2018-07-13

絵を描けるようになるまで

たまに「絵がうまくなるには」みたいな記事を見るので

私がまあまあ描けるようになるまでの経緯を載せておく。

めちゃくちゃうまくもないがなんとなくときどきpixivランキングはいれたりRTを稼げたりはする程度。

ノートにらくがき期

もともと授業中にらくがきをしてしまタイプの子どもではあった。

二次創作絵も描くことはあったが、下手くそ自分がっかりするのであまり熱心ではなく、もっぱらなんとなく、好きな漫画家の真似をしながら意図もなく女の子男の子を描いていた。

なんでか意味もなく女の子の目に涙かいて泣かせるとかね、よくあったよね。

お絵描き掲示板

ネットを始めた頃、お絵描き掲示板が爆発的にはやり

漫画ファンサイトで300*300の大きさに狂ったようにマウスで絵を描いていた。

もちろんこの頃も下手くそだったが、同い年くらいのこどもたちがなれ合いでほめてくれた。

なにもかも人まねだったし稚拙だったし、お絵描き掲示板機能制限されていたが、「人に見せるため」の絵をたくさんかけたのはよかった。

自分技術でも、すこしはかわいいとか面白いとか思ってもらえるように、モチーフや色使いや画面内の余白を意識したり、人の絵を観察する習慣がついた。

細部をちゃんと描くとほめられるし説得力がでることに気づいたので、服のディティールや靴や小物なんかを面倒がらず資料探してかくようになったのもこの頃。

③人を描くのって楽しいね!

http://www.asahi-net.or.jp/~zm5s-nkmr/

しばらく小手先で描いていたものの、ガチで上手い人たちの絵がうらやましくなったので

当時流行っていたhitokakuではじめて「アタリをとる」という概念を導入した。

「上手い人たちは、顔を描くときに十字を描くらしい」

ということは知っていたが、他はなにも知らなかったので

頭のバランス、人体の骨格、全然できなかった手や足の描き方などをここで知った。

このときはじめて絵を練習するという行為をしたと思う。

ゆうちょうを一冊買ってきてお手本を真似していると、「自分に描けるもの」が飛躍的に広がったのを感じてすごく楽しかった。

この頃にペンタブを買った。

余談だが

東村アキコが「ロボット設計図」とめちゃくちゃにバカにしていたが

https://logmi.jp/259876

写真を見て漫画絵にレンダリングして模写できる」というのは結構習熟の必要作業だと思う。

絵心」ってなにか、といったら、見えてるところから見えない部分を想像する能力じゃないかと思う。

立方体を見たときの底面、手のひらを見たときの手の甲、立ってる足を見たとき土踏まず、顔を見たときの眼球。

目で見えてる範囲から見えない部分へどう繋がっているか、がわからず、「目に見えたものをなぞろう」としても、絵に落としてもなんか不自然になる。

なぞり書きだってうまくいかないときがあるのに、模写となるとなおさらだ

私には絵心がないので、それを理論的に教えてくれる「ロボット設計図」はほんとうにありがたかった。

漫画に挑戦期

お絵描き掲示板が下火になってくるとsaiを手に入れ、色塗りの技法効果お絵描き講座から仕入れて画面を華やかにできるようになった。

なんとなく上手く描けないな?というときもあったんだが、誤魔化しごまかしでなんとなくそれっぽい絵を描いていた。

ただ、漫画に挑戦してみた結果、ものすごい量の課題に否応なく気づかされた。

大きく分けて次の三つ。

1:パースがわからない。

2:意外と描きたいポーズが描けない。

3:白黒で見たときに絵の魅力がない。

⑤-1 パースがわからない

背景を誤魔化すにも限界があった。

それまでも、ときどき思い立ってパースについての解説をぱらぱら眺めてみたが

「あー、ふーん、相似ね? なるほどね???

