アラサー世代の女性で、小さい頃から父親から叱られる=父親から叩かれたり、頬をつねられたり、つまりは痛い目にあうことがデフォルトだった、という方はどれくらいいるのだろう。
叱られるのにはきちんと理由があって、自分でも「ああ、これが悪くて叱られているのだな」と思えるのだけれど、とにかく痛いし怖い。そして「お前はこういうことして叩かれているのだ、わかるなバカ者!」というような言葉もサービスで付いてくる。すぐに思い出せる幼少期の記憶だと、リビングに貼られた九九表の前に私が立ち、泣きながら8の段を言っていて、間違えるたびに大声で「違う!!!!」と怒鳴られ、叩かれる情景が浮かぶ。思い出していて気付いたけれど、昔の父親の記憶で怒られたこと以外の記憶はほとんどない。お風呂に冗談で突き落とされて泣いたことを急に思い出したけどそれは今回あまり関係ないのでこれ以上思い出すのはやめようと思う。
私が叱られる原因の8割から9割は勉強のことだった。父親は勉強至上主義で、「この世の中で勉強が1番楽しい」が信条だった。そしてそれを娘の私に身をもって体験させてくれた。お陰で私は幼少から東京に住み、一人っ子長女としてすくすく育ち、訳も分からないまま中学受験の為の塾に通い、やっとのことで第2志望の私立に合格(補欠)、進学校を謳っている学校で大学受験に向けてまた勉強、やっとのことで大学に合格(滑り止め)した。
特に父親は語学に厳しく、中学に進学してから私に徹底して英語を教え込んだ。
その頃は彼が単身赴任だったため、私としても気が楽だったが、中1最初の英語の小テストが悪かった私に電話越しで大激怒。以来ほぼ週末ごとに帰ってきては何時間も何時間も私「と」勉強、私も夏休みや連休の時には彼の元へ赴き、何もない暖かな田舎街でいつ飛んでくるか分からない鉄拳やリモコンに怯えながら英語の勉強をしていた。
叱られて叩かれるのが嫌なら自分で勉強をして成績をあげれば何も言われないのでは、と思う方がたくさんいると思う。私もきっと昔はそう思っていた。自分なりに勉強したつもりで彼に備えていた。でも、私の一生懸命と彼の一生懸命が違えばまたそれで叱られることになるのだ。父親の彼が正しいと思う「ものさし」は鉄のように硬くて、私のような非力な子どもには曲げることができなかった。
そうなると、どうせ何やっても叱られるんだから何もしないでその場限りで痛い目にあってしのごう、という考えにシフトしていく。そうすると、どんどん「叱られている」という感覚が鈍くなっていく。「またいつものやつだから耐えよう」というある種のルーティンだった。反抗するなんて考えたことも無かった。それは「おとなしくしていればいつか終わるし、反抗なんかしたら絶対殺される」と思っていたからだ。寝ている間に殺されたらどうしようと眠れない夜を過ごした時もあった。反抗はしなかったけれど、殺られる前に殺ろう、とは思った。けれど、犯行がばれて自分の人生を棒に振るのがもったいなくて実行はできなかった。母に迷惑もかかる。
そういえば母は私をこっそり助けてくれたけど叩かれている私をかばうことはしなかった。母も父親には逆らうことができなかったからだ。私も母が痛い思いをするのは嫌だったので何で助けてくれないんだろうという気持ちよりは母にとばっちりがいくことの方が心配だった。
いろいろ思い出しながら書いていたので長くなってしまったけれど、結局私はやっと終わると思っていた父親との勉強+暴力のコンビが終わらなかったことに耐えかねて(大学の授業には必修で語学がある為)、初めて反抗期を迎え、やる気を失い、いろいろあって今現在アラサーでニートである。
ここまで娘がおかしくなってしまったので(父親のプランでは娘の私は大学を4年で卒業し、そこそこ名前の知られた企業に就職して、今頃は結婚して子どもがいる予定だった為)最近では暴力を振るったことに対する謝罪も聞くことができるようになったが、あくまでも彼の暴力は教育の一環、延長であり、虐待とは違う、という思いであるらしい。あと、教育以外のことにはほとんど口出ししてこなかったではないか、とも。確かに交友関係などには口出しされた覚えはないけれど、でもマンガ捨てろとか、スカートが短すぎるとか、化粧濃いとか髪の毛染めるなとか、言われてたぞ。勉強に関係ないことをやりすぎとか、思い出してみると結構言われている。
周りに私のような体験をした人がいないので、とても気になって今回色々と書いてみた。こうやって育てられたけれどもきちんと優秀な成績を修めて大学を卒業して就職して今幸せ、という人にはどうやって親を克服したのかぜひ教えて欲しい。
それから条件付きとは言え子どもに手を上げてしまうような教育をしている方は即刻やめてほしい。状況とか回数とかそういう問題ではないから。少なくとも私にはそうだった。頭を殴られた痛みはしばらく続くし、またそういうことをされると思うと萎縮してしまう。放たれた暴言はわんわんと脳みそに響きわたり、ふとした瞬間に思い出されて苦しい。多分教育的効果もない。上にも書いたけれど、自分の行為を反省するきっかけにはならなくて、暴力や暴言に耐える修行みたいになってくる。
あとお子さんが私のように大人になってから爆発すると、親子関係がとてもギスギスする。お互いの距離感が掴めなくなるからだ。距離は縮まることはほぼないと思う。
タイトルには、虐待だったのだろうか?というタイトルをつけたけれど、これが虐待だろうがそうでなかろうが、今となってはどうでもいい。痛みに耐えるだけの思春期はもう遥か昔のことになってしまって、取り戻せない。ただ自分が考えているより今までがしんどかったので今回文章にまとめてみた。お前よりもっとしんどくて苦しい人はいると言われたって私の辛さは私だけのものだと思っている。長くなってすみません。
うちは暴力はなかったけど、けっこう自分も似たようなものだから共感できるよ。