2019-01-26

私と猫のお話

 子供のころは、家の方針ペットを飼うことはできませんでした。母曰く、「ペットは死んでしまうから悲しいかダメ」。子供心に残念でしたが、幸いにも友人がトラ猫を飼っておりたまに遊びに行っては撫でさせてもらうなどしていました。

 中学高校と進学するにつれ、猫と触れ合う時間は無くなっていきました。たまに野良は見かけるのですが、ほとんどの猫は荒々しく、遠くから警戒しているのが明らかだったので、近寄ることはありませんでした。

 大学進学のため一人暮らしを始めると、それこそ猫と触れ合う時間は皆無となってしまいました。当時の私は猫より犬派を自称しており、猫はあまたいる家畜一種しかないとうそぶいていました。

 そんなある日、半年ぶりに実家帰省すると黒猫がいました。玄関で一瞬だけ目が合い、すぐにドタバタと走り去り部屋の押し入れに飛び込む太ましい黒猫の後ろ姿を見て、私は思わず言ってしまいました。

 「おかあさん、ペット飼わないんじゃなかったの?」

 母は、マンション入口で鳴き声がうるさかっただの、やせていてみすぼらかっただの、餌を与えたら部屋に入り込んできただの言い訳がましく言っていましたが、先ほど見た後ろ姿は、どう見ても丸々と太るまでかわいがられた毛並みの良い黒猫です。本当にありがとうございました

 この猫、仮にイチゴ名前を付けましょう。イチゴは、人見知りする猫でした。帰省した日も含めて7日ほど滞在したのですが、結局押し入れから出て私の目の前に現れたのは最終日です。カリカリを食べている間だけ仕方ないなと撫でさせてくれる。そんな関係を構築して帰省は終わりました。

 大学に戻ると、母親から怒涛のようにイチゴ写真が送られてくるようになりました。これまで後ろめたかったのか我慢していたのでしょう。毎日のように送られてくる猫写真にさすがにあきれてしまったのですが、送られてきた写真スマホに保存しては日替わり待ち受けにしてしま自分も結局は同類でした。

 さらに数か月後、猫用のおもちゃ片手に帰省しました。イチゴと遊ぶ気満々だったのですが、こいつ、私の顔を覚えてねぇ。押し入れに飛び込んだままなかなか出てきません。やはり猫畜生かとつぶやいて、こたつに入ってテレビを見ていると、ふと背中視線を感じたような気がしました。振り向くと、押し入れから出てタンスの上にいるイチゴと目が合ってしまいました。

 いえ、違いますね。正確にはイチゴタンスの上から垂らした尻尾と目が合ってしまいました。そこから微妙心理戦が始まります基本的イチゴと目は合いません。テレビ見ていてふと気づくと、イチゴが部屋のいろいろな場所で後ろ向きに存在しているのです。私から近づくと逃げることがこれまでの経験からわかっているので、私も知らないふりをしています

 でも、トイレに行くために立ち上がった瞬間、ダッシュで押し入れに逃げるのは、傷つくのでやめてくれないかな。

 この神経戦は母が家事を終えてこたつに入ったところで終わります。こいつは母にはデロデロに甘えていやがります。母が首元なでるたびにゴロゴロ言っています。くやしいので、母の膝の上にいるイチゴに近づき、撫でさせてもらいました。あ、ちょっとゴロゴロ言っている気がします。

 母の仲介で少しだけ仲良くなったわけですが、次の日から少しずつ関係を深めていき、帰省の最終日には、「撫でれ!」という雰囲気で首をこすりつけてくるまでになりました。でもなんででしょうね。しばらく撫でていると、「へたくそ!」とガッと噛みつこうとしてくるの。フリなんでしょうが、びくっとしてしまます

 私とイチゴ関係は、母が送ってくる無数の猫写真と、帰省中のぎこちないふれあいが中心となりました。なお、帰省初日玄関押し入れダッシュからまり尻尾との挨拶そして撫でれガっ!という一連の流れは、何年たっても変わりませんでした。

 実際、イチゴはとても臆病な猫でした。母は飼い始めてからほとんど家の外に出したことがないようでした。一度ベランダに出したところ、車が通る音に驚いてオシッコもらしたよと母が笑い話をしているくらいですので、本当に臆病だったのでしょう。でも、家猫としてクッションの上でくつろぐ姿には貫禄すらあり、少なくとも家を出て半年に1回しか帰らない私よりは家の主の資格がありました。

 また、イチゴはもとよりそこそこ年寄りだったようです。写真をよく見ると頭の付近ちょっと毛が薄い部分があるのに気づいてしまい、母とちょっと笑ってしまったのを覚えています年寄り猫ですので、寒暖差にも年々弱くなっていきました。母は昔からクーラー嫌いで頑なにクーラーをつけなかったのですが、イチゴ真夏日にバテて病院に運び込まれから、部屋に最新のクーラーをつけると宣言したのです。驚きつつ、もちろん母のクーラー選びに付き合いましたよ。ええ。

 そんなある日、母から深刻そうな声で電話が来ました。イチゴ腎臓がよくないのですが、病院でもらった薬を飲むのをとても嫌がるとのこと。毎日飲ませないと死んでしまうのだけど、嫌がるのに無理やり飲ませ、無理やり生き延びさせるのは母自身自己満足なのではないかと母の声は暗く落ち込んでいました。

 そのとき、私はなんて答えたのでしょうか。正確には覚えてませんが、母親だけでなく、私もイチゴには生きてほしいと思うと答えたような気がします。母だけでなく私のわがままでもあると。結局、無理に飲ませることになりました。腎臓がよくないので大好きな煮干しも食べられなくなったイチゴ自身はどう思っていたのか、今でもわかりません。

 その後、1年ほど過ぎたでしょうか。母から短いメールが来ました。「イチゴが逃げた」

 たしか夕方ゼミ中だったと記憶していますメール見て、ゼミを抜け出し、母に電話をかけました。

 事情を聞くと、昼前に洗濯物を干すためにサッシを開けたところ、イチゴベランダに飛び出したようです。そのまま木を伝って降りて見えなくなってしまったと、すぐに外に出て探したのだけど全然見つからないと、途方に暮れているようでした。

 ごめん、すぐには帰れないと私は返事しました。そう返事したことを今でもはっきりと覚えています大学実家飛行機距離でしたし、卒業必要レポートの締め切り日も迫っていました。最終的に帰省したのは、電話から2週間後の土日になりました。そして、その間、母に電話メールもできませんでした。結局連絡せずに帰省し、母を驚かせることになりました。

 母は意外と元気でした。急な帰省で驚いてはいましたが、何のこだわりもなく温かく迎えてくれました。とはいえ、もちろん忘れたわけではありません。夜に二人で軽くお酒を飲みながら話をしました。

 近所に写真を持って聞いて回ったこと、首輪をしているか野良と間違えられることはないであろうこと、それでも見つからない可能性が高いこと、薬を飲んでいないので半分諦めていること、年寄り猫だったので覚悟していたこと、そして、悲しいけれど目の前で死なれることの悲しさと比べるとまだましであると気丈に話していました。

 次の日、私も母と一緒に近所を回りました。もちろん、見つかりませんでした。

 今私は就職し、一人暮らしをしていますしかし、ペットを飼うことは今後もないでしょう。母もペットを飼うことはないと断言しています。この前気づいたのですが、母のスマホの待ち受けが、先日生まれた姪っ子の写真になっていました。元気におばあさんをやっているみたいです。姪っ子にはおばあさんと呼ばせず、下の名前で呼ばせるつもりのようです。

 私も、姉から送られてきた姪っ子の写真を待ち受けにしました。今度、姉の家に遊びに行く予定です。もちろん私も下の名前で呼ばせるつもりです。

 スマホの中のイチゴ写真は、日々増えていくたくさんの写真に押されて奥へ奥へと流れていきます。だから私は、今日ネット上でかわいい画像あさります特に太めの黒猫大好物です。

  • anond:20190126013324 anond:20190126013538 女の書く文章って本当、読み辛ぇな・・・

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  • それくらいのことでもう飼わないとか人でなし。世の中には身寄りのないかわいそうな猫が沢山いて、飼ってくれる人を待ってるんだぞ。猫好きなのに飼わないなんて一番ひどいネグレ...

  • 求む、これを猫視点で書いてくれる増田筆者

  • うちの猫も死の直前は外に出ようとしてうるさかったなぁ 家の中でも静かで暗い場所を探してたよ

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