2011-06-28

菊地成孔女性編集者は狂うのか」を読んで

菊地成孔ブログ女性編集者は狂うのか(同時多発)」http://bit.ly/lBvwiy)を読んだ。

女性蔑視だの放射能のせいで人が狂っただの、「けしからん!」という意見

「忙しかったんだよ」「ボーッとしてたんじゃない」「そんな人は、けっこういるよね」という感想も横に置いといて、

私はちょっと別の観点から考えてみたい。


この記事に登場するのはふたりの女性編集者

一人目は、執筆者にひとことも断りなく、突然「連載打ち切り」にしてしまった方。

二人目は、執筆者にひとことも断りなく、雑誌の次号予告で、勝手に寄稿の予告記事を出してしまった方。


これに関連して、以前、ネットでこんな話を読んだことを思い出す。

朝の満員電車に乗ってきた若い母親赤ちゃんがいた。赤ちゃんが泣き出した。

そこに「降りて下さい、迷惑です!私たちは働いているんですよ!」と母親に向かって叫んだ若い女性がいたという。


想像だけれど、これらの女性はそれぞれ、キレイで、仕事ができて、真面目で、気がきいて、情熱があり、一生懸命な方たちなんだろう。

自分たちのした行動が、非常識でありえない行動であることを、本当は本人たちが一番良く分かっているはずだ。


彼女たちをここまで追い詰めたのは何なのか。

私には、それが何なのか分かる気がする。


私は30代の女で、フリーランスとして仕事をはじめてそこそこになる。

以前、大口受注が決まったのはいいものの、厳しいスケジュールへの不安、一歩間違えれば次がないことへの恐れ、プレッシャーに耐え切れず、

彼女らと同じような状況になった時期がある。


私の場合は、クライアントへの書類を送るときに、使用済みの封筒の宛先をマジックで消して、

空いているところに宛名を書き、送るということをしてしまったのだ。

汚い封筒を取引先への書類送付に使う。社会常識ではありえないことだ。

もちろん、先方からはすぐに怒りの電話が来た。

私は、ひたすら泣きながら謝った。

その1年後、私はうつ病を発病した。


あのとき自分の行動のおかしさに気がついていれば、私は発病しなかったかもしれない。

ふだんから自分の抱えているストレスに気が付き、ちゃんと休養をとり、もっと楽に生きていれば、病気にまではならなかっただろう。

いまは、仕事を半分以下に減らし、最低限の暮らしをしている。

外食ほとんどできないし、好きな服を自由に買えなくなったし、旅行にもほとんど行けなくなったけど、

両親と食卓を囲み、友達と服を交換し、休みの日には図書館に行く。

あのときのような気持ちになることは、もうない。


私は今日も、社会の片隅でストレスプレッシャーと戦いながら、

しっかり、でもてきとうにサボりながら、自分なりに仕事をがんばっている。

そして、心にひっかかることがあったら、こんなふうにときどき、文章を書く。


電車母親に向かって叫んだ女性は、降りた駅のトイレで泣いたのではないかと思う。

私は、辛い彼女らの肩をぽんと叩いて、「まあ、ゆっくりやろうよ」といってくれる

友達や同僚、上司のような存在になりたい。


大丈夫あなたは、とてもよくやっているよ、と。

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