みたくなってしまいよくわからないまま放置していたのだ。

ただ、人物からアイレベルを求めたりする解説ネットにいくつか掲載されるようになり、そのおかげでなんとなくそれっぽくできるようになった。

パースかんたん解説1:アイレベルの求め方 | 摩耶薫子着物の描き方」発売中 https://www.pixiv.net/member_illust.php?illust_id=3933143


今も三点透視でばりばりに背景描けるぜ!って感じではなく

なんとなーく一点透視や二点透視のやりかたがわかったな、という程度だが

今のところそれで困ってないので、なんとなくの知識パース定規を駆使してなんとかしている。

ビルの谷間を駆け降りるような絵が描きたくなったらまた頑張ろうと思う。


あとは、人体のパースという概念を手に入れたのはすごく大きかった。

それまでも、たとえば奥から手前にまっすぐ伸ばした腕やあぐらを組んだ足なんかがうまく描けないという自覚はあったのだが

人体のパースがわかってないからか!と気づいたとき目から鱗だった。

『やさしい人物画』のパースのあたりが楽しくてたくさん描いた。

http://loomis.sblo.jp/s/ (※原書)

それと、人物を描くとき、アイレベルより上をあおり、下は俯瞰、と意識して描くようになった。

それまではなんとなくぺらぺらしていた自分の絵に立体感が出た気がして、これも嬉しくてたくさん描いた。


⑤-2 意外と描きたいポーズが描けない

漫画のなかで、どうも自分の描くポーズが硬い気がして嫌だった。

ポーズ個性がない。

たとえば歩く人を複数人描いたときに、左右どちらの足が出ているかの違いしか出せないこと。

本当はちゃきちゃきした歩き方、靴を引きずるような歩き方、スカートズボンの違い、ヒールと革靴とスニーカーの違い、色々あるはずなのに、絵のなかでそれが表現できない。

「絵になるポーズ」の絵しかない。

たとえば座ってごはんを食べる時に、背中丸めただらしない食べ方や、へんなコップの持ち方や、そういう「絵にならない」瞬間が描きたかったし、そういう絵のある漫画は魅力的に思えた。

これについては「他人を観察する」というのを意識的にするようになった。

居酒屋のシーンを描くなら居酒屋で、電車のシーンを描くなら電車

どんな人がどんなポーズをしているかをみる。

ばれない環境なら真似してみるのもよかった。

もちろんその場で全部覚えられるわけでもないが、インプットした分は絵を描くときになんとなくにじみ出てくる気がする。

⑤-3 模索中、そしてhitokakuに戻る

3についてはいまだに模索しているところだ。

白黒の絵の魅力はすなわち描線の魅力だと思う。

グレーで細かく陰影をつければ疑似カラーみたいにできるけど、それは私の描きたい絵ではない。

線の魅力って不思議なもんで、絵のうまさや好みとは別のところで

すごく魅力的でいきいきした線の人がいる。

もしや才能なのか…と思いつつ、ペンの設定を変えたりソフト補正を調整したり、何より繰り返してかきながら自分の思ったような線が描けるように練習している。

hitokakuのはじめは「◯と│をひたすら描こう」と言われるのだが、当時の私はほとんど飛ばしていた。

最近またやってみている。


フラストレーションモチベーション

私は「基本から、教本にしたがって、積み重ねるように」練習をするほどまじめにはなれなくて、

その時その時で絵を描きながら、「もうちょいこういう風に描けたら楽しいのに…」というフラストレーション自分なかに溜まったら練習する、という感じでここまで来た。

もともと私のやる気はそういうふうにできている気がする。

道具もあまり新調しなくて、

今使ってる道具をうんざりするまで使い倒しながら

新しいソフトほしいあたらしいペンタブほしい、とフラストレーションが貯まったところで買うと

わー!なんてべんり!なんてすてき!!と思えて格段に楽しくなる。


二次創作効能

最近気づいたこととして、

二次創作軽率にたくさんやった方がいい」

と思う。

オリジナルの絵を描くのはすごく楽しいのだが、

なんと言っても二次創作他人デザインだ。

そこには自分では思いもよらなかった意匠がある。

そして、好きな作品であればあるほど、顔をかわいく描くことにすごくこだわるようになる。

他人作品触媒にしていろんなアイデア生まれる。

ひとつ作品をねっちり長く描くことも、ちょっと好きな作品をたくさんかきちらかすことも、どちらもすごく絵の練習になった。




前述のように私は今もまだまだ完全に描きたいように描けるわけではなく練習中の身だが、

なんとなく、こういうだらだらした練習のしかたでもそこそこはいけるようになるぜと言いたくなった。

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