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はてなキーワード: 進学校とは

2007-10-06

京アニ版のCLANNAD - 原作から抜け落ちた描写・変わった描写(1話時点)

原作シナリオから自分が気になった所だけを抜粋したので、他の人が作ればまた別の物になると思います。2話以降で後付けで説明されたり、回想の形で挿入されたり、時間軸をずらして取り入れたり、というのも当然あると思います。京アニが、この長大な作品の、何を描いて何を描かないのかという取捨選択の趣向を見守っていきたいと思います。

また、あとから追記するかもしれません。→少し追記しました。

「町」とその開発への言及

やたらと自然が多い町。

山を迂回しての登校。

すべての山を切り開けば、どれだけ楽に登校できるだろうか。

直線距離を取れば、20分ぐらいは短縮できそうだった。

代わりに「売地」が写される。

アバンタイトル

女の子】「それでも、この場所が好きでいられますか」

………。

女の子】「わたしは…」

【朋也】「次の楽しいこととか、うれしいことを見つければいいだけだろ」

【朋也】「あんたの楽しいことや、うれしいことはひとつだけなのか? 違うだろ」

女の子】「………」

そう。

何も知らなかった無垢な頃。

誰にでもある。

【朋也】「ほら、いこうぜ」

最後の地の文が抜けている。

何も知らなかったから言えた台詞、無垢だったから言えた台詞。
 自分はこの町が嫌いだというのに、この場所を好きでいたいと考える女の子
 自分は変化を求めているというのに、変化を恐れている女の子
 ちょっとした反感から口を滑らせた、聞き覚えのいい正論

ネタバレ(文字白色):いずれ「変わって欲しくないもの」を手に入れて、そして失ってしまったときに、この言葉は自分自身に跳ね返ってくることになる。

ちなみに、アニメでは地の文の「………。」の箇所で、朋也が視線を落とし、次のシーンで朋也の顔が隠れることで反発を表現している。

朋也と春原の状況説明(若干ネタバレ)

母を亡くしたショックでだろうか…残された父は堕落していった。

アルコールを絶やすことなく飲み続け、賭け事で暇を潰す生活。

少年時代の俺の暮らしは、そんな父との言い争いにより埋め尽くされた。

けど、ある事件をきっかけにその関係も変わってしまった。

俺に暴力を振るい、怪我を負わせたのだ。

その日以来、父親は感情を表に出さないようになった。

そして、俺の名を昔のように呼び捨てではなく、『朋也くん』とくん付けで呼び、言動に他人行儀を感じさせるようになった。

それはまさしく、他人同士になっていく過程だった。

まるで殻に閉じこもっていくように。

今と過去との接点を断ち切るように。

突き放すならまだ、よかったのに。

傷つけてくれるなら、まだ救われたのに。

怪我についての描写はアニメではまだ無かった。

うちの学校は特に部活動に力を入れているため、地方から入学してくる生徒も多い。

そんな生徒たちは親元を離れて、ここで三年間を過ごすことになるのだ。

俺のような学生生活に夢も持たない人間とはまったく違う人種

関わり合いになることもなかったが、こんな場所にあいつ…春原は住んでいるのだ。

春原は元サッカー部で、この学校にも、スポーツ推薦で入学してきた人間だ。

しかし一年生の時に他校の生徒と大喧嘩やらかし停学処分を受け、レギュラーから外された。

そして新人戦が終わる頃には、あいつの居場所は部にはなかった。

退部するしかなかったのだ。

その後も別の下宿に移り住む金銭的余裕もなく、この体育会系学生が集まる学生寮に身を置き続けているのだ。

春原のドキュン

【春原】「ま、一年連中をどければ済むけどね」

【春原】「はい、ここ、僕たちの席ねーっ」

座って歓談していた一年連中に向かって、にこやかにガンを飛ばす春原。

【春原】「とりあえず学食いったら、誰かいるだろうからさ、ジュースでもおごらせようぜ」

【朋也】「そんなのばっかだな、おまえは…」

【春原】「よし、じゃ、いこう」

やることもなかったから、ついていくことにする。

【春原】「ねぇねぇ、ジュースおごってよ」

春原が後輩を捕まえて、そうせびっていた。

【春原】「百円じゃなくて、二百円」

【春原】「ふたりぶんだから。あっちの人も」

【春原】「うん、君、いい奴だねぇ。なんかあったら、僕たちに言っておいでよね」

【春原】「僕たち、学校の外ではぶいぶい言わせてるからさっ」

朋也の鬱屈

他の男子も、何事かと窓際に集まり始めていた。

…鬱陶しいこと、この上ない。

どんな奴かは知らないが、ミーハー連中と一緒にされたくない…。

あの中にいたら、むかついて誰か(主に春原)を殴っていただろう…。

暇つぶしには最適。

一日の授業を終え、放課後に。

春原の奴は最後までこなかった。

結局、今日俺が話をしたのは、朝に出会った女生徒だけだった。

朋也と渚の距離感

【朋也】「好きにしてくれ」

見捨てて、ひとり坂を登り始める。

ただ…

そんな不良に見えなかったから、話しかけてしまっただけだ。

それだけだ。

女の子】「あっ、待ってください」

どうしたものだろうか…。

遠慮なく、話を聞きすぎたような気がする。

気にならないといったら、嘘になるが…

気にしないよう、務めよう。

これからは、あいつ一人で頑張るしかないことだった。

進学校における受験対策に取り組むクラスメート達との距離感

三年で、ここに来ているのは俺たちふたりだけだった。(智代登場のシーンふたりは春原・朋也)

【朋也】「友達、作ればいいじゃないか、また新しく」

女の子】「時期が時期ですから、みんなそういう雰囲気じゃないです」

【朋也】「三年生だったか…」

三年といったら、もうクラブも引退寸前なのに…

それをこれから頑張ろうなんて…他人の目にはどう映ってしまうんだろうか…。

新入部員だと言っても、三年生だと知れば、部員たちの反応は当惑に変わるだろう。

ひとりでも知り合いがいれば良かったのだろうけど…。

アニメでは代わりに、同級生が朋也と春原の事を噂している描写と、委員長が不良生徒に話しかける珍しい事態に周りの生徒が注目している描写が入る。

渚を眺める女生徒視点

【女生徒】「見て、あの子」

【女生徒】「ほら、あそこ」

窓際にいた女生徒が窓の外を指さして、隣の連れに話しかけていた。

【女生徒】「ひとりで、パン食べてる。なんか、一生懸命で可愛い」

【女生徒】「どこのクラスの子だろ。あんまり見ない子だね」

アニメでは女性徒を下から眺める

自己紹介シーン

女の子】「頭の手は…なんですか?」

【朋也】「いや、別に」

女の子】「そうですか…」

【朋也】「ああ」

しばらく彼女は呆然と、俺はその後ろで彼女の頭に手を置いて、ふたり立ち尽くしていた。

端から見れば、おかしなふたりだっただろう。

【朋也】「俺はD組の岡崎朋也

【朋也】「あんたは?」

女の子】「…B組の古河渚です」

【朋也】「よろしく」

古河】「はい、よろしくお願いします」

遅すぎる自己紹介

ふたりだけは、出会いの日の中にあった。

古河】「………」

古河】「それで…」

古河】「演劇部はどこにいったんでしょうか」

【朋也】「よろしく」

古河】「………」

古河】「はい、よろしくお願いします」

古河】「………」

古河】「で、演劇部は…」

【朋也】「よろしく」

古河】「はい、よろしくお願いします」

古河】「で、演劇部は…」

【朋也】「よろしく」

【朋也】「ひとりで帰れるか?」

古河】「はい、もちろんです」

【朋也】「ハンバーグでも食って、元気つけろよ」

古河】「え?」

古河】「岡崎さん、すごいです。今晩、ハンバーグにしようと思ってました」

この箇所は原作でも印象的なシーンであり、電撃G'sマガジンで連載中のCLANNADの第一話も、ここをクライマックスにしていたため、この描写が抜かれたことに違和感を感じる人は多いようだ。

ただ尺の問題上「お連れしましょうか」のシーンを第一話のクライマックスにする事に決めたとしたら、

といった理由で、かなり難しいのではないか、と思う。

ハンバーグ伏線古川家のシーンで回収されている。

家から飛び出し渚宅へ

こんなところに来て、俺はどうしようというのだろう…

どうしたくて、ここまで歩いてきたのだろう…

懐かしい感じがした。

ずっと昔、知った優しさ。

そんなもの…俺は知らないはずなのに。

それでも、懐かしいと感じていた。

今さっきまで、すぐそばでそれを見ていた。

子供扱いされて…俺は子供に戻って…

それをもどかしいばかりに、感じていたんだ。

………。

「もし、よろしければ…」

代わりに、電灯のついた部屋を見上げる。

プロローグ(ネタバレ) (追記)

一面、白い世界

………

雪…

そう、雪だ。

今なお、それは降り続け、僕の体を白く覆っていく。

ああ…

僕はこんなところで何をしているのだろう…。

いつからこんなところに、ひとりぼっちで居るのだろう…。

………。

雪に埋もれた…僕の手。

それが、何かを掴んでいた。

引き上げる。

真っ白な手。

女の子の手だった。

ああ、そうだった…。

僕はひとりきりじゃなかった。

彼女の顔を覆う雪を払う。

穏やかに眠る横顔が、現れた。

そう…

この子とふたりで…ずっと居たのだ。

この世界で。

この、誰もいない、もの悲しい世界で。

完全なネタバレ(麻枝准の他作品のネタバレも含む)なのでここから文字を白色に(匿名ダイアリー続きを読む記法が使えないようだ。キーワードリンクも消せない。)

ゲームでは、開始時点は幻 想 世 界編であり、そこから始まる本編は長い回想のようなものだと解釈できる。

(もっとも幻 想 世 界では時間が意 味がなさないので『回想』という表現は相応しくないかもしれない。)

麻枝准が自ら企画した作品は最初のシーンに後から繋がる、戻ってくる、という話が多い。

  • ONEという物 語の構 造は主人 公が、幼い頃の悲しい出来 事が原 因で思い描いた「えいえんのせかい」から始まり、そこで各ヒ ロ インとの学園でのエピソードを回想することによって、元の世 界に戻る動機 付けを見い出して回 帰する話である。学園エピソードの前半ではそれが回想だと気付かない作りになっている。(より正確に書くと,メ タな位置にいるはずのプレイ ヤにとってはリアルタイムの出来事が、作品中の主人 公にとっては回想になっている、という捻れた構造になっている。)
  • AIRゲーム版では、OPムー ビーの最後から繋がるシーンで、ラス トシーンの少 年が呟く「さようなら」という言 葉を国崎行人が夢うつ つに聴いている。(この時点では何のことが分からない。)これはアニメ版では抜け落ちてしまったが、代わりにアニ メではEDの少 年に「昔の事を思い出していた」という台詞を言わせている。A I Rのプロローグ「我が子よ、良くお聞きなさい。これから話すことは大切な事、これから・・・」のシーンも、クライマ ックスで再び使われている(これはアニメ版でも一緒)。このシーンはプロローグで使われたときは国崎行人と,その母 親を想起させる( 注:「力」を持つ者に課せられた、はるか遠い約束,というフレー ズに基づく)が、クライマッ クスで使われたときは「最初の翼 人」が自らの子 供に語りかけた台詞になっている。
  • 智代アフターが回想なのは自明なので省略。

アニメ版ではプロローグを省いているため同じような仕掛けはやらないつもりなのかもしれない。

(仮に、アニメでも本編が回想である、という前提に立てば、アバンの『二人が出会った瞬間「光が揺らめ」いて彩度の上がる演出』は

朋也の思い入れ(「今思えばあの頃から俺は・・」的な)の反映とも解釈できる。)

しかし回想は積極的に使われていて、視聴者は、作中人物である朋也の主観的な時間軸を行ったり戻ったりする。

(注:以下では「語られる」=物語として表現される、の意味

  • 13:20の「なんてな、他人に説教なんて出来る人間か俺は」のカットで、そこまでのシーンが回想だった事が分かる。この回想の特徴はどこから回想が始まったのか定かでないところ、少なくとも初見では回想だと気付かせないところである。その後、先ほどの回想シーンの続きである自己紹介シーンになる。そして消しゴムの欠片を投げつけられ回想が終わる。ここでは出来事の語られる順番は「回想される過去の時間」→「回想している今の時間」になっている。(回想のきっかけは、授業が暇だったからだと思われる)
  • 16:33から 時間を潰そうにもすることがなくなって途方にくれた朋也が古河パンを訪れるときに入る回想。帰宅時に渚が自宅を紹介してもらった記憶を思い出している。ここは回想だと明確に分かるシーンである。この回想は、視聴者がまだ見たことの無いシーンになっている。つまり、ここでは出来事の語られる順番が「回想している今の時間」→「回想される過去の時間」になっている。(回想のきっかけは、することが無くなったからだと思われる)
  • 20:54から 朋也が家に帰りながら、渚との別れを思い出す回想である。回想は音声だけであり、映像リアルタイムである。このシーンでは「回想している今の時間」と「回想される過去の時間」の出来事が、同時に語られる。(回想のきっかけは、自分の家の惨状を思い描いたからだと思われる)

(書きかけ)

メモCLANNADMAD的である理由
 静止画MADムービー(静止画とテクストの断片と、音楽シンクロ)、葉鍵系MAD全盛期(訴訟警告前)、動ポモMADムービーに関する記述(トレンドパロディ原作感動の再現)
  音楽キャラクターが、世界連続性を担保しているー断片の羅列が世界を表現する
    麻枝准執筆方(音楽イメージが無いとシナリオが書けずCDを延々と探している)、「ゲーム音楽は1/3」という麻枝の発言
    「キャラ」が連続性を担保している(テヅカイズデッド)
  ADV形式ゲームの記号性(動ポモ)
 CLANNADシナリオに対する二つのアプローチ:エクセルによる時間管理(監督石原達也) 全エピソードのカード化と、パズルのような組み合わせ(脚本家志茂文彦)
 

ハルヒの成功がもたらしたもの:
 キャラクターメタ物語性の確認:SFミステリーギャグロマンスも同じキャラクターで可能である。(昔から。フルメタだってギャグリアルだし、FFのようなRPGだって、(何故日本の作品にはシリアスな作品にもギャグがあるのか(ask john)),麻枝准は何故シリアスエピソードで笑いを入れるのか(ONEのバニ山バニ夫、Kanon舞エピソードのウサ耳、CLANNADアフターの風子参上、リトバス最終エピソードの丁寧に伏線まではってある筋肉大増殖)
 時間軸を各自の脳内で再構築できる視聴者層が、商業的に成立する規模(DVDの売り上げがトップクラスになる程度には)はいた事の発見
 「仕掛け」れば見つけてくれる視聴者と、その情報が直ぐに広まるネットワークキャラ紹介の波線の演出は智代アフターだよね、白地の背景で「朋也の後を渚が・・」ってとこも智代アフターのOPかも?
EDのウサギはONEのバニ山バニ夫。EDのだんご大家族映像NHKっぽいのは、当然だんご三兄弟パロディだから
シーンのトランジションワイプなのはゲームのADVのパロディ
猫。幽霊
智代登場シーン。不良サングラスギャラリーが映り、顔から汗がたらたら流れる→闘いたいわけじゃないけど、ギャラリーがいるから後に引けなくなってるのかな。不良が持ってる武器フライパンってことは、ゆきねえの取り巻きかな、みたいな解釈話も含めて

2007-09-10

オタクじゃない俺がエヴァを語る

高校二年の夏休み、たった4日間でエヴァの全編が放映された。

エヴァはそれ以前から何かで放映されていたんだろうけれど、

今でもそこら辺はよく知らない。

そんな俺がエヴァにはまる4日間。

当時、進学校に通う俺は、

今まで好きだったサッカーをやめ、

徐々に受験勉強を始めつつも

のんびりとした高校生活を送っていた。

もちろん、彼女なんていないぞ。

当然、夏休みは特に予定がない。

せいぜい塾に行くか、プレステをやるくらいだろう。

それでも暇が苦痛じゃなかったのは、高校生だからだろうか?

そんな生活を送る中、あの4日間は衝撃的だった。

あれを見た後、夏休みノスタルジックなものに変わった。

いったいなぜ?

今でもそれはよくわからない。

エヴァ純粋に面白いアニメだった。

不気味な使徒がどこからともなくやってくる。

そして、頼りないポンコツロボにハラハラさせられる。

使徒ってなんだろう?どこから来るんだろう?」

「まだ秘密秘密兵器はあるのかな?」

謎めいた設定がいっぱいあって、好奇心をくすぐるSFワールド。

そんな舞台で、弱々しいシンジ

不思議綾波レイと、魅力的なアスカ

かっこいい大人のリツコさんが活躍する。

そして、彼らはオンリーワンであり、それぞれが悲劇の主人公

活躍の場が与えられた彼らをうらやましく思ったし、

それと同時にせつなさを感じた。

俺はレイ派かアスカ派かと言われればアスカ派だ。

まあ、正直なところアスカに軽くほれた。軽くだぞ!!

そんな俺にとって、エヴァ残酷だったのは、

アスカ使徒にやられて、そのままストーリーが完結してしまうことだ。

もう一回アスカが見たい、そんな期待を裏切られた。

そもそも、あのアニメ全体が、希望を裏切るストーリーになっている。

主人公シンクロ率がどんどんあがっていく才能を持った人材だ。

だけど、あのロボットはとても弱い。絶望的に弱い。

正義ヒーローロボットに乗った瞬間、カスのように弱くなる。

ストーリー全体がどうやって終ったかはよく覚えてないし、

劇場版も見てない。

人類補完計画が実行されたのかよく知らないけど、

人類補完計画残酷だよね。

結局、地球は守れたのか?

みんな幸せになれたのか?

謎めいた設定も結局のところ謎で終ってしまった。

それについて友人といろいろ語り合ったものだし、

その情報を求めて、わざわざゲルゲットショッキングセンターラジオで聞いてみたりもした。

エヴァが他のアニメと一線を画するのは、

そういった表に出て来ない設定に深みがあるところだとは思う。

それ以上に、ハッピーエンドで終らせてくれないところに、

多くの人がノスタルジックなっちゃったのかな・・・

俺はもう27歳のいい大人だ。

あの静かでのんびりとした生活を送っていた17歳の平和さを

もう一度感じたいと切に思う。

いい意味で若い時は平和を感じられる。

エヴァの中の主人公たちは平和の中で、刺激的な非日常を送っていた。

アニメなんだから、非日常なんて当たり前だとは思う。

だけど、僕が憧れているのは、エヴァの中の日常なのかもしれない。

その日常は現実の世界にも転がっている気がする・・・

現実は期待を裏切るものかもしれないけれど。

おそらくリメイクされた劇場版を見ることはないと思う。

機会があったら見るかもしれないけれど、そこまで見たいとは思わない。

でも、アスカハッピーエンドがあるなら、見に行くかもなー(てへ

2007-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20070902003512

そういう放任系進学校も昨今は近隣住民の眼が厳しくなって

管理体制が強化されているという傾向があるように思える。

文化祭とか体育祭の後に飲酒して打ち上げとかはまぁ、極端な例だけど、

休み外食とかがOKだったのが禁止されるようになるとかね。

本からきつい学校に居た人はそれくらい我慢しろと思うかもしれないけど。

今、ニコニコ動画マナーの悪い学生の客の動画見たけど

あれはきっと偏差値があーだこーだいう話じゃないなと思った

私の経験なんだけど、私の最寄り駅には私の県の1、2を争う進学校の人が、線路上を走り回っていたことがあった。

だから、なんだろうか 若さっていうのはわからないものだなと思った。

2007-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20070830203155

関西ではそれがごっちゃになっているんだよね。

私立進学校だとエリートサラリーマン経営者開業医(これは西日本特有か)の子弟が混在。

公立進学校最上位は大差無い。開業医の子弟が少し減る程度かな。

2007-08-29

格差と想像

こういうことを書くと「偉そうに」と怒られるのかもしれないけど、ある意味TB先と同じ話だと思うので書いてみる。

http://anond.hatelabo.jp/20070826235204

私は親には相当程度恵まれていたクチで、別に裕福ではなかったけれども教育費に事欠くようなことはなかったし、親の勧めで進学校に進み、世間的には一流と呼ばれる大学に進んだ。自分自身その当時の境遇には満足していたし、親も喜んでくれたし、ささやかな優越感を楽しむことも出来た。

大学は楽しかったが、私は特に大学の成績には興味が無かった。先輩の話を聞いていても、大学の成績が良かったからといって、それこそ総代にでもならない限りは大したメリットは無さそうだったし、なにより自分が興味をもてない科目をちゃんと勉強するほどの忍耐力は子供の頃から全く無い。自分の好きな科目だけはすべて優でそろえてそれで満足していた。

卒業して就職し、何年か経つと、周囲の友人たちの一部が留学を始めた。それまで自分が海外で暮らすとか、海外勉強するなどということは想像の遥か外側にあったので、そういうことが可能なのかということ自体に結構驚いた。その当時はそれ以上考えが進むことは無かったのだが、仕事をしていくとその分野で日本が決定的に立ち遅れていることが見えてくる。これはちゃんと勉強しておかないと10年後に必ず行き詰るなと思ってアメリカ留学の準備を始めたのだが、ここで壁にぶち当たった。

アメリカ大学院はどこも学部時代の(場合によっては高校も含めて)成績を重視する。GPAで3.3(優と良が半々で少し良が多いくらい)は足切ラインであって、それ以下だと申込書を送ることすら出来ない場合もある。もちろん、実際に一流校で合格を決めるにはそれよりも遥かに高い、例えば3.9(ほとんど全部優)とかが求められる。GPAなんてものは存在も知らなかった私の成績は3.3を割り込んでいた。

もうひとつ重要なのが推薦状。アメリカ大学博士号を取り、出来れば本人も世界的な業績をあげている人に推薦状を書いてもらうことが望ましい。残念ながらそんな人はほとんどうちの大学にはいなかった。というか、そういう先生ごろごろしているのは東大他数えるほどしかない。しかも推薦状は3通必要。私は推薦状のネームバリューを考えるどころか、3人の推薦人を揃えるだけでも精一杯だった。

それでもなんとかアプリケーションを書き上げ、会社に隠れてTOEFL勉強をし(この時期の平均睡眠時間はちょっとやばいことになっていた)、会社に迷惑はかけられないので合否の結果が出る前に辞める宣言をして代わりの人材を自力で調達し、やることはやって合否の結果を待った。結果はほぼ全滅に近かった。中堅大にぎりぎり引っかかっていたのは運が良かったとしか言いようが無いが、その当時はその幸運に感謝する気にはなれなかった。

その後アメリカに行ってから、自分がアプリケーションを出した大学のうち結構な数が「世間的には難易度がそこまで高くないと思われているが、募集人数が少なかったりして実は非常に入りにくい大学」であったことを知った。比較的まともな大学日本人を積極的に受け入れるところがあったこともその後知った。東大からハーバードみたいなところに進む連中は、学部生のうちから留学準備をしている先輩を毎年見ているわけで、この辺りの情報常識であったらしい。まぁ、ハーバードMITだのに進む学生はそもそも私などとは比べ物にならないほど優秀だったので、特に腹も立たなかったのだが。それでも、うちの大学でもGPA3.8位あれば学部によっては超一流大を狙えた事を知ったときは少し堪えた。

中堅大のハンディキャップ就職活動に現れる。ハーバードMITスタンフォードイェール、そしてプリンストン(分野によってトップ5の大学は変わってくるが)。これらの大学にやってくる求人広告とうちの大学に来るそれとはかなり明確に差が出てくる。イェールの友人にそれを愚痴ったら、「ハーバードMITは特別扱いなんだ」と愚痴られた。

もし日本大学に入った直後にこの辺りの事情を知っていたら、そして自分にもそういった「とんでもなくエリートっぽい」キャリアパスがあり得るのだと想像できていたら、自分の人生はもう少し楽になっていたと思う。情報なら幾らでもあった。世の中には留学ガイドがあふれていたし、掲示板にだって色々なことが書いてあった(その頃はまだインターネットは無かったわけだが)。本屋でちょっと手に取っていれば必要な情報の半分くらいは入手できただろう。でもそうしなかった。そんなこと想像も出来なかったのだからしょうがない。親も友人も、海外にまで出て行く人間などいなかった。就職先で留学する人間に出会わなければ、今でも想像できないだろう。

結局、人間社会に縛られる。それはしょうがない。誰かが悪意を持って情報を隠しているわけでもない。多分こちらから聞きに行けば喜んで教えてくれただろう。でも私はそうしなかった。想像力が足りなかった。想像力が足りない自分が「悪い」わけじゃない。ただ運が悪かっただけだ。それでも、そういう運の良し悪しも含めて自分の人生なわけで、それを嘆いても始まらない。架空の「すべてをコントロールするエリート」をでっち上げて彼らのせいにしたって虚しいだけだ。

結局私は海外就職して必死に働いている。多分また無意識のうちに別の「社会」に縛られているのだと思う。もう少し世の中が見える人からは遠回りしているように見えるのかもしれない。でも自分に出来るのは手持ちの知識と能力と時間のなかでベストな選択をすることだけ。今の自分に満足できないからって「格差社会が悪い」と大上段の議論をするより、自分の手持ちの駒の使い方を考えたほうがいい。

re^2:努力すれば格差を乗り越えられる、なんて思いつかなかった

「re:努力すれば格差を乗り越えられる、なんて思いつかなかった」を書いた増田です。

http://anond.hatelabo.jp/20070827232043

ブックマークが25も付くとは思ってませんでした。元記事のお陰で良い文章を読ませて頂きました。厚謝。

ただ反応を期待して本心ではあるのだけど強めに表現しました。ごめんなさい。

せっかくなので二点ほど訂正というか補足をしておきます。

まず、ぼくの田舎の当時の進学率については間違いありません。雰囲気もあの通りで、大学に進学するということはそれ相応の結果が出せるであろうひと、つまりは成績上位者に限られ、進学校へ進むべく事務手続きが行われていました。

これらをぼくが格差と考えているかと言えば、まったくそうではなく、ある意味合理的だとさえ思っています。http://anond.hatelabo.jp/20070828161450にも書かれていますが「地域格差と言うけれど、それはそれで一つの需給社会が形成されているのかもしれない」は真実に近いと思います。田舎仕事をする限りには学歴重要とはなりませんし、ほとんどのひとびとは不満もなく生活しています。

それでも勉強したいと考える者にとっては大きな負担になっていることも確かです。奨学金は借りられるでしょうが、親の年収を見ている限り絶望的に高価な先行投資に感じるでしょう。

その意味で返還不要な奨学金制度は絶対に必要だと思います。政府が考えるべきなのでしょうが、優秀な人材を育てることは(育つかどうかは別にして)、国の利益になると思うのは飛躍しすぎかな。

二点目としては、ぼくは田舎に嫌気がさして東京に出てきています。運よく幾つかの会社を渡り歩き、そこそこの年収を稼いでいます。多分大卒と比較しても遜色ないでしょう。でも、ぼくくらいがこれだけやれるのだから遙かに優秀だった彼とか彼女とかが学ぶべきことを学べばいろいろと可能性があった気がします。単純にお金の問題や指摘されているように情報格差の面もあるでしょうが、日本という国はひとを育てるのがヘタだなと単純に考えたりもします。少なくとも「裕福でないと大学にいけないという幻想」が事実であれば中学くらいからアナウンスする必要があるでしょうね。

話題としては避けましたが大学にどのような価値を見いだすかは別に議論が必要でしょう。4年間遊べる場所…そんな訳はないと信じてますが(笑)

最後にトラックバックしてくださった方、ブックマークしてくださった方、ありがとうございました。はてな初心者なんですが、元記事の流れも割合冷静で勉強になりました。

2007-08-28

「お前なら抱ける」って言った友人

自分では共学が良かったけど、進学校だからって親に薦められて高校男子校に行ってた。

彼女いる奴のエロ話を休み時間に車座になって聞き入ったり、みんなで柔らかいものを集めて、そいつに揉んでもらってどれが一番おっぱいの感触に近いか鑑定してもらったりするような、バカでモテない奴ばっかで、みんな女と女についての話題に飢えていた。

痩せ型で女顔だった自分はそこで女役みたいなキャラ付けをされた(といってもそこまで美形ってわけじゃない。外国人に女に間違えられたことはあるけど)。みんなに「可愛いなぁ」って言われるキャラクター。「いいお尻してんなぁ」ってお尻触られて「って、男かよ!」でみんなで笑う。後ろから胸の辺り触られて「おっぱいさえあればなぁ」でみんなで笑う。女扱いする→でも、男じゃんで笑うパターンができてた。

そんな高校時代の友人たちと、久しぶりに会って喋った。数人でプチ同窓会。みんな大学に入って彼女作ったり、それなりに恋愛経験をして、もう俺を女扱いして笑ったりすることはない。

その場に来てない一人のクラスメートの話題になった。伝聞でしかないが、そいつは今、男と同棲して暮らしてるらしい。手を繋いで歩いてるのを見た奴がいるとか……。

そいつとの思い出がふっと頭に浮かんで、離れなくなった。そういえば「お前なら抱ける」って言ってたなぁ。本気だったのか……?

少しだけゾッとした夏の夜。ちょっと怖い話。

2007-08-27

re:努力すれば格差を乗り越えられる、なんて思いつかなかった

スレ元の増田氏が羨ましくてちょっと書いてみる。

「裕福でないと大学にいけないという幻想」を読んでモヤモヤしていた。

面白くないかもしれないが、ぼくの在郷の話をしよう。

ぼくの田舎は丸ごと貧乏だった。一部土建屋連中公共事業のお零れに預かりそこそこ儲けていたようだが、大半は世間の六割以下の収入だ。

運命中学卒業で決まる。ぼくが卒業した十数年前には50名のクラスメイトが居たが8割は山一つ向こうの偏差値最低の屑のような高校に進む。高校くらい出なければ恥ずかしいからだ。そして1割は山を10ほど越えた工業高校へ下宿して進み、ほんの一握りの4名が大学へ行くためにこれも下宿して各進学校へ進んで行った。

当時ですら大学の進学率は4割を軽く超えていたが、我らが田舎から大学に進んだ同級生は4名だった。単純に成績で篩に掛けられ1割が残った。

「裕福でないと大学にいけないという幻想」というのは分かる。努力すれば行けるだろう。

しかし自分が大学へ進むべきかをだれが判断できるのだろうか。ぼくは自分が大学に行く姿なんか想像も出来なかった。理数が得意だから工業高校が良いだろう。それだけですよ。高校卒業しても半数は貧乏農家を継ぎ、残りは工場で交代制勤務。運が良ければ役所に勤める。

格差なんてものは十数年前からぼくの田舎では固定化されていたんですよ。

そんな格差なんてものはどうでもよい。

「裕福でないと大学にいけないという幻想」とほざく連中は同じ苦労を後輩らに負わせるのだろうか。

それが幻想でない社会の仕組みを考えるのは高等教育を受けた連中の特権ではないのか。(役人どもは変えるつもりなどないのだろうが)

わたしは努力して勝ち組になりました。はいお終い、悔しかったら着いてこい、なんですか。

まあ、お金貯めて大学に行けばとも思わなくもない。しかしそれは無茶。結婚などしたら到底不可能ですよ。

別にこの人生を恨んでいるわけではないが「幻想」とまで言われると虚しさにおそわれる。

http://anond.hatelabo.jp/20070826235204

2007-08-26

http://anond.hatelabo.jp/20070826210347

自分が陥っている不幸を客観的に書き下せないようならそこから抜け出すのは、不可能ではないか?

あといい大学に入って出ても、留年浪人が3年を超えると就職市場では価値がほとんどないよ

手に職がつく医学部の方がまだましかもしれんが学費がかかるなあ

俺は、貧乏→公立進学校国立大→一部上場有名企業 です。

2007-08-24

僕の主張はいつも通じない

大学受験環境が大事で、膨大な時間と努力を有し、

進学校予備校に入らなきゃ有名大学に行けないというのは、メディアが植え付けた偽りのイメージで、みんな騙されている。

大学受験予備校に行く必要も、もっと言えば高校に行く必要もありません。

家で参考書の丸暗記、これだけでOKなのです。英語なら単語、熟語、構文、文法についての参考書を四冊丸暗記すれば偏差値60越えます。

四冊覚えるのにかかる時間は一ヶ月ほどで、これをこなせば自然に長文が読めるようになる。だから、予備校高校も必要ないのです。

という主張を僕がすると、周りの友人は相手にしてくれない。みんな進学校予備校に在籍してたからだ。

引きこもり大検を取って進学したのは僕だけなので、まぁ、通じなくてもしょうがないかなって思う。

ところが、大検出身のコミュニティに行っても通じない。

例えば僕が「大検は簡単だから一週間くらいの準備で受かるよ」って言うと「適当なこと言わないでください」と怒られる。

実際、大検は簡単なんだけどなぁ。出される問題は中3レベル

勉強ってのは不思議なもので、やってる時は難しく感じられても、対象年齢より上になると、途端に簡単に感じられるようになる。

というようなこと言うと「大検受ける人は中学から不登校の人も多いんです」って言われた。僕もそうなんだけど。

で、引きこもりコミュニティに行くと、やっぱりそこでも駄目だ。引きこもりの人はみんなネガティブで「引きこもりはよくない」と言う。

「頭が悪くなっていくのがわかる。ちょっとしたことでも思い出せなくなる。記憶力が落ちる」と言ってくる。みんな「そうだよね」って同意する。

僕は引き篭もるのは良いことだと思う。本がたくさん読めるし、余分なものが削られて思考が洗練化していくのが実感できる。

引き篭もった前と後なら確実に後の方が頭がいいと思う。引き篭もってなかったら、たぶんつまらない人間になっていただろう。

こういうことを言うとネタ扱いされるか「必死に自己を肯定しようとしてる」と捉えられる。

結局、どこに行っても僕の主張は通じない。僕の主張をニコニコ頷きながら聞いてくれるのは、今のところ祖母だけです。

2007-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20070811234155

愛媛進学校(公立)だったけど、半分くらいが県内だった。

偏差値が高い人でも広島神戸大阪京都まで。東京方面行く人は年に1人くらい。

不便な割に地元志向は強いと思う。

2007-08-10

よーし夏厨らしく長文いっちゃうよー

小学校で、気性の荒い肉体労働者が集まる地区の学区にいました。

彼らのご子息は、最初は特に私をいじめる意図はなかったようです。しかし、その過酷なボディーランゲージは軟弱な私を虐められていると錯覚させるのに充分で、そのうち本当にいじめのような関係が築かれていってしまいました。自殺を検討しましたが、手首を切ったり飛び降りたりするための勇気がなくて、できませんでした。今考えると勇気がでなくてよかったです。

そのころ私が進学したら通うであろう学区の中学校は荒れに荒れており、施設は荒廃するわ怪我人はしょっちゅう出るわ生徒が教師を刺して新聞に出るわという騒ぎだったので、私はこのまま進んだら絶対に殺されると思い込みました。

必死というのは、強いです。

そのころ中学受験というのはあまり流行していなかったのですが、親に無理を言って頼み込み、3年間の努力甲斐あって中高一貫の私学に。

勉強しても馬鹿にされない場所。本を読んでいても不気味に思われない場所。いじめに対し、いじめている暇があったら東大京大早慶を目指して勉学に励め馬鹿者がと教師が強く出て解決してしまう場所。同性だけの開放的な場所。それらを私は手に入れました。

…あまりの幸せに、私はちょっと遊びすぎました。漫画小説に明け暮れる日々をすごしてしまったのです。4年たったころには、入学時の能力からするとかなりいびつな学力になってしまっており、有数の進学校にいながら模試で軒並み「みこみがありません」という意味の判定をもらうようになってしまっておりました。

この高校から就職する人はほとんどいないので、その方向の進路指導は受けられません。このままでは高校を出て路頭に迷ってしまいます。

2年、それなりに勉強しました。ぬるま湯に浸かっていた私は必死さが足りませんでした。第一志望の東工大に落ち、地方の国立大学になんとか現役で滑り込みます。

……また遊びすぎてしまいました。音楽小説に没頭していて数学勉強が足りず、2年留年馬鹿すぎます。

で、修士新卒ですと就職活動適当な一部上場企業SE募集していたので入りました。あまりあっさり入れたから変だと思ったのです。

入ってみたら針のむしろでした。同期の同僚たち、そこそこの私学出てます。MARCHとそのちょい下ぐらい。

仕事にならない。

ええっと、入社してから条件分岐とループとか勉強しているのですけれども。この人たち。

MOUS検定の事を本当に入力インターフェースマウスの検定だと思っているのですけれども。この人たち。

さらに、知識がないとかじゃなくて学習の筋が悪いです。

先輩方も同レベル…まがりなりにも新卒の私なのに社内技術サポートセンターのようになっていきました。本来業務ではないのに。

こんな低能どものお守りをして残業だらけになって給料がこれっぽっち?いや今安いのは良いよ、10年選手でもこの金額?あれだけの金が動くプロジェクトを回していて?

辞めた辞めた。一部上場とか気にしないで会社適当にサボりつつ次の仕事を探しました。私は今まであまりにもぬるま湯に浸かりすぎていたようです。人生の半分以上ぬるま湯でした。厳しいところに行かねば。

それで今の小さな会社を見つけて転職しました。とてもよいところです。仕事楽しいです。上司も同僚も実力派です。人間的にも良い方が多いです。専門卒も3流大卒も1流大卒も混在していますが、どなたもハイスキルですし、学習の仕方を知っているし、伸びしろがまだまだある方が多いです。それになんといっても給料が良い。

問題はまた居心地の良すぎる場所を見つけてしまったということです。すっごいぬるま湯です。自分の仕事はきちんとしてそれなりに評価はされていますが、いままであまりにものんびり流れるままにすごしてきたので他者の指揮経験がありません。

なんだか今後上司をやらなければならないようです。これはまずいです。もし前の会社の同僚のような者が部下についてしまったら…低能め低学歴めと叩き潰しかねません。実際大学や前の会社で私が潰した覚えがないのに「あなたは容赦がないですね」と言われたことがあります。

そういうわけで、無能、学歴コンプ病人エターナル素人は私の前に立たないで頂きたい。それがお互いの幸せのためなのです。わかるよね。

2007-08-02

東大になぜ入れたかは、よくわからない

虚構組曲 - 東大に入る人と私の差

東大に入る人と私の差というのは、「東大に入ろうと思ったか否か」に尽きると思う。

私の親はやや過激な学歴主義者であって、3歳か4歳の頃に「湘南高校に行って東大に入ってくれたらなあ」などと言われた記憶がある。だが、私は幼少の頃から、自分がそれを達成できるとは思えなかった。というより、自分のこととして考えていなかった。東大に行くのが学歴社会において100点であると考えながら、100点を目指そうとしていなかった。結果、70点ぐらいで妥協をした。この妥協するかしないか、100点満点を自分が取れると考えるのか考えないのかというのが、私と東大生を分けている最も大きなポイントだと思う。


とくに「妥協せずに」頑張ったということはないなあ。

小学生の頃は何もしなくとも90点以上がとれた。

中学生の頃は学校宿題をこなすだけで300人中20位以内くらいには入れた。

高校になって、学校での成績が受験に影響しないことを知って定期テストでは手を抜くようになった。とりあえず上位30%くらいの中にいたと思う。それでも実力テストなどの範囲が過去に教わったこと全てというテストではやはり上位5%くらいの成績を取っていた。

高校3年生の受験勉強では、周りと同じ時間だけ勉強していた。塾に行ったりはしなかったので、東大医学部目指してる友達に比べると時間・量ともに少なかったように思う。

高校(地方の進学校)に入学したときに、1年生は進路希望東大京大って書いておけと言われて東大と書いた。

そしたら3年間、そのまま進路希望先を変更しなくてすんだ。

周りと同じだけ勉強をしてたはずなのに、なんで周りは私よりできないんだろう?とずっと思い続けて東大に入った。

大学に入ってみると、努力してきたのね、という人がたくさんいた。

でも、自分と同等以上に頭が良い(含:勉強できる)と思う人もたくさんいた。

私も進学校落ちこぼれ

anond:20070802181707

うちも中高一貫進学校。「半分東大」まではいかないけど、だいたい似たような感じだ。

中学受験でさんざん勉強したから、中学合格したときは嬉しかったなー。

「もう勉強しなくてすむ!」ってね。

はいそこのあなた、「いやいや、勉強はこれからだよ!」って思ったでしょう。その通り。

しかし当時の自分にはそれがわかっていなかった。

おかげで簡単に落ちこぼれましたよ。

ほんで浪人して、一芸入試みたいな形でやっと大学生になれた。

就職も苦労したけど、今はやりたいことをやってるし給料だって悪くない。貯金もできてきた。

親やその学校中高一貫出ると、「その中学」や「その高校」だと半分しか指さないから呼称が難しい)をどう思っているかというと。

落ちこぼれたのは全部自分のせいだと思うから、親や学校を恨んだことはないよ。

またまた、いい子ぶっちゃって」って思うかもしれないけれど本当だよ。

自分の子供が「受験したい」って言ったら、全力で支援するよ。

ほかに進学校を出てよかったって思うのは、クラスメイト勝手に(失礼)偉くなってくれてることかな。

医者(これが本当に多い)、弁護士大企業の社員(グーグルもいるよ!)、投資家官僚国会議員もいる。心強いよー。

増田も、昔のクラスメイトとは連絡とっておくといいよ。本当に。

学歴無意味論かー

引用見ただけで実物見てないんだけど。

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/07/40_f9f8.html

(前略)本当に食べていくだけで精一杯だったんです。そんな鼻つまみ者扱いが、大学が決まっただけで「あ、早大生なんですね」って周囲は好意的に受け入れてくれるようになったんです。(中略)ある程度の大学にいるというだけで、社会的な信用度が大きくなり、有名大学って入ってみるとお得な身分だなって、つくづく思います。

 それまでの「え、○○短大卒なの?」って眉をひそめられていたのとは違う現実を突きつけられる。

 社会って、不思議な世界で、私は短大のときの私と何か変わった訳でもないのに、大学看板があるだけで扱いが変わるんですね。

自分も、進学しない前提の学校から、そこそこの大学に行ったときに同じことを体験したなー。

その他にもギャップがあった。進学校出身の同級生達が無邪気にその世界が全てと思ってること。そうでない世界があるのを知識としては知っていても、まるで別世界のように思っていること。俺は幽霊かよ、目の前にいるじゃん、と思ってた。

大学入学前後(直後の話)で自分の技術レベルやそれまでに作ったものは変わらないのに、大学看板が付いただけで何かすごいことのように先入観を持って見る人達プラシーボ効果?)。技術関係は、当時の自分の拠り所だったし、余計な御託や権威を並べるより出来たブツを見れば分かるだろって思っていたかったから裏切られた気分になった。今なら看板には看板意味があるってことも、看板抜きで評価出来る人の方が稀少だということも分かったけど。

なーんてことを思い出して、どっかに書いておきたくなった。まあ今となってはどうでもいい話です。

そんなんだから

http://anond.hatelabo.jp/20070802181707

落ちこぼれるんでしょ。

こういうのを「進学校のおちこぼれ」とか言ってくくりなさんな、

他の純真なおちこぼれに迷惑だから。

進学校落ちこぼれ

むかつくって言うか、無知を哀れむっていうか、想像力のない大人が大嫌いっていうか、

「僕は落ちこぼれでした」って言っても納得してくんねえ奴がいるんだよな。

返ってくる言葉は決まって「でも、早稲田なんでしょ」って言われてね。

ああ、やっぱりなって感じで。はい、もうこいつ低脳決定。

あのねぇ、うちが行ってた中高一貫のところは半分が東大に行って残った半分が京大

さらに残りの九割が神戸東北に行って早稲田慶応みたいな私立に入る奴なんて極少数なんだよなぁー。

進学校落ちこぼれってもう中二ぐらいで固まっちゃうんだ。

入るまでは無敵モードでこのままその状態が死ぬまで続くかと思ったら上には上がいるって叩きのめされるわけだから歪むよ。

金持ちのボンボンでイケメンスケボー片手に登校して成績抜群なんて奴もいるからねー。それを横目に「けっ」って感じでルサンチマンでいっぱい。

学校終わったら落ちこぼれグループゲーセン行って夜10時まで遊ぶような輩だったのさ。不良だろ?

いや、早稲田入ったら学校の快挙とか言われるようなところが良かったよ、俺は。鶏口って良い言葉だよね??。

なんでエリート養成校にルンルン気分で入学してこんな思いしなきゃいけなかったのか。

毎回受験特集とかで、合格して喜んでる子どもたちを見ると、ああこの中の何割かは……って。

馬鹿なんだよな、親が。井の中の蛙を親のエゴで大海に投げ込んじゃってさ。ずっと井戸で良いのによ、こっちは。

2007-07-21

学歴の悩みみたいなの

高校のとき、たくさんある近畿大学の附属高校のひとつに通ってたんだけど、

私が通ってたところは進学校とは思われているものの、実績はそれほどすごいわけではない、

まぁ言うなれば「なんちゃって進学校」だった。

附属高校の中には、推薦で近畿大学に行くものも何人かいたが、たいていは推薦をうけず、

地方の国公立か、近大より少し上の関関同立へと進むものが多かった。

関西地方は私立より国公立に対する志向がつよい)。

近畿大学は滑り止め、という意識が強くて、集会で先生たちは生徒に対して、

近畿大学がゴールではない、それよりも上を目指せ、近大なんか行くな。」

みたいに、近畿大学を半ばけなしたような感じでよく語っていた。

そのとき、となりにいた近大卒の先生をちらっと見てみた。

なんとなく、いや、リアルに辛そうだった。

生徒に上を見させるのは大切だけど、もっと近大を大切にしてやりよ。

近大はすごいんだぜ、クローン技術マグロ養殖、目を見張る研究成果を出してるんだ!

せめてさ、

「お前ら、頑張れよ。万が一失敗しても近大に入れれるようにこっちも頑張るから」

と言うべきではなかったか。

大阪府の某国公立に行った僕が言うのもなんだけど。

2007-06-27

叶ってしまった夢

子どもの頃に将来の夢だった職業に就ける人はどのくらいいるのだろうか。

私は今、夢だった職業に就いている。

たまたまなりやすい職業が夢だっただけのような気もするが。

幼稚園の卒園式では別の夢を発表したが、それ以降は同じだった。

小学校の文集には「コンピュータ関係」と書いてあった。まだ具体的な職業の名前を知らず、漠然とコンピュータを使う仕事がしたいと思っていた。このころプログラムというものの存在を初めて知って、いつか自由にプログラムを書けるようになりたいと思った。

中学校の文集には「プログラマー」と書いてあった。コンピュータ仕事と言えばプログラマーくらいしか知らなかった。どうやら理系大学に入るのがいいらしいと聞いて高校理系進学校を選んだ。

高校の文集には「システムエンジニア」と書いてあった。どうやらプログラマーのさらに上にはそんな職業があるらしいことを知った。大学工学部情報工学科を選んだ。

そして大学生情報工学を学び、情報系の資格もいくつか取って、IT企業を中心に就職活動し、「ソフトウェア開発」という職業に就いた。

夢が叶ってしまった今、なんとなくつまらない気持ちなのはなぜだろう。

なって「何をするか」ではなく、「なること」自体が夢になってしまっていたのだろうか。

今では学生のうちにもっといろんなことに興味を持っていろいろやってみておけば良かったと思う。

これまでの夢を叶えてしまった今の私の夢は、幼稚園の卒園式で発表した方の夢だ。

あのとき私はこう言った。

「大きくなったらお嫁さんになりたいです。」

今度の夢が叶うのはいつになるのやら。

2007-06-20

教室でのお好み焼き

http://blog.livedoor.jp/ressbook2ch/archives/50888408.html

高校ん時ブスな女子グループ

ホットプレート持ってきてお好み焼き焼いてた

クラスドン引き

一応進学校だったんだけどな

まあ、よく見られるスクールカースト光景と思うわけだ。

べつに俺は、最下層のグループ学校お好み焼きを焼くこと自体が悪いとは思わない。

ただな、お前ら純粋に昼休みお好み焼き食べたいだけなのか?

ちがうだろう。なんかちょっと面白いことがしてみたかったとか、

「あ??る」「ハルヒ」的なスクールデイズを実践してみたかったとか、

そういうよこしまな欲望があったんじゃないだろうか?

で、おまけにそれをクラスメイトの前で行い、

観衆になることを無言で強要するという面の皮の厚さ。

そういうもの欲しげな態度というのは、本人たちが思ってるより

周囲の人間はずっと敏感に感じ取ることを理解しておいてほしい。

引用した例ではブスということになっているが、問題はそこではない。

ブスでもブサイクでも上層カーストに属する例はたくさんある。

ましてやファッションだの趣味領域だのは、本当に瑣末な条件だ。

「要するに空気嫁ってこと?」と片付けるなら、それはそれで構わないが、

その鈍感さが疎まれる理由の一つとは思い至らないのだろうか。

2007-06-05

委員長やら揚げパンやらに感じる違和感に名前付けませんか

よく見る「委員長」って何よ?

おさげで眼鏡で、チクリ属性があって、高圧的なんだけど時折優しくて(あえてツンデレとは言わない)、

頭がいい女キャラっていう最大公約数があるみたいだけどさ。

で、何の委員長? 何委員? 真面目娘推進委員?

世には、クラス委員(長)という概念があるらしく、この委員長はその人のことをさすらしい。。

だが、クラス委員なんて、俺の学校生活で一度も存在したことがなかったぞ。

生徒会とかに意見を提出するための、代表委員ってのがいたけどな。

「揚げパン」って何よ?

カレーパンカレー抜きで」みたいな?

給食の定番みたいないわれ方をしているけど、そういう、「給食が食べられます」みたいな店の触れ込みでしか見たことがない。

ソフト麺にミートソース

うちの地方じゃソフト麺普通味噌のつけだれに入れてラーメンとして食していたぞ。

「俺の知らないものを、みんなが当然の前提として知っていて、その話をされても盛り上がれない」というこの現象に、名前付けませんか?

もうひとつ例を挙げると、

「うほっいい大学に、まぐれで受かってしまって地方から出てきた学生が、

都会出身の奴が有名進学校の話や中学受験の話をされて感じる疎外感」とか。

まあ普通に「疎外感」でもよさそうなんだけどさ。

よくよく考えてみると、「古参チマン」の逆っぽいね。

古参チマンは、すでに知っている少数派の人が、後から知った多数派の人に感じる違和感

これは、ぜんぜん知らなかった少数派の人が、すでに知っていた多数派の人に感じる違和感

2007-06-04

http://anond.hatelabo.jp/20070603195317

これは小学校じゃなくて高校の話だけど、近所にある進学校高校は朝7時から0時間目が始まる学校でしたよ。

業務的には8時30分から学校が始まるようにはなってはいるんだけど、7時から0時間目という補習授業が行われてた。

もちろん、表立っては強制ではなく自主参加のような形式なんだけど、実質は参加していないと非学生扱い。

参加して当然。みたいな仕組みだったらしい。

私は、「そんな馬鹿馬鹿しい話があるかい!」ってわけで、違う学校を選んだんだけど。だって、そんなに優等な生徒を輩出しているわけでもなさそうだったしね。

後々に聞いた話では、うまく7時までに登校できなかったために、しだいに非学生扱いが高まっていき、あげく退学に追い込まれた同級生がいるとか。

それでも、私が高校生だった頃から13年経った今では0時間目もなくなって、8時30分から授業を始めてるらしい。

これが時代の流れなのか、本来あるべき姿なのか。この状態に至るまでに積み上げられた屍の数は、決して少なくないだろうに。

2007-05-23

やばいぞ清風南海

 高石市で、かなり信じられない事件が起こりました。

 清風南海大阪屈指の進学校)の稲津という先生が、元教え子(20)の家屋に忍び込み、下着を窃盗。18の弟に見つかり、300m離れた地点で捕まる…という、ありえない事件。

 実は私の知人2名がそこを卒業しており、彼らの心境は複雑といった感じでした。

 2ちゃんねらじゃないけれど、さすがこれが大阪クウォリティなのかと。

 さっき清風南海コミュを見てみたけれど、稲津という先生、あまり生徒から信頼されてはいなかったようです。むしろ嫌われてたみたいで、事件が起きて清々したといった、そんな書き込みがちらほらと見られました。

 『授業1回しかやったことないのに定期テストして、親からクレームが来た』って、一体どんな先生だよ。

 1年半くらい前だったでしょうか、茨城常磐大学の波多野勝先生が、学校見学に来た生徒に対して誤って自身の卑猥なシーンビデオを見せてしまったという事件がありましたが、この波多野先生もあまり学生たちからは好かれていなかったようです(彼は前期の授業の7割を、ビデオだけという授業にした過去があります)。

 まぁ、これを見て解ったことは、やっぱり生徒は見抜いているということでしょうか、先生の素質を。

2007-05-03

いじめっこ

俺は中学生のころいじめをしていた

当時スクールカーストでいうとAランクで、コミュニケーション能力に長けていた俺はクラスの人気者だった

クラスで飛びぬけて頭が良かったため、ヤンキーグループからも一目置かれ、お調子者キャラで女子からの人気も高かった

クラス替えがあってすぐの話だ

そのクラスにはすでに何人かいじめられっこがいて、その中に塾で一緒だったK君がいた

K君とは塾ではほとんど話したことがなく、もちろん塾でのK君いじめに参加したことはなかった

毎日先生に簡単な日記を出さなければいけないのだが、ある日K君いじめグループの一人が俺にK君の日記をみせてきた

おそらく、みんな勝手日記を盗み見て楽しんでいたのであろう

その日記の最初のページにK君の筆圧の強い字が並んでいた

今日クラス替えは最悪だった

>なんで先生たちはこんなクラスにしたのかわからない

>俺をいじめるやつがそろっている

>特に○○○○(俺のフルネーム

>あいつにいじめられるのは目に見えている

重ねて言うが、俺はその当時まだいじめはしていなかった

俺はその日記ネタにしてみんなの笑いをとり、スルーしてやっぱりいじめには参加しなかった

ここで言う「いじめに参加していない」とは直接K君をいじめていないだけで、K君が笑われていれば一緒に笑ったり、ネタとしてK君をつかったりはすでにあったと思う

事件は起こった

K君が先生いじめっこリストを作って直訴したのだ

そして、そのいじめっこ達が先生に呼ばれていった

しかし、呼ばれるメンバーが明らかにおかしい。いつもいじめをしていたグループが一人も入っていなかったのだ

さらにいじめっこの主犯格には俺が選ばれていた

いじめをしていたか?」と聞かれると胸を張って否定できなかった俺達は、先生達の熱いご指導を聞いて涙ながらに反省する生徒を演じるしかなかった

後日K君に何で俺なのか、何であいつらじゃないのかを問い詰めると

「あいつらに何かすると後が怖い。だいたい一番悪いのはいじめを見てみぬふりをしていたお前らじゃないか」

なるほど

それからは俺もK君をあからさまにいじめるようになった

いじめグループのように気違い染みたいじめはしなかったが、K君ネタで場を盛り上げるのは俺の仕事だった

こんなことがあったこともある

いじめっこグループがK君の文房具をみんなで山分けしていた(俺は関与していない)

次の日K君が家を出た後、行方不明になった。家出というやつだ。

K君の席には前日から用意されていたメモが置いてあった

>○○(俺の苗字)が俺の文房具を返すまで学校には行きません

「100へぇ」と落書きされて黒板に貼られたメモを見て、俺は怒りをどこにぶつければいいのかわからなかった

K君は親に連れ戻されて午後から学校にきたが、文房具を盗んだ犯人は俺のままである

他にもいろいろと事件があり、K君はいじめを全ておれのせいにするという思考回路があった

教科書を忘れたのに隣に座っていた○○君がみせてくれなかった」と俺の親に電話をかけてきたこともある。

勘違いして欲しくないが、K君は俺に友情を求めていたわけではない

K君には明らかに悪意があった

俺はK君をいじめていた

自分の地位やイメージを崩さないように慎重にいじめていた。

しかしK君にもいじめられていたのだ

俺は俺の手の届かない、どうしようもないところをK君に攻撃され、気づかないうちに破壊されていた

その後K君は地元底辺の男子校に、俺は有名進学校に進む

いじめられっこといじめっこのレッテルを貼られたまま

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