2016-05-04

就活落ちても日本は死にません。自分死ぬだけなのです

就活落ちた日本死ねというブログが注目を浴びましたね。

このブログを読んだ上でこれだけは言いたいと思って書きました。

どれだけ喚こうが、どれだけ叫ぼうが日本は死にません。自分死ぬだけなのだということです

 

筆者の意見には否定的な反応が多いようですが、私は同情を覚えずにはいられない。

何故なら、私も筆者と同じような心境に陥っているからです

 

 

私の状況をお話しますと、学生時代就活をしていましたが、内定を頂けず、現在既卒での就活を再開しています。私は10社ではなく20社ほどに絞って就活をし、筆記テストグループディスカッション、一次面接二次面接ときには三次面接とくぐり抜け、10社最終面接にたどり着きました。そして、全て最終面接でお祈りをされることになりました。最終面接10社辿り着けたということは、最低限の学力コミュニケーション能力理解力等は自分にはあるのでしょう。しかし何らかの理由で最終面接だけは通過できなかった。その理由は何なのか?フィードバックを頂いても、定まった答えは返って来ませんでした。自分の中でこれだ!と言った答えも見つからないままです

 

 

私が何を言いたいのか。

それはどれだけ勉強をしようが、コミュニケーション能力を磨こうが、インターン自己分析企業分析OB訪問等の就活の準備をどれだけしようが、どれだけ○○をしようが落ちるときは落ちるということです。なので、まだ10連続なら大丈夫。私のように落ち続けて既卒になった者もいます生存競争において淘汰されるべき者はあなたのずっと下に存在します。

 

そういった感情論とは別に、筆者は日本雇用問題に関して指摘をしている部分もあります日本においては人材ミスマッチ率が非常に高く、そして雇用満足度も低いという問題があります日本はここ20年、経済成長果たしておりません。諸外国と比べると、日本物価はどんどん安くなっています

日本GDPが成長していない理由。それは雇用だけの問題ではないでしょう。生産性の低さ、消費の停滞、労働者数の減少、終身雇用によるチャレンジのなさ、ただパイを奪い合うだけの長時間労働・・・様々な問題があります。そもそも、GDP指標にするということが古いのかもしれません。しかし、この企業学生による化かし合いの新卒一括採用雇用ミスマッチ引き起こし満足度を低くしているのは間違いないでしょう。何がしたいのかも、何が向いているのかも明確に定まっていないまま、就職した最初企業でうまくいく確率は低いとは思いませんか?

 

米国若者は18歳から28歳までに平均6.2回の転職を行っているそうです。もちろん、ここまでの転職回数を認めろと言っているのではありません。ただ、転職について、雇用主も雇用者ポジティブに考える事で良い結果をもたらすのではないかということです。何故なら、流動性の高さはマッチング率を高めるからです。新卒一括採用流動性の低さはミスマッチ度合いを高くします。恋人だって何人とも付き合って結婚相手を決めるのに、どうして雇用流動性が低くて満足できると思えるのでしょうか。

 

 

どんな社会構造においても勝つ人と、負ける人は存在します。

運が悪く負ける人になったのか、実力がなかったのか、それは分かりません。

ただ、そこにある事実面接に落ち続けた人ということであり、内定を貰えなかった人であり、それは必ず存在し得る人なのです。

そして、誰が助けてくれるわけでもありません

 

 

誰も助けてくれなくても、家族がいるじゃないか!という意見。ごもっともです。これまで様々な面で経済的援助、精神的な援助をしてくださった両親。非常に感謝しておりますしかし、こと両親の分からない範疇自分で決めたいと考える物事において、両親という存在が必ずしもセーフティネットになるとは限りません。何社受けたの?いつ決まるの?就活してるの?もっと○○したら?いい企業に入れないんじゃないの?など、自分は考えて行動をしていても、必ず親という存在プレッシャーをかけてくるのです。仮に僕が社会人の方々に聞いてきたことが正しいとしたら、中には全くアドバイスにならないようなアドバイスをしてくる場合もあります

 

 

就活人生で悩んでいる子供を抱えている親の方がご覧になっていたら、子供に声をかける前によく考えていただきたいです。あなた言葉プレッシャーになり、子供の心を壊してしまう可能性があることを十分に理解しておいたほうが良いと思います。私のような人間を生まなくてすむでしょう。

 

 

私は分からなくなるのです。自分がどう生きていけば良いのか。自分に何ができるのか。やりたかったことが出来ない人生

しかしたらそこでしか出来なかったであろうこと。先のみえない人生

それは筆者も同じでしょう。その中でもがいて生きていくのです。

日本は死にません。死ぬ必要もありません。自分に何らかの責任があり、自分が自らの失敗を背負うだけなのです。

踏ん張る。駄目なら色々な方法を試す。変化する。それでも駄目だ。

内定を貰うといった、多くの人が乗り越える壁を乗り越えられない私のような弱い人間生存競争において淘汰されるのみ。

私の心に対するプレッシャー閾値を超えたとき、ただ自分死ぬだけなのです

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん