の増大、そして人々同士で高まる監視の目は多大な効果を発し、

それが仮に交通による違反でなくても、ほとんどの候補者法令違反となる事項がみつかってしまった。

先に述べたとおり、他人を傷つけるような過去所業への批判と合わせると、批判をかわせる政治家は誰も居なかった。

その過程では、政治家ではなく市井の人間を首相とすることも試みられた。

○○団体会長、○○社の代表取締役など、そうそうたるメンバー候補となったが、

首相になるどころか、元々の社会的地位まで失うはめとなり、地位の高い人ほど、そのリスクから立候補忌避するようになった。

そして、候補対象一般人に至る。有象無象の様々な人間候補となったが、

自分と同じような人間首相になるのが気にくわないのか、その批判ますますエスカレートした。

その結末は文章にするのも憚られるほどだが、しかし、一般人立候補可能となることで、ようやく批判の嵐を掻い潜る候補者がみつかった。

それは、「生まれから一度も外に出たことの無い」人間だった。

しかし、その人物スペックはわからない。首相にもなった人間なのに、その人物が何者だったかもわからないのだ。

いわく、名前も年齢も性別も人々を傷つける情報になりうるから、とのことで不開示とされたようだ。

ただ唯一、人々の批判対象とならないことを明確に示すために、その「生まれから一度も外に出たことの無い」という情報けが明らかにされたのだ。

そのように名も知られぬ首相による政治は、人々の批判が求めるとおり、より「正しい」ものとなった。

まり、そんな人々の批判となる事項を市井の人間のやりとりにとどめずに、立法司法行政の取り扱う対象としたのだ。

いくら昔のことと言えども法による裁きを受けさせ、いくら些細なことと言えどもやはり法による裁きを受けさせることにしたのだ。

よって、多くの人々が罰金刑もしくは懲役刑対象となった。罪を受ければその所業は許されるため、より「正しい」世界が実現したことになった。

しかし、当時の人々の反応は違った。罪を受けた人々はもう批判対象となる事項はなくなったので、

巻き添えとするように、別な他人批判されるべき事項をインターネット上で明らかにするのがますます流行った。

立法司法行政は、それらの情報もことごとく法令違反として扱う。

もはや、人々は普通に生活を営むには多大なコストを強いられた。

例えば、会社に勤務するにも、給料よりも多大な罰金覚悟しなくてはならなくなった。誰も働きたくなくなる。

すると、人々は外に出なくなるようになる。その名も知られぬ首相と同じ状態となってしまったのだ。

そうして日本社会は穏やかに崩壊し、政治の立て直しが必要になった。

しかし、人々の批判は止まない。そんなあまりにも窮屈な社会情勢に反旗を翻した人々が居た。

実際に居たのだ。しかし、その人々がどのような行為を行ったかについては詳しく述べない。

なぜなら、たしかにその反旗はその時代必要ものではあったものの、「正しい」行為ではなかったからだ。

それは、当時の人々の批判に晒されるべき行為、実際に晒されていた行為であるからだ。

それなのに、その批判を無理やりねじ伏せることでクーデターは成立したのだ。それは「正しい」ことではない。

から、その内容には触れぬこととして、その名も知られぬ首相クーデターにより姿を消した。

いや、反旗を翻す中で何らかの刑を与えられ消えたというわけではない。純粋に姿を消したのだ。

そう、驚くべきことに、クーデターを企てた誰もかも、その首相の姿を見ることはなかったのだ。

そして、政治家大臣を含め、首相とのやりとりは通信を介してのものだと判明し、

結果として、その首相の正体を実際に見たものは誰ひとりとして居なかったことがわかったのだ。

現在も、歴史資料集にある首相一覧でひとりだけ、写真名前も載って居ないのはそういう理由だったのだ。

それでも、私はかつてあった「キャンセルカルチャー」と呼ばれる運動が正しかったと信じている。

そのクーデターによって、人々の批判は抑えられ、たしかに人々の生活は安定したものの、

その反動で、皆が知るとおり、現在他人を傷つけ合うのが当たり前の世界になってしまった。

私はそんな世界に耐えられない。

その復興を願うために、いや、一度失敗した「キャンセルカルチャー」をより合理的な形で実現するために、

その失敗に至るまで歴史を明らかとした。それを反省し、人々に支持される「キャンセルカルチャー」を実現したいと思う。

参考文献:https://togetter.com/li/1755429

